バンドの練習があって帰りが遅くなると、彩子さんはいつものベンチでよく「あの人」と語り合っている。
ある日こっちの耳にまで届いてきた言葉は、
「いいねえ、ずっと三十台なんてさあ。健康そのものだよねえ」
それから階段を昇ろうとしていた俺に気づいて、
「あ、お帰り、すーさん」
そして笑い出した。
「あ、ごめんごめん、健康じゃないか。あ、そうか」
すでに「あの人」との会話に戻っていたのだった。
下から聞こえてきた、
「死んじゃったんだもんねえ、健康なら死なないよねえ」
という言葉で、それが「あの人」との会話だと、気づかされたのだった。
「あの人」がかつて103号室に暮らしていた男性で、宇津呂友介という名前だったと教えてくれたのは、102号室の優子さんだ。
「死んでんですか?」
俺がそう聞き直すと、
「うん、もう五年だったかな、それくらい経ってるって、彩子さんが教えてくれた」
「死んでる人と話してるんですか、彩子さん」
「そういうことになるんだろうね」
「その人が隣の部屋に住んでた人って、気味悪くないんすか、優子さん」
「気味悪がってみたってねえ。それに、ガメラはないの?そういうこと。死んじゃったおじいちゃんとか、誰かと話すって」
「ないっすよ、そんなの」
「ええ……、ないんだあ。わたしはあるよ、ばあちゃんと時々。それに小学校の時に死んじゃった同級生とか」
「それはなんつうか、彩子さんのあれとはちょっと違うような気がするなあ」
「違わないって。あれはね、別に気味が悪いことでもなんでもなくて、ただの会話よ。会話」
「そうなんですかあ」
「そうなんですよう」