風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -14ページ目

「なんで梅のところにベンチがないんだろうね」
ベンチに腰を下ろし、両手をお尻の下に差し込んだ少女は、ちょっと不満そうに、伸ばしたコンバースのかかとで交互に地面を叩いた。

「あそこまで行こうか?」
「やだ、疲れた」
「昔々の郵便屋さんが乗ってたみたいな自転車で?」
「そ」
「ふぅん」おっと──。
「身構えなくてもいいんだよ。ふぅんって言ったからって」
少女は、あは、と笑った。

おばあちゃんのそばを離れた少女は、さっきよりもさらに親しみやすい雰囲気だった。



「終わる。すべてのものは終わる。存在するあらゆるものには定められた命の期限がある。天も地も星も、宇宙もひとも──地上にも空にも永遠なんて存在しない」

空を見上げながら突然詩的なことを口にする少女を見た。

「けれど、すべてが消え去っても、終わらないものがある──としたら素敵でしょ」

「それは──僕に対する投げかけというか、問いかけなの?」
「ううん、ある人が言ったの──あたしね」
「うん」

「おばあちゃんちの玄関を開けたとき、あ、この人かもって思ったの」
「ん? なにが?」

「夢を見たの。それも毎晩毎晩。見たこともない女の人が出てくるの」
「ふん」

「それとね、事故の夢を見るの。自動車事故。そのうち、その女の人の顔がね、少しずつはっきりしてきたの。その人が昨日の夜、初めてしゃべったの」
「なん……て?」

「あなたのお誕生日に──要するに今日ね。プレゼントを持った男の人が現れるって言ったの。それをもらいなさいって。だからその人かなって思った」僕をあごと下唇で差した。

