油絵を描いています、けどマンガも始めました -76ページ目

幸福な絵

ご訪問ありがとうございます。


さて、先日お話していたイマイチな絵を掲載してみます。




油絵を描いています




これです。


完璧にハッピーな絵でしょ?


この絵は“黒”または“暗色”を一切使っていません。

モチーフはチューリップとスイートピー。

トーンが明色で、寒色はほとんど使ってません。(若干ブルーを使っています)


・・・・・「幼稚園の絵」と言われています。


いやね、私は結構好きなの。


でもね、例えば何かの公募展とかに出しすとしたら、

さすがにどーかなー・・・って感じは我ながらするの。


明るい絵なので、とりあえず部屋に飾っていて感じは悪くないです。


でもなんとなく“絵”として見た時、違和感を感じます。


ラインがイマイチっていうのもあるかな・・・とか、少し思わないこともないんですけど、

でも、下絵を見たらそんなに狂っている訳でもないし。


葉の色のせいもあるかな・・?とかも思うんですけど、

でも、葉の色だってハッピーカラーだしね。




で、これを踏まえて描いたのが、一番初めに掲載したこの絵なんです。



油絵を描いています



花のバックに暗色を配置しました。


そうすると、少し“絵”らしく落ち着く感じがしました。


同じような幸せ感もありつつ、自然な感じ。


黒い部分を隠すと、やっぱり少し物足りないような気が私はします。



と云う訳で、おしるこの塩のように、ちょっとは「陰」な感じを混ぜた方が、


より「幸福感」ってものは表現できるかなと思ったわけです。


人間の知覚の不思議を考えさせられました。




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「幸福感」について -中庸の先にあるものー

ご訪問ありがとうございます。


昨日は「中庸」な幸福観について語りました。


なんていうかな・・・・・・地味。


ちょっとそう思います。




私はどんな種類のアーティストになれるかな?とか思ったときに、

例えば村上隆氏のような、オノ・ヨーコさんのような

超一流アーティストには・・・・・なれないなと思いました。


なぜか、


超一流アーティストは振り幅が大きいから。


昨日、「陰」と「陽」の話を書きましたが、


「極陰」とか「極陽」っていうのは絶大なるパワーを生じます。


つまり、偏り。


えーーーーーおかしいんじゃないのぉーーーーー!!!


っていうインパクトを与えるものではないと、人は興味を激しく惹かないから。


本当に人の気持ちをゆり動かすには、そういう驚きが必要だと思います。


そうでないと、振り向いてももらえない。



でも、非常にそれはリスキー。


振り幅が大きく、例えば「極陽」の状況になった時、まるでバランスをとるかのごとく


「極陰」の状況が生まれます。


例えば、村上隆氏はコンビニの裏で弁当をもらいました。

オノ・ヨーコさんは愛する夫を失いました。


悩む必要はないんだけど、悩みました。


私のスタンス。





でも、確かに、超一流アーティストに楽しませてもらうのはとても楽しいんだけど、


それはあくまでちょっとしたお祭りで、


日常を送る上ではちょっときつい。


私は日常を充実させる方も必要。



で、日常のちょっとした「幸福感」もいいな、なんて。


で、そんなちょっとした「幸福感」を持つ人が増えたらいいな、なんて。




超幸福、超不幸っていう状況がなくなる、おだやかな状態が「中庸」なんだけど、


じゃ、その先にはなにがあるの?っていうと、


みんなそれぞれの持っているステキな何かが、顔を出し始める、と思います。


うきゃうきゃと浮かれすぎて落ち着かない気持ちや、

落ち込んで不安でどうしようもない気持ちには、どうしても振り回されてしまう。


恋の初期段階みたいな感じかな。


おだやかな気持ちでいると、本当に自分が良いと思うものに対して、素直になれる。


恋が愛に変わった感じ?


