さて今日は、あいこちゃんとのエピソードを話しつつ、あなたはあなたのままで愛されるから、あなたの性質を輝かせたらいいんだよって内容をお伝えしようと思います。

 

 

 

 

あいこちゃんから電話がかかってきました。

 

そのときにちょうど、呪術廻戦のアニメを見ながら、サラダを食べようかと思っていたところで。

 

 

 

 

 

アニメを見たかった私は、

 

片耳にイヤホンしながらアニメを見つつ、

 

携帯をスピーカーにしてあいこちゃんの話を聞きつつ、

 

サラダを食べながら話すという芸当をしておりました。

 

 

あいこちゃんが推しているのは、呪術廻戦のなかでの夏油傑というキャラ。


 

 

 

彼はマジメで優しい人柄と言われています。

 

でも物語の途中で闇落ちしてしまうんですよ。

 

 

私とあいこちゃんは電話をしながら、あのとき傑になにをしてあげたら闇落ちしなかったかな?っていう話で盛り上がっていました。



ちなみに私とあいこちゃんは、呪術廻戦のキャラでいうならって話になったときに、あいこちゃんは私の推しの五条悟よりの性質に似ていて、私は高専時代の夏油傑よりの性質に似ているという話になりました。(私は、自分磨きとか意識の研究や分析なんかしているときは、悟の性質よりになることが多いかも)

 

 

みんなそれぞれキャラの解釈はあると思うのですが、私なりに感じたことは、

「つらいときにつらいって自分から言えずに抱え込んじゃうからなあ。ひとりにしないでそばにいてあげるだけでも、だいぶ違ったと思うけどね」



そんな話をしていたら、あいこちゃんが過去の男性の話をし始めました。


「そういえば、私の過去の好きな人がつらそうにしてたときがあってさ…」

 

ちなみにあいこちゃんは、私みたいな人間性がタイプらしいです。

(恋愛対象は男らしいが)(なぜだろう?私は一部の人から、私が彼氏だったらいいと言われることが多いぜ)



まあ、それはさておき。

 

 

これ、なんか、ちゃんと聞いたほうがいいなと思って。

片耳からイヤホンを引っ張って外して、ちゃんと聞く態勢へ。



「んで?」

「私ね、そのとき、なんかいつもと違うな~、元気ないな~って思ってたんだけど、声かけなかったの」

「なんで?」

「なんて声かけていいかわからなかった」

「普通に声かけたらいいのに。元気ないね、なんかあった?って」

「え、だって、つらいときって、なんか気の利いた言葉をかけてあげなくちゃって思うんだけど、私そういうの苦手だし」

「あー…(なるほどね)」

 

あいこちゃんとその過去好きだったという彼の感覚が、同時に入ってきました。


彼の様子がいつもと違うと気づいたあの瞬間…

 

あいこちゃんは、その瞬間、彼が幸せを感じられるいい性質をすでに持っているのに、その性質がなんとなく輝いてないなって感じたんです。



“なぜだろう?”

 

ああ、わかった、ココだなあ…



“気の利いた言葉をかけてあげなくちゃ”

 


社会が提示してくる、いい女はこう振る舞うという型に、魂を閉じ込めているような感覚がしました。


「気の利いた言葉なんて言わなくていいんだよ」


気にかけてくれた。

 

どうしたの?大丈夫?って言ってくれた。

そのときに、気の利いた刺さる言葉なんてなにもなくても、たとえ不器用でつたない言葉でも、

励まそうとしてくれるその想いとか、そばにいてくれようとするその想いが、こちら側は嬉しいんです。


もちろん、気の利いた言葉のひとつも言ってほしい人も、世の中にはたくさんいると思います。

でもあいこちゃんの好きな人は、今あいこちゃんの持っているもので、じゅうぶんなのですよ。


いいふうに見られようとしなくていい。

こういう振る舞いをしなくちゃと型にはめなくていい。


彼にとっては、あなたがすでに持っているもの、それがなにより欲しかったんです。
 

 

すでにいいものを持ってる。

だからあとは…もっているものを輝かせてあげたらいいだけなんです。

 



そんな内容を伝えたんですよ。

 

 



そうしたらあいこちゃん、

「そっか!あのとき、声かければよかったんだ!!あ~~気づいてのに!そのままいけばよかったのか〜!

 

あのときはなんていうか…自分の人間性に自信がなかったんだよね」


 

「社会という立ち位置から人間を見るなら、こう振る舞うのが正解っていうのがあるけどね。

 

でも社会では正解だという振る舞いを、彼という立ち位置からみて好評価を感じてくれるかは、彼の価値観によるから、違うかもしれないよ」



人間性なんて、相手や状況が変われば、ドン引きされたり、ウザがられたり、それがある瞬間ではひっくり返って、大好きでたまらなくなったり、リスペクトされたり、変わるもの。


人間性とは「ただそういう性質がある」ってだけ。

 

その性質を一律で肯定できるものでも、否定できるものでもなく。

大切なのは、その性質を、どの場面でどういかすかを考えようとする、心のありかた。




このときあいこちゃん、自分の持っているもので、タイプの彼からは愛されるし、彼を幸せにすることだってできるって、そうわかって…


自分の人間性を許せた感覚がしたらしいです。


 

そうこのとき、これがまさに

『感覚が動いた』=『世界が動いた』瞬間。

 

 

 

あいこちゃんがそのとき近々○○県に行く予定があったんだけど、なんとなく予感がして、

「今度行く○○県に行ったときに出会えそうだよね」って言ったんですよ。

 

 

 

そしたら。


あいこちゃんが○○県に行った日。

こんなLINEが届いた。








本当に推しに似た人と知り合っていた!!
 

 

 

私たちの推しなんて2次元という、架空の人物です。


でもその架空の人物でさえ、3次元に召喚したかったらできるんです。

それは、どういうカタチかというと、自分がそのキャラに似ているという感覚になれるような人物が、本当に現実に現れてくれるということ。



ちなみにあいこちゃん、以前、こんなことを言っていたような人です。

「でもさー傑に似ているような人なんて、そんな人って本当にいるのかな?って思っちゃう」

 

 

 

 



彼と出会える前兆もないこの状況から


自分の存在がいい気分でいられるような、

 

『感覚』だけを動かした。

 

 

 

きっと周りからは、キャッキャッして、単なる妄想しているようにしかみえなかったかもしれません。

 



でも、今そういう状況になくても、

 

確かに『その存在を感じている』

 

 

彼との喜びや幸せの感覚を、自分に与えてあげる。


デートでも、旅行でも、ほっと一緒にココアを飲んでるでもいい。


そんな彼とあなたが2人いる。

そんなふうに彼と一緒にいられるよって。

そんなふうに彼と一緒にいてもいいんだよって。

だってあなたはこんなにもとっても素敵な存在なんだからって。

彼を幸せにできる人間性を、あなたはすでにもっているんだから。


 

 

あなたがその性質を発揮すると、彼が楽しそうに幸せそうに嬉しそうに居心地よさそうに笑っている。

そんな姿になんだかあなたまで、あたたかい気持ちで満たされていく。

そんな2人の関係性。

 

 

こんなふうにお互いの存在が、幸せや喜びを感じることに焦点を置く。

 

そうすると、この世界は『それと同じ感覚』=『それと同じ波動』=『それと同じ世界』で引きあっていくんです。

 

 

 

 

状況さえ、変われば、

彼にさえ、出会えれば、

そういう感覚になれるのに。

 

そう思うときもあるかもしれません。

 

 

でも、できるから。


変わらない状況のなかでも、感じかたを変えることが。



あなたもすでにできている瞬間はあります。





あなたの状況はなにも変わってないのに、私のブログや他の人の本やブログなどを読んだとき、ほんの少しでも、あたたかくなったり、自分への愛にあふれたり、できるかもって感じたり、なんでもいいのですが、なんらかの『感覚』を感じた瞬間はありませんか?



その瞬間、読む前の感覚と読んでいるときの感覚は、少し変わっていませんか?


そのとき、状況は変わっていないのに『感覚』は変わっていますよね。


その瞬間だけは『感覚』が変わって、なりたい自分と繋がれているんです。


あとは、その自分と繋がる瞬間が、だんだん長くなれたらいいんです。

 

 

なので、私はよく『感覚』がどうやったら変わるかなって、色々な視点をはりめぐらせて肯定解釈をするんです。



あなたは唯一無二の魂の性質をもっています。


どんな性質のものでも嫌わないであげてください。

 

その性質があなた自身を救ってきた瞬間もあるのだから。


ただその魂の性質を輝かせてあげたら愛されます。

自分の幸せのために。

自分の好きな人の幸せのために。


それが愛という目に見えないものを、現実世界で表現するってこと。

 



私は、よく明るいと言われるんですよね。

明るいには、いいイメージがあると思います。

でもこれをイメージとらえるより、単なる性質でとらえると2人の関係がうまくいきます。


なぜなら、さっきも書きましたが、本来は自分の性質に良いも悪いもないからです。

状況や相手によって、良いようにも悪いようにもコロコロ変わります。


彼が忙しくて疲れていて、今日は無口でいたい静かでいたいと思っていたときに。

彼の前で「ねええええ!ねええええ!」ってキャッキャッしていたら、彼の性質の場合、静かにして欲しいと感じるだろうし。

でも、彼が元気なときにキャッキャッしていたら、表情豊かで明るくていいなって感じてくれるだろうし。

 

そんなときはどう性質を使いこなしたらいいでしょう?

 

私なら、彼が今日は疲れてそうだなってときは、マンガを読みながら、ひとり心のなかでキャッキャッするほうにダイヤルを切り替えたり。

ここってにぎやかなほうが楽しいだろうなってときは「きゃあ、すごーい!!」「きゃあ、見てーーーー!」と自分の性質をダイヤル全開で楽しみます。


3歳に包丁を持たせたら、その包丁に抱く感覚は危ないものと感じるし。

誰かが包丁で人を傷つけようとしたら、その包丁は怖いものと感じるし。

野菜を切っているときは、その包丁は便利なものと感じるし。

その包丁の性質は変わっていないけれど、人や状況によって感じかたが変わるんです。

 

 

自分もそうだし、相手もそうだし、きっとみんなそう。

 

 

幸せを感じたい。

嫌な感覚なんて、できれば感じたくない。

 


 

どんな性質にも、光の一面と闇の一面があります。


自分のこういうところが嫌だなって思うところも、包丁って人を傷つけるから嫌だなと、闇の一面だけでその性質を見ているだけかもしれません。



別の一面を見れたなら、あなたの性質が愛にあふれたものにみえて、感覚が変わるかもしれません。

 


闇の一面は最小限にして、光の一面を輝かせてあげる。


この性質を使って、自分と相手をどうやって幸せにしていこうか?って考えてみる。



そういう心のありかたで、人と関わってみてください。


誰かにならなくていいんです。

 

 

あなたはあなたのままが、いちばんまぶしく輝くんです。

ただ自分のもっているもの(愛)を人と状況で使い分けて表現すればいいんです。

どんどん自分になっていくとは、どんどん自分の性質を使いこなせるようになっていくということです。

これがHibiki流の「ありのままに生きる」です。

ありのままに生きていると、自分の理想とする男性に出会えます。

 

なぜなら理想とする彼と付き合えたときの未来のあなたの感覚は、あなたがいちばん輝いている瞬間の感覚と同じでしょうから。


そしてあなたのことを好きになる彼は、もちろんそんなあなたの性質が大好きだって、あなたの存在を愛おしく感じてくれるような彼として現れますからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
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今月、受講生さんで年齢を気にする話が多かったから、年齢について書きますよ。





社会思想で生きていると出くわしませんか?

若いほうがいいっていう考えかた。



youtubeで、ネットの恋愛の記事で、TVで、友達や知人や職場で、ふと耳にしてしまうそんな心の痛い言葉。

恋愛では、年齢を、あなたの女性としての価値の数値はこれですよと、まるで通知表のように自分を評価されてしまうときがあって。

その通知表を見せると「ああ、あなたの志望している男性はむずかしいですね」なんて、言われてしまう。




年齢ではじかれるかもしれない怖さ。

年齢を言った途端、態度が変わってしまうんじゃないかって怖さ。

自分の理想の男性を話せば、いい年して高望みしすぎだと、鼻で笑われたり、バカにされたりするんじゃないかって。



その年齢にあったふさわしい言葉と態度を取りなさい。



この年齢のときは、このように考えるべきで、このように振る舞うことが正解なのです。



年相応の身の丈の価値観になりなさい。



この社会の「圧」ったらすごいですよね。




そんな男性いないって思わなきゃいけない。

現れたとしても、こんなに年をとった自分のことを愛してくれるわけないって思わなきゃいけない。

そんな素敵な男性が、身の丈以上の彼が、自分と一緒にいてくれて、自分のことを愛してくれるわけないと思わなきゃいけない。




でも本当はそんなふうに思いたくない。




それなら。

 






あなたの今生きる世界に、あなたが愛されるもうひとつの世界を創ろう。



そうしたら大丈夫。愛されるよ!










受講生さんと1対1で話しているとその人に感じることがたくさんあって。



すごい優しい人だな。気遣いのできる人だな。話しやすい人だな。楽しい人だな。癒される人だな。頑張りやさんな人だな。



感じるたびに、思う。








あなたに感じているもの、あなたの持つ良さが、年齢より価値が劣るとは思えない。








年齢に匹敵する、いや年齢を超えるいいものを、あなたはすでに持っているんです。

誰もがもてない、誰もがうらやむものを。




 




読者ひとりひとり、つまりあなたにも、彼にとって「あなたのそういうところって年齢が気にならないくらいいいな」と感じるところって絶対にあるんですよ。




ただ…じゃあなんでそうならないかって…

この自分の良さ、本人が気づきにくいんです。



年齢など社会からよしとされる女性の枠を外れて愛されるには、あなたが自分の良さを社会の評価基準ではからず、彼が感じているあなたは、彼にとってとても魅力的な良さをもっていることを肯定できたときに発動するんです。



あなたがすでに持っているものに、今意識を向けてみてください。携帯電話、TV、なんでもいいです。







なにを感じましたか?




無感覚ではありませんでしたか?






自分がすでに持っているものって、感じにくいんです。







あなたが今まで出会ってきた人の縁を思い出してみてもらいたいんです。





あなたのどんなところがいいって言われたことがありますか?




その言ってきた人は、これまで何百人っていう出会いがあったはずで。



その出会いの中で、あなたのその性質が人より突出してなかったら、あなたの良さって普通に埋もれて拾えてないはずなんです。



言われるってことは、そこの部分は普通ではなく、特別なんですよ。



あなたの人生に現れた人が、あなたにそう言うのですから。




つまり、これから出会う彼も、すでに会っている彼も、あなたの人生に現れた人ですから、あなたのその良さに魅かれていきます。





なので、

「自分では気づかなかったけれど、こんな素敵なところがあったんだ」って、そこに価値を感じてあげてください。


もし人から言われたことがなかったとしても、それはこれまで出会った人が、心では思っていても、あなたには実際に伝えてないだけです。

 

口に出していないだけで100%あなたの良さはあるので、そのときは「自分にはまだ自分の自覚していない良さがあるんだ!」って感じてあげてください。

 

 

感じていることが叶うので、

 

具体的でなくても、あなたの良さを肯定的に感じられたら、それで十分です。

 

 

いつかあなたともし会えたときには、私がお伝えしますね。少し一緒にいて話したら、私は人のエネルギーを感じる力が強いので、あなたの良さを感じられますから。



すると、社会の女性としての価値はこういうものだという世界が内側から割れます。

そうして新たな世界である、年齢、バツイチ、子持ち、容姿、体型etcすべての条件を超えて、あなたの性質、あなたの良さそのものを愛してもらえる世界の中で生きられるようになります。




本来、あなたはもうすでに、あなたが望む男性から愛されるものを十分持っているんですよ。









これまでは、自分がすでに持っているものになかなか価値を感じられなかっただけなんです。




もしかしたらなかには、これが?って、社会という世界の中では、それほど評価されないものかもしれません。
 

そうなると、自分のこんなところは彼から愛されないと思うかもしれません。





しかし、あなたが愛されたいのは、あなたが大好きな彼のはず。

 

 

社会が求める理想の女性として評価されなければ、あなたの大好きな彼からは愛されないと関連付けているだけかもしれませんよ。

 

 

 

社会が求める女性の価値では評価されないものであったとしても、あなたの望む男性はそこに価値を感じ、魅力に感じるのです。



それこそが、望む男性にとっては、あなたに恋に落ちてしまうほどの魅力、手放せない存在になり得るほど強力な魅力なんです。



しかもあなたの存在を唯一無二の存在であると感じさせ、自分の年齢や相手の男性のスペックにひけをとらないほどの、とてもキラキラしてみえるものなのですよ。


 

 

あなたは想いびとのことを、素敵な男性すぎて、身の丈以上すぎてって思っていても。


あなたが彼に対して素敵だと感じているものに匹敵する、彼にとっての素敵なものをあなたはお持ちで、実は全く身の丈以上でもなく、釣り合っていて、お似合いの、ふさわしい人なんですよ。





自分の存在に誇りをもってください。

自分の持っている性質に否定ではなく、肯定的な愛しさを感じてあげてくださいね。

 

そのときはその男性の前で、取り繕ってしまう自分ではなく、ありのままの笑顔を彼に向けることのできているあなたがいます。


なぜなら、

 

あなたが望む彼は、あなたの永遠に消えない、あなたの存在そのものの良さを好きになってくれる人だからです。









 

 

 

 

 

 
 
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一見、否定的にみえる出来事ってありますよね。



そういうとき、心がウッとなる感覚があるかと思います。



でもそこは気にしないで大丈夫なんですよ。




大切なのは、そこからどういう心のありかたをするかということなんです。





その心のありかたは、あなたがあなたにその状況から愛を感じることを許すだけ。





世界はあなたに、あなたにはできないようなことは要求してきません。



必ず乗り越えられる出来事レベルを用意しています。



あなたが本当はこうありたかったんだよねって思う、そんな自分になれるような手助けを、人や出来事を通して送りつづけています。




お金がない、学がない、体型や容姿、家の環境、どんな状況でも関係ありません。



なぜなら、心のありかたはその状況を超えるから。



私はこれらすべてに恵まれませんでした。





仕事も辞めて、次の仕事にもつかないまま、翌月の家賃を払ったら通帳には数万円?数千円?(正確な金額忘れちゃった)残らないみたいな、調味料を買うのが高いと思えて、主食がだしに塩としょうゆ入れて飲んでいたり、片栗粉に砂糖まぜてお湯で溶かしたものを食べていたときがありました。



学校の成績は88番中、ずっと60〜80番台、1番悪くて87番をとったことがありました。



体型や容姿や家の環境は、過去の記事にも載せていますね。



私は、頭大きくて足が短くて、顎がじゃっかん出ているので、ひとめぼれってあんまりされたことないんです。



お母さんとの関係が悪くて、心の傷は恋愛や人生にとてつもない影響を及ぼすほど、相当に深かったですし。




そのときは、よく思ったものです。



値段を気にせず、食べたいものを食べたいだけ食べたいなあって。



私は頭が悪いからなにをやってもだめなんだ。賢くなれたらなあって。



美しくないから、男の人から見向きもされないんだ。彼氏がほしいなあって。しかも自分が好きになれる彼とつきあいたいなあって。



お母さんを恨まず生きるなんてできるのかなあって。この傷ついた感覚なくなるなんてことあるのかなあ…この感覚なんとかしたいなあって。



日常でつねにつきまとう、不安や焦りやこのむなしい感覚とりたいなあって。





そんな状況の自分でも、心のありかたで、すべての状況を超えられましたから。




好きな仕事につけて、値段を見ずに食べたいものを買えますし、


 

ブログにはなぜか知性を感じると言われますし、



ハイスペイケメンにモテて、理想の男性も出現して、大好きな彼と一緒になれましたし、



お母さんとの関係は、お母さんが子供の頃に望んでいた振る舞いをしてくれるようになり、もう傷がうずくことがないので、全然気になりません。






あのとき、今いる状況は永遠に続くものだと思っていたけれど、全然そんなことはなかったんです。





心のありかたさえ調整すれば、今いる状況は一変する。





今いる状況から、自分を楽しませてあげて、幸せを感じさせてあげて、自分を愛そうとしてあげていたら、そこから否定的に感じる出来事は肯定的に感じる出来事へと分岐しますよ。


楽しく感じて、幸せに感じて、そのエネルギーが今の自分の存在に満たされれば満たされるほど、あなたのエネルギーの影響が及ぶ範囲はどんどん広くなっていきます。



イメージとしては、まずはあなたの部屋という空間にエネルギーが充満し、最寄り駅や近所の空間にエネルギーが充満し、住んでいる県という空間にエネルギーが充満し、日本、世界と、そうやってどんどん「あなた」という存在が影響を及ぼす空間の範囲が広がっていくイメージです。


するとあなたが発したエネルギーの影響を及ぼす空間内に、当然この世界のどこかにいるはずですから、特定の彼、理想の男性はその影響下にはいるので、

その空間内にいる彼は「与えた感覚が受け取る感覚」「共振の法則」が発動して、結ばれるような展開が起きてくるということです。


 

今回は、そんな出来事のはなしをしましょう。

 

 


今月、友達と飲みに行きました。


友達のいきつけのお店で待ち合わせていたとき。

なんと、友達が1時間の遅刻。

この1時間。

以前ならこんな感覚でした。





1時間も待たされている…

そのあいだなにも頼まないのも、気まずいな。


とりあえずのお酒でも頼んでおこうかな。

無難な…このお酒でいっか。

そうしてお酒を飲みながら、携帯をいじり、時間をチラチラ。

まだかなあ。

退屈だなあ。

早く来ないかなあ。

なにやってるんだろう。

ひとりこの空間にいることがなんだか居心地が悪くて、そわそわする。

ここに友達じゃなくて彼になると、大切に扱われてないんじゃないかって不安もついてきたりなんかして。

時間を刻むごとに、心の感覚のモヤモヤも刻んでいました。

でも、こういうとき、思考が語りかけてきませんか。

これくらいのことでって。

ケンカしたくないし。

場の空気壊れたらイヤだし。

心が狭いと思われたくないし。



そうやって一生懸命、心もそう思うようにと言い聞かせて従わせる。



大丈夫、大丈夫、気にしていない、気にしていない。


でも、ほんとうはわかってるんですよね。



遅れてきた相手に対して「全然大丈夫だよ」って笑顔で言葉を取り繕っていても、そのモヤモヤした感覚があって、その場を心からあまり楽しめなくなっているってことに。





時間に遅れてくる相手。

ひとりぽつんと待ちぼうけ。

いつもだったら、モヤモヤしちゃう私だけれど。





でもそんな状況でも、その場を楽しむことができる、楽しむことを感じられる、そんな自分を許せたなら、その瞬間からの展開は一体どうなっていくんだろう?



