漁師,ぴんぴん物語 EpisodeⅠ -3ページ目

見たい映画②

6/15の記事(映画な生活記事を参照) で見たい映画を3つ挙げた。でも結局いずれも見にいけなかった・・・色々あって、結局夏はビデオ三昧・・・にもならなかった(苦笑)気持ち忙しくしてた割りに、結局何も進まなかった。頭は忙しく回転していたのだけれど。


そんな私が今映画館で見たい映画をまた挙げてみようかと。時間ないから一つだけ。でも、見れるのはいつの日か。映画館でか、家のテレビでか。そんなのわからん。でもここに書き込めば、映画を見ることが叶いそうな気がする。もしくは記事書けば行った気でも起こって、ムシャクシャしないかもしれない。そんな願望のために記事にした。


      choko;ete

     「ちゃーりーとちょこれーとこうじょう」


じょにー・でっぷ。


広い演技の幅の持ち主だよなぁと感じる。


意図的に、もしくは結果として、演じているのか、それとも素のままを出しているだけなのか。この二つは、映画やドラマなどで前者の「演じている」が当たり前であるはずなのにも関わらず、結構後者の人間も多い。ドラマなんて、この後者が非常に多く、多すぎのように感じる。それはそれで良いとしよう。でもそれをはっきり打ち出してしまうと、その劇そのものが彼ないし彼女に「喰われる」ことが多い。結局脚本・演出・演技でなく、その「個性」に依存してしまうため、他が生きない、生かされないことが多くなってします。


一方、でっぷについては、演技としての幅の広さは、インタビューのテレビとかを通してだが、強く思うところだ。どう考えてもこの映画の主人公と同一人物(顔という意味だけでなく、そのオーラみたいなものとしても)なのかと、思わず感心までしてしまうほど。(当たり前だが笑)役者だな、と思う。彼は、固定された役柄が染み付き、それが観客にまで伝染するのは嫌がるとのこと。次の役ではストリッパーでもするか、といった記事も出ていたが、そういうところにも魂を感じる。


てぃむ・ばーとん。


こいつもまた人間の感情の神経をびりびりさせる、笑い、驚かし、泣かせる、その方法をよく知っている。俺も学びたいくらいだ。さて、てぃむに関連した記事を次回の映画の記事でも少々触れる予定だ。


主役・監督。この二人が揃って見逃すわけにはいかない。例えどこかから面白くなかったという噂を聞こうとも、それでもしっかり見てみたい。問題は、映画館で見れるかどうかという現実的なことなんだが・・・。頑張れ!あと250ページ/3日(韓国語)・・・Zzz。。。

めし、食いねぇ。

今日は飯の話。


そう、飯。それは口にしないと、たまにクラクラ、眩暈がし、時に一日以上口にしないと、幻覚のようなものすら見えてきてしまうもの。しまいには、手がぷるぷる震えてくる。手が震えてくると、それが妙にくすぐったいような気もするけれど、何か微妙に気持ち悪い。いや、普通に気持ち悪い(この気持ち、分かる人、あなたはステキな生活リズムの持ち主です)。


そう、飯を食わないと一日頑張れない!時に旅に出たり、帰省したりすると、しっかり三食食べる。朝・昼・夜、本当に立派だと思えるくらいの「きちんとした生活」。そしてしっかり三食食べると、不思議と一日しっかり頑張れる。睡眠時間が少し短くても、体力が出てくる。そう、やっぱ飯は食べないと。


本題に戻そう。飯はしっかり食べないといけないけれど、しっかり食べ過ぎても良くない。その実践例が俺の腹。かわいい腹。立派な腹。この腹が育ちすぎたのも、どこぞの国の飯のせい(否、性格には飯に付いてくる飲み物=ソジュ・メクチュのせい)だった。まだ覚えている。というか、忘れられん。某国に留学していたとき遊びにきた人に、会って最初の行動で、俺のかわいい・・・否、可愛げの無い「腹」をむぎゅ~~っと、つまれたことを。


さて、今日は、その某国のご飯のお話。

前回はモンゴル料理だったけれど、今日は韓国。


結構ポピュラーな料理だが、意外と日本ではそこまでポピュラーになってないはずの食べ物を挙げてみたい。もし知っていたら、流す流す・・・。


tattoritan

『タットリタン』


恥ずかしいことに、友だちに教わるまで半年以上、この料理を知らなかった。非常に一般的な料理の一つ。とにかく辛い。劇的な辛さを誇る。韓国料理には欠かせないゴマの葉が結構な量入ってくるが、自分は少し苦手だった(苦笑)でも、その辛さ・・・でも韓国料理での紹介では欠かせない一品に思える。


putetige

『部隊(プテ)チゲ』


昔、朝鮮戦争の頃、食糧難に喘いでいた一般市民が、米軍の配給品であったハムを、野菜や麺とともに煮込んで味付けしたのが始まりとされ、「部隊」の名がついた鍋。とっても安くて、単純な味である。でも適度な辛さが美味しい。とにかく「ご飯」が進む。まぁご飯が進むのが韓国料理の常であるが、とにかく進む!ビールなんて無視!(でも飲むけど)。とにかく、ご飯食え喰えクエと。自分と向かいに座っていた友達A(写真)とは、ともにご飯10杯食って、二人ともステキなお腹に成長した。持つべきは良き腹友達。安くて太る素だけれど、月に二度くらいは食べておきたいものだった。おそらく一番簡単に作れる鍋かと思えるので、今度朝鮮したいものじゃ。


cchimtark

『チムタク』


日本ではほとんど見かけないが、渋谷にお店があるという情報を聞く、鳥鍋料理。どうやら昔日本でタッカルビが流行った頃に、これも流行ったという一部情報も聞いた。この料理(も)辛い。でもこの香り。忘れられない。鳥、ジャガイモ、にんじん、ねぎ、春雨が入り・・・辛いといっても、甘辛い。その甘辛さが絶妙!そう、だから食べやすい。恐らく日本人の口、特に辛すぎるものはダメな人でも、その甘辛さに惚れるだろうと思われる料理。そういえば、お店で扇風機の風にあたりながら、その甘辛さにみんなで汗ばみながら、この料理突き合って、だべってた頃を思い出す。やっぱ韓国料理の醍醐味って、みんなでだべりながら、料理突付きあって、食べることなんだよなぁ。これ、今、自分が一番食べたい料理。

tenjan

『テンジャンチゲ』


あまりに日常のご飯過ぎて、一々紹介するな、と思うかもしれない。キムチチゲと何が違うの?とか思うかもしれない。しかし!あなどることなかれ。これは絶品の絶品。韓国人はこげなものを普段から食べているのかという、脅威すら感じた一品。韓国に行って、初めて「韓国来てよかった」と思わせた一品(誇大)。テンジャン=味噌であるが、味噌鍋は中に豆腐からアサリ、豚肉にかぼちゃ、青唐にたまねぎといたって一般的な食材だが、その味噌の出すエネルギーの素晴らしいこと!!


