愛と平和の弾薬庫 -5ページ目

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

シナロケが無くなった。

すっかり消滅した。

完全に何かが終わった。

 

Goodbyes

 

2021年8月24日 チャーリー・ワッツ

2022年3月12日 松村雄策

2022年11月11日 キース・レヴィン

2022年11月23日 ウィルコ・ジョンソン

2022年11月29日 安田立和 (やすだりゅうか、元東北放送アナウンサー)

2022年11月30日 クリスティン・マクヴィー

2023年1月10日 ジェフ・ベック

2023年1月11日 高橋幸宏

2023年1月28日 トム・ヴァ―レイン

2023年1月29日 鮎川誠

 

チャーリーが逝ってしまった時が始まりだった。

終りの始まりだ。

松村雄策が死んだ時、本格的に来たな、と思った。

そして訪れた2022年11月。次々に耳に入ってくる訃報。

 

安田さんは、退社後もずっと続けていた番組「ラジオ倶楽部」を終了するころには声の調子が全然違っていた。東北放送ラジオに唯一残される形になった「洋楽DJ」須口まきさんが自分の番組で追悼していたのが印象的で、救いだった。

 

高校生の時、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」、ボストンの「幻想飛行」、そしてフリートウッド・マックの「噂」の時代が訪れた。メガヒットアルバムの時代の中、仙台スポーツセンターにフリートウッド・マックはやってきた。

ピーター・グリーンを中心に据えたブルースバンドを、クリスティン・マクヴィーは、「Remember Me」「Heroes Are Hard To Find」「Say You Love Me」「You Make Loving Fun」などの重みに満ちたポップソングでボブ・ウェルチと共に深みのあるポップバンドに生まれ変わらせた。ボブ・ウェルチ独立後は間違いなく、真の「フリートウッド・マックの支柱」となった人だった。

 

つづく

 

中学一年で深夜放送を聴き始めた時、「AMO」の男性アナはすでに俊みっちゃん(鈴木俊光)に代わっていて、りゅうかさんのAMOは聞けなかった俺だけど、もしかしたらAMOから降りていたおかげで、俺たちは立和さんの「DJ」をちゃんと聞けたのかもしれない。

そう。立和さんは俺にとってはいろんなどうでもいい東北放送の番組をこなすアナウンサーである前にきっちり、東北放送唯一の「洋楽DJ」だったのだ。

それがどんなタイトルを冠された番組だったかは残念だけどまったく記憶に残ってない。タイトルなんてなにがどうでもいいぐらい、立和さんは俺にとっては「洋楽担当の人」だったのだ。おそらく東北放送を聴いていたロックファン、ポップスファン、オールディーズファンーーすべての洋楽ファンにとって、安田立和さんは「洋楽DJ」だったに違いない。

そんな安田さんの最後の仕事が「ラジオ倶楽部」だった。

前置き(枕)が長すぎてなかなか一曲目がかからないことも多かったけれど、それが自分のリクエストした曲がかかるかどうかヤキモキしていた身には腹立たしい時もあったけれど、でも「ラジオ倶楽部」は俺が唯一聞ける東北放送ラジオの番組でした。唯一の待ち遠しい時間だった。

そんな時間を長い長いあいだ俺たちに持たせてくれた安田立和さんのご冥福を心より、心より、お祈り申し上げます。

 

 

 

ラズベリーズだのドアーズだの、ラジオ倶楽部には不似合いなリクエストばっかしていた「福室悶々之介」はわたしです。

 

 

ある日ぼくはきみたちを迎えに行って連れ帰ったけれど、きみたちが聴かせてくれた調べはぼくの空間の中でゆがんだまま固まってなかなか本当の姿になって響こうとしなかった。それだけのことだった。だからぼくは何度もきみたちの歌や演奏をぼくの部屋で鳴らし続けたんだ。実はかなりの度合いで自棄気味な気分を抱えたまま。

 

