僕の言葉に鼻息をひとつつき、おばあちゃんはうんざりとした表情を見せた。
「いいましたよね。あの部屋に人は住んでいません」今度は本当にドアが閉じられてゆく。
「黒崎麻巳子さんを訪ねてきたんです」追いすがる僕の声に、おののいたように手を止めたおばあちゃんは顔を上げた。
「いま──なんておっしゃいました?」
「黒崎麻巳子さんを訪ねてきたんです。それと風見鶏がなくなってました」
これで、切り札と思われる3個の内、ふたつは使ってしまった。
「風見鶏?」

「あのマンションの屋根の上にあった風見鶏が、昨日はなくなってました。実は、昨日も来たんです」
「風見鶏があったんですか? 昨日ですか?」半分閉じられたドアの向こうで、おばあちゃんは目を大きくしていた。
「いえ、風見鶏があったのは先週までのことです。というか、僕が見たのは先週です。あの建物も新築でした」
新築……つぶやいたおばあちゃんは考え込むように視線を下げた。ひと呼吸、ふた呼吸。おばあちゃんは顔を上げた。
「わたしも事情が全く呑み込めませんけど、話だけなら伺います。とりあえず入ってください、寒いですから」ブルっと肩を震わせた。
「あ、すみませんでした」玄関に足を踏み入れた僕の背後で、ドアが静かに閉まった。
「風見鶏、あの頃確かにありました」脱いだスリッパを揃えたおばあちゃんは僕を見た。
室内に上げてくれる様子はない。
「あの頃?」
「ええ、あの頃です」
「神崎さんがどこへ行ったかなどご存知ないですよね」自分の中の推察は置いてストレートに押すしかない。
僕の問いかけに苦いものでも飲んだような顔で視線をさまよわせ、やがて僕の顔に視線を止めた。
おばあちゃんの細く長く息を吸う音と、ゆっくり吐き出す音が聞こえ、奇妙な静けさがふたりの間に流れた。
一度目を伏せてから、ふたたび僕を見た。
「お亡くなりになりましたよ」
「え?」耳をふさがれたような静寂が僕を襲った。
「事故に遭われたんです」
「いつ──ですか」
「そおねぇ──」考え込むように首を少し捻った。
「あぁ、上の娘が結婚した年だったはずだから、かれこれ25年は経つのかしら。たしか春先だったような」
彼女は25年も前に死んでいたのか──そのひとと、僕は過ごしていたというのか。
うそだ……。
「嘘ではないです」その言葉で、僕が思いを口に出していたことを知った。
「事故で亡くなったわけじゃないんです。お怪我はなさったようですけど退院されたんです」
「それが、なぜ」
「自殺されたんです。あの部屋で」
僕の首筋を冷たいものが撫でて過ぎた。
ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ
にほんブログ村