食べ方は、いつもの韓国料理らしく、ご飯に載せて食べるがよい!え?味噌鍋でご飯じゃ、ネコマンマ(猫飯)じゃねーかだって?!ドアポ!ネコマンマと一緒にするな!(そんな私は厳格なネコマンマ反対論者)。


ちなみに、お薦めのお店は、ソウル中心部に在る、鍾路三路の、ある「角」にあるお店。詳しくはガイドブックを見よ!恐らく書いてあるはずだ。なんせ日本人が多いだけじゃなくて、韓国人までもが並ぶ!韓国人が並ぶなんて、珍しい光景があるほどの店。それは、すなわち認められた味を指す。


ところが、ある韓国人友人と一緒にいったら「ここより美味しいとこあるよ」と。連れられていくと、高級なテンジャンチゲのお店。確かに美味しいが、なんか違う・・・やはり人によりけりなのね・・・でも、また違う美味しいテンジャンチゲのお店もあるはず!ぜひMyテンジャンチゲチプ(店)をお探しなされ。



そして、やはり、最後はデザートといこう。

pappinsu1

『パッピンス                before

and after』

pappinsu2


既に日本に入ってきていると聞くこともあるので、知っている人も多いかもしれないし、何を今更と思うかもしれない。だけど、一応書いておきたい。上の写真を見て分かりにくいかもしれないが、アイスクリームの下に果物やあずき、お餅が入っていて、その下にカキ氷があるという、つまり「韓国版カキ氷」。しかし、それも巨大!左の写真はたしか4人分。これより大きいものもある。


見て分かるとおり、そう、ここまで韓国的なの。みんなでスプーンでつつき・・・いや、つつく前に、まるで「競うように」混ぜる混ぜる混ぜる!(いや、競ったのはうちらだけだったのかもしれない笑)。その結果が下・・・


その結果は言うまでもなく、自分の周囲では賛否両論。もちろん、留学組は初めての時は抵抗感あったわけだが、郷に入れば郷に従えごとく、慣れるもの。でも見た目重視から入るタイプの人には、当然「汚らしい食べ方」っていう食べ方だった。それもそれで、分かる。だってご飯って、色や状態など、見た目大事だもんね。


例えば・・・


susi kuine


こんな寿司、誰も食べたくなかろう。

それだけ食べ物は見た目が大事だってことだ。


話戻すと、さきほどのカキ氷、味はおいしいと言っておきたい。お店によりけりなところがあるので、無難な路線いくなら、韓国行った時に「パッピンスで有名なところ」といえば失敗はないはず。


このカキ氷見ると懐かしい気持ちが湧く。


ひとつめ、このアイスに7個くらい小さなお餅が入ってるのだが、混ざっこすると当然どこにあるかなんて分からないわけで、よく、みんなで探しあっこしたりした。食べれないでふて腐れてるアホもいた(笑)


ふたつめ、また夏到来で、どうしても食べたくて、みんなで行った時、お店に行ったらカップルだらけ・・・そして俺らは男だらけ(笑)当然「何あれ。きも~い」みたいな青い目で見られたわけだった・・・。


みっつめ、ワールドカップで、韓国代表がベスト8でスペインと戦った日、俺は試合を韓国人の友だちと一緒に、ある飲み屋で見た。そして、韓国代表はスペインに勝ち、ベスト4へ。そんな勝利に、ソウルの街は道路という道路が無法化し、「勝手に」歩行者天国化したくらい、みんなが花火を飛ばし、叫び、歌って、吠えていた。


そんなときに、パッピンスのお店に入ったら、白が基調でデザインされてるそのお店の中が、赤一色じゃない!それはなぜなら、サポーターたちが同じTシャツを着ていたから。


reds


このTシャツ知っていますか?当時日本でもTV報道で見た人も多いと聞きますが、そう、これは韓国のサポーター=韓国国民とそれに同化した留学生(笑)が、韓国代表応援時に、皆揃ってきていたシャツです。街ドコへ行こうが、否、普段着で、否、寝巻きで(笑)、どこかしこでも見かけたTシャツです。本物Tシャツがあったのに、いつのまにか街に存在するシャツのほとんどがコピーモノと化したTシャツ(笑)


そう。これをみんな着ていたので、店内が赤一色だったわけだ。ところが彼らがじろじろ私たちを見てきた。そう、なぜなら、俺は飲み屋での韓国代表応援する場に「立派な抵抗感」から「白いシャツ」を着ていたからだった。当然、「何お前、非国民」みたいな目で見られる。試合中ならほとんど試合に熱中して俺なんかに気がつくことなかった人々も、こんなパッピンス屋の狭い空間で試合後ときたら・・・ちょっとさすがに脅迫感というか圧迫感を感じましたね(笑)これで日本代表ユニなんて着ていようもんなら、どこへ干され、流されてたか(笑)



さて、俺はまだ食べていないものが多いし、まだまだ分かっていないことも多い。その他に食べた料理、例えば韓国ソウルから南へ向かった全州で食べた「豆料理」など、辛くない料理で味が深いものが、他にも非常に多いのだが、それらについては今度の機会に紹介することとしよう。


そう、まだまだ分かってない私に対し、この前こんなことがあった。学校の韓国語学の先生と話していたとき、「●●さんはどういうの、あっち(韓国)で食べていたんですか?」と聞かれたので、「これこれ」と言っていたら「安物だらけですね」と言われた・・・ 


・・・授業中にみんなの前で言わんでも良いじゃんか・・・ってか、学生なんだし、そんなん当たり前じゃんか(苦笑)けっ。でも安物だって、旨いもんは旨いんだよ!(ちなみに、今回載せたご飯は、ほとんど安い・・・笑)



・・・でも高いのは、やっぱそれはそれで格別な味なんじゃよなぁ・・・。


さて、なお次の海外な生活・料理編は、フィリピンで食べた飯でも書くかもしれないし、書かないかもしれない。それは全くもって気分次第、研究計画調べモノの進み次第(笑)

どこへゆくのだろう ~あふたぁ・・・~

どこへゆくのだろう ~あふたぁ・せんきょ, あふたぁ・こいずみ~


午後には雨もやってきたけれど、それなりに高い投票率(近年のうちでは)だった今回の選挙でしたが、自分も予想はしてましたが、それ以上の自民の圧勝に終わりましたね・・・


今日は、たまには真面目なことを。そう、選挙のこと。


(国際)政治学かじってきた?自分なりに感じたことは三つ。


(1)

今回の圧勝と連関して、小泉後、つまり1年後の任期終了後の自民の路線がどのような進路を取るかが不透明すぎる部分が相当大きな問題だと思うこと。年金・財政・改憲・外交・・・


