中学2年の時、日曜の午前9時から30分、Beatlesの曲を発表順に全曲流す番組をやっていた。
買ってもらったばかりの東芝のラジカセで毎週録音した。
初めて聞いたアルバムは「青」で、オリジナルアルバムは「イエロー・サブマリン」から入った。
何曜日かは忘れたけれど、黒沢久雄が「東芝ヒットパレード」というのをやっていて、
T. Rexやエルトン・ジョン、ソロになったビートルたちの曲に交じって流れた「誰も知らない」を聴いた。
バッドフィンガーとの出会いだった。
高校2年の時にMusic Lifeで見た「まぼろしの世界」のジャケットに惹きつけられて輸入盤のStrange Daysを買った。
2回、3回と聞いてもまったくなじめないサウンドに一度はレコード棚に仕舞い込んだそれを、
いやいやせっかく買ったんだからと5回、6回と聞いたらやられた。抜けられなくなった。
ロッキングオンという隔月刊の雑誌をなぜか買ってしまったのは、ドアーズにはまりこんだ直後だった。
松村雄策は俺と同じ世界の住人だった。
プロレス好きだけは違ったけれど。
以下は覚え書き代わりのメモです。
「2年目の12月8日に」……僕は『ダブル・ファンタジー』を持ってはいない。欲しいとも思ってはいない。
一生涯、手に入れないつもりでいる。
「走れ少年」……僕にとっての少年の本を一冊だけ挙げろといわれたら、迷うことなくハンター・デイビスの『ビートルズ』と答える。これこそが世界で最も有名な少年たちの冒険小説なのである。
「悲しき叫び」……60年代のBritish Beat Groupを3組だけ挙げろといわれたら、迷わずに僕はビートルズとローリング・ストーンズとアニマルズと答える。5組といわれたら、それにフーとキンクスを加える。
「3年目の12月8日に」……僕たちは、言葉がなかった。
その日からしばらくの間、いわゆる文化人ふうの顔をした奴等が、したり顔でジョンの死について語っていた。
……うすら寒い気分になった。
……何もなかったようなふりをしたかったのだ。
「正しい立ち食いそばの食べ方」……食べ物というのは、値段が高いものだけがうまいわけではない。安いものでもうまいものがある。
また同じように、うまいものだけが食欲をそそるわけでもない。まずいものでも食欲をそそるものがるのである。
「4年目の12月8日に」……ジョンが”愛と平和”の人であったとは、とても思えない。
……確かにそういう行動もあった。そのお陰でアメリカ政府に目をつけられたのだけれど、これは目をつけたほうの眼鏡違いである。
「もうひとつの人生」……自分は普通の人達とは違っているということであった。
普通に大学に行ってサラリーマンになるなどということは、考えられなかった。
つまり、ロックに殺られてしまったのだ。
……まともに大学を卒業したような奴等に、ロックがわかるわけがないという気もする。
「『苺畑の午前5時』について」……この小説は1963年から1970年までの、つまりビートルズの登場から解散までの、東京の少年の物語である。
「午前5時のバッドフィンガー」……バッドフィンガーのテープは、どうしても作れなかった。何回も試してみたのだけど、うまくはいかなかった。
永遠に続く。