俺にとっても最後の・・・?
昨夜は最近月に数度ある蹴球の日でございました。台風なんてクソ食らえ。ワールドカップシーズンは燃えて燃えて燃え滾って、そして燃え尽きる。これに尽きる日々でございます。ワタクシのような蹴球狂には悪くない日々。運悪く(?)前回のワールドカップシーズンは韓国で過ごしていたために、日本の試合で燃え滾ることが少なかったのでございますが、今年は目白押しの試合ばっかりでございます。そんな訳で、最近良い意味でも悪い意味でもたまったもんじゃないのです。見れる喜び、見て他のことに手がつかない悪夢といいましょうか。まぁ、結局リモコンに手を伸ばして、しっかり見るのがワタクシがいるのでございます。でも10chの放送・・・これが唯一にして最高に気に喰わないのでございます。解説が『あの人』じゃないのが救いといいましょうか・・・。ともあれ、今唯一の心配は来年のワールドカップの本番が6月にあるということ・・・修論の中間報告の月にあるなんて、なんと悲劇的なことなのでしょうか。神よ迷える子羊を救いたまえ・・・。
(ドイツまで行こうかなぁ・・・)
思い起こせば『私の超勝手な思考』であることは知りつつ、私と今の日本代表には不思議な御縁があるように思えます。
高校一年の頃。無名だったある高校生が高校生で唯一ユース代表(20歳以下代表)に入ってワールドユースで活躍。高校生蹴球男児だった私は興奮そのもの。それが後に隣町にあったJクラブチーム、ベルマーレ平塚(当時)に入団した中田英寿だったのです。彼がベルマーレ入団を決めたと知ったものにも、またまた興奮そのもの。自転車こいでスタジアムまで試合をよく見に行ったものでした。
そうしていた頃、高校二年の時、インターハイの予選があり、ある有名校と試合をすることになりました。そのチームは結局県予選を優勝した・・・つまり私たちは負けた、それも大敗したわけですが(笑)その試合に出ていた凄く細くてガリガリなんだけれど、とにかくプレースピードのエライ速い選手がいました。かといって特別目立つ選手だったわけでもなく、むしろ他の才能の中で埋没している気すらするくらい。ところがその翌年には、中田英同様、高校生でユース代表に選ばれ、ワールドユースの地に立っていたのです。その選手が中村俊輔でした。
二人が並び立つ代表戦は叶わなかったものの(チケット手に入れるの困難過ぎだって)、シドニーオリンピック代表時の中田と中村は数試合見ることが出来ました。あの日々が懐かしゅう感じます。中田も若かった、中村も若かった、私も若かった・・・
その中田も、場合によっては中村も最後のワールドカップ。そして私自身も、恐らくこれから一生の中で一番蹴球に燃えた時になるであろう「今」を考えると、こんなに燃え滾って燃え尽きられるワールドカップも、今回が最後になりそうです(とかいいつつ、大人になっても『うぉぉぉ~~』とか吠えているかもしれませんが)。
とにかく一番なんか縁がある世代が出場するワールドカップ。修論の中間考査が気になってしょうがないのですが、それ抜きで言えば(不可能か?)、血液が沸騰しすぎる毎日がこれから待っているかと思うと寝ることすら惜しく感じてしまうと言えましょうか・・・とにかく思いっきし今回のワールドカップを楽しみたいと思います(・・・やっぱそれは不可能だよなぁ・・・)。
ところで、中田は蹴球人生やめた後は『旅人』になると言ったとか言わなかったとか。本気なんでしょうか。私もそんなこと言ってみたいものですが、そんなこと言ったら世話になった人たちから「恩返せ」と襲撃されそうです。・・・もはや、ブルジョワ階級までのし上がった男たちは考えることも数レベル違いますね。
ちなみに肝心の試合は終わって5-4・・・野球の試合並ですね(笑)はっきりいってこういう得点入る試合というのは、お互い手を抜いた試合であったり、片方が圧倒的に強いチームであること(つまり強い方は集中力に欠けてる)という二つのうちのどちらかなのですが、そのどちらかは、今回は全くそれが分かりません。まぁとにあかく、コンフェデでのブラジル戦『狂』奏曲があっただけ尚更、良い意味で日本の悪いところが出まくりの状態といえましょう。まぁこれ以上書くと、止まらないので、今日はこれくらいにしておきたいと思います(もうサッカーネタは書きたくてしょうがないのだけれど、今日も我慢)。後日コンフェデと合わせて考証をしようかと思います。