任期延長論が前々から言われているが、小泉の性格からすると、ルールを変えてまで任期延長しないのではないかと思える(特に今回の延長論を森元総理が言い出しただけに、解散の一件からすると、そうした予想もしやすい)ので、あまり可能性が無いのではないかと思える。結果、あと先一年、内政優先、外交対米安定・対アジア不安定という状態が変わることないのだろう。


どうやら郵政民営化法案通過後に内閣改造を行なうようだが、個人的に関心があるのが外相ポスト。東大の藤原先生が30点、慶應の添谷先生が10点(当然ともに100点満点)という点数をつけた日本外交。対米安定・対アジア不安定という路線は変わるのかどうか、かなり否定的だ・・・(元?)上智の猪口先生が就くかってところだけが個人的に見ものと思っている・・・ただし、それでどうなるってところが不透明なんだけどね。やはり、立派な政治家と立派な国際政治学者は違うから。特に自民には靖国をはじめとする「内政と外交」の強い関係性(もしくは、しがらみ・・・例:遺族会)があるから、外相個人の力量でどうこうというものでもないんだよね。アメリカのキッシンジャーのようになるかどうかなんてのはかなり否定的。


また2/3が自公で達した(郵政反対派の元自民組も含めたら350に近くなる)ので、憲法改正発議に必要な議員数が足りた(今半数にするという法案も準備されてるらしいが)。郵政国家終了後、いよいよ本格的な改憲議論が積極的に開始されることが決定的なんだろう。


(2)

日本がはっきりとした二大政党制になるには、民主の主軸となる部分が脆弱だなと強く感じたこと。これは当然どういった政党政治を志向するかの問題で、二大政党制の必要性は無いという議論も出ることではあるが、前回の参院選でやや現実味が出ただけに、また「政策・理念闘争」が盛んになり、政治の活性化も起こるからという点から期待もあったわけだが、今回の衆院の民主惨敗は、日本における二大政党制の現実化からは確実に遠くなってしまったこととなったと感じる。争論において、全てとは言わないけど、各所ではっきりとした極の違いとその理由を出せない(表現力の問題もあるが)と勝てないよな・・・。もともと「寄せ集め」的な部分があって、その結束力に弱い部分を持っていたのは分かっていたが・・・。

これに関して、後輩がハーバードのE.ヴォーゲル先生(専門:アジア研究)に会うというから「日本における二大政党制の可能性」について聞いておいてと言って、聞いてきてもらったのだが、簡単にまとめれば、ヴォーゲル先生曰く「2,30年は無い。今の民主は自民と大きな面からいって差が無いから。」とのこと。その言葉、かなり現実味を帯びてきた。


(3)

単純化しつつあるような社会に怖さ・・・不安とも言えるものを少し感じたこと。争点が今回のように『単純化』言葉を替えれば『うまくぼやかされた』時に合理的かつ知的な判断が日本社会(人)が出来るかってところ。


今回の選挙で選挙前に、そもそも自民が勝つだろうなと思った理由は「小泉のメッセージ(挙げた争点)が、あまりに単純的であったこと」だった。昨今の選挙では、というよりも、もしかすると選挙というものは、複雑なものよりもあまりに明確なメッセージの方が受けいれやすいし、つまりは判断材料となりやすい。Yes or No(All or Nothing)しかなかった、というよりも、Yes or Noのようにした(?)小泉のメッセージ(否、戦略か?)は、特に「誰に入れるか、決めかねている」無党派層への印象が良い方向に向かったに違いなかった。


結果、自民の大勝だった。でもここまで勝つとは思わなかったが。明らかに民主で堅かった人でも、今回は相当の苦戦をしている。また自民分裂で当初民主に流れると思われた票の多くも、結局自民の郵政賛成派(刺客も含め)に流れていった。


民主は当初において明確なメッセージを出せなかったのが致命的であった。その後は後出しで、確かに自民より明確なものを多く出せたと思うが、それにしてもスタートダッシュで致命的な転び方をしたといえた。こうしたメッセージの「明確化」と民主の「出遅れ」は、政治不信に起因する民主に対する期待を、小泉への期待へと転換させていくのだろう。そういう理由から民主の負け、自民の勝ちが予想できた。


とにもかくにも、小泉の挙げたメッセージの「明確化」いや『単純化』は、選挙民にとって『わかりやすかった』のだ。複雑な議論も大事だが、意外とこうした『単純化』というのが近年の選挙では影響力を持つのだろう。これらの点については今後も考えてみたい。


だが、問題は次の部分と関連する。すなわち改憲との議論である。改憲は、私の考えとしては不可避な問題、つまり必要な部分があると思うが、それは「改憲するべきか、否か」ではなく、「どのような形の憲法に改めるか」である。それは具体的にも理念的(抽象的)にでもある。


近年の議論や今回の選挙における結果(議員数)、また北東アジア情勢の不安定化をうけ、この数年以内に改憲への具体的動きが不可避になるはずである。そうした中で国会における不十分な議論を受けても、国民投票の際に争点が『単純化』され、それに『単純化した反応』を市民が見せることがありえるのではないか。今回の選挙の結果は、そうした不安を強く想起させたものであった。


(20050913追記)

・・・・・

ただ、今回は郵政という争点だったからこそ通じた「単純化」で、消費税増税や、上に挙げた改憲議論の際は「単純化」は通じない、ということはあるのかもしれない。ただ、やはりそれは未だ判断はつけられない。

・・・・・


ちょっと簡単すぎますが、こんな感じです。

めずらしく真面目。

たまには日常ごと。

        珍しく人間らしく、日常のことをつらつらと。


       okinawa1



台風一過で暑い日々が戻ってきた。悪くない。つくばの夏は湿気むんむんってほどのことでもないので、過ごしやすい。昔は冬が好きだったけれど、最近は海が恋しいせいか、また埼玉ほど湿気むんむんってこともないからか、夏が良いなぁと思える今日この頃。つくばは静かなので、たまにベンチに座って本読んでたりして、本読んだりして。蚊も俺のこと嫌いなのか知らないけど、たいして寄ってくることなく。そういえば、今年蚊に指されたのは一度だけ。決して部屋に閉じこもっていたわけではないのだけれど。ともかく、あぁ、夏って良いなぁ、あとは海が無いだけかってことだけで、少しだけ幸せ感じてたりする。でも、やっぱ海は行きたかったなぁ。つくばに来てから、海が自分の薬だったことに気がついたんだった。


       okinawa2


・・・・・・・・・・

今、学校でチューター制度なるものがあって、そのアルバイトをしている。仕事は一言で、留学生の面倒を見るということなんだが、自分自身も韓国に居た頃にチューター(トウミという)制度で、その人にはかなり世話になった(といっても、俺が色々お世話してやったのも否めない。彼の女性問題で何度となく、その間に立たされ、異国の地で彼の彼女に泣きつかれて困ったこと困ったこと数回・・・)。・・・まぁともかく、そういう訳で、お礼返しの意味もあって二つ返事でOKして以来、数ヶ月になるけれど、韓国人の留学生である「ソンさん」のお世話をしている。


