小さなころの記憶。大人になってからの現実。
映画な生活 番外編 漫画の巻
漫画のススメ①
『小さなころの記憶。大人になってからの現実。--20th century boys』
小さい頃に、今住んでいるここで博覧会(万博と書かなかった理由は、文末注参照してけれ)があった時、私はその博覧会を訪れた。そのときは20年後にまさかここに再び来るとは思わなかった。それくらいしか興味なかったこの町に再び来て、早6ヶ月になる。
ちなみに、その20年前の記憶、つまり6歳の頃の記憶は、リニアモーターカーにのった一瞬のことしかない。でもそれから4年近く経った後の11歳の頃の横浜博よりも、ここに来た時の方が印象は強い。記憶にはほとんど残っていないけれど、ここでの博覧会のかすかな記憶の印象は、それは強く残っている。そう、本当に小さな頃に、博覧会は確かに夢の世界だった。
(・・・写真探したが、白黒しか見つからず・・・)
(まるであまりに古い話しみたいで嫌だ・・・)
その後、89年には横浜の埋立地で横浜博、96年には東京の埋立地で世界都市博という企画があった。後者の『都市博は臨海開発の起爆剤』(鈴木元都知事)とかいう当時の都知事の発言もあったけれど、その後、今の世代なら青島といえば『踊るの青島』だが、昔の世代にとっての『意地悪ばあさんの青島』の決定で中止になった(それこそ、まさしく、青島つながりのお台場ですね)。バブル崩壊を迎えた当時、万博は必ずしも経済的な効果を得るとは思えない、そんな考え方も大勢と占めていたような記憶がある。恐らく、公共投資のようなものに対する反発も増え始めていたころだったんだろう。
(都市博跡地?のその後)
お台場のその後は、もはや説明もいらないだろう。最も良い参考文献?みたいなものは、私が言うまでもなく、踊る~だろう。お台場は日々進化しているんだ、そんな台詞があったような気がする(確かMovie2)
(横浜博のその後)
準地元である横浜の方(というと、絶対あいつから「お前の地元は違うだろ」って反論がくる)については小さいころからよく言っていたので、記憶も多く残っている。万博が終わった直後は、人の姿もかなり絶望視までいかないにしても、あまり無かったことから「あぁ、これからが謎だねぇ」って感じの失望感はあった。でも今や、万博跡地は、みなとみらい地区として、綺麗な町並みに仕上がった。ワールドポーターズも出来たりするなど、それなりに人が集まる場所となってきている。特にカップルの姿も多い=これこそ進化したと言うべきか(笑)
それから10年ほど立って、ご存知、愛地球博が愛知で開かれた。日本で行なわれた万博の入場者数は地球博(愛知)で更新されたらしい。さつきとメイの家効果なのか、キリゾーとモロッコ(キリッコとモリゾーだっけ??)効果なのか、とにかく万博もまだ一時代を風靡(この言葉、死語か?)しているのかしら。
ところで、私たちの数世代前にとっての万博とは、つくばでも横浜でも愛知でもなく、確実にこの万博だろう(ちなみに、俺の世代ではないことを強調しておきたい。なお、つくばや横浜は正確には万博ではない)。
こんにちは、こんにちは~♪(by Haruo Minami)の『大阪万博』だ。当時、子どもだった人たちも、自分がつくばで抱いたような「夢」を抱いたのかもしれない。
いつもながら、だいぶ長い前置きになったが、今日は、今住んでいる地であった博覧会の記憶をキッカケに、ある漫画を紹介したいと思う。
大阪万博へ行き、夢を抱き、そしてその夢を自ら叶えようとしたある「子どもたち」とその後成長した彼らの、あるお話を描いた、この漫画である。
-
- 浦沢 直樹
- 20世紀少年―本格科学冒険漫画 (1)
ご存知の方も多いだろう、「Yawara」などで有名な浦沢直樹の漫画だ。この漫画、19巻あたりまで行ったと思うが、実はまだ終わっていない。
この漫画、かなり深い・・・というか、かなり深すぎる・・・(たぶん、単純明快な漫画が好きな人は好まない・・・)。とにかく元々、浦沢のプロット作りはかなり洗練されたもの(彼は漫画書く前にあらすじを完全にするタイプと聞く)だけれど、この漫画もまた浦沢流プロットの洗練さが光る漫画だ。
過去の浦沢作品は、初期の「Yawara」、「Happy!」などは「スポーツと恋愛の両方で夢を達成しようとする主人公モノ」、続く「Masterキートン」は「自分の生き方、その夢と現実との葛藤の中で夢を達成しようとする主人公モノ」という、ある程度共通したテーマを経てきた(「Masterキートン」については後日また書いてみたい)。だが、彼の漫画の空気感は「Yawara」や「Happy」の青春調から、「Masterキートン」からややシリアス・ミステリー調が出てきて、ついには「Monster」でそのシリアス・ミステリー調は頂点へと達する。
シリアス・ミステリー調の頂点に達した「Monster」にも「20世紀少年」にも通じるテーマは「おぼろげな過去の記憶と真実の間にある謎解き/主人公と、主人公に影響を受けた“モンスター”」ということだろう。そして、それら二つは過去の漫画にない、複雑なプロットを持つ漫画となった。
ただし、「Monster」と「20世紀少年」が違う部分がある。それは主人公に特異的で専門的な力が備わっていた(「Yawara」は柔道家、「Happy」はテニスプレーヤー、「Monster」は医者)ことに比べ、「20世紀少年」の主人公は「ただの人、ふつうの男」だってことだ。
そんな「ふつうの人」を主人公に据えたこの漫画は、冒頭、ただのオカルト宗教漫画なのかなと感じる低調な始まりだった。だがそれは誤った見方だった。そう、その話の深さにただただ驚嘆するものだったのだ。
・・・・・
本作は、「あの頃、万博は夢の世界だった」と思い、未来を自由に描いていた「子どもたち」の話と、その後成長し現実に向き合わざるえなくなっていた「大人たち」の話の、二つの軸で進行していく。
子どものころ、未来を自由に描いていた・・・
たぶん21世紀は・・・
筒状の道路の中を、車や列車が浮かんで走っている・・・
ビーム銃みたいなものもある・・・
ロケットが飛び交っている・・・
・・・この感覚は、多くは20世紀を、80年台までを子どもとして過ごした人には分かる感覚なのかもしれない。子どものころの忘れかけた記憶、子どものころの夢、21世紀という夢尽きぬ世界、秘密基地とかいった原風景がそこには広がっている。
そして多くは大人になってから気付く。子どものころの夢とは違う現実に。でも違う流れも存在する。その夢・理想を「実現」させようとする流れも・・・ある流れは極端に「曲がった」形へと流れていく・・・
オカルト宗教から、その宗教と子どものころの記憶の繋がり、そこから繋がる『ともだち』という言葉と、『ともだち』という謎の「モンスター」の出現・・・そして長い40年近い話を描くストーリー・・・
・・・・・
かなり荒唐無稽、現実離れしたストーリーの漫画のようにも思えるところは多い。浦沢自身、題名に「科学冒険漫画」と銘打っているが、その「科学」という言葉とは少し離れていることも浦沢はわかっているはず。でも「有り得るかもしれない」とも思ってしまうところが数多い。
それは無いだろ、と感じるところにはやはりボロが存在する。人間の夢って現実という壁にぶちあたることは多いし、出来た出来た!といっても、それ自体は「はりぼて」な時がかなり多い。
「俺が子どものころ、夢描いていたのはこんなもんじゃない」
