猫と彼女がいた部屋「9」 | 風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」
「信じられないとは思いますけど、いつも来てたんです。105号のあの部屋に」

僕の言葉に鼻息をひとつつき、おばあちゃんはうんざりとした表情を見せた。

「いいましたよね。あの部屋に人は住んでいません」今度は本当にドアが閉じられてゆく。

「黒崎麻巳子さんを訪ねてきたんです」追いすがる僕の声に、おののいたように手を止めたおばあちゃんは顔を上げた。

「いま──なんておっしゃいました?」
「黒崎麻巳子さんを訪ねてきたんです。それと風見鶏がなくなってました」
これで、切り札と思われる3個の内、ふたつは使ってしまった。

「風見鶏?」



「あのマンションの屋根の上にあった風見鶏が、昨日はなくなってました。実は、昨日も来たんです」

「風見鶏があったんですか? 昨日ですか?」半分閉じられたドアの向こうで、おばあちゃんは目を大きくしていた。

「いえ、風見鶏があったのは先週までのことです。というか、僕が見たのは先週です。あの建物も新築でした」

新築……つぶやいたおばあちゃんは考え込むように視線を下げた。ひと呼吸、ふた呼吸。おばあちゃんは顔を上げた。

「わたしも事情が全く呑み込めませんけど、話だけなら伺います。とりあえず入ってください、寒いですから」ブルっと肩を震わせた。

「あ、すみませんでした」玄関に足を踏み入れた僕の背後で、ドアが静かに閉まった。

「風見鶏、あの頃確かにありました」脱いだスリッパを揃えたおばあちゃんは僕を見た。
室内に上げてくれる様子はない。

「あの頃?」
「ええ、あの頃です」

「神崎さんがどこへ行ったかなどご存知ないですよね」自分の中の推察は置いてストレートに押すしかない。

僕の問いかけに苦いものでも飲んだような顔で視線をさまよわせ、やがて僕の顔に視線を止めた。

おばあちゃんの細く長く息を吸う音と、ゆっくり吐き出す音が聞こえ、奇妙な静けさがふたりの間に流れた。

一度目を伏せてから、ふたたび僕を見た。
「お亡くなりになりましたよ」
「え?」耳をふさがれたような静寂が僕を襲った。

「事故に遭われたんです」

「いつ──ですか」
「そおねぇ──」考え込むように首を少し捻った。
「あぁ、上の娘が結婚した年だったはずだから、かれこれ25年は経つのかしら。たしか春先だったような」

彼女は25年も前に死んでいたのか──そのひとと、僕は過ごしていたというのか。

うそだ……。

「嘘ではないです」その言葉で、僕が思いを口に出していたことを知った。

「事故で亡くなったわけじゃないんです。お怪我はなさったようですけど退院されたんです」
「それが、なぜ」

「自殺されたんです。あの部屋で」
僕の首筋を冷たいものが撫でて過ぎた。


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