といっても、やっぱいきなり出会って知り合ったもの同士。色々問題もある・・・国が違い、人種が違い、留学したてということで色々な価値観違ったりで、色々ムカムカしたりする日もある。またアルバイトといえど、ある一定以上超えると、ある程度『ボランティア』みたいなところがある。そこで、また色々と葛藤することがある。『アルバイトか?友だち(友情)なのか?』そこらへんで、自分を含め、周りで悩んでいる人も少なくない。


でも、今日も会ったのだが、ちゃんと思っていることを言って以来(それ以来はまだ数回しか会ってないが)結構しっかり悪いところ直してくれたりして、何か、ホッとする。彼は「やれば、超しっかりやる」の条件付き完成型タイプなので、俺もしっかり応えたいとは思っている。今日も入試の対策だったのだけれど、まだまだという感じだった。でも、彼自身頑張るつもりはあるらしい。それなら、まだまだこれから色々あるかもしれないけれど、俺もこれからしっかりチューター活動しようと感じた今日だった。でも毎日言われることが何か気になる。『よ●ださん、日本語本当にうまいですね。日本語コースに入った方が良いですって!』これ、前も書いたかもしれないけれど、どうも気になる・・・あの、俺・・・一応母国語話者っす・・・


とにかく、言うものだな、と思う。言ってダメならダメ。言わぬで悶々はもっとダメ。これは、今回のようなケースに限らず、どんな気持ちについても言えることなんだろう、って最近強く感じることが多い。この前も部屋掃除していて、手紙の整理していたら、珍友から来た年賀状を見つけた。そこに書いてあった。『思っていること、感謝の気持ちはちゃんと言わないと伝わらないよ。』と。ありがとう、だめだよ・・・などなど、どんなことでも言わないとダメなんだね。とは言え、もちろん素直になることって、すっごく難しいものなんだけどさ。


・・・・・・・・・・

今日は図書館でせこせこ国際政治の本を読み漁ったり、学会のお仕事したり、快適な睡眠をとったりしていて、結局夜遅くに家に帰ってきた。部屋の鍵を開けようとしたところに、急に後ろの暗闇から声をかけられた。そこにあるのは黒いシルエット。何かと思ったら「大学生ですか?」と。


彼は、スリランカから来た留学生で、来たは良いが、大学に入りたいらしいけれど、どうしたら良いのか一切分からないらしい(笑)から教えてくれないかといきなり切り出してきた。しかも、まだつくばには来たばかりで、日本人の友だちいないわ、情報一切持っていないようだわで、全くどうしようもない状態と(苦笑)。そんな風に始まった会話の相手は、ウップルさん(年齢不詳)。彼はお隣のアパートの住人とのこと。今日は適度に話して、お互い自己紹介して相談乗るのは今度にしたが、どうなるのだろう。怪しい空気も感じない訳じゃなかった。だって、この前まで新宿に住んでいて、つくばまで来て「この街に学校って何があるんですか?」って質問なんだもの、そりゃ疑心が出てくるのも当たり前(笑)彼はどんな人なんだろう。どのように生活しているのだろう。色々疑問もあるわけで、まだ警戒感がある。


まぁ少しづつ付き合っていこうかなと思う。折角知り合えた訳だし。スリランカという、難しい情勢の国から来た彼に興味があるというのもある。あんな難しい国から来て、やっぱ本当に学びたいんだったら、今が特に大事だと思うから。本気で学びたいんだったら、彼はその機会を生かすべきだと思うし、それなら自分の負担にならない範囲ではあるけれど、協力したい。


少し話を戻すけれど、韓国人のソンさん(チューター)のことで色々大変だけど(笑)、やっぱ韓国の彼のチューターしたいと思うのは、彼自身が学びたいって、しっかり思っているところがあるから。たぶん、韓国の彼がその点までどうしようもなければ、もはや付き合い断ってたと思う。欲いえば、もう少ししっかりやってほしいって思うところもあるんだけれど、とにかく、だから、俺自身のこともしっかりやれる範囲内で韓国人のソンさんに協力したいと思うが、加えて、そのスリランカの彼の力にもなれればとは思う。もちろん、彼がどういう人か、しっかり知っていきながら・・・出来たらしっかり知った上でが良いのだけど。良い人でありますように・・・。でもつくばって色々ある街だからなぁ・・・それだけがちょっと怖く、心配っす。


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にしても、どうも俺と西欧系は縁が無いらしい。大学時代、初めて知り合ったのがベトナムからの留学生だった。次が韓国、その次が中国、その次が日本人のような韓国人・・・おっと間違えた、韓国人のような日本人・・・その後もずっとアジアばっかり。フィリピンや、韓国人のような日本人、中国人のような日本人を多数含め・・・続けて中国・韓国・台湾と・・・。韓国へ留学してからは、在日の友人が多くなった。でも、そこで初めてドイツ人と仲良くなった。名をベンジャミン、バイエルンの方に住んでるんだっけな。でも彼は韓国人のお母さんを持つハーフ。で、母の母国に来た以上「ココロは韓国人、顔はドイツ人、彼女は日本人」という彼。やはりどうも西欧系に縁が無いみたい・・・。


だが最近、ようやく自分に西欧系の縁が匂ってきたようだ。自分にとって姉さんみたいな存在の人がいるが、その彼氏(来月には旦那)がオランダ人で、初西欧系??でも姉の彼氏なのに俺より年下ときた・・・果たして俺にとっての何?(笑)なぁ、バス(笑)


ところで、こんな自分にとって、初めての外国人は思いっきし西欧系・・・小学1年に知り合ったアメリカ人のだった。彼はその時通っていた英語学校の先生。だがその後、彼は俺の実母と結婚し(10年後知ったのだが、どうも不倫だったらしい。やるね、あの男・・・だから俺は結婚というものを信じないんだけど。)、弟が生まれるという、ややこしい事態を起こしやがるのだが・・・そのせいで英語嫌いになったんだつうううううの(これを日本語で言い訳といいますのよ、ソンさん)。

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はて、こんなに書いたのに、やっぱどうしても研究関係ネタについて避けている。昔やってた国際政治とはもはや違う領域と割り切るべきなんだよな、また自分の力の足りないことをしっかり認識すべきなんだなって色々悶々しながら。ただ、やるべきことは分かっている。だから書かずに、ただ自分で解決するように、頑張るだけ。いざ勝負、ということなんだ。


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最後に、一昨日借りたDVDを返しにいった。LOVERS。見たかったので借りたのに、見る時間ねーじゃねーか(怒)で、さくっと返しに行って、20分ほど店内ふらふら物色しながら、大した成果も無かったので家に戻って、ジーンズを脱ごうとする。すると、さくっと脱げる


・・・


・・・お、思いっきり開いてたじゃないですか!