きみたちの存在をぼくに教えてくれたのはミュージックライフという月刊誌だった。なかなかの厚みを持った洋楽専門誌だったけれど、今にして思えばそれはどちらかと言えばきみたちの奏でるような音楽とは正反対の種類の音楽を鳴らすバンドを中心に扱っている雑誌で、そこできみたちを知ったなんて奇跡に近い出来事だったのかもしれない。

 

でもとにかくきみたちのことをぼくに教えてくれたのは他ならぬミュージックライフだったんだ。ミュージックライフの、確か東郷かおる子さんには本当に感謝したいと、45年以上たった今でも本気で思う。そう。きみたちとの出会いがなかったら、今のぼくはどこにも存在していなかっただろうから。

 

               jim

太田幸司を擁した三沢高校(青森)が延長18回を0-0で引き分け、翌日の「引分け再試合」で負けたのが1969年だというから、俺は十歳だったわけだが、その試合をどんな思いで見ていたかはまったく覚えていない。

 

磐城高校の田村がなぜ「小さな大投手」と呼ばれたのかは知らなかったが、その決勝戦を見ていた時の様子は何気に覚えている。十二歳なんだからもうちょっとしっかり覚えていてもよさそうなものだが、なにせバカなので一人でじっとテレビを記憶だけがしっかり脳みその底に沈んでるだけなんだが。

 

今回の育英の快挙に際して皆さんは「白河の関越え」という言葉を使うけれど、その言葉がどこか俺にはストレートに入ってこなかった。俺にとって甲子園の優勝旗は「勿来の関」を越えて入ってくるものだとばかり思っていたのだ。なぜ白河じゃなくて勿来になっちまったのかは、小学六年のガキの耳にしっかり「勿来の関を越えず!」という言葉がこびりついていたからだ。

優勝旗が磐城高校の手にもたらされた時、それは現在いわき市の一部となっている勿来の地を越えて入ってくるものだったから、アナウンサーがしきりに「勿来の関」と言っていたんだと、たぶんそうなんだと、今回の快挙に際して思い至ったのでした。

 

それから延々50年の年月が流れて……ああ、わたしゃ63才だってさ。しかし、生きてるあいだに見られたんだから奇跡のようなもんだ。

 

大越基、ダルビッシュ、菊池雄星、田村と北條、吉田輝星、そしてそいつらのチームメイトたちが手に仕切れなった栄冠を、淡々と投げ続ける斉藤蓉とその大いなる仲間たちはがっちりとその手中に収めた。

その瞬間――深紅の優勝旗が、坂上田村麻呂(桓武天皇)や頼朝から東京電力にいたるまで数々の「侵略者たち」に踏みにじられてきた東北の地にやって来ることが決定した瞬間、50年の記憶はどんだけ俺を泣かせるんだろうと思って、妻の隣りで俺はちょっとびびっていた。しかしその瞬間、俺はすっと楽になった。あれ?ってなもんだ。心の奥から何かがすっと抜け落ちた。そんな感じに包まれたのだ。待ちに待ったその瞬間がついにどっかーんとやってきたのに、である。

 

手かせ、足かせ、心の奥底にあった重し、不必要な、本来いらなかった何か、そんなものからすべて解放された、そんな感覚。

 

ほんとにおめでとう!だったのだ。俺たちにとって彼らの快挙は!

さてどんなところまで話しただろうか。そうだそうだ、俺は夏が嫌いではない、というところだったろうか。嫌いじゃないさ、というよりむしろもう大好きと言ってもいい。あぎゃあぎゃ息を詰まらせながら川辺の道を行くなんて、そりゃそれに勝るものはないってぐらい暑さを評価してるのだ。ヤツは最高の仲間さ。俺は寄り添って歩く。川辺を猛暑に寄り添って歩く。生きてる。そう実感さ。夏の暑熱を毛嫌いする奴等こそが俺の敵だ。えなみぃ。えねみぃ。どっちでもいい。勝手にしてりゃいい。ああ、夏よ。お前になら殺されたって文句は言わない。つうことは何か?俺はねっちゅーしょーとやらで死にたがってるってことか?マジか。だったらそれでいい。俺がふぎゃふが訳が分からんくなってても119は無用だ。そのままおさらばするぜ!させてくれ!