「え!?」心臓がトクンと跳ねた。
「プレゼントってあたしにですかって訊いたの。そしたら違うって。その女の人にだって。だけど、あなたがもらいなさいって」



「どんな顔をしてた!?」
「顔が近すぎですッ」

「あぁごめん」
「そんなに引かなくてもいいけど。きれい? いや、可愛いって言った方がいいかな。あたしといい勝負してたわ」むふっと少女は笑った。

「もっと詳しく教えてくれる?」
「眉が」少女は親指と人差し指で隙間を作り、それを眉のあたりでぎゅと横に動かした。「濃かった。きりっとした眉」

「ヘアスタイルは?」
「ショートボブ。あごあたりの長さで、ちょっと内カールしてる感じ?」
「鼻の頭の横っちょにホクロは?」
「いやあ、そこまではっきりとは」

聞いた限りでは、麻巳子に似ている……。もしそうだとしても疑問は残る。なぜ僕ではなく、この少女のところに現れたのだろう。そしてなぜ、少女にそれをもらえと。

エンディングに向けて、ここは是非流してください。あ~る・ベルンハルトJrからのお願い。


「プレゼントの中身は?」
「教えてくれた。だからサイズが合うとは限らないって言ったの。そしたら、合うって」

サイズ──確かにサイズの問題があるプレゼントだ。彼女が欲しいと言ったもの。

「さっきのは、その人の言葉。でもさ、かばんの中のプレゼントがそれだったら、まさに正夢ね」
少女はすっと左手の小指を差し出した。

「当たり?」
僕は茫然と少女の小指を見つめた。

「固まってるってことは、当たったのね?」
「ものすごく」僕はごくりとつばを飲み込んだ。

疑問は膨らむ。なぜ彼女は、この少女にプレゼントを受け取れと言ったのだ──。

「恐ろしい」少女はベンチの背もたれにどさりと背中を預けた。
「じゃあ、もうひとつ恐ろしいことを教えてあげる」少女は空を見上げてしばらく黙った。

「なぜサイズが合うのって訊いたの。そしたらね……」
「そしたら?」

「あなたはわたしだからって」

“あたしを見失わないでね”
初めて会ったあの日、僕を置き去りにするようにスーパーの前の信号を走って行った彼女の言葉が蘇る。

「それからね」
僕は固唾をのんで、少女の横顔をじっと見つめた。
「こんどはずっと、一緒にいなさいって」

僕は、震える手でショルダーバッグからピンキーリングのケースを取り出した。



  ─epilogue─

夢を見ているようだった。突如、夢の中に引きずり込まれたみたいな不思議な浮遊感。

「急ブレーキ踏んじゃだめだ!」
彼の声が遠くに聞こえる。夢と現実の狭間で私は何もできないでいた。

「右足をグッと奥まで踏み込んで。しっかり麻巳!」
彼のシートベルトが外される音が、やけに大きく耳に届いた。

「ハンドルから手を離して」
彼の左手がハンドルをつかみ、彼の香りが私を塞いだ。

「目を閉じて」もうすでに目は閉じていた。
だから私は目を開けた。

けれど、視界の隅を光の帯が過ぎていくだけで、なにも見えなかった。私をかばうようにハンドルを操作する彼の温もりと息遣いだけが世界のすべてだった。

車が揺れて横滑りを始めた。重心移動の具合から助手席側から突っ込んでいくのがわかる。
「大丈夫だから。心配しなくていい」

私は嫌なものを感じた。

「なに考えてんの!? ねえ──なにをしようとしてるの!? 嫌だから! 絶対いや! 車を前向きに戻して!」

「前が見ないよ麻巳」しがみついた腕をそっと解かれた。

私は、彼のセーターの脇をつかんでぐいぐいと押した。
「いやだってば! ダメだってば!」

「大丈夫だから麻巳子」
彼が額に口づけた。どうにもできない私はその首元に顔をうずめた。

「ダメよ……どうかお願いだから、車をまっすぐに」
しがみつき、彼の首筋に、唇を寄せた。

ふぅっと彼が強く息を吐いた。

「体を丸めろ麻巳!」
「ひとりはいやだ!」


─FIN─


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おつき合いありがとうございました。
夢で見た、ネコと女の人のお話でした。もちろん、こんな夢を見たわけではありません。

今となっては、夢の内容も覚えていませんけれど、その人の絶対的な安心感と、そばにいた猫は憶えています。

ハードスケジュールが続いて思うようにアップできませんでしたが、なんとか終わりました。

僕はいつも思うのです。いいものも悪いものも含めてすべて、人と人との出会いに偶然はないって。
だってそれは、僕たちが忘れている約束に違いないから。

次に小説を書けるのはいつかは分かりませんが、ではまた。

風神あ~る・ベルンハルトJr

「突然すみませんでした」
僕は頭を下げた。不審者として通報されなかっただけまだましだった。

「最後にひとつだけいいですか?」
「なんでしょうか」おばあちゃんは少しだけ首を傾げた。

「黒崎さんは、ネコを飼っていた様子はありましたか」
「ネコ? いえ、ありませんでしたよ。そもそもペットはダメですしね」

うさぎも幻の猫だったのか。
その柔らかなお腹と、甘噛みをしながら後ろ足でぎゃんぎゃんと蹴る感触が蘇った。

確かにこの手に残っているそれを確かめるように、僕は手を握りしめた。

誰がどういおうと、現実がどうであろうと、うさぎは僕たちふたりの間でじゃれていた。ウサギと彼女は、確かに存在したのだ。

うさぎ、彼女がそばにいるなら、どうか導いてください。春の花の咲き乱れる、明るくて柔らかくてやさしい場所へ。

ドアを開けたら、さっきまで曇っていた街に春の日差しがあふれていた。けれど、彼女はいない。それが、僕にとってのどうしようもない現実だった。

少しのためらいの後、僕は公園に向かった。彼女と梅の花見をする予定だった公園。

先週が最後だとわかっていたなら、僕はどんな行動をして、どんな言葉を掛けていただろう。

無駄だ。何を考えても、これっぽっちの慰めにもならない。
僕の思考を笑うように、木々を揺らして風が吹き抜け、遠くで小鳥が鳴いた。



ベンチに腰を下ろして空を見上げる。

色んな思いが浮かんでは消えていくような、それでいて、実はなにも考えていない洞(ほら)のような、色も匂いもない、音も温度もない、そんな世界の隅っこに、僕はポツンと座っていた。

自転車が走ってくる。僕はそれをぼんやりと見ていた。

「ナンダサカ、コンナサカ!」
その自転車が、妙な掛け声を掛けながら目の前を通り過ぎた。

体に似つかわしくないごつい自転車のハンドルにしがみつくように前かがみになり、肩を怒らせてペダルをこいでいる。

ネックウォーマーとキャップの間から出たポニーが左右に揺れている。さっき会った、KMハイツの大家さんの孫娘だった。

やがて、ヨレヨレと、本当にヨレヨレとハンドルを切りながら、大きく右に旋回し始めた。

こっちに向かってくる。すぐ近くで止めて降りようとして失敗した。派手な音を立てて自転車が倒れた。

「昭和か!」
罵った自転車を起こそうとして格闘していたが、諦めた。

そのまますたすたとこちらに向かって歩いてくる。
僕の前に両手を腰に、仁王立ちした。

「なんで無視するの!? せっかく華麗に登場したのに」
「あ、いや、無視したわけじゃなくて、呆気に取られて……」

「それにぃ、呼び止めたのに何で帰っちゃうの」
「え、あ、そうだった? 気がつかなかった」
「まあ、玄関を覗いたときにはいなかったんだけどね」少女はへらっと笑った。

