影響を受けた本 「芸術起業論」5 アートのお客様 | 油絵を描いています、けどマンガも始めました

影響を受けた本 「芸術起業論」5 アートのお客様

ご訪問ありがとうございます。


とりあえず「芸術起業論」の感想はこれで最後です。


たっぷり考えさせられました。


きょうはアートのお客様についてです。


この本では気付かされること、教えられることがたくさんあり、ほとんどが

“なるほど~”と納得いくものだったのですが、


ちょっと、ここはどうなのかな?と思ったのがアートのお客様についてです。




芸術の顧客は、栄耀栄華を極めた大金持ち P52



ここです。


そうなの?って思いました。


“芸術の”じゃなくて、“現代美術というジャンルの中の、村上氏のお客様は”

ってことだと、多少はつじつまが合うように思います。


村上氏自身の芸術表現のなかで、マネーとのからみがあって、作品を高額に売るというテーマ性の視点からのものではないかと思います。


この部分によって「マネー」ということについて余分に考えさせられました。


確かに、この「大金持ちがお客様」という言葉が入っているから、読む人を煽るようなところがあるように思います。


でも、ここは本来の意味とはたぶん違います。




昨日、ユニクロの社長さんがフォーブスで日本の億万長者1位になったと聞きましたが、


大金持ちの人は、たくさんの人のニーズに応えたからこそ、多くのお金を手にすることができています。


かつての大金持ちのGMは、その地位に安住し、たくさんの人のニーズに関して鈍感になってしまったため、破たんしました。


多くの人の支持が、「お金」という形に還元されるのが世の中だと思います。


だとすると、とどのつまり、芸術の顧客は全ての人間という形が自然です。


金持ちと限定されるものではないのではないかと。




正直、私はこの文章に悩まされました。


今まで、絵や芸術に感動していた庶民の私の感動は無意味だったのかと。


世界の大金持ちを相手にするような芸術を考えないと、芸術というのは無意味なのかと。


確かに、歴史に残らなければ、絵なんか大事にされず、ゴミとなります。


私はゴミをつくっているのかと。(その可能性は著しく高い・・・。)




意味ないじゃ~ん!叫び


ちょっとショックでした。


でも、本当にそうなのだろうかと、よくよく考え直してみました。




で、このブログの最初の方に戻ります。


「人は芸術によって形成される。」




・・・ゴミでもいいやと。


大金持ちだって多くの人の支持がなければ、大金持ちにはなっていません。

生まれたときにお金持ちに生まれたからって、その後の人生ずっと大金持ちとも限りません。


そして、同じ人間であるのは確かです。


っていうよりも、見たこともない大金持ちよりも、私には身近な人の方が大切です。


大金持ちの人はある程度幸せだと思います。幸せだったらいいんです。


問題は、あまり幸せだと感じていない人たちです。

心の豊かさが一時、しぼんでしまった人たちの方が心配です。


こちらの方が、本来芸術の本領を発揮する分野なんではないかと。


アメリカで成功するのは素晴らしいけど、日本で暮らす人たちの状況は幸せ?


こっちもね、大事なんじゃないかな~と思うんですよ・・・。


アメリカに、“日本を強いものだ”と広めるのは大変意義深いのですが、


では振り返ってみて、意外と足元がぐずぐずだったりして・・・?っていうのもどうなのかな~と。


年々自殺する人が増えたり、毎朝「人身事故で電車が遅れています」ってニュースで流れたりね、痛ましいな・・・と。




芸術作品は人間の本質に迫る影響力をもち、使い方によっては絶大なパワーを秘めていると思います。


なんとかする力も、持っているんじゃないかな・・・ってね。


アニメとか子供向けのじゃなくて、大人向けのアートね。




この本の中では、そんな芸術のパワーについて「革命」と書いてありますが、


また、煽っちゃって~・・・。


「革命」って、言葉自体はすごくインパクトがあるけど、実は意外とそんな大袈裟なものではなく、ちょっとした気持ちの変化なのだと思います。


それが、たまたま時代の中で、多くの人のベクトルが同じ方向だったということなのだと思います。


そして、逆に、真の革命とは、割と静かに進行するものだと思います。



パソコンなんかもその一つだと思います。


振り返ってみて、あっ、あれは革命だったんだみたいな。


当事者にとっては、必然で、どうしようもなくて、しょうがないこの選択しかなかったようなことだったように思います。




例えば、フランス革命なんかも、貧困に追いやられて、しょうがなかったんだと思います。

当事者はなんとかしたいって思いだけが強くて、後から振り返って、あっ革命だったねって後付けであって、起こしたくて起こしたものではないんだと思います。

もっと穏便に済ませたかったと思います。



村上氏にしたって、ある意味辛い中、どうしたらいいかと考え抜いた行動の結果、時代のベクトルと一致したのだと思います。



つまり、どんなに小さな作品だって、アートは常に(大きく言うと)革命性を帯びているわけです。


要するに、人の気持ちを動かすんです。



ただ、おそらくそれは意識したものに限ります。


無意識に“きれいな風景だ・・・っ”て軽い感覚や考えで作られたものでは確かに革命性は出ないでしょう。


現代美術ではないですが、熟考した上で、“こう思いますが、どうですか?”って提示した作品のみが革命性を持つ、つまり、人の気持ちを動かすと思います。



だから、ゴミでもいいかと。


確かに、説得力の低い作品かもしれないけど、もしかしたら、やらないよりは、失われてしまう何かを留めることもないこともないかもよ?いや、頑張るけどね。



と、自分の芸術性に関する考えが一致してまとまったのでした。


まあ、身近な人を元気にするっていう目的もかなり大事だと。






以上、謎に満ちた「芸術起業論」の感想が、ようやく終わりました・・・。




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