ちなみに、それのこと、韓国では『南大門』と呼ぶ。

そう、『今宵は、南大門が開いている』という。

そう、それが書きたかったわけ、今日は。


        nandaimon

俺にとっても最後の・・・?

昨夜は最近月に数度ある蹴球の日でございました。台風なんてクソ食らえ。ワールドカップシーズンは燃えて燃えて燃え滾って、そして燃え尽きる。これに尽きる日々でございます。ワタクシのような蹴球狂には悪くない日々。運悪く(?)前回のワールドカップシーズンは韓国で過ごしていたために、日本の試合で燃え滾ることが少なかったのでございますが、今年は目白押しの試合ばっかりでございます。そんな訳で、最近良い意味でも悪い意味でもたまったもんじゃないのです。見れる喜び、見て他のことに手がつかない悪夢といいましょうか。まぁ、結局リモコンに手を伸ばして、しっかり見るのがワタクシがいるのでございます。でも10chの放送・・・これが唯一にして最高に気に喰わないのでございます。解説が『あの人』じゃないのが救いといいましょうか・・・。ともあれ、今唯一の心配は来年のワールドカップの本番が6月にあるということ・・・修論の中間報告の月にあるなんて、なんと悲劇的なことなのでしょうか。神よ迷える子羊を救いたまえ・・・。


          whai

               (ドイツまで行こうかなぁ・・・)


思い起こせば『私の超勝手な思考』であることは知りつつ、私と今の日本代表には不思議な御縁があるように思えます。


高校一年の頃。無名だったある高校生が高校生で唯一ユース代表(20歳以下代表)に入ってワールドユースで活躍。高校生蹴球男児だった私は興奮そのもの。それが後に隣町にあったJクラブチーム、ベルマーレ平塚(当時)に入団した中田英寿だったのです。彼がベルマーレ入団を決めたと知ったものにも、またまた興奮そのもの。自転車こいでスタジアムまで試合をよく見に行ったものでした。


そうしていた頃、高校二年の時、インターハイの予選があり、ある有名校と試合をすることになりました。そのチームは結局県予選を優勝した・・・つまり私たちは負けた、それも大敗したわけですが(笑)その試合に出ていた凄く細くてガリガリなんだけれど、とにかくプレースピードのエライ速い選手がいました。かといって特別目立つ選手だったわけでもなく、むしろ他の才能の中で埋没している気すらするくらい。ところがその翌年には、中田英同様、高校生でユース代表に選ばれ、ワールドユースの地に立っていたのです。その選手が中村俊輔でした。


二人が並び立つ代表戦は叶わなかったものの(チケット手に入れるの困難過ぎだって)、シドニーオリンピック代表時の中田と中村は数試合見ることが出来ました。あの日々が懐かしゅう感じます。中田も若かった、中村も若かった、私も若かった・・・


その中田も、場合によっては中村も最後のワールドカップ。そして私自身も、恐らくこれから一生の中で一番蹴球に燃えた時になるであろう「今」を考えると、こんなに燃え滾って燃え尽きられるワールドカップも、今回が最後になりそうです(とかいいつつ、大人になっても『うぉぉぉ~~』とか吠えているかもしれませんが)。

とにかく一番なんか縁がある世代が出場するワールドカップ。修論の中間考査が気になってしょうがないのですが、それ抜きで言えば(不可能か?)、血液が沸騰しすぎる毎日がこれから待っているかと思うと寝ることすら惜しく感じてしまうと言えましょうか・・・とにかく思いっきし今回のワールドカップを楽しみたいと思います(・・・やっぱそれは不可能だよなぁ・・・)。


ところで、中田は蹴球人生やめた後は『旅人』になると言ったとか言わなかったとか。本気なんでしょうか。私もそんなこと言ってみたいものですが、そんなこと言ったら世話になった人たちから「恩返せ」と襲撃されそうです。・・・もはや、ブルジョワ階級までのし上がった男たちは考えることも数レベル違いますね。


ちなみに肝心の試合は終わって5-4・・・野球の試合並ですね(笑)はっきりいってこういう得点入る試合というのは、お互い手を抜いた試合であったり、片方が圧倒的に強いチームであること(つまり強い方は集中力に欠けてる)という二つのうちのどちらかなのですが、そのどちらかは、今回は全くそれが分かりません。まぁとにあかく、コンフェデでのブラジル戦『狂』奏曲があっただけ尚更、良い意味で日本の悪いところが出まくりの状態といえましょう。まぁこれ以上書くと、止まらないので、今日はこれくらいにしておきたいと思います(もうサッカーネタは書きたくてしょうがないのだけれど、今日も我慢)。後日コンフェデと合わせて考証をしようかと思います。

夏の終わり

1ヵ月ぶりの書き込みでいきなり愚痴っぽいことを書きます。


夏休みが終わりました。私が所属する大学は変則的であるため、8月で夏休みが終わり。そして9月に新学期が始まります。


この夏休み、正直、実りある夏休みだったとはいえません。実り無い中では常に悩んでいっぱなしで、お陰で、ブログに費やす時間も惜しんでしまい、書き途中の記事が溜まるばかり。一応気分転換のために、さきほど映画の記事を一つ書き上げましたが、出来はかなり不満なもので、1ヶ月ぶりに書かないとと思ってさくっと書いた感じだから尚更です。


最近、人の相談に乗ることが多々あります。そしてそれに対して言葉がよく出ること、よく出ること。また理路整然に言える自分がいること。嬉しいことに「話してよかった」という声も嬉しいことによく聞きます。


でも自分のこととなると、全く進展なし。


どうしてなのか。考えたのですが、悲観的に考えると、人のこととなると無責任だから言葉がサクサク出てくるのかなとも思いましたが、実際はむしろ自分の性格的には、人のことだからよく考えているのかなと思えます。そうすると、自分は結局自分のことをよく考えではいなかった、本質的なところではそういうことだったと思えてきます。


確かに、最初は伯母の死を思考停止の理由としていましたし、実際そういう部分はありました。でもずっとそうだった訳じゃない。


これから新学期が始まり、このツケがどっとくるのかもしれません。研究計画、そして指導教授との関係、将来設計・・・夏休みの宿題はこんもり残ったままで、夏休み明けした今更になって、その宿題と正直に向き合うことが更なる宿題となってしまいました。


ブログの更新はこれからも続けますが、遅々とした更新になると思います。もし見てくれている方がいらっしゃったら、ブログの更新の遅れはそういうものだと認知してください。よろしくお願いします。

冷酷なくらい美しい最期

今日の映画な生活は、3作紹介シリーズの2つめです。

今日の作品は「Dr.Strangelove」、邦題「博士の異常な愛情」です。


         

