油絵を描いています、けどマンガも始めました -75ページ目

ある実験

ご訪問ありがとうございます。


今日は絵に関してちょっと面白いと思ったお話をします。


よくデザインの基礎のような本を読むと、トーンの話とか色の話とか構図の話とかのセオリーのようなことが書いてあります。


例えば、淡色のトーンは、乳児期のおもちゃや洋服に好ましいとか

赤は目を引く色なので、目立たせたい物に使うといいとか。


私は5~6年前に色彩検定を受けまして、2級までなんですけど、そこでそういった“色”について少し勉強しました。


面白かったです。


人の目や色自体の構造について学んだんですけど、哺乳類としての人の進化まで考えさせられたりしました。


それまでは、絵を情緒的にしかとらえていない感じがあったような気がしましたが、

科学を感じました。


今、絵を描いていますが、その時学んだこともベースになっています。


そして、色の科学的なメカニズムを学んだと同時に野村順一氏の著書に出会いました。


「色彩生命論」です。


これは、色彩療法などについても書かれています。


ここが面白いんです。



今、ビルの中で野菜を作ったりしていますが、その時に赤色光や青色光の照射を行って、野菜の成長をコントロールしたりしていると、この間テレビで見ました。


色のついた光は、生命体に影響を及ぼす訳です。


例えば、青い部屋に入るとなんとなく寒い感じがしたりしますが、実際体温が下がったりしているそうです。


このあたりは結構多くの方がご存じなんではないかと思うのですが、


赤や青の光は分かるけど、そこまでそこまで人間の生命に影響なんて及ぼさないでしょ~、


と私は思ってました。



ところがちょっと不思議な体験をしたことがあるのです。


ここで、以前に私が描いた絵を紹介します。


油絵を描いています

この絵は黄色を主調色にした絵です。(水彩画)




この絵になんかすごく反応を示した人がいたんです。


普通の反応じゃないんです。目をぐっとむき出したような。


それで、その人は「この絵はいい」っていったんです。


「どこがですか?」って聞いたら「黄色がいい」って言うんです。


その人はどうも絵そのものを「いい」って言ったわけではなくて、黄色だけがいいって思ったようです。


別の人にこの絵を見せると、「この黄色が変」って言ったりされるんです。

だから、そんなに特徴があって、素晴らしい特別な黄色っていう訳ではないと思います。ですよね?


不思議な反応だな、と思って「色彩生命論」を見てみました。


色にはそれぞれ様々な病気を治癒する力があるそうで、

この本にはその色がどういった病気に効果があるのか書かれています。


そして、「黄色」の項目を読んでみると、治療効果のある病気は、


便秘、糖尿病、消化作用、湿疹、鼓腸、半身不随、腎臓、消化不良・・・


と書いてあります。


あんまり詳しく書くのもちょっとと思いますけど、へ~と思いました。


体調と色彩の好みが一致するのかなと。


後日、他の人に見せた時に、やはり同じような反応をする人がいました。


おそらくその人もそうなんじゃないかな・・・。



以前、ブログの記事の中で、“絵は役に立つのか?”と思い悩んだと書いたことがありますが、


この一件で、“あっ、絵って役に立つんだ!”って思ったんです。


何気なく好んで見ている絵があるとしたら、その絵は体調を管理する役割をもっているのかもしれないと思ったんです。



例えば私はピンクの色が好きで、女性はピンクが好きな人が多いと思いますが、

女性ホルモンを活発にさせる色とあります。


こういった好みも偶然じゃないのかもと思ったりしています。



今、取り組んでいる絵の中に、その実験を重ねているものもあります。


以前紹介した、「心のしじまに」という緑のベースに白の花の絵がありますが、それもその実験の一環です。



「人間を幸福にする絵」が私のテーマである訳ですが、「幸福」に対してこういうアプローチもありだな・・・と思ったりしています。


もし、色彩に詳しい人がいらしたら、現在色彩の研究ってどうなっているのか、教えていただけるとありがたいです。


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夏の花

ご訪問ありがとうございます。


時々暑い日があるので、お花も夏仕様にしないと、

痛みが早くなってきています。


今日はそれで、タニワタリと紅花を生けてみました。



油絵を描いています


タニワタリはとても持ちが良く、2か月位持つ時もあります。


紅花は初めて使いますが、ドライフラワーにもある位なので、

結構長く持ってくれると思います。


この花材で360円でした。お得感が嬉しいです。(^∇^)


