早期晩年に想う -7ページ目

4年2学期に覚える言葉


人の精神は目にあり 故に人を観るは目においてす 胸中の正不正は眸子(ぼうし)の 瞭(りょう)ぼうにあり



 やはり、目は口ほどにものを言うと言いますが、ながらも冬の日のどんよりとした、寒空のごとく内に秘めたる光もなく、昨日の鳩山首相の会見のうるんだ充血した眼でもなく、空虚、虚脱、空虚、虚無、虚空とでもいい表わせる、要は元気のない眼(女性を目の前にした最初の5分だけはぎらぎらしていると衆人曰く)をした私としては、「人焉*哉人 いずくんぞかくさんや」ではなく、女性をまえにしては、いつも胸の内を隠し通しているつもりなのだが。

 今の時代相手を前にして話をする機会も少なくスカイプの画面の中では至難の業になりつつあるのかも。

孟子曰く、
 存乎人者 莫良於眸子
 眸子不能掩其悪
 胸中正 則眸子瞭焉
 胸中不正 則眸子*焉
 聴其言也 観其眸子 人焉*哉


 人を存(み)るものは、眸子(ぼうし)より良きはなし。
 眸子はその悪を掩(おお)うこと能(あた)わず。
 胸中正しければ、すなわち眸子は瞭(あき)らかなり。
 胸中正からざれば、すなわち眸子は*(くら)し。
 その言を聴きて、その眸子を観れば、人いずくんぞ*(かく)さんや。




3年2学期に覚える言葉

志を立ててもって万事の源となす 書を読みてもって聖賢(せいけん)の訓(おしえ)をかんがう


この言葉は、松下村塾の規則となった「士規七則」の結びである。


「右士規七則、約して三端と為す。曰く、「志を立てて以て万事の源と為す。交を択びて以て仁義の行を輔く。書
を読みて以て聖賢の訓をかんがふ」とまことにここに得ることあらば、亦以て成人と為すべし。」


 武士の心得として吉田松陰先生が、安政二年一月、野山獄に投獄されていた時に、叔父玉木文之進の嫡子、毅甫(きすけ)の十五歳の元服に送った手紙に書かれた。


 昔、松下幸之助氏の言葉


「志とは、自分の力を超えた存在に、自分という有限な存在を同化させていく作業なのである。」


を何かの書物で読んだことがある。


 日々時は過ぎ、日は昇り、雲は流れ、日は暮れて、また今日も日は昇り(まだ日は昇ってないが)こうしてブログを書いている。 振り返ってみると、私などは今もって志を立てたことがない、いかんなと思う。

聖賢の訓えをかんがうために読書はしなければならなかったのかとも思う。


 アーネスト ヘミングウェイの著「日はまた昇る」のジェイクのように虚無感にあらがうような日々にもあこがれる私は、やはり、平平凡凡でよし。

2年2学期に覚える言葉

一己(いっこ)の労を軽んずるにあらざるよりは いずくんぞ兆民(ちょうみん)の安きをいたすをえん


自非軽一己労安得致兆民


 まさに現在の私、ブログを日々更新するのは苦労以外なにものでもないというのがこの一週間でよくわかった。
兆民(ちょうみん)の安きをいたすをえんとは、松陰先生、民主党へささげる言葉であります。


松下村塾の柱に書き込まれている言葉だそうで、最近の物忘れでは、我が家にもいたるところに書き込まねばと思う次第。


 この詩は2年1学期に覚える言葉、


自非読萬巻書安得為千秋人(萬巻の書を読むに非ざるよりは、寧んぞ千秋の人と為るを得ん)


の次に来るもので、下記の詩から、松陰先生も影響を受けられたのであろう。


読万巻書(万巻の書物を読む)


行万里路(万里の路を行く)


 司馬遷、李白、杜甫などの中国歴代の先生がたもこの詩から影響を受けたもの、私のもっと本をよまねば。

ワシワシ

朝から我々の地方では俗称ワイワシというセミが元気よく泣いている。


 昨年のお盆の16日の事を思い出した(私は、小さいときから地獄の釜の蓋が開くので殺生はいけないといわれ続けてきた日)のこと、深夜亥の刻(午後10時)ごろ、庭でたぶんセミであろう者が鳴きだした。

