愛と平和の弾薬庫 -9ページ目

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

我らが住み暮らすはれるやはいつの大家は元看護師である。

とかいうとじゃあばばあの大家なんだね、と多くの人はのたまう。

まあ、半分あたっている。女ではあるがばばあというほど老けてはいないのである。

その名を笹焼彩子という彼女は50とも60とも噂されるが、実年齢は46才である。

その笹焼彩子、名に反してその声はいつもでかい。

「すーさーん!」

ある朝、そんな声で目覚めさせられたくらいである。

目覚めて出勤の支度をして外へ出たら、また、

「すーさん、おはよう!いってらっしゃい!」

鈴木さんとか澄子さんとか、そんな名称の人物がそばにいるんだろう、

そう思い、声のほうをば見やれば、声の主とばっちり目があった。

「おはようございます」

とりあえずそう言った。

そしてわたしはいずれ知るに至る。

彼女にとってはすべての店子、5名がすべてすーさんなのである。

なしてや、とわれ彼女に問う。したらのたまうではないか。

「だってさ、あれよ、いつもそう呼んでたらさ、みなさんに一斉に用がある時、一言ですむっしょ」

ああ、と俺は思った。なるほどね。

 

つづく、か?

4月20日から2勤3休の日々が始まった。

1日出勤して、2日目は明け番(これで2日分の勤務)、

3・4日目は休業補償付きの自宅待機、5日目が公休。

要するに深夜まで1回働いて、そのあと4連休みたいなものである。

異常事態なんだな、と頭では思う。

一人ひとりがそんな勤務体制に入って、会社は潰れないんだろうか、と思う。

でもそんなことをいくら考えても潰れないようになんてできるわけもなく、

思う悩むだけ無駄で、結局、なるようにしかならない、というところに頭は落ち着く。

落ち着かせるしかない。でないと気が狂う。

 

でも世の中にはもちろん、こんなふうにのんきでいられない人がたくさんいる。

実際に仕事を失ったり、収入がなくなったり、そして希望を失って……。

 

コロナが単なる流行りやまいでないのはもう明らかだ。

誰でもそう感じてる。だから非常事態宣言も受け入れる。

一種の戦争なんじゃないか。それくらいの絶望感が世界に溢れている。

 

でもまったくのんきでいられてる人もいる。

非常事態宣言がおわって、「やっと解除されました」と表現するテレビの中の人。

デパートに行って、晴れ晴れしました、と笑うおばさんたち。

やっぱ外飲みはいいっすね!と言い切るサラリーマンたち。

 

人が元通りの活動をし始めて、新幹線なんかで普通に人が動きだしたら

第2波なんてすぐに来るに決まってるのに。

ビビッてばかりじゃ未来はないよと、わかっていてもつい第2波とか何とか

ビビり直す自分が情けないとはわかっていてもやっぱり怖い。

 

これは戦争じゃないよね。戦争の火種でもないよね。

人類は滅びないよね。

そう言えば大昔にやってたバンドに「人類の危機」という曲があった。

いつもGIGのラストナンバーとしてやってた曲だ。

そんな曲をカッコつけたような顔してやってた。

俺ヴォーカルじゃなかったから、どんな歌詞だったかは全然覚えてないけど。

 

今歌わなきゃならないのはどんな曲なんだろう。

どんな曲を歌わなきゃならないないんだろう。

 

敵は本当にコロナなのかな

 

とか、そんな感じなのかもしれないとぼんやり思います。

すくなくとも、

セージカなんてどうでもいいのはもうよーくわかった。

大事なのは一人ひとりなんだと、もういやんなるくらいわかったから。

肉親が旅立ったからといって、特にいつもと変わらない正月を過ごしました。

年賀状だけがこないいつも通りの正月です。

すなわち一日は朝から酒を飲んで雑煮を食べてどこにも出かけず、二日と三日も朝から酒を飲んで箱根駅伝を見てからちょっと散歩に出て、そこで偶然出くわした神社に賽銭を投げ入れる、という。

