愛と平和の弾薬庫 -6ページ目

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

見てるのが楽じゃない映画というのはやはりある。

その典型のような映画だった。

「JOKER/ジョーカー」

街の映画館でやってるときはポスターの雰囲気からしてホラー映画だとばかり思っていた。

ホラー映画ほど世の中に不必要なものはないと信じているわたしにとって、

それはまったく縁のない映画だとばかり思って、興味の完全に外にあった。

しかしテレビでやる、つまりタダで見られるとなると少し事情は違ってきて、

そういえばけっこう派手に扱われたな、という印象を思い出し、

ちょっとネットで調べてみたりするわけである。

で、見つけたのが「ロバート・デ・ニーロ」という名前だった。

俺が映画をチェックするときに非常に弱いのが、

アル・パチーノと、このロバート・デ・ニーロという名前なのである。

どうしてみずにいられようか、となるわけだ。

で、見たのです。

はじめは、ああ、やっちまった、と思った。

一緒に見ている妻が、いつもいつも「暗いのはみないからね!」

と大声で主張する人なのである。

しかし見るのをやめられない。

どれだけホアキン・フェニックスが人を殺めようが、希望めいた何かが、

固い緊張感を保ち続けるからだ。

 

誰が本当の殺人者なのか。

 

事象からだけ見ればしっかり殺人者である主人公が体中から発するメッセージ。

俺だけでなく「暗い話は絶対無理!」な妻までも最後までしっかり画面に釘付けにした

緊張感はそこにあったのだ。

また見たいかと聞かれれば、どうかなとは思うけれど、見て良かった。

そう思える映画だった。

まだこんな映画をアメリカは作るんだ。そんな感慨に包まれた。

 

 

俺が入学、そして入会(入部)した時すでに4年生で、

ともに放送会の中で活動したのは3か月ほどにすぎなかった。

だから、たとえばこっちが一目で可愛いと思えるような女の子で、

あっちが年下の女の子に常に目を光らせているような男子学生ででもあれば別だが、

こっちが男の新入部員、あっちが4年生なんていうからは俺のことなど

まったく覚えてるわけがないのである。

ただもし、俺のバイト先のうしわかという焼き肉レストランで交わした会話を

覚えていてくだされば……いや、覚えてるわけがない。

あら、いずみさわくん、とその人は素晴しい笑顔を俺に真正面から向けてくれたのである。

優しい人なんだ、と思った。怖い先輩だと思っていたのである。

その人はやがてTBCのアナウンサーとして真剣なまなざしをテレビのこちらに向ける人となった。

それがその人にふさわしい姿と、ずっと思っていた。

だから「セージカ」などになってしまうのはなんか違うと思っていた。

その人にとっても立派な先輩には違いないであろう岡崎トミ子さんややたらいろんなところで

いろいろ息まいていたフリーアナウンサーのこんのあずまさんにそそのかされて……と思っていた。

そっかそういう人なんだ、と細い糸が完全に切れた。

でもその人はセージカに四回当選したあと、その職を投げうつことになった。

市長選に立候補したのだった。

うわっ、と思った。

俺の目は節穴だった、と思った。

そしてその人は見事地元の有力者を僅差で倒し、市長さんになった。

街の学級委員、みたいなもんだ。

自分から進んで貧乏くじを引くようなものだ。

少なくとも俺にはそうとしか思えない。でもそれをやる人。

そういう人だったのだ。

今回の選挙は実際、信任投票みたいなものだ。

自民党の勝手で行われた税金の無駄遣いみたいなもんだ。当然投票率も低かった。

でもあの笑顔が俺の中には永遠のものとしてあった。

だからもちろん投票にも行ったし、あっというまに当選が決まってうれしかった。

やつれたり、ぷっくりしたりやたら忙しい市長さんだけど、

ずるさのかけらも持たないかずこさんをすっと俺は応援したいんです。

 

2021年7月27日、台風が夜に宮城県に上陸、大雨になるというので

すぐに水没する地域に立地する会社に属するわたしは恐怖、

有休届を出して、夜の部をさぼったが、台風は遅れに遅れ、

仙台はほぼ水没することなく、我が有休届はただのサボり届となった。

わたしの有休届はいつもこういう結果をたどる。

出せば晴れる、のである。

宮城県の人たちはわたしに大いに感謝すべきであると、私は思う。

 

あけて28日、昼前から野球をやっていた。

侍ジャパン対ドミニカ、であるが、最終回に大逆転、

侍たちは4ー3で勝利した。

わたしたち夫婦は喜んだ。

 

 

コロナウィルスの報道における数字中心の報道には何も教えられなかった。

俺が知りたかったのは何がどう危険で、それはどんな風にすると避けられてどんな風にするとやばいか、罹ると具体的にどんな症状に襲われて、どんな人にどれだけのどんな症状が顕れて危険なのか、どんな人は軽くて済んでるのか重篤になってるのか、そんな子供が知りたがるようなレベルのお話で、そういうことを中心に語るテレビを俺はまだ一回も見ていない。もともと朝夕のたらたらやってる番組を全く見ない俺が悪いのか。