おだやかな安心感の中にいると、本来もっているその人らしさが、その人の豊かさがゆったりと顔をのぞかせます。


派手さはないんだけど、そんな「幸福感」。



好きな人ができて、両想いになって、何も手に付かないような幸福の絶頂感的な幸せもあるのでしょうけど、


そうではなくて、もう少し実用的な、日々暮らす上で、ちょっといいアイデアが浮かんじゃったりするような幸せ。


「中庸」の幸せもいいなと思っています。


っていうか、むしろ私はそちらが性に合っている感じかなと思います。



人間の性として、あまりに安定してしまうと能力が衰えると体が察知するのか、刺激を求めるし、


かといって、不安だらけだと体を守ろうとして縮こまっちゃったりするけど、


私は、やっぱり、せめて、不安だらけっていうキツイ状況から、少しでも穏やかな安心な記憶を呼び起こしてもらいたいなという感覚の方がリアルかな・・・。


で、安心して、自分の中をほじくって欲しいなっていう感じかな。

勉強でも、コミュニケーションでも、表現でも、何でも。


それで、できるならば、私を楽しませて欲しいって感じかな。(・・・あら?)


だからね、中庸の幸せも悪くないと思うんです。




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「幸福感」について

ご訪問ありがとうございます。


以前「美」について語ったんですけど、


「幸福」について考えていることも、少しお話させていただこうかと思いまして。



私の絵のテーマは、「幸福感を感じる美しさ」の表現なんですけど、


かといって、超・ハッピーな絵ってつまんないんですよね・・・。


残酷なことに。


自分で以前にそういう絵を描いてみて、思いました。


こんなにハッピーなのに・・・なぜ魅力がないの?



なんでだろう、と、考えたんですけど、


不自然なんですよね・・・。


世の中、完全な幸せって存在していないのかもなと自分の絵を見て思ったりしました。


完全な幸せ感を描いたはずなのに、ある種、本能的に「疑い」を感じたんですよね。


なんともかるーい絵になってしまって、魅力がないったらないの。



以前ご紹介した松園の美人画で、若い着飾った娘さんはとってもきれいなんだけど、


まあ、きれいで当たり前っていうか。


それに比べて、「晩秋」とかの女性は普通なんだけど、何とも言えない魅力があるっていう差のような。



もしかして、人間って、「完全な幸せはない」ってどこかで感づいているのかもなぁと、その時思ったんですよね。


ルノアールも似たような悩みを持ったみたいで、自分の絵を光でいっぱいにしようとしたら、ものの境目がなくなってしまうっていう悩みを持ったりして。


つまり、「光」ばかりを讃美して、「闇」を否定してしまうと、非常に不自然になってしまう。




「美」と「醜」の関係性もそうだけど。


世の中は全てある種、二律背反で成立している。


古くからの東洋思想の知恵がここに浮かび上がる。


「陰」と「陽」


「陰」極まりて「陽」になり、「陽」極まりて「陰」に転ず。


悲しいかな、自然はこの呪縛から、逃れることができない。



「幸福感」を描きたかったら、必ず「悲哀感」のような要素を加えないと、浮かび上がってこない。


「美」を描くときは「醜」を視野に入れないと描けないと思ったけど、それと同じ。


「幸福感」の裏には必ず、もれなくそうでない状況がある。


でも、その呪縛こそが、リアルな現実。


リアルな現実に向かう私たちには、「幸せ感」に傾きすぎたものには却って不安感を持ったりする。



かといって、その二律背反に振り回される状況もつらい。


そこで、東洋思想はその呪縛に一つ光を見つけた。


「中庸」ということ。


幸せになりたいとは誰もが思うことだけども、


東洋思想的な結論はこの「中庸」だった。


ニュートラルな状況、幸せでも不幸でもない状況が、変な言い方だけど、


一番幸せな状況ということ。




私が「幸福感」を描こうとする理由は、そんな感じで、


「悲哀感」、まあ、へこんだり落ち込んだりした時の


「中和剤」のような物があった方がいいかなと。



(あ、ゴッホがバブルの時代に高値をつけたのも、もしかしたらなんらかの中和を図ろうとする現れだったのかも。)