ある時、そうつぶやく主人公の台詞がそれを表わしているように、人間は完璧に何もかも出来る、神を超越した存在になんかなれない、だからボロが出る。
そうした人間の不完全性をリアリティ節々に描いているからこそ、この漫画で描かれていることは「有り得るかもしれない」と感じさせる。そして同時に、人間は不完全さだらけだけれど、夢を描くからこそ頑張れるんだ、そういう意味でのリアリティも同時に感じられる漫画でもある。
つまり、社会は「恐怖と希望」の二つで成り立っている、そうしたリアリティに溢れる漫画なのだ。
漫画で大きなキーワードとなるのは、70年の万博だ。夢を持つこと、子どものころの記憶、そうしたことを振り返ってみるキッカケになる漫画としても、凄く面白く、よく出来た作品と感じる。
まだ完結していない漫画だし、原作でもいつ終わるんだって感じだ(そろそろって感も出始めている)が、でも19巻もある。今からでも読み始めることをお薦めしたい。
ただし、この漫画には注意が必要だ。いや、この漫画というより、最近の浦沢漫画に共通したことかもしれない。それは、「Monster」といい「20世紀少年」といい、これらを読破するのは、それはそれはかなりの体力が必要だ・・・論文を読破するくらいの・・・「Monster」は原作(雑誌)で読んでても意味が分からず、結局、単行本で読み直したくらいだ(笑)また最近の浦沢漫画は・・・お休みが多い・・・他の漫画(現在は「Pluto」・・・これについても後日記事書く予定)を並行して書いているかららしいが、とにかく原作の雑誌では平気に「2週間お休みします」のオンパレードだ・・・果たしてこの漫画、いつ終わらせる気なんだろうか・・・周囲の友だちには多くの挫折者も多い・・・浦沢さん、そろそろめぼしつけてください。でもお願いですから、謎は全て解いてください(笑)
(注)
博覧会も色々あるらしい。総称を国際博覧会とも万国博覧会ともいう。ただ、そうした博覧会の中でも、国家がBIE(国際博覧会条約)というのに申請して、国家が中心に行なうのが『EXPOと呼ばれる万博』のようだ。ちなみに、日本での博覧会のうち、大阪・沖縄・つくば・愛知(開催順)がこのBIE条約に申請した博覧会で、うち万博(加盟国が参加し、総合的な意味のある万国博覧会)と呼ばれたのが大阪と愛知で、他ふたつは科学博・海洋博とそれぞれ呼ばれている。そういう訳で、横浜博や、中止に至った都市博はこれに該等しない=万博ではないらしい。なんか、定義がややこしくて、一応調べたが、やっぱややこしいので、この程度で・・・。
もり様ぁぁぁぁぁぁ・・・・って、ぁあ?!その面は・・・!!
とぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・・・・・・・・・っても行きたかった。
俺がこんな風に思うものは他にはワールドカップくらいだろう。
今日、映画音楽の巨匠と呼ばれるイタリア人のEnnio.Morriconeのコンサートが都内であった。Morricone・・・もう80いくつかの大御所・・・去年も来日したけれど、さすがに今回こそが最後の来日になるかもしれない。今回はゲストにハカセタロウなど出演するなど、去年以上のゲストを招聘していたが、なかなかチケット販売の伸びは悪かったようで、TBSの深夜では延々とコンサートのCMを流し続けていた。そう、そして、私の足は、東京国際フォーラムに向くはずだった・・・
が、いけなかった・・・今月は学費払ってしまったため財布はすっかり空っぽ。そんな訳でコンサートを行くのを断念し、泣く泣く心もスッカラカンの私はモリコーネの曲をパソコンで流していた。
そしたら、俺の代わりに、俺の同郷の奴が行ってくれてたらしいことを耳にした。小さいころからその同郷の奴の顔はよく見てた。そいつの仕事の事務所が俺の家の近くにあったからだ。そんで、俺が留学したときも、その同郷の奴と偶然ソウルのサッカースタジアムで再会したりしたこともあった・・・確かそのときはお前の飛ばした下らんギャグに失笑した俺が偶然テレビに映ってしまったんだっけ・・・。と、まぁそんな風に、何かと縁のある、そいつがモリコーネのコンサートに行った・・・とテレビのニュースで知った・・・
そいつの写真が、これ・・・ ↓
お前、公務しろっちゅうねん。
お前、完全に舞いあがっとるやろ?
お前、盟友Bushと会う時より嬉しそうやで?
今もテレビつけていたら、ニュースで、モリコーネと対面する小泉が「私はあなたのCD全部持ってるんですよぉ」とか言ってやがる。けっ、お前絶対タダ見だろぉが・・・(さすがに違うか)。ともかく公権力使って良い席で見やがって(それだけは事実だろう)・・・で、でもな、どうせ・・・東京国際フォーラムHall Aの音響はあまりよくないんだぜ?・・・って、負け犬の遠吠え、しょうもなく、くだらない妬みを感じていたりしている私って何・・・
でも考えてみると、彼もまた恐らくは激務であった選挙後の癒しが欲しかったのかもしれん。そんな一環なのか、選挙後に気持ちが少し柔らいだのか、彼は、いつの間にか、こんなのを出していやがった・・・
- 『 エンニオ・モリコーネ, ガストーネ・キアリーニ
- 私の大好きなモリコーネ・ミュージック~小泉純一郎選曲チャリティ・アルバム 』
・・・どうやら、モリコーネ好きは本物らしい・・・。
ただ、そんな行動に対して、民主党の議員がこの事実に「ちょっといかがなものか」みたいな批判をしたらしい。だが、まぁ余興だ、許そうじゃないか、これくらい。でも、もし自民党が選挙で負けていたら、このCDどうするつもりだったんだろう・・・モリコーネのコンサート見に行くのも気が気じゃなかったろうし、小泉選曲って、選挙で負けていたら逆効果になったろうに・・・先の選挙の小泉旋風同様、果たしてこれ、売れるのだろうか。正直、謎だ・・・
ちなみに、今回のコンサートは日本で大阪と東京と二箇所で公演したのだが、日本に来る前に実は韓国で公演する予定だった・・・だった、そう、予定に過ぎなくなった。韓国公演の主催プロダクションが準備不足と資金不足のためにリハーサル用の公演会場を押えられなかったことに端を発して、モリコーネ側が出演を断ったのだ。ところがその事実に関して、韓国の新聞が書いた記事のタイトルがこれ・・・
『モリコーネ、公演をドタキャン』
・・・いやいやいや、悪いのは、お前ら(韓国側)だろ、って(笑)。
まぁ、そんな訳でというかどんな訳か知らんが、次回のブログに書くのは、このEnnnio.Morriconeに関するお話。
追伸:
もり様、来年も、どうか来日してください。
一生のお願いですから(10回目くらい)。
感じるとき。
ヒントは・・・これについてだ。⇒
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歳をとったのだな、と思うときがある。歳をとった、のではなく、若くはなくなった、ということなのかもしれない。
・・・え、同じ意味だって?・・・うるさい。
特にそれを感じる時が二つほどある。一つは、酒。一つは、睡眠だ。
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酒・・・そう、もともとそこそこ飲める口だった。