夏はグリーン系の生け花にしますが、やっぱり花でなくても

せめて部屋にイキイキとしたグリーンがあると、ほっとなごみます。





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日本のオリジナリティ

ご訪問ありがとうございます。


この間、クリムトの絵について、最後の方に


ヨーロッパの人にも、日本の考え方を理解してもらえるのかもしれない。


と書いて、


日本のオリジナリティを出していく時代かも


とも書いたんですけど、


この日本のオリジナリティっていうのが、私は結構長年頭を悩ませている部分です。


日本のオリジナルってなんだろう・・・?って考えた時に結構行き詰ってしまうんです。


明治以前の日本は中国の影響を受けているし、それ以後は西欧の影響を受けています。


日本独自の・・・っていうのが少ないですよね。


でも、その中であえて日本オリジナルを挙げるとしたら、

「和」とか「融合」かなぁ・・・?と思ったりします。




日本人は感受性が豊かなような気がします。


細やかっていうか。


相手の生命力の流れを読む力に長けているというか。


自分の生命の流れを相手に添わせる力があるというか・・・。


添わせるまでの間、色々葛藤はありますけれども。


例えば、今現在はアメリカやヨーロッパの影響を受けた文化が展開していますが、

ずーーーっとさかのぼって聖徳太子の時代、仏教が大陸から入ってきた時代です。


昨年、日本のオリジナルについて考えていた時に、ちょっと調べたことです。


当時、蘇我氏と物部氏が勢力争いをしていた時代です。


蘇我氏はどちらかというと粗野で力でねじふせるタイプで、

物部氏は知性で対抗していくタイプだったそうです。


で、蘇我氏が不利になったのですが、その時目をつけたのが、大陸の仏教美術だったそうです。

蘇我氏は新しく、そして豊かそうな仏教美術を背後につけて、自分の存在感をアピールする作戦にでました。


日本には古来から神道があったので、それはそれは外国の宗教である仏教を日本に入れることに対して抵抗があったようです。


ところが、仏教美術の美しさにはあらがえなかったようで、日本についに仏教が入ってきます。


その時、聖徳太子が仏教が日本にとって有害か無害か、有益か無益か教本を調査したそうです。


そして、仏教は日本に無害で、かえって有益かも、と判断して日本に入ることになったそうです。


その時聖徳太子は仏教の名を借りて「和」を提唱しました。



・・・ここかなと思ったんです。日本のオリジナリティ。



その後、蘇我氏と物部氏の血にまみれた争いは終結し、文化が発達していきます。


つまり、「和」という考え方に日本人は納得したわけです。


おそらく「和」という考え方は仏教の中では「無」であり、東洋思想の中では「中庸」なんだと思いますが、

それともちょっとばっかりニュアンスが違うのかもしれません。


仏教や東洋思想では“その人個体”に主眼が置かれているような気がしますが、

「和」という考え方は“自分と他者の関係性”に主眼が置かれているような気がします。


「敵、味方」という関係性ではなく、「仲間」っていう関係性。


自分の命を脅かす存在が「敵」と認識されると思うのですが、

そういう状況の関係に対して「仲間」意識を持てるのは、感受性に掛っていると思います。


敵対する相手に対し、自分と同じ感性を発見する力。


「あ~、しょうがないよね、自分を守らなきゃならないっていうのはみんな同じだから、そうなるのかもね。」


って思い至る力。


蘇我氏も物部氏もいいかげんそう思っていて、

「和」の考えに納得して無駄な殺戮や争いをやめよっかってなったのかなって。


だから、「和」を理解するには豊かな感受性が必要だということ。




このあたりが、現段階では日本のオリジナルかな・・・?という気がします。


もしかすると、日本の感受性の在り方が世界に理解されるとしたら、

世界もちょっと変わってくるかも、とか思ったりしました。



そして、感受性を育む役割を担うアーティストの存在や作品に、


それは掛かってくるだろうななんて、思ったりもします。

(なんてプレッシャー掛けたりして。)


