太宰治 生誕100年 | 油絵を描いています、けどマンガも始めました

太宰治 生誕100年

ご訪問ありがとうございます。


今日も絵の話とは直接関係なく、芸術についての話です。


今年は太宰治の生誕100年とかで、よくニュースを耳にします。


・・・私も高校の時はまりました。


当時、美術部だったんですけど、先輩から「太宰にはまりそうなタイプ」と言われて、

え~?って思ったんですけど、案の定はまってしまいました。


新潮文庫の「太宰治作品集」を全部読み切りました。


初期の頃からなるべく時系列に読んだんですけど、最後の方は自殺するのがわかっているので、結構つらかったです。


「死んじゃだめよ!!」


とか夜も眠れませんでした。


・・・どんだけはまっちゃってたの?って感じですよね。


上手いんだよね、太宰は、そういうの。


なんていうか、同情を寄せるような書き方が。


「ぼくは生きる価値なんてないんだ・・・生きていて済みません。

 自分の無能さがほとほと嫌になる・・・。」


って感じで、


「いえ!そんなことないわ~!!頑張って生きて見せて!」


ってつい応援したくなっちゃって。

・・・いや、もうとっくに亡くなっている人なんだけどね。


でも、高校を卒業して大学に入ったら、憑き物が落ちたかのように

太宰熱は冷めてしまいました。


とりあえず、「っていうか、麻薬中毒ってなんなの・・・?」


ってボロボロの歯の顔写真を見て、引いてしまいました。


それまでは、「そこまで精神的に追い詰められていたのね・・・」なんて同情的に読んでたのに。



やっぱり“芸”なのかな・・。“文芸”。


そこまで「太宰ワールド」に引き込む強さ、吸引力。



今でも太宰は何をしたかったのかしら・・・?って思う事があります。


おそらく読む人を「太宰ワールド」に引き込もうとしていたんだと思いますが、

なぜ、そこまでして引き込もうとしたのかな?って思います。


太宰の作品は私小説風で、あたかも日記を読んでいるかのような錯覚を受けますが、かなり創作らしいです。


私は全作品を読破した後、奥さんの手記を読んで驚きました。


太宰の家族、奥さんと子供とで青森に帰省する時に、太宰が車窓の窓から海を見つけて、「ほら!みんな!海だよ!」って言うと、奥さんも子供もうっとうしそうに「ああ・・・」と言ってまた眠ってしまった。私の存在はこうして皆にうとまれている・・・。


っていう箇所が太宰の作品の中にあるんですけど、


この場面は実際あったみたいで、

でも、本当は奥さんも子供も「あっ!本当だ!海だね!」ってはしゃいで喜んだそうなんです。

で、奥さんは作品になったこの場面を読んで少しショックを受けたそうです。


なんで、あんなにみんなで楽しそうにしていたのに、こんな風に書かれるんだろうと。



私はすっかり太宰ワールドにはまっていたので、それが創作だとわかった時にはホント、???でした。


なんでそうまでして、自分を不幸な形に表現するんだろう?と。


よく、“人の不幸は蜜の味”っていうけど、人の興味を引くがために、自分の人生を犠牲にしちゃうの?

そういう創作の方向性だっていうの?


なんのため?創作って言うのは、幸せのためじゃないの?


と、次々不思議マークが浮かびます。


太宰の作品はそういう計算だけでつくられたのか、それとも素だったのかはちょっと謎です。


ただ、こうやって生誕100年が大きく話題に取り上げられるということは、

太宰は歴史に名を刻んでいるわけなので、


いずれにしても、人間の業の深さについて考えさせられます。



今は私は幸福な絵を目指して描いているので、太宰の謎は放置してますけど、


でも、このお題「人の業の深さ」はすべての芸術作品に共通する部分だと思います。


そして、それに飲み込まれるのではなく、

なんとか乗り越える方法を、表現者としては提示したいものです。




にほんブログ村 美術ブログへ
 にほんブログ村