だが、韓国に行った頃はそこそこどころか、酒豪というくらい、飲みまくるようになった。日々飲む生活。何の因果か、先生と朝まで飲んで、そのまま学校行って、その先生の授業を1時間目から受けたこともあった。ちなみに、その先生は途中から「気持ち悪い」って言い出して、授業放棄し、学生にはビデオを見せはじめた。当然、先生と俺は寝ていたのは言うまでもない。時には、ソジュという韓国の焼酎を4本飲んだり、時にはビールを5リットル(ピッチャーでくるので、どれだけの量飲んだかが分かる)飲んだこともあった。ソジュを4本飲んだ日は、タクシー拾ってから、寮までの30分、どんな道を通って寮まで戻ったかすら覚えていない。恐らくムダな遠回りされてボラレタはずだ、気がついたら寮の前で寝ていた。数十分か数時間か分からないが、その後は寮が門限で閉まっていたにも関わらず、自分たちは強制的に門を開けようと試みて叫んでいた(らしい)。結局、寮のおじさんが起きて、ブチ切れつつ門を開けてくれた(らしい)が、俺が「まぁいいじゃん」って日本語でおじさんに言いながら、おじさんにハグしようとした(らしい)。おかげで、おじさんが(より)日本人嫌いになったとかいう噂が出ていた。そう、らしい、ばかりで、何も覚えていない。全部友だちから聞いた。それくらい飲む毎日が続いた。アルコールを体が欲していたわけじゃないが、単純に韓国での生活の一部が「酒」だったのは事実だった。そういうことだ。
だが日本に帰ってきたからというものの、あまり飲まなくなった。できれば避けたいとすら思うようになった。結局、帰ってきて以来、飲んだなぁって思うことは、ほとんどないかと思う。むしろ飲むと、少しアルコールの分解が悪いときが多い。私は誓っても絶対戻さないタチだが、頭痛のひどさは、昔以上にあるようになった。そうして、あぁ、自分若くなくなったのかなって思うようになった。
・・・・・
酒と同様に、睡眠もまた歳を感じさせる。
一年生のころ・・・もう、6年も前のことになるだろうか。大学の学部内で懸賞論文があって、その論文を3日で書き上げた。締め切りまで残り少ない中で書き始めたための自業自得な作業だった。3万字以上という論文の決まりがあったから、当然、その3日間寝ずに書きまくった。手書きで書いた、そここそ「書き下ろし」論文でもあったため(当時はWORDの使い方がよく分からなかった・・・笑)、今思えば、あの論文が人生史上、最悪で最低の出来の論文だったことは想像し難くない(一切、赤入れしていない)。ただ結果としてはその論文が通って、奨学金と韓国研修のタダ券を手に入れれたのが今の自分に繋がっている。そんなことを考えると、あの3日徹夜は、人生において、かなり大きかった徹夜だったのだろうか。そう、とにかく、あの頃は3日徹夜が出来たもんだった。徹夜はカラダに悪いと聞くが、時にこうして必要なときだってあるのだ。
2002年12月、韓国にいたころ、ある日韓合同のシンポジウムの事務方・調整役をする機会があった。そのときも数日徹夜をしたこともあった。しかも風邪をひきながらのものだった。だが、マイナス温度を記録するソウルの街中で、そんな活動していてもなお倒れることなく、結局何とか乗り切ったものだった。
最近はどうだろう。あの頃よりも勉強をよくするようになった(笑)研究もまた、体力との闘いだ。夜な夜な、朝から論文を読んだり議論をしたりする。学会に行けば、全体会議など含めて、朝から夜まであることだってある。
ところがどうか。徹夜が出来ない・・・いや、出来る。でも昔と何か違う。正直言えば、昔みたいに3日なんて出来ず、正直1日が限度だ。よくレポートなどで徹夜をすることがあるが、その後に昔みたいな「保ち方」がない・・・
昨晩徹夜をしたときのが良い例だ。徹夜開始・・・つまり前に起きた時間から39時間経ったころ(今回ちょっとカウントしてみた)、急にめまいがした。ぐらぐらしはじめた。モノは見えるが、視線がというより、「脳みその中」がグラングランしてるようだった。当然、ベッドに横になったが、めまいみたいなものが止まらない。気持ち悪い気持ち悪い・・・そんなことを考えているうちに、自然と深い眠りに落ちてしまった。
昔、徹夜の逆で「寝まくった」ことがある。それも28時間、丸一日と4時間、つまり3日を跨いだことになる。もちろん睡眠を続けることは不可能で、時々起きて目を開けたことはあったり、トイレは何度か行ったが、それ以外はそのまま横になりつづけては、即寝た(何故か寝れた)。
そんなに眠れたのには理由があった。前日、その前の月に彼女(当時)と修羅場を迎えて廃人と化していた自分(廃人と化していたのも当時)は、何かを忘れんがために家でビデオを見まくっていた。結局、3本連続制覇したわけだが、3本×2時間=計6時間強。はっきり言って、これやると、かなりの精神崩壊来たす(笑)映画の種類にも当然よるのだが、3本目に見たのがイギリスの異質な映画で有名なとある巨匠のコアな映画だったので、それがあまりにショックが大きかったのだろう、自分の精神すら異質化していた・・・いや、実は、4本目を挑戦しようとしていた。それでそのとき手にしたのが「レオン」のL.ベッソンがメガホンを取った「アトランティス」という映画だった。それは音楽が流れ続けて、海の動物を映している、ただそれだけの映画・・・言い換えれば、ヒーリング・ムービーみたいなもんだ(笑)。綺麗な映像を見たいがために借りたものの、それは想像とおり、そのまま「眠りの世界へのチケット」となってしまった。太陽の光が差し込んで蒼く澄んだ海面近くの青色と、深く底の見えない漆黒が続く世界。疲れ果てていた自分は太陽の光を求めるまでもなく、その深く底の見えない漆黒の世界へ落ちていったかの如く、映画再生もそのままにして布団にもぐりこみ、2日後まで起きることはなかった。
恐らく、今はもうそれは出来ない。実に、寝るのにも体力使うからだ。最近は寝なくて体が辛い時もあるが、だからといって寝ようと思っても、寝すぎることはさほどないし、それが出来ない。4、5時間程度で起きてしまうのが常になりつつある。だが睡眠不足に違いは無い。当然昼間眠く感じる毎日だ。
今、夜な夜な「24」が放映されている。たまに見てしまっている自分がいるが、よく思う。さっさと24時間放映しろよと。それで時に思う。24時間ぶっ続けで見た方が良いよな、と。友だちで後輩のT・Eはそれを実行したと聞く。俺もやってやろうじゃないかと思ったりもする。
でも今日はさすがに思った。俺は出来ない。恐らく、主人公ジャック・バウアー以上に俺が疲労困憊で、バウアーが撃たれようが麻薬中毒になっていようが娘に彼氏が出来ていようが、結局最後までしっかり立ち続けているのにも関わらず、俺は何もなくとも24時間後には倒れているかもしれない。・・・バウアー、恐るべし。そう思って、私は実はジャック・バウアーより老いてしまったのではないか、とか感じてしまったりもするわけだ・・・。
・・・・・・・・・・
走ったり筋トレしたりすれば、こんな老いも感じなくなるのだろうか。
そうだ、 その宿題は、半年後にこの場を使って自問自答してみたい。
・・・
・・・ってか、半年後、覚えてますように。呆けてませんように・・・。
再会。
先週末、熊(旧帝国大)と同期の韓国人の留学生とともに、日本政治学会と韓国政治学会の共同主催する日韓関係の会議に参加した。そのレポートは作成中なので、後日公開予定する予定だ(予告映画の記事も)。今日はその話ではなく、学会の帰りに再会した、ある本のお話を少々。
そう、前回の記事で少々記述した、懐かしき童話「エルマーとりゅう」の英語版だ。つい先日、書店で日本語版を見かけたのをキッカケに、3巻シリーズ全部買おうかと思っていた。だが、聞くに英語版の英語は難しくない表現なので、それなら気軽な読み物として英語版を買おうと思い直していたのだった。最近は韓国語や英語の研究文献だけ見るような、硬く苦しい生活・・・。たまには童話も良いってもんだろう。