自分自身に、今この瞬間、楽しい時間を贈ってあげたい。そんな感覚が湧いてきました。




これまでは、相手を待っていました。

それは「思考」が「社会思想」が、ちゃんと相手を待つべきだと言っていたから。

控えめにちょっとしたものを頼んで、あとで2人で食べそうなものは避けたりして。





「思考」や「社会」からは、気遣いができる人にみえるかもしれません。



でも「心」は?


ほんとうは、とりあえずのお酒じゃなくて、今私が1番飲みたいお酒を飲みたい。

相手もあとで食べたがるかもしれないけれど、今私はこれが食べたい。


ふたりのときより、ひとりのときのほうが、お酒の味も料理の味も堪能できるから、今ひとりしかいない状況をめいっぱい楽しみたい。





これが私が選んだホンネ。



「すみませーん!!」


そうして気になっていたお酒を頼み、堪能していました。


そうして次は、なに飲もうかなあとメニューを見ていると、おばちゃんがやってきました。


「そのメニューにのってないお酒がたくさんあるの。今並べてあげるわね」



なんと!!おばちゃん、日本酒を並べ始めた!(笑)

 

 

 

 

 

 




日本酒を並べているときにそばにいって、色々話を聞いていると、



なんとこのおばちゃん…東大卒!!



そして料理を作っているご主人は、帝国ホテルでフレンチをやっていたんだそう!!





そんな話を聞きながら、料理のメニューを見ていると、居酒屋のメニューの中で、ふと目にとまる「ステーキ」の文字。

(フレンチをやっていたってことは、ステーキおいしいのかも、あとで頼んでみようかな)

そうして、ずらっと並べてくれた日本酒ですが。



わ、わからない笑い泣き



初心者すぎてどれがいいのか、わからない笑い泣き




「日本酒あんまり詳しくないんですけど、初心者におすすめありますか?」

「あら、そうなの?それならこれとこれがいいわよ」

「あ、じゃあ両方飲むので、とりあえずこっちから」

日本酒には、刺身がほしいなあ。

「あと、カンパチと大トロもお願いします!!」




ああ、楽しみだなあ。

日本酒と刺身をワクワクして待ちながら、彼女とLINEをしました。

 

 

 

 


(ゆっくりおいでって言ったり、はよ来いって言ったり、私支離滅裂だな笑)





すると彼女、刺身と酒が出てきた、ぴったりのタイミングできました!!



おばちゃんが「まあ、ちょうどね」と言いながら、

 

 

「他のお店より多く注いでいるからね」とドバドバ日本酒を入れてくれる。



コップからあふれて、お皿もだいぶたぷたぷしてますけどってくらい入れてくれる。






 

そして遅れてきた彼女は「遅れてごめんね」と、こちらに向かっている途中で、おわびにバスソルトを買ってきてくれたようでした。

 

 

 

 





「だいじょぶだいじょうぶ。え、なにこれ、くれるの?ありがとう」




取り繕った言葉ではない、心からそう感じて言った言葉は、とても軽やかで。



「ところで私、ステーキも食べたいんだけどさ」

「頼もう頼もう」


そうして頼んだこのステーキが、もう群を抜いておいしかったんですよ。

「え、おいし、やば」

「さすが帝国ホテル」


そこから話がはずんで、電光石火のごとく時間が過ぎていき、気づけばお店の閉店時間。




このとき「あ~やっぱり心から素を出せる友達っていいなあ、話足りないね」と彼女が言ってきたので、

「泊まっちゃう??続きいっちゃう?」と日本酒でふんわふんわしていた酔いどれHibikiは、完全にその場のノリでふと彼女の家に泊まることを提案。



友達「いいね!!仕事何時?私10時!!」

私「私14時!!」





そう、この日は平日も平日、水曜である。





しかし、楽しいの前では、なんのその。


行こう行こうとそのまま、友達の家に泊まる流れとなりました。




「キンモクセイ好き?」

「だいすき。花の中で1番好きなのが、キンモクセイと桜だよ」

「じゃあ、これお風呂に入れるね」と、キンモクセイのお風呂でちゃぷちゃぷし。

2人でハーゲンダッツのアイスを食べながら、美容について語っていると…

 

すると彼女、

「これ2セットあるから1セットいる?」

「え、自分で飲めばいいじゃん。私自分で買うからいいよ」

「いいよいいよ、またなくなったら注文するから。欲しかったらあげる」

なんと2万5000円する美容サプリをもらっちゃいました!

こうして夜もふけていき、1枚の布団に2人で寝て、朝は松屋で朝食を食べるという、大学生のようなアオハルの時間を過ごしました。

 

 

 

ワタクシ、ヒキコモリが大好きで、友達もたいしておらず、人とは疲れるから会いたくないと疎遠にするようなタイプだったのに、意識のありかたを変えてからは、今や友達の家に転がり込むまでになっていました。



この一連の流れ。



楽しいを加速させる出来事が次々と連鎖的に起きていますよね。



そう、彼女が遅れてこなければ…


彼女と話していただろうし、おばちゃんと話す時間はなかったかもしれない。


そうしたら、おばちゃんと話したことがきっかけで知れた、おいしいお酒も、おいしいステーキも堪能できなかったかもしれない。

閉店時間になってもまだ話す時間が足りないという状態にはならなかったかもしれない。


そうしたら、彼女の家に泊まる展開にもならなかったかもしれない。

あの家のなかでの楽しい時間は創れなかったし、キンモクセイのバスソルトや美容のサプリをもらう展開もなかったかもしれない。




遅刻しなかったときより、遅刻してきたほうが、楽しくて幸せな時間を過ごせて、物質的にも恵まれているんですよね。



一見、うわって否定的にみえる出来事であったとしても、そこで一瞬立ち止まってみてください。


自分の感じかた次第でいかようにも展開って変わるんです。


どんな否定的に感じる出来事でも、そこから自分を愛そうとするその想いを持ってさえいれば。




私はただ本を読むだけじゃなく、こういう出来事と一緒に、意識の法則を覚えています。


やっぱり日常で使いたいですよね。



はじめのフェーズは、友達や彼など誰かが遅れてきたときは、こんな感じでやってみようってところから始めるんです。



似たようなシチュエーションのときに、同じことができるように。


そうすると、今度は意識しなくてもそのシチュエーションのときに、無意識に自分を愛すマインドと振る舞いのパターンができるようになります。

それができるようになると、今度は別のシチュエーションでもできるかな?って試していくんです。

遅刻だけじゃなく、否定的な出来事があったときには、ちょっとやってみようかなって。

電車に乗り遅れたとき。彼とのデートでちょっと気まずくなることがあったとき。欲しいものが売り切れだったとき。



こんな感じで試していくシチュエーションを広げていくんです。



そしてここからは、意識オタク全開なのでやらなくていいのですが、

 

Hibikiの独自解釈による解説が、一定数に写経されるくらい好評なので、ブログではオタク領域のところまで話そうと思います。

 

 

Hibikiは、本に書いてある意識の理論の公式を、出来事に当てはめて、独自解釈をしていくんです。

 

 

でも、理論なんてわからなくても現象化するので安心してください。

 

本来、あなたが望んでいる感覚を感じられたら、叶いますから。

 

 

私はなぜしているかって?

 

 

日常で意識を使いながら、分析して解釈するのが、楽しくておもしろいからです。

 

現実で謎解きをしながら、望む感覚のパズルのピースを心にはめていくことが、楽しくておもしろいんです(笑)

 

 

さて、今回は遅刻という出来事でした。


この状態から、いかに自分を楽しませてあげようかな、幸せを感じさせてあげようかなという、自分を愛そうとする心のありかたをしていて、そしてその結果、いいことが起きていました。

 

そのことについて、なぜ起きたかを自分なりに分析して解釈するクセがあるんです。オタクだから。

 

 

 

今回はこんな感じ。




否定的な出来事でも、世界はそのときの心のありかたがどうだったかに価値をおいています。





今回この否定的な出来事に私が反応しませんでした。

 

むしろ、そこから自分が楽しく感じたり、幸せを感じるような振る舞いをしました。




するとその瞬間、自分の今いる世界=場は、この「わたし」の「楽しい」「幸せ」のその性質のエネルギーに共鳴します。





物も、人も、もともとそのもの特有の周波数を放ってるらしいのですが、

 

ここでは共振の法則が発動して、

 

 

自分が発した性質の周波数のエネルギーが、周りの物や人よりも大きい場合、その物や人はいずれ自分と同じ周波数を発し始めるからです。

 

 

 

 



(複数台のメトロノームを用意し、バラバラに動かしていると、いずれは一致していくというアレですね)




エネルギーは何度も感じていくと、強まって大きくなっていき、影響を及ぼす領域を拡大させていきます。

その瞬間の「わたし」の感じている性質のエネルギーは、感じれば感じるほどにどんどん広がり、その空間はその性質の(今回は楽しいや幸せといった)エネルギーでいっぱいになります。

楽しくて、幸せで、自分を愛する気持ちでいっぱいにした、そんな性質のエネルギーに満ちた場へと変わっていきます。

すると、その場やその場にいる人たちは、共振の法則の名のもとに、「わたし」と同種の同じ感覚になっていく。

「与えた感覚が受け取る感覚」「共振の法則」

自分を楽しませてあげる、幸せを感じさせてあげる、自分を愛そうとしてあげる。



そんなふうに自分が自分に与えた感覚が、世界(世界=出来事や物や人)から、また自分に与えられる(つまり受け取る)ような展開が贈られてきます。




今回は友達が遅れてきたことに対し、私が楽しく感じたいな、幸せに感じたいな、こういう感覚を味わえたらいいなという感覚を、自分を愛したいという想いのもとで創り出し、



その場やそのあとの時間のすべてを、幸せや楽しいものに塗り替えていったから、こういう展開になったということなんです。




この一連の流れになにひとつ、無理やりに楽しくて幸せなほうにしなくちゃと動かそうとしている感じがないですよね。

私自身、なにひとつリキんでいなくて、ただ楽しいと幸せを感じたままに過ごしていただけでした。





出来事から、こういう心のありかたをしていたら、こんなことが起きた。



それをなぜ起きたのかなって分析していくと、たわいもない日常の出来事からも、自分がどういう心のありかたをするとうまくいくのかという意識の本質がみえてくるので、それに気づいてあらゆる方面に適用していってるって感じです。





否定的な出来事でも、世界を創る創造主は、そのときの心のありかたがどうだったかに価値をおく。



だから、さきほど話した、電車に乗り遅れたとき、彼とのデートでちょっと気まずくなることがあったとき、欲しいものが売り切れだったときなど、できなくてもダメージが少ないものから試していって感覚をつかんでいき、


感覚つかめてきたら、今度はちょっと重めの、いいなって思う男性と出会ったんだけど自分に興味なくてそっけない、彼と別れちゃってブロックまでされているといった、否定的な出来事で、さあここからどのような心のありかたをしていこうかとやってみるんです。



この心のありかたを、今回の遅刻のときのようなスタンスで、同じようにできると、叶っちゃうんですよ。



(ちなみに電車のくだり、彼とのデート、欲しいものが売り切れ、いいなと思った男性がそっけない、別れてブロックされたというのは、たとえ話ではなくぜんぶ私の実話です。こんな感じでやってました)




つまり、これって、いろいろなジャンルで、いろいろなシチュエーションでできるってことなんです。

今、片想い中でも、理想の男性が現れていなくても。



世界を創る創造主はいつだって、あなたをその状況から別の状況へ移動させる準備を整えています。



いつでも動かす準備があるよって。



あなたを愛しているから、そのときをただじっと待って、見守っています。



あなたが自分への愛に目覚めるそのときまで。




こないだあいこちゃんと電話したときに、あいこちゃんがこんなことを言っていました。

「私、都合のいい展開ってどこかで許してなかったかも」

「なんで?都合のいい展開なんてあるに越したことないじゃん」

「そうなんだよね!!だから許した」



都合のいい展開は本当にあるんですよ、コレが。



私には都合のいい展開が起きます。



でもそれは、私だけが特別に世界から愛されてるから起きるのではないんです。

 

 

あなたにだって、もちろん起きます。



私は「都合のいい展開、ぜひ起きて起きて、カモン、ウェルカムウェルカム」と許して、その展開を大歓迎している感覚を、この存在に宿しているからなんです。



「そう都合よくいかないよね」と感じていたら、世界は「そう都合よくいかないような体験」をあなたにプレゼントしてくれます(いや、いらんでしょ)




世界を創る創造主に、私たちの「言葉」は届かないんです。

言葉というのは、英語だったり、日本語だったり、色々な言語がありますが、

言葉は、この時代に生きる、この次元の人間同士の、コミュニケーション手段なんですよね。

もし意識が真理だとするならば、時代も国をも超越しているはずで。

だから、昔の戦国時代であれ、外国であれ…その時代の日本にも、その時代の外国にもあって、今の時代の日本にも、今の時代の外国にもある、そういう普遍的なものでないとおかしいから。


だからそれが、心のありかた=感じていることなのかなって。


たとえば、楽しいと感じることは、昔の日本はけまりだったりおにごっこだったりします。



楽しいと感じる対象や手段は変わりますし、人それぞれ楽しいと感じるものも違うけれど。

でも「楽しい」っていう感覚自体は、どの時代にもどの国にもあったんじゃないかなと。

だから、世界は感じているエネルギーの性質で、望んでいるものを判断しているんですよ。

それが世界を創る創造主とのコミュニケーション方法。





今の私は、過去の私よりちょっとだけ、世界を創る創造主とのコミュニケーションをうまくとれるようになっただけなんです。



世界を創る創造主という名のサンタクロースからのプレゼントのもらいかた。

サンタクロースに手紙を書く「言葉」の代わりに、その手紙の代わりになるのが「感じていること」なんです。




「私は自分のことを愛しているよ」


「私は楽しいと感じるのが大好きだよ」


「私は幸せを感じるのが大好きだよ」

 

「私は都合のいい展開が大好きだよ」


世界はその手紙(エネルギー)を読んで、

「そんな体験をあなたに贈ろう」としてくれます。




あなたがはじめは少しでいいから、自分への愛だったり、幸せだったりを、今この状況下から感じてあげてみてください。





そうしたら、世界を創る創造主の存在と、Bluetoothのようにペアリングできます。



すると接続できている状態なので、世界はその瞬間から、応えてくれますから。



いつでも動かす準備はあるよって、本当はずっと待っていてくれているんですよ。



そして実はもうすでにあなたには、その状況下で愛してあげる力がじゅうぶんにあって、それに気づいて目覚めてくれるその日まで待っているんです。



遅いなんてことはありません。



世界の創造主です。



このタイミングで気づいたならこのルートでいくかと、最善最幸のルート設定をそこからいくらだって創り出してくれます。



だから今この瞬間から感覚を変えていきましょう。



あなたにはこれからも、たくさんの愛と幸福を感じる体験を、世界の創造主がたくさん用意してくれていますから。



あなたがこれからどんな幸せや楽しさや愛の体験をしていくのか、楽しみですね。




****


おまけ。



彼女とのこの出来事から、少し経ったある日のこと。



今度は彼から30分くらい遅れるという電話がきました。

さあ、同じシチュエーションですよね。

パターンも身につきます。

今回はなにをしたら楽しくて幸せを感じるかな?って考えてみる。

ワインを頼み。

携帯を複数持っているので、1台はたまったLINEを返信しながら。

もう1台でBluetoothのイヤホンを耳にして、呪術廻戦を見て、五条先生にさいっこうにきゅんきゅんときめいていました。

 

 

 

 



そのあと彼が到着すると、

 

 

なんと!!ケーキを買ってきてくれました!!

 

 

 

 

 



呪術廻戦見て、楽しく待っていただけなのに、ケーキというおまけがくっついてきました。

 

 

 

世界はどんなときでも感じかた次第なのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
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最近くるメッセージがね、恋愛ではなく、Hibikiの思想や生きかたで日常を生きてみたいと言う人が増えてきましたね。

 

 

そうなの、Hibikiはね、人生や日常を「幸せ」を感じて生きたいのです(恋愛も日常だからね)

 

 

色々な「幸せ」の種類を感じて生きていきたいのです。

 

 

「幸せ」って、説明の便宜上の言葉です。

 

この「幸せ」のなかには「喜び」「愛」「楽しい」「充実感」「達成感」など、味わってみたいなっていう感覚を全部ひっくるめて「幸せ」って言葉のくくりでまとめています。

 

 

私って、欲張りなんです。

 

現実化した「幸せ」も欲しい。

 

現実化していないときの過程も「幸せ」を感じていたい。

 

 

でも現実化しようとがんばっているときの過程の感覚…しんどくないですか?

 

 

私すごくしんどかったんですよ。

しんどいから続かないしね。

何日続いたかな。

 

結局やめちゃった。

 

 

だからまずはこの感覚を、どうにかしなくちゃなあって思ったんです。

 

 

そこでまてよと思って。

 

 

ネガティブなこと、こちらが願ってもいないのに現実化したりしますよね。

 

なら、これはポジティブなときにも当てはまるはずなんです。

 

ポジティブなことが起きるよう願わなくても、その望みの属性の感覚さえ宿せたら、つまり「幸せ」の感覚でいたら、自動(オート)で現実化いけるはずと、ふと思ったんですよね。

 

 

脳科学も同時に学んでいたので、そういえば脳ってひとつのことしか意識できないって書いてあったなあと。

 

 

なら、現実化するためにっていう今までの考えかたに代わる、新たな考えかたを自分の存在に入れたら、世界はどうなるんだろう?