 

「そしてビートルズは北極星になった」より

 

『レット・イット・ビー』は悲しかった。偉そうに仕切りまくるポール。ポールにねちねち言われて怒るジョージ。それをうんざりした顔で見るリンゴ。それを見ていながら全く知らん顔のジョン。いいところなんか、ひとつもなかった。

自転車に乗って大森まで帰った。浜松か田町あたりで涙が出てきた。ビートルズは終わったんだ。ランドセルを背負っていた小学校六年生から聴いていたビートルズが終わってしまったのだ。

 

ところが、ビートルズは終わらなかったのである。確かに解散直後は、過ぎ去ったものというあつかいだった。しかしそれは数年間のことだった。若い新しいファンが、どんどん増えてきたのである。

 

ビートルズは北極星である。ほかの星は動いていても、北極星はいつまでも同じところで輝いている。

僕達が死んだ後も、北極星はずっとずっと光り輝いている。50光年の彼方で光り輝いているビートルズに、感謝したい。

 

 

「酒を飲んだ時のためのドアーズのベスト・アルバム」

I

1. Strange Days

2. You're Lost Little Girl

3. The Crystal Ship

4. My Eyes Have Seen You

5. I Can't See Your Face In My Mind

6. Girse Latitude

7. Moonlight Drive

8. End Of The NIght

II

1. Spanish Caravan

2. My Wild Love

3. Not To Touch The Earth

4. Summer's Almost Gone

5. Wintertime Love

6. Indian Summer

7. Waiting For The Sun

 

「男達の青春」

男達にとってはビートルズというのは、つまりは過ぎ去ってしまった〝青春"なのではないだろうか。

それは、ビートルズの内部にいた人間にとっても、外部にいたファンにとっても、同じようにほろ苦い〝青春″なのではないだろうか。

 

「時をかける男」

のちに『欲望』や『イージー・ライダー』や『モンタレー』や『ウッドストック』などなど、ロック映画はいっぱい観ることになるのだけれど、『ビートルズがやって来る』と『五人の週末』以上のものは、僕には一本もなかった。『さらば青春の光』でさえも、この二本と比べると、色あせてしまう。

 

「バッドフィンガーのベストアルバム」

I

1. Baby Blue

2. When I Say

3. Icicles

4. Apple Of My Eye

5. I'd Die Babe

6. Sweet Tuesday Morning

7. Without You

II

1. Andy Norris

2. My Heart Goes Out

3. Know One Knows

4. I Can Love You

5. In the Meantime, Some Other Time

6. Love Time

 

「17歳の少年のように」

贅肉を増やしていくというと……それで失ったものがたくさんあるような気がする。だから、身についてしまった贅肉を、落とさなければならない。少しぐらい辛くても、痩せなければならないのである。

 

「ロックンロールを普通の生活に」

「若者の反抗とロックンロール」には、やはりフーが、ピート・タウンジェンドが出てこなければいけないのだ。

ビートルズはちょっと違う。ローリング・ストーンズでもないだろう。もちろんレッド・ツェッペリンやピンク・フロイドのわけはない。フーでなければならないのだ。デビュー以来、フーはずっと若者のロックンロールを演っていたのである。

 

「1983年のクリスマスイブ」

コンサートはすでに半分以上は過ぎてしまっていた。そして、そこからアンコールの最終曲までを、僕はその50人のためだけに歌おうと決めた。はっきりいって、あとの450人はどうでもよかった。

 

「ザ・モノクローム・ビートルズ」

60年代のロック・ファンは、そういう楽しみ方がよくわかっていた。ところが70年代に入ってハード・ロックやプログレッシブ・ロックが流行してきたら、それがなにか偉そうな思想だと勘違いをして聴くようになって奴等が増えてきたのだ。