            博士の異常な愛情


        スタンリー・キューブリック作品

            1964年 アメリカ


この作品は、ビデオ屋でアルバイトしている当時から当然知ってはいたのですが、ずっと見ずじまいでした。なぜか?単純にキューブリック映画をすんなり見ることが出来なかったからです。私は「~せず嫌い」がたまにある性格。バイト仲間には、ごく当然キューブリック好きは多くいた訳で、その中でもフルメタルジャケットは散々見ろと言われ、借りた挙句、延滞料3000円溜まったのにも関わらず、見ずじまいで返すという散々な結果。アイズワイドシャットは見たものの、その世界観にN・キッドマンとT・クルーズの二人の絡みをボーっと見るだけで何も感じることすら出来ず・・・それで本作もまた、今回DVDで借りる機会があるまで見ずに来たわけでした。


この映画を見ようと思ったのは、全く関係なく、ある国際政治の先生に勧められたからでした。あ、M先生ではないですよ。それで今回いよいよ見てみるかとなったわけです。


ストーリーは、いつものようには書かず、一文で書こうと思います。


人間が狂気の道具を持ち、そして狂気の沙汰に陥ってしまったとき・・・

                             ・・・人間はどう動くのか


です。本作は、そうした姿をシニカルな形で描いたものでした。もうすぐ死ぬかもしれないのに急に人格変化を起こす人間・・・あともう少しで世界の人類は絶え、当然国が滅ぶはずの危機的状況においてもしっかりセコセコと、スパイ行為は忘れない某国の外交官の姿・・・力を持つことでそれに陶酔し、世界が滅ばんとする中にあっても自己を正当化し英雄化しようとする者たち・・・危機感あるようでないような言動をする政治家・・・「え、お前ら、そんなんで良いのかよ!」ってツッコミを何度もしたくなる、それらの光景は「大爆笑」ともいえるものでした。キューバ危機やイラク戦争に関する、こうした戦争開戦時にまつわる伝記やジャーナリストの本を読んだことがありますが、もちろんこんな光景は書かれていませんでした。でも実際はどうなのか、そんな不要で必要?そうな疑問というよりも疑惑に近い気持ちが出てきます(笑)


そう、この映画を見ていると、現実とこの映画との間にはどのような関係(もしくは違い)があるのかという疑問について考えることが必要に思えます。例えば、映画冒頭には、「ペンタゴンが本作のような事態は起きないと言っている」という旨のテロップが流れます。1964年当時のコメントと思いますが、現在では実際どうなのでしょう。


本作では、結局、人間は、核という力における均衡とその恐怖には、錯乱を常に起こしやすく、相互確証破壊の成立があったとしても、相対するものに勝らんとする報復力(本作の場合『皆殺し装置』)を持とうとする思考から不可避であることを示唆します。そしてこの「核という力」は、人間の「平常心」というところとは、少し離れたところに存在する、といえる状態ということも示唆しているようです。


そうした危機の蓋然性は、キューバ危機以来、数十年、それに対する対策は当然当時に比較ならないほど改善されたわけです。技術的(技術的な制御・情報収集面)にも、政治的(冷戦崩壊による緊張緩和)にも、制度的(核に関する制度的な枠組み)にも・・・。ですが、結局「不安定な核」の存在が年々浮き彫りになってきており、またその制度的な破綻を見せる中、結局、いずれかの要素が機能を果たしていたとしても、技術・政治・制度の革新があった中でも操作できないもの、そう、人間そのものの本質的なところ、例えば錯乱の蓋然性というのは、起こりえるものというのが現実のところではないでしょうか。


そうした意味で、確かに「大爆笑」を起こす映画であるものの、その一方で、この映画で描かれたものは、未だもって現実的なのかもしれないと感じさせます。キューブリックがいかにシニカルにこの映画を描いたとしても、あまりに「有り得ない光景」がそこに続いていたとしても、それは意外と現実の姿なのかもしれません。


そう、この映画は確かに面白かった。その「冷酷なくらい美しい最期」は、あまりに唐突であった訳ですが、実際こうした問題は、あそこまで唐突になるのかもしれません。人間はこの「冷酷なくらい美しい最期」を迎えることを可能とする兵器を今もなお持ち続けているわけですが、この恐怖が人間に与える影響というものを考えると、この兵器が無くなるのは、実際に「冷酷なくらい美しい最期」を迎えない限り、不可能なのではないか、そんな気にさせられる映画です。


そんな本作を、キューブリックはこうした映画を冷戦ど真ん中の時代に描いた。それが出来たということは、素直に凄いことであると感じます。なんせキューバ危機の数年後な訳ですから。いや、むしろそうした時代だからこそ、その恐怖に苛まれ、こうした映画が生まれる必然性があった、というのが正しいのかもしれません。


現代においてはかなり突拍子な映画に感じるかもしれませんが、冷戦下のような緊張だけの時代ではなくとも、必見の映画と思えます。お薦めです☆☆☆☆


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ところで、私事ですが、私の実母の旦那、つまり義理の父は米空軍勤めで、例え戦時は兵器管理(特にケミカル)の担当になり、実際軍用機に乗って実戦で兵器管理に当たる人なのですが、彼に聞いてみたいと思いました。実際、軍用機の中はこの映画の感じなのかと(笑)お前も、あの帽子を金庫にしまい、そして本番ではかぶって「己はガンマン」気分で出撃するのかと(笑)将来、そんな帽子をかぶる機会が無いことを当然切に願います。

実話を映画化する意味を問う。

--------その信念の源泉は何か??


       ~ヴェロニカ・ゲリン~
       

今日、ご紹介する映画は「ヴェロニカ・ゲリン」。主演は「エリザベス」などで知られる、ケイト・ブランシェットです。ちなみに、私はこの女優が好きです。なぜか?単純に、綺麗だなぁと思うからです。顔・スタイル云々以上に、その空気感に惚れて、早5年ほど経ちます。でも、残念ながら、人妻なんですよね・・・それを知った時のショックったら・・・残念なばかりです(笑)


さて、話が脱線するのもそこそこに、簡単なあらすじを追ってみましょう。


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1996年6月、アイルランド・ダブリンの交差点でアイルランド国内の大手新聞社に勤める記者ヴェロニカ・ゲリンが凶弾に倒れるという事件が起こる。彼女がその二年前から目にしてきた「注射」を遊び道具にする子どもたちの姿。それは、街の子どもや青年、少女たちの生活にはびこる「麻薬」と、それに絡む犯罪の取材を行なっている最中の光景だった。当時のアイルランド社会では「麻薬」とそれを取り巻く構造に対して、積極的な対応が取られているとはいえない状況。そのような中で「麻薬」と「麻薬犯罪」に立ち向かおうとするヴェロニカ。


彼女は、その最期を迎えるまで、どのような戦いをしていたのか。どのようなことと向き合い、そしてその中でどのような選択をしていったのか。本作はヴェロニカ・ゲリンが社会と戦った2年余りを映画化したものである。

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監督はアメリカ人であるジョエル・シューマッカー。アイルランド人であるヴェロニカ・ゲリンを描くのだから、てっきり英国人監督がこの映画をつくっているのだと思っていました。しっかりハリウッド映画だったのですね。