 

 

このまま変わらないのか?

 

それとも変化はあるのか?

 

 

もともと漫画やアニメの覚醒シーンとか好きで、変身願望もある私は、そんな自分の仮説にウキウキしながら、まったく新しい自分に生まれ変われるような予感に胸をときめかせていました。

 

 

 

今の仕事辞めよう、転職しようみたいな感覚で、

 

 

 

 

今の生きかたやめよ、

 

 

よし、生きかたを変えよ。

 

 

 

 

いつも現実を見て、一喜一憂するのって、つらくてしんどかったんですよ。

 

 

だから今度は、「幸せ」を感じるかどうかが正解だという判断軸で生きてみることにしたんです。

 

いかに自分に「幸せ」を感じさせてあげるか。

 

 

そうしてその日常を生きてみると、この仮説がドンピシャ。 

 

 

十分幸せだから、これはそこまで現実化しなくて大丈夫よと思うことも、「幸せ」を感じると勝手に現実化しちゃう。

 

 

(前のブログに書いてある桃とかもそうだし、ハーゲンダッツを美味しくて幸せだなあと感じていた翌日に、ハーゲンダッツのチケットをもらうとか、そういうことはもはや当たり前のこととして日常茶飯事に起こりますよ)

 

 

 

そうしてこの法則に基づいた思想の、この感覚思想にいたりました。

 

 

過程も楽しいし、結果も出るし、私の性質には合っていたみたいです。

 

 

 

自分にどんな種類の「幸せ」を与えてあげられるかな。

 

死ぬまでにどれだけたくさんの「幸せ」を感じさせてあげられるだろう。

 

 

そういう意識のスタンスで生きると、心が満たされた気持ちになります。

 

はじめは、自分の「幸せ」を追求していたら、自分勝手だと思われて、人が離れていって、人間関係に摩擦が起きるんじゃないかなって心配だったんですけど、そんな心配はいりませんでした。

 

 

やっていくうちに、こういう感覚になるから大丈夫なんだってわかったんです。

 

 

まずは自分が自分にたくさんの「幸せ」や「愛」を感じさせてあげる。

 

すると、あなたの存在は「幸せ」や「愛」のエネルギーに満たされていきます。

 

 

これを続けていくと、

 

「自分」という領域・範囲が、少しずつ拡大していくんです。

 

彼や家族や友人までもが、自分の愛の領域・範囲に入ってきます。

 

 

感覚思想になると、自然にこう感じるようになるんです。

 

 

愛する人には、たくさん笑っていてほしいし、幸せを感じて生きてほしいし、なるべくなら傷つく出来事が少なくありますようにって。

 

 

目の前で愛する人がつらい思いをして悲しんでいたら、自分まで憂鬱になる。

 

だから自分が幸せを感じ続けるためには、この人たちも幸せでいてもらわないとってね。

 

 

感覚思想で自分の幸せを追求した先にあったのは「愛」の種類と「愛」の範囲の拡張だったんです。

 

 

私がプライベートで関わる友達は多様性に富んでいるんだけれど、離れる人って少ないです。

 

 

それは、会っているときの相手やその場に放っているエネルギーが、

 

愛する人には、たくさん笑っていてほしいし、幸せを感じて生きてほしいし、なるべくなら傷つかないといいなあって思っているからです。

 

そしてその愛する人のなかには、もちろん自分自身も含まれる。

 

 

すると、そんな姫(心)の愛の想いに応えようと、姫に寄り添う王子様(思考)がいいアイデアをたくさん降ろしてくれるんです。

 

この「わたし」をもっとこういうふうにリメイクしたら、2人のこの日常の時間がよりいっそう「幸せ」だと感じられるんじゃないかなって。

 

自分も我慢させない。相手にも我慢させない。なるべく。

 

負担は最小限で、少しずつ分け合い。

 

幸せは最大限で、たくさん分け合えるよう。

 

感覚の采配をしていく。

 

だって、せっかく、あなたが大好きだなと感じる人と出会えたのだから。

 

今世で出会える人数なんて限られてる。

 

あなたの人生、好きな人と、一緒にいるこの空間を、一緒にいるこの時間を、幸せと愛に満ちたものにしたいではありませんか。

 

人生の最後に、あの人と出会えてよかった。

 

楽しかったなあって、幸せだったなあって感じられるようなそんな瞬間を創りたい。

 

そう感じる瞬間を創るのは「今」のこの一瞬一瞬だから。

 

(こちらの縁を大切にした内容のブログもおすすめ)

 

 

 

 

 

私は彼や友人の範囲は、おおかたの感覚の采配ができるようになってきたので、

 

今は受講生さんや読者さんのことを考えることが多いですね。

 

私があなたのために変われることはあるかな?って。

 

どんなところが傷つけてしまう?

 

もっと私がどうしてあげたら喜んでくれるんだろう?

 

あなたが幸せになるために私にはなにが手伝える?って。

 

Hibikiという存在を磨いています。

 

少しずつ少しずつ、あなたに幸せや愛や無限の可能性などたくさん感じてもらえるような、あなたの望むHibikiになっていきたいな。

 

 

なにごともやるときは、今の自分の身の丈にあった、自己完結感覚まで、愛を感じられる範囲でやるのがコツなんです。

 

こうなりたいなっていう望みは身の丈以上でいいんですよ。

 

ただ日常の実践は、感覚的な話ですが、たとえば棒高跳びのイメージで、最終目標が1mだとしても、まずは飛べそうと感じられるレベル、身の丈10cmくらいから始めるんです。

 

そうしたらあなたはきっとできる。

 

私が感覚思想が大事だと伝えているのは、社会思想だと他者評価=自分評価になるから。

 

もし自分のできたことが、社会からみたら大したことない当たり前にできることだったなら。

 

社会からみたら、10cmを1回で飛ぶなんて普通でしょ、10cmごときで喜んでんじゃねーよと思われてしまうことなら。

 

その言葉が、そのまま自分に向かってくる。

 

そのときに生み出すエネルギーって、せっかくできたことなのに、これくらいしかできていないしってなっちゃいません??

 

そんなの悲しいじゃないですか。

 

その10cmは、あなたにとっては、すごくすごくがんばった10cmかもしれないのに。

 

すごく嬉しい10cmだったのかもしれないのに。

 

その10cmが自分にとってすごいことなんだったら、他者のものさしじゃなくて、自分のものさしで褒めてあげていいんですよ。

 

 

よくがんばったね。

 

すごいよ。

 

さすがだよ。

 

あなたはできるんだよ。

 

 

 

他者の尺度で価値をはからなくていいんです。他者の価値観とつながらなくていいのです。

 

繋がるところはそこじゃない。

 

あなたの今のその存在レベルでのままで、どんな存在だろうとも、世界から愛されることを信じて。

 

世界はあなたに愛の出来事を贈れるのをいまかいまかと待っていますよ。

 

あなたが「できた」「すごい」「さすが」「がんばったじゃん」と愛を感じてくれるだけで、意識の周波数が発せられて、その世界と繋がれるのです。

 

 

「できた」というエネルギーを感じられたとき、

自分が自分を褒めた「愛」のエネルギーを感じられたとき、 

 

今この瞬間、あなたの存在はその感覚で構成され、その感覚の世界とアクセスしている状態になります。

 

 

これを感じ続けて、エネルギーの量を増やしていくと、その世界とアクセスする今この瞬間の時間が1分1日1週間1ヶ月1年と長くなり「自分はできる」「自分はすごい人間なんだ」というそのものに変わっていくんです。

 

 

そうしたら、自分基準の範囲が拡張して、社会基準の範囲だって、いつのまにかクリアしているんです。

 

 

だから、自分が「幸せ」かどうかの基準でいいんだよ、というのが感覚思想なんです。

 

 

私がいつも思想レベルで変えてほしいと伝えているのは、このように価値観や思想の差で、湧く感覚が違ってくるからなんです。

 

 

たとえば、私は平日の休みに、彼と遊んだり、友達とアフタヌーンティに行ったり、1日ベッドの上でゴロゴロしてマンガやアニメを見たり、ひとり温泉や岩盤浴に行ったり、美術館に行ったりとか好きです。

 

このときって極楽だなあと感じます。

 

 

でもこれは、生産性のあることをするのが最も価値だと感じながら生きている人からは、私の日常は価値がない無意味なことで、

 

もし全く同じことをしていたとしても、

 

こんなに時間を無駄にして、なにやってるんだろという罪悪感を感じるかもしれないし、極楽だなんて感覚は湧かないかもしれません。

 

 

私はあなたには現実化した幸せはもちろん、現実化したあとも末永く幸せを感じてほしいから。

 

カタチだけでなく、そのカタチの中にいるあなたの心も幸せであってほしいから。

 

だから、あなたが「幸せ」だと感じることが1番いいものだという感覚思想をもっていてほしいのです。

 

生産性のあることをするのが「わたし」らしく、自分を生きている感覚がするなら、私のような過ごしかたではなく、生産性のある日常を過ごしたほうが、その人にとっては1番いい幸せを感じられる形ですし。

 

一方で、生産性のある生きかたは向いていなくて、むしろHibikiのような生活のほうが好みで、でも社会の目から生産性のあることをしなくちゃいけないと不本意な制限をかけている場合なら、

 

価値観や思想を変えて、そういう日常を生きてもいいんだという喜びと許しを感じる時間を増やせば、一気にラクになりあなたの1番いいとする形のなかで心も幸せを感じて生きられます。

 

 

私には、

 

ブランド物が大好きだ――!!ステータスさいこうーーー!!学歴大事ーーー!!みたいな友達もいますし、

 

そういうものに興味がなく、みんなで一緒にワイワイ楽しもうって友達もいます。

 

ヒキコモリが好きな友達もいますし、

 

ひとりでいると病む、誰かと常に遊んでいたいし、動いていたいという友達もいます。

 

好きな男性が何人もいる友達もいますし、

 

一途にずっとひとりの男性と一緒にいる友達もいます。

 

専業主婦最高っていう友達もいますし、

 

自分でガツガツ稼げるの最高っていう友達もいます。

 

スピリチュアルや自己啓発が嫌いっていう友達もいるんですよ(笑)

 

私とは違う生きかたをしている友達がたくさんいます。

 

でも共通して言えるのは、みんながみんな自然体で、心からその生きかたが楽しそうだし充実していて幸せそうってことです。

 

(離れる人は比較的、無理して幸せを演じちゃってる子など本心と振る舞いが一致していない子が多い傾向です)

 

普通なら、自分の生きかたと相反する生きかたをしている人って受け入れがたいかもしれないんだけど、

 

感覚思想になると、自分とは別の生きかたをしてることについて特になにも感じなくて、むしろちょっとおもしろいと感じてしまうので、否定しなくなります。

 

 

自分が幸せを感じて生きることが1番大事であるように、相手が幸せだと感じていて、見ていても幸せそうなら、相手の生きかたを尊重して大切にできるようになります。

 

 

自分にとっての好みでないことが、その人の生きかたを否定する理由にも、縁を切る理由にもならなくなるんです。

 

(それに今は好みでないだけで、未来はその良さがわかるようになっているかもしれないですし)

 

与える感覚が受け取る感覚。

 

相手の生きかたを肯定していたら、相手から自分の生きかたも肯定されます。

 

どんな生きかたをしても、あなたがその生きかたで「幸せ」を感じられるのなら、それがあなたにとって、唯一無二の正解です。

 

その生きかたですべてがうまくいくようにできているし、その生きかたで友達も愛する人も、ちゃんとあなたのことを愛してくれます。

 

だから、安心して、あなたの生きざまを貫いてくださいね。

 

 

 

 

 

 
 
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かおるさんが、桃をくれたときに一緒にお手紙も書いてくれたんですけど、このなかに書いてある「意識のドレス」という表現がすごく素敵で、意識の服よりええやんと、ところどころで使わせてもらうことにしました♡さすがかおるさん、この手のセンスいいわあ♡

 

あなたはどんなドレスを着たいですか?

 

好みでないものを着るとなんだかその日1日テンションが下がるけれど、

 

お気に入りのものを着ているときは、1日中テンションが上がるように。

 

心もテンションが下がるものではなく、テンションが上がるものを常に選んで着ていたいですね♡

 

感覚を選んで着れるのは、どの分野もです。

 

私の書いていることは、意識の話なので恋愛や人間関係や仕事やお金、ジャンルの垣根はありません。

 

色々なシーンで置き換えられるので、ぜひ取り上げる事例を、分野をまたぎ、自分の日常のシーンと置き換えてみてくださいね。

 

 

 

****

 

 

 

どんなことにもあなたを傷つける力はない。

しかし、あなた自身が「傷ついた」と感じる自由は与えられている。



 

この言葉にはじめて出会ったとき、なんとなく気になって、ファイルに書き留めておきました。



そのときは頭にハテナマークがたくさん、全然わからない、チンプンカンプン。



私、たっくさん傷ついたよ。

私が、傷つくことを選んでるの?

私、傷つきたくないよ?

誰だって傷つくことや苦しいことを自ら選ぶわけないよ?

この出来事って、誰でも普通は傷つくもんじゃないかな。


 

別れる前も別れた後も、彼が傷つくような言葉や態度をしてきたことについて、頭の中は彼を責める文句ばかり。



傷つけられると、自分を守りたくて、自分を大切にしたくて、その手段が攻撃になってしまう。



彼があんなひどいこと言ってきたのが悪い。


そうしてずっとそんなふうに、彼のことを否定する感覚を感じまくっていたら…

カチッと羅針盤の針がその否定のエネルギーを原動力にまわりだしました。


その否定のエネルギーの指し示す現実へ動き出す。


与えた感覚が受け取る感覚という意識の法則が発動。

 



そう、彼の存在を否定したから、私の存在は否定されました。

 



「2度とその顔を見せるな」

これが別れるときの最後の言葉でした。





彼がひどいこと言ったから、私も売り言葉に買い言葉で。

こんな私、見せたくなかった。

本当の私は、あなたのことが大好きで。

その私を見てほしかった。

あんなこと言うつもりじゃ。

私は、間違っていない。

私は、悪くない。

本当の私は、こうじゃない。

でも…

現実を見る。

そこには、紛れもない現象化した事実が存在する。

この意識のありかたが彼との関係を悪化させたという事実が。

 

その事実と向き合おうとすると

ズキッ。

胸にくるこの痛み。

このズキッて感覚を味わいたくなくて、向き合いたくなくて、避けてきました。

でも。

もしこのズキッとする痛みが、本当に本に書いてある通り、意識の法則というものが本当にあって、

これは彼からでもなく、状況でもなく、自分が選んでいるのなら――

 

選び直せるはずなの。

心のクローゼットをあけてみる。

自分で着替えられるはずだから。

人や状況を待たずとも、自分で感覚を着せ替えることができるなら。

もし本当にそうなら、それって、すごく自由でいられる気がしました。

現実からも、人からも。


でもそれには痛くても、なぜズキッとするのか?

 

この痛みと向き合う必要がありました。

 

 

ズキズキズキ。

 


ああ、痛いなあ。

 

 

確かに今この瞬間、心に痛みを感じている。


それがどんな種類にせよ、感じているということは=その意識は確かに今この瞬間に存在しているということ。

 


目には見えなくて五感では感じられないから「いる」って実感はないかもしれない。


でも、心にフォーカスすると、ちゃんと「いるよ」と答えてくる。

嬉しかったり楽しかったり怒ったり悲しかったり…表現方法はそのときどきだけど。

 

今回はズキっていう痛みとして。



この痛みは、


自分の中に確かに存在する「わたし」


これを無視していたから、ずっと痛いんじゃないかって。

体だって放置すれば、痛みだして悪化する。

体に不調があったら、気にかけてあげるように。

心に不調があったときも、どうしたの?って気にかけてあげたい。

 


このズキッとしている痛みの存在さんは…

 

あなたは一体何者なの?

 

どうしてこんなに痛いの?

このズキッとしている痛みの感覚は、なにを「わたし」に伝えたいんだろう?

 


そう問いかけたとき、

 

心の中に震えて怖がっている「わたし」のとある声が聞こえてきました。



私は、間違っていないもん。

私は、悪くないもん。



ーどうしてそう主張したいの?ー



だって、自分が間違っていたって認めてしまったら「ほらHibikiが間違っていたじゃないか。Hibikiが悪いよね?幻滅したわ。さようなら」って嫌われてしまう、見捨てられてしまう。


欠点を見せたら、非難される。

ダメさを見せたら、嫌われる。

 

好きでいてもらいたいから、隠す。

好きでいてもらいたいから、否定する。


こんな欠点だらけのダメな「わたし」のことを認めてはいけない。

その自分を見せて、愛されなくなるのが怖いんだって、怖がりの「わたし」が訴えてきました。


だから、心のクローゼットから「私は間違っていない」「私は悪くない」この感覚を選んで着たんだって声がした。



彼のことが好きだったから。ずっと一緒にいたかったから。

嫌われたくなかったから。見捨てられたくなかったから。

 

 

そうして選んだドレスがこれ。


選択肢がなかったんです、これしか。

 

 

心のクローゼットのハンガーにかけてあるのは、この意識のドレス、たった1着しかなかったんです。



その1着を着て、現実でお披露目したら、現実から返ってきた反応はご覧の通り。

 



でも、その1着を着て思ったんです。

本当にこのドレス着たかった?

それしかなかったから着たんでしょう?

それを着たときの感覚を思い出してごらんよ。

そのとき心地が良かった?

 

 



――――――全然。




完璧に見られなくちゃ。

素敵に見せなくちゃ。

 



でもそれだけが「わたし」?



その「わたし」だけしか、自分の存在を許せない?

美しいところしか「わたし」とは言えない?




