6年3学期に覚える言葉
天地には大徳(たいとく)あり 君父(くんぷ)には至恩(しおん)あり 徳に報(むく)ゆるに心をもってし 恩を復(かえ)すに身をもってす 此の事終えざれば此の身息(や)まず
卒業を前にしての言葉である。
早ければ、日本男児の場合、12歳ともなれば、男子の成人儀式、元服を迎えるものもあった時代、浮世にいで行くのに、心に、徳、恩、を持ち巣立てといわれた。
松陰先生は9歳の時すでに藩校明倫館で山鹿流兵学の講義を始められており、12歳のときには、藩主毛利慶親の前で、「親試」、今日でいうプレゼンを行い「武教全書」を講じた。
その時代、学問を目指すものにとっては、周りに、我々の想像以上に、誠、志、道、仁、を説く教科書は存在していた。
とすれば、クリックひとつで情報が得られる今日と、ある意味条件は同じである、今も昔も関係なく、懸命にそれらを学びとろうとした人々がいる、現代はその絶対数が少なくなったのではなかろうか。
これは、松陰先生が、安政三年27歳の時に自宅で書かれた「丙辰幽室文稿」の中の文章である。
伝馬町獄舎で処刑まで 3年、本当に此の身息(や)まず、の一生であられた。
草刈大作戦
庭の草刈をした。
お待ちかね、ここに庭の草刈大作戦の結果を報告する。
昨日夕方一七二丸時、宗像方面幕僚長より庭の草刈を開始するという、突然の任務が下った。
我が領土の敵は、芝生と雑草の共同戦線を、日々我が領土内へ繁殖させ、モスキート軽戦闘機、カナブン、カメムシ、などの電灯ファイター(さすがにこの空域には、スズメバチ重攻撃機は見られないが)足元には、ムカデ重戦車が小隊規模で出現する。
偵察をかね斥候として幕僚長みずから前線へ赴き、作戦を立案した。
作戦名「博多区イ号作戦」 その結果、我が軍唯一の機甲師団を、最初から前線へ投入する命が私に下りた。
ユニクロ社製の対モスキート用長袖シャツと同じくユニクロ社製の対小枝および雑草防御服一式に着替え、本亭西方面より作戦行動域にひそかに侵入、対モスキート用大日本除虫菊株式会社製家庭用殺虫剤により敵スナイパーへの先制ガス攻撃を、作戦行動域の低木密集域へ行うも、風による影響を受け、限定的な成果しか得られず、我がほう戦陣は早くも撤退を余儀なくされた。
敵モスキート部隊の攻撃を受けつつ、我が軍唯一の機甲師団である、リョービ社製、軽電動草刈機を前線へ投入した。前回、早朝よりの作戦において、作戦域住民のイヤミ目線攻撃を受けた反省がこの作戦に活かされている。
リョービ社製、軽電動草刈機は、グラインダーによる主カッターのメンテナンスを必要とし作戦時には約50デシベルの音量を発する欠点がある。
しかし、今回は、日没までの2時間という限定された作戦時間内に最大の打撃を与える。という目的があった。
軽電動草刈機と私は日ごろの訓練成果を十分に発揮できず。軽電動草刈機は、宗像方面幕僚長みずから運転し、任にあたられた。
私は、兵站業務への転向命令を受け、廃棄物の収集へ追われた。翌日早朝の廃棄物回収車へ送った。
作戦の成果は著しく、我が領土へ一時の平和が訪れた。しかし敵を殲滅することは、この20年にわたる長き戦いにおいて一度もない。
厄介なことに、ある一定期間は、お互いに癒しという効果を敵は、我が軍へ与えてくれるのであった。
次回開戦まで、つかの間の平和がやっとおとづれた。もう秋の虫たちが元気になったのは、言うまでもない。
晴れ5年3学期に覚える言葉
仁(じん)とは人なり 人にあらざれば仁なし 禽獣是れなり 仁なければ人にあらず 禽獣に近き是れなり 必ずや仁と人と相合(あいがっ)するを待って道というべし
松陰先生は的確に、仁がなければ鳥やけだものに近いとおっしゃってる。
しかし現代では普遍的な愛をカルガモ 母子のように禽獣に見ることができ、人は連日TVのNEWSの様に悲惨な出来事を繰り返している。
先生は、仁と人と一緒になってこその道といわれる。現代の我々はどこで道を踏み外したのだろうか?
