愛と平和の弾薬庫 -8ページ目

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

駅からどしゃ降りの中を走ってきた。部屋に駆け込んだ直後、誰かがドアを叩く。

「はーい!」めんどくせーなあと思いながら叫んだら、「隣り隣り!」って。

隣り?ってことは大家、彩子さんだ。

「ゆーこちゃん、お風呂においでよ!」

大家が?店子に?風呂においでよ?

ありえない、と普通なら思うんだろうと思うと笑える。

ほんとに笑える。

「行く行く!」

答えて、わたしは着替えのジャージをわしづかみにして部屋を出る。

わたしがすぐに部屋を出るのをわかっている彩子さんは、自分の部屋のドアを押さえてこっちを見て待っていた。

ずぶ濡れの服を着たままのわたしを見て、彩子さんはにっこり笑う。切なく笑う。本人は全然切なくなんてなってないのはわかってる。でもなんか切ない顔で彩子さんはわたしにニタッと笑っている。

「おつかれさん」と言いながら彩子さんはわたしを部屋に入れてくれる。

 

彩子さんはおばあちゃんと高校で同級生だった。だから同い年の48才。

積み重なった運命の果てに今はそれぞれに、いくつかのアパートの大家さんと育児施設の園長という立場に落ち着いている。

「時は金なりとか言うじゃない」

日曜の昼下がり、彩子さんの部屋の前のベンチに誘われて二人で一服してたら彩子さんは言った。

「時間はお金とはやっぱり関係ないよね」

煙が俺たちを取り巻いて、蒸した空気の中に流れていった。

「でも急いでる時、タクシーに乗ったりすると時間を金で買ったような気になったりはするかな」

俺は思うままに言ってみる。

「そんなの全然、関係ない。お金で時間は買えないって、絶対。それにそんなこっちゃない」

「ふんむ……」

なんと反応したらいいのか、俺はまるで虫にでもなったような気になった。

「時はね、金でもゴールドでもないのよ、絶対、残念なことにね。生き物をお金で買っちゃダメなのと一緒」

俺は近所で飼われている片目のコリー犬を思い浮かべる。

あれはなんで片目になっちまったんだろう。

「時間には優しくしてあげなさいよ、すーさんは、ね」

「優しくっすか」

「そ。優しくね」

そんなことを言ってからニッと向けてくる、彩子さんの笑顔は世界一だと俺はいつも思う。

 

「あら、すーさん、行ってらっしゃい!気をつけてね!」

今日も笹焼彩子さん、つまり大家の声で俺は起こされる。

このすーさんは203のすーさん、タクシー運転手の多摩木さんだ。

ここに引っ越してくる前に大きな会社をクビになったとか言って、いくつも面接に行った結果、何とか入れたのがタクシー会社らしいが、まだ他の仕事も探してるんだってこった。彩子さんがそんなことを言っていた。

他の住人のことなんか正直どうでもいいし、第一住人のことをべらべらしゃべるのはどうかと思うが、彩子さん本人は勿論、多摩木さんも大して気にはしていないらしい。俺はといえば、慣れた。ただ一言、慣れた。慣れるしかないということを学んだ、と言ってもいい。

おばあちゃんに連れられて不動産屋の車で部屋を見に来た時、俺はすでに「すーさん」になっていた。

おばあちゃんがいなかったら彼女の口から出た「すーさん」の正体に、俺はまったく気づかなかったに違いない。

気づくわけがない。初対面の人間の名前をはなっから決めている人間がこの地上に存在するなんて、誰にだって想像もつくわけがないんだから。

「で、すーさんはばあちゃんのところで育ったわけだ」

俺の顔を見つめ、俺に向かって初めて発した言葉がこれだった。

おばあちゃんのことを園以外の人間が、それもおばあちゃんとほぼ同い年と思える人間がばあちゃんと呼ぶことにもびっくりした。その上に重なってすーさんなんて呼ばれたことに俺の頭は真っ白っつうか、真っ赤つうか、真っ暗つうか、とにかく激しくストレートにコンフュージョンしたのだった。

「はあ……」としか俺には言えなかった。

「ま、そんなとこ」とおばあちゃんは言った。そして俺を見上げ、「この人んところでお世話になるとね、もれなくついてくるのよ」

とおばあちゃんは続けた。「すーさんって呼び名がね」

本名とどっちがいい?おばあちゃんにそう聞かれてるような気がしたものだ。そんなこと俺に聞くわけもないおばあちゃんに。

でもしかしお世話になると、ってことは、と俺の頭は回転した。このアパートに住んでる人は全員が「すーさん」なのか?