ほんとうは、愛してあげたかった、愛を感じてあげたかった、

 

 

すべての「わたし」を。





イタイと思われることも、たくさんしてきたね。

振り返ったら恥ずかしくなるようなことも、たくさんあった。

自分のほうが良くなかったってことも、1つや2つじゃない。

こんな「わたし」がいる。

ほんとうはそんな自分を隠さなくていいんだよ、見せてもいいんだよと、欠点のあるダメな「わたし」を愛してあげたかったんです。

どんな自分もひとつも取りこぼしたくない、その瞬間の「わたし」

限りある、与えられた、たったひとつの人生。

 

そこに登場する、色々な側面の「わたし」

「わたし」の青春のアルバムの1ページ。

その瞬間のどれもが「わたし」なの。



闇を生きた自分への愛。

間違っていた自分への愛。

欠点のあるダメな自分への愛。


 

でも社会思想側にたつと、途端にこの「わたし」は、まるで敵であるかのように扱われ、責めてしまう。

でも、自分の心を愛してあげることにも価値を置けたなら。

その過程のなかで育んだ愛の想いだってとても大切なものだと価値を置けたなら。

 


失敗も間違いも恥も、あなたがあなたを幸せにしようとした数と実績であることがわかるはずです。

あなたが自分をそれほどに愛してあげていた証がここにある。

それだけたくさん自分を愛してあげられる人。

きっとこれからももっと自分を愛し続けられる人。

本当は愛があふれている人なんだ。

自分をもっと無条件で愛させてあげて。

 



あなたがあなたを愛した証なら、誰よりもあなたがずっと見てきたじゃないか。

 

 

 

失敗してもいい。

間違えてもいい。

恥ずかしくてもいい。

欠点があってもいい。

ダメであってもいい。


そんな自分も愛してる。

 

ずっと前から、愛していた。


ずっと前から、愛してあげたかった。



ほんとうはもっとちゃんと。


闇側の「わたし」が望むような愛しかたで愛してあげたかった。

認めてあげて、そんなあなたでも「わたし」のなかにいていいんだよって、愛を感じてあげたかった。

 

そんな愛しかたを自分に向けてあげたかった。

闇側の「わたし」は傷つけるか、なきものとして処理するような、社会が望む愛しかたではなくて。

 

 

そうやって闇も愛の光で照らせたとき、自分の制限(リミッター)が解除されました。



この愛の意識の覚醒後。


復縁はもちろん、復縁前と復縁後を比べると、不思議なことに彼の言葉や態度に傷つくことが8~9割減になったんです。



ただ、この現象をどう説明すればいいかな…。

傷つくという出来事が起こらなくなったのかもしれないし、

出来事は実は起きていて、以前なら傷つくようなことだったけれど、感覚が変わって、私が傷つかなくなったから、全く気づいてないという可能性も。



ちょっとどちらかわからないんですよ。

どちらもあるかもしれないですね。


あきらかに気づいた変化は、

「私が間違っていた、ごめんね」

「私、ここできないの」

「私、こういうダメなところあるの」

そんな闇側の自分を愛していると感じながら、どんな自分も肯定して表現できるようになれたこと。


自分をオープンにさらけ出す。


 

すると、世界(彼)は意外にも優しいんです。

 

 


100私のほうが悪いときでも。

「次から気をつけろよ」「わかったからいいよ」

こんなこともできないの?って思われることでも。

「どこできないの?」とやってくれる。

こういうところが自分ってダメだよねっていうところでも。

「まあ、いいんじゃん」か「こうしたらよくなるよ」

前ならこういうときは、怒られたり、非難されたりして、ケンカになっていたような気がするところに、明らかな態度の変化。


闇側の「わたし」の存在を、自分が愛してあげていないときは、彼からも受け入れてもらえず否定されました。

 

でも闇側の「わたし」の存在を、自分が愛してあげた瞬間に、彼からも受け入れてもらえて肯定されました。


 

以前とは違うベクトルへ、カチッと羅針盤の針が方向を指し示し、その肯定のエネルギーを原動力にまわりだしました。


そう、意識の法則通りだったんです。

 

私の感覚が変わり、彼の態度も変わりました。

 

これ読んでいてわかる思いますが、私は彼にあなたの言葉遣いや態度をもっと直してと直接働きかけてないんです。


彼からでもなく、状況でもなく、自分がそのときに反応した感覚を、愛を感じる感覚へと着替えなおした結果です。

 

あなたもいくらだって着替えなおせるのです。

 

 

人は多面的な存在なのです。

性格の悪い一面だって、性格の良い一面だって、優しい一面だって、冷たい一面だってあっていい。

まだ扱えきれていない面や闇の面にも、そうやって肯定の愛の光を当てていけば、輝く面の数は増えていきます。

 

そんな輝く面の数を増やしていったら、最後にはあなたは全ての面で光りを放つ輝きの存在になれます。

 

そんな輝きの存在になったあなたは、あなた自身への愛にあふれて、過去にあなたが思い込んでいた、こうでなくては愛されないという制限から解き放たれて、こんなふうにどんな自分でも愛されるという体験をします。

 

 

人から愛されるためではなく。

 

あなた自身からの愛を、あなたが感じるためにやってください。

 

 

あなたが、あなたの存在に愛をたくさん注げたとき、その愛があふれだして世界に届きます。

 

すると、あなたが、世界から寵愛を受けていると感じるられる出来事がたくさん起きてくるようになります。

 

誰かの手で着替えさせてもらわなくても、あなた自身の手で愛のドレスを手に取って着れば、世界からは寵愛が返ってくるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お盆いかがお過ごしでしょうか?

私は呪術廻戦の懐玉・玉折編が終わったので、ネットフリックスで一気に見ています(はああああ~最高)

呪術廻戦にからめたクリエイティブな話もあるから、そろそろ出したいな~、時間が足りないよ~(書きたいことがたまりすぎて、もはや時系列は気にしない)

そしてリブログやLINEやアメブロからのメッセージもありがとうございます。


実は私はこうみえて、プライベートだと意識の成果の話は、ほとんどしないんですよ。

意識のありかたを使って、どんな人と知り合えて、どんな現実の変化が起きているのか。


話さないというよりは、忘れてしまうが正しいかも。


体験に堪能して満足したら、忘れてしまうんです。

そんな私が体験を忘れないように、メモをとるようになりました。

今あなたのその意識の状態から、感じたい感覚を味わえる場にいけるやりかたを伝えたい。


こういう愛の世界に身を置けている、あなたの姿を感じたい。



感じたい感覚に一瞬でも繋がれば、そこからその感覚を育てることができるから。

だから私のブログって、意識動線の解説が細かくて長いでしょう(笑)



もし成果やこんな自分になれたことにドヤっとアピールをしたいって気持ちなら、絶対に書けない内容と文量です。

私なりの信頼です。



あなたも一緒にその世界の空間に身を置けることを、信じているから。



本来、世界からめいっぱい寵愛を受ける存在であることを思い出してほしいから。
 



だから、生きかたの約束。





今のあなたの感覚に、少しずつ変容を起こってきた。


ちょっとずつだけど、自分の感覚が変わったかもしれない。



最初は「あれ?今変わったかも?」を感じるところからでいい。





そんな感覚の変容を楽しんでください。




その瞬間の感覚の変容を楽しんだり喜んでみてください。



そうしたら、その感覚が変わっていくのが次第に楽しくて嬉しくて、自分の心と向き合うのが習慣化してくるから。




一瞬でもこの感覚だというものが感じたら、眠っていた「感じたい自分」が起きます。

そこから「感じたい自分」の覚醒が始まりますから。



忘れないで。


成果も行為も、心で感じた喜びのあとの体験の喜びであることを。





実践しているときに、植え付けられた社会思想から自分への評価が始まる瞬間もあると思います。



成果や行為自体に意識がフォーカスしてしまったり、失敗を恐れてしまったり、意識の解釈違いをして間違っていたことに抵抗を感じてしまったり、自分の立ち位置からゴールまで距離を感じてしまったり…


そんなつらくて、できるなら感じたくない感覚が襲うときがあると思います。




このとき「こんなもの感じてはダメだ」と否定したり「自分はダメなんだ、そんな存在にはなれないんだ」と恐れや不安を感じたり、あるいは感じている存在を無視して「自分はそんな人間じゃない」という反発心がでたり。





そんな自分は存在してはならないダメなもの。





そういう社会思想の基準にのっとった評価のレッテルを、あなた自身に貼ってしまうときがあるかもしれない。





その感覚が湧くほんとうのメッセージは、



ありのままの等身大のあなた自身に愛を感じてあげてほしいという世界からのメッセージ。





あなたが愛してこなかった自分なんです。そういう自分を否定的にとらえてしまったんです。だから、恐れや不安や反発心が出る。




でもそんな自分さえも愛されていいんだと許せたとき、あなたの今いる世界は、ほんとうはどんな「あなた」を感じても世界は愛してくれたんだとわかります。



あなたがそんな自分も愛おしく感じる心を、自分に向けてあげるだけでいいんです。



あなたがどんな自分であっても、それが世界が愛してる「あなた」です。



あなたがこれまで否定してきたあなたであっても、あなたを愛する準備があるんです。



実は世界はいつだって、あなたに愛のまなざしを向けていて、その体験を贈りたくて、しかたがないんですよ。






自分の存在に愛を注いであげください。



あふれてあふれて、自分の世界にその愛のエネルギー波紋のようにひろがっていくように。



自分の存在は今、愛で構成されているよと世界に届くくらいに。




LINEでメッセージをくれた人が、こんなことを話していました。









すごいんですよ。すばらしいんですよ。



はじめのフェーズは、意識的に心がける。それだけで愛のエネルギーは創られているんです。



意識してなかった→意識するようになった。



これだけでもう新たな自分に変わっているんです。





意外かもしれませんが、私も今でも新しい感覚を宿すときは、はじめは数秒宿ったらいいほうです。



もって数秒。



それに都合の悪いところや心が痛くなるところは、どこに反応したのか、あーたぶんここが愛してない自分なんだろうなとメモしながら、向き合いません(笑)



あとで向き合うリストというファイルに入れてポイって放置。





むり、できない、イヤ。



そんなものと、今の自分のフェーズで立ち向かえる心の元気ない。




でもね、心が反応して感じた以上、いつかはその自分と向き合わなきゃいけないときはきます。





でも、今じゃなくていい。





こうした出てくる感覚の1個1個の想いを叶えてあげようとしてみてください。





勉強できるようになりたいけど、現実の点数は100点中30点しか取れていない。



この心の状態のときに問題を解くと、やっぱり自分は解けない、やっぱり自分は勉強できない、こんな感覚になり、あなたの存在ができないというエネルギーに満たされてしまいます。





せっかく勉強しているという行為をしているのに、そこに創られたエネルギーが「自分なんてどうせできない」なんて、悲しいじゃないですか。





だからはじめは、勉強が楽しいって感じる範囲のことしかやらなくていいんです。





そうしたら、そのときのあなたの存在は楽しいというエネルギーに満ちますよね。





そうして、勉強って楽しいって感覚を安定して感じるようになったときに、次の段階。



今ならあの問題も解けるかもって解き直すと、向き合うときの感覚が以前と変わっていることに気づきます。





むり、できない、いやという感覚は薄れて、こう解けばいい、ほら解けた、解けた瞬間楽しいっていう感覚に変わっています。






だから最初は、意識するだけで、感じたいものだけ感じるだけ、都合のいいところだけでかまわない。それで十分なんです。






感覚を宿す回数を重ねていくんです。そうすると、秒だった時間が伸びていって、ずっとその感覚が宿るようになりますから。

そうしてたくさん感じたら、あなたの器は感じたい存在への愛にあふれます。


そのあいだ、一喜一憂する自分がいたっていいんです。いいんですいいんですそれで。

でも前よりも、ちょっとずつ自分の感覚が変わってきた。


この感覚の変容を楽しむことを、生きかたの思想や価値にしてみてください。


「感じたい自分」を感じる秒数が長くなった。
「感じたい自分」を感じる感覚が強くなった。



現実が変わったかではなくて、心のありかたや、その感覚の変容を楽しむ生きかたに変えてみてください。




このブログの空間や私の存在は、感覚思想のエネルギーに基づくもの。あなたのできなさや間違いや失敗になーにも評価は置いていないです。





あなたを貶める評価を向けることは少なくとも私側はしないので、安心してやってください。





感覚思想の世界での、あなたを決めているのは、今この瞬間の事実と状態のみです。



「これまでは確かに、あなたにはこういう事実があった」



「これまでは確かに、あなたはそういう状態であった」



「これまで」で時間は止まっているのです。





つまり、それが未来永劫続くわけではないってことです。



今この瞬間から意識を変えていけば、1秒先の未来から、その事実も、あなたの状態も、いくらでも変えていけるんですよ。




この世界に身を置いていると、現実が変わっているとか変わっていないとか、失敗したとか、間違っていたとか、そこを感じとって生きることはなくなります。



たとえば、リブログしてくれた人やLINEのメッセージくれた人に感じていたのは、愛と敬意なのです。




この意識の法則を実践してきていれば「あるよね、そういうとき」って、同志よって固い握手をかわしたくなるような、気持ちで繋がる瞬間ってありますよね。



せっかくやってるのにうまくいかなくて傷つく瞬間。



自分と向き合いたくなくて、ウッとなる瞬間。



いつ叶うのかやりかたは合ってるのか不安にかられる瞬間。



そんななかで、ずっと自分を愛することをあきらめていないその想い。

自分をこんなにも愛そうとしているその想い。

この想いなんです。

感じたほうがいいのは。



この想いをなによりも大事にしてほしいんです。






あなたがあなた自身に向けた愛のエネルギーを感じてください。



これを感じることが、なによりも強力であることを知っています。






これがHibikiフィロソフィーの感覚思想なんです。


まずは、その愛を感じてあげてください。



その愛を堪能してあげてください。



あなたの存在の隅々にまであなたへの愛が行き渡るように。



こんなにも自分を愛そうとしてあげている、その想いの気高さ神聖さ尊さを感じてあげてください。

これが無条件の愛を自分に贈っているということなんです。




間違っている自分はダメ、失敗する自分はダメ、成果のない自分はダメ、すごくない自分はダメ、社会が理想とする自分でいなくちゃダメ…そうじゃなきゃ自分を愛せない、愛したくない。




そんなことないことを体験させてあげてることを許してあげてください。



社会が理想とする自分でいなくても、間違っていても、失敗しても、成果なんて出てなくても、すごくなくても。





なんの条件もつかない自分を愛してあげようとしているその想いを感じている瞬間、


あなたはとても気高く神聖で尊い愛の存在そのものになっているんです。



そんな自分への愛の想いと繋がり続けていたら。







どんなことも、愛を感じられるようになります。







そして世界から、無条件の愛の贈り物がたくさんあなたに届くんです。







これが意識のしくみ。



最近気づいたんです。



意識のしくみは愛の法則だと。






ネットの広辞苑の辞書には「感覚」という言葉は、こう書かれています。

①目・耳・鼻・舌・皮膚など、体のある部分がさまざまな刺激を感じ取る働き。また、それによって感じ取られる内容。

②物事をとらえる心の働き。



①は現実の体験のほうです。



一方でブログに書いている「感覚」を指し示すものは、②の意味合いが強いです。



Hibikiフィロソフィーは、目の前の現実に対する心の反応(思想・価値観)を愛に属する感覚(思想・価値観)に全部肯定解釈して変えること、なぜなら感覚がその現実を創っているのだからという、意識の法則に誠実に生きる生きかた。





現実や出来事そのものより、その出来事から自分がなにを感じているのか?どうしてそんなふうに感じるのか?本当はなにを感じたかったのか?という、自分の感覚に意識を向けていくんです。



カフェの話をしましょう。

私には好きなカフェがあります。

木のテイストで、木漏れ日が注いで、コーヒーの香りが漂う、居心地がとてもいい空間。


でも、私…コーヒーが飲めないんです(コーヒー大好きだったんだけど、学生時代にカフェイン中毒で救急車に運ばれて以来、カフェインを飲むと、過呼吸と吐き気が襲う体になっちゃったの。たまになら平気だけどね)



そしてここ、コーヒーが売りのお店。




コーヒーが売りのお店で頼んだ飲み物













……ココア!!!













う、うん…















1か月に1回くらいなら、全然平気。













でも今日も行きたいなってときがある。

このあいだ行ったばかりだし。

人が少ない平日の昼に行けば、さすがに顔も覚えられる。



あ、またこの人、ココア頼んでるよ、なんて思われないかな。









行きたいのに、行くのやめようかなと、怖気付いてしまう。







あの空間に、いたたまれない感覚でいたくない。





このとき、本当はあの空間で自分になにを感じさせてあげたいのかを聞いてあげるんです。







本当は行って、思う存分ココアを飲みながら、幸せだなあとホッとする感覚を感じたかったんです。





これが自分の本音なら。



行きたいって感じた、自分の想いを叶えてあげる。



自分を連れて行ってあげる、そのカフェに。





そうして、着いた大好きなカフェ。





飲むものは決まっているけれど、なにかスイーツも一緒にとメニューを見る。





メニューを見た瞬間、食べたい!と心が反応したものが2つ。






ベイクドチーズケーキとレアチーズケーキ。









ここでも、心が反応したことについて、同時に頭の社会思想からの否定的な感覚が宿ります。





チーズケーキ2つも頼んだら、ダメかな。


そんな頼みかたする人いないかな…いないよね…恥ずかしいな。




1つでいっか。

1つだったら、恥ずかしくないし。


食べたいって心で感じたことを「1つでいいよね、むしろ1つのほうがダイエットにもなるし」「むしろ1つがよかった」と頭に無理やり言い聞かせて、頭で感じたことを心で感じたことにして、ついすり替えてしまうんです。





そうすると、この存在に純度100%の愛が注がれない。


本当にチーズケーキ1つで心が感じたいことは合ってる?


「わたし」は今なにを感じたいんだっけ?


チーズケーキを2つ食べたいって、その想いを叶えてあげたいのが私の本音だったんです。







心はお姫様で、思考は王子様なの。



逆であってはいけない。





私が講座でよく使う言葉です。









チーズケーキ2つ食べたいねって感じた心を、叶えてあげるのが思考の役目。

王子様(思考)は、姫の願い(心)を叶えるためにあります。



でも時々、出てきてしまうんですよね。




姫の願い(心)を否定して、無理やり言いなりにさせようとする、モラハラ男(思考)が。



チーズケーキ2つ食べたいという姫の願い(心)

でも人目を気にして恥ずかしいと思っている。

そんなときに王子様(思考)が、かけてあげる言葉や取る行動は、いつだって姫(心)によりそう、姫の味方でなければいけません。







この2つ注文して大丈夫だろうか恥ずかしくないだろうかとそわそわする感覚をホッとする感覚に動かすため、自分がホッとしそうだな言葉を見つけて、その言葉をかけてあげるんです。




大丈夫だよ。チーズケーキ2つ頼んじゃいけないなんてことないよ。

むしろ、お店側は2つも食べたいと言ってくれて、気持ちの面でも売上の面でも嬉しいはずだよ。



周りの人に見られたら?



その人たち、もう会うこともない人たちでしょう?気にする必要ある?




誰にも迷惑をかけてない、誰も不幸を感じない、むしろ喜びの感覚のほうが増えることなのに、なにに遠慮しているの?

頼んだっていいんだよ、恥ずかしいことなんて、なにひとつないんだよ。





そうして、ホッとした感覚に動いたら、行動に移してあげるんです。










「チーズケーキ2つください!!」









そっか、頼んでいいんだ。

これが私の選んだ、私の大切な本音。







そうして運ばれてきた、ココアと2つのチーズケーキ。

 












自分には、どこか決定権がないと感じていた。

それは子供の頃、何度も人に合わせなさいって、色々な方法で言われてきたから。



大勢の人のふつうに基づいて選択する。

子どものときも、学校でも、仕事でも、いつも誰かの「ふつう」という正解を聞いて、誰かの「ふつう」の正解に従うポジション。



チーズケーキを2つ頼む。



人があまりしそうにないことを、したいと感じてしまった。



そういうときはふつうの人に合わせて、どちらかに1つにしないといけない。



こんな何気ない日常で、社会の価値観や思想が顔を出してきます。



心の本音をおさえつけて。我先にとね。



でもそれを根底から覆す、新たな価値観や思想が、
心を大事にした生きかたなんです。




姫の願い(心)を王子様(思考)が叶えていく生きかた。







そんな日常を生きてみてください。





すごいおもしろいことになるから。



ここで、この業界の人が誰も語っているところを見たことがないんだけれど、ここがすっごくポイントなのになあって思っている秘密の極意を、このブログを読んでいる読者さんにだけ教えますね。



心に従って行ったカフェ、



心に従って選んだココアとチーズケーキ2つ。


なんの変哲もない普通のココアとチーズケーキ2つに感じるでしょう?