いわゆる、文化人タイプの連中である。ビートルズを馬鹿にしたりバッドフィンガーに塩を撒いたりしたのはこいつらである。ワンワン啼けば犬も同然の大馬鹿野郎共である。

 

「『ジ・エッセンシャル・ビートルズ』に刺激されてのベスト・アルバム」

I

1. Anytime At All

2. I Should Hve Known Better

3. All My Loving

4. Not A Second Time

5. Please Mr. Postman

6. Things We Said Today

7. There's A Place

8. This Boy

II

1. Help!

2. It's Only Love

3. I've Just Seen A Face

4. In My Life

5. And Your Bird Can Sing

6. For No One

7. Wait

8. Yes It Is

 

「リザード・キングの墓」

レコードを聴くということは、角を曲がって新しい場所へ行くようなものであった。

もうずいぶん前のことになるのだけど、そういう時期が確かにあった。

  ……  ……  ……

1時間ぐらいして、僕はジム・モリソンの墓から離れた。

墓地の門を出て、角を一つ曲がると、そこにはパリ郊外の普通の町であった。死の匂いは、どこにもなかった。

こちら側に、また僕は戻ってきてしまったのだ。僕達が死のうとした夜は、また終わってしまったのだ。

 

 

 

中学2年の時、日曜の午前9時から30分、Beatlesの曲を発表順に全曲流す番組をやっていた。

買ってもらったばかりの東芝のラジカセで毎週録音した。

初めて聞いたアルバムは「青」で、オリジナルアルバムは「イエロー・サブマリン」から入った。

 

何曜日かは忘れたけれど、黒沢久雄が「東芝ヒットパレード」というのをやっていて、

T. Rexやエルトン・ジョン、ソロになったビートルたちの曲に交じって流れた「誰も知らない」を聴いた。

バッドフィンガーとの出会いだった。

 

高校2年の時にMusic Lifeで見た「まぼろしの世界」のジャケットに惹きつけられて輸入盤のStrange Daysを買った。

2回、3回と聞いてもまったくなじめないサウンドに一度はレコード棚に仕舞い込んだそれを、

いやいやせっかく買ったんだからと5回、6回と聞いたらやられた。抜けられなくなった。

 

ロッキングオンという隔月刊の雑誌をなぜか買ってしまったのは、ドアーズにはまりこんだ直後だった。

松村雄策は俺と同じ世界の住人だった。

プロレス好きだけは違ったけれど。

 

以下は覚え書き代わりのメモです。

 

「2年目の12月8日に」……僕は『ダブル・ファンタジー』を持ってはいない。欲しいとも思ってはいない。

一生涯、手に入れないつもりでいる。

 

「走れ少年」……僕にとっての少年の本を一冊だけ挙げろといわれたら、迷うことなくハンター・デイビスの『ビートルズ』と答える。これこそが世界で最も有名な少年たちの冒険小説なのである。

 

「悲しき叫び」……60年代のBritish Beat Groupを3組だけ挙げろといわれたら、迷わずに僕はビートルズとローリング・ストーンズとアニマルズと答える。5組といわれたら、それにフーとキンクスを加える。

 

「3年目の12月8日に」……僕たちは、言葉がなかった。

その日からしばらくの間、いわゆる文化人ふうの顔をした奴等が、したり顔でジョンの死について語っていた。

……うすら寒い気分になった。

……何もなかったようなふりをしたかったのだ。

 

「正しい立ち食いそばの食べ方」……食べ物というのは、値段が高いものだけがうまいわけではない。安いものでもうまいものがある。

また同じように、うまいものだけが食欲をそそるわけでもない。まずいものでも食欲をそそるものがるのである。

 

「4年目の12月8日に」……ジョンが”愛と平和”の人であったとは、とても思えない。

……確かにそういう行動もあった。そのお陰でアメリカ政府に目をつけられたのだけれど、これは目をつけたほうの眼鏡違いである。

 

「もうひとつの人生」……自分は普通の人達とは違っているということであった。

普通に大学に行ってサラリーマンになるなどということは、考えられなかった。

つまり、ロックに殺られてしまったのだ。

……まともに大学を卒業したような奴等に、ロックがわかるわけがないという気もする。

 