久しぶりだったのは四日に「男はつらいよ おかえり、寅さん」を見に映画館に行ったこと。いやあ、泣けた泣けた。正月から塩分消化しました。

いつも行くBookOffの20%Offセールには行かなかった。初売りになんて行かなかったけど、安くてよさそうなラジカセを見つけたのでAmazonでそれを買った。暖かい正月だった。そのへんがいつもとは全然違った。

テレビのバラエティ番組はいつも以上に見なかった。だからなにげに頭が健康的だった。

ドラマの「教場」というのを二日連続で見たけれど、キムタクさんが本来持ってる力を初めて正しく見せたような気がして、だからさ、と思った。この人は脇役をもっとやったほうがいい。

酒は新潟の加藤酒造さんというところの大吟醸を飲んだ。我が家では一本で三日もつ。

ビールは麦とホップの黒。すっきりしていておいしかった。

餅はチンすると柔らかくなっていいんですね。海苔餅だけは焼かなきゃないけど。

なにはともあれ、今年もよろしくお願いします。

 

 

3910円のCDラジカセはAmazonのレヴューでは散々に書かれててちょっと心配しましたが、今のところ健康に働いてくれてます。音はヘッドフォンで聞いてる分にはいいほうです。

久しぶりにカセットの音源をたっぷり聞いてます。Joni MitchellとかThe BandとかRy Cooderとか……っていつもと変わらないか。でもカセットでしか聞けないアルバムもあって、重宝してます。ずっと壊れないでね。

そんなこんなぐだぐだしてられるのもちゃんとこの世に産み落としてくれた母と、いままさに育ててくれてる妻の、はい、おかげです。

16日の仕事から帰って、だから正確には17日の深夜、妹から電話があったことを奥さんから聞いて、それからもう10日がたったんだなあと、あまりに早い時間の流れにやんなっている。

妹が母の家に最後に届け物をしたのが11日で、それから誰も母と会ってない、だから警察は11月12日が「その日」だと決めて、命日みたいになっているけれど、妹が見た食事の経過からはそれは14日か15日より前とは考えにくく、だから俺も母の死んだ日は、14日ということにした。

何度も会いに行きたいと思っていた。思うだけで済ませていたのは収入の乏しさのせいだった。

すべてを妹夫婦に任せっきりにしていて、そんなふうにしている長男として、とても顔を出せたもんじゃない、と思っていた。だから母には年に一度か二度、電話はしていたけれど妹には年賀状を送っていただけだった。

妹には14年前に、俺からしたら甥ということになる息子が生まれていたんだが、初対面はこういうことになるんだろうなあ、と少し覚悟はしていたけれど、実際にこうなってみると、なんてことをしちまったんだと思わずにはいられない。

甥を囲んでその両親とこっち夫婦、そして母とで笑ってテーブルを囲むことだってできたのだ。

ほんとになんてことを。

81才と言ったら年齢だけで言ったら十分なのかもしれない。

 

なのかもしれない。

 

この一言をまるで何かの道しるべみたいに頭の上におっ立てて、俺はきっとずっと悔いていくのだ。

 

ブログなんかに書くべきことじゃないのはわかってるけれど、妹に手紙を書こうと思っても、自分だけの記録にしとこうと書き始めてもどうしても止まってしまうので、ここに記した。ただの記録です。

あけましておめでとう、と

直接、冗談半分にかしこまってみせたりしながら、

言いたい相手が毎年目の前にいてくれる。

なんという幸福。

 

年賀状ってやっぱ、どっか寂しい。哀しい。

 CDもろくに買えない財政状況に陥った家庭の音楽愛好者は今、公立図書館からの音源供給に全面的に依存している。早い話、CDを買う金も借りる金もないから図書館から借りまくってるってことだ。