自分のための絵

ご訪問ありがとうございます。


この間“絵を見せて!”って言われていた人に絵を見せる機会がありました。

とりあえず、以前ご紹介した「心のしじまに」っていう、

緑の背景に白のあじさいっぽい花の絵を見ていただきました。


で、ほめていただいたんですけど、その後、

「これが、ゆりかさんが、いいな、絵にしたいなって思って描いた絵なのね。」

と言われました。


そっか~・・・絵を描くっていうと、ただ自分が見てどうこうといった感覚だけじゃなくて、

そういう風に、作者の好みや気持ちを想像する見方もあるんだな~と思ったりしました。

確かに私が見る時も、そう思う時もあるかもな~と考えさせられたりしました。


でも、そうではないんです。

以前にも書きましたが、この絵は私が好きで描いた絵ではなくて、

“癒し”をテーマにして“頭で考えた”絵です。





では、今日は自分のために描いた絵を紹介します。



油絵を描いています


これです。


これは私のわがままで描いた、自分のための絵です。


好きとか感動とかで描いた絵です。




完成度が低いです。


なぜかというと、私にはこれで十分な感じだからです。


足りない分は勝手に私の頭の中で補っているんです。


やわらかい色の元気なバラ、明るい暖色の花、

そして黄色やオレンジの混ざった明るいピンクの背景。


これだけあれば、私には十分な感じです。



でも、他者へ伝えようとする絵はそうはいきません。

どこまでも不足の無い絵にしないと、私の思いや考えは伝わりません。


例えば、この絵に対する思いや感覚を伝えようとするならば、


花の表情にはもう少し艶やかな感じが欲しいし、

背景のピンクの処理ももう少し繊細な感じにしたいところです。

花の構図ももう少し工夫して、何らかの動きをつけたいです。


だから、人に見せる絵というのと、自分のための絵っていうのは

随分違ってきます。


違うんだな~とその人に見せて改めて自覚できました。


人に見ていただくと、思いがけない発見があって、

それまでぼんやりしていた感覚がこうやって、はっきりすることがあります。


他者に伝えようとした絵を描く場合は、多くの人に見ていただくことが大事だなと思います。






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すごい色になった!

ご訪問ありがとうございます。


今、絵を描いているんですが、途中経過ですけど、すごい色になったので紹介してみようと思います。


油絵を描いています


ちょっと光が反射しちゃっているんですけど、なんかすごいおどろおどろしい絵だなと思って、描いててびっくり。


インディゴベースの落ち着いた絵にしようと思っているんですけど、バックの赤が妙にドラマチックになってしまって、赤の色の威力にびっくりしています。


赤っていうか、バーントシェンナとバーミリオン(チント)だったと思うんですけど、プルシャンブルーのおかげで赤に見えちゃってます。


で、プルシャンブルーは黒に見えちゃってます。


この絵落ち着くのかな~?


・・・これ、ハッピーな絵に見えますかね?


今日の日曜美術館 ークリムトー

ご訪問ありがとうございます。


今日の日曜美術館はクリムトでした。


クリムトは本当に色々な切り口を持つ作家ですよね。


現代のコンテンポラリーアートの手法の“祖”っていう感じもします。


それでクリムトのいいところっていうか、すごいところっていうのは作品に説得力があるところですよね。


別に色々知らなくても、結構純粋に鑑賞できるっていうのもポイントが高いように思います。


現代のコンテンポラリーアートの作品は、その点微妙な作品も多いような気がするので。


今日勉強になったのは、クリムトの画面の「金」の取り扱いについてです。


ジャポニズムが当時ヨーロッパでもてはやされたとのことですが、有名なのは浮世絵や陶磁器などと聞いています。


でも本来の日本の絵画の当時の本流は、狩野派なんだと思うのですが、その手法についてはヨーロッパの人たちは反応しなかったのかな?と少し疑問に思っていました。


狩野派の紹介は、例の万博ではなかったのかな~?もしかすると、紹介されなかったかもな。もし紹介されていたら、ヨーロッパへの美術の影響は、また変わっていたかもしれないような気がする。今度調べてみよう。