「あの自転車、なに?」
「おじいちゃんの自転車」

「ナンダサカコンナサカは?」
「おじいちゃんがね、坂道で自転車をこぐときの掛け声。歌らしいんだけどね。トンネルがどうした、鉄橋がどうたらって。それに坂道っていってもね、石ころも転がらないようなぬるい坂なんだけど」
「ふぅん」

「ふぅんって、興味のないことなら訊かないでね!」
少女の仁王立ちがさらに力強さを増し、僕は恐る恐る少女を見上げた。


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105号室の前に立った少女が、ゆるゆると首を回してこちらを見た。走るのをやめたおばあちゃんを、僕はそっと追い越した。

「開いちゃいました」小さな声で、少女は眉を八の字に下げた。

「開きました」
「いやだ! 気味が悪い!」僕の声に、おばあちゃんは両手で肩を抱くように腰をかがめた。

鍵は開いたけれど、ドアノブはまだ引かれていない。
おばあちゃんは同じ姿勢のままで、嫌々をするように首を振り続けている。



「開けますか? あたしも入ったことがないんですけど」キーを差し出しながら少女が小声で訊いた。

おばあちゃんはあきらめたのか、もう引き留めようとはしなかった。



中は当然のことながら、伽藍洞だった。
「月に一回、業者さんにお掃除してもらっているんです」おばあちゃんの力のない声が背後から聞こえた。

「毎日の空気の入れ替えぐらい自分がやればいいんだけど、気が進まなくて」
「入ってみてもいいですか?」
おばあちゃんは力なく頷いた。

確かめてみたいものがあった。
僕がうっかり傷つけてしまった跡が、部屋の入口の柱にあるはずだ。
「あぁーあ、新築なのに」と彼女が口を尖らせた傷だ。

しかし、それは、見当たらなかった。
顔を寄せてみても、指でなぞってみても、修復されて目立たなくなったわけではないことがわかる。

ということは、彼女が過ごした25年も前のこの部屋に、僕は足を踏み入れていたわけではないことになる。

それはとりもなおさず、彼女と僕の間に接点などなく、僕が夢を見ていたとか、脳に障害でも負ったと宣告されたに等しく、乗り越えられない壁として目の前に立ちふさがった。

「さあ、戻りましょう」おばあちゃんが促した。

でも、だ。
そうだ。──でも、だ。

僕の持っていた鍵でドアが開いたのだ。これは動かしようのない事実だ。
けれど、僕の欲しい答えはどこにもない。

「お返しします」
ドアを閉め、おばあちゃんにカギを差し出した。僕が持っていたって意味はない。

「信じられない話だけど、ドアが開きましたからねぇ……」カギを受け取りながら、おばあちゃんは何ともいえない顔をした。

「あぁ」おばあちゃんは何かを思い出したように空を見た。

「首都高で、前を走る車の事故に巻き込まれたそうです。彼女が運転していたみたいで、同乗されてた男の人は助からなかったそうです。良心の呵責なのか、後を追ったのか」

玄関を入って、置き去りにしたショルダーバッグを拾って肩に掛けた。

「どうもお騒がせしました」僕は頭を下げた。おばあちゃんも腰を折ってくれた。

「なんか、ドキドキして面白かったね」詳しい事情を知らない少女は笑った。
ハッピーバースデートゥーミー・ハッピーバースデートゥーミー
少女はリュックをずるずる引きづりながら奥に消えた。

「孫なんですよ。今日誕生日で」さっきまでの固い表情に比べ、大家さんの顔は優しそうになったが、力のないそれは目の前の出来事に呆けているようにもみえた。

「おいくつですか」
「この春で大学生です」
「プレゼント差し上げていいですか」言葉は唐突に出た。

僕のバッグの中には彼女へのプレゼントが入っていた。それを、無理やりカギを開けてくれたあの少女にならあげてもいいと思った。それで決別できる。忘れることはできないけれど、終わらせることはできる。

