飾磨港線区間は前身の播但鉄道により1895年に開業しました。その後、運営は山陽鉄道が引き継いだ後1906年に国有化されました。飾磨港線はその立地から貨物輸送主体で、旅客列車の本数は非常に少なかったそうです(末期は1日2往復)。姫路~飾磨の旅客輸送は飾磨港線と並行している山陽電鉄本線が担っていました。
そして国鉄末期に貨物輸送が激減し、飾磨港線は民営化前年の1986年に廃止されました。
尚、並行して山陽電鉄本線が走っているのも要因かと思いますが、そもそも旅客輸送量が少なすぎたためでしょう、第三セクター鉄道には転換されませんでした。
そして国鉄末期に貨物輸送が激減し、飾磨港線は民営化前年の1986年に廃止されました。
尚、並行して山陽電鉄本線が走っているのも要因かと思いますが、そもそも旅客輸送量が少なすぎたためでしょう、第三セクター鉄道には転換されませんでした。
今回は姫路~飾磨港の順に廃線跡探訪レポートを超簡単に紹介致します。
尚、今回のレポートは2010年の探訪記なので、現在は状況が変化しているかもしれませんが、ご了承願います。
また、調査が不十分なことをお詫び申し上げますm(_)m
また、調査が不十分なことをお詫び申し上げますm(_)m
(Yahoo!地図を使用)
路線名 | 区間 | 営業キロ | 備考 |
国鉄:播但線【通称:飾磨港線】 | 姫路~飾磨港 | 5.6km | 1986年11月1日廃止 |
探訪・撮影時 | 2010年 |
(1)姫路駅にて。現在は高架化されています。
飾磨港線ホームは地平時代に山陽本線ホームの門司方にあったと思われます。
飾磨港線ホームは地平時代に山陽本線ホームの門司方にあったと思われます。
(2)姫路駅を発車した飾磨港線列車は左へカーブして山陽電鉄本線と山陽新幹線をアンダークロスしていましたが、
JR在来線の高架化に関連して山陽電鉄本線が移設されたのですが、この付近では飾磨港線廃線跡が山陽電鉄本線に転用されました。
写真は飾磨港方を望む。
JR在来線の高架化に関連して山陽電鉄本線が移設されたのですが、この付近では飾磨港線廃線跡が山陽電鉄本線に転用されました。
写真は飾磨港方を望む。
(2)上写真と同じ地点にて姫路方を望む。山陽電鉄本線の旧線は少し離れた東側の場所を通っていました。
(3)少し進むと山陽電鉄への転用区間は終わり、飾磨港線の廃線跡は山電本線の西側を並走する道路となります。
(4)そして廃線跡は姫路市中央卸売市場の用地へと取り込まれ、通れなくなります。
卸売市場にも貨物列車発着線がありました。
卸売市場にも貨物列車発着線がありました。
(5)卸売市場を迂回して、山電の手柄駅南側まで来ました。
この先、飾磨港線の廃線跡は遊歩道へと変わります。
この先、飾磨港線の廃線跡は遊歩道へと変わります。
(6)しばらく進むと緩やかに右へカーブして山電本線と分かれます。
分かりにくいですが、正面には姫路バイパスの高架橋が見えます。飾磨港線の現役時にバイパスは開通しています。
分かりにくいですが、正面には姫路バイパスの高架橋が見えます。飾磨港線の現役時にバイパスは開通しています。
(7)そして姫路バイパスをアンダーパスすると、亀山駅跡に着きます。
駅があった事を示すモニュメントは進行方向右側にありますが、ホームは左側にありました。
また、亀山駅跡の先で県道62号線と踏切で交差していましたが、つい最近まで跡が残っていました(現在は遺構なし)。
駅があった事を示すモニュメントは進行方向右側にありますが、ホームは左側にありました。
また、亀山駅跡の先で県道62号線と踏切で交差していましたが、つい最近まで跡が残っていました(現在は遺構なし)。
(8)廃線跡は遊歩道のまま続き、住宅地を南下します。
左手に飾磨中部中学校の陸上用走路が見えてくると山陽電鉄網干線をアンダークロスします。
左手に飾磨中部中学校の陸上用走路が見えてくると山陽電鉄網干線をアンダークロスします。
(9)アンダークロスを飾磨港方より姫路方を望む。単線分のスパンです。
このアンダークロスは飾磨以北では最大の遺構かもしれません。
このアンダークロスは飾磨以北では最大の遺構かもしれません。
(10)そして山陽電鉄網干線とのアンダークロスを過ぎると、ほどなくして飾磨駅跡に着きます。
区画整理事業の結果、廃線跡や駅跡の場所を特定しづらくなりましたが、
鉄道用地の西端は右手の事業所の塀に沿っていたと思われます。
区画整理事業の結果、廃線跡や駅跡の場所を特定しづらくなりましたが、
