愛と平和の弾薬庫 -7ページ目

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

https://www.youtube.com/watch?v=6-WjOjerxbg&feature=youtu.be

 

今日はいつもの年ならあれに行ってる日である。

定禅寺ストリートジャズ・フェスティバル!

毎年9月の第一or第2土日曜日に開催される仙台の大音楽祭であり、この2日間わたしは仙台市中心部路をあっちからこっちこっちからあっちとせかせか歩き回りながらすごく幸福になる。そういう2日間なのであるが、しかし、雨!雨!雨!

そりゃそうだ。コロナで中止だからね。雨くらい降るさ。振らんでどうする。雨くらい降ってもらわんと納得できないのである。ジャズフェスフリークとしてはね。そして天に向かって叫ぶのだ。よくぞ降ってくれた!俺たちの気持ちの代弁、ご苦労である!

さらにはわたしには重ねての行けない事情ができていた。カテーテル手術の3日後だからね。やっぱ行けなかったでしょ。ま、3日目の今日の身体的状況はと言えば、まあ元気です。大変お世話になった方々のお蔭で2日間歩くくらいには復活いたすことができてる感じ。

でもやっぱこれって自分の「感じ」でしかなくて、不安は残る。胸の奥底に秘めたかわいい金属の存在を思えば、やっぱり「まだ馴染みきってねえかもしれないしなあ」とか余計なことを考えてしまい、結論としては2日間歩き回るなんてやっぱやめとけよな、ってことになるわけで、やっぱ今年は到底ジャズフェスなんて無理だったのさ。

という今日と明日、わたしはやはりここ2週間のことを思い起こすべきなんだろうと思う。

まさか自分が、2泊3日とか、3泊4日という短いものとはいえ、入院なんてすることになろうとは、60年生きてきて一度も思ったことはなかった。とにかく自分の取り柄は病気をしない、その一点だと思ってたから。それが突然、いつもの「高脂血症」の薬をもらってる個人医院からの電話。じゃあ今から行きますと向かった先で聞かされた「あっこのでかいビョーインで検査をどうぞ」のお言葉。そしてCTで決定された検査入院。そんで、そんで……。

 

ちゃんと生きろや。

 

すべてはそんな一言に行きつく。

 

来年のジャズフェス、どんな形で参加するんだ、俺は。

9月8日(火)

午後2時、病院へ。検査後まだ一週間で来てしまったので、みょうに病院慣れしている自分が恥ずかしい。

もしかしたら鼠蹊部から「入れる」ことになるかもしれないからと、ふんどしみたいなのを病院内のローソンで買わせられ、その部分周辺におがっているもさもさしたものを退治する。いや、看護婦さんにやっつけていただく。セックスする間柄にもない女性にそんなところを見られるのは生まれて初めてなので死ぬほど恥ずかしいかと思いきや、そこは還暦プラス一才、どうとでもやってくれい!と開き直り、でも、いやあ、まいったね。

9月9日(水)

術後は自分でトイレに行っちゃダメなの、というわけで、鼠蹊部の真ん中あたりにある突起(もしてないけど)ブツに管を突っ込む。突っ込まれた瞬間体中が熱くなる。じょじょじょじょじょと出てるものを感じる。これでいいのだ。

(じょじょじょじょじょの貯まる袋に)血は出てないみたいだね、と術直前の昼過ぎに来た妻に言われる。

忘れもしない看護婦Wさん、担当があなたのようなあっけらかん、我が妻とも仲良く慣れてしまう女性でほんとによかった。そこらのねーちゃんだったらわたしは耐えられなかったであろう。絶対、耐えられなかったで。

Ki医師かと思われていた担当医はKa医師だった。目元が良く笑う堺雅人のような人である。CTの結果を聞きに来た時の担当もこの人だった。ほんとに明るい、好人物でね、まじよかった。麻酔、すぐに足してくれたし、術後の「入口」も傷まなかったし、何より鼠蹊部からの侵入に至ることなしに右腕からだけの施術に成功してくれたし、つうことはふんどしも剃り毛も必要なかったってことだけど、そこはいつそうなるかわからない手術なんだからしょうがなかったのである。