「いや、それは」大家さんは眉をしかめて顔の前で手を振った。
それはそうだ。僕は自分の申し出が常識外れだったことをあらためて知った。

「そうですよね」
自嘲気味の笑みを浮かべた僕は、その家を後にすることにした。


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「三人立て続けにお亡くなりになってしまってねえ。それもまだみなさんお若かったのに」おばあちゃんはちょっと悲しそうに眉を歪めた。

「あなたのおっしゃる風見鶏は驚いたけど、あれは──そうねぇ、10年ぐらい前だったかしら、台風で壊れてしまって撤去したんです。それでもやっぱり、そんなお話、信じることはちょっと……」



「それは、そうですよね……」
落胆を胸に僕はもっともだという風に頷いた。けれど最後の切り札を持っている。
ショルダーバッグのサイドポケットを探ってキーをつかんだ。

「あの部屋、借主が変わった後、錠(かぎ)の交換はしたんでしょうか?」
おばあちゃんは、ちょっと後ろめたいような顔をした。
「いえ、換えるべきなんでしょうけど」

キーを取り出した。
「これ、黒崎さんから預ったものです。使ったことはないですけど、これで開けてみてもいいでしょうか」

「そんな、あなた、ばかな」おばあちゃんは半歩身を引いた。

「あなた、何しにいらしたの」
「いえ、ですから僕は105号室の黒崎さんを訪ねてきただけです。それ以外に何の目的もありません」

彼女が──黒崎麻巳子が手渡してくれたカギを、僕は右手で握りしめた。

「あの部屋のカギは二つとも回収済みなんです。合鍵を作らない限り存在するはずはありません。25年も前に死んだ人に会いに来ただの、いつも来ていただの、気味が悪いわあなた。帰ってください。でないと警察を呼びますよ」

鍵は逆効果だった。
表情を一変させたおばあちゃんは、睨むように僕を見ている。

「帰ってください!」
僕に打つ手は残っていなかった。もう本当に帰った方がいいのかもしれない。

けれど、ここを出たら僕と彼女は完全に切れてしまう。少しの居場所を探すように肩を縮めて俯いた。

気詰まりな静寂を破るように音がしたのはその時だった。

コンッ

背後で鍵の回るこもった音がした。ゴンッとドアを引く音。あれ? 開いてるんだ。外で女の子の声がする。

ふたたび鍵の回る音がして背後のドアが開き、僕は道を開けるように横向きになった。

「おばあちゃ──あ……」少女が現れた。年の頃は10代後半。高校生ぐらいだろうか。

僕の手元からショルダーバッグへと視線を移し、それから僕の顔をまじまじと見てくる。それはけしてぶしつけではなく、興味の色だった。

「あやかちゃん。さ、早く入って、早く靴脱いで」おばあちゃんはその少女の背を抱えるようにして背後に隠した。

「なに、なに? おばあちゃん」
「いいの」
「よくないよ。あたし意味わかんないんだけど」

「こんにちは」少女はおばあちゃんの後ろから遠慮がちに頭を下げて、僕もそれに倣った。
「あいさつなんてしなくていいの」
「おばあちゃん、なに怒ってんの」

「さっきから変なのよこの人、早く帰ってください!」おばあちゃんはハエでも追うように手を振った。
「変な人には見えないよ」突然の騒ぎに巻き込まれ、少女は戸惑っていた。

「105号を訪ねてきたとか、風見鶏があったとか、105号のカギを持ってるとか」
「カギ? 105号ってずっと貸してないんでしょ」

「だから、そのカギを持ってるって変でしょ。昨日だか一昨日だかも来たって言うのよ」
「部屋に入ったのは先週です」
少女に向けて僕はキーを振って見せた。

「へえ、面白そう」面白いことと受け止められても困惑するけれど、今はこの少女が頼みの綱だった。

「面白くなんてありませんよ!」
「でも、ドアが開いたらすごいね」
「あやか、変なこと言うんじゃありません」

おばあちゃんに見えないように、下の方から少女がそっと手を出して指でいざなった。僕は一歩踏み出してカギを差し出した。少女は奪うようにそれを手に取り、靴も履かずに飛び出した。

「あやか!」
おばあちゃんがサンダルをあたふたと履いて玄関を出た。

「やめなさい、あやか!」おばあちゃんの走りは遅い。転びはしないかと心配になった僕は両手を差し出しながら後を追った。


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彼女は自殺していたのか──あんなにもマイペースで、あんなにも明るい彼女が自ら命を絶っていたとは。

