女優:かんこ9『ニッキー』「2回目」 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■かんこ


■第2稿 2018年 10月31日 版

[『ニッキー』「2回目」]


■『ニッキー』

もう2ヶ月以上も経ってしまったが、8月23日(木)、『ニッキー』「2回目」を見に行った。「2回目」の『ニッキー』は前回を思い出しながら、冷静に見ることができた。



「2回目」はかんこさんの「腹筋が割れてる」のが「確認」できるほど間近で見た。恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「かんこ」の身体、“本物” の「体脂肪率11.5%」(2018年07月21日時点で9%)の「極限の美」にビビってしまった。

[「子供ミュージカル」]




『アニー』『ピーターパン』『ビリー・エリオット』など、外国では大人顔負けの「子供ミュージカル」がかなりあるのに対し、日本にはまだ数少ない。「脚本」「演出」「プロデューサー」の「竹本敏彰」の意欲作であることを今頃思い知った。




「恐るべき子供の身体能力」に「1回目」もビビったが「2回目」もビビった。「やりすぎ限界」な「子供の芝居」にまた圧倒された。僕も「見習わなければならない」と「反省」した。

[「男女」「体入れ替わり映画」]



『フォーチュン・クッキー』『フェイス/オフ』など「体入れ替わり映画」はたくさんあっても、『キスへのプレリュード』『君の名は。』のような「男女」「体入れ替わり映画」に人気があるのは、誰もが「男に生まれたい」「女に生まれたい」と、望んで生まれてきた訳ではないからかもしれない。「自分で性別を選べなかった」ことに「異性への憧れ」=「隣の芝は青く見える」永遠の「普遍性」は、人間なら誰でもあるのかもしれない。



『渇き』で「本当は僕もバンパイアになりたい」と告白したが、実は「本当は僕も女になりたい」と憧れてた。「大きな理由」は、女にモテなくて「とても痛い目」に遭って生きてきたから。もし「極限の美」を持つ「かんこ」さんのような恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 生まれ変われるなら、僕は女に生まれ変わりたい気持ちがある。

[『瀕死のガマガエル』]




だが「性転換」手術をしたり、「女装」に走るまでの「度胸」「女心」はなかった。




「淀川長治先生」が子供の頃やはり「女」に憧れ、鏡の前で「アンナ・パブロア」の『瀕死の白鳥』の真似をしたら、『瀕死のガマガエル』にしか見えなくて「やめた」、という話を聞き僕も思い知った。僕が「女装」しても “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” にはなれない。男のままでいることにした。

[「僕もフる側になりたい」]




僕が女にフラれるたびに、「僕もフる側になりたい」と憧れた。「とても痛い目」の「苦しみ」から逃れたいと思ったが、冷静に考えれば「男」も「女」もフラれる「苦しみ」は、結局全く同じなのだろう。




「楽しみ」「笑い」「好きなことを追求」して生きてる女性の「笑顔」を見ると、「女はいつも楽しそう」に見えてとても羨ましくなる。だが実際は「錯覚」で、所詮「隣の芝は青く見える」だけなのだろう。実際なったら「男の方が良かった」という「オチ」で終わる可能性が高いかもしれない。

[恐るべき「かんこ」「極限の美」]




というわけで『ニッキー』を見て恐るべき「かんこ」の「極限の美」に撃ちのめされ、「今度生まれ変わったら」「恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「かんこ」に生まれ変わりたい」と思い、家に帰った。




次回「また」つづく。




大塚加奈子1『スナックかんこ』
大塚加奈子2『moving on』
大塚加奈子3『ニッキー』
大塚加奈子4『孫悟空』
大塚加奈子5『バレンタインイベント』
大塚加奈子6『春秋会男組Vol.5』
大塚加奈子7『フィリピン エキスポ 2018』
かんこ8『バースデーイベント』
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画像 2018年 10月