違うんですよ。





これはただのココアとチーズケーキ2つではないんです。




これにはね、実は「想いのエネルギー」がのっているんです。


自分をカフェに連れて行ってあげたエネルギー。

チーズケーキを2つ自分に食べさせてあげたエネルギー。


このカフェという空間、ココアやチーズケーキ、そこには自分の想いを叶えてあげたというエネルギーがのっています。



自分の想いを叶えてあげた空間に身を置いて、自分の想いを叶えてあげたココアとチーズケーキを食べる。



そこには自分に対しての愛しかないんですよ。










その瞬間の「わたし」の存在は、愛の空間に浸って、愛のあるものを食べている。





ココアとチーズケーキを食べているとき、美味しい以外の感覚があるなって気づいたんです。





幸せで、なんだかあたたかくて、満たされて、しかもこの感覚、持続時間が長い。





この感覚は一体なんだろう?って。








これ、心が愛を感じているんだと気づきました。





感覚って、複数の種類が同時に宿るんです。









体は体験装置。ココアとチーズケーキを食べて、おいしいという味覚の喜びを体で堪能する。



そういうおいしいって喜びは、あなたも普段感じられていたかと思います。



一方で、ココアとチーズケーキにのった想いのエネルギーは、心が食べているんです。

こんなにも自分を愛そうとしてあげている、その想いの気高さ神聖さ尊さ。

その100%の愛を感じて、その100%の愛を食べている。






その愛を感じながら食べてみてください。





これがコツ。




そんなふうに「わたし」という存在の器に注ぐものに、純度の高い愛のエネルギーしか注がなかったら、その愛はあなたの存在の隅々まで行き渡り、いずれ溢れ出します。





そしてこれはやればやるほどに感覚が研ぎ澄まされて、前より強く感じるようになっていく。





退屈とか、それで現実化は?とか、そういう感覚が次第になくなります。





この愛と繋がっている感覚が心地がいい。

さあ次はどんな愛しかたを自分にしてあげよう。



今自分はどんな愛を感じたいかな。

自分という存在の器が、そんな意識のありかたで飽和していく。






この愛のコアとただ繋がっているだけで、現実がとんでもなくうまくいくんです。


こんなにも自分を愛そうとしてあげた、そのあなたの愛の気高さと神聖さと尊さが示されたときに、世界は応えるから。





そちらのほうをめいっぱい感じてあげるといいですよ。



「現実化しないなら、変わらないなら、○○しないの?(カフェに行かないの?)」

この質問を自分に問いかけてみてください。



自分に贈るものが、条件付きの愛かどうか。


このとき、



成果や結果や現実化をしてくれたなら、それはもちろん嬉しいけれど、自分が幸せだと楽しいと感じてくれるなら、それだけで嬉しいの。





そんな想いを自分に向けてあげられているかどうか。




自分が自分に対して、そんな無条件の愛を感じたときは、ぜひその場所に行くなど、行動に移してあげてください。


条件なんてなく、ただ「わたし」が喜んでくれたら嬉しいの。そんな愛しかたを自分にしてあげてください。






それが、私たちという存在を創ったものの望みだから。





そういう心のありかたをするものには、すべてを与える意識のシステムになっています。意識の法則とは、愛の法則なんです。





大層なことはしなくていいんです。あなたが簡単にできるところからで、十分、世界はあなたを愛してくれます。




「わたし」という存在の器に注ぐものに、そうやって愛しか注がなかったら、その愛は溢れ出します。



その愛が溢れだしたエネルギーが、結果的にどんどん現実に反映されていくんです。





実はこのことに気づいたのは、意識を使って、彼との恋愛を叶えようとしているとき。






連絡がとれない状況。

ふつうなら目の前に彼もいないのに、どう実践するねんとつっこみたくなりますが。

意識のありかたは自分のすべてに繋がっていると思いました。


私が目の前のことに一喜一憂するのは、もっと心の深淵のところに理由がある。


それは「自分よりも相手や人の目に価値をおく」という思想や価値観に基づいたもの。



だからきっと彼だけじゃないんです。



気づかなかっただけで、カフェのときのように、日常のすべてがそういう意識で生きているはずだから。


彼がいなくても、日常の意識のありかたを整えていけば、復縁後もその新しい意識のありかたで接することができるはずと仮説をたてました。




自分が幸せを感じられるように。

彼が幸せを感じられるように。



今、ひとりのときでも自分の手で自分の感覚を幸せに動かせない人間が、彼という2人になったときに自分の心の感覚を動かせるはずがない。



だからきっと、そのための別れでした。


世界が愛のまなざしで、別れさせてくれたのだとさえ思います。



性格上、ひとりになって集中する環境を創らなくちゃ、彼にひっぱられて、自分を整えるなんてできないでしょう?って。




世界は、私の魂の性質を知ったうえで、最善で最短で私の望みをすべて叶えてくれるルートを用意してくれます。



世界には良い悪いがないから、私にとっては「あ、もう終わった」という状況すら創ってくるけど。


それも「自分の手で壊すなんてできないでしょう?だからさ、もう、終わらせる方向に進む状況を創ってあげる」と。



わかりにくい愛しかた。



私はこれが運命と呼ばれるものではないかと感じたんです。




1度、これまでの存在を壊して、新たな存在へと覚醒させるルートまで命を運ぶ行為、その大いなる存在というエネルギーの意志。



このとき、なにもかもをゼロにされたような、失ったような感覚に襲われるけれど。


そのゼロになった存在に、これまでの社会思想的な愛しかたとは違う、新たな感覚思想的な愛のエネルギーをその存在に注いでみるんです。




そうするとあら不思議。



ゼロになる前よりたくさんのものが手に入り、精神的にも物質的にも恵まれるようになるんです。



復縁前は母との関係はよくありませんでした。

でも、そうやって価値観や思想をガラリと変えて、社会思想から感覚思想になったら、母の態度も自分でもびっくりするほどガラリと変わりました。

あの頃1度も買ってくれなかった服を買ってくれたり、家に帰ればHibikiが好きなお菓子だからと買ってあり、そのお菓子を食べながら、最近あったことを楽しく語りあったり。

子どもの頃は、上のようなことをしてほしいんだよと泣いて言っても聞いてもらえなかったことを、ずっとそれ以来してくれるんです。

 

 

 



さらに詳しい意識のありかたの解説はこちらにも書いてあります。

 


 

 


彼と復縁できたときも同じ感想を持ちました。

復縁後の彼も、彼の態度がここまで変わるんだと、自分でもびっくりするほどガラリと変わらみさた。

 

一緒に過ごしているときの自分の感覚が、私のことなんて好きじゃないんだと拗ねていた以前の感覚から、大切にされている愛されているという感覚に変わりました。 




はじめは1か月に1回くらい、たまに行く場所だったカフェ。

前述したように、ずっとこの幸せな感覚でいたい、この幸せな空間と時間に浸っていたい。そんな感覚でいたら。

その意識のとおり、幸せに浸る空間と時間の頻度が増えていきました。

そして、復縁前から宿していたカフェでの感覚は、週に2~3回その感覚を味わえる状況になっていき、それはさらに拡大し続けて、、、、


それは復縁後にもおよび、、

 

 

彼とカフェに行く頻度まで増えました。



自分の愛する空間と時間に、自分の愛する人が追加されていく。愛の種類が増えている!


彼とランチに行ったあとは、カフェでコーヒー(私はノンカフェの飲み物)を飲んで少し語らうのが日常になりました。




今年も桃を自分で買って食べていたら…

今年はなんとかおるさんから桃をもらいました。

 

 

 

 




詳しい意識のありかたの解説はこちらにも書いてあります。

 



 


 


こうみると、どんどん日常の愛と幸せの範囲が拡大していってますよね。




このときの意識のありかたって、望んでいたけど、欲しいと一切求めていないことがコツなんです。

望みは望みとして独立させておく。

それを外側の現実や他人にこうしてもらいたいという受け身の感覚でいないこと。

 

主体的に積極的に、味わいたい感覚を自分で満たそうとするといいんです。

自分が感じたい感覚を満足するまで感じさせてあげるだけ。

すると、1度感じたい感覚を心が覚えて、そのあとその感覚を味わい続ける。

そうしたら、だんだんとそのことでエゴが出てくることがなくなり、一喜一憂することとなくなり、2度と現象も起こらなくなります。

 

突発的にたまにこういう良いことがあって、普段は元に戻ってしまって浮き沈みがおこることもなく。

 

 

望んだ感覚のほうがスタンダードな感覚という日常になります。


その現象は1年後も2年後も変わらず一生続いていきます。

 

 

なにもかもをゼロにされたような、失ったような感覚に襲われたとき。

自分の意識のありかたが、すべての現実を創っていることを知って、

世界や彼が愛してくれないのは、自分が自分へ向けている愛しかたがホンネと離れているときなんだって、

自分への愛しかたが自分の望む愛しかたじゃないんだって、

そう気づけて、自分への愛を探すきっかけになったこと、

その結果、全力で自分を愛せたこと、全力で愛する人を愛せるようになれたこと。



こんなに楽しくて幸せで愛を感じられる自分になれたことへの喜び。



これはなにものにも代え難いです。



このとき私が望んでいたのは現象化だけではなく、そういう無条件の愛を自分に対して感じられることだったんだとそのとき悟りました。





「こっちのほうがいいんだよ」



 
世界からは、あなたの望む未来へ繋がるにはどうすればいいかがすべて見えています。

世界はいつだって、あなたが望むものを叶えてあげようとしてくれています。



その先の未来にあなたにもたらす恩恵がはるかに多いと判断した場合、あなたの魂の性質を知っているから、それが最善で最短ルートであれば、破壊状況すら起こしてきます。


それが世界のあなたへの愛しかた。愛情表現。

世界はただあなたの望みを、発している意識の周波数で判断し、これを与えてほしいのだと思って、体験をプレゼントしてくれているだけなんです。

そういう愛情表現のしかたで、あなたを愛しています。

だから世界に対して、こういう愛しかたをしてと条件を付けず、こういう愛しかたをするのね、わかったわと無条件に愛してあげてください。

世界があなたに向ける愛しかたを受け入れて許してあげてください。

 

 

世界はいつでもあなたを愛していて、望む体験をプレゼントしてくれることを信じることを貫き通せたら、あなたが望むものは未来ですべて手に入れることができます。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと前の受講生さんとの話。

受講生さんは、最近スタバに行くのが好きだと言っていました。

スタバの店員さんとのやりとりとか好きだったみたいで。

「やりとりのどんなところが好き?」と聞くと「一緒にひとつのものを選ぶところ」と答えてくれました。

いいじゃんー!と言いながら、その日の講座は終わりました。

そして次の講座になりました。

今度は家のそうじをしたくなったので、そうじを始めたのだと教えてくれました。

そして、そのそうじをしているときの心の状況も教えてくれました。

「そうじを続けると慣れてくるし、そうじをする部分も少なくなってくるんですよ」

「だから今度は、ラジオ体操をするようになった」

そんなひとりの時間も大事だということがわかったそうです。

たとえば、落ちつくとき。

この落ちつくときが、

 

人がいて少しざわついているカフェが、今は落ち着いて好きな瞬間だったり。

ひとりでいられる自分の部屋が、今は落ち着いて好きな瞬間もあったり。

ざわついているカフェ。
静かな自分の部屋。

これって一見すると真逆で一貫していないように思うかもしれません。

 

空間としてみるならば。

でも感覚思想からみると「今この瞬間の落ち着く感覚はこれなんだよ」という心の状態としては、一貫していることで、すごくいいことなんですよ。

カフェでなきゃいけない。

家でなきゃいけない。

落ち着くためにはこうしなきゃと頭で考えて、心を無理やり合わせにいかなくていいんですよ。

なぜなら、心は合わせるものではなく、湧いてくるものだから。

今日はカフェかな?

今日はおうちかな?


カフェでコーヒーを飲んで「ふう」と息をついているときの自分。

そうじをしたあとに、ひとり好きなコーヒーカップにコーヒーを注ぎ「ふう」と息をついているときの自分。

両方の自分を想像してみましょう。

そして今の自分の心の感覚を観察してみるんです。



「今日のわたしの心」は、どちらが落ち着く感覚が宿りそう?

 



そんな「わたし」の心模様をとらえる。




そうやって、今日はこれがいいかな?と選んでいくんです。

(カフェや自分の部屋以外で落ち着くものでもいいんだよ)



私自身、カフェも自分の部屋も大好き。

だから今回はこの流れで、そうじとカフェの意識のありかた、感覚の動かしかたをご紹介。

 

 

 

 


かつて。


意識関連の本を読むなかで、たびたび出くわした内容があります。



それは…

・そうじをしたら運が上がる。

・自分の好きに囲まれた生活をしよう。

 

この内容を取り入れてみたいと思った私は、さっそく部屋のそうじをして、好きに囲まれた生活を心がけるようにしました。

窓をあけて、部屋のそうじを淡々とやっていく。

でもこのとき、心はなにも感じていない無感覚でした。

日によっては、めんどくさくてやりたくはないけど、しかたなくやろうといった感覚。


心はそんな状態。

 

では頭のなかは、どうだったかというと…


そうじをすれば運が上がるんだ

 

そうじをすれば恋愛も仕事もお金も人間関係も人生全般がよくなるんだ

 

そう考えながら、やっていました。



好きに囲まれた生活も、当時、ベッドのシーツ、本棚、テーブルは…ピンクのメルヘンちっくなものを買っていました。

 

 

こんなイメージ↓

 





うん、よし、可愛い。

こういう色を選んで、こういう女の子のものを選んだら…

そうして彼が部屋にきたときを想像してみます。

「女の子らしい部屋だね」って言ってくれそう。

そんな女性らしさを評価してくれることを思い、嬉しく感じて、頭のほうで高揚感を感じました。



心はなにも感じていなかったけれど、頭は「これ可愛い」と判断して、高揚している。

この高揚した感覚を、私はこのピンクのメルヘンの部屋が好きなんだわと思っていました。

実際は「誰かが可愛いと評価してくれそうな空間にいることに高揚していた」のだということに、後から気づきました。

こうした感覚を宿した部屋でしばらく暮らしていたところ…
 

恋愛も仕事もなんとなくうまくいかなくて、お金も減っていき、人間関係もストレスがかかることが…

運が上がるどころか、なんだかどんどん心も現実もネガティブになっていくということが起きていました。

もちろんすぐに立て続けに起きたというわけではないのですが、何か月もかけてゆっくりと、私の人生のベクトルは、ネガティブが多い現実の世界を指し示すよう針が動いていったのです。

このとき、つい思っちゃいますよね。

なんで?私ちゃんとやってるのに!!

うまくいかなくて悲しい。

やっぱり私ってダメなのかなって、意識のありかたでうまくいくなんてウソなのかな、効果がないのかなって、無理なのかなって、そんな想いがどんどん鉛のように心に募っていきます。

自分を幸せにしたくて頑張ってきたことなのに、現実はこんなん。

なんだかそう望む自分を否定されたように思えて、自己肯定感も自己価値観も打ちのめされていました。

なにが発動したのか。

自分の意識のなにが違ったのか。


この発動していた意識の術式を見抜いて解くのに、結構なエネルギーを費やしました。

本にもネットにも、どこにも答えがのっていないんです。

でもね、その答えにたどりついたとき、ハッとしたんです。

実はすでにとっくの昔に知っていたことだったから。

いつも読んでいた本の基本法則だったんですよ。

「感覚が実現化する」

「与えるものが受け取るもの」

そんなのとっくに知ってるよってくらい、何度も目にした内容。

ふとなんとなく読み返したくなって、シークレットの本を読んでみました。

 

 

すると、

あれ?と前とは違うひっかかりを感じます。


読んでいくと、そうじをしているときの感覚がフラッシュバックしてきました。

―なんで?私ちゃんとやってるのにー

とっさに反射的に出たこの言葉がよみがえってきます。なんかひっかかる。

「ちゃんとやってる」

ちゃんとやってる?

心が大事だと伝えているこの本の内容。

なのに私、やっているかどうかという行為で判断していない…?

あれ?あれ?という違和感が、どんどん心に募っていきます。

その違和感を探るように、ゆっくりと自分の心の感覚を観察していくと

そうじをするとき、私はどういう意識でそうじをしようとしていたっけ?

これをすれば運が上がるんだ、これをすれば恋愛も仕事もお金も人間関係も人生全般がよくなるんだ、だった。

好きに囲まれた生活に、心がなにを感じていたっけ?

ベッドのシーツ、本棚、テーブル…ピンクのメルヘンちっくなものを並べて「可愛い部屋だね」と評価してくれそうなところに高揚を感じていた。


このことに

幸せを感じられている?

楽しいって感じられている?

満たされている?


そう問いかけたとき。

心がはっきりとNOと感じていました。それが答えでした。


どうすればよかったんだろう?


ほんとうはなにを感じたかったんだろう?

 



ここでようやく自分のほんとうの心と向き合っていったのです。

 

 


***

 

 

 

 そうして今。



朝、目が覚める。

窓をあけて、空気の入れ替えをする。

新しい空気が入ってくる。

その空気を感じると、心がリフレッシュするのを感じる。

このリフレッシュの感覚が心地がいい、この感覚を味わいたい。

だから、朝、窓を空ける。

床のそうじをしているとき、ほこりがなくなっていくと、心がすっきりしていくのを感じる。

このすっきりしていく感覚が気持ちがいい、この感覚を味わいたくて、床をそうじする。

ふと目についた気になるところ。

本棚、ごちゃごちゃしている冷蔵庫の中、部屋のスイッチの上のほこり。

普段は気にならなかったけど、ある瞬間、いきなり目につくようになったもの。

その瞬間、心が反応する。

なんかモヤッとする。なんか目につく。なんか気になる。この感覚。

目に映すたびに、このモヤッという感覚が蓄積していく。

この感覚は好みじゃない。

「はあ~快適」この感覚を感じていたい。

だから、気になったところをそうじしていく。

あ、どんどんキレイになっていく。

あ、どんどん快適になっていく。

キレイになったところを見るとスッキリする。

そうじしている最中に宿る、スッキリしたこの心地のいい感覚。

頭ではなく、もう少し下のほう。

 

胸や丹田あたりの心のほうに意識を向けて、感じてみてください。


好きに囲まれた生活も、こういうのって女の子らしい部屋で可愛いと思われるからと、頭で思考したものでつくりあげる空間じゃなくていいんです。

(ちなみに女の子らしいピンクのメルヘンの部屋が心から好きだと感じる人は、その部屋でいいからね♡これはHibikiの感性の話だから、自分の場合はって置き換えてみてね)

「最高なんだけど」

「なんて快適なの」

「極楽すぎる」

目に映すものが、幸せのためいきがでてしまうような、ときめくものをぜひ集めてみてください。

私は、雑誌やyoutubeやネットの画像なんかを見て、なにに心が反応するかを観察をしていました。

すると…

こんな部屋に住めたら、最高で快適で極楽だねと、心が喜びを感じたものは…

本に囲まれた空間だったり

ホームシアターがあったり

書斎だったりしたのです。

 

 

こんな感じの部屋にときめく。

 

 







それは世間一般の女の子らしいの枠には決して入らないもの。

 

でも確かにときめきを感じていました。


 

このとき「私は今これにときめく」という事実に直面することになります。

それはつまり、女の子らしいよねという枠から自分ははずれているんだということを、同時に思い知ることを意味していました。

世間一般の女の子みたいになれない、女の子らしくなれないんだということと向き合わなければいけません。

 

 

このことに向き合うことは、

今まで頭では「自分は女の子らしいもん」「部屋もこんなに可愛らしくしてるし」と信じていたこと、これが自分だと信じていたアイデンティティが崩壊する瞬間でもあり。

 

それと同時に。

 

本当の私って、こういうことにときめきを感じる人だったんだと新たな自分が創造される瞬間でもあります。

 

 

 

それは新たな存在の力が生まれ、新たに自分に生まれ変わる覚醒の瞬間。

 

 

 

今の世界から新しい世界へと分岐する瀬戸際。

 

 



ビビる!!ひるむ!!怖い!!