 公立図書館の名は仙台市図書館。市内の各区に一個ずつある図書館の総称である。その蔵書&所蔵音源をすべての図書館の中から予約して、通える図書館で受け取ることができる。

 予約はインターネットのHPからできる。早い話、パソコンで予約できて、行ける図書館で借りられるのだ。本なら10冊まで、CDは2セットまで(借りたいものが二枚組と五枚組とかなら、いっぺんに7枚借りられるってこと)。

 初めに通い始めたの実は多賀城図書館で、CDを借りる、という頭はあんまりなかった。ただ、家に最も近くて、何やら楽しげだったから行ってみたのだ。そしてCDも2枚借りられることを知った。

 Eric Claptonの各種ベスト, Hotel California以降のEagles, Van Halen, Guns & Roses, Sting, Santana, ARBのベスト, 吉田拓郎数枚、斉藤和義ライヴ、中島みゆきや中村雅俊のベスト、Beatles Anthology, Bluesの各種Omunibus等々、あるもので聴けそうなのは片っ端から借りまくった。

 

 

けれどBilly Joelのベストを借りたあたりで、そろそろ、もういい加減、という気配が漂ってきた。

そんな「さようなら、つかのま楽しかった日々」という気配の中で、思い出したのが自分が仙台市民であるってことだった。

 

仙台の図書館からCDを借りたことはあった。けれどその当時はまだインターネットでつながっていなかったんだと思う。若林の図書館で一回に1枚しかCDは借りられなかった。本は……忘れた。

いくらCDをただで借りられるとはいえ、ちまちま一枚一枚借りるのは面倒でそのうち通わなくなった。

今はどうなってんのかな、と検索した。すると出てきた「仙台市図書館」のページには一度に2枚借りられるとなっている。まずは一度行き、カードを作ってもらえ、と書いている。で、行った。二枚、何だか忘れたが借りた。インターネットでも予約できます、と言ってくれたかどうかは覚えていない。でもとにかくインターネットで予約することができて、一度に3枚予約することができて、そのうち2枚を実際には借りられるという。しかも予約の幅がでかい。前に一枚しか借りられなかった頃にはなかった「蔵書&所蔵CDネットワーク」が出来上がっていて、それが全市数区の図書館に広がっているのである。

蔵書&所蔵CDの検索バナーを押して、そして驚いた。

 

もうTsutayaは俺に必要ない、と思った。なぜかは↓をご覧いただければわかる。

https://hoozintro.exblog.jp/30085285/

RCや清志郎、ポリス、ジャパン、エリック・クラプトン、フリートウッド・マック、リトル・ウォルター等、

中古レコード屋CD屋に売っぱらった音源がどんどん戻ってきた。

カーペンターズやデヴィッド・ボウイのオリジナルアルバム、キンクス、トム・ぺティ等、中学時代から高校時代には絶対に変えなかった第三希望、第四希望で聴きたかった音源がどんどん借りられた。

中年を過ぎた頃から積極的には聞かなくなったレニー・クラヴィッツやU2、ライ・クーダー、スティングなんてのもガンガン借りられる。

さらには試しに聞いてハマったアル・クーパー、タジ・マハール、スティーヴ・ウィンウッド、そしてジョン・ハイアット!

音楽世界はどんどん広がっていった。

還暦を迎えた老人の入り口にいる人間がそんなに音楽の好みを広げて何になる、

そんなことを誰かが言うかもしれない。

でも、こんなに自分がロック好きだったとはと改めて驚いてもいるくらいなのだ。

こんなのが好きだったのか、とアル・クーパーやスティーヴ・ウィンウッドを聞いては思う。

音楽が好き。好きなら努力して手に入れたお金でCDを買いなさい。

これはモノを楽しむ時の礼儀かもしれない。音楽を作っている立場なら、タダで俺の音楽を聞くな、ということもあるかもしれない。

でも金がないなら聴くな、とは誰も言わないよね。言わないで欲しい。もし俺がいまだに音楽をやってたら、それでもし稼いでたとしたら、言わないと思う。聴いてくれることが一番だと思うだろうから。そうじゃなくちゃだめだと思うから。

そして明日もまた、オラ図書館に行くだ。

 

 

でもさ、なんでソウル・フラワー・ユニオンのは仕入れねんだ?