俺の考えてることなんかすべてお見通しのおばあちゃんは、ふっと笑って俺を見上げた。

「そう、み~んなすーさんなのよ」

 

 

確かにわたしの夫はいつだってぼーっとした人だった。まったく変わっていない。

そしてその子の正大は父親にそっくりの性格をしていた。だからあの日も……。

そっくりの父と子が二人歩いている舗道に老人の車は突っ込んできた。そしてぼーっとしている小さいほうだけが死んでしまった。大きいほうはそれから自分を取り戻すことができなかった。それでいいとわたしも思った。三人ともいなくなってしまえばそれで済むことだ、と思った。でも消えたのはこの人一人だった。ぼっと、煙みたいに。ひどい話だ。

なんでこの人はこんなにあっけらかんとこんな場所にいられるのか。

確かに、ろくに人の顔なんで見ないで生きてきた俺だ。それでも一個の会社の経営者におさまってられるなんて、どんだけ人でなしなのかと自分でも思う。でもできてしまう。そこに俺の非はない。

そんな俺を笑うかのように、あっけらかんな笑顔でこの人は履歴書を俺に差し出す。

あんた、と俺はその笑顔に向かって言いたい衝動にかられる。あんた、あの人を覚えてないのか。

ちょっと、と俺は氏名の欄に「多摩木正」と記された、秋山隆の履歴書を持って立ち上がる。立ち上がらないでは、そして彼女の表情を見ないではいられない。

当たり前だ。

 

礼子の頬にはとっくに幾筋かの涙のあとがついていた。それを拭おうともしない。いくら拭ったってきりがないことがわかっているからだ。

あの日、隆はまるで煙のように、いや本当に煙となって消えてしまった。

息子の事故のあと、私たちは部屋にガスを充満させて、そして百円ライターをカチッと鳴らしたのだ。

ボッ。そんな音がして、そんな音によく釣り合った、まるで魔術師が何かを消した時に立つような煙が立ったのだ。

そしてこの人、隆は消えたのだ。爆発も起きず、私が爆死することもなく、ただこの人だけが消えたのだ。

それが三年五か月前の一月。

この人は本当に、ここがかつて自分の勤めていた印刷会社だということを覚えていなんだろうか。

 

