20数年に渡り元気に我が家の衣料を洗い続けてくれていた洗濯機くん(National製!)が、
この猛暑についに、「奥さん、さすがにもう私は……」と吐露。
我が家に新しき洗濯機がくることになりました。
20数年に渡り元気に我が家の衣料を洗い続けてくれていた洗濯機くん(National製!)が、
この猛暑についに、「奥さん、さすがにもう私は……」と吐露。
我が家に新しき洗濯機がくることになりました。
レコード屋と言えばとにかく「ハガ楽器」、出なかった大学に入ってからは一割だか15%だか割引で買えた大学生協、その後はタワレコとHMV、今はNo Buy(ひたすら図書館レンタル)という歴史を歩んできたから仙台全体のレコード屋すべてに知識があったとは言い難いけれど、シングルの袋には静かに歴史が残っていて自分でもちょっと驚く。
サイト―楽器の袋に入ったシングルが結構あったのには一番驚いた。店構えを全然覚えていないのです。ごめんなさい。
ハマノは袋にはジャスコ7階と書いてあるが、たぶん中央通りにあった小さな店のほうからの購入だと思われます。
ドリームは今は仙台放送の出店みたいなのがある場所だとおもう。
県外の店の袋に入ったのがあったのには本当に驚いた。どっから出てきたんやら。
仙台にあったレコード屋を語る時、真っ先に挙げなくちゃならないのは間違いなく駅前のプレイビル一階にあった「ハガ楽器店」である。ウィングスの「いとしのヘレン」の赤いシングル盤を何回も「針飛びがする」と言って交換してもらうなど、とにかくいろいろ迷惑をかけたと思う。一番お金を使ったレコード屋であることも間違いないけれど。
ここはまずもって駅より東方面に住む人類にとって、一番近かった。宮城球場のそばに住む中学生がレコードが欲しくて自転車にまたがって、最も便利な場所にあったのである。そして隣りがかのサテライトスタジオがあったエンドーチェーン(駅前本店)。中学生のガキにとっては仙台なんてここさえあればいいってくらいの地域だったのである。
店は六畳ほどもあっただろうか、とにかく小さなスペースにぎっちりシングルとLPが詰まっていた。やっていたのは店名にしてるくらいだから芳賀さんだったのだろう、おじさんとおばさんの二人がいつもいてくれて、あれはこれはとくどい中学生の要求を聞いてくれていた。本当にありがたい存在でした。
Goodbyes
2021年8月24日 チャーリー・ワッツ
2022年3月12日 松村雄策
2022年11月11日 キース・レヴィン
2022年11月23日 ウィルコ・ジョンソン
2022年11月29日 安田立和 (やすだりゅうか、元東北放送アナウンサー)
2022年11月30日 クリスティン・マクヴィー
2023年1月10日 ジェフ・ベック
2023年1月11日 高橋幸宏
2023年1月28日 トム・ヴァ―レイン
2023年1月29日 鮎川誠
これだけの「身近な」存在が逝ってしまうと、考えたくなくても思ってしまうのは似たような年齢に至っているミュージシャンのことだ。始まったものは止められない。
けれどそうなるとやはり一番気になってくるのは自分のことだ。というか、この人たちがいなくなって、続く人たちのことを思い、そしてついに自分なのである。
十代から延々と続いてきたRockの歴史を完全に終わらせるのは、他でもない自分なのだ。