 普通私の近所では、ワイワシ(クマゼミ)は、ワシワシと鳴く、がその時は、なんとワジ----と元気よく鳴いていた。

 物書きをしていた、かテレビを見ていたか、どちらかの記憶はないが、電気代節約のため部屋を網戸にしていた私は、非常に迷惑であった。

 音波探知機およびドップラーレーダーを持たない私は、音源の位置確認をすべく、恐怖を抑えながら、先日購入していた、米陸軍御用達のマグインスツルメント社製の純正MAG-LITE(デュラセル社製の単一乾電池直列4.5ボルト)良く映画で見る黒く細長い集光力抜群、半生活防水のほどこされた懐中電灯を、映画さながらに頭の横に目線と平行に構え、闇の世界へと、音源を探索に出発した。

 私の用心深さのため直線で約3メートルをかなりの時間をかけ(私にはそう感じられた)、我が家の庭で唯一の常緑樹の近くへ到達した。そこで、はたと思い知らされた。昨年より私は、アマチュアの聴覚障害者であったと、目の前に大音響を至近距離に感じるのであるが位置を特定できない、つくづく音波探知機がほしいと思った。

 純正MAG-LITEで老眼の私にも周囲は昼のごとく認識できるのであるが、そこに立ち尽くす私はさながらホラー映画のワンシーンのごとくであった。

 迫りくる大音響と背後に広がる闇の恐怖に耐えることしばし、ついに私は音源を発見した。

 それは、家人が生活を助けるためにささやかに作っている家庭菜園ようポット(おもに小ねぎ、シソなど、を作っている、長年の使用で半分くらい割れて土がはみでている)の近くにあった。

 それは、なぜそこにあるのかわからないが、フロッピーケース(10枚入りクリアー上蓋なし、)の中に彼はいた。

 昆虫に対する知識がとぼしい私は、彼の雌雄は、外見からは判別できないのであるが、その時セミのメスは鳴かないことを思い出した。

 したがって、音源は彼であることが判明した。

 なぜ、発見に手間取ったかという問題は、第一に私が音波探知機を持たなかったこと、第二に私がアマチュア聴覚障害者だったこと、と思われたが、それを覆すことが、音源の発見により判明した。
 彼はフロッピーケースの底にいた、したがって立方体であるフロッピーケースが小型の簡易スピーカになり志向性を持った音が、覆いかぶさる常緑樹(後に木蓮と判明)の各葉にさえぎられいろいろな方向に拡散されていたのだ。

 音源発見から短時間の間にいろんな事を推理していたが、最近、知力、視力の衰え、ひいては、言語能力までを感じる私は、彼が仰向けになっているのに気がついた。

 なんと彼は、少数のアリと戦っていたのである。

 しかも肝心の避走手段である羽に集中攻撃受けていた、私には元気良く聞こえていた泣き声(だいたい音源から1メートル離れて90デシベルくらいではなかったろうか、※私はセミの外見と種類には詳しくないがセミの声の大きさがだいたい60~70デシベルということは知っていた。)は実は、彼の断末魔だったのである。

 なぜに突然私に、かくも過酷なことに出くわしたのであろうか。そこで私は短時間の間にジャッジを下す運命にあった。
 時は、亥の刻、周囲の人家は完全に戸締りをし、たぶんエアコンをつけて快適な生活を送っているであろう時(電気代節約のため室内を薄暗くして網戸にしているのは、我が家だけというのを純正MAG-LITEを使って360度を確認していた。)、だれにも相談することは出来なかった。