孟子先生は下記の様に言われた。
孟子曰
仁人心也義人路也、舎其路而弗由放其心而不知求哀哉人有鶏犬放 則知求之有放心而不知求學問之道無他求其放心而已矣
孟子曰く、「仁は人の心なり。義は人の路(みち)なり。其の路を舎(す)てて由らず。其の心を放ちて、求むる ことを知らず。哀しいかな。人鶏犬(けいけん)の放たるること有らば、則(すなは)ち之を求むるを知らず。学 問の道は他無し。其の放心を求むるのみ」
やはり学問を地道に続けよう。
4年3学期に覚える言葉
其の心を尽す者は 其の性を知るなり 其の性を知れば即(すなわ)ち天を知る
まさに孟子が言われた儒教主流派の概念「性善説」である。
「性」という字人の本性やものの本質のこと。
孟子の「性善説」とは、松陰先生が上記に用いた、万民に善の兆しを先天的に持っているとする説である。
善の兆しとは以下の四端の心と呼ぶ。
惻隠の心、羞悪の心、辞譲の心、是非の心
「惻隠の心は仁の端なり、羞悪の心は義の端なり、辞譲の心は礼の端なり、是非の心は智の端なり」 と語り、仁義礼智という四つの徳の根本となす大切なものである。
ちなみに仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある数珠の玉の物語「南総里見八犬伝」に影響を及ぼしているのは「水滸伝」であるが、儒教的道徳にもとづいた勧善懲悪の物語として、滝沢馬琴は「南総里見八犬伝」を記した。
3年3学期に覚える言葉
人賢愚(けんぐ)ありと雖(いえど)も 各々(おのおの)一二の才能なきはなし 湊合(そうごう)して大成するときは 必ず全備(ぜんび)する所あらん
賢愚の塊ともいえるわたくしから見ても、どうしようもないと思われる、老人から子供までが巷にあふれる今日この頃。
その輩のなかから一つや二つの長所を探し、生涯教育をもってまたそれを延ばすという文科省大いに喜ぶ文である。
それをなすには、国家100年の計をもって教育と我々は真摯に向かい合わねばならぬ瀬戸際にある。
社会の階層化が固定化される中、希望格差社会というタイトルの本がベストセラーになる中、パラダイムシフトが、社会の中で起こりつつある一端を垣間見ているのかもしれない。
2年3学期に覚える言葉
朋友(ほうゆう)相交(あいまじわる)は 善導(ぜんどう)をもって 忠告すること 固(もと)よりなり
下記は、講孟箚記 「序」の中の一文である。
吾獲罪下獄,得吉村五明、河野子忠、富永有鄰三子,相共讀書,講道往復。益喜曰
「吾與諸君,其境逆矣。可以有利而得也。」遂報孟子書,講究ろう磨,欲以求其所謂道者。
吾、罪を獲て獄に下り、吉村五明(よしむらごめい)・河野子忠(かわのしちゅう)・富永有隣(とみながゆうり ん)の三子を得、相共に書を読み道を講じ、往復益々喜ぶ。
曰く「吾と諸君と其の境は逆なり。以て励みて得ること有る可きなり」と。遂に孟子の書を抱きて講究ろう磨し、以 て其の所謂道なる者を求めんと欲す。
松陰先生は、三人の友人を得て、ともに書物を読み人たるの道を極め、互いに意見を交換して、ますます喜ぶに 至ったと書かれている。
ふと我が身を振り返れば、多くの友人とともに書物を読み、互いに意見を交換してきたが 、その中に道を究めるが抜けていたように思う。
今日からでもぼちぼち、少しづつ、ちょっとだけの三乗分、気にか けて生きてゆこう。
1年3学期に覚える言葉
親思うこころにまさる親ごころ きょうの音ずれ 何ときくらん
私が思いつく親のつくことわざを集めてみました。それに比べ松陰先生の言葉のなんと美しいものか。
親の恩は子を持って知る
親は無くとも子は育つ
親の因果が子に報う
親の心子知らず
親の臑を齧る(おやのすねをかじる)
親の七光り
親の欲目
一文字づつ少なくなるとこういう順番になりました。 深いと思いませんか。
6年2学期に覚える言葉
冊子を披繙(ひはん)すれば 嘉言(かげん)林の如く躍々として人に迫る 顧(おも)うに 人読まず 即(も)し読むとも行わず 苟(まこと)に読みて之れを行わば則ち千万世(せんまんせい)と雖(いえど)も得(え)て尽くすべからず
150年前も現在も世の人々は本を読まないらしい。
この時代の松陰先生の1日と私の1日とではやはり時間の長さが確実に違う。
現代の高校生は年間平均7~8冊の本を年間読むらしい、したがって高校3年間では24冊、そのなかに松陰先生の本が1冊でも入ればと思う今日このごろ。
読書離れが私には理解しがたい、わが娘たちの日本語の乱れや、どう見ても考える力の減退しているような若者の増加は、大学全入、学歴の二極化、などとからみ社会問題化して久しい。
書物をめぐる問題は後を絶たず、この頃仕事として係わるようになったオーディオブック、やキンドルのようなデジタルブック、ひいてはインターネットなどいろいろな要素、側面も、聖書以来の読書形態の変化も、それぞれがこれからどうなっていくのか?