61年ぶりのでかい台風19号襲来。

西は和歌山から東は岩手まで深い爪痕を残す。

我が家では、夜中に駐車場の車がちょっと高いほうに移動したり、

 

 

 

マンション中庭の街灯がバンガリ折れたり、

川辺のゲートボール場の土が持ってかれたり、植物が流されたり、

 

 

(手前の水たまりがゲートボール場、あっち側が七北田川)

このへんにはいない沢ガニが現れたり、

 

 

 

で、やっぱり水かさは1メートルくらい上がっていた。

 

 

⇑ きょう ⇓ 通常

 

 

つうか、草むらの様子がね、ぜんぜん違う。

 

でした。

 

   

 

 

 

 

図書館に「ショーケン最終章」があることを知って、順番を待って借りた。

買えば1500円っつーことで、本屋でクレジットカードを使って買ってポイント還元を受けたらなんぼかポイントがついて、いずれなんぼか得するんでしょうが、図書館はハナっからタダです。

ありがてえ、ありがって。

 

でもいくらタダだからって、読み散らかしちゃいまぜんぜ。

少なくとも伊集院さんとか、この本みたいにずっと読みたいと思ってた本は。

 

 

で、読んで、ものすごく驚いた。ままままままま、真面目!!くっそマジメ!

というのも、実は俺、ショーケンのことを、

 

   演技すれば天才!

   歌えば神!

 

と、そのように認識しておったわけで。

 

  

 

つまりショーケンにとって演技なんてのは、

感じたままに自然にやれば、ただそれだけで、完全なほどにナチュラルな、

個性たっぷりの人物がそこに立ち現われ、自由奔放に動き回る、

そんなふうにこなされてきたものだと思ってたわけで。

ところが。

なんてこった、これほどまでにどっぷり頭から突っ込んでいって、全身どっぷり浸かりこんで、

それでも納得がいかずに、彼のくそ真面目さについていけない監督や脚本家に、

まさに魂のぶつかり合いのような話し合いを挑んでいく、そんな人だったとは。

 

 

そして時としてショーケンは、ご存じのように、周囲となにかと衝突する人でした。

でも、実はショーケンのほうからぶつかっていくなんてのは実にごく稀で、

たいがいはあっち側からけしかけてきた、ってことで。

最大の敵は、やはりマスコミ。

異端児ショーケン、というレッテルを利用してどんどん書きたてれば週刊誌が売れるってわけで。

テレビも喜ぶってわけで。

それを逆手にとって叩き売るマネージャー。

ついでに迷い込んできてショーケンを貶める「映画製作サギ」。

 

いやあ、実は秋吉久美子となんて全然喧嘩なんてしてなかったとは。

反社会的なんとかを送りこんできたのは製作会社側だったとは。

まいっちゃうよね、これじゃ。

で、どんどん消耗していくショーケン……萩原健一……萩原敬三。

でも。

 

 

 

60にして出会えた最後の伴侶が、本当の意味で「人生の伴侶」だったことが

ファンの一人としても本当にうれしい。

 

 

 

Thank You My Dear Kenichi.....

