お久しぶりです、Hibikiです
もう今年も終わりますね。
あなたは、この1年どうでしたか
私はめちゃくちゃ元気に健康に過ごしていました
自分の好きなことに忙しくして充実した生活を送っていたら、気づいたら1年終わりかけている!!
あっというまですね
ブログの更新は少なくなってしまいましたが、講座生の人とは、この1年はずっと一緒に講座をしていました
それ以外の時間は、彼のお仕事のサポートに情熱を注いでいました。
なので、講座&彼の仕事のサポートで、日々を過ごしていた感じです。
あとは妹の赤ちゃんのお世話をしたり
日常のほとんどの時間を好きなことをして過ごしていたので、とても充実した1年でした
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ではメイン記事。
ネヴィル・ゴダードの本の中には、こんな言葉があります。
「私(I am)が」が、つまり、「存在の自覚」が実現を招く道です。
「あなたがたは私を誰というか」
「あなたがたは私を誰というか」という質問は、
真の自己が自分自身へ投げかける、永遠の問いであり、自分は何者かと自問することと同じです。
自分に対する信念、自己に対する考えかたが、
あなたの人生の在りようを決定します。
私が「実現」ということに向き合っていた初期の頃、
この「存在の自覚」が実現を招くとはどういう意味なのか、わけがわかりませんでした。
だって、形になっていないものをどうやって「わたしはそうである」と思えというのでしょう?
そんな風に思っていた頃が、私にもあったのですよ。
しかし今は、その意味がようやく体感でき、腑に落ちた感じです。
「実現」していないなら、それは「わたしはそうである」にならない。
かつてはそういう意識が確固たるものとして、私という存在を支配していました。
そういう意識を持っていた私は、自分の存在をこのように捉えていました。
相手が好きって言ってくれないなら、わたしは愛されている、にはなりえないし、
結婚していないなら、わたしは妻、にはなりえないし、
お金がないなら、わたしはお金持ち、にはなりえないと。
外側のいわゆる現実の世界で、まずはそういう自分であるという証明できるなにかしらのものを受け取らない限り、
わたしはそのような人間であると認めることができない。
現実で、結果や成果といった形を成していないのに、
わたしはそのような人間であると、自分が自分のことをそういう存在であってもいいんだと、許すことができなかったのです。
だから、わたしはずっと何者にもなれずにいた。
なりたいものになれず、やりたいこともやれず。
しかし今、わたしの意識の世界では、そういう概念がずいぶんと減りました。
それは自分の意識の中にある、さまざまな「存在」を「自覚」し呼び覚ますことが、
結果や成果といった形のあるレベルにまで引き上げる絶対必須条件だったことを悟れたからです。
ああ、これを覚醒と呼ぶのだなと。
あなたには、どんな存在が眠りについたまま封印されていますか?
まだ出会っていないあなた自身のたくさんの可能性が、あなたの魂の中には封印されて眠っています。
彼に愛されているという「あなたの存在」
彼と結婚しているという「あなたの存在」
好きなことで仕事をしている「あなたの存在」
豊かな生活をしている「あなたの存在」etc
その可能性のあなた自身は、あなたに呼び起こされるのを待っている。
まぎらわしいから現実の世界を感じぬように目を閉じて、自分の心の中に意識を集中させれば、
それこそたくさんのあなたの存在感覚と出会えることになる。
その存在を「在る」ものとして、感覚で感じ続けていれば、それが「実現」としてこの世界に顕現します
外側の現実世界において「わたしである」証明を探しても見つかりません。
自分の心の中で「存在を自覚し続ける」感覚をもつことが、叶っていく証明なのです。
実現化をしたいなら、はじめにすることは、存在を自覚することです。
あなたが魅力的でとても素敵な女性という感覚を抱くのに、
例えば、ミスコンで1位をとったからとか、芸能事務所から声をかけられたとか、そういう証明はいりません。
あなたが愛した男性は、みんなあなたのことが好きになるという感覚を抱くのに、
例えば、年齢が若いからとか、みんなから美人と言われているからとか、そういう証明はいりません。
自分が大好きな洋服に身を包み、自分のお気に入りの口紅をつけ、
鏡の前で「うん、わたし、今日もかわいいよ♡」という感覚を抱けたなら、
「わたしである」という存在を自覚していることにあたります。
あなたが彼の彼女になるという感覚を抱くのに、
例えば、好きと言われたとか、彼女として紹介されたとか、そういう証明はいりません。
もっといえば、現実において、彼となかなか進展していないとか、連絡がかえってこないとかも関係がありません。
料理を作りながら「今度このハンバーグを彼に作ってあげたら、喜ぶだろうな。彼に作ってあげたいな」という感覚を抱けたなら、
「わたしである」という存在を自覚していることにあたります。
「わたしである」という存在の自覚とは=
「魅力的でとても素敵なのがわたしという存在」
「わたしが愛した男性は、みんなわたしのことが好きになのがわたしという存在」
「彼の彼女でいるのがわたしという存在」
「それがわたしという存在」と自覚ができるかどうかだけなのです。
心の中にある、あなたのあらゆる可能性の中の、
とある状態(両想いの状態、モテている状態、お金持ちの状態)の存在を自覚していくことで、実体が現れてきます。
なりたい自分の存在を感覚として味わい続けることで、現実世界でも体験することができるようになるんです。
心で体験してから、今度は現実世界の五感をもってどんなものなのかを体験する、という2段階方式になっているんですね。
あなたが魅力的でとても素敵であることを、あなたが心で体験したら、
今度は実際の現実世界ではどんなものなのかを、五感をもって体験させてくれる。
「ごはんに行きませんか?」「ほんと素敵ですよね」という声を耳を通して聞き、
男性に美味しいディナーをごちそうになるという味覚を通して楽しむことができるようになります。
あなたが愛した男性は、みんなあなたのことが好きになることを、あなたが心で体験したら、
今度は実際の現実世界ではどんなものなのかを、五感をもって体験させてくれる。
彼の姿を視覚を通して見ることができ、バラの花束を贈られたらそのバラの香りを嗅覚で楽しんだりできるようになります。
あなたが彼の彼女でいることを、あなたが心で体験したら、
今度は実際の現実世界ではどんなものなのかを、五感をもって体験させてくれる。
キスや手をつないだときの肌だと肌のふれ合いの触感、彼の笑顔を視覚を通して見ることができるようになります。
心の感覚で味わうときより、よりリアリティが増した体験ができるようになるということです。
実現化には、こういう真理、ことわりがあるのです。
存在を自覚すること(その存在感覚を味わうこと)が、覚醒です。
実体化してきて、その自分として生きることを、
現実世界で五感を用いて体験できるようになったことを、実現といいます。
まずは覚醒していきましょう。
そうすれば、実現できるから。