ドアの前に立ち、ふっとひとつ息を吐き、両の手のひらで頬をパンパンッと叩いた。それから、いつも通り部屋のチャイムを押した。
けれどそれは、空打ちをするような気配があった。
耳を澄ませて押してみても鳴っている様子がない。
コンコン
小さくノックをしてドアに耳を寄せたが応答はない。
コンコン
もう一度小さくノックした。やはり応答はない。
ドンドン!
気が急いた僕は大きくたたいた。同じだった。
ドンドン!
「まみ!」
呼びかけにも、部屋は沈黙を続けた。
僕は項垂れるようにドアに頭を付けた。これはどうしたことなのか。嫌な夢でも見ているのか。
顔を上げてドアを見つめる。やっほぉ、と口を丸くして、いつも彼女が開けてくれたドアを。
この建物だけが、急速に時間を進めたというのだろうか。
だとするなら、今、彼女がここにいるわけがないではないか。
ショルダーバッグのサイドポケットに手を差し入れ、キーをつかんだ。
ドアを開けると、冷え切った空気が動いた。薄暗い部屋に目を凝らすと、フローリングの床に彼女が直に座っている。
ゆらりと立ち上がった彼女が、こちらに向かって歩いてくる。
「ずいぶんと遅かったのね」
力のない笑みを浮かべた彼女は、老婆だった。
頭を必死に振って、ありもしない妄想を追い払った。
サイドポケットの中で、キーを手放した。取り出して使う勇気は──ない。
粟立った腕をブルゾンの上からさすった。
光速に近いスピードで移動すると、時間の流れが遅くなり、周りの時間の流れが速くなるという現象があった。浦島効果。
いや、そんな馬鹿な話はない。僕は大したこともない距離を自転車に乗ってきただけだ。
じっくり見たわけではないから確信はないけれど、隣の大家さんの家、近くに建つアパート、民家、どれを見ても取り立てて変化したようには見えない。
僕の目には、この建物だけが古くなったように映る。
このワンルームマンションだけが、僕と彼女が過ごした間だけ過去に戻っていたということなのだろうか。
ということは、僕が訪ねた部屋は現在とは違う時空に存在したというのだろうか。混乱する頭は答えを探したけれど見つかるはずもなかった。
ドアの前を離れ、マンションが見える道向かいに立ち僕は見つめ続けた。彼女は携帯はおろか固定電話さえ引いていなかった。
“文明の利器に頼るとね、心からうたが消えるのよ”
それもまた主義かと僕は納得した。近所だし、約束の日時に訪れるといつもいたから困ることもなかった。
今考えると、おかしなことはあった。
彼女はこの町から出たがらなかった。
“まだ住み始めたばかりだから、この町をもっと知りたいの”
それもそうだと僕は納得していた。
けして大きな繁華街ではないけれど、電車に乗って買い物に来たり、遊びに来たりする人も多い町だからだ。
彼女の行動と、この時間を進めたワンルームマンションには関係があるのだろうか。
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