いったい何が、そうさせたのだ。

「そうだったんですか……」
僕の頭に、濁った泡がぷくりと浮かび、ゆらゆらと上昇してゆく。やがてそれは弾け、酷い臭気を放ち、僕は顔を歪めた。

ためらいはあったけれど、彼女のことなら受け止めるべきだと口を開いた。

「顔に──怪我でも?」
それが自殺の原因なのかもしれないと僕は想像した。彼女は、あの愛くるしい顔に取り返しのつかない傷でも負ったのではないか、それが彼女を死に追いやったのではないのか。

「いえ、お顔はきれいなままでしたよ」おばあちゃんの言葉に、僕はほっと肩の力を抜いた。

「体の方はわかりませんけど、どこかに後遺症が残った様子もありませんでした」

大家のおばあちゃんは痛ましそうな顔をしたけれど、僕にとってそれは救いだった。なぜ死んだのかという疑問は解けそうもないけれど。

「それで事故物件になりましてね。それを承諾していただいた方に安くお貸ししたんです」

僕は頷いて話の先を促(うなが)した。妙なことを尋ねてばかりでは嫌がられる。

「事故後に一度貸したらもう事故物件にならないと不動産屋さんが言うもので……ところが、入居された方も、外でなんですが事故でお亡くなりになって」

おばあちゃんは、すごい偶然でしょう? と言わんばかりに僕を見た。僕は大きく頷いた。

「それもでまあ、事故物件ではなくなったんですけど、聞いてくださいよ」
おばあちゃんは肩でも叩くようなしぐさで右手を振った。

「普通にお貸しした3人目の方が、またあの部屋で亡くなったんです」
なんだかんだと言いながら、こんな話が人は好きだ。おばあちゃんの目もそんな色をしていた。

そうだったんですか、などと呟きながら、僕はもうそれをほとんど聞き流していた。肝心の彼女とは関係のないことだから。

「脳だったか心臓だったか──いずれにせよ突然死でした。だからあの部屋は、主人と相談して貸すのをやめたんです。また何かあったら夢見が悪いですからね」

振り返ってみる。彼女が僕の部屋に来たこともなければ、僕が彼女の部屋に泊ったこともない。会うのは週に一回、その日は終日一緒だった。

マイペースな彼女に合わせていた形だけれど、何か事情を抱えているのだろうとは感じていた。それが男の陰であったりしたら、僕はどうすればいいのだろうかと考えたりもした。

けれど彼女の部屋に、男の痕跡はなかった。ただ、彼女が男の部屋に行っていた可能性は残してはいたけれど、それさえあり得ないのだろうとは、いま理解した。

梅の花見をしようと提案した時、行こう行こうとはしゃぎながらも、その表情の奥に少し浮かないものを感じた。彼女はもう、僕との約束を守れなくなることを知っていたのだろうか。



やはり彼女は自分の意志でこの時代に蘇ったと解釈する方が自然だろうか。時間差を認識していたとするのが。

僕たちはその時間の中で、たまたま出会ったのだろうか。それとも──彼女は僕に、会いに来たのだろうか。

ただ分かっていることがひとつだけある。

僕はもう、二度と彼女に会えないということだ。だって、死んだ彼女がいっとき蘇っていたとしても、最後になってしまった僕との約束を、果たせなくなった理由があるはずだから。


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「信じられないとは思いますけど、いつも来てたんです。105号のあの部屋に」

僕の言葉に鼻息をひとつつき、おばあちゃんはうんざりとした表情を見せた。

「いいましたよね。あの部屋に人は住んでいません」今度は本当にドアが閉じられてゆく。

「黒崎麻巳子さんを訪ねてきたんです」追いすがる僕の声に、おののいたように手を止めたおばあちゃんは顔を上げた。

「いま──なんておっしゃいました?」
「黒崎麻巳子さんを訪ねてきたんです。それと風見鶏がなくなってました」
これで、切り札と思われる3個の内、ふたつは使ってしまった。