あってほしい報道が全然届いてこない。

あるべきものがない感が甚だしい。

全然親身に語ってくれてない。

それがテレビだと言っちまえば、大上段に構えてバカにはわかんねえだろうけどと上から目線で語ってくれるのがテレビだと言っちまえば、それまでだが。

一方でバカばっかり見せてくれてるのもテレビだけど。

それにしてもTBCのアナウンサーはどんどん落ちてる。じゅんご以外はカスだ。

これまでずっとラジオと言えば東北放送だった。

でも最近は淋しい。

 

佐々木淳吾くんがやっている昼から4時間の番組はいい。

佐東北放送バッカ々木君の素晴しいお人柄が全篇を包み込み、自然な流れの中で昼下がりの時は流れていく。

 

伊藤しんぺい君のプロ野球実況もいい。

これがやりたくてラジオのある放送局に入社したという言葉が信じられる。

松尾武君の実況も聞きやすい。

 

あとはくそである。

野球実況は上記の二人以外はうるさすぎて耳をふさぐ。

4月13日のものなのどは下手過ぎて聞いてられないほどだった。

アナウンサーたちがパーソナリティとなってやっている番組群は

それぞれの話題の貧困さ、人物の幼さが百%発揮されてお話にならない。

 

内輪でやらなくちゃならない理由がきっとあるんだろうけれど、

ね。

 

13日23時7分頃の地震は福島県北部と宮城県蔵王町で震度6強、

我が家の下では震度5弱だった。

ベッドに入って1時間後でまだ酔いが残っていて反応が遅れたけれど、

本格的な揺れに入った時点ではドアを出ていた。

向かいのマンションが次々に明かりを増やしていった。

知らず知らずビビっちまったんだろう、再び布団に入っても中々寝つかれなかった。

14日、7時半に起きたら部屋の窓からまっすぐ見下ろす位置に電車が止まっていた。

踏切を1m過ぎたあたりでびったり止まっていたのに感心した。

もう0点何秒早く止まっていたら完全に遮断されていたところだった。

昼、ひとつとなりの踏切を通ったら、我が家の前と反対方向へ向かってた電車が

あと2mという惜しいところで遮断機を下ろしたまま止まっていた。

もう10年だね、などと言って、まーくんの戻ってきたイーグルスに

瞳をうるませてばかりはいられないのだ。

と、俺はそう思ったんだが、妻は、

そんなこんななんだからさ、パーっといこうぜ、

と言いました。

 

およそ13年、

そこいらの風景~生物、静物、壊されたもの、流されてきたもの~、

仙台の風景~毎年のジャズフェス、毎年の桜~、

そして雲、雲、雲、空、犬、猫、トンビ、白鳥、鴨を

撮ってきたデジカメがなんてここたない不注意で崩壊、

なきものとなってしまった。

ああ、いくいじっても直らないものは直らない。

これもまた一つの、さようならであるのだ。

 

 

☝このEmmylou HarrisのCDジャケットを撮った直後、

わたしの不注意の餌食となったのだった。

 

ジャズフェスまでには新しいのを購入します。

買えるかな(=買ってって言えるかな)。

 

高橋一生が、「あなたにとって役者とは」という問いに対して、

「演ずることは自らを救済すること」と。

 

思う。

俺は自らを慰めるようなことばかりに没頭、まったく自分を救っていない。

 

ほんとにほんとに、そう思った。

 

今年は、

 

Save Myself.

もう新しく出てきたミュージシャンになんて興味が持てないんだろうと思っていた。

でもある日、その歌はにょろにょろと俺の耳に入ってきて、ズバズバとキマッた。

Billie EilishのBad Guyという曲だった。

なんかの番組で姿も見た。

イッチャッてた。

なんだこいつ。

すご過ぎるやつほど、すんなり入ってくる。

還暦過ぎの頭にもズカズカ入ってくる。

面白いっす、世界って。

晴れた朝、車で信号待ちをしていた。

信号はやがて青になる。なった。

アクセルを踏んで、さあ、発進である。

その時、唐突に逡巡は生じた。

 

あれ?である。

どうして青だと走りだしていいんだっけ?ときたもんだ。

 

わからない。

あれ?あれ?あれ?なんでだっけ。

青だと走りだしてはいい。でもその理由は?

なんで青だと走ってもいいんだ?

わからん!

 

でもとりあえずわかっちゃいた。

走りださないといけないのだ。

走りださないと、何かが妙なことになるのだ。

 

で、俺はアクセルを踏み込んだ。

 

これだけの逡巡が、たった一秒のあいだに脳みその中で起こった。

変な頭だ。

 

で、理由はわかったのか。

わかった。

というか、

理由などないのだ、青なら走れなのだ、ということがわかったのだった。

 

疲れる頭だ。