 

 



いいのかな。こんな部屋でもいいのかな。

引かれるかな。

引かれて否定されたら傷ついてしまう。

そんな不安が襲ってくるけれど。

同時にかすかに弱々しく、新しい存在の声がきこえてきます。

そちらの意識の声に耳を傾けてみるんです。

 

ここにいるよって。

確かに感じてるでしょって。


感じた時点で「わたしはこれに喜んでいる」という事実が存在しています。

感じないようにしないで。

 

「わたし」の存在を無視しないで。

「わたし」の存在を祝って欲しい。

 

「わたし」の存在を許して欲しい。

どうかそんな存在が今ここに在ることに、愛と承認のエネルギーを贈って感じてあげてください。

 

 

 



これが「わたし」なんだって。

これが「わたし」の喜びなんだ。

 

 

 

どんな自分でも愛されます。

 

あなた自身が、そんな「わたし」も愛してると存在を認めてあげたなら、人から世界からその「わたし」は愛されるから大丈夫。

 

 



誰かの目を気にして買わない。

 

それは人の目がない自分だけの居心地のいい空間づくり。

 

 だから私は、部屋にたくさんお金を使いました。

 




大画面で迫力あって感動できるホームシアター




ずっと座っていてもしんどくない快適を感じるゲーミングチェア

 

 


ベッドでゴロゴロするときに心地のいいシモンズ社のマットレスetc



 

 

 

 

 

 

それらは部屋にあったら、私が「最高」「快適」「極楽」と毎日ときめくものたちばかり。



そして以前と感じかたが変わっていました。


 

「最高」「快適」「極楽」

 

 

ああ、家大好き、ずっといたい、居心地がいい。

 

 

この感じた先に、どんな現実展開が待っていたかというと・・・



人間関係では、誰も興味ないだろうなと思っていたホームシアターが予想外に好評で、家に何人も友達が泊まりにくるという「最高」に楽しい思い出が作れて。

恋愛では、この部屋に彼といると、彼との関係がすごく居心地のいい「快適」なものになっていき。

仕事やお金では、家にずっといられるカタチでのビジネススタイルで、収入面も8桁になりました。

 

 

この空間に身を置いて感じてるだけ。

 


まったく同じことをしているのに、そこになにを感じているかによって、180度くるっと違う現実展開が起きるのですから驚きですよね。


どんなに良いと言われている行為でも、そこになにを感じているかの心のありかたが大事です。

なぜならあなたがそこになにを感じているかに紐づいて現実が展開されていくから。

 

 

あのときの私は、そうじをしている行為後の達成感だけを感じていたり、誰かが可愛いと評価してくれそうな空間にいることに高揚したり。

 

そこから発生する感覚を「感じている」と思っていたのです。


これを社会思想の感覚と私のブログでは呼んでいます。

この社会思想の感覚でもよかったんですよ。社会思想が悪いわけではありません。

 

 

「家のそうじをしている私ってなんて素敵なの」

 

「こんな女の子らしい部屋にいる私って素敵よね」

 

そんな女子力が高い、いい妻、いい彼女、できる女そういう立ち位置に幸せを感じられる社会思想の感性を自分が持っていられたなら、社会思想でも幸せで楽しい人生が送れたと思います。


 

社会思想を人生の生きかたのベースにすると、条件付きの社会思想的な愛しかた愛されかたが発動します。

 

人や自分の目が理想とする態度や振る舞いを取った場合のみ、人や世界から愛されるという現象がおきます。

 

そうなると私の場合、

 

「ちゃんとそうじをしている自分」

 

「女の子らしい部屋にいる自分」

 

このイメージの自分を守り続ける態度をしないと評価されない愛されない、今のこの立ち位置が危ぶまれるという不安感や緊張感が出てきてしまうんです。

 

そして本当の心はこうしたいのになと思っている葛藤。

 

この感覚に疲れてしんどくなってしまうのが、Hibikiの性質。

 

 

私の望みの生きかたは、どんな自分でも愛されるから大丈夫という、こうでなきゃいけないという意識に縛られない、こうありたいという自由な意識で日常を生きていきたかったんです。

 

 

これ、どう生きたいかの望みと、実際に現実を生きてるときの意識の周波数が、ちぐはぐでズレてますよね。

 

 

なのでうまくいかなかったんですね。

 

 

いっときのその瞬間は、達成感や高揚感といういい気分を感じられるのですが、日常生活でずっと感じ続けられる意識のありかたでなかったんです。

 

いつしかその感覚は思想レベルとなり、恋愛や人間関係や仕事など領域が拡大されていき、世界の見方そのものへとスライドしていき、

 

この世界はそういう自分でいないと評価されない愛されないという不安や緊張感の意識に変わっていってしまいました。

 

 

だからプライベートは、感覚思想という心を大事にするほうをベースにする生きかたにしました。

 

Hibikiと同じで社会思想で生きづらいなと感じている人は、感覚思想に思想を変えて、心を大事にする生きかたにシフトチェンジすると、

 

今までなぜ意識をがんばってるのにうまくいかないんだろうということが解消されて、今よりたくさんの幸せや喜びを手に入れられるかもしれません。

 

プライベートは、行為や成果や評価や立ち位置といった頭から発生する社会思想の喜びの比重を少し減らして、喜びや幸せといった心から発生する感覚思想の喜びに、意識の価値の比重を置き直してみてください。

 

一緒にこの感覚思想の世界、楽しみましょう

 





エネルギーというのは、物に、空間に、溜まります。

 


あなたの心が「最高」「快適」「極楽」と、居心地がいいなと感じ続けたなら。

 

あなたの生活しているその部屋の空間は「最高」「快適」「極楽」のエネルギーで充満していきます。

 

(説明の便宜上、代表例の感覚です。癒しでも落ち着くでも、これを感じたいっていう気に入った感覚でオッケー)


部屋は日常でも長く身を置く空間です。

 

部屋をつくり、そうじをして「最高」「快適」「極楽」の感覚のエネルギーがを充満する空間に、あなたという存在が浸るなら。

 

世界から「最高」「快適」「極楽」いう感覚を味わう日常が提供されます。

 

なのでぜひあなただけの最高の極上空間を創ってくださいね。


今日はそんなお部屋の環境づくりとそうじのハナシ。

次回はカフェ編~♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、みんなはHibikiには、どんなイメージがしますか?

私はHibiki「わたし」に対して、こんな感覚を持っています。

 

 

普通の立ち位置より下だと評価されるような哀しい出来事をたくさん体験してきた、ひとりの女の子。




その日常はほとんどの時間を、嫌われないかと人目を気にして、自己肯定感なく常に自分を責めて、孤独や不安を抱えて、しまいには死すらよぎったことのあるほどのものでした。

 



そんな子が、意識の研究をしはじめて、意識のありかたを変えたら…

 

クイーンという自分の世界を統治する女王という感覚を宿すまでに。
 

 

そんな意識のありかたを整えていく道のりのなかでの、様々な出来事についての心の葛藤に、どんな意識でいたら、どういう展開になっていったか、

 

その心の感覚をブログに赤裸々に綴っていっているという感覚です。



意識のありかたを変えた世界は、まるで物語の主人公感覚。

 

数年前の私は前世?というくらい、今は異世界に来たようなおもしろい体験ばかり。

 

 

でもこれって、私だけじゃなくみんなにもできると思ったんです。



なぜなら私は、ネガティブな心の状態とネガティブな環境というところから、日常の現実を変えていった側だから。

誰かから秘伝の奥義を教えてもらったわけでもない。

みんなも今からでもAmazon等で1000~2000円で簡単に手に入る本を読んだだけ。

 

 

でもこれらの本…本当に魔導書(グリモワール)みたいで、なにこれ全然解読できない…。

なに言ってるのかわからない。

 

同じように実践しているはずなのに本の内容通りにならない。

 

そういう状態。

 

そこから、ひとつひとつわかるところから試していき、研究と実践をくりかえしていました。

 

私がはじめから、特別な人間で、そんなふうに生きられていたなら。

 

きっとなにもせずとも、なんとなくでできるようになって、とんとん拍子で望んでいたことも体験できていたはずで。

たくさんの試行錯誤をして失敗することもなかったでしょう。

 

だからなんの能力のない普通の人だって、ほんの少しの勇気さえもてばできるんです。


 

今でこそ、クイーンっていうなんだか壮大な感じがする感覚を宿してるなんて言っていますが、最初の頃は全然そんなことはなく。
 

 

恋人と海やプールに行ったりしたい。
お祭りに浴衣着て花火大会に行きたい。
温泉に行きたい。
クリスマスは一緒にケーキを食べたい。

友達と一緒にいるときに

疲れない自分でありたい。


遠慮なく言いたいことを言いたい。


どんな人にも、好きなことを好きだと、

人目を気にせず堂々と生きたい。

 

 


愛する人から愛されたい。

幸せに生きたい。

楽しく生きたい。

自由に生きたい。

安心感がほしい。

 

 

こんな感じでした。

 

リストをあげていたら、それこそ、この記事がリストアップで終わってしまうくらい、たくさんありました。願いがたくさんあったのです。


 

でも過去のHibikiは、上に書いたような望みが叶うとは到底思えない意識レベルにありました。

 

 

 

なぜなら、現実にはそんな自分になれるような兆しが全くなかったから。



 

まず高校生まで、誰からも告白されたことはなければ、付き合ったこともありませんでした。

好きな人はいたのですが、遠くで眺めているだけ。

バスケをしている姿や男友達と話している姿をちらっと見て、かっこいいとときめいていたのを今でも覚えています。

しかし私が好きになる人は、そのあとに私の友達も好きになってしまい、その友達と付き合い始めてしまいました。

 

またあるときは友達から、男の子を紹介してあげるとメールアドレスを渡されて、メールのやりとりをしていました。

友達の話では、その男の子は他校でもとても人気があるかっこいい人。

その男の子に会ったことはありませんでしたが、メールのやりとりを重ねるうち、いい雰囲気になり、実際に会おうという流れに。

駅前の公園で待ち合わせをして、そのときの自分にできるとびきりのおしゃれをしていきました。

「もうついているよ、どこにいる?」

私も「こういう服装をしているよ」と、自分の特徴を書いたメールを送ります。

しかし、待てど暮らせど、声をかけてくる人はいません。

彼を待つこと公園で4時間、彼はとうとう現れませんでした。

後日友達に事情を話して、彼からなにか聞いていないかと尋ねました。


「外見がタイプではなかったからそのまま帰ったらしい」と友達。

外見がタイプじゃない…そのときの私は、太っていて、にきびが顔にたくさんありました。



またあるときは、気になる男の子から、いつでも電話かけてきていいからと電話番号を交換しました。

人目を気にする私だったけれど、そう言ってくれたしと、その言葉を信じて、はじめて電話をかけてみました。

そしたら。

 

 

「なんか用?用がないならかけてこないで」
 

 

そこからこのことがきっかけで、人目を気にする性質が悪化。
 

 

そのあとにできた自分の彼氏にさえ、

 

今なにしているかな?電話かけたいな…

でも電話かけて迷惑だったらどうしよう?

もし電話かけて嫌われたら?

タイミング悪くかけて、別れることになったら…?

 

と、はじめは電話をかけることさえできなかったんです。



友達と長時間話しているとき、トイレも我慢する。
 

 

食事をするときは、たとえトマトパスタやハンバーガーが食べたいときでも、

 

服に飛んだらどうしよう、大口開けて食べるなんてはしたないと引かれるかもと、

 

無難に簡単に切り分けられて見栄えのいいパンケーキを頼みます。
 

 

自分の意見なんて言えずに、常にイエスマン。

本当はマンガやアニメが大好きなくせに、否定されるのが怖くて隠す始末。

「漫画やアニメが好きな人ってさ、キモくない?オタクって感じ」と言われても、

 

(私も本当は大好きなんだよ。アニメやマンガ見ている人っておもしろい人多いんだよ)

 

そう思っていても「そうだよね」と相槌を打ってしまう。

 

そして、そのあと自己嫌悪。



愛する人から愛されないさみしさ。
 

そんなふうに思ってはいけないと

自分の心をしめつける不自由さ。
 

生きたいように生きられないもどかしさ。

 

 

そんな感覚を味わう日常の積み重ねのうえ、どんな人間になっていったのか…。



目の前でイチャイチャしているところを見るたびに心に刻まれる「私は誰からも愛されない」

 

太っていてにきびが顔にたくさんある自分の姿を鏡で見るたびに心に刻まれる「私は美しくない」

 

人に自分の気持ちを話せないたびに心に刻まれる「自分の気持ちを話したら、引かれて嫌われる」

 

そんな出来事に出会うたびに、心に刻んでいった、自分の存在への決めつけ。

  

その感覚は魂に凍り付いて冷凍保存されたまま、以降、月日が経ち、年齢を重ねて、肉体的に成長しても、魂に凍り付いた感覚は、時を超えていつまでも今この瞬間に存在しています。

そしてその感覚を溶かすまで、いつもその感覚を伴う現実を自分自身に見せてきます。




 

「あなたって今こういう存在なんだよ」って。




現実がすべてだと思っていた当時。

 

 



自分の目の前の現実の出来事のすべてが、人からいわれるすべてが、自分がそういう存在だということを証明してきました。

 

誰かから指をさされている感覚です。

 

 

お前は愛されない存在なんだ!

お前は可愛くないんだ!

お前は人の言う通りに生きろ!って。



それはまるでこれからもずっとそういう存在として、その存在の身の丈にあったとおりに生きろと言われているようでした。
 

 

そんなんだから、ここから違う世界が在る、新しい世界が在るなんて言われても、なんのことだと信じられるわけありませんよね。

現実のすべてが、人のすべてが、自分の存在をこのように定義してくるのです。

 

つい、うそだあと思ってしまいます。

  

 

でももし、そんなところから幸せになれる世界があるなら、そんな逆転劇があるなら…

 

それってとってもおもしろくてエキサイティングな人生だと思いませんか?♡



あなたの世界が白黒であったほど、オセロゲームみたいに、これから先の未来はカラフルに彩られていくんですよ。

 

 

それってすごく輝いてみえませんか?





私がいつも、安心できる自由な感覚だったり、幸せで楽しい感覚でいたがるのは、私の過去のほとんどが、心がこう思わなくてはいけない、こういう態度を取らなければいけないという制限で縛られていて、そう感じる日々が少なかったからです。


幸せで楽しいと感じる時間が少なかった。

愛する人から愛されている感じる時間が少なかった。

どんな自分でもいいよという安心感を感じる時間が少なかった。


これが過去当たり前に感じられるような毎日を過ごしていたなら、そんな当たり前のことに喜びを感じませんよね。


だからふと、こう思うときがあります。

 

 

 

昔からずっとこういう感覚を本当は感じて生きていきたいと望んだことは、

 

 

 

 

これが今回のあなたの存在証明ですよという天命を、感覚で教えてくれているのだと。





あなたがその命を使って味わう、あなたで在るという感覚はこれですと。





そのためのこれまでの過去。

 

 

 

 

過去の恋焦がれた感覚は、哀しい体験があるからこそで。

 

その体験をしなかったら、その感覚がどれほど輝いていて素敵で尊いものかは存分に味わえないからで。

 

 

 

これから先のあなたの未来には、その感覚がふんだんに体験できる世界があるよというギフトなんです。



でもそのギフトをふんだんに受け取るには、そのギフトの感覚とあなたが同じ感覚になって、ペアリングする必要があります。

 

 

 

 

 

あなたの思い描いた世界へいく方法…

 

 

それは、あなたが感じたい感覚を感じること。

 

 

 

 

あなたは今この瞬間どんな感覚でいたいですか?






愛を感じたい?

自由を感じたい?

幸せを感じたい?

楽しさを感じたい?

安心感を感じたい?

 

それとももっと別の感覚もあるかもしれませんね。

 

 

 

決めましたか?

 

もっとゆっくり時間をかけて、自分の心と対話したあとでもいいですよ。




そうしたら「あなたはその感覚を感じて生きていい存在なんだよ」って自分に許可してあげたらいいんです。




あなたは使い古した服をずっと着ているだけなんです。

小学校で着ていた服って、もう着れないし、似合わないでしょう?

でも小学校のときは、よく似合っていたと思います。

それと同じで。

 

 

 

人生のフェーズフェーズで、心だって衣替えをしないといけません。

 

今のあなたにぴったりな服に。

 

 

意識もこういう感覚で生きてみたらどうかな?と試着をするんです。


(愛や自由や幸せや楽しさや安心だけでなく、プリンセスとかクイーンとかモテるとか愛されるとか仕事のできるいい女とか、感覚にはたくさんの種類が、それこそ何百何千種類あるんですよ)

 

 

 

そして実際にその感覚で過ごしてみてください。

 

 

 

もし気に入らなければ、この感覚は自分には合わないなと脱ぎ捨てていいし。

 

 

 

人に「あなたに良くお似合いですよ」と言われて着せられた服でも、自分が「私はその服好きじゃない」と思ったら、脱いでいいんです。




Hibikiの心のクローゼットにも、まだまだたくさんの古着を持っています。

 

でもそのたびに、似合う服に着せ替えています。

 

 

 

今この時間の気分は「クイーン」かな?「愛され女子」かな?それとも「仕事のできるいい女」かな?と、時間で変えていったり。



この出来事のときは「どんな自分でも大丈夫だから」という安心感かな?それとも「やったる!!」って反骨精神の感覚がいいかな?と状況ごとにも変えたり。




心の鏡で1枚1枚試着して、脱いだり着たりしています。

 

 

そうそうクイーンなんて言ってますけど「クイーン」は私のベースの感覚♡

 


心のクローゼットには、そのときの気分に合わせて、たくさんの意識(感覚)という名の洋服が取り揃えてありますよ。



ピンクやグリーンやイエローといった色とりどりの服から、今の自分が1番素敵に見える服を選ぶ感覚で。

 

 

「姫」や「愛」や「いい女」や「どんな自分でも大丈夫」といった、たくさんの意識から、今の自分の心に1番しっくりくるものを選んでいきます。



これまであなたは、自分ではこの感覚は脱げないと思っていたかもしれません。

 

出来事や人によって、この感覚は、着せられるものだと思っていたかもしれません。

 

愛される扱いを彼からされるから、優しい人だと人から評価されるから、テンションが上がる出来事を体験したから、そういう心の感覚が宿るのだと。



いいえ、

 

好みじゃない感覚は、自分でポイッと脱ぎすてることができるし、

 

好みな感覚も、人から着替えさせてもらうといった受け身じゃなく、自分で着れるのですよ。


 

人や出来事から感覚って受け取るものじゃないんだって、自分で感覚って選べるんだって意識に変わったとき…

 

毎日のあなたの心は、あなたが望む感覚に、常に彩られていきます。


もちろん心だけでなく、現実もね。

 

 

そんな今の自分の存在を素敵にコーディネートしていったHibikiの結果が…
 

 

恋人と海やプールに行って、
お祭りに浴衣着て花火大会に行って、
温泉に行って、
クリスマスは一緒にケーキを食べて、

友達と一緒にいるときには

疲れない自分でいられて、


遠慮なく言いたいことが言えて、


どんな人にも、好きなことを好きだと、

人目を気にせず堂々と生きられている、

 


心に着せ替えた感覚と同じ現実の完全一致。

 

 

そのほかにも書ききれないくらい、たくさんの着せ替えをしました。

 

 

理想の男性の出現、

母親との関係、

肌をキレイにして、

体型に対する意識、

お金のこと、

自由な生活、

 

 

 

昔の私なら絶対にウソだと信じてもらえないような、まるで別の新しい世界へ転生したかのような出来事のオンパレード。

 

 

 

意識にはジャンルの垣根がありません。

 

意識の整えかたを覚えたら、あとはジャンル問わずいけるのがいいところです。


 

 

あなたが現実を生きるとき。


現実の出来事や人に心が反応したときは、その心の感覚を見てみましょう。





それは世界が「新しい世界」へと招待している、意識のアパレルショップ。




 

たとえば、なにかの出来事であったり、誰かを見たときに、ネガティブになったとしましょう。

そうしたら、そのネガティブな感覚の正体を探ってみるんです。

 

 

当時のHibikiの感覚で話していきますね。

 

 

街中のカップルや友達ののろけ話を聞いているとき、イライラしたり泣きたくなる感覚がしました。

 

(これ本当に不思議な感覚のハナシなんですケド。今のHibikiはこの感覚が全くしない。むしろ逆。そういう姿を見たりそういう話を聞くのが、きゅんきゅんして楽しくてしかたがない感覚。同じ出来事なのにです。つまり自分が自分のことをどういう存在だと思っているか、どういう思想をもって生きているかで、同じ出来事に反応する感覚って180度ガラッと変わるんですよ)



このとき、このネガティブな感覚って、なにに対してネガティブな感覚が湧いたのかな?って心に問いかけてみるんです。


ズキズキする。

 

 このズキズキする心の感覚と向き合って、このズキズキはどこからくるんだろ?って。

 


すると「愛する人から愛されている」ということに、どうもネガティブな感覚が込みあげてくるみたいって気づけてくる。

 

 

それって、その感覚への否定的な意識があるんです。

 

自分の今の存在が、その感覚を否定している。

 

 

つい、出来事やその人にフォーカスが当たりがちなんだけれど。

 

実は違って、その出来事やその人の持つ意識の性質に反応してるんです。そしてその性質を自分が否定しているんです。


 

 