「風見鶏?」



「あのマンションの屋根の上にあった風見鶏が、昨日はなくなってました。実は、昨日も来たんです」

「風見鶏があったんですか? 昨日ですか?」半分閉じられたドアの向こうで、おばあちゃんは目を大きくしていた。

「いえ、風見鶏があったのは先週までのことです。というか、僕が見たのは先週です。あの建物も新築でした」

新築……つぶやいたおばあちゃんは考え込むように視線を下げた。ひと呼吸、ふた呼吸。おばあちゃんは顔を上げた。

「わたしも事情が全く呑み込めませんけど、話だけなら伺います。とりあえず入ってください、寒いですから」ブルっと肩を震わせた。

「あ、すみませんでした」玄関に足を踏み入れた僕の背後で、ドアが静かに閉まった。

「風見鶏、あの頃確かにありました」脱いだスリッパを揃えたおばあちゃんは僕を見た。
室内に上げてくれる様子はない。

「あの頃?」
「ええ、あの頃です」

「神崎さんがどこへ行ったかなどご存知ないですよね」自分の中の推察は置いてストレートに押すしかない。

僕の問いかけに苦いものでも飲んだような顔で視線をさまよわせ、やがて僕の顔に視線を止めた。

おばあちゃんの細く長く息を吸う音と、ゆっくり吐き出す音が聞こえ、奇妙な静けさがふたりの間に流れた。

一度目を伏せてから、ふたたび僕を見た。
「お亡くなりになりましたよ」
「え?」耳をふさがれたような静寂が僕を襲った。

「事故に遭われたんです」

「いつ──ですか」
「そおねぇ──」考え込むように首を少し捻った。
「あぁ、上の娘が結婚した年だったはずだから、かれこれ25年は経つのかしら。たしか春先だったような」

彼女は25年も前に死んでいたのか──そのひとと、僕は過ごしていたというのか。

うそだ……。

「嘘ではないです」その言葉で、僕が思いを口に出していたことを知った。

「事故で亡くなったわけじゃないんです。お怪我はなさったようですけど退院されたんです」
「それが、なぜ」

「自殺されたんです。あの部屋で」
僕の首筋を冷たいものが撫でて過ぎた。


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翌日、淡い期待を抱いて自転車を走らせたけれど、やはり状況は変らなかった。

ふぅーっと長い息を吐き、緊張のせいか乾く唇をなめながら、隣に建つ大家さんの玄関前に立った。

昨夜は、ベッドの中で幾度も寝返りを打ちながら悶々とした。この説明しがたい状況を、どんな問いかけに変換すればいいのだろうと。

けれどどの道、不審な男に見えるのは間違いない。だから、そんなことはどうでもいいことだと腹をくくった。

知らなければならないのは、僕の身だけに起こったはずのマンションの異変と、彼女の行方だから。

僕は必ず辿り着く。心に決めたのはそれだけだった。

ドア横の表札には木之元とあった。それがKMハイツの名前の由来だということに初めて気がついた。

インターフォンを押して耳をそばだてた。吸っては吐き出す自分の鼻息だけが、気ぜわしく耳に届いた。

やがて、「はい」と返ってきた声に、僕は背筋を伸ばした。

「あ、あの、すみません。105号室を訪ねてきたんですけど──チャイムが壊れてますか? えっと、あの──鳴ってないような気がするんですけど」

しどろもどろになったが、なんとか言葉にできた。

「え?」と言ったきり、インターフォンが無音になった。
風の音だけが僕の周りを支配する。こらえきれず、もう一度口を開いた。

「すみません、105号室を訪ねてきたんです」

「どちら様ですか」
僕が映っているであろうインターフォンに、腰を折るように顔を近づけた。
「105号室に住んでいる人の友人です」
ふたたび、えっ? と声がした。今度はつぶやきに近かった。