 

実はまだ半分も読んでないんで。

まだまだどんどん面白いことになりそうで。

 

 

 

県民会館で見たの、何年だったっけなあ。

至福の高みを感じられたあの夜。

いまだに「最高のライヴ」です。

 

 

後日読了

 

「ショーケン最終章」読了。 

これくらい必死でやんなきゃダメなんだよ。

 そう言われた気がした。 

歌も役者も必死で取り組んでいた人は、 まだ全然自分に飽きてなかった。 

自分に、飽きてなかった。

まだまだやることがあった。

 

 

 

☆ ★ ☆ ★ ☆

 

 

 

2005年、『透光の樹』降板後の恐喝事件

降板理由に秋吉久美子は関係ない。一度リハも実施した。

事の発端はプロデューサーから、ある政治家が参加するゴルフパーティーに出席するよう求められたことにある。契約にそうしたサービスは盛り込まれていなかったため出席を拒否した。そこから製作サイドとの関係が悪化。最終的に降板。

映画完成後、初日のロードショーを迎えた際、自宅に「示談屋」を名乗る2人が来訪。一人はスーツ、もう一人は見るからにそれふうの若者。

「映画の件で話をつけようと伺いました」と切り出される。

「すみません、名刺をいただけますか」と応じた。

和紙製の名刺には有名な指定暴力団の組名。

プロデューサーの携帯に電話し、名刺にあった暴力団の名前を告げ、

「契約通りにちゃんと払ってほしい。あなたたちがあんな手を使うとはどういうことか? それならこちらにも考えがある……」と言う。

一審判決で、「示談屋が来た」という主張は「信用できない」として認められず、弁護士は控訴を勧めてきたが、当時は同時に離婚調停も抱えていた。控訴すれば拘留が長引き、離婚の決着が遅れる。再出発に向けて力も蓄えておきたい。結局控訴せず、有罪判決が確定、離婚が成立。

 

☆ ★ ☆ ★ ☆

 

ブラウン管の向こうにいる受け手のほうに芝居を届けたいといつも思っていた。たとえ送り手側の人間に理解されなくても、トラブルメーカーと言われても、それが視聴者に支持されたり、再放送で人気が出たりした時、自分の感性が時代と響き合っていると実感できた。

 

☆ ★ ☆ ★ ☆

 

蜷川幸雄さんはこんなふうに語ってくれた。

「世界的にはマーロン・ブランドやジェームス・ディーンが一連の屈折を表現した。ショーケンは日本で初めてそれを持ち込んで、時代の若者の鬱屈を鮮やかに表現した。……でもやっぱり孤立するんだよな」

自分をアウトサイダーだと思ったことはない。私生活上のスキャンダルとドラマのキャラクターをダブらせて、世間がレッテルを貼ったに過ぎない。それもまた、時代が求めていたものなのかもしれない。

 

 ☆ ★ ☆ ★ ☆

 

大麻不法所持で逮捕された時に取り調べに当った刑事さんと、30年近くたって(東日本大震災直前に)再会したら、「俺のこと恨んでるだろ」と言われた。あの時はドラッグに頼っていて、このままだと長生きできないだろうと思っていた。そんな時の逮捕だったから、「ああ、よかった。これで断ち切れる」と心底思っていた。だから「感謝してるんだよ」と言った。すると彼はうわーっと声を上げて泣き、崩れ落ちた。「俺はすごく後悔してたんだ。あの逮捕は『見せしめ』だった。あなたは仲間を守って黙秘を続けただろ。自分が捕まえた人間はほとんどが全員、社会に復帰できていないんだ。でもあなたは元気に復活してくれて……」

そんな思いを抱いて、これまで生きてきたんだろうか。わたしにひとこと謝りたくて食事に誘ってくれたんだろうか。ああ、こころのきれいな人なんだな。そう思った。

 

☆ ★ ☆ ★ ☆

 

ボブ・ディランやキース・リチャーズ、ロジャー・ウォーターズ、我々が範としてきた世界のミュージシャンの新譜を聞くと、実に無理がない。成熟した余裕を感じる。

 

☆ ★ ☆ ★ ☆

 

萩原健一が知らない萩原健一がまだ自分の中にあるはずだ。自分もまだしらないけれど、それはたとえば人生の困難に直面した時に立ち現れる。病を得て、違う自分を発見したように。

まだ自分に飽きていない。

だからまた、違う自分に会える。

 

☆ ★ ☆ ★ ☆

 

 

 

 

タダで借りられるから何でも読む、ってわけでもないが、

「ロッキング・オン」という雑誌に深くなじんだ歴史を持つとはいえ

増井修さん時代にはほとんど読んでおらず、

だったら何で借りたんだ? やっぱりタダなら何でも読むんじゃねえのか?