世の人々はどう文字と向き合っていくのか?
問題を大きく提起するのは簡単だが、意外と150年後も同じ悩みだったりして。
でも、いまは文字が大きなほうが読みやすい。
お月見
約二週間前の9月5日は立派な満月であった。昨晩は、わが地では快晴であったが、久しぶりにきれいに天の川を見ることができた、新月であった。
そこで、ふと、お月見をしたのは、もういつの頃だったかと思った。記憶にない。
静かに月を眺めたのは、いつだったか、旧暦の八月十五日、今年はお月見をすることを忘れずにいられるだろうか?
10月3日が私にとって特別な日ではない、ただその日に満月が見たいお月見がしたいだけである。
今思えば、太陽と月、惑星、恒星、衛星、たくさん星を見てきた、その中で一番長く見続けたことがあるのは、絶対、月である。
はじめて天体望遠鏡で月のクレータを見て以来、ふと思い出すたび月を見ている。そのために我が家は玄関に天体望遠鏡を格納している。昔ビデオで月面を撮影もした。その時の映像をたまに見るが、なぜか、月を身近に感じている時である。
昼間の月は、私にとって大変遠くに感じる。夜の月は、大きく近くに感じる。これも心のバロメーターであろうか。
実は、私は、月好きだったのだ。今、気がついた。月をきれいだと思うことが出来る時は、私の心は落着いている。今現在空は晴れてても月はない、ただ秋の虫たちが鳴いている。たくさんの虫の音が聞こえるのに無償に静を感じる。
以前外国のドキュメントで、遺跡と月と蜃気楼の関係を検証する番組を見た。ストーンヘッジもナスカの地上絵もピラミッドも、マチュピチュの空中都市も、月と蜃気楼の関係で存在を証明できる、としていた。
それでは、私と月との関係、私の存在の証明は、何なんだろう。さきに証明できたのは、すべて古代人との関係である。現代の文明の衰退や発展を月との関係で、証明をすることもなかろう、故に人と人の距離も朔(新月)から望(満月)のごとく、はなれたり近づいたりするではないか。
私の心と月との関係を的確に自分で証明できれば、私もいろんなモノと間を近づけることが出来るのだが。月は答えてくれない。
ちなみに、中秋の名月ではなく仲秋の名月と書かれることがあるが、両者の意味合いは異なる。中秋が旧暦8月15日を指すのに対して、仲秋は秋の真中の月、旧暦8月のことを指す。
5年2学期に覚える言葉
道は即ち高し 美し 約なり 近なり 人徒(ひといたずらに)に其の且(か)つ美しきを見てもって及ぶべからずと為し 而(しか)も其の約にして且つ近く 甚(はなは)だ親しむべきを知らざるなり
この文は松陰先生の、講孟箚記(こうもうさっき)の序文の書き出しである。
序
道は則ち高し、美し、約なり、近なり。人徒に其の高く且つ美しきを見て以て及ぶべからずと為し、而も其の約にして且つ近く、甚だ親しむべきことを知らざるなり。
富貴貧賤(ひんせん)、安楽艱難(かんなん)、千百、前に変ずるも、而(しか)も我は之を待つこと一(いつ)の如く、之に居(を)ること忘れたるが如きは、豈(あに)約にして且(かつ)近なるに非(あら)ずや。以下・・・・・
講孟箚記 上 (講談社学術文庫 442) (文庫) 吉田 松陰 (著), 近藤 啓吾 (翻訳) より
この場合の道とは、もちろん人の道であろう、しかし私は、東山魁夷画伯の「道」という絵を思い出し、この文へあてはめてみた。
この絵に描かれた道は、美しい、日本の田舎に行けば、アスファルトでもなくただの舗装されていない道、卑近(身近でありふれていること)であった。
人はその道が遠そうに見えなかなか歩き出せない、
しかしこの道は最も身近な道でありこの道を通る人は最も親しむべき道である。
と強引にあてはめた、ただ当てはめているうちにふと東山魁夷画伯もこの文をご存じでありこの道がどこまでも続くように道の先で右に折れ上り下りを示し人の道を暗示しているようにおもえてきた。きっと東山魁夷画伯もこの言葉を思い筆をふるわれたのではないだろうか。