約1時間半のカテーテル手術はそうして無事終わったんであった。

9月10日(木)

術翌日、なんもしない人......の日。なんもやることないから妻という話し相手も病院には入れないし、ネット見るのに持ち込んだアイパッドもどきも電池切れるし、隣の親父は動くたびにやたらすべての息が荒々しいし、ひたすら藤野千夜さんを読む。いいよ、藤野千夜。ぐいっと泣ける。

9月11日(金)

もう退院だっつのに中々点滴の針を抜きに来てくれない看護師さん。何やってんだか、と思ってうるちに先に妻が登場。

そしてやっと針を抜きに来たのはWさん。夫婦で歓待する。とにかくやたら最高な看護婦さんなのだ。そしてわたしの針を抜く三十台、夫一人、子供一人。栄養士の食事の注意点なるお話を聞くとまた来てくれて退院の諸々の書類をくれた。そうしていろいろ説明されながら笑顔で病院を去る還暦プラスワンの高血圧夫婦。(実は妻も今年の二月、この病院に救急車で運ばれたのだ。ただの高血圧だったけれど、バルタン星人もでていないテレビの登場人物が何人にも見えちまったんだからしょうがなかったのである)

とにかくありがとう、検査の時の菊田医師、渡邊さんをはじめとする看護師のみなさん、事務の板橋さん、そして何より上手に術ってくれた亀山医師。来年の3月、また検査にきますのでその時まで絶対にやめないでね。お願いします。

 

 

この文章はあくまで個人的記録として後々すぐに開いてみられるような形で残しておきたかった、という理由で記載するものであります。なんせ忘れっぽい性質なもので。でありますので、ちょっとは何かの参考になるかな、とかいう以外には、なんつうか、かわいそがられたいとか、どーじょーされたいとか、そんなような他意は一切ありませんのであしからず。

 

2020(令和2)年8月31日(月)

13:45 病院到着

    受付けを済ませたあと、6階のラウンジへ移動して軽い説明を受ける。

    ○○号室に入室。二人部屋。廊下側のベッド。

    心電図。DVDによるカテーテル検査・手術の説明のあと、

17:00頃、はッつぁん(妻)帰宅。

18:10頃 心臓1600「小ご飯」なる夕食が来る。

     小ご飯、白身魚の香味焼き、皿付野菜煮込み、かしわサラダ、ブロッコリーのおかか和え、

     パイナップル(輪切りの1/2)。

19:00頃、点滴開始。初日の日程終了。

     WORDで我が家の写真整理で9時まで。就寝。11頃、何とか眠った様子。

     トイレに何度も目覚める。おばちゃん看護婦の見回りにも目覚めて驚き、驚かせる。

 

9月1日(火)

05:00 目が覚める。PC、WORDで「家族のアルバム」制作。

07:00 看護婦が来て、体温(36.6)、血圧(131/83)計測。

07:15 朝食――小ご飯、豆麩と白菜の味噌汁、切干大根の炒り煮、ラジウム卵、牛乳。

    持参の梅干しと食べる。

07:45 看護士、聴診器をあてに来る。

    午後3時半予定の検査まで水だけ飲んでひたすら「待ち」。

15:15 はッつぁん登場。ほっと一息とはこのことと実感。健保などに電話したとか。

   ご飯に付いている「心臓1660」の意味(心臓系の患者、1600Cal/一日)と教わる。

16:30 検査へ。カテーテル室(?)の無造作な明るさに「こんなところで?」の感ぬぐえず。

   初め若い医師がカテーテルの侵入経路を設営(?)、

   ここからが本番というあたりでDr. Kiの登場。

   ニトロ入りの薬がしばしば投入される。

   バカでかいコンピューターモニターで血管の様子がばっちり見える。

   いくら広げようとしても頑固に細い血管2ヶ所を見ながら思わずためいきを漏らしていたらしく、

   Dr. Kiから「気持ちはわかるが、ため息はやめて息はゆったりと」と注意される。

18:00頃、検査終了。

    ○○に戻って10分後、ホソ眼鏡看護婦が来て締め付けていた箇所(カテーテルの入口)