ところで、この映画を見て、いくつかの感想を持ちました。①実話の映画化の難しさ、②真実を追うことの意義、③映画で描ききれなかったことに対する不満の3点が挙げられます。


実話の映画化の難しさ

この映画は実話ですが、実話というのは、非常に描くのが難しいといえます。実話の映画化には、「現実に対する評価」と向き合う必要が生まれるためです。それがどこまで真実を描き切っているのか。またどれだけ正当な評価であるのか。どれだけのヴァイアスがかかって描かれていることに、見る側はどこまでそれを認知しながら見ることができているのか。こうした点で、大きな難しさを伴うことは避けられません。


話が少し逸れますが、私がこの映画の映画評を書く前に、実はだいぶ前にみた「実尾島(シルミド)」という韓国映画の映画評を途中まで書き上げていました。でも途中で、この映画の評価がかなり難しいことに気がつきました。なんせ、この映画は実話であり、かつその中身にかなりの真偽の問題点があること(各機関による調査の前に公開したため、社会的認知と検証、映画化といったものが順番が逆になった)、また、この映画の実話の延長線上にある「根本的な問題」である南北朝鮮の分断問題は「現在進行形」であることがその理由です。ちなみに、私の指導教授はこの映画を見て「韓国に危機意識が感じられない」とばっさり切ってしました(笑)なお「実尾島(シルミド)」については、またの機会に触れたいと思います。


話を戻すと、本作の場合、「基本的に終わったこと」に対する評価であり、相当の資料が残っていることもあるようで、かつスタッフ・出演陣は実際にダブリンで関係者と直に面会し、かつ撮影も現地で行い、また長期間滞在したようで、相当真実に近いものといえるでしょう。


真実を追うことの意義


ただ、難しい部分が、ヴェロニカ・ゲリン彼女そのものの生き様に対する評価といえます。この映画は、結局彼女が最期を迎えたことを契機に、アイルランド社会における麻薬犯罪とそれを取り巻く社会に変化が起きたことを指摘しつつ、彼女を神格化するかしないかの微妙なところで映画を終えています。結局、この映画ではヴェロニカを「聖者」として捉えたかったのか、それは微妙な点で分かりかねます。ただ、この映画を見て、彼女のことを聖者であったと感動し、彼女は凄い人だったのだね、ということで見る側が見終えてしまっては、あまりこの映画の意味は少なかったといえるかもしれません。


実話を追うことは、その教訓を提示することがなければ不十分に思えます。それこそは、映画を描く側の主観に基づく部分があるかもしれませんが、そここそ、映画の描き手の「能力」を発揮する部分でしょう。そうでなければ、単なる伝記の映画化に終わると思え、その意義は減るのではないかと思います。あとは、映像の「小手先」の技術を多用することに終わるだけでしょう。


この映画は見ていると、実際に短い映画ではあるものの、その実際の時間以上に、早く終わる印象を受けます。それは、映画冒頭の仕掛けがその理由としてあるのでしょうが、その仕掛けのせいか、映画中、ずっと緊張感を持って映画を見る羽目になります。ただ、そうした映画の手法は、この映画に書かれるべきであった本質的なものではありません。緊張感を感じるだけなら、アクション映画で十分です(苦笑)


確かに、彼女の悲劇がとても哀しいことであることは確かであるものの、この映画からは、より彼女の意思がどのように生かされたのか。意思がどのように残されたのか。そういったことをより描く必要もあったと感じます。その不十分さが惜しくてなりません。結局、聖者としてのヴェロニカ・ゲリンを描くに終始してしまったとするならば、それが映画の主題だったとはいえ、この映画は「ヴェロニカ・ゲリン」の「入門編」に終わってしまったといえるかもしれません。それを特に感じたのは、次のこともあったためでした。


映画で描ききれなかったことに対する不満

なぜ、彼女はあそこまでして、麻薬社会との戦いに挑んだのか・・・それが映画を見おわって、横になった中で思い浮かんでは、なんとも理解できないものでした。この映画をそのまま見た場合、彼女の生き様に感動した、そう感動するのが一般的でしょうが、本来ならば、もっと彼女がああした己の行動の選択をした「根本的な理由」が描かれるべきでした。そして、そこからは彼女の選択に対する共感と反対の感動が入り乱れるように促されるべきでした。しかしながら、本作では彼女のああした己の行動に対する、その信念の「根源」が何であったか、それが十分に描かれたとは言えません。映画の一節で、彼女が幼少時に「男に負けたくない」という気性から、あるスポーツに取り組んでいた部分を描いてありましたが、それが理由だったのでしょうか・・・どうも釈然としません。ヴェロニカ・ゲリン自身が当初新聞社で働く以前、全く違う仕事をしていた中から、ジャーナリズムの世界に傾倒した理由を描けなかった。結局、こうした部分でも、ヴェロニカ・ゲリンの表面的な部分しか追いきれなかった。そんな印象がどうしても残るのです。


こうした感想を持ったわけで、私は結局図書館でヴェロニカ・ゲリンに関する本を借りてこようと思っています。本作は「入門編」と思えますので、どうも消化不良ですから・・・それゆえに、今回の作品は、星は☆☆☆(五つ満点)です。


うーん、もったいない!

近況と、わたしが住む町について。

先日の記事で書いたとおり、相変わらず忙しく、また色々な意味で整理がついていないため、ブログの更新をしていません。いや、少し記事を書いては、書き終わることができず、どんどん溜まっていくばかり。今では、映画、漫画、蹴球、政治、個人的な話などのジャンルの記事が作成中のままになってしまって、お蔵入り間近になりつつあります。いつか書くつもりでいても、よっぽど余裕が無ければ書き終えることが出来なさそうなものばかりです・・・そうしてると、東アジアサッカー選手権が始まって、さっそく『ありえない負け方』をしました。コンフェデ・ユース考察を書き終えないと、東アジアなんて書けないんですが・・・こうしてまた一つ、蹴球の記事がストックされていくのでしょう・・・あぁ、久しぶり、じっくりとサッカーの記事も書きたいものです。


ところで、結局、この夏に見たいと言った映画 は、いずれも見ていません。結局、映画館でも見なくても良いかなというのを否めない映画をセレクトしていたわけですから、よっぽど遊びに行く気分でもない限り、見になんていけません。しかも、私が住んでいる町は、映画館が「クソ遠い」のです・・・電車がないというのは関係者の方ならご存知かと思いますが(もうすぐ開通)、足は車がなければバスのみ。そんな状況下で、この町の映画館は、バス停を見事に避けた?ところに立地しています・・・。以前は、町の中心部にある某デパート内にあったらしいのですが、閉館したとのこと。この町の人間は映画文化ってものを知らないのかしら(怒)結局、この町で映画を見るのは、隣町まで行かねばならず、映画狂の私にとってはかなりの苦痛を強いる町といえます。