もちろん、それが僕に聞かせようとしたものではないことは分かる。それが一層不安をあおった。

しばらくして、ドアがゆっくりと開いた。
年の頃は70代ぐらいだろうか、怪訝そうな顔をしたおばあちゃんが顔をのぞかせた。

「105号ですか」訪問者など予期していなかったであろうおばあちゃんは、白いものが目立つ髪を左手で撫でつけた。

「はい。一番奥の105です」
「間違えてますよ」眉根を寄せて僕を見る。

「はい?」
「105号室に、人は住んでいません」
玄関わきのハナミズキが風で音を立てた。



彼女が、すでにあの部屋にいないことはわかっている。知りたいのはその消息を辿る手がかりだった。

「いつから空き部屋なんですか」
「いえ──ですから、訪ねる場所を間違えています」

おばあちゃんはつかんだままのドアノブを、そのまま引いてしまいそうだった。これが閉じられたら手がかりは失われる。

「いつから空き部屋なのか教えてもらえませんか」僕は心から、懇願の表情を浮かべた。

「もうずっと人は住んでいませんよ。かれこれ──」おばあちゃんは首を傾げて少し考え込んだ。「20年以上は経つでしょう」

20年以上──やはり僕は、異なる時間のあの部屋に来ていたということだろうか。あのマンションがまだ真新しかったころの。

ということは、彼女がいる世界へ僕が迷い込んだのだろうか。いや──僕たちはあの部屋だけで過ごしたわけではない。

もしも彼女がそうとは知らずに、時空を超えて足を踏み入れていたとしたら……。

いや、それもない。買い物をしても、食事をしても、彼女が戸惑うことはなかった。20年以上の歳月の隔たりがあれば、それに気がつかないはずがない。

彼女は僕の過ごす時間の中で、笑ったりはしゃいだり、時々むくれたりしたのだ。

短い間だったけれど、僕たちは間違いなく、この町とお互いの心に足跡を残してきたはずだ。

それとも彼女は、自分の意志でここに来たのだろうか──

未来に。


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空を見上げると、ゆっくりと流れる雲が太陽をさえぎった。
辺りに広がる灰色の景色は、まるで思考を止めた僕の心みたいだった。

やがて雲の縁を白くしながら日差しが戻り、世界は彩られたはずなのに、僕の心に色は戻らない。

風が吹き、木々がざわめいた。遠くで鳥が鳴き、人が通り、車が走り抜けた。

若いお母さんが押すバギーが行き過ぎ、人の気も知らぬ子どもたちが駆けていった。

僕はここで何をしようとしているのか、それすらわからなくなっている。

あっ、僕は思わず小さく声を上げていた。
両手を広げ姿勢を低くして近づいてゆく。彼女と僕を結ぶ生き証人が現れた。

お前は何か知っているんだろう?

「うさぎ、おいで」しゃがみ込んで手を広げた。
うさぎはこちらを見て立ち止まった。

警戒感たっぷりに背中を低くした猫は、ダッと走って逃げた。

うさぎじゃなかった──。

ため息が、自分でも分かるぐらいに震えていた。膝に手をつき、重い体を立ち上がらせる。

気づかぬ間に影は長くなり、やがて夕方の気配が辺りを包み始めた。
答えはおろか、解き方さえ見つけられず立ち尽くす僕のコットンパンツを、夕焼けが赤くした。



やがて街灯がともり始めた。もしやと思いベランダ側に回ってみたけれど、部屋の明かりが漏れてくることもなかった。

彼女はもう、どこにもいないのかもしれない。冷える夜がやってきても僕は離れがたく、ただ立ちすくんだ。

僕たちは、もう二度と会えないのだろうか。それは何気ない日常に訪れた信じられないほどの欠落だった。

すれ違う人から見たら、彼女は一人の女性に過ぎない。けれど僕にとっては欠けてはならないパーツだった。
 
僕は大事なそれを失った欠片だ。誰も僕の原型なんてわからないぐらいの破片だ。

僕はぎゅっと目を閉じる。

歯を全開にして笑うと、空中を跳ねるドルフィンのように細く弧を描く目と、鼻の頭のちょっと横っちょにある小さなホクロ。まったく整えていないという凛々しい眉。

僕は彼女が大好きだった。

聞いてほしいことや知ってほしいこと。聞きたいことや教わりたいこと。
きっとたくさんあった気がするのに、もう叶わないのか。

冷やされた悲しみは尖った結晶になって降ってくる。チクリチクリと心に刺さりながら降り積もってゆく。

僕はここから、永遠に動けなくなるのかもしれないと思った。

頬に温かいものが当たった。あご先で冷たいそれが震えたとき、自分が泣いているんだと気がついた。


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ドアの前に立ち、ふっとひとつ息を吐き、両の手のひらで頬をパンパンッと叩いた。それから、いつも通り部屋のチャイムを押した。