さて、そんな気持ちのもと、今回買ったのが上の本だ。学会の帰りの閉店間際(否、9時のチャイム鳴ったところで入った)の新宿紀伊国屋本店に入って、この本を探そうとした私に、店員が一人近づいてきて「一緒に探します」と言ってくれた。結局、お言葉に甘えたのだが、「めちゃめちゃ傍目から新入店員(アルバイト?社員?)と認識できた」店員さんは、それもまた「一生懸命に慣れなさげに」パソコンを使ってカチカチ検索し、この本を結局7階まで探しに行ってくれた。うがった見方かもしれないが、おそらく、そうした優しさの裏側には「閉店間際に来るとは、なんつう客だ、てやんでぇ。おめぇ、さっさとけぇれ」っていう気持ちもあったのかもしれない・・・。
とにかく、私のわがままに付き合ってくれて、ありがとうよ、紀伊国屋さんと思った。有難かったので、一応ここでその事実を宣伝しておいてあげたい。次回からはAmazoness.comなんて出来る限り使わないようにするからさ。
まぁ、とにかくそんな訳で「再会」したわけだ。
『えるまー、久しぶり!!』と。
そんなことを感じながらいた矢先、読んでみて早々、どうぶつ島を後にしたという記述から始まるの読んで、これはどうやら、自分は基本的なミス・・・凡ミスを犯したようだと気がつく。そう、今回買った「エルマーとりゅう」は、エルマーシリーズの2作目だったのだ・・・。本当の1作目、つまり「エルマーのぼうけん」を買わなきゃいけなかったのに、昔の記憶が定かでなく、これが1作目だったかなぁと迷いながらも、焦って勘違いしてしまった。やはり閉店間際の本屋での本探しはダメなことだったようだ。やっぱ紀伊国屋は使えない・・・と言い訳もしたいところだが、自分のミス(苦笑)。早速、読みはじめるか、1作目を探す旅に出るか、迷い始めてしまった・・・。
しかも、本当は絵本のような大きさのものを買いたかったのだが、最近講談社から文庫シリーズが出たようで、その結果、今回手に入ったのは文庫だった。絵本サイズだと、その重すぎず軽すぎずという、良い具合の重厚感があったのだが、手に入ったのは文庫・・・どうも軽すぎる・・・そのことも、何か少し微妙さに追い討ちをかけてしまう。
でも久しぶりの出会い、とりあえず読んでみよう。
それにしても、この本の表紙や挿絵は、とても可愛い。そんな絵を書いたのは、原作者の母親とのこと。そんな本を手にしてみて思う、やっぱこの本の良さはそのストーリーとともに、その絵だと。あぁ、やっぱ懐かしさ満点な本だなぁ。そうやって、小さいころを思い出す。
本屋にて、昔を見る。
本屋で、昔を見た。
この前、日本外交のレポートのための本を買いに出かけた。その本もあまりそこいらじゃ売っていないし、たまたま横浜に出かけることがあったので、そのついでに横浜の紀伊国屋に買いに行った。
やっぱ紀伊国屋といいジュンク堂といい、デカイ本屋はとりあえず何でも揃ってる。全然目的とは関係ない映画の雑誌や専門書を、久しぶりに出来た暇で読みこんだ挙句(買えよ)、さぁ、目的の本を探しにいくかと思ったら、ふと隣に目をやると、ワンコーナー「ずーーーん」と占拠している「韓流」のコーナーと、筋肉隆々のヨンの写真集が貼られている光景がそこに広がる。そんなんを見て、少し下火になったと聞く韓流も、まだまだ人気強いのだなと、嫌々ながらも感心する。そんな光景はそんな今の時代の流れをしっかり表わしている。
さて、今回の目的の国際政治の本のコーナーを見ていると、指導教授の本があった。あぁ、確かに賞を取った本だし、そりゃこういうところには当然あるかと感心する。少し手にとってから棚に戻す。え、買わないの?って感じだろうが、実は買ってない。試験にも必要なのに買ってない(笑)本が絶版して、しばらくしてから文庫で出すという戦略を影で企んでいる魂胆を知っているからか、買えない(笑)ただ確かなことは、その本は、今の自分に一番身近な本だ。先生との関係上、一番、今の自分(の環境)を見る本だなと思える。
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そうやって色々な本を手にとって、すでに日本外交の本なんて忘れていたころに、ふと知ってる本の名前を見つける。恩師であるM・エロス先生の出した学術書だった。それも自分にとっては忘れられない本だったから感慨深げになる。なんせ、自分がタイトルつけて、表紙の構成(写真と構図まで・・・)を決めたのだから(笑)またその本の編集は、一緒に大学院浪人生活を送った仲間の仕事だったからだ(笑)M先生は「売れなかったら●●君のせいだからね」と言っていたが、恐らく売れてないのだろう・・・いくらミネルヴァ書房なんて、学術書でも比較的大手になってきた出版社で出そうとも、学術書なんて売れる本が少ないくらいで、ベストセラーになるなんて新書でも珍しいらしい。実際、出版社の知り合いに聞くと、本当に儲かる本って早々無いという。教科書的な本でたまにHitがあるくらいで、それも地道なものらしい。時には筆者が亡くなってから、ようやく良い利益を出す本すらあるのだろう。本気で売るなら、藤原帰一センセみたいに、質の良い学術書なのに少し文芸風味を出すような欲を表から出していかないと、学者って儲からないんだろうなぁとつくづく思う。確かに、どうりでM先生は「研究って、お金にならないよ。一般企業に勤める人からすれば、非生産的なのかもね・・・」と口にしてはばからないわけだ・・・それが学者人生の全てを物語っているように思えるし、これからそうした社会に出ようとしていたうちらにとっては強烈な爆弾発言なわけを口にする・・・。まぁそんなことも思い出す、その本は辛く甘い?大学院浪人生活を思い出す一冊だったのだ。
・・・・・・・・・・
あぁ、懐かしいなぁと思いながら、その本を見ていた時に、目線をふとしたに落とすと、友人の熊(東大)の指導教授らが作成した「国際協力学」という新しい概説書が棚にあった。あぁ、これがこれがぁとか感心して手に取ろうとした瞬間・・・その「国際協力学」の隣に、予想もしない本が3冊も同時に入った・・・昔所属したゼミで出した本だ・・・ってか、その「国際協力学」の隣に置いてあるなんて、畏れ多いことだ・・・
私がいたゼミでは本を過去6冊出していた。それらの本は、教育系や国際開発系の職種や学生にはそれなりに売れたらしい。確かに恩師の知らないところでJICAの雑誌でも紹介されるなど、あの恩師S先生が言うような荒唐無稽?な「売れてる」という発言以上に、実際にその影響はあったみたいだった。
その後に出した本はその3冊で、計9冊の本を出したことになる。別にS先生が有名じゃないのにも関わらず、そこのゼミ生が9冊もの本を出すのは珍しいほうだろう。そして自分はその最後の3冊、ここ10年のゼミでの国際協力研究の成果を論じた本3巻集に関わった。仕事は編集が主だったが、最後の1冊は、半分近く原稿執筆を受け持ったことになった。
本を作るのはかなりキツイ作業だ。原稿作りも枚数との調整もあるし、校正も3校まであったが、最後まで赤だらけだった。しかも今回の原稿では自分の原稿書きだけでなく、韓国人の論文の翻訳もあったため、その翻訳の責任もあるという難しいものもあった。またワードで作った文章も、校正段階になると実際本誌に載る状態で見ることができるのだが、そのときの印象といったら自分のイメージと違うのなんの・・・結構失望したもんだった。そうやって本を書くというのは、かなり疲労困憊になる作業だ。今の指導教授が「本を書く話が来ると、いつもからだを痛めつける。鼻から血が出る、天井がぐるぐる回る・・・」とか言うのも分からないわけでもない。実際、自分自身も幽体離脱状態があった気もしないでもない。
