冷酷なくらい美しい最期 | 漁師,ぴんぴん物語 EpisodeⅠ

冷酷なくらい美しい最期

今日の映画な生活は、3作紹介シリーズの2つめです。

今日の作品は「Dr.Strangelove」、邦題「博士の異常な愛情」です。


         

            博士の異常な愛情


        スタンリー・キューブリック作品

            1964年 アメリカ


この作品は、ビデオ屋でアルバイトしている当時から当然知ってはいたのですが、ずっと見ずじまいでした。なぜか?単純にキューブリック映画をすんなり見ることが出来なかったからです。私は「~せず嫌い」がたまにある性格。バイト仲間には、ごく当然キューブリック好きは多くいた訳で、その中でもフルメタルジャケットは散々見ろと言われ、借りた挙句、延滞料3000円溜まったのにも関わらず、見ずじまいで返すという散々な結果。アイズワイドシャットは見たものの、その世界観にN・キッドマンとT・クルーズの二人の絡みをボーっと見るだけで何も感じることすら出来ず・・・それで本作もまた、今回DVDで借りる機会があるまで見ずに来たわけでした。


この映画を見ようと思ったのは、全く関係なく、ある国際政治の先生に勧められたからでした。あ、M先生ではないですよ。それで今回いよいよ見てみるかとなったわけです。


ストーリーは、いつものようには書かず、一文で書こうと思います。


人間が狂気の道具を持ち、そして狂気の沙汰に陥ってしまったとき・・・

                             ・・・人間はどう動くのか


です。本作は、そうした姿をシニカルな形で描いたものでした。もうすぐ死ぬかもしれないのに急に人格変化を起こす人間・・・あともう少しで世界の人類は絶え、当然国が滅ぶはずの危機的状況においてもしっかりセコセコと、スパイ行為は忘れない某国の外交官の姿・・・力を持つことでそれに陶酔し、世界が滅ばんとする中にあっても自己を正当化し英雄化しようとする者たち・・・危機感あるようでないような言動をする政治家・・・「え、お前ら、そんなんで良いのかよ!」ってツッコミを何度もしたくなる、それらの光景は「大爆笑」ともいえるものでした。キューバ危機やイラク戦争に関する、こうした戦争開戦時にまつわる伝記やジャーナリストの本を読んだことがありますが、もちろんこんな光景は書かれていませんでした。でも実際はどうなのか、そんな不要で必要?そうな疑問というよりも疑惑に近い気持ちが出てきます(笑)


そう、この映画を見ていると、現実とこの映画との間にはどのような関係(もしくは違い)があるのかという疑問について考えることが必要に思えます。例えば、映画冒頭には、「ペンタゴンが本作のような事態は起きないと言っている」という旨のテロップが流れます。1964年当時のコメントと思いますが、現在では実際どうなのでしょう。


本作では、結局、人間は、核という力における均衡とその恐怖には、錯乱を常に起こしやすく、相互確証破壊の成立があったとしても、相対するものに勝らんとする報復力(本作の場合『皆殺し装置』)を持とうとする思考から不可避であることを示唆します。そしてこの「核という力」は、人間の「平常心」というところとは、少し離れたところに存在する、といえる状態ということも示唆しているようです。


そうした危機の蓋然性は、キューバ危機以来、数十年、それに対する対策は当然当時に比較ならないほど改善されたわけです。技術的(技術的な制御・情報収集面)にも、政治的(冷戦崩壊による緊張緩和)にも、制度的(核に関する制度的な枠組み)にも・・・。ですが、結局「不安定な核」の存在が年々浮き彫りになってきており、またその制度的な破綻を見せる中、結局、いずれかの要素が機能を果たしていたとしても、技術・政治・制度の革新があった中でも操作できないもの、そう、人間そのものの本質的なところ、例えば錯乱の蓋然性というのは、起こりえるものというのが現実のところではないでしょうか。


そうした意味で、確かに「大爆笑」を起こす映画であるものの、その一方で、この映画で描かれたものは、未だもって現実的なのかもしれないと感じさせます。キューブリックがいかにシニカルにこの映画を描いたとしても、あまりに「有り得ない光景」がそこに続いていたとしても、それは意外と現実の姿なのかもしれません。


そう、この映画は確かに面白かった。その「冷酷なくらい美しい最期」は、あまりに唐突であった訳ですが、実際こうした問題は、あそこまで唐突になるのかもしれません。人間はこの「冷酷なくらい美しい最期」を迎えることを可能とする兵器を今もなお持ち続けているわけですが、この恐怖が人間に与える影響というものを考えると、この兵器が無くなるのは、実際に「冷酷なくらい美しい最期」を迎えない限り、不可能なのではないか、そんな気にさせられる映画です。


そんな本作を、キューブリックはこうした映画を冷戦ど真ん中の時代に描いた。それが出来たということは、素直に凄いことであると感じます。なんせキューバ危機の数年後な訳ですから。いや、むしろそうした時代だからこそ、その恐怖に苛まれ、こうした映画が生まれる必然性があった、というのが正しいのかもしれません。


現代においてはかなり突拍子な映画に感じるかもしれませんが、冷戦下のような緊張だけの時代ではなくとも、必見の映画と思えます。お薦めです☆☆☆☆


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ところで、私事ですが、私の実母の旦那、つまり義理の父は米空軍勤めで、例え戦時は兵器管理(特にケミカル)の担当になり、実際軍用機に乗って実戦で兵器管理に当たる人なのですが、彼に聞いてみたいと思いました。実際、軍用機の中はこの映画の感じなのかと(笑)お前も、あの帽子を金庫にしまい、そして本番ではかぶって「己はガンマン」気分で出撃するのかと(笑)将来、そんな帽子をかぶる機会が無いことを当然切に願います。