けれどそれは、空打ちをするような気配があった。
耳を澄ませて押してみても鳴っている様子がない。

コンコン
小さくノックをしてドアに耳を寄せたが応答はない。

コンコン
もう一度小さくノックした。やはり応答はない。

ドンドン!
気が急いた僕は大きくたたいた。同じだった。

ドンドン!
「まみ!」
呼びかけにも、部屋は沈黙を続けた。

僕は項垂れるようにドアに頭を付けた。これはどうしたことなのか。嫌な夢でも見ているのか。

顔を上げてドアを見つめる。やっほぉ、と口を丸くして、いつも彼女が開けてくれたドアを。

この建物だけが、急速に時間を進めたというのだろうか。
だとするなら、今、彼女がここにいるわけがないではないか。

ショルダーバッグのサイドポケットに手を差し入れ、キーをつかんだ。

ドアを開けると、冷え切った空気が動いた。薄暗い部屋に目を凝らすと、フローリングの床に彼女が直に座っている。

ゆらりと立ち上がった彼女が、こちらに向かって歩いてくる。
「ずいぶんと遅かったのね」
力のない笑みを浮かべた彼女は、老婆だった。


頭を必死に振って、ありもしない妄想を追い払った。

サイドポケットの中で、キーを手放した。取り出して使う勇気は──ない。
粟立った腕をブルゾンの上からさすった。

光速に近いスピードで移動すると、時間の流れが遅くなり、周りの時間の流れが速くなるという現象があった。浦島効果。

いや、そんな馬鹿な話はない。僕は大したこともない距離を自転車に乗ってきただけだ。

じっくり見たわけではないから確信はないけれど、隣の大家さんの家、近くに建つアパート、民家、どれを見ても取り立てて変化したようには見えない。

僕の目には、この建物だけが古くなったように映る。
このワンルームマンションだけが、僕と彼女が過ごした間だけ過去に戻っていたということなのだろうか。

ということは、僕が訪ねた部屋は現在とは違う時空に存在したというのだろうか。混乱する頭は答えを探したけれど見つかるはずもなかった。

ドアの前を離れ、マンションが見える道向かいに立ち僕は見つめ続けた。彼女は携帯はおろか固定電話さえ引いていなかった。

“文明の利器に頼るとね、心からうたが消えるのよ”

それもまた主義かと僕は納得した。近所だし、約束の日時に訪れるといつもいたから困ることもなかった。

今考えると、おかしなことはあった。
彼女はこの町から出たがらなかった。

“まだ住み始めたばかりだから、この町をもっと知りたいの”
それもそうだと僕は納得していた。

けして大きな繁華街ではないけれど、電車に乗って買い物に来たり、遊びに来たりする人も多い町だからだ。

彼女の行動と、この時間を進めたワンルームマンションには関係があるのだろうか。


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夜はまだ冷え込みが強いけれど、3月に入り日中の気温は15度を越える日も出てきた。

待ち遠しい桜の蕾も大きく膨らみ、近所の家の庭先には梅が咲いている。



自転車の前かごに乗りきらないAmazonの段ボールを紐で括(くく)り付けて、僕は彼女の部屋を訪ねた。

「なに? プレゼント!?」ドアを開けたとたん、嬉しそうに肩口で両手を広げた。
「うさぎに」
「なんだ」眉根にしわを寄せて、プイっと体を反転させた。

ひどくわかりやすい反応はいつものことだし、それがいいところでもある。

“ああ、そうだったんだ”などと、浮かべた笑顔が引き攣り気味だったりしたらいたたまれないから。

「なんだとか言うなよ。猫はね、段ボールが大好きなんだ。これぐらいおっきくなったら大喜びだよ」

背中を向けたまま項垂れて、肩をヒクヒクと上下させているのは、泣いているぞ、の表現だろうか。

それはとりあえず無視することにした。

Amazonの段ボールの中に小さな空っぽ段ボールを入れていた。それを開けるとさらに小さな空っぽ段ボールが入っている。

「マトリョーシカか!」しゃがみ込んで見ていた彼女はバネ仕掛けの人形みたいに立ち上がった。

段ボールを興味深そうに前足でフックしていたうさぎが、姿勢を低く飛びすさって彼女を見上げた。

それぞれの段ボールから自分へのサプライズプレゼントが出てくるのではないかと期待した彼女は、かなりおかんむりだったけれど、うさぎは喜んだ。

プレゼントはまだ先。彼女の誕生日は来週だから。
「怒らないの」

大小さまざまな段ボールで、うさぎはよく遊んだ。



翌週は、夜中に降っていた雨もきれいに上がり、行楽日和といったところだった。

ショルダーバッグに誕生日プレゼントを入れて、いつものように自転車に乗って彼女の部屋に向かった。近所の公園に数本ある梅で花見をしようと約束したのだ。

自転車を降りて駐輪スペースに向かったとき、違和感を感じた。立ち止まった僕は、それが何かを探すためにゆっくりと視線を動かした。

いや、探すまでもなかった。信じられない異変は目の前にあった。真新しかった建物が古びているのだ。

呆気にとられた僕は左右を見渡した。場所が違っているわけではないことを、周りの景色が教えていた。

白くてきれいな建物だった。
それがどうしたことだろう、雨が流れた跡なのか幾筋ものシミが浮き、全体が薄汚れているのだ。あの風見鶏もなくなっている。

僕は自転車を止めて通路を進んだ。レンガを敷き詰めたそこも、ところどころがひび割れ、色が変わり、経年劣化を示していた。ありえない状況に、耳の奥で鼓動がうるさく鳴り始めた。


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