「『苺畑の午前5時』について」……この小説は1963年から1970年までの、つまりビートルズの登場から解散までの、東京の少年の物語である。

 

「午前5時のバッドフィンガー」……バッドフィンガーのテープは、どうしても作れなかった。何回も試してみたのだけど、うまくはいかなかった。

 

永遠に続く。

高校時代に「架空インタビュー」や「渋松対談」が中心記事だったロッキングオンを読み始めた。

購読はそれから十年も続かなかったと思うが、毎月読んでいたROをなぜ読まなくなったのか、

まったく理由が思い出せない。

しばらくして夜中にいまだに渋谷陽一がDJをやっているのを知って、聞いた。

ROを読まなくなった理由がそこにすぐ見つかった。

「この人、ツェッペリンのことしか音楽知らねえんじゃん」

特にブルースのことについて、彼はドがつくくらい素人なんじゃないかと思った。

弁舌がそこだけ空疎だった。

 

バンドをやっていたころ、俺はブルースが大好きだった。

自分で演奏する機会が増えていった時期、俺はROとさようならしたのだった。

 

そんな俺だったが、ボウイやルー・リードが亡くなると、どうしても買ってしまうのが、

ロッキングオンだった。たまに立ち読みすることもあった。

すでにほとんど渋谷陽一は書いていなかった。

でもこの人は必ず一本は何かを書いていた。

見開きに書いていなくても、レコードレビューには書いていた。

 

そこには松村雄策のにおいが必ずあった。

すっと鼻を抜けていく、鋭いかおりがあった。

ロックにやられちまった人間にしか出せないにおい。

 

彼がどんなふうにロックにやられていたかがそのまま書かれている文章が好きだ。

ドアーズを演っていた頃のできごとを書いた文章だ。

 

 

高校二年でドアーズと出会っていた俺にはここに書かれている空気のにおいが嗅げた。

それから、ここに書かれていることは渋谷陽一もほとんど同じようなことを言っていたんだけど、

こんなことを言ってくれちゃうのはこの二人だけだった。

 

俺を大きく変えたのはドアーズの響きとジョンの魂だけど、

変えられちまった俺を後押ししたのは間違いなく、こんなことを書いてくれる人だった。

いわば俺を肯定してくれた人。

渋谷陽一とは音楽的好みがかけ離れているし、松村雄策に関しては音楽的にいいファンにはなれなかった。

でも俺にとっては二人ともものすごく大きな存在なのである。

 

 

知らない人には教えてあげたい。こんなロックとの関わり方もあるんだよ、と。

でも、この人ほどロックが好きな人間ってどれぐらいいるんだろう。

いま日本で人気を博しているあれもこれもあいつもこいつも、俺には全然ロックには聞こえない。

 

またひとり、ロックがほんとに大好きな人が逝ってしまった。

終りは近づいてるんだな、と本気で思わざるを得ない。

 

ともあれ、

ありがとう、さようなら、松村雄策さん。

 

今風に言えば断捨離とでもいうんでしょうか、

カセットテープとVHSヴィデオテープを捨てました。

それでもカセットは約4割、VHSは半分残っています。

未練たらたら残す分を確保しても、

カセットは今乗っている車と別れると同時におそらくまったく聞かなくなります。

同じ音源がほとんどCD-Rで確保できているから。

VHSも今見ているテレビ環境がまったく機能しなくなるなど

よっぽどの異変が起きない限り見ることはないでしょう。

でも取っておく。もったいないお化けだから。

しかしなんでこれほどまでの音源や映像源を捨てなくてはならないのか。

すべてはどんどん新しくなった音源環境は映像環境のせいです。

これでいいんかなあ、とか思いつつもやっぱり場所ばかりとっているものを

俺は捨てたのでした。

断腸の思いです。

さようなら。

 

tdk1

 

md4

MDもどうなることやら。

 

レコードはさすがに捨てられない。

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