音読やシャドーイングの最大の欠陥はリスニング能力を養う事ができないことです。英語の発音とリスニングがどちらが重要かと言えば、リスニングの方が何倍も重要であり、難しいのです。
私は発音を軸にリスニングも並行して学習する事を提唱していますが、発音の方が容易なので、易しい方を軸にしながら、リスニングも同時に学習する方法を提案しています。
母語である日本語の場合に特殊な職業につかない限り発音の練習はしないでしょう。ある程度発音の練習をすれば、言語学習は後は聞いて、いろいろな表現を覚えるのが主たる学習になります。
考えようによっては発音は自分の発音をリスニングするもので、聞き取れる音は発音できると言われるのはこのためです。
英語のリスニングにおいては、いろいろの人の癖はあるし、それぞれ母国語の干渉を受けますから、話される英語の発音は非常に幅の広いものです。
文字の英語と、音声の英語を比べた場合に音声の方が何倍も物理的に不安定なものでありますが、それでも音を使うのは、音声が便利で人間は何の道具を使わなくてもコミュニケーションができるからなのです。
便利で簡便なのが音声でありますから、簡便さに応じて不安的さとかいい加減さにより問題が発生するのが音声言語なのです。
音読の場合にはその重要である音の聞き取りの学習をほとんどしません。人間は発音しながら自分の音をリアルタイム自己聴覚モニターで調整していますが、臨界期を過ぎるとその能力は極端に低下します。
音声の言語学習において臨界期の克服をどうするかは最大の案件なのです。音読はその臨界期に関しては単なる発音練習の量で対応しようとしています。しかし、発音時の聴覚の問題を発音練習で直すと言うのは無理な事です。
リスニングの学習は聞く練習をすることだけで、その学習が可能であります。特別なリスニングの練習をしないで、発音より何倍も難易度の高いリスニング力を高めるのは常識的に無理な話です。