ただ以前から、クリムトは日本のそういった本流の影響を、随分受けていそうだと感じていました。


で、やっぱり受けていたんだなと思ったわけですけど、でも、あんまり日本の本流とかは意識せずに取り入れていたみたいです。


外国人から見たその国のアートっていうのは、“違和感”っていうのが大きな魅力なのかもなと思いました。


もちろん日本でもしかりです。


現在では、ヨーロッパの文化が結構入り込んできていますけど、その入り方は“なんとなくいい感じ”っていう気分がベースになっているような気がします。


ヨーロッパで発達した文化は、現地ではそれなりに理由があって、その形を呈していると思うのですが、日本では最初入ってきたときは見たこともない驚きの文化ととられられたと思います。


例えば、ヨーロッパの主食は肉や乳製品と小麦で、その影響で血色のいい文化が多いかな?と思います。


筋骨隆々とした人物像のアートは、あんまり日本の歴史では見かけないような気がするし、


「セクシーさ」っていうのも、ヨーロッパではよりリアルな気がします。


日本ではもう少し奥ゆかしいっていうか、“粋”な要素でワンクッションおいているような気がします。


だから、日本でだって、ヨーロッパの文化の本当の芯の部分がよく分からないように、ヨーロッパの人も日本の文化の芯の部分が良く分からないと思います。


でも、その分からない部分が、ちょっとばっかり魅力的に映ったりしているのではないかなと。


しかも、どちらの文化圏にいても、それなりにその文化で暮らしている人は楽しんでいるので、楽しみの幅を広げるために、ちょっと異文化もかじってみたいみたいな感覚。


日本人がなんとなくテレビで見かけた“アフタヌーンティー”のまねっこをしてみて、ちょっと優雅な気分にひたってみるといったような。


“アフタヌーンティー”なんて、日本では普通に“お茶飲み”でしょ?漬物とかお饅頭なんかを持ち合って、主婦とかおばあちゃんとかが世間話をするあれ。


どうして“アフタヌーンティー”が優雅で、“お茶飲み”が日常なのか。


異文化をかじってちょっと楽しみの幅を広げるっていう一例。


だから、クリムトも日本の文化の成り立ちや歴史なんかは二の次で、“何かいい感じ”みたいなものを取り入れたんだな~と思ったりしました。


でも、クリムトのセンスいいところは、フランスでは浮世絵に影響された人が多かったみたいだけど、クリムトは琳派に影響されたというところ。


金細工師の息子さんというのは今日知ったのですけど、そういうところも影響があるのでしょうね。


だから、クリムトって、なんとなく日本に入ってきても、すごくクラス感を感じるのは、日本の歴史の本流に近い部分のエッセンスを、取り入れているからだと思ったりしました。


ヨーロッパにおいて日本の文化は、芸者とか浮世絵とか庶民文化については、広く知られているようですが、日本の歴史の本流に近い部分の影響は、あまり聞かないような気がします。


