猫と彼女がいた部屋「13」 | 風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」

「突然すみませんでした」
僕は頭を下げた。不審者として通報されなかっただけまだましだった。

「最後にひとつだけいいですか?」
「なんでしょうか」おばあちゃんは少しだけ首を傾げた。

「黒崎さんは、ネコを飼っていた様子はありましたか」
「ネコ? いえ、ありませんでしたよ。そもそもペットはダメですしね」

うさぎも幻の猫だったのか。
その柔らかなお腹と、甘噛みをしながら後ろ足でぎゃんぎゃんと蹴る感触が蘇った。

確かにこの手に残っているそれを確かめるように、僕は手を握りしめた。

誰がどういおうと、現実がどうであろうと、うさぎは僕たちふたりの間でじゃれていた。ウサギと彼女は、確かに存在したのだ。

うさぎ、彼女がそばにいるなら、どうか導いてください。春の花の咲き乱れる、明るくて柔らかくてやさしい場所へ。

ドアを開けたら、さっきまで曇っていた街に春の日差しがあふれていた。けれど、彼女はいない。それが、僕にとってのどうしようもない現実だった。

少しのためらいの後、僕は公園に向かった。彼女と梅の花見をする予定だった公園。

先週が最後だとわかっていたなら、僕はどんな行動をして、どんな言葉を掛けていただろう。

無駄だ。何を考えても、これっぽっちの慰めにもならない。
僕の思考を笑うように、木々を揺らして風が吹き抜け、遠くで小鳥が鳴いた。



ベンチに腰を下ろして空を見上げる。

色んな思いが浮かんでは消えていくような、それでいて、実はなにも考えていない洞(ほら)のような、色も匂いもない、音も温度もない、そんな世界の隅っこに、僕はポツンと座っていた。

自転車が走ってくる。僕はそれをぼんやりと見ていた。

「ナンダサカ、コンナサカ!」
その自転車が、妙な掛け声を掛けながら目の前を通り過ぎた。

体に似つかわしくないごつい自転車のハンドルにしがみつくように前かがみになり、肩を怒らせてペダルをこいでいる。

ネックウォーマーとキャップの間から出たポニーが左右に揺れている。さっき会った、KMハイツの大家さんの孫娘だった。

やがて、ヨレヨレと、本当にヨレヨレとハンドルを切りながら、大きく右に旋回し始めた。

こっちに向かってくる。すぐ近くで止めて降りようとして失敗した。派手な音を立てて自転車が倒れた。

「昭和か!」
罵った自転車を起こそうとして格闘していたが、諦めた。

そのまますたすたとこちらに向かって歩いてくる。
僕の前に両手を腰に、仁王立ちした。

「なんで無視するの!? せっかく華麗に登場したのに」
「あ、いや、無視したわけじゃなくて、呆気に取られて……」

「それにぃ、呼び止めたのに何で帰っちゃうの」
「え、あ、そうだった? 気がつかなかった」
「まあ、玄関を覗いたときにはいなかったんだけどね」少女はへらっと笑った。

「あの自転車、なに?」
「おじいちゃんの自転車」

「ナンダサカコンナサカは?」
「おじいちゃんがね、坂道で自転車をこぐときの掛け声。歌らしいんだけどね。トンネルがどうした、鉄橋がどうたらって。それに坂道っていってもね、石ころも転がらないようなぬるい坂なんだけど」
「ふぅん」

「ふぅんって、興味のないことなら訊かないでね!」
少女の仁王立ちがさらに力強さを増し、僕は恐る恐る少女を見上げた。


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