そしていずれは、と思ってしまう。ストーンズをはじめ、すべての俺たちが聴いてきたRockがすべて過去のものになる時が来るかもしれないのである。
いくら「ビートルズが不滅の人気を誇っている」と言ったって、いずれ誰も聞かなる時は来ないとも限らないのである。
永遠に続くと思っていた俺達の、俺達一人一人のRockが静かに消えていく。
しょうがないじゃん……俺達自体が永遠じゃないんだから。
でもやっぱり信じていたいね。
俺たちの聞いてきた大好きなRock Musicたちはいつまでも、どこかで鳴り続けていると。
そう思ってると、今聞いてるこれ~今まさに聞いてるのはBuddy Guyの「Crawling King Snake」なんだけど~も何百倍も頼もしく心に響いてくるってもんです。
Goodbyes
2021年8月24日 チャーリー・ワッツ
2022年3月12日 松村雄策
2022年11月11日 キース・レヴィン
2022年11月23日 ウィルコ・ジョンソン
2022年11月29日 安田立和 (やすだりゅうか、元東北放送アナウンサー)
2022年11月30日 クリスティン・マクヴィー
2023年1月10日 ジェフ・ベック
2023年1月11日 高橋幸宏
2023年1月28日 トム・ヴァ―レイン
2023年1月29日 鮎川誠
キース・レヴィンを「クラッシュの創成期メンバー」とか言われても「なんのこっちゃ」だ。
そりゃあそれは確かに事実なんだろう。
でもそんなのは「PIL」の音を聞いたことがない人間の情報処理文言以外のなんでもない。
PIL、すなわちジョン・ライドンが作ったパブリック・イメージ・リミテッドは、ロックを死に追いやった(?)パンクをさらにぶっ殺したバンドだった。
そのサウンドの中核にいたのが「空間つん裂きギター」のキース・レヴィンだった。
むかしむかしそのむかし俺でさえパンクバンドをやっていた頃、この人とバウハウスのダニエル・アッシュこそが俺の先生だった。
残念ながら俺でさえ1年か2年ほど続けられたファルスというバンドは、結局まったくモノにならなかったけれど(俺がモノにならなかったから)、キース・レヴィンのギターは今も俺の頭の中でずっと鳴り続けている。そのせいで普通のロックンロールバンドしかやらなくなった後年の自分を、結局俺はぶっ殺さなきゃならなかったほどだ。
二十代初めの頃、キース・レヴィンの音は「すぐそこにある音」だった。
PILとDr. Feelgood、バンドのタイプはまったく異なるけれど、俺の中で似たような響き方をしたのが「She Does It Right」のギターだった。もちろんウィルコ・ジョンソンのギターである。
とにかくつん裂いていた。俺の頭の中でビュンビュン飛び回って、つん裂いていた。
それらに比べたら確かにテレヴィジョンのギターの音はメロウと言ってもいいくらいだった。
でもその指使いが見えるほどのわかりやすい音は、これまた「すぐそこにある音」に他ならなかった。
そして鮎川誠である。
日本の至宝、鮎川誠である。
トム・ヴァ―レインの純粋さとウィルコ・ジョンソンの勢いに満ちたR&R魂、さらには「そこらじゅうをつん裂く響き」をも持って生まれたギタリスト∼ロックンローラー、鮎川誠。
CharもChaboも、そういう意味では「マコちゃん」には脱帽するしかないんじゃないだろうか。
日本一のロックンロールギタリストよ、永遠なれ。
R.I.P.