でも、今日のクリムトの話で、日本の文化の芯の部分についても、ヨーロッパの人が咀嚼できるのかも?っていうのは、なんとなく考えさせられました。


日本は模倣文化と言われていて、村上隆あたりも日本のアイデンティティについてNYで模索したと書いてありましたが、


もし、日本人の考え方、生き方が世界の人に良い影響を与えられるとしたら、


もはや何か手本を真似するのではなく、


やはり、何らかのオリジナルな主張性を持つことが、大事なのかもと思ったりしました。



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太宰治 生誕100年

ご訪問ありがとうございます。


今日も絵の話とは直接関係なく、芸術についての話です。


今年は太宰治の生誕100年とかで、よくニュースを耳にします。


・・・私も高校の時はまりました。


当時、美術部だったんですけど、先輩から「太宰にはまりそうなタイプ」と言われて、

え~?って思ったんですけど、案の定はまってしまいました。


新潮文庫の「太宰治作品集」を全部読み切りました。


初期の頃からなるべく時系列に読んだんですけど、最後の方は自殺するのがわかっているので、結構つらかったです。


「死んじゃだめよ!!」


とか夜も眠れませんでした。


・・・どんだけはまっちゃってたの?って感じですよね。


上手いんだよね、太宰は、そういうの。


なんていうか、同情を寄せるような書き方が。


「ぼくは生きる価値なんてないんだ・・・生きていて済みません。

 自分の無能さがほとほと嫌になる・・・。」


って感じで、


「いえ!そんなことないわ~!!頑張って生きて見せて!」


ってつい応援したくなっちゃって。

・・・いや、もうとっくに亡くなっている人なんだけどね。


でも、高校を卒業して大学に入ったら、憑き物が落ちたかのように

太宰熱は冷めてしまいました。


とりあえず、「っていうか、麻薬中毒ってなんなの・・・?」


ってボロボロの歯の顔写真を見て、引いてしまいました。


それまでは、「そこまで精神的に追い詰められていたのね・・・」なんて同情的に読んでたのに。



やっぱり“芸”なのかな・・。“文芸”。


そこまで「太宰ワールド」に引き込む強さ、吸引力。



今でも太宰は何をしたかったのかしら・・・?って思う事があります。


おそらく読む人を「太宰ワールド」に引き込もうとしていたんだと思いますが、

なぜ、そこまでして引き込もうとしたのかな?って思います。


太宰の作品は私小説風で、あたかも日記を読んでいるかのような錯覚を受けますが、かなり創作らしいです。


私は全作品を読破した後、奥さんの手記を読んで驚きました。


太宰の家族、奥さんと子供とで青森に帰省する時に、太宰が車窓の窓から海を見つけて、「ほら!みんな!海だよ!」って言うと、奥さんも子供もうっとうしそうに「ああ・・・」と言ってまた眠ってしまった。私の存在はこうして皆にうとまれている・・・。


っていう箇所が太宰の作品の中にあるんですけど、


この場面は実際あったみたいで、

でも、本当は奥さんも子供も「あっ!本当だ!海だね!」ってはしゃいで喜んだそうなんです。

で、奥さんは作品になったこの場面を読んで少しショックを受けたそうです。


なんで、あんなにみんなで楽しそうにしていたのに、こんな風に書かれるんだろうと。



私はすっかり太宰ワールドにはまっていたので、それが創作だとわかった時にはホント、???でした。


なんでそうまでして、自分を不幸な形に表現するんだろう?と。


よく、“人の不幸は蜜の味”っていうけど、人の興味を引くがために、自分の人生を犠牲にしちゃうの?

そういう創作の方向性だっていうの?


なんのため?創作って言うのは、幸せのためじゃないの?


と、次々不思議マークが浮かびます。


太宰の作品はそういう計算だけでつくられたのか、それとも素だったのかはちょっと謎です。


ただ、こうやって生誕100年が大きく話題に取り上げられるということは、

太宰は歴史に名を刻んでいるわけなので、


いずれにしても、人間の業の深さについて考えさせられます。



今は私は幸福な絵を目指して描いているので、太宰の謎は放置してますけど、


でも、このお題「人の業の深さ」はすべての芸術作品に共通する部分だと思います。


そして、それに飲み込まれるのではなく、

なんとか乗り越える方法を、表現者としては提示したいものです。




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楽しみな雑誌

ご訪問ありがとうございます。


木曜日は「モーニング」の発売日で、毎週ちょっとばっかり楽しみにしているんです。

青年マンガ雑誌でちょっと恥ずかしいんですけど・・・(〃∇〃)


中でもお気に入りは「かぶく者」と「ピアノの森」です。


二つとも隔週の連載で、「かぶく者」は歌舞伎役者の成長のお話で、「ピアノの森」はピアニストの成長のお話です。


二つとも芸術にかかわる主人公のお話で、すっごく面白いです。


今週は「ピアノの森」でした。


・・・泣けた!