 その時、熱帯夜の影響と加齢による個人的理由により私は、少しの選択肢しか思い浮かばなかった。第1は闇の恐怖におびえ彼をそのままにして、その場から逃亡する。

第2はフロッピーケースに水を挿入し敵(この場合アリ)味方ともに戦いを終わらせる。

第3は、彼に安楽死を与え戦いから開放する。の3案であった。

私に昆虫の外科治療知識がなかったので彼をアリの軍団から救い出し、我が家を臨時の野戦病院として簡易手術のうえ、現場復帰をさせるというシナリオは最初からなかった。
 時はお盆である。私はまよった。アリとセミ、ひいてはカラスとセミは、ユダヤとパレスチナの戦いの歴史と同じではないか、長年繰り広げられる自然の営みが、場所を移しローマーのコロセウムのごとく、フロッピーケースのなかでの戦いにどう関与し、音源をとめれるか、結論を導くのに時間がかかった。
 私は決断した。フロッピーのコロシアムをひっくり返し、付近の野草を使いアリの軍団を出来るだけ、排除した。キンチョールを使えという声も私の中でなったが、アリともどもお亡くなりになるので却下した。
 彼はうつぶせになりながらも、ワジ----と断末魔の声をはりあげてる。

 それは、生への雄たけびとその時の私には思えた。これは、人に尊厳死を与える時の医師の心境の1億分の1くらいかもしれないが、私の心を重くした。

 時はお盆である。静まり返った平和な団地のもどった亥の刻の出来事であるが、その晩私は、いろんな事を考えされられた。
 その日ばかりは、襲来する蚊の大群にも鉄槌やキンチョール&蚊取り線香スモーク攻撃もせず。静かにムヒを塗ったのは、言うまでもない。ということを思い出した。

1年2学期に覚える言葉

世の人は よしあしごとも いわばいえ 賤(しず)が誠は神ぞ知るらん



松陰先生、「賤が誠」・・・しびれます。この詩は松陰先生と共に密航を企てた金子重輔氏が、獄死されたときに詠まれたもの。回顧録のうち「三月二十七夜の記」に書かれています。下田から江戸護送される時、下田平滑獄中にて詠まれたもので、司馬遼太郎先生の「世に棲む日日」ではありませんが、私風に思うと、

ともあれ、
 月のきれいな空気の澄んだ晩であった。獄舎の中に差し込む月の光の中たたずむ松陰の心に萩の山々が思い出され・・・・

と文章が浮かんできた、さすがに司馬遼太郎先生ではないので後が続かない、ちょっとさみしい。


6年1学期に覚える言葉

体は私(わたくし)なり 心は公(おおやけ)なり 私を役(えき)して公に殉(したが)う者を大人(たいじん)と為し 公を役して 私に殉う者を 小人(しょうじん)と為す


 現在の私はさながら、「小人閑居して不善を為す」君子は独りでいる時でも慎み深いが私は、シルバーウイークなど暇になるとロクなことはしないだろうから、一生懸命働かねばならぬ。と150年前から松陰先生はお見通しであられた。

「大学」より

 君子必慎其独也、小人閑居為不善(君子必ず其の独を慎むなり 小人閑居して不善を為す)

ともあれ、君子必慎其独也の前節には

所謂誠其意者、毋自欺也(所謂(いわゆる)誠 其の意は、自ら欺くなきなり)
如悪悪臭、如好好色(悪臭を悪(にく)むが如く、好色を好むが如し)

 と詠まれている。美しいものを見て真の美しさを感じ取れるようにとのことであろうが、最近とみに目の老化が進んだ私は、世の女性のほとんどが美しく見える(特に遠目のシルエット)ではどんどん本来の意味ととおざかりつつある、今日この頃。

5年1学期に覚える言葉

誠は天の道なり 誠を思うは人の道なり 至誠(しせい)にして動かざる者は未だ之れあらざるなり誠ならずして未だ能(よ)く動かす者はあらざるなり


 誠は人のつくったものでなく天の自然に存するところの道である。この誠こそ人を動かす原点である。と、松陰先生は教えられます。

 至誠通天、松陰先生が松下村塾の塾生へ好んで使われた言葉です。
 松陰先生が門人と決別の辞を述べられた際に用いられた孟子からの一文に以下があります。


孟子曰


至誠
而不動者
未之有成
不誠
未有能動者也


至誠にして動かされざる者 未だこれ有らざる也


 至誠ほんの二文字ですが人生の基本になる重たさを秘めています。

私は日々至誠を尽くしたいものですがなかなかです。維新の偉人達はほんとにエネルギッシュですね。


4年1学期に覚える言葉


凡そ読書の功は昼夜を舎てず 寸陰(すんいん)を惜しみて是れを励むにあらざれば 其の功を 見ることなし



松陰先生そのことはよくわかっております。

今の世は、読書、NET、TVなど俗世に追われつつ、その成果に感動や感激が日々少なくなっているのは私だけでしょうか?