ところで実際、書店でその本を見つけたのは初めてだった。今回少しだけ立ち読みしてみた。本に本当に自分の名前が載っている・・・何か変な小恥ずかしい気持ちも感じつつも、少しばかり文章の荒さが気になって、そんな小恥ずかしさも忘れる。もうそれこそ幽体離脱状態で書いていたのだろうか(笑)校正でも直さなかったことに驚くばかりだ。
だが、実は、この本を自分は持っていないし、買ってもいない。なぜか。本の内容、つまりゼミの研究10年のうち、半分は、自分が関わった時期だ。つまりこの本は、大学生活のほとんどだと言っても過言じゃない(他はほとんどサークルの仲間との思い出だ)。そういう意味で、この本を見つけることは、昔を回顧することに繋がる。だが、自分のゼミの最後の時期については、S先生の志向と自分の考えが合わなくなった頃だった。だから本を書くだけ書いて、まとめるだけまとめて、出すだけ出すまではしたが、買う話が来たときには、やんわりと断ったし、今もまだすんなり読む気になれない。てぇか、筆者ですから、貰っても良いと思いますが・・・
ゼミで最初に出した6冊の本のいくつかは、世間からもウケがよかったし、私自身も必要度のそれなりにある本だったと思っている。だが、その後に出した3冊は、その必要度の高さは、分からない。そうした評価は、これから出るものだと思う。ただ、とにかくその本を見ると、昔のことを色々思い出すわけだ。
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本屋にある本はどんなものでもあれ、今を映しているし、人によっては昔を映していると感じる本に出会う。今回のような学術書やそれに準じた本であれ、たとえ小さな頃読んだ漫画や童話であれ、だ。だから本屋は面白いのかなと思う。あぁ、こんな本あったなぁとか思うことがある。こんなことあったなぁとか思うころもある。へぇ、こんな本も売っているんだぁと発見することもある。だからこそ、町の本屋さんって必要なのかなと思えてくる。
以前の記事で書いたことだが、確かに最近は町の本屋は減ってきて、Amazoness.comを筆頭としたネット本屋が主流になりつつある。だけれど、Amazon.comには無いような、町の本屋はこうした「自分の昔と今」を振り返る機会だって与えてくれるんじゃないか。恐らくネットがいくら普及しても、みんなが本屋に行くのには、そんなこともあるのかもしれない。今回のお出かけは、本屋の一つの楽しみ、そういう興味深い気付きがあった本屋へのお出かけだった。
・・・・・・・・・・
おまけ・・・下の3冊は、実は、とっても大好きな物語しりーず。
この本も、町の本屋で再会したしりーずの一つだった。
みんなも知ってるかな?
よく言われる「一度はすること」ということについて。
簡単そうで、難しいことって、たくさんある。
・・・・・・・・・・
周りは結婚ぶーむだ。ぶーむ?いや、みんなも分かっての通り、結婚に「ぶーむ」なんてのは無いが、何か、まるでぶーむのような感じがする。それくらい今年急に周りが結婚しはじめた、そんなことはだいぶ前の記事で書いた。
結婚したみんなの顔を見ていると、今まで見せなかったような笑顔だったり、子どものことを嬉しそうに話す、そのはしゃぎようだったりと、とにかく、こっちまで幸せなパワーみたいなもんを貰っているようで、本当に自分のことのように嬉しくなる。良いことだなぁと、何度も思わされる。
(使える良い写真が無かったのでこんなん)
だが、一方で、そんなみんなの幸せにもちろん釘を刺すつもりは一切無いのだが、自分の周りは、逆に結婚でうまく行ってないのも、また多い。ある人に俺が「最近周りが結婚ブームなんですよぉ」って言った時にそのある人は「私の周りは離婚ブーム」とか言ってたのが印象的だったが、もちろん何秒に一組結婚しては、何秒に一組離婚する時代。たいして珍しいことじゃない。でも、やっぱ自分の周りは違う気がする。そう、特に離婚してるのが若い身内や友人だけでなくて、両親とその親類が失敗しまくったのが印象を大きくしているのかもしれない。
こんな暴露するべきじゃないって人もいると思うが、本当のことを書くと、父親は2度、母親は3度、×がついている。で、それぞれの相手もまた×が1度でなく、2度ついている人だったりする。もうこれは自分の身内の話であるのを書くなんてえげつないと感じられるかもしれないが、はっきりいって「ネタ」だ。ただし彼ら自身の問題だから、自虐な意図はない。彼らの結果には苦笑してしまうだけだ、と根っから私は思っている他、何ら思わない。自分が恥ずかしいのではなくて、あいつらが恥ずかしい、とくらいは思う。
ただ、もう一つだけ思っていることを書くと、そんな彼らを見ていて、結婚はするものなのかな、と疑問を感じてしまうことだ。彼らを見ていると、やっぱり結婚の難しさしか見えてこない(笑)そんな経過を経て、自分自身は、結婚否定論に傾倒していっている。そういえば結婚を奨励する宗教団体は見かけるが、結婚を否定する宗教団体は見かけない。まぁ、地球の種の存続のほかに、その宗教の存続そのものを左右するのが「子孫」であるからこそ、彼らにとっては結婚は当たり前のことなのだろうか。とにかく、そんなくだらない事実に気がついた自分は、結婚を否定する宗教を始めるか、というくだらない発想しか出てこない。
そんな思考の中でも、身内の中でも、一番うまく行っている人がいる。
「結婚って、みんなが幸せそうでいるのは良いことと思えるし、それを見て嬉しいけれど、自分がするのはあまり想像できないし、したいという欲にかられない」
そう言った私に対して、「私たちを見なさいよ」と言った伯母Aとその夫伯父Aだ。
伯母と伯父には残念なことに、子どもがいない。かなり遅くなってから結婚したせいでもあった。そのせいもあってか、その伯母は、自分にとって、本当の母親みたいな存在だ。自分が生まれた病院は、その伯母の勤務先でもあった。実母・実父が事実上、育児放棄して以来、ずっと小さい頃から面倒を見てきてくれた存在だった。今では、実家に帰る、というのは、決まって、その伯母と伯父の家のことを指す。今年の夏も結局そこで過ごした。なにぶん、引越し人生送ってきたのもあり、また実母や実父が定住しないせいもあって地元が無く、「帰るところ」は、もう9年も前から伯母の家になっている。
そんな伯母に一度だけ聞いたことがある。
「結婚してよかったって思ったことって何?」
すると、色々答えてくれたのが、結局これだなって言ったことが次のことだった。
「やっぱ、自分の大事にしているものを、自分のことのように大事にしてくれてるってことじゃないかしら。」
自分の大事にしていることを自分のことのように大事にする。冒頭に「簡単そうで、難しいことってたくさんある」と書いたが、それは結婚そのもののことではない。はっきりいって結婚の時はそんなこと考えないはずだ。難しいこと?そんなこと何とかするさ、これくらいの勇気があって結婚してるものだと思うし。今回「簡単そうで・・・」と言いたかったのは、その伯母が言った「言葉」のことだ。つまり、相手の大事にしているものを大切にすることってどれだけできるのだろう。これって、かなり簡単そうで、難しいと思う。例え、相手のことを好きだったりしてもだ。