そんな訳で、結局、映画を見るにはビデオ屋へ行かねばならないのです。私が以前住んでいた埼玉県某所はビデオ屋が町に一軒立つのみ。それでも少し電車に乗れば映画館なんてゴロゴロしていた訳ですが、今住む町はビデオ屋が二桁に近いほどあるという強みがあります。「ところが」、その半数以上が「大人」向けのビデオ屋。店舗軒先から「AV専門店」とか「大人のビデオ、大量入荷」とか「アダルト、あります」とか、この「学生・研究者の街」であるはずの町のビデオ屋に書かれなくても良いような看板を出しています。そんなこんなで、結局、普通の(TSU○AYAみたいな)ビデオ屋は2軒しか見つかりませんでした・・・。


最近忙しいとしても、さすがに24時間ぎっちり動けているわけじゃありません。だから少しだけ御褒美程度に映画を見る時間を自分に与えないとやっていけないと思って、ビデオ屋の会員になりました(上の2軒のうちの1軒ですよ。決して、大人のビデオ大量入荷のお店の会員じゃありませんから。)。旧作なら1週間100円の日というのがあるようなので、早速3本借りてみました。それらは、社会派といえるもので、国際政治の先生から勧められた作品も入っています(映画から政治のメカニズムを感じとることもかなり有用なことです)。さすがに忙しい中で、娯楽作品は見る余裕が生まれませんでした。チュドーーン、わーい、っていう気分じゃありませんからね(といっても、結局娯楽作は数作借りるわけですが)。


ところで、話が少し逸れますが、旧作100円というのは、実は、かなり回転率(貸し出しの回数)が無いと経営上、かなりの負担になることは、昔、4年ほど大手レンタルビデオ屋でアルバイトをしていた自分の経験から凄く分かることなのですが、このお店、毎週一度100円の日を設定しているところを見ると全ビデオの回転率が相当高いお店なのでしょう。まぁ、ビデオ屋以外に、思いつく娯楽という娯楽(or文化)が無い町ですから、それも理解できましょうか・・・。ちなみに、この街にはろくに本屋もございません。学園都市にしては、かなりの意外性ともいえます。一方で、古本屋が妙に充実しているのも奇妙なコンストラストです。学校で不要になったら売る。まぁ理解できる一方で、本への愛着心もないかのごとく感じもします。先日実家に帰った際に気がついたのですが、そもそも最近では、街の本屋という存在自体が減っている傾向にあるようです。インターネットでさくっと購入できる時代になったからなのでしょうが、本屋に行って、本を手にとって、少し眺めること、それ自体が本選びだとかに重要なことだと思うのですがね。なんか、寂しい気もします。


さて、今回借りたビデオについて、これから3回に亘って、その映画評をしたいと思います。まぁ、他の記事が溜まる一方ですから、いつのことになるやらと思いますが、このビデオ評については近いうちに、短めに書くつもりです。では、また。

仕事帰りに一杯①

新シリーズ 仕事帰りに一杯 ① シリンゴル編


映画の話や、サッカーの話、他にまたまだ整理がついてない

話などがありますし、昨日から6カ国協議が始まったので、その

ことも少し書いてみたりしたのですが、今日は少し気持ちを

切り替える意味もあって、珍しく「食」について、書きたいと思います。


私がブログ更新怠っている間に、学校関連の学会があったことを

少しだけ触れましたが、その懇親会(学会分派の懇親会笑)で、

ある国の料理を食べに行きました。


それはモンゴル料理

場所は巣鴨にある「シリンゴル」というお店です。


siri


巣鴨の住宅地の中にあり、偶然見つけるようなお店と

いえるかもしれません。軒先がとても可愛いですよ。


私は同じゼミの先生や友人らに遅れてお店に行ったの

ですが、お店でまず出てきた(もしくはオーダーしてたのか?)

のがこのお酒。やっぱ料理の食前酒は大事ですよね。


siri3


最初に出てきたのはこの馬乳酒です。

のちのち調べてみたところ「アイラグ」というお酒のよう。

アルコール度は2度と、ほとんどお酒という感覚は

ありませんが、すっごく濃厚!塩っけ?が少々するから

最初の一口目は、あまり口に合わないって思う人も

いるかもしれないけれど、意外と食事してる間に

口にあってくるんです(笑)


siri2


一緒に出てくる、おつまみみたいな感じな、これらの

パンなどを食べていきます。あと蒸し餃子も食べて、

そのあとに出てきたのが・・・


siri4


羊肉です!癖があるからニガテって人もいるかもしれませんが、

そのままでもかなりいけるし、付いて出てくるニンニク醤油?の

タレにつけても美味しかったです。骨に肉がついたまま出てくるので

その肉をナイフで「そぐ」のも面白みの一つかも。ちなみに、先に

書いた餃子も羊のお肉が使われているようです。ニガテな人でも

羊肉を試してみる良い機会かもしれません。


おっと、食事にお酒を忘れてはなりませぬ。

次に頼んだのが、モンゴルビール「チンギスビール」。


chingis beer


私たちが頼んだのはジョッキではなく、缶でした。

缶も、また色々な国の風情みたいなのを感じることが

出来るので、友だちがいなかったら、持って帰ったな(笑)

まぁ、絶対ゴミになって、後で困るのだけれど・・・(苦笑)

ビンは無いのかな?ビンは、集めてみたいとは思いますが、

それこそゴミ集めしてるみたいになるだろうか・・・


うぉっか


ちなみに、↑チンギスハーンウォッカというのもあるらしいです。

今回は「懇親会」だったので、こうした挑戦的・挑発的な飲酒は

控えましたが、今度試してみたいものです・・・。



なお、このお店では毎日プロによる「馬頭琴」の演奏を聞くことが

できます。馬頭琴を知ってますか?「スーホの白い馬」という物語を

小学校の教科書で読んだことがある人は聞き覚えがあるでしょう。

あの切なく哀しくも、亡くした存在を忘れないこと、そうした印象を

強く残すあのお話。覚えていらっしゃる方も多くいるはずです。


今回初めて馬頭琴の音色を聞いた自分ですが、席が演奏の目の前

だったこともあって、凄く良かった!!すっごくココロに響きます!

それもスーホのおかげです!(そりゃ、目の前で聞いたし当然か。

というか、音楽よく知らないから大した感想を書くことはできませんこと、

ご承知ください・・・)とにかく、とてもやさしく体に響く音色ですよ。


batouikin


ちなみに、予算は4000~6000円程度です。

お店はあまり広くないので、ネットで検索して、電話予約する

のがお薦めかと思います。通ではかなり知られていて、

満席間違い無しのお店のようでしたから。


今日は、こんな感じで、食のお話でした。

馬頭琴を聞きにいくというだけでも価値のある「シリンゴル」。

機会あれば、皆さんも是非行ってみてください。