Goodbyes
2021年8月24日 チャーリー・ワッツ
2022年3月12日 松村雄策
2022年11月11日 キース・レヴィン
2022年11月23日 ウィルコ・ジョンソン
2022年11月29日 安田立和 (やすだりゅうか、元東北放送アナウンサー)
2022年11月30日 クリスティン・マクヴィー
2023年1月10日 ジェフ・ベック
2023年1月11日 高橋幸宏
2023年1月28日 トム・ヴァ―レイン
2023年1月29日 鮎川誠
アルバムは友達から借りて聞いていたはずなのになぜ「哀しみの恋人達」をわざわざシングル盤で買ったんだろう。
よっぽど「自分のもの」にしておきたかったんだろう。その割には結局ジェフのアルバムを自分ではずっと買ったことがない。
友達から借りられたからってこともあるだろうが、自分で買わなかった割には『ギター殺人者の凱旋』も『ワイアード』もずっとそばにあったし、大学時代に部活動でやっていた放送劇のBGMにも使わせてもらった。
ジェフ・ベックはミック・ジャガーとは別の感じで「絶対死なないやつ」だった。
ミックは「自らを完璧に管理して死なないやつ」でジェフは「とにかく死なないやつ」だった。
死ぬ気のないやつ。いつまでもギター小僧だし。だからいつまでも前途しかないやつ。
だからとにかくびっくりした。
しかし、『ギター殺人者の凱旋』って、すご過ぎだよね。
つづく
シナロケが無くなった。
すっかり消滅した。
完全に何かが終わった。
Goodbyes
2021年8月24日 チャーリー・ワッツ
2022年3月12日 松村雄策
2022年11月11日 キース・レヴィン
2022年11月23日 ウィルコ・ジョンソン
2022年11月29日 安田立和 (やすだりゅうか、元東北放送アナウンサー)
2022年11月30日 クリスティン・マクヴィー
2023年1月10日 ジェフ・ベック
2023年1月11日 高橋幸宏
2023年1月28日 トム・ヴァ―レイン
2023年1月29日 鮎川誠
チャーリーが逝ってしまった時が始まりだった。
終りの始まりだ。
松村雄策が死んだ時、本格的に来たな、と思った。
そして訪れた2022年11月。次々に耳に入ってくる訃報。
安田さんは、退社後もずっと続けていた番組「ラジオ倶楽部」を終了するころには声の調子が全然違っていた。東北放送ラジオに唯一残される形になった「洋楽DJ」須口まきさんが自分の番組で追悼していたのが印象的で、救いだった。
高校生の時、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」、ボストンの「幻想飛行」、そしてフリートウッド・マックの「噂」の時代が訪れた。メガヒットアルバムの時代の中、仙台スポーツセンターにフリートウッド・マックはやってきた。
ピーター・グリーンを中心に据えたブルースバンドを、クリスティン・マクヴィーは、「Remember Me」「Heroes Are Hard To Find」「Say You Love Me」「You Make Loving Fun」などの重みに満ちたポップソングでボブ・ウェルチと共に深みのあるポップバンドに生まれ変わらせた。ボブ・ウェルチ独立後は間違いなく、真の「フリートウッド・マックの支柱」となった人だった。
つづく
中学一年で深夜放送を聴き始めた時、「AMO」の男性アナはすでに俊みっちゃん(鈴木俊光)に代わっていて、りゅうかさんのAMOは聞けなかった俺だけど、もしかしたらAMOから降りていたおかげで、俺たちは立和さんの「DJ」をちゃんと聞けたのかもしれない。
そう。立和さんは俺にとってはいろんなどうでもいい東北放送の番組をこなすアナウンサーである前にきっちり、東北放送唯一の「洋楽DJ」だったのだ。
それがどんなタイトルを冠された番組だったかは残念だけどまったく記憶に残ってない。タイトルなんてなにがどうでもいいぐらい、立和さんは俺にとっては「洋楽担当の人」だったのだ。おそらく東北放送を聴いていたロックファン、ポップスファン、オールディーズファンーーすべての洋楽ファンにとって、安田立和さんは「洋楽DJ」だったに違いない。
そんな安田さんの最後の仕事が「ラジオ倶楽部」だった。
前置き(枕)が長すぎてなかなか一曲目がかからないことも多かったけれど、それが自分のリクエストした曲がかかるかどうかヤキモキしていた身には腹立たしい時もあったけれど、でも「ラジオ倶楽部」は俺が唯一聞ける東北放送ラジオの番組でした。唯一の待ち遠しい時間だった。
そんな時間を長い長いあいだ俺たちに持たせてくれた安田立和さんのご冥福を心より、心より、お祈り申し上げます。
ラズベリーズだのドアーズだの、ラジオ倶楽部には不似合いなリクエストばっかしていた「福室悶々之介」はわたしです。