おそらく「できる」という中の多くは「尊重」のことを指すんじゃないだろうか。でも、一緒に大事にする、となると事の意見は割れるかもしれないと思える。やはり、どこかに壁を作ったりすることも多いだろう。え、なんで俺(私)が?みたいに思ったり、なんでそんなのが大事なんだ?と思ったり。なんで俺(私)がそんなにプライオリティが低いものを大事にしなきゃいけないんだ?そのリスクは?と。結局、次のステップ、大事にすること、これってやはり難しいように思える。
人が大事だと思っているものを、同じように大事にできること。これは、やっぱ結婚したり付き合っていても、本当に難しいことだと思う。でもそれが、伯母と伯父の場合は成り立ってると、伯母は断言した。その顔の自信満々なこと、それを見て、この二人はずっと仲良くやっていけるな、とガキの自分は感じたりしていた。
まぁ、そりゃ、結婚(恋愛)するときは、そんなに深く考えないんだろう。ただそれが続くかってところには、結構こういう本質的なところがキーになるんだろうなぁ、かとも思わされる。ただ、いくらか少しだけ、結婚(恋愛)などに対する希望みたいなものも見えてくる、そのように思えた伯母の発言だった。
(あぁ、指輪を見るとトラウマを思い出す)
・・・・・
と考えていた矢先、今日自分のチューターのソンさん に会って、彼の入試対策をしていたときの出来事だ。
彼に一本の電話がかかってきて、その電話相手と何か怒ったような会話した後、電話を切った。そのときは何も自分に話さなかったが、それからしばらくして、ある会話の中で急にこんなことを言い出した。
「●●さん、やっぱ結婚はまだしないほうが良いですよ」
彼の発言は「まだ」とか、まるで俺が「結婚するんだ」と言っているようなニュアンスの日本語の使い方をしているので直さなきゃいけなかったが(笑)、そんなことより、彼の憔悴しきった顔が印象的だった。
電話の主は、想像の通り奥さんだったのだが、「どうしたんすか?」と焦って聞き返すと彼は「えぇ~、やっぱ自由が無いですよ・・・シンギョンドソヤドェニカ・・・」つまり「気を遣わなきゃいけないから」と口にした・・・。彼は留学に奥さんを連れてきたのだが、奥さんは日本語があまり喋れない。それもあって、彼はいつも奥さんと一緒。友だちと飲みにいくのも簡単じゃないらしい。もちろん新婚だという状況も、そういう状態を促進させている。異国の地と新婚生活。そりゃ、旦那に甘えたかろう。
「自由が欲しいです」
そうつぶやく、まるで鳥かごの鳥のような彼を見ていると、勝手な話だが、ドラマ「青い鳥」を思い出す・・・主役張ってた夏川ゆいがメチャ綺麗だったと友だちとムダに共感しあった日々もついでに思い出す・・・ね、フィリピンへ流されたミステル君よ。
またそんな発言からは、恩師M先生のことも思い出す。あの方もまた、結婚で研究生活をかなり左右されたお方だ。あの方からも「自由が欲しい」という主旨の発言を聞いたことがあった。でも恩師M先生の研究は、国際政治学である以上、ある部分「世界の自由」というのがキーワードになっている研究対象なのだ。なんかそんな部分に、皮肉めいた側面を少しだけ感じる。。。
(青い鳥の、あの駅の写真らしい)
さて、ちなみに、ソンさんの奥さんは来年から東京の某芸大に入るため、東京でひとり暮らしを始めるらしい。・・・もちろん仲良いままでいてほしい。ただ、その現実に接して、ソンさんが羽の伸ばし始めるかが、それだけが少し気になる自分ではある・・・。いや、こんなこと考えている俺、悪趣味だな・・・。
とにかく、そんな彼を見ていると、一度はするんだよ、とよく言われる「結婚」というものの難しさを学んでしまい、また結婚って良いもんなのかねぇとか考えてしまう。でも、自分も、実際そんな状況になったら、そんなこと考えないで、結婚一直線なのかもしれないけれどさ、意外と。
最後に一つだけ書いておきたいことがある。それはこれから結婚する友人たち、すでに結婚した友人たちにはずっと幸せで、かつ健康でいてほしい。ただそれだけだ。もちろん山アリ谷アリでも、乗り越えられるさ、と。
こころの表と裏と。
- 今日は、ある本のご紹介。
-
- ラ・ロシュフコー, 二宮 フサ
- ラ・ロシュフコー箴言集
- 岩波文庫
ロシュフコー。こんな人、私は知らなかった。今も、この人自身については、よく知らない。唯一知っているのは、フランス文学者、ということだけだ。じゃあ、なんでこの本を手にとったのか。
それはある英語の先生との出会いがキッカケだった。予備校の先生だったが、英語嫌いを誇っても良い自分にとって、その講座は英語を勉強しにいくというよりも、むしろその先生の話を聞きにいくのが目的だった。それから数年経つまで英語嫌いは治らなかったのだが、その英語嫌いはウヤムヤにされるほど、その先生のこと、先生が話したことだけは、とても耳に残っている。
その講座では、講座の始まるときに先生が黒板にいくつか、それは日によって違ったのだが、映画だったり、小説だったり、伝記だったりと、お薦めしたいものを3つずつみんなに紹介するのが常になっていた。そしてその作品それぞれに対する、先生の思いを最初の5分程度で語る。そんなことから始まるその講座が、自分は本当に好きになっていった。
映画のベスト3の一つが、私の中のもうひとりの私(うっでぃ・あれん監督作品)だった。そのうち、その映画について描くことに挑戦してみたいが、今日は、その先生がお薦めした書籍の一つを紹介したいと思う。それが、そう、今日のラ・ロシュフコー箴言集だ。
この本は、一言で言えば、人間の「欲」を中心にした「心の表裏」を、短い言葉で表わした「格言(=箴言)集」だ。つまり、さんまの恋のから騒ぎで番組冒頭で流れている、あんな感じの格言が集まった本だと思ってくれれば、それが正しい。みんなも何気なしに聞いて、耳に少し残ったり、思いっきり残ったり、そんなことは無かっただろうか。あ~~と思ったり、グサッとココロに刺さったり、と。
ら・ろしゅふこー自身の言葉は、あくまで翻訳した本ではあるが、その文字から感じるのは、単純な共感と反感、怒りと笑いのくり返しだ。つまり、何でもある。箴言は500以上入っている本書だが、そこには笑った言葉もあれば、あぁまったくだと思い、違うよと思ったり。時には、そうした中から違うよと思ったりしたのは、実は自分の非を認めたくなかったからなんじゃないかと思わされたりする。
500以上の箴言の中には、時に同じような言葉が繰り返して出てくる。恐らくろしゅふこー自身が意図的に、かつ知らずに繰り返したものがあるのだろう。それには、ときに不十分さを感じるが、ときにたった少しの表現の違いから、また感じることが違うという、そうした楽しみもある。
たった、2、30文字程度の1、2行から、そうやって思索をめぐらす。箴言を読むことで、その箴言と共感と反感を感じるところから、ふと箴言そのものから離れ、そこから自分や他者へと向かっていく。そして自分と向き合い、他者を見つめることへと繋がっていく。本書は「ひと」というものについての「森への入り口」なのだ。
500以上ある箴言だからこそ、本書は、一から読む必要は一切ない。途中途中読み飛ばせばいい。ある程度テーマの塊があるが、それは別に関係なく、読むことが出来る。
毎日読んだり、ばーーーっと読んだりする本でもない。そんなに読んでいたら、むしろ病む可能性すらあるかもしれない(笑)だから、そっと自分の本棚に置いておいて、何かふと時間ができたときとか、何も考えてないとき、迷ったとき、とりあえず何か考えてみたいとき、そんなときに読める一冊だと思う。
みんなの机や本棚に一冊どうですか?
