こころの表と裏と。
- 今日は、ある本のご紹介。
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- ラ・ロシュフコー, 二宮 フサ
- ラ・ロシュフコー箴言集
- 岩波文庫
ロシュフコー。こんな人、私は知らなかった。今も、この人自身については、よく知らない。唯一知っているのは、フランス文学者、ということだけだ。じゃあ、なんでこの本を手にとったのか。
それはある英語の先生との出会いがキッカケだった。予備校の先生だったが、英語嫌いを誇っても良い自分にとって、その講座は英語を勉強しにいくというよりも、むしろその先生の話を聞きにいくのが目的だった。それから数年経つまで英語嫌いは治らなかったのだが、その英語嫌いはウヤムヤにされるほど、その先生のこと、先生が話したことだけは、とても耳に残っている。
その講座では、講座の始まるときに先生が黒板にいくつか、それは日によって違ったのだが、映画だったり、小説だったり、伝記だったりと、お薦めしたいものを3つずつみんなに紹介するのが常になっていた。そしてその作品それぞれに対する、先生の思いを最初の5分程度で語る。そんなことから始まるその講座が、自分は本当に好きになっていった。
映画のベスト3の一つが、私の中のもうひとりの私(うっでぃ・あれん監督作品)だった。そのうち、その映画について描くことに挑戦してみたいが、今日は、その先生がお薦めした書籍の一つを紹介したいと思う。それが、そう、今日のラ・ロシュフコー箴言集だ。
この本は、一言で言えば、人間の「欲」を中心にした「心の表裏」を、短い言葉で表わした「格言(=箴言)集」だ。つまり、さんまの恋のから騒ぎで番組冒頭で流れている、あんな感じの格言が集まった本だと思ってくれれば、それが正しい。みんなも何気なしに聞いて、耳に少し残ったり、思いっきり残ったり、そんなことは無かっただろうか。あ~~と思ったり、グサッとココロに刺さったり、と。
ら・ろしゅふこー自身の言葉は、あくまで翻訳した本ではあるが、その文字から感じるのは、単純な共感と反感、怒りと笑いのくり返しだ。つまり、何でもある。箴言は500以上入っている本書だが、そこには笑った言葉もあれば、あぁまったくだと思い、違うよと思ったり。時には、そうした中から違うよと思ったりしたのは、実は自分の非を認めたくなかったからなんじゃないかと思わされたりする。
500以上の箴言の中には、時に同じような言葉が繰り返して出てくる。恐らくろしゅふこー自身が意図的に、かつ知らずに繰り返したものがあるのだろう。それには、ときに不十分さを感じるが、ときにたった少しの表現の違いから、また感じることが違うという、そうした楽しみもある。
たった、2、30文字程度の1、2行から、そうやって思索をめぐらす。箴言を読むことで、その箴言と共感と反感を感じるところから、ふと箴言そのものから離れ、そこから自分や他者へと向かっていく。そして自分と向き合い、他者を見つめることへと繋がっていく。本書は「ひと」というものについての「森への入り口」なのだ。
500以上ある箴言だからこそ、本書は、一から読む必要は一切ない。途中途中読み飛ばせばいい。ある程度テーマの塊があるが、それは別に関係なく、読むことが出来る。
毎日読んだり、ばーーーっと読んだりする本でもない。そんなに読んでいたら、むしろ病む可能性すらあるかもしれない(笑)だから、そっと自分の本棚に置いておいて、何かふと時間ができたときとか、何も考えてないとき、迷ったとき、とりあえず何か考えてみたいとき、そんなときに読める一冊だと思う。
みんなの机や本棚に一冊どうですか?
・・・・・
以下に、本書で読んだ箴言のいくつかを紹介したい。
感じ方は、人それぞれだ。だから自分なりの解説は
書かないことにしたい(括弧内の英数字は本書内の番号と一致)。
●もしわれわれが情念を抑えることができるとすれば、それは
われわれの強さよりもむしろ情念の弱さによってである。(122)
●喧嘩は、片方にしか非がなければ、長くは続かないだろう。(496)
●われわれが自分の欠点を告白するのは、その欠点のせいで人から
悪く思われるのを、率直さによって埋め合わせるためである。(184)
●恋を治す薬は幾つもあるが、間違いなく効くのはひとつもない。(459)
●書物より人間を研究することがいっそう必要である。(MP51)
●夫にとって嫉妬深い妻を持つことも時によっては楽しい。
愛する女のことばかり始終聞かされるのだから。(MP48)
●心にある思いを隠すほうが、心にない思いを粧うよりも難しい。(MP56)
●われわれの持っている力は意思よりも大きい。だから事を不可能だと
きめこむのは、往々にして自分自身に対する言い逃れなのだ。(30)
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●称賛を固辞するのはもう一度誉めてほしいということである。(149)
・・・アンタッチャブルかよ!
(以上、岩波文庫版から引用)