超・ハッピーな絵は現実離れしてしまって、嘘くさくて、心がはねつけてしまう。


少し、暗い感じを入れると、意外と心は受け付けてくれる。


平ったく言うと「明度」なんだけど、


このさじ加減で、絵のリアルな「幸福度」が変わってくる。


へこんだ時の中和剤なりえるかどうか、を左右する。



人間は芸術によって成立し、芸術はその人間によって成立するのよね・・・。



と、思いました。


今度、恥ずかしいけど、そのつまらない絵を試しにアップしようかと思います。

(私は嫌いじゃないんだけど、あんまり評判が良くないのよね。)



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ちょっと嬉しかったこと

こんばんは


今日、上野の森美術館の「日本の自然を描く展」での入選の封書が届きました。


ネットで検索すると、たくさんの人が入選するらしいのですが、ちょっと嬉しかったです。


絵は展示が終わって戻ってきてからアップしたいと思います。

バラのスケッチ

ご訪問ありがとうございます。


昨日のバラをスケッチしてみました。




油絵を描いています



オールドローズは茎が細いし、持ちが悪いって聞いていたのですが、


やっぱりちょっと水揚げが悪いみたいで、若干弱ってきました。


旬のバラは元気なのが多いんですけどね。


なので、元気のいいうちにスケッチです。



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6月のバラ

ご訪問ありがとうございます。


今日は花屋さんに行ったら、バラが安くて、5本で200円でした。さすが旬ですね~。


色々ありましたが、オールドローズ系のバラを買いました。


帰ってから開けてみましたが、これがすっごくいい香り!


今日は“リアル花”です。



油絵を描いています



香水じゃなくて、せっけんみたいな香りです。


やわらかい香り。こんな香りは初めてだなぁ。


サンキライも出てたので、合わせて買ってきました。


赤の実物はクリスマス時期によく見るけど、緑のはめずらしいです。


で、生けてみました。



油絵を描いています


つるものって雰囲気ありますよね。


部屋の中が、初夏のさわやかな感じになりました。



ブログをやってみて

ご訪問ありがとうございます。


気合を入れた自己紹介が終わったので、ポケーっとしてました。



ピグをやってみてました。


面白いですね。


この、アメーバブログっていうのも、よくできてますよね~


感心しちゃうわ。



ピグってまた、かわいいったらないの。


このキャラクターデザイン。


デザイナーさんすごい!


なんかかわいくって、子供の頃に戻った感じ。



ブログとかって、結局、不特定多数の人が見ると思うので、


もっと色々攻撃があるのかと、ビクビクしていたのですが、(変なHコメントとか)