・・・・・
以下に、本書で読んだ箴言のいくつかを紹介したい。
感じ方は、人それぞれだ。だから自分なりの解説は
書かないことにしたい(括弧内の英数字は本書内の番号と一致)。
●もしわれわれが情念を抑えることができるとすれば、それは
われわれの強さよりもむしろ情念の弱さによってである。(122)
●喧嘩は、片方にしか非がなければ、長くは続かないだろう。(496)
●われわれが自分の欠点を告白するのは、その欠点のせいで人から
悪く思われるのを、率直さによって埋め合わせるためである。(184)
●恋を治す薬は幾つもあるが、間違いなく効くのはひとつもない。(459)
●書物より人間を研究することがいっそう必要である。(MP51)
●夫にとって嫉妬深い妻を持つことも時によっては楽しい。
愛する女のことばかり始終聞かされるのだから。(MP48)
●心にある思いを隠すほうが、心にない思いを粧うよりも難しい。(MP56)
●われわれの持っている力は意思よりも大きい。だから事を不可能だと
きめこむのは、往々にして自分自身に対する言い逃れなのだ。(30)
・・・・・
●称賛を固辞するのはもう一度誉めてほしいということである。(149)
・・・アンタッチャブルかよ!
(以上、岩波文庫版から引用)
君はどこへいったのだろう。
君はどこへいったのだろう。
今日、君のことを、ふと思い出したので、君のことを書いてみたい。
君に出会ったのは、5年も前の夏のこと。そう、大学2年の時。
その時、自分は大学での生活に迷いを持っていた。
1年から生活の中心だったサッカーサークル。健全な遊び方してるサークルで、人間的に良い奴らばっかりだった。適度に遊び、サッカーを愛し、そんな中で、すくすく自分が育ってる、そんな感じすらしていた。
そこを離れて、生活を一変させるか、いや今まで通りに生きるか、そんな迷いが生まれた。それは、あるゼミに入って、そこでの研究活動を生活の中心にするか、そういう悩みだった。
ゼミ>サークル。
大学1年の頃は、そんな選択はしなかったと思う。でも、このゼミはあまりにその研究活動に時間を割くせいで、結局、そういう選択をするか、もしくはゼミそのものを捨てるか、そんな選択をしなければならなかった。
サークルで、自分が少しずつ人間的に変われた感じがした。高校で忘れてしまった、人を信じられたり、そんなことが一番大きなことだった。
でもゼミはゼミで、大学、そしてこれから一生どう学ぶか、そんな根本的な問いと向き合うことができる、そんな場のように感じた。そう、ここでもまた自分が少しずつ変われる。そんな感じがした。
結局、「ゼミ>サークル」の構図を選択した自分だった。君に出会ったのは、そんなことに悩んでいるころだった。君は、ゼミのみんなが集まる場に、いつもいた。
最初、君とは全く何の縁も感じなかったし、それほど自分が君に魅力を感じたりしなかった。だって、何かを問いかけたって、応えてくれることはなかったから。むしろ、君よりも、他に目がいっていた。それは、本当のことだった。そっちが、本当に魅力を感じたから。
でも、君と一対一で会うことって、思い出してみれば、意外と無かった気がする。いつも君はみんなと一緒の時に会っていたっけ。そうして君と会うことが次第に、次第に・・・そう、何かあるたびに、君と会う、そんなことは自分の生活の習慣ともいえる感じになっていっていた。自分は本当に無自覚だったけれど、自分は、他に目をくれず、君ばかり見始めた。いつからだろう。それは、全くといっていいほど覚えていない。ふとしたとき、その時には既に君のことばかり見ていた。
それから2年後、自分は韓国へ旅立った。でも自分は、君に何も言っていかなかった。しょうがなかった。だって、その時、まだ自分は君の本当の良さに気がついていなかったから。君に対する気持ちに気がついていなかったから。
でも、自分は韓国で君の良さに気がついた。遅かったのかもしれない。毎日、君のことばかり思っている毎日。そんな日々が続いていた頃、時に街中で君に似ている存在を見かけることがあった。でも、あぁ、やっぱ君じゃなきゃ、そんな風に感じ、他に手を出してしまった、その事実に後悔してしまう自分がいた。そう。韓国に君はいなかった。分からず屋の自分にとっては、当たり前じゃないことだった。
自分が帰ってきてから、そう、自分は毎日のように君に会いに行くようになった。自分から会いにいきたい、そんなキモチを隠さず、週に5回も会った時もあったね。そのうち、君に会っては、いつも自分の中に広がる満足感、そんなのを隠さずに、その思いを友達に語ったこともあった。でも、やっぱり恥ずかしくてか、自分は一人で君に会うことができなかった。何でだろう。一人で会いにいっても良かったのに。でもやっぱ出来なかった。君っていう存在は、結局、みんなの宝物だったから。
そして、初めて会ってから4年後。そう、残暑の厳しかったある夏の終わりの頃。自分が君に会いに行ったら、君はもうそこにいなかった。
どこにいったのか。なぜいなくなったのか。あまりに急な出来事で、唖然とした自分がいた。まさかそんな訳ない。そう思いたいと思い込んでは、友だちに悩みを打ち明けることが多くなった。自分は、たとえストーカーと呼ばれようとも構わない、そんな気持ち一身で、君の行方を捜し続けた。みんなにも声をかけて、君の姿を探した。君が引っ越した、そんなことも聞いた。君は、その親が借金を背負っていたんじゃないか、だから消えたんじゃないか。そんな想像もすることがあった。君の親が、休みの日に競輪や競艇に行く姿を自分も駅で見かけたことがあったから、自分なりにその事実を素直に受け入れるしかないのか、と悩んだときもあった。君の存在そのものがこの世から消えたんじゃないかと。
こんな時代だから可能だったのだろう、インターネットの情報版でも、偶然君に関する噂を聞くことがあった。でも、やっぱり君の行方は分からなかった。君は、どこへ行ったのだろう。
ある日、友人から連絡が来た。君の噂の続きだった。君は、本当は疲れ果てていた。そして、ある町で休息、癒しの時間を過ごしているらしいということだった。そんな話が奇跡的に伝わってきた。
自分は、君に気持ちを伝えることはなかった。でも、本当は、君は、自分の気持ちに気がついてくれていたはず。そう、思っている。だって、ずっと自分はいつも君しか見ていなかったから。
また君に会いたい。それはずっと思っているし、これからも絶対変わらない。君は、他の人にしてみれば、とても「普通」な存在かもしれない。でも自分には違う。君の素朴さと、時にあっさり、時に濃厚な雰囲気を醸し出していたのは、本当に大人の領域に達していた。それが、あまりに大きな魅力だった。だから自分だけでなく、みなが君のことを、愛すべき存在としてみていたんだね。
先の友人は、君の消息の続きをこう伝えてくれた。
「いつか、復活するってよ」と。
君は、どこへ行ったのだろう。
次会うときは、道端で、偶然に出会うのだろうか。
自分はそんな奇跡を信じている。