    を緩めたらダラダラ出血、あわてて締め直す。17:00にも試すが同様。

19:10頃、夕食――小ご飯、ホキ(白魚)唐揚げ(高)、千キャベツ、なめこおろし、

     ほうれん草と白菜のお浸し、マンゴー。

19:30頃 はッつぁん帰宅。寂しいとはこのことと実感。

21:00 イーグルスの試合経過をMMTのデータ放送で確かめつつ半ば寝かかっているところに、

    血管を緩めに看護婦が来る。少しだけ緩める。

    「待ち食」なるバナナとロールパン2個(マーガリン付)、ミニ野菜ジュースをもらい、

    パン2個を小学校の給食を思い出しつつ、あっというまにガツガツ食う。

22:00 9回に5点入れられて「日ハム8-1楽天」となったところでテレビを消す。

 

9月2日(水)

05:00 目が覚める。NHKデータ放送で「日ハム8-1楽天」のまま終わったこと、負け投手・宋を確認。

05:30 ちびカワ看護婦による採血。

07:20 ホソ眼鏡看護婦が来て、血圧体温酸素セットを診る。

    夕べ血の止まらなかった右手首の圧迫リングも外す。

    無事、一滴の出血もなく外れて深い安堵。

    夕べからずっと感じていた痛みも、圧迫の生だったらしく、ほとんどなくなった。

07:30 朝食――小ご飯、凍豆腐と小松菜の味噌汁、厚焼卵、キャベツと椎茸のお浸し、牛乳。

    食後、夕べ「待ち食」として夜22:00に渡されていたバナナを牛乳と一緒に食う。

08;10 胸の音を聴きに若い医師が来る。

08:30 循環器内科医師団の回診。

    痛みは残ってないかの確認、じゃああとで今後の予定を報告を、と一分弱で退散。

10:15 10:30からの検査結果発表のために、はッつぁん登場。

11:40 1時間10分遅れで検査結果と今後の予定の説明(Dr. Ka)

    CT検査で見つかっていた通り、2ヶ所の狭窄が確認された。

    9月8日に再入院し、9日に手術することを決定。

    今後の食事についての説明と退院の説明を受けて、12:30頃病院をあとにする。

 

 

はえどごなおしてしごどさもどんねどな、と思う今日この頃。

心臓の血管に細くなっている部分が見つかり、

8月31日から3日間、カテーテル検査で入院。

人生初である。

その後、おそらく1週間後、3泊4日のカテーテル施術入院となる予定。

一発でキメて欲しかったなあ。

14時、ビョーイン・イン。

午後はガラ隙。ホッとする。

造影でAssまでHOTにびっくり。

東北医科薬科大学病院というところに行ったら、なに、ビョーインのくせしてがっつり3密。

いくら入り口でアルコール使わせて額で体温測ったって説得力ゼロ。

ビョーインがこれじゃね、つうか、仙台のビョーインでこれじゃ東京の医療崩壊なんて見なくてもわかるってもんだ。

血、ショーンペン、レントゲン、心電図、エコーと検査して前のふたつは日にちがかかるからともかく、

あとの3つは異常なし。でも盆休み前に取った24時間心電図の波形と人間(俺)の訴える症状からしてキョーシンショーには違いねえから造影見ましょうねって、あさってCTだ。はてさて薬だけで済むかどうかの瀬戸際は28日の結果待ちだ。