ステキな方との交流の方が多くて、かえって意外でした。


皆様、仲良くしていただいて、ありがとうございます。


きっと、アメーバブログの運営会社の方も、気を張って管理して下さっているんだろうなと思います。


ありがとうございます。



それにしても、こういった最先端のツールを作り出す人っていうのも、すごいなー


なんだか、夢中になっちゃうもんね。


最近、テレビが面白くなくなってきているのは、こういったもののせいかな・・・とか思ったりしました。



私は絵を描くのはじっくりゆっくりなので、だいたいがんばっても月に1枚位なんです。


油絵は乾いては塗り、乾いては塗りってやるので、週1位でキャンバスに向かいます。


その間は構想を練ったりしています。


だから、大分ブランクが空くなと気付いてしまいました。


なんだか、「ブログは日課に」とか注意書きに書いてあるので、


時々感じたことなんかもアップしようかな・・・とか思います。


よろしくお願いします。











絵のテーマ「美」

ご訪問いただきまして、ありがとうございます。


今日で、自己紹介は最終回です。


長かったです・・・。




さて、昨日は「幸福感を感じること」が私の絵のテーマです、ということをお話ししました。


もう一つのテーマがありますが、以前にも書きました、


「美しい絵」です。



ただ、これは難しいなー・・・とよく感じます。


ある意味「幸せな絵」より難しいと思います。


というのは、「美」には必ず「醜」がまとわりつくからです。


「醜」があるからこその「美」なんですよね・・・。



「美」を描くには「醜」を定義付けなくてはならない・・・。


ここが難しいです。



何を美しいかと思うときに、何が醜いかと同時に考えなければなりません。


ということは、自分の嫌な部分にも向き合わなければなりません。



また、「美」は「醜」がまとわりつくために、差別意識が生じてしまったりします。


何かを「美しい」と定義すると、それ以外は「醜い」となって、


結局、「美しさ」を追及するということは、「醜さ」を排除することだから。


「美しさ」を徹底的に客観視しないと、飲み込まれてしまいます。



・・・「美しさ」というのは刃物のようだな、と思う時もあります。





私はそういった「美」の中で、結局のところ、「幸福感のある美しさ」を追及しています。


人が生きていくのに、手助けになるような「美感」の創出。




先にあげた、上村松園の絵などを例にとると、


例えば、美しい着物を着た若い娘さんは、確かに明らかに美しいのだけど、


でも、私がどうしても惹きつけられる美しさは、そうではなかった。



自分の中にある「美意識」を洗練させていくことに、


何となく人として深まっていくような気がする。


そして、新たな自分を発見できる。


まるで生まれ変わったかのような感覚。



最近深まった美意識の中に、千利休の考え方についてのことがあります。


千利休は豊臣秀吉と、その美意識について戦わせました。

(あまり詳しくはないですけど)


秀吉は豪華絢爛なものを美しいと言いましたが、千利休は品がなくて醜いと言いました。


私はどちらかというと秀吉派でした。


だって、やっぱり極彩色ってきれいだし。なんだかんだ千利休って地味すぎるし。


それに、千利休って秀吉を田舎者かなんかってバカにしたような感じなんじゃないの?的な。



でも、人の上に立つ人にとって、お金を掛けて豪華なものを身の回りに置くことは、


そう難しいことではないかもしれないけど、


そうではなく、質素なものにも愛情を持てる、


しいては、自分の統治している隅々の人達を尊重するといった、


心の持ちようの方が美しいなと、


ふと思ったのです。



本当の千利休の考え方とは違うかもしれないけど・・・。



かといって、楽茶碗よりもやっぱりキレイな絵付けがされているお茶碗の方が私は好きなんです・・・。


この辺の意識も自分で研究中です。




「美意識」はそう簡単ではありません。(ちょっといいわけ)


扱いが難しいし、下手すると振り回されてしまいます。



その中で、いかに人を励まし、幸福にする「美」を抽出するか、


このあたりが私のテーマです。








さてさて、私がどういった想いで作画にあたっているか、一通り説明してきました。


こんな感じで、絵を描く理由ってなんだろう?とか、


絵ってどんな影響があるんだろう?