今この瞬間の自分の存在が、その感覚を着ることはダメだと感じているんです。



「だって私、そんな存在じゃないもん」
「私は愛されない存在なんだもん」
「なんでそう思うの?」
「そんな出来事があったもん」

「人からもそう言われた」

 

 

 

そんなふうになれない

 

自分みたいな存在は、そんなふうになっちゃいけない

 

 

 

 

でも本当は…

 

 

 

 

 

そんなふうになりたかった。

 

 

 

 


今この瞬間の自分の存在が、その感覚を着ることはダメだと否定しているけれど。

 

 

忘れないで。

 

 

あなたには無限の存在の力(パワー)があることを。

 

 

目には見えないだけで、心はその感覚の存在をちゃんと感じてる。

 

 

「愛する人から愛されている」エネルギーが、自分の中に存在していることを。

 

 

その意識が訴えかけているんですよ。

 

 

「わたし=(愛する人から愛されている)」にフォーカスしてよ!!と、強い承認欲求として、出来事や他人に出ているんです。

 

その感覚を着てほしいって、世界からすすめられているんです。



だけど「いや!私には似合わないの!!」と頑なに否定する自分。

 

 

このときって、自分は愛する人から愛されない存在だからと、その存在の力のほうがパワーをもってしまっているんですよね。。。

 

 

大切なのは、この瞬間の現実や人から受けとる感覚より、自分の心の真実の感覚が勝つことなんです。


現実や人から差し出されるあなたはこうですという存在証明より、自分の魂が感じている自分はこうなのだという存在証明が勝つこと。




世界からその感覚、そろそろ着替えようよ。

 

てかそろそろいい加減、その似合わない服を脱げと言われている。


だから勇気を出して、思いきり、エイッて脱いでみてください。

 

私がわたしのことが大好きだと思えるような感覚を、私が好きに着ていいんだって許して。



街中のカップルや友達ののろけ話を聞くなど、そういう出来事や人に遭遇して、

 

「愛する人から愛されている」という外側の現象に、否定的な感覚があったなら。

 

それを反転させて逆のことを感じてみて。

 

 

ああ、こんなにも私は人に愛されたかったんだ。
 

ああ、こんなにも私は自分から愛されたかったんだ。
 

ああ、こんなにも私は幸せになりたがっていたんだって。




そして。



「そうであっていいんだよ」って許してあげる。

 

 

 

そうすると、望む感覚へと意識の焦点が定まって、あなたの存在はあなたの望む感覚をまといはじめますから。

 

そっとあたたかいコートをかけてもらうような感覚で。

 

本来恋人がしてくれるようなことを、人の手を借りずに、新しい意識の服を自分が自分にかけてあげる。

 

 

なりたい自分とようやく繋がれたことで、その存在が泣いているような、込みあげてくるものを感じます。


その声を全然聞き入れてもらえなくて、ようやく聞き入れてもらえた感動で。
 

やっと認識してくれたと。
 

それは、その存在の誕生を喜ぶ祝福の感覚。




するとその祝福の感覚の愛のあたたかさで、

 

「私は愛する人から愛されない」と冷凍保存されたその感覚が溶けていきますから。

 

それがその感覚から、自分の存在が解放されるとき。


あなたの望みを不相応だと決めたのは社会や人で。

あなたの心やあなたのまだ見ぬ未来の新世界は、あなたの存在をそのように定義していないのだと、その心の感覚が伝えてくれる。

 

内に秘められた「存在の力」。
 

それは、現実化できるほどの創造の力。


喜びの感覚を着れば、喜びの存在となり、
 

幸せの感覚を着れば、幸せの存在となり、
 

愛の感覚を着れば、愛の存在となる。

 

 

過去がどのようなものであろうとも、その感覚を脱ぎ捨てて、新しい感覚を着れば、心に着せ替えた感覚と同じ現実を、あなたはこれからいくらでも体験できるのです。


心に着せ替えた感覚と同じ現実をね。

 


Hibikiと同じように、まるで別の世界へ来たかのような出来事のオンパレードで、異世界転生感覚を味わえますよ。


日常のふとしたシーンに散りばめられている、自分がどういう存在かを見直す意識の着せ替えの機会。

 

まずはできるところからでいいので、感覚を着せ替えて試着してみてください。


すると、その着せ替えた感覚の種類の自分の存在が輝き始めます。


そしてその輝きは、宇宙が膨張するように広がっていき、今の世界を変えていけるほどの力をもつようになるのです。

 

 

 ★★★

 

 

男の人と電話すらまともにできずに、好きな人とデートどころかおしゃれなところでディナーなんて夢のまた夢だと思っていた私…。

 

 

今では気軽に、あそこ食べに行こ♡とおねだりでき。

 

 

 

赤坂にあるニューオータニの高級ブッフェにさえ、遅刻するという神経の図太さをみせる。

 

 

 

過去のHibikiなら「どうしよう待たせちゃうな。怒ってるかな?早く着かないかな」とずっとそわそわ窓の外を見ていたと思います。

 

 

それが今のHibikiはというと…

 

 

渋滞は自分じゃどうしようもないと諦観して、楽しみなビュッフェを前にテンションを上げようと、大好きな音楽を聴きながら、LINEマンガを読んでいました。

 

 

 

当時から考えると、誰!?

 

この意識の差。

 

 

 

そしたら彼も遅れてきて、なんとほぼ同じくらいのタイミングで到着!!

 

 

彼と楽しくブッフェを楽しみました(先月の話)

 

 

 

 

 

座っている横には窓からビルの夜景を眺めることができる。

 

 

 

 

しかし、夜景より、酒と肉。

 

 

 

そして、もう食べられないと言いながら、甘いものをせっせと取りに行く、矛盾行動。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あいこちゃんに言われました。

「社会思想って気をつけないと、過去の私みたいな闇落ちのしかたするから、本当気を付けて」と。

できるかどうかの確証はなし。

そのうえ、そんな闇落ちするリスクまで負うなんて、正気の感覚とは思えないですよね。


社会思想の立ち位置(ポジション)の感覚で生きていたら、そこまでやらないかも。

みんなとの距離が離れてしまったことも、自分はもうこの意識レベルの立ち位置まできたからと境界を引いて、やめてしまっていたかもしれない。

でもそうしないのは、それだと私を憧れてはくれるだろうけれど、みんなはその存在感覚にはなれなくなってしまうだろうから。

それだとずっと「そんな存在になりたいな」「そんなふうに生きてみたいな」という、その存在と繋がるときの初動の、一時的に高揚できた感覚だけで人生が終わってしまう。

 

立ち位置というポジション思想は、可能性に制限がかかりやすくなります。

この自分のスペックならこれくらいと、選択範囲の制限をもうけるから。

自分が心から望んでいることを、今の自分の立ち位置から計算して、失敗しない挫折しない負けない範囲まで望みを狭める。

身の丈以上の身の程知らずの望みをもったとき、失敗したり、挫折したり、負けたり、バカにされたりする感覚を味わうのが嫌だから。

自分はダメなんだという、人から向けられる自分への評価、自己肯定感や自己価値観を下がるリスクがあるような感覚を選ぶのは耐えられない。

怖いよね、その感覚。傷ついちゃうし、傷つきたくないよね。



ただ私は、感覚思想の生きかたをメインに置いている人だから。そうするとこういうとき、こんな生きかたをして、こんな感覚になるんだよ。



確かに感じた、その瞬間の心の感覚。

それは自分だけが知っている。他人にはバレなくても。目には見えなくても。

自分が「こうしたい」と感じて望んだとき、心を無視したその瞬間を自分だけは知っている。

そしてその選択した「これがわたし」という存在証明が心に刻まれ続ければ、現実に出来事や人を通して顕現されるということを知っている。


だから私にとっては、こちらの感覚を無視するほうが嫌なんですよね。望んでいる感覚を叶えてあげるほうが、価値が高くなります。

身の丈以上、身の程知らずの自分の望みにさえも「いいよ」と、イエスを言ってあげたい。そんな生きかたを重んじる。

怖くても。傷ついても。失敗しても。バカにされても。それでいい。

でもそれは、心が強いからでは決してない。

私の心は、怖くないから、傷つかないから、失敗しないから、バカにされないから、というのでもなくて。

むしろそういうときがきたらね、怖がって、傷ついて、失敗に、バカにされたことに、たくさん悲しむの。

たくさん泣いていいのだと自分に許すの。

傷つきやすい自分を否定しなくていい。泣いてしまう自分を否定しなくていい。



たとえば失恋した友達がいるとき。

1秒でも早く前向きに笑顔になってほしいと願うけれど。

たくさん泣かせてあげることが、その子にとってその瞬間の幸せかもしれない。

一方でカラオケ行って、ごはん食べ行って、ばかやって忘れさせることが、その子にとってその瞬間の幸せかもしれない。

そんな友達に接する心のまなざしで、自分にも接するの。



感覚はナマモノだからね。状況や心の悲しみの程度で、幸せのありかたや対応のしかた、選ぶものが違ってくる。



その瞬間に感じていることを大切にしてあげる。

「逃げたい?」

「今は逃げたい」「うん、いいよ、今は逃げな」って逃げることを許すの。

 

そうして、しばらくしてまた聞くの。

「どうする?まだやる?」

「もう1回やる」「うん、いいよ、やりな」って。



できなくてもいいんだよ。心が満足するまででいいの。


私が過去の経験上で1番尾を引いたのは「本当はそうしたかったのに我慢してやらなかった」でした。

 

成果を出す幸せや喜びは、幸せや喜びの一部ではあって、すべてではない。

自分が自分に望んだことをやらせてあげたときの想いが、メインで大事なものだから。

そんなにも行動しちゃうくらい、頑張っちゃうくらい、この想いが大事だったことを実感することが、1番自分を満たすから。

結果にならなかったとき、目には見えず、なにも残らず、それが無駄にみえても。

自分に向けた愛は、魂に残り続けるから。


 

それを私は心の財産と呼んでいて、死ぬまでにどれだけ心の財産を増やせるか。

日常を過ごすなかで、たくさんのキラキラした感覚を、それはまるで宝物を見つけるかのように発見する生きかたが私は好きです。

このキラキラした感覚に心を着せ替えたら、世界から見た私の存在はどう映るだろうと、まるで姿鏡を見るように世界の前に立ち、世界からのアンサー体験をするのが楽しいんですよ。


なので、社会思想は闇落ちするリスクがあると聞いても「社会思想を宿したくなった」「この望みをまとうとキラキラした感覚を感じる」というだけで「オッケー、まあやってみるよ」という軽い返事。


社会思想のダークサイドの感覚も味わうことになるから、その感覚にのまれてしまうんじゃないかってことが少し懸念だけど。

まあ過去が過去なもんで。

心臓に針が何本刺さっているんだろうって傷の痛みを抱えたまま、ひとりで意識の研究やってたフェーズもあるからね。ま、そのときに比べたら(笑)

昔は、ひとりでやっていましたから。

そういう心にさせてくれる「人」も、そういう心にさせてくれる「環境」にも、私の心がネガティブだったので当たり前なんですけど恵まれていませんでした。

でも意識のありかたを整えていった今は、人と環境に恵まれている。

だから今このタイミングで、今度はこの意識ステージやってみる?という、少し対象人数が増えた規模が拡大した望みが出てくるのかもしれないけれど。

私の日常の「人」が変わっていった。私の日常の「環境」が変わっていった。

その次は…?

ある一定数の「思想=世界」を変えようとしている。

なんだかどんどん、自分の日常の枠組みから社会の枠組みへ、範囲が拡大しているような気がしなくもないけれど、まあいいか。


そうそう怖がっているときのコツは、怖がっていることは起きないから大丈夫と言い聞かせがちなんだけれど、感覚思想流の意識の使いかたはこんな感じ。

闇落ちしないから大丈夫という自己信頼の感覚と同時に、闇落ちしても大丈夫という自己信頼の感覚を両方持つ。どちらの自分も信頼するんです。

闇落ちしないように今の私なら意識コントロールできるでしょという意識と、闇落ちしても周りが止めてくれるでしょという意識、そしてそのときの自分がきっとなんとかするでしょという意識。

そのすべての意識を感じながら「どんな自分であっても大丈夫だから」という感覚を宿すんです。

私が無自覚でおかしくなったときは、おかしくなってきてるよとちゃんと止めてくれる存在が、私の身近にはたくさんいる。彼やあいこちゃんやブログ友達やプライベートの友達や受講生の仲間。

そして私はそういうとき、耳を傾けて1度分析し直す性格であることも知っている。

 

今この瞬間の自分が「こっちがいい」と選択した。

その選択した未来で待つ、意識のバトンを渡された「わたし」。

その「わたし」に対して「失敗しても、成功しても、あとは頼んだよ」という未来の自分への信頼。

 

こうして夜な夜なあいこちゃんと、1週間に1~2回、22時から朝の4時くらいまでかな、社会思想と感覚思想の違いに気づいて興奮しながら話す日々が、実に1年は続きました。

あいこちゃんは、社会思想の闇の感覚も光の感覚もひととおり味わってきていて「社会思想テンプレ」「生きる社会思想の辞書」と私が言うくらい、社会思想に詳しい人なんです。

そんなあいこちゃんから社会思想を宿すコツを教わっていました。

「まず自己肯定感と自己価値観低くして」

「その状態で、常に人から視線を向けられて、評価されている感覚を宿してみて」

私「オッケー………え、これ、すごい不安や緊張感が宿るんだけど」

「そう、それ!!」

ときには受講生さんにも、講座とは別に時間をもらって、社会思想の感覚を教えてもらっていました。(ありがとう)

はじめの頃は、悲壮感漂う曲とか失恋ソングかけたりして、意識の周波数を合わせようと色々試してみたんですよ。

話しているときに、なにかがトリガーになって感覚が一瞬宿ることもあったりして。

でも依然として、感覚が宿らないときもあれば、ゆっくり時間をかけたらできた瞬間もあったり、すごく波がありました。

自分で感じたいときに自由自在に感じるには程遠い感じ。

そうして色々やってみて、行き詰まった。

うーん、できないなあ。

いや、できないことはないはずなんだけど・・・はあ〜なぜできぬ魂が抜ける(ため息)


これまで読んできた本の意識の先駆者たちの話を思い浮かべる。

どの事例も、立場も状況も性格もみんなバラバラだった。

そこから意識のありかたで変えてきた人ばかり。


法則には情は存在しない。すべからく、その意識のありかたになれば、それは例外なく万人に適用されるものだ。そうでないと、法則とは言わない。

ってことは―――

私はグルっと意識を、自分の心のありかたに向ける。

きっと私の意識のありかたのなにかが違う。

どこだろう??教えて。

そのとき。



心にふとネヴィル・ゴダードの言葉が浮かんできました。

『あなたが「自分は~だ」と心で意識すれば、それがあなたの決意になります』

 

『意識は復活をもたらす力となります』

 

『人が「在る」と意識することが、この世において復活するという意味です』

 

『意識したことを常に実現しているのが人間です』

 

『この真実を知れば、人は自由を手にします。なぜなら、自分を縛るのも解放するのも自分自身だからです』

 

 

ああ、そっか!!

そういうことね!

 

ふと心に浮かんだのは【自己認識】「これがわたしなんだ」という感覚。

そうか・・・感覚って、自己認識と価値観が一致していないと、感じられないんだ。


本の言葉を体感レベルで実感した瞬間でした。


私はこれまで自分の存在を、楽しくて幸せな状態であることに価値を感じようとして生きていたから…。

なら、これを、ひっくり返せば。

自分の存在そのものを、人からどのように評価されるかに価値を感じて生きていくことにすればどうだろう?

心に浮かんだ自己認識を変える言葉を紡いでみる。

私は、人からどのように評価されるかに価値を感じて生きている。「これがわたし」である。

楽しいことや幸せな状態であることに価値を感じて生きるのが「わたし」なんじゃない。

その瞬間。

せき止められていたものが決壊したかのように、心の中にあふれ出てくる、社会思想の感覚の情報量。

劣等感、虚無感、緊張感、不安感、優越感、高揚感…それらすべてを同時に感じた不思議な感覚。

過去に体験したことのあるなじみのある感覚と、過去に体験した覚えのない感覚まで。

ああこれは、心に干渉してくるね…確かに下手したら闇側の感覚に飲まれそう。本当に細かく意識のエネルギー操作が必要かも。


 

神様、創造主、宇宙、この3次元での世界で、いくつかの呼び名があるその巨大なエネルギー。

ああ、そんな存在がいるならばこんな感覚なのかな。

この覚醒ともいえる冴えすぎた感覚に静かに高揚する。

「神との対話」という本の一節を思い出した。

『知っているというのは神聖な状態だが、最大の喜びは、何者かで「在る」ということのなかにある』


「これがわたしなんだ」と確定された意識が、この3次元に顕現するとき、その依代となった肉体という名の器は、どんな体験を味わうのか?

楽しくて幸せな状態であることに価値を感じて生きる意識と「これがわたし」として繋がったなら、ある出来事があったとき、どんな感覚がするのか?

人からどのように評価されるかに価値を感じて生きる意識と「これがわたし」として繋がったなら、ある出来事があったとき、どんな感覚がするのか?

すべては体験。

 

私は、社会思想や感覚思想という2パターンでやっとだけれど。

きっと神様は、世界人口80億人分のその体験した感覚が、こんなふうに今この瞬間に同時に感じているのかもしれないな。


それにしてもすごいですよね。

人って、思想プラス「これがわたし」という自己認識を植え付けたら、感覚がいかようにも変わるんだから。

 

この感覚をつかめて、それからというもの、少しずつ感覚が宿るスピードが速くなっていきました。

70ページと言っていたページ数は休載中に膨れ上がり、200ページ以上にも及んでいました。

覚えたいものは別でマインドマップにして書きしまくっていたら、12枚になってしまうし。

 

 




おまけに今度は、これ感覚思想と社会思想の2つの感覚を、出来事がおきるたびに同時発動できないかなと、これまたすごい望みが出てきて。

出来事ごとに、感覚思想ならこう感じて、社会思想ならこう感じるという、その両方の感覚を常時発動しながら同時使用できたら便利だなあと。

だいぶ仕上がってはきたけれど、まだ粗が目立つんですよね。

でもここからは主に、時間と体験した数になってくるから、場数慣れしていきます。


そうそう社会思想と感覚思想を同時に感じるようになってからわかったことがあってね。

おもしろかったのが、社会思想と感覚思想で、感じる世界が全然違うということ。

同じ出来事でも、感じている心の感覚がまったく違う。

同じ言葉なのに、入れている心の感覚がまったく違う。

目に映る出来事はまったく同じものなのに、こうも感じかたが違うなんて。

この感じかたの違い、これからの記事で少しずつ解説していきますね(今日はもう長いからね)

 

私はあいこちゃんに社会思想を教えてもらっていたんだけれど、あいこちゃんは私に感覚思想を教わっていました。


 

私「感覚思想って幸せとか楽しいって意識がメインだから、闇堕ちルートってプライベートで使うぶんにはあまりないから安心してできるじゃない?