主人公のライバルの雨宮君の葛藤と、お父さんの複雑な心情。


そうか!お父さん、そうだったんだ!!みたいな。



あの作者は「神」!


なんでこんなに面白く描けるんだろう、“クーッ”って思っています。




「かぶく者」もおんもしろいです。


また、絵が上手い!!


「かぶく者」の主人公の新九郎が、今、自らの芸に対する葛藤と向き合っていて、目が離せません!


来週の「かぶく者」も待ち遠しいです。




いやぁ~、私にこういうのを描けって言われたら、ホンっと限界を感じます。


残念ながら。


楽しませていただく側で十分です。


本当に、いつも楽しませていただいてありがとうございます、って感じです。


お花を生けました

ご訪問ありがとうございます。


この間のオールドローズはやっぱり持ちが悪くて、1週間と持ちませんでした。


でも、サンキライは元気です。


ですから、またバラを買い足しました。


今度は普通のバラです。近づくと香水のような香りがしますが、あまりきつくありません。


ちょっと小ぶりですが、茎も太く、元気です。


で、新しく生け変えてみました。



油絵を描いています


夜の室内でちょっと影が出来てしまいました。


この間と違って、縦のラインで作ってみました。


雰囲気が変わります。



サンキライはやっぱり持ちがいいです。


バラも元気に開花してきています。



油絵を描いています


バラは時期によって、咲かずにしおれてしまうので、


元気に開花してくれると、とっても嬉しいです。


バラから元気をもらえます。


今までバラを生けて、普通は1週間位持つかなって感じですが、


最長1か月近く咲いていたことがあります。


その時も旬のバラでした。


このバラは開花が早いので、2週間位かな~?


芸術家に求められるもの

ご訪問ありがとうございます。


日曜日はNHK教育テレビの「日曜美術館」が結構楽しみです。

それで、姜尚中さんの表情を見るのが結構好きです。

アートの分野に近くない人がどんな風にアートに接するのか、

ふーんって思います。


たぶん、アートに近くない人がアーティストに求めるものの一つに

“タフ”さがあるんじゃないかなーと思ったりします。


私もアーティストに対して、そんなところを求めている部分があるような気がします。


以前、読んだ本で、

八木啓代さんが書いた「ラテン女のタフで優雅な生き方」(大和出版)というのがあるんですけど、

(アフィリエイトでは掲載がありませんでした。)

この本の一節が私の気持ちの中に結構とどまっています。


ある女性アーティストの子供が小さい頃、米と豆とジャガイモの多い食卓だったようで、

「おかーさん、毎日、同じようなものばっかりじゃないか」

と文句を言うと、そのアーティストのお母さんは

「おまえはなんて想像力のない子供なんだい。今日はジャガイモの米添えで、昨日は米のジャガイモ添え、一昨日は豆の米添えで、その前は米の豆添え・・・ぜんぜん違うじゃないか」

とすごく怒られた。P63


というところ。

そこ、怒るとこなの?


・・・ふ~ん!かっこいいー!タフだなーーーー!

と感心してしまいました。


この一節は、考えに行き詰った時は必ず頭に浮かびます。

そして、まるで私がその女性に気合いを入れられたかのように、

どうにかこうにか他の考え方は無いかと、考えなおしたりします。


八木啓代さんは、学生時代普通の目立たない女学生だったみたいで、

手堅い職業を身につけようと、勉強する人のあまりいないスペイン語の先生をめざしていたそうです。

そして、メキシコに留学したのがきっかけで、ラテンの文化を知り、カルチャーショックを受けている内に歌手にスカウトされ、歌手になってしまったという方のようです。


この本は、そんなラテン文化のカルチャーショックを受けていた時の話のようです。

ラテン女がどんなに“タフ”な考え方をしているかを紹介した一節です。


こんな感じが、私もなってみたいアーティスト像かな?

芸術によって、想像力と創造力を身に付け、

たくましく生き抜くタフさを周りの人に感じてもらって、励ますみたいな。

どこまでもしぶとく生き抜かなければならないと思ったりします。



私はへたりながらしぶとく生きています。(・・・?)