鉄道用地の西端は右手の事業所の塀に沿っていたと思われます。
(11)写真の付近に飾磨駅跡があったと思われます。
空中写真を見ると、駅跡には複数の側線がありましたが、区画整理事業により広大な駅構内は面影を失ってしまいました。
空中写真を見ると、駅跡には複数の側線がありましたが、区画整理事業により広大な駅構内は面影を失ってしまいました。
(12)飾磨駅跡を過ぎると国道250号線(浜国道)と交差して、水路を渡ると新日本製鐵(現:新日鐵住金)の専用線が右へ分岐していきました。
用地のみが残っています。
用地のみが残っています。
(12)専用線との分岐地点にて。
ここにも水路か池があったのか、橋梁が存在していて、橋台が残存しています。専用線側はガーダー橋も残っています。
ここにも水路か池があったのか、橋梁が存在していて、橋台が残存しています。専用線側はガーダー橋も残っています。
(13)専用線跡と分岐後は、左へカーブしながら住宅地の中を南下していました。
ここには踏切跡の柵が残っていて、線路際にも柵が残存しています。
ここには踏切跡の柵が残っていて、線路際にも柵が残存しています。
(14)少し進むと廃線跡は浜手緑地の中を進み、港湾地区へ向かいます。
線路敷は残っていますが、草が生えていて歩けないので浜手緑地の中へ迂回しました。
線路敷は残っていますが、草が生えていて歩けないので浜手緑地の中へ迂回しました。
(15)そして浜手緑地を過ぎると国道436号線と交差しますが、その前に水路を渡っていました。
そこには複数の橋台が残存していました。この辺りから飾磨港駅へと入っていきます。
また、この先の国道との踏切跡にも柵が残っています。
そこには複数の橋台が残存していました。この辺りから飾磨港駅へと入っていきます。
また、この先の国道との踏切跡にも柵が残っています。
(16)国道436号線と交差後、廃線跡は駐車場となって飾磨港駅へと向かいます。
ちなみに右側の細い道路は国道436号線ですw
国道436号線は飾磨が起点で国道250号線から分岐し、飾磨港から小豆島を経て高松へ至る、いわゆる海上国道です。
姫路港と福田港、土庄港と高松港の間はフェリーで連絡しています。
ちなみに右側の細い道路は国道436号線ですw
国道436号線は飾磨が起点で国道250号線から分岐し、飾磨港から小豆島を経て高松へ至る、いわゆる海上国道です。
姫路港と福田港、土庄港と高松港の間はフェリーで連絡しています。
(17)飾磨港駅跡にて。駅跡は現在、「姫路みなとドーム」になっていて現役時の痕跡はありません。
(17)飾磨港駅跡終端部より姫路方を望む。この辺りに木造駅舎がありました。
背後(南側)には姫路港があり、小豆島や家島への航路が発着しています。
背後(南側)には姫路港があり、小豆島や家島への航路が発着しています。
(おしまい)
私が飾磨港線の廃線跡を探訪したのは2002年と2010年の2度で、それ以外にも山陽電鉄に乗車した際に車窓から廃線跡を確認しています。2002年当時は踏切跡や橋台など遺構が多く残存していましたが、2010年時点では遺構が減少していました、2002年にもっと写真撮影しておけばよかったです…。
姫路~飾磨港の距離は5.6kmで、徒歩ですと片道2時間ほど要します。幸い(?)、並行して山陽電鉄本線が走っています。飾磨駅跡の東側約1kmの場所には山陽電鉄の飾磨駅があり、往復探訪しなくて済みます。亀山駅跡近くにも山電の亀山駅があります。
食料・飲料について、沿線に意外とコンビニは少ないです。飾磨~飾磨港には全くありませんので要注意です。また、飲食店は姫路駅や飾磨駅跡の東側にあるイオンモールに集中しています。スーパーは姫路駅付近や前述のイオンモールの他には亀山駅跡付近に点在しています。心配であれば用意しておいた方が良いでしょう。
姫路城などへお出かけの際は、ついでにウォーキングがてら飾磨港線の廃線跡も一緒に歩いてみて下さい。
接続駅 | 接続路線 |
姫路駅 | JR西日本(姫路駅まで徒歩5分):山陽新幹線、 JR西日本(姫路駅まで徒歩5分):山陽本線(神戸方面【JR神戸線】、岡山方面) |
姫路駅 | JR西日本(姫路駅まで徒歩5分):播但線、姫新線 |
姫路駅 | 姫路市:書写山ロープウェイ (書写駅までバスで約30分) |
姫路駅 | 山陽電気鉄道(山陽姫路駅):本線 |
(参考:地理院地図、Googleマップ、Wikipedia)