だって、君は、自分が今まで出会った中で、一番の存在だったから。
だからまた出会えるに違いない。
そう思って、自分は、君に会っていたあの頃のように、生きていく勇気が
湧いてくるんだ。
思い起こせば、君は5年経っても変わらなかったね。
じゃあ、君に会えることを期待して、君の懐かしい姿を
ここに残しておきたい。だって、君はみんなのものだから・・・
それじゃあ、またいつか、会える日を願って、君に、
つまり今まで出会った最高の塩らーめんに、乾杯。
誠● 塩こってり大盛り 半ライス付 ¥700
2004.8 閉店
ひとまずしたいことが出来るという喜び。
今日のぶろぐは、とりとめない昨日という一日のお話。
ひとまず、修士論文の研究経過報告のために読んでいた課題の韓国語文献の講読も終わり、夜な夜な、実に発表4時間前から家ではじめたレジュメ作りは、それから1時間そこらしてやってきた朝日に目がやられる(徹夜経験組はこの気持ち、分かりますよね?痛いの痛いの。)つつも、俺はやれば出来るんだーーという勝手な妄想と、ヒロシ(指導教授)に血祭りにあうんだーーという現実的な恐怖との間で悶々しつつ、学校でへとへとになりながら、ふらふらの自転車こいで、レジュメを無事印刷し、いざ発表。
結果は血祭りならぬ、完勝?した感じ。かなり誉められ、それから数時間は超天狗。「俺ってすげーーじゃん」。つまり、それだけ指導教授が脅威に感じていたわけで、あいつからは否定されるしかないって思ってたということなんだな・・・。まぁ、これから地道に頑張っていくだけか。とにかく、自分が自分すげーじゃん、とか思うこと滅多にないので、それだけは良いことと思いたいわ。今日は一日ぽじてぃぶに生きようっと。
にしても、徹夜は、もう20、21ならともかく、20代後半に入りかけの自分にとっては、もうキツイのキツイの。頭は痛いし、鼻血出そうなるし、くらくらするし、自分で何言ってるのか分からないし、なんか幽体離脱した気分なるし。20のころは3、4日徹夜は頑張れたんだけどなぁ。やっぱ圧倒的な若さは無いんだな(苦笑)
でも、これで少しだけしたいことが出来る余裕というのができた。夏休みは、ほぼ良くも悪くも廃人ペースな生き様を過ごしてきた私。意外とこういう厳しい日々(といっても1週間そこらだが)を過ごしてようやく気がつく・・・したいことが出来る喜びというのを。仕事をしている友人たちからは怒られるな・・・。
さて、何をしましょうか。映画を見ましょうか。ビリヤードやりましょうか。溜まったぶろぐの記事の更新もしましょうか。サッカーもしましょうか(これは団体ものなので、一人やってたら、かなり寂しい光景)。英語の勉強やりましょうか。とりあえず、書き出してみようっと。
あと、やらなきゃいけないことも書き出してみないとだな。
ニラメッコ。
大学院に入って、半年近く経った。本来やっていた領域とは異なる研究テーマにあたることになった院生活は、当初苦痛だったものの、最近ようやく少し思考転換することができて、だからといって全て万々歳の解決を見たわけじゃないが、ポジティブに考えながら、それなりに没頭しはじめている。
今は二つ前あたりの記事に書いたとおり、3日で250ページ近くの韓国語書籍を読むことになってしまい(自分がそのテーマに抵抗感を感じ、何もしなかった『ツケ』)、残り180くらいというところまでやってきた。
他言語を英語以外深くやったことがないので、他の言語でも同じことが言えることかどうか分からない上で書くが、韓国語というのは、最初は良いのだが、中級以上になると難しさを覚えるように感じる。これは韓国人の日本語学習者にも見られる傾向らしく、彼らの場合は敬語や漢字などで、一つの壁がやってくる。私の場合は、韓国語には漢字成語が多いので当初・・・中級の少し上くらいまでレベルを上げるのには何とかなるものだった(会話は相変わらず低レベルを誇ると自負するが)。ところが論文読んでいても、最近は分からない言葉だらけ。今まで手でひく辞書を使っていたが、それも時間的にムダな時間になってきたので、結局電子辞書を買うことに。やはり効率は良い。まぁもちろん辞書内の例文の少なさやその判断、また覚えが悪くなるという弊害はあるのだろうが、もはや「たいむいずまねー」。今回だけは電子辞書で過ごすしかない。
自分は、日本語であれば、速読にかなりの自信を持っていた方だ。ぱっと見て、大意掴むのも、小学校時の受験戦争のお陰で、嫌でも慣れてしまった。あんなに今でもトラウマというかコンプレックスの元になった経験が、後々役に立っているというのが皮肉なもんだが。
だが、どうも韓国語は「ぱ」と見て、どうも脳みそに入ってこない。もちろんまだまだ読んでいる量が少ないせいであろう。それは十分に考えられる。だが、英語よりも韓国語が得意なほうなのに、韓国語はじっくり当たらないと読めない。いや、読めるんだが、結局読み終わったあと、全く頭に入っていない(笑)むしろ、韓国語の論文を読んでいて、息詰まって、合間に気分転換で見る英語の論文の方が読みやすい。もちろん単語で分からないのもかなりあるのだが、それでも英語の方がしっかり頭に残った読み方が出来る。
これは単純に読んだ量なのか?ただ確実に一つ言えるのは、韓国語の文字の構造そのものが、日本語や英語に無い構造を持っているので、「単純に読みづらい」というのは確かだと思う。たった一文字で「母音1つに最高で子音3つ」とかという文字があるのが、韓国語の構造だ。アラビア語を少しかじったことがあるのだが、むしろあの方が簡単そうな気すらしてくる(苦笑)。また韓国語を日本語のように例えてみれば、ほとんど「平仮名」を読んでいるような錯覚に襲われる。もちろん「漢字成語」もあるわけだが、それを漢字ではなく「ハングル」で表示する論文がほぼ100%占める中では、いくら漢字成語であっても、その見た目は「平仮名」に等しい。例えば、「今日、俺は学校で狂気の沙汰に陥っていた」と漢字を使って表現したものを「きょう、おれはがっこうできょうきのさたにおちいっていた」と書かれたら、日本人でもちょっと詰まってしまうものではないか。まぁこれはまだまだ言い訳と言われることもあるだろう。いや、速読できるよ、と言われてしまえばオシマイなわけで、母国語話者やネイティブ級の韓国語力を見につけた人はこの壁を乗り越えたんだろう。
いずれにしても、こうしてる間に時間は過ぎていき、まだ3桁の量が残った韓国語の論文をニラメッコすることは続く。いつか韓国語も「ぱ」と見て、すらすら中身が脳みそに入ってくることを期待したい。
・・・・・
家の飲み物が一切無かったので、コンビ二までお茶とりんごジュースを買いにいった。そうしたら、すっごく星がきれいだった。いつも見えない星がよく見える。星がきれいなんて、他の地でもよく感じたことだったが、今日は論文に詰まっていただけに、感じ方も違う。大袈裟に言えば、つくばに来て良かった、変な話だが、初めてそう思えた。
さぁ、気持ち少し転換できたみたいだ。ぶろぐ更新ほどほどに、また論文とニラメッコしよう。