 

いいなああ、こっちが習得するのは社会思想だし、感覚に飲まれるっていう落とし穴に落ちないように気を張るんだけど」

「そうなの、私のほうがラクなの」

あいこ氏。しまいには、私が社会思想について聞いても「感覚思想が幸せすぎて、社会思想を宿したくないんだよね。ちょっと待ってね」としぶしぶやってくれる感じになってしまいました(笑)



でもそんなあいこちゃん。私と出会う前にノートにこんなことを書いていたんですよ。(みんなの希望になれたら嬉しいから載せてっていうから載せちゃう)





 


 

それが今はここに書いてある感覚、全部塗り替えられている。

 

「こんな世界があるなんて知らなかった。今まで生きてきて知らなかったよ。もうすごい幸せな感覚になれるんだけど。私もしかしたら幸せって知らなかったかもしれない。なにこの感覚!!」

 

 

興奮気味に話してくれて(あいこちゃんとはいつも電話だから、内容がほとんど残っていなくてシェアできない笑い泣き


「みんな今生きてる自分の世界の感じかたがすべてで、こういう世界の感じかたがあるって知らないはずだよ」

 

そんな言葉も聞いて、ああ本当に伝えたいなって思ったんです。

 

 

 

あいこちゃんとこんな感じで、問答しまくる日々。

 


 

 

 


 

 

 

 

 

世界とは思想を変えること。

思想が変わったとき、まずは世界が変わるのではなく、世界に対する自分の感覚が変わります。

世界の感じかたが変わるんです。

生活環境や生活水準が変わってなくても、幸せや楽しいを感じられる。

もちろん自分の創造する力を、形にする喜びだって感じられる。

これまで6ちゃんねるのボタンを押し続けていて、6ちゃんねるの番組だけが視界に映っていただけで。

12ちゃんねるのボタンを押したら、12ちゃんねるの番組が視界に映るようになるんです。

世界の捉えかたを変えて、自分の意識を自ら変えていく意思があるなら。

あなたの体験する世界は変わります。


そこから新しい世界が展開されていきます。


 

かつて。

過去の「わたし」が社会思想との縁を切って、感覚思想という新しい思想との縁を結んだ。

でもその結果、プライベートでは幸せにはなれたけれど、意識を教えるという社会的な立場についたら、社会思想を宿す人たちの縁も薄くなってしまった。

だから次は、社会思想の感覚の世界で生きている「あなた」という「わたし」の存在とまた復縁して、愛すようにしました。

 

(みんなはプライベートを幸せに充実させたいってステージの人が多いだろうから、みんなにこの思想を伝えたいステージって今回のところまではやらなくても十分幸せになれるからね。やってもいいけどね。私のは意識ガチ勢のオタク領域なので)

 

『わかってあげたら、わかってもらえるんだよ』

そうしたら、世界が応えてくれ始めた。


存在や現状を、新たに創造する喜び。

 

 

 

 

 


幸せや楽しさを感じて生きる喜び。

 




 

 

 

 

今回社会思想と向き合っていたからか、仕事に関しての喜びも多かったです。

 


 



 

ポツポツポツポツ。

この生きかたに喜びを感じてもらえ始めて、世界が人が現象が、望みのほうへ動いてくれています。

もちろん全員が全員、私の感覚思想の世界が合うわけではありません。

この思想が、正しいわけでも間違っているわけでもない。すべては、あなたの好みかどうか。

あなたはこれまで、人からの評価を大事にする世界で、誰かにとって価値があることを頑張って証明して生きてきました。

 

人に価値を感じてもらうやりかたで自分を愛そうとしたのでしょう。

 

人から価値だと思ってもらうこと。それも自分を愛するひとつのカタチ。

 

そのエネルギーたるやすごいものですよね。それは誇っていいすばらしいこと。


そうしたらそろそろ、次の意識の世界に目を向けて、まずは旅行する感覚でいってみませんか?


仕事のときは社会思想、プライベートのときは感覚思想で、自由自在に思想を切り替えて生きられたら、きっと今よりもっと素敵に無敵になれます。

つい社会思想をダメだと思いがちだけど、生きてきたこれまでも決してダメだったわけではない。ただ少し違った生きかたもしてみたくなっただけ。感覚思想で生きたらどうなるのか、ちょっと体験してみたくなっただけ。

そんなふうに、こういう生きかたもあるよという、生きかたの可能性を広げる選択肢のひとつとして、もっていただけたら嬉しいです。

 

 

では、今回はこれまでの意識の研究の近況報告でした!!また次回。



p.s.講座生さん、実は今回のやつ、生きかた編の理論をめちゃくちゃ使ってるから、レジュメのどこの部分かなとブログと照らし合わせて読んでみるのもおもしろいですよ。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログのみんなは久しぶり。

(ほぼ毎日講座はしているので、受講生で久しぶりじゃない人もいるね、やほー♡)

いつものように、早くブログ更新しろやという声がたくさん寄せられていました。ごめんね。

なかでも、かおるさんを通して聞いた話。

「Hibikiさんに早くブログにご降臨くださいとお伝えください」

「Hibikiさんはいつ獄門橿から出てくるのでしょうか?(呪術廻戦読んでいる人)」

「Hibiikiさんって呪術廻戦の五条先生が好きじゃないですか。呪術廻戦の2期が7月から始まりますよね?だからまた引きこもってしまいそうで…」
 

この話をかおるさんから聞いたとき、すみません、笑いました。Hibikiの性格をわかってる。

「ああ、その人たち大好き。私、認知してる人?」

かおるさん「トークライブ来てくれた人と、あとは認知してないと思うよ」

かおるさんを通して、想いは私まで届いています。認知してない人もいるらしいので、この場を借りて謝ります。

GWに書こうかな、書けたらいいなと電話でした話が、かおるさんから一部の人に伝わったと聞いています。期待させちゃった人がいるみたいで、ごめんね。

でも、みんなの声がずっと頭にちらついていたのは本当。

漫画家の人が編集さんに「書け」と尻を叩くかのごとく、みんな私の編集さんになってくれてありがとうございます。

 

さて一部の人が不安がっている、ヒキコモリ問題ですが(笑)呪術廻戦2期は一気に見たいので、ワンクール終わるまでは見ないつもりです。

 

 



(あとブログの更新が止まるって普通はメンタルが病んだりなにかあったときに止まりがちだけど、私は大抵、漫画かアニメか本か意識の研究に没頭か遊んでるかのどれかなので、そのあたりは心配しないでください笑)

 

 

でもね、GW書こうとしたのは本当なんです。

Wordに3ページ書いては、読み返し。7ページまで書けたかと思えば、また最初から編集。全然進まなかったんです。

今回、いつもとちと感覚が違って。

いつもは、漫画かアニメか本か意識の研究に没頭か遊んでるかのどれかで、ブログを放置するんだけれど。

今回GWから書こうとしていたのに、指が動かなくてですね。

この期間あいこちゃんとは、社会思想と感覚思想の意識の研究に夢中になっていました。

そしてある程度理解が進んだなって感覚になったとき。ふと「神社に行きたいな」って感じたんですよ。

なので、縁結びの東京大神宮と赤坂氷川神社、あとはお気に入りの日枝神社に行ってきました。

(縁結びっていうと恋愛を連想しがちだけれど、人との縁もいけるよねと受講生さんや読者さんと素敵な縁で結ばれますようにと祈るようにしたら、とても効果ありましたので行きつけ神社となりました♡)

 

 



 

今回研究している意識の話は、大きなエネルギーが動き、思想を変え、存在を創り変えるレベルの話。

だから中途半端な意識レベルのときに話すなと、ある一定の意識レベルになるまでダメとNGを食らっていたようで。何度PCに向かっても、指が動かなかったんですよ。

身と心を清めてから話せという意味かのように、神社で祈祷をしてもらうと…もうすごいスムーズ。

そして、今回こうして最後まで書くことができました。

長編になるので「前編」「後編」に分けますね。



★★★



今にして思えば、行きつけのBarの「あの瞬間の感覚」から、この感覚の研究は始まっていました。

私はひとりでぼーっと考えたいことがあるときは、行きつけのbarに行きます。

あ、そうそう、ちょっと話がそれるけど、このバーのマスターとの出会いもおもしろくて。

ひとりでふらっといけるようなお酒が飲めるところないかなあと、ネットで探していたんです。



そんなときに「なんかよさそう」「ここ行きたい」って感じるバーを見つけて、行ってみたんですよ。

でもそこのバー、なんと普通の住宅街にある!!しかも、本格的!!

なんでこんなところに、こんなオーセンティックなバーが!?ってところにあるんです。

 

 



ドアを開けると、1枚板のあるカウンター席。

 

 





 

 

何度か通ってマスターとしゃべるにつれてわかったことが、ここのバーのマスター、なんと東京のバーテンの中でもすごい地位にいる人。

なんでこんなところにこんなすごい人が!?普通、銀座とか六本木とかにいそうなイメージなのに。

でもほんと、こういうことってよくあるんです。

過去記事を読んでいる人は記憶にあるかもしれませんが、私は自分のことを「自分の世界の統治者」という感覚でいたくて。

なので、その感覚が宿りやすい「クイーン(王って統治している感覚になれるから)」という言葉を使っています。

 

そういう感覚でいると共振の法則が発動するのか、社会のなかのいわゆるステータスや能力が高い人と出会うことが多いんですよ。

しかもこんなところにこんな人がいるの?というところで遭遇するからおもしろいよね。

そういう人に出会うために積極的に動くでもなく、日常生活で行きたいと感じたところにふらっと行く感じで、普通に暮らしているだけなのに出会う。


こんな日常のなかの非日常の出来事なんかも起きるものだから、これだから意識の研究は楽しくてワクワクするからやめられない。


 

そんな声が素敵なマスターが作ってくれるお酒を飲みながら、思考の整理。

 

 

 



さて、結構前から、少しずつ心に芽生え始めた違和感の感覚。

孤独感とかさみしいとかそんな感じの感覚が心に宿っていました。

飲まれるほど大きな感覚ではないけれど。感知できるほどのこの感覚。

どーしたものか。

この感覚は、どこからくるのかな?

彼…じゃないんだよね。うん、恋愛じゃない。

アルコールで酔いがまわりながらもぼーっと携帯をいじっていると読者や受講生さんからのメッセージが目にとまる。

―Hibikiさん、すごい―

―それに比べて、私は今こういう現状なんですー

それを読んでいると、嬉しいような、でも切ないような、なんとも言えない感覚。

ああ、これかな。心が反応しているところ。

自分のなかにあるもうひとりの「わたし」、心の反応を俯瞰した観察視点にいる「わたし」が、それに気づく。


ああ、確かに「私、すごいじゃん」って感じてた。

でもそれは、私のなかにある自分の無限の可能性を感じたくてだったけれど。

「私すごいじゃん、こんな感覚になれるようになったじゃん」

「私すごいじゃん、こんな自分になれるようになったじゃん」

ことあるごとに、そういう感覚を宿すようにしていました。

ああだけど、そうだったね。

法則とは、法則ゆえに、こちらが望むか望まないにかかわらず、発動するものだった。

自分が自分に与えた感覚は、世界から還ってくる。

自分がそう在れば、人や世界から「わたし」はそのように観測されるんだった。だから、すごいなんて言われてしまう。


でも、すごいと感じていたから、すごいって言われる現象まではわかる。

ただ、なんで距離ができた感覚がするんだろう?

私は意識のチェックをし始めました。


みんなが読んでいて、幸せや安心を感じたり、できるってモチベーションになったり、なるほどって納得できたり。

「望んでいる自分の意識感覚」と繋がれる瞬間を、記事で宿せたらいいと思っている。

あなたはたくさんの幸せの意識と繋がれる存在なのだという祝福の想いを込めている。

だから意識を現実化できたことも、幸せの種類のひとつとして嬉しいし。

一方で、なにかを叶えなくたっていい。毎日幸せを感じる時間が増えることだって、幸せの種類のひとつだから嬉しいの。

自分が意外にもこんなお菓子が大好きだったことを知った瞬間とか、今日は大好きなグッズを自分に買ってあげた瞬間とか、いつも以上に優しい言葉をじぶんにかけてあげたら泣きそうになった瞬間とか。

その人が幸せな意識と繋がって生きていることがわかると嬉しい。

幸せや楽しさを感じて生きる喜び。

創造する力を実感しながら生きる喜び。

そうしてこんなにも、自分と他人がすばらしい存在だということに気づける喜び。

この感覚は心地いい。だからここまでの意識のありかたはオッケー。

さあここからだね。

でもときに、Hibikiさんがすごいとなってしまうこと。

Hibikiさんだからできたとなってしまうこと。

この「すごい」が、どうやら社会思想の意識だと、上下の優越感と劣等感を創ってしまうこと。



でも感覚思想になってから、私は優越感も劣等感も感じたことがなくて。感覚思想で生きると、すべては「状態」で感じてしまうため、評価とか立ち位置の感覚が薄くなる。



自分に対する「すごい」の喜びに、人への優越感はゼロ。


感覚思想の意識の「すごい」の感覚は違って。



どれだけ「私」=「人」が、すばらしい創造の力を持っているのかに対する喜びの言葉。


日常の意識のありかたを書くのも、私の意識の力ってすごくない?あなたとは違うのよというよりは、

 

「人」の意識の力ってこんなにもすごいんだよ!だから「私」=「人」=「あなた」の意識の力も、すごいものが宿ってるんだよ!!という感覚。



どうしたらこの感覚思想の楽しいや幸せを感じてもらえるかな?

どうしたらあなたの意識の創造の力ってすごいんだよって実感してもらえるかな?

考えているのはそんなことばかり。

 

 

こんなふうに感じていることを、あいこちゃんや彼や何人かの受講生さんに話してみたんです。

しかしそこには、社会思想と感覚思想で、生きかたの感覚の大きなズレがありました。

 

 

「社会思想の人は、人目を気にして、自分がどう思われるかに価値を置くんだよ」

「たとえば社会では、優しい人でいることに価値があるとするでしょ」

「そういうとき、人から優しい人だと評価される態度や言葉遣いをすることが「優しい人」ということなの。」

「実際にそう思っているかどうかは大事にしていない」

「優しい態度や言葉遣いができることを「私って優しい人」だと感じて生きているのが社会思想の感覚」

 

そう教えてもらいました。

そっか。社会でそういうことが価値のある人だよと言われているから…社会の示す「こういう人になったら、あなたを評価しますよ」という、社会の理想の通りの自分でいられるように、これまですごくがんばってきたんですね。

社会で生き残るため、自分に価値をつけて、認めてもらえるように。がんばったね。

 

でも同時に気づいたこと。

私がこれを聞いて、理解はしたけど瞬時に感覚がわかないということは、自分が本当にそういった感覚をほとんどなくしてしまっているということ。

こうした話がトリガーになって、遠い昔の記憶を思い出すように意識して、やっと過去の感覚を思い起こせた。

 

 

そうだ、この意識の研究をし始めた初期のフェーズ。

日常の時間の大半が、虚無感や不安や緊張といったさまざまなネガティブな感覚が襲われていたあの頃。

このネガティブな感覚は、どうしたらなくなるんだろうという研究に没頭していたことがありました。

そしてそれが功を奏して、それから徐々に日常の感覚は逆転していき、ネガティブな感覚を常時抱く「わたし」は次第に現れなくなっていきました。

日常の時間の大半が、幸せで楽しくて、自由で安心感のある穏やかな「わたし」として生きる。そんな新しい感覚の日々。

そんな過去の「わたし」から、今日までの「わたし」の感覚の変化が、ふと蘇ってくる。

そうだった、私はあのとき確かに望んでた。

社会の価値観のとおりに生きたら評価される人だけが、自分のことが大好きだって、すばらしいって思っていいっていう、感覚の許可証が発行されるような世界。

そんな世界が創った決められたチェックリストのなかで私の存在を評価されたら、私は私を大好きだって、すばらしいって、感じられないよ。常にネガティブになる。

だって私は、そのチェックリストの「理想」にあてはまらない存在だから…。

社会の理想の存在になれなくても、社会の価値観に合わせて生きられなくても、そんな私のことを、私は、大好きだって、尊いって、感じたいよ。

私は、わたしを愛することをあきらめたくないよ。

だからそんなふうに生きる「わたし」は嫌だって。この感覚で生きたくないって。確かにそう望んだ。


そういう感覚で人生を生きないことを、過去の「わたし」は選択した。



違和感のある感覚への疑問に、心が応えてくれました。唐突に謎解ける。

なんで距離ができてしまったのか。

その答えは、ほとんどなくしてしまったからだ、その社会思想の感覚を。

過去の「わたし」が、社会思想の感覚回路をほとんど切って、感覚思想という新しい回路に繋げてしまったから。

それはつまり「同じ国」に生きているけど、社会思想の感覚をもった人たちとは、全く違う感覚で生きていることになる。

同じ日本の中にいても、アメリカ人や日本人で、感じかたが違うように。

お互いのことをわかろうとしなければ、そこにはすれ違いがうまれ、心の距離ができてしまう。



恋愛と同じなんだ。

そうよ、彼のときも母のときも、私は同じ意識のありかたで変えていったじゃない。


アメリカではこうだからと日本の感覚を知ろうとしないアメリカ人よりも、日本の良いところも悪いところもひっくるめて好きになろうと、日本の感覚をわかろうとしてくれるアメリカ人のほうが、受け入れられる。

そんなアメリカ人から、アメリカって国もね、すっごいエキサイティングで楽しいところよ、行ってみない?ガイドしてあげるから♪と言われたら…。

 

ああ素敵。ワクワクする。

 

私がしたいのはこれだ。

 

 

意識の整理に一区切りできて、Barのお店を出ると、私はあいこちゃんに電話していました。

自分のしたいことは決まった。

この瞬間の感覚が、すべての始まり。

あいこちゃんが電話に出る。

「ねえねえ、社会思想の感覚を教えて」

 

偉大なる意識の先駆者が、意識の法則が、私の心に伝えてくる。

与えるものが受け取るものだよって。

『わかってあげたら、わかってもらえるんだよ』

社会思想の幸せや楽しさという光の側面も、つらさや哀しさという闇の側面も、全部ひっくるめて感じよう。

それで少しでも感覚思想も感じてくれたら最高だな。

『感覚思想はね、日常が穏やかで楽しくてファンタジー感覚なの』

なんの変哲もない日常を生きているように見えるこの世界。

しかし実は、自分の意識を変えたら体験する世界や感覚が変わっていくこの世界。

自分の意識が、今在る世界に干渉して様相を変えていくのが、とてもおもしろいファンタジーな世界。


ああ、そんな生きかたの感覚を持てる仲間を増やして、色々な感覚の喜びを共に味わえたら、楽しいだろうなあ。

人生の思い出に、いろいろな幸せの種類の遊びをして、心の財産を増やしていけたらいいな。

そんな私の夢。

こちらの世界の感覚で生きてみたい人みんなを、こちらの世界に異世界転生させたい。

こんなにも更新頻度がないにもかかわらず、それでもHibikiのブログの更新を待っててくれた、そこの「あなた」

それは「あなた」の中にある魂のなにかが共鳴しているはず。

思い出して。

わたしたちは本来『ワンネス』

「あなた」は「わたし」であり「わたし」は「あなた」。

もし今のこの家庭環境で、今のこの性格で生きる設定にして、人生が始まるなら。

「あなた=わたし」は、どう感じ、どう生きるのかな?

そういう体験場として、この地球が創られた。

そして1つの大きなエネルギーから、人の形を成して創られた存在が、地球にいる今の私たち。

「あなた」も「わたし」も、元はひとつのところから分けられた存在。

だからこの3次元での世界での名前をつけるなら。

その関係性は、家族のようでもあり、姉妹のようでもあり、仲間のようでもあり、友達のようでもあり。

そんなふうに、人の数だけ無数の環境や性格が分けられた「あなた」という存在の「わたし」がいる。

たくさんの家族、たくさんの姉妹、たくさんの仲間、たくさんの友達が、この世界にはいるっていう心の感覚で生きると、人の愛や優しさで私たちは繋がっているという感覚を感じられるよ。


ときには今回のように「できるようになった(お姉ちゃんには)(妹には)(お母さんには)(Hibikiには)わかんないよ!」って、家族、姉妹、仲間、友達から言われているような感覚になって、さみしく感じたりもあるけれど。無感情より全然いい。

 

 

そのときは「大丈夫、できるから」と言いながら。

裏ではこっそり、私は私側でできることをしようと、もう少し教えかたを磨いてと、アップデートするの。


それもすべて絆を感じてるから。


肉体の血の絆もある。

 

血が繋がっているからここまで大切にできるという言葉も聞く。


ただ私は幼少の頃は母との絆が薄かったからね・・・母より血の繋がりもなにもない他人のほうが優しくしてくれて、その愛を感じてありがとうと涙が流れた、昔のあの感覚も忘れられなくて。

だから魂の絆も同じくらい強いものだと信じてる。

だから読者と私の、このひとつの関係性にも、家族や恋人と同じ熱量で向き合えるんだ。

 


さてそれじゃあ、やりますか。腕まくりして。


社会思想の感覚の世界で生きている「あなた」という「わたし」の存在と繋がりなおすとしましょうか。



いざ、社会思想の感覚の世界へ。