天才なんかじゃなかった――「ショーケン最終章」萩原健一著 | 愛と平和の弾薬庫

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

図書館に「ショーケン最終章」があることを知って、順番を待って借りた。

買えば1500円っつーことで、本屋でクレジットカードを使って買ってポイント還元を受けたらなんぼかポイントがついて、いずれなんぼか得するんでしょうが、図書館はハナっからタダです。

ありがてえ、ありがって。

 

でもいくらタダだからって、読み散らかしちゃいまぜんぜ。

少なくとも伊集院さんとか、この本みたいにずっと読みたいと思ってた本は。

 

 

で、読んで、ものすごく驚いた。ままままままま、真面目!!くっそマジメ!

というのも、実は俺、ショーケンのことを、

 

   演技すれば天才!

   歌えば神!

 

と、そのように認識しておったわけで。

 

  

 

つまりショーケンにとって演技なんてのは、

感じたままに自然にやれば、ただそれだけで、完全なほどにナチュラルな、

個性たっぷりの人物がそこに立ち現われ、自由奔放に動き回る、

そんなふうにこなされてきたものだと思ってたわけで。

ところが。

なんてこった、これほどまでにどっぷり頭から突っ込んでいって、全身どっぷり浸かりこんで、

それでも納得がいかずに、彼のくそ真面目さについていけない監督や脚本家に、

まさに魂のぶつかり合いのような話し合いを挑んでいく、そんな人だったとは。

 

 

そして時としてショーケンは、ご存じのように、周囲となにかと衝突する人でした。

でも、実はショーケンのほうからぶつかっていくなんてのは実にごく稀で、

たいがいはあっち側からけしかけてきた、ってことで。

最大の敵は、やはりマスコミ。

異端児ショーケン、というレッテルを利用してどんどん書きたてれば週刊誌が売れるってわけで。

テレビも喜ぶってわけで。

それを逆手にとって叩き売るマネージャー。

ついでに迷い込んできてショーケンを貶める「映画製作サギ」。

 

いやあ、実は秋吉久美子となんて全然喧嘩なんてしてなかったとは。

反社会的なんとかを送りこんできたのは製作会社側だったとは。

まいっちゃうよね、これじゃ。

で、どんどん消耗していくショーケン……萩原健一……萩原敬三。

でも。

 

 

 

60にして出会えた最後の伴侶が、本当の意味で「人生の伴侶」だったことが

ファンの一人としても本当にうれしい。

 

 

 

Thank You My Dear Kenichi.....

 

実はまだ半分も読んでないんで。

まだまだどんどん面白いことになりそうで。

 

 

 

県民会館で見たの、何年だったっけなあ。

至福の高みを感じられたあの夜。

いまだに「最高のライヴ」です。

 

 

後日読了

 

「ショーケン最終章」読了。 

これくらい必死でやんなきゃダメなんだよ。

 そう言われた気がした。 

歌も役者も必死で取り組んでいた人は、 まだ全然自分に飽きてなかった。 

自分に、飽きてなかった。

まだまだやることがあった。

 

 

 

☆ ★ ☆ ★ ☆

 

 

 

2005年、『透光の樹』降板後の恐喝事件

降板理由に秋吉久美子は関係ない。一度リハも実施した。

事の発端はプロデューサーから、ある政治家が参加するゴルフパーティーに出席するよう求められたことにある。契約にそうしたサービスは盛り込まれていなかったため出席を拒否した。そこから製作サイドとの関係が悪化。最終的に降板。

映画完成後、初日のロードショーを迎えた際、自宅に「示談屋」を名乗る2人が来訪。一人はスーツ、もう一人は見るからにそれふうの若者。

「映画の件で話をつけようと伺いました」と切り出される。

「すみません、名刺をいただけますか」と応じた。

和紙製の名刺には有名な指定暴力団の組名。

プロデューサーの携帯に電話し、名刺にあった暴力団の名前を告げ、

「契約通りにちゃんと払ってほしい。あなたたちがあんな手を使うとはどういうことか? それならこちらにも考えがある……」と言う。

一審判決で、「示談屋が来た」という主張は「信用できない」として認められず、弁護士は控訴を勧めてきたが、当時は同時に離婚調停も抱えていた。控訴すれば拘留が長引き、離婚の決着が遅れる。再出発に向けて力も蓄えておきたい。結局控訴せず、有罪判決が確定、離婚が成立。

 

☆ ★ ☆ ★ ☆

 

ブラウン管の向こうにいる受け手のほうに芝居を届けたいといつも思っていた。たとえ送り手側の人間に理解されなくても、トラブルメーカーと言われても、それが視聴者に支持されたり、再放送で人気が出たりした時、自分の感性が時代と響き合っていると実感できた。

 

☆ ★ ☆ ★ ☆

 

蜷川幸雄さんはこんなふうに語ってくれた。

「世界的にはマーロン・ブランドやジェームス・ディーンが一連の屈折を表現した。ショーケンは日本で初めてそれを持ち込んで、時代の若者の鬱屈を鮮やかに表現した。……でもやっぱり孤立するんだよな」

自分をアウトサイダーだと思ったことはない。私生活上のスキャンダルとドラマのキャラクターをダブらせて、世間がレッテルを貼ったに過ぎない。それもまた、時代が求めていたものなのかもしれない。

 

 ☆ ★ ☆ ★ ☆

 

大麻不法所持で逮捕された時に取り調べに当った刑事さんと、30年近くたって(東日本大震災直前に)再会したら、「俺のこと恨んでるだろ」と言われた。あの時はドラッグに頼っていて、このままだと長生きできないだろうと思っていた。そんな時の逮捕だったから、「ああ、よかった。これで断ち切れる」と心底思っていた。だから「感謝してるんだよ」と言った。すると彼はうわーっと声を上げて泣き、崩れ落ちた。「俺はすごく後悔してたんだ。あの逮捕は『見せしめ』だった。あなたは仲間を守って黙秘を続けただろ。自分が捕まえた人間はほとんどが全員、社会に復帰できていないんだ。でもあなたは元気に復活してくれて……」

そんな思いを抱いて、これまで生きてきたんだろうか。わたしにひとこと謝りたくて食事に誘ってくれたんだろうか。ああ、こころのきれいな人なんだな。そう思った。

 

☆ ★ ☆ ★ ☆

 

ボブ・ディランやキース・リチャーズ、ロジャー・ウォーターズ、我々が範としてきた世界のミュージシャンの新譜を聞くと、実に無理がない。成熟した余裕を感じる。

 

☆ ★ ☆ ★ ☆

 

萩原健一が知らない萩原健一がまだ自分の中にあるはずだ。自分もまだしらないけれど、それはたとえば人生の困難に直面した時に立ち現れる。病を得て、違う自分を発見したように。

まだ自分に飽きていない。

だからまた、違う自分に会える。

 

☆ ★ ☆ ★ ☆