ってなもんだが、やはりそこはロッキング・オンと付いてりゃなんでも読むんだよ、僕は。

それがロッキング・オンの恐ろしい所なんだよ、

というわけで読んだ⇩これ、

なんだがやっぱね、ぶらーだのすとんろぉぜすだの言われてもね。

やっぱ引きつけられるのはこういう部分。

やっぱり我が人生におけるロッキング・オンは渋谷陽一で、松村雄策だったのだ。

 

  

 

 

 

 

ああ、いい天気。

 

 

こんなのまで。

 

ようこそ、スイッチョンくん。

それにしても、きみ、こんなとこまで飛んでくるとはすごいじゃないか。

 

仙台のジャズフェスは、

「定禅寺ストリート ジャズ フェスティバル」ではない。

「定禅寺 ストリートジャズ フェスティバル」である。

 

        

 

 

毎年どうしようもなく音楽的市民をかきたてる。

しかも今年はどうしようもなくいい天気。

 

第一日目、9月7日、まずはアーケード街で

 

Hassy & Friends

「奇跡の道」(オリジナル)、「喜びの世界」スリー・ドッグ・ナイト、「Twist and Shout」etc.

 

DIRTY OLD BLUES BAND

絶体的姐御?のドラムと赤いリードギターがすごかった。

ブルース大学

「Proud Mary」とか。

RISING RIDERS DRIVE

オリジナル? このステージでバンドの歴史に幕、とか。

 

お疲れさん、と誰にでもなくつぶやき帰途の途中、

まだあったんだ、の八百屋。

名前がなんとも言えない。

のんが「Are You Ready?」とあおる岩手銀行のポスターに感激。

 

2日目の9月8日は、去年から、また見たい!と思い続けてきた、

ROCKET☆HOPPER!からスタート!

「モジャ子」さんと両脇のおにいさんの完璧なアンサンブルで

Tennessee Waltz

Ohio

Love The One You're With

Hot Legs

Shake Your MoneymakerからのSmokin' Boogie

他。

モジャ子さんの小さな「道具箱」から出てくる「道具たち」がなんとも言えずかわいい。

左側の「クリーニング屋さん」から借りたというウォッシュボードからもいい音が。

 

 

ランブリン前田ロンサムバンド

セミアコとバスドラはじめ、なんと10種類の楽器を駆使!

から発せられる楽曲が「Light My Fire」ほか、ワンマンジャグバンド的世界とは

ちょっと乖離してて、でもキャラ、歌、演奏、存在感で受けまくり!

よかったね。となぜか仲間意識で喜んでしまえる不思議な前田くんでした。

オノマトペル

沖縄の矢野顕子。

それから焼く2時間、我々夫婦は彷徨、疲れ切った頃にやっと

勾当台野外音楽堂に登場したのは

 

スーさんとドライブ!!

司会を無視してのリハーサルと思わせての一曲目、あれ、なんだっけ。

そして始まったなんで?のハウンドドッグ特集で「嵐の金曜日」のしっかりした「まじ歌唱」に感動

Miyukiさんの「フォルテシモ」に驚く。

軽快なアレンジの「アメージンググレース」

なにげのワンスフレーズ「愛さずにはいられない」もいかったすよ。

でも圧巻はマディ・ウォータースの「Walkin' By Myself」!

ヘビメタ並みのハイトーンボイスっつんですか、すんげー高音に感涙でした。

他、「The Wdight~Lucky Man(?)」「Walkin' with a Mountain」

来年も見たいみんなです。