と、考え考え、描いてきています。


そうやって考えたり、描いたりすることで、自分の内側をほじくって、様々な自分と出会ったりしています。


そして、そのことで、多少は他の人の気持ちの内側も、寄り添うことができているんではないかな・・・と思ったりしています。



これからは、その時々で感じたことを書いたり、描いた絵を見ていただきたいなと思っています。


ちょっと不定期になるかもしれませんが、これからもよろしくお願いします。







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私の絵のテーマ

ご訪問いただきまして、ありがとうございます。


長かった本の感想が終わり、あと2~3回で、私の自己紹介も終了する予定です。


最後に、私の絵のテーマを書いておこうと思います。


その後は絵を描いたりしようと思っているので、少し不定期の更新になると思います。


そして、その時々に気づいたことや思ったこと、考えたことを書いたりしようかなと思っています。


また、その時はご感想などをいただきたいです。




さて、私の絵のテーマです。


一番大きいのが、「幸せを感じてもらう絵を描くこと」です。



油絵の中で、日本で超人気、超有名なのは、


「ルノアールとゴッホ」だと思いますが、


今までお付き合い下さったら、私がどちらを好きかっていうのは言わずもがなと思いますが、



ルノアールです。



でも、私はあまりルノアールの絵は好きって訳ではありません。


でも、ルノアールは私の心の師匠です。


彼は生涯“幸せの絵”を描きました。


ルノアールを“すごい”って思ったのは、社会人になってからです。


しかも、わりと最近です。


自分で働くようになってみて、自分で何かを提供する側になって、


色々試行錯誤していく内に、


初めて“幸せ感のイメージ”の重要性を知ったように思います。


意外と人間って、常に“幸せ感”を意識していないと、“辛い感”が勝っちゃうんだな。


って思ってから、ルノアールのすごさを感じました。




「人を幸せにすること」




これが、豊かな社会を築く上での欠かせない要素だと思います。


これがなければ、人は、社会は貧相になっていくと思います。


みんな、「まあ、私の影響力なんてそんなにないから・・・」と思ったりするかもしれませんが、


結構意外と、影響します。


一人が豊かなイメージを持つだけで、かなり豊かな世界が出現すると思います。


なぜか。


それは、みんなどこかで、つながっているから。




特にアーティストの意識は重大だと思います。


アーティストは何かしら発表するのが常なので、それが周囲に大きく影響します。


ルノワールはそれを芯から意識していたように思います。


“次世代の明るい未来は、私の描くものに掛っている”と。


でも、他の画家の人で、そこを意識している人は少なかったと思います。


だから、ルノアールは偉大だなと思っています。




片や、ゴッホ。


なぜゴッホの絵が売れるのか?


これは、「マイ・ロンサム・カウボーイ」が売れるのと同じくらい謎です。


おそらく「パワー」だと思います。


「パワー」には魅力がありますものね。


そしてゴッホは、人々の余裕のある、豊かな時代のものかもしれません。


ゴッホに高値がついたのは、日本ではバブル経済の最高潮の時でした。




でもね・・・ゴッホによって、「画家は売れなくて苦労する職業だ」と思われるようになったような気がします。


私が学生時代、ゴッホの生涯を映画化したビデオを見たのですが、


「悲惨だな~・・・」と怖くなりました。


ルノアールとは真逆な感じです・・・。




私は、絵を世の中に出現させていく時、


人を幸せにしなければ意味ないと思っているんです。


(あっでも、ゴッホで幸せ感を感じる方には申し訳ないです・・・。あくまで、私の主観なんで・・・。)



色々な価値観がある世の中ですので、様々なものの見方がある方が脳の刺激になっていいかっていう部分もないわけではないですけど、




とりあえず、私はこの「幸せ感」を最重要テーマにおいています。






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影響を受けた本 「芸術起業論」5 アートのお客様

ご訪問ありがとうございます。


とりあえず「芸術起業論」の感想はこれで最後です。


たっぷり考えさせられました。


きょうはアートのお客様についてです。


この本では気付かされること、教えられることがたくさんあり、ほとんどが

“なるほど~”と納得いくものだったのですが、


ちょっと、ここはどうなのかな?と思ったのがアートのお客様についてです。




芸術の顧客は、栄耀栄華を極めた大金持ち P52



ここです。


そうなの?って思いました。


“芸術の”じゃなくて、“現代美術というジャンルの中の、村上氏のお客様は”

ってことだと、多少はつじつまが合うように思います。


村上氏自身の芸術表現のなかで、マネーとのからみがあって、作品を高額に売るというテーマ性の視点からのものではないかと思います。


この部分によって「マネー」ということについて余分に考えさせられました。


確かに、この「大金持ちがお客様」という言葉が入っているから、読む人を煽るようなところがあるように思います。


でも、ここは本来の意味とはたぶん違います。




昨日、ユニクロの社長さんがフォーブスで日本の億万長者1位になったと聞きましたが、


大金持ちの人は、たくさんの人のニーズに応えたからこそ、多くのお金を手にすることができています。


かつての大金持ちのGMは、その地位に安住し、たくさんの人のニーズに関して鈍感になってしまったため、破たんしました。


多くの人の支持が、「お金」という形に還元されるのが世の中だと思います。


だとすると、とどのつまり、芸術の顧客は全ての人間という形が自然です。


金持ちと限定されるものではないのではないかと。




正直、私はこの文章に悩まされました。


今まで、絵や芸術に感動していた庶民の私の感動は無意味だったのかと。


世界の大金持ちを相手にするような芸術を考えないと、芸術というのは無意味なのかと。


確かに、歴史に残らなければ、絵なんか大事にされず、ゴミとなります。


私はゴミをつくっているのかと。(その可能性は著しく高い・・・。)