及時当勉励
歳月不待人
 陶淵明先生も、「時に及びては、当に勉励すべし。歳月、人を待たず」と言われました。

得歓当作楽
斗酒聚比隣
 しかし、その前文には「歓楽を得ては当に楽しみを作すべし。斗酒、比隣を集む」とあります。この行は忠実に私も守っております。

 そういえば、この詩の最初は、「人生根帯なく 飄(ひょう)として陷上の麈(ちり)の如し」

 なんと侘しい始まりなのでしょう、我々も宇宙も、最初はチリから始まったのです。路上のチリに戻る日もくるのですから。

3年1学期に覚える言葉

凡(およ)そ生まれて人たらば 宜(よろ)しく人の禽獣(きんじゅう)に異なる所以(ゆえん)を知るべし


人と動物と言えば、私が今読んでいる司馬遼太郎先生の「花神」新潮文庫下巻の中に高杉先生の最後の漢詩が出てくる。松陰先生門下の高杉晋作先生は27歳でこの世を去っているが、この漢詩の場合動物は鳥であるが.



     数日来鶯鳴檐前不去 賦此贈鶯
        数日来鶯檐前(たんぜん)に鳴きて去らず 此を賦して鶯に贈る (絶作)



    一朝檐角破残夢  二朝窓前亦吟弄
    三朝四朝又朝朝  日々来慰吾病痛
    君於吾非有旧親  又無寸恩及君身
    君何於我如此厚  吾素人間不容人
    故人責吾以詭智  同族目我以放恣
    同族故人尚不容  而君容吾果何意
    君勿去老梅之枝  
    寒香淡月我所欲  為君執鞭了生涯



一朝檐角残夢を破る 二朝窓前亦吟弄す
三朝四朝又朝朝 日々来たって吾病痛を慰む
君は吾に於いて旧親あるに非ず 又寸恩の君に及ぶなし
君何ぞ我に於て此の如く厚き 吾素人間(じんかん)人に容(い)れられず
故人吾を責めるに詭智(きち)を以ってす 同族我を目するに放恣(ほうし)を以ってす
同族故人尚容れず 而して君吾を容る果たして何の意ぞ
君去る勿れ老梅の枝 
寒香淡月は我が欲する所 君が為に鞭(むち)を執って生涯を了(おわ)らん



司馬遼太郎先生は、この詩を本の中で、

顔に紙をかざして書いたらしい。

詩は、長い。毎朝、紙障子のむこうの梅の木にきて啼くウグイスをよんだものである。

そのウグイスを、「君」と、よびかけている。(司馬遼太郎著 新潮文庫「花神」下巻より)と書いてある。


 高杉先生もその若い人生を終わろうとするとき老梅の枝にとまり来るウグイスに思いをめぐらし、優しく語りかけていることか、

 私も松陰先生の言われる、人としての心を持ち、高杉先生の詠まれた心境を持って生きていけるよう、努力したい。、



2年1学期に覚える言葉



万巻の書を読むに あらざるよりは いずくんぞ 千秋の人たるをえん


多くの書物を読み勉強しなければ、どうして後世に名を残す立派な人になれようか、という意味であろう。


 松陰先生が野山獄に投じられた14カ月間に読まれた本は約620冊にものぼり、重要な場所はスクラップもしておられた。


周りには本の中の先人より教えを請い今に生かすが重要と言われている。


 ふと礼記の一節の「焉(これ)を修め、焉を蔵し、焉を息し、焉に遊す」を思い出した。


学問には四焉(えん) 修焉、蔵焉、息焉、遊焉 の境地があるといわれるが、いつかはそこへ達してみたいものだ。