イケダから電話で呼び出し、

行けば「薬科大病院に話を通しておくので行ってください」。

明日、8月18日何をいわれるのやら。 

バンドの練習があって帰りが遅くなると、彩子さんはいつものベンチでよく「あの人」と語り合っている。

ある日こっちの耳にまで届いてきた言葉は、

「いいねえ、ずっと三十台なんてさあ。健康そのものだよねえ」

それから階段を昇ろうとしていた俺に気づいて、

「あ、お帰り、すーさん」

そして笑い出した。

「あ、ごめんごめん、健康じゃないか。あ、そうか」

すでに「あの人」との会話に戻っていたのだった。

下から聞こえてきた、

「死んじゃったんだもんねえ、健康なら死なないよねえ」

という言葉で、それが「あの人」との会話だと、気づかされたのだった。

「あの人」がかつて103号室に暮らしていた男性で、宇津呂友介という名前だったと教えてくれたのは、102号室の優子さんだ。

「死んでんですか?」

俺がそう聞き直すと、

「うん、もう五年だったかな、それくらい経ってるって、彩子さんが教えてくれた」

「死んでる人と話してるんですか、彩子さん」

「そういうことになるんだろうね」

「その人が隣の部屋に住んでた人って、気味悪くないんすか、優子さん」

「気味悪がってみたってねえ。それに、ガメラはないの?そういうこと。死んじゃったおじいちゃんとか、誰かと話すって」

「ないっすよ、そんなの」

「ええ……、ないんだあ。わたしはあるよ、ばあちゃんと時々。それに小学校の時に死んじゃった同級生とか」

「それはなんつうか、彩子さんのあれとはちょっと違うような気がするなあ」

「違わないって。あれはね、別に気味が悪いことでもなんでもなくて、ただの会話よ。会話」

「そうなんですかあ」

「そうなんですよう」

 

 

すーさんすーさん呼ばれてりゃ誰だってなんで俺はすーさんなんだ?と思うはずだ。

そりゃあ俺の場合、本名を他人ばっかの場所で大声で呼ばれたら一瞬やっぱひやっとするくらいで、すーさんって呼び名はありがたいっちゃあありがたい。でもやっぱ、なんですーさんよ、だ。

「そんなに気になる?」

とまず彩子さんは言った。

いつものように誘われるままに彩子さんの部屋の前のベンチで一服してる時だ。

俺はごく当たり前って感じ、そりゃあ訊くでしょって調子で、なんで俺たちみんなすーさんなわけ?と聞いたのだ。

「むかしね」

と言って煙草に口をつけ、一息吐いてから彩子さんは続けた。

「ナースやってた頃、病院にいわゆるVIPっての?そんな感じの偉そうなおっさんが来たわけ。何かの検査だったか、人間ドックだったかでね。で、わたしその対応を仰せつかったんだけどさ、忘れちゃったのよ、しっかり聞いてたはずのその人の名前。あ、やば、って一瞬思ったかなあ。うん、確か思ったと思う。でもそう思ったと同時にね、いっか、って、そう思ったの。

すーさんだ、こいつはって。

じゃあ、すーさんこちらへ!ってな感じ?なんかやけにでかい声で。

凍った。一瞬にして半径10メートル内にいた全員、まあ凍りついたね。

ああ、やっぱ凍りついたわ、そう思った。なんか冷静にそう思った、その瞬間、わたし笑ってた。

わーはははは……ってなもんよ。抑揚もなく。淡々と笑ってた。

もういいわ、そう思いながら。

なんでだろうねえ、いまだにわかんない、あん時の自分。

だからね、ガメラも気をつけな。自分ってのには、重々慎重に付き合っていくんだよ。わかった?あんたにはアパート残してくれるような人、誰もいないでしょ」

 

「時間ってそんなに大事?」

そう彩子さんが言った日、わたしは初めてこの部屋の風呂に入ったんだった。

大家の部屋だからって別に何の特別なこともない、わたしの部屋と同じ狭い浴槽。

なのになぜだろう、お湯があったかかった。

わたしはまだ仕事を探すつもりでいた。もっと別な仕事を。

そんなわたしに彩子さんは言ったのだ。

「焦ってる?ゆうこちゃん」と。