意味ないじゃ~ん!叫び


ちょっとショックでした。


でも、本当にそうなのだろうかと、よくよく考え直してみました。




で、このブログの最初の方に戻ります。


「人は芸術によって形成される。」




・・・ゴミでもいいやと。


大金持ちだって多くの人の支持がなければ、大金持ちにはなっていません。

生まれたときにお金持ちに生まれたからって、その後の人生ずっと大金持ちとも限りません。


そして、同じ人間であるのは確かです。


っていうよりも、見たこともない大金持ちよりも、私には身近な人の方が大切です。


大金持ちの人はある程度幸せだと思います。幸せだったらいいんです。


問題は、あまり幸せだと感じていない人たちです。

心の豊かさが一時、しぼんでしまった人たちの方が心配です。


こちらの方が、本来芸術の本領を発揮する分野なんではないかと。


アメリカで成功するのは素晴らしいけど、日本で暮らす人たちの状況は幸せ?


こっちもね、大事なんじゃないかな~と思うんですよ・・・。


アメリカに、“日本を強いものだ”と広めるのは大変意義深いのですが、


では振り返ってみて、意外と足元がぐずぐずだったりして・・・?っていうのもどうなのかな~と。


年々自殺する人が増えたり、毎朝「人身事故で電車が遅れています」ってニュースで流れたりね、痛ましいな・・・と。




芸術作品は人間の本質に迫る影響力をもち、使い方によっては絶大なパワーを秘めていると思います。


なんとかする力も、持っているんじゃないかな・・・ってね。


アニメとか子供向けのじゃなくて、大人向けのアートね。




この本の中では、そんな芸術のパワーについて「革命」と書いてありますが、


また、煽っちゃって~・・・。


「革命」って、言葉自体はすごくインパクトがあるけど、実は意外とそんな大袈裟なものではなく、ちょっとした気持ちの変化なのだと思います。


それが、たまたま時代の中で、多くの人のベクトルが同じ方向だったということなのだと思います。


そして、逆に、真の革命とは、割と静かに進行するものだと思います。



パソコンなんかもその一つだと思います。


振り返ってみて、あっ、あれは革命だったんだみたいな。


当事者にとっては、必然で、どうしようもなくて、しょうがないこの選択しかなかったようなことだったように思います。




例えば、フランス革命なんかも、貧困に追いやられて、しょうがなかったんだと思います。

当事者はなんとかしたいって思いだけが強くて、後から振り返って、あっ革命だったねって後付けであって、起こしたくて起こしたものではないんだと思います。

もっと穏便に済ませたかったと思います。



村上氏にしたって、ある意味辛い中、どうしたらいいかと考え抜いた行動の結果、時代のベクトルと一致したのだと思います。



つまり、どんなに小さな作品だって、アートは常に(大きく言うと)革命性を帯びているわけです。


要するに、人の気持ちを動かすんです。



ただ、おそらくそれは意識したものに限ります。


無意識に“きれいな風景だ・・・っ”て軽い感覚や考えで作られたものでは確かに革命性は出ないでしょう。


現代美術ではないですが、熟考した上で、“こう思いますが、どうですか?”って提示した作品のみが革命性を持つ、つまり、人の気持ちを動かすと思います。



だから、ゴミでもいいかと。


確かに、説得力の低い作品かもしれないけど、もしかしたら、やらないよりは、失われてしまう何かを留めることもないこともないかもよ?いや、頑張るけどね。



と、自分の芸術性に関する考えが一致してまとまったのでした。


まあ、身近な人を元気にするっていう目的もかなり大事だと。






以上、謎に満ちた「芸術起業論」の感想が、ようやく終わりました・・・。




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