記憶喪失?と鈴木は思う。いや、もっと不可思議な事態なのだ。

復活、とでも言うべき。

すーさん!とか呼ばれて振り向く俺らも俺らだが、まずは呼ぶほうだ。

と言っても、もちろん彼女だって誰彼かまわず同じ呼び方をするわけじゃない。

店子といえば子も同然なんていう言葉は、確かに平成生まれの俺にわかるわけもない。

大体にしてなんで、大家といえば親も同然なのか。ただの語呂合わせじゃねえのか。

しかしそんな江戸時代みたいなことを言われてあけっぴろげに笑って見つめられたりすると、

俺みたいにどっから湧いて出たのかもわかんねえような生き物には、何やら効くのである。

何がどう効いてくるのかは皆目わからない。でも確かに「効く」のだ。彩子さんってのは。

去年カンレキッズになって一年、ってことは61才になっちまってもはや清志郎より年上。

やだね。大好きだった人より年上になっちまうって。ジョンレノンより21歳も年上だし。

ジムモリソンにいたっては34歳も年上っすよ、教授。ありえないっすよ。

そんな61年の人生、何ひとつモノにしてません。

ギターを持っても一曲も残せず、あんだけ書いたのに一冊も残ってません。

ああ、これが人生なんだな、と近頃ちょっとわかってきました。

風が気持ちいいんです。晴れてる日に外を歩けるだけで幸せなんです。

ああ、これが俺だったんだな、と気がつけばにたにたしてる。

猫が三匹、日陰で伸びてました。最高な奴らです。

俺はDavid Bowieじゃなかったんだ。Mick Jaggerでも、清志郎でも、John Lennonでも、

Jim Morrisonでも、なかった。なのに不幸じゃない。不思議なくらい笑ってる。

いや、もうちょっと収入はあるべきだとは思うけどね。

10年後が不安じゃない程度には。

何がしたくて生きてきたのか、いまだにわからないのは、いつまで生きたってわからないからなんだろう、

ということがわかってきた。

怠惰だろうか。

我らが住み暮らすはれるやはいつの大家は元看護師である。

とかいうとじゃあばばあの大家なんだね、と多くの人はのたまう。

まあ、半分あたっている。女ではあるがばばあというほど老けてはいないのである。

その名を笹焼彩子という彼女は50とも60とも噂されるが、実年齢は46才である。

その笹焼彩子、名に反してその声はいつもでかい。

「すーさーん!」

ある朝、そんな声で目覚めさせられたくらいである。

目覚めて出勤の支度をして外へ出たら、また、

「すーさん、おはよう!いってらっしゃい!」

鈴木さんとか澄子さんとか、そんな名称の人物がそばにいるんだろう、

そう思い、声のほうをば見やれば、声の主とばっちり目があった。

「おはようございます」

とりあえずそう言った。

そしてわたしはいずれ知るに至る。

彼女にとってはすべての店子、5名がすべてすーさんなのである。

なしてや、とわれ彼女に問う。したらのたまうではないか。

「だってさ、あれよ、いつもそう呼んでたらさ、みなさんに一斉に用がある時、一言ですむっしょ」

ああ、と俺は思った。なるほどね。

 

つづく、か?

4月20日から2勤3休の日々が始まった。

1日出勤して、2日目は明け番(これで2日分の勤務)、

3・4日目は休業補償付きの自宅待機、5日目が公休。

要するに深夜まで1回働いて、そのあと4連休みたいなものである。

異常事態なんだな、と頭では思う。

一人ひとりがそんな勤務体制に入って、会社は潰れないんだろうか、と思う。

でもそんなことをいくら考えても潰れないようになんてできるわけもなく、

思う悩むだけ無駄で、結局、なるようにしかならない、というところに頭は落ち着く。

落ち着かせるしかない。でないと気が狂う。

 

でも世の中にはもちろん、こんなふうにのんきでいられない人がたくさんいる。

実際に仕事を失ったり、収入がなくなったり、そして希望を失って……。

 

コロナが単なる流行りやまいでないのはもう明らかだ。

誰でもそう感じてる。だから非常事態宣言も受け入れる。

一種の戦争なんじゃないか。それくらいの絶望感が世界に溢れている。

 

でもまったくのんきでいられてる人もいる。

非常事態宣言がおわって、「やっと解除されました」と表現するテレビの中の人。

デパートに行って、晴れ晴れしました、と笑うおばさんたち。

やっぱ外飲みはいいっすね!と言い切るサラリーマンたち。

 

人が元通りの活動をし始めて、新幹線なんかで普通に人が動きだしたら

第2波なんてすぐに来るに決まってるのに。

ビビッてばかりじゃ未来はないよと、わかっていてもつい第2波とか何とか

ビビり直す自分が情けないとはわかっていてもやっぱり怖い。

 

これは戦争じゃないよね。戦争の火種でもないよね。

人類は滅びないよね。

そう言えば大昔にやってたバンドに「人類の危機」という曲があった。

いつもGIGのラストナンバーとしてやってた曲だ。

そんな曲をカッコつけたような顔してやってた。

俺ヴォーカルじゃなかったから、どんな歌詞だったかは全然覚えてないけど。

 

今歌わなきゃならないのはどんな曲なんだろう。

どんな曲を歌わなきゃならないないんだろう。

 

敵は本当にコロナなのかな

 

とか、そんな感じなのかもしれないとぼんやり思います。

すくなくとも、

セージカなんてどうでもいいのはもうよーくわかった。

大事なのは一人ひとりなんだと、もういやんなるくらいわかったから。