油絵を描いています、けどマンガも始めました -78ページ目

私の絵画観 「花のモチーフ」

ご訪問いただきまして、ありがとうございます。




今日はモチーフについてです。


現在「花」を選んでいます。



「花」は人に、確実に美しさを伝えられると思って。



ところが、なかなかそう簡単でもないなって

これは描いてみて、正直驚きました。



「花」は数多くの芸術家の手がけたものであるのですが、


なるほど、普通に描いても、その美しさはなかなか伝わらないものだな~と。



ちょっと困りました。


感動を呼ぶ、っていうラインが難しいのです。




中島千波氏の花は美しいです。感動的です。


これがまた不思議です。


目に止まってしまいます。



おそらく、色や形などのバランスなんだろうと思います。


もしかしたら、そのバランスというのは色や形などから、


美しさや生命力を呼び起こされる、「暗号」なのかもしれません。



中島千波氏の花には花瓶がありません。


多くの「油絵の花の絵」は花瓶に挿した花です。


そうすると、花は静物になってしまって、花の生命感が出てきません。


そのあたりも、美しさの要素の一つだと感じます。



生き生きとした生命感を連想させること。



そう考えてみると、なぜ花を人間が美しいと感じるのか、


その理由をはっきりさせることが、


美しい絵を形成する鍵の一つのように思います。



基本、植物は動物の生命の源。


肉食動物だって、草食動物を捕食して生きているのだから、


植物がなければ、我々人間は生命を維持できない。



そんな生命の記憶が、植物に母性的な感覚を呼び起こされる。


植物リスペクト。



さらに“花”はその生殖器官。


植物の命の源。


様々な形や色で、生命体を誘惑する。



“花”に対する憧憬は、そのまま安らかな生命の記憶。


美しく思わない訳がない。



植物、花、の生命体のみずみずしさを、


自分の内なる記憶から、なるべく正確に、この世に送り出す。


花に一つの人格をもたらせる。



そして、見る人と、絵の中の花の生命感を共鳴させる。


見る人は、“花”の中に自分の生命力を思い出す。




そのために、私はモチーフに花を選んでいるように思います。







また、モチーフは絵の命。


色や形や線など、平面を構成する要素はあるけれど、


“絵”の役割や責任を考えると、


モチーフが結局、作家と鑑賞者の間の仲立ちをする。



前にも言ったけど、単なる思い付きや、ちょっとした感動程度では


鑑賞に値する“絵”にはなってこない。


命の重さが込められていないから。




これだけ、様々な技術が存在する現代、


機械では決して補えない、自分の内にある豊かな世界の表出。


それがなければ、“絵”にする価値がないし、見る価値もない。


自分の、そして、生きとし生けるものの


命の重さをどこまで表現できるか。



それが、結局現在“絵”に求められている役割。


芸術が命を救う源。



私が、へこんでいる時、イキイキと咲いている花に


大層、元気をもらいます。


その感覚を、絵を通して、様々な人にも分かち合いたい。



なかなか難しいけれど、


本当の「花」の方が力は強いけど、


私の生命力も画面に込めて。




見た人が少しでも「花」の生命力を思い出すよう


今のところは、それがどうしたら伝わるのか、試行錯誤しながら


「花」のモチーフに取り組んでいます。





みなさんもきっと、気持ちの奥底にそれぞれ独自の


そんな何かを持っているのだと思います。



みなさんの命の重さ、尊さもぜひ鑑賞させていただけたらと願っています。




読んでいただいて、ありがとうございました。



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私の絵画観 「形式の美」

ご訪問ありがとうございます。


今日は、昨日からの続き、形式の「美」についてです。



「美」が、見る人にとって取りざたされるのは、


「精神的なもの」の方が大きいと思いますが、


意外と形式の美の方が、深いかもしれない・・・と思ったりします。




「美しい」って感じる形、色、質感の基本っていうのは、


人間の生理的なものと結びつきがあると思います。



人間は、太古から様々進化を遂げる過程で、


安心なもの、危険なものと選り分けられるようになってきています。



例えば、「赤」


目が進化して、赤く実った果実を見分けられるように、


人間は「赤」の色には、敏感に反応してしまいます。



また、形で言えば「丸」


丸いものはやはり、果実を連想させる形なので、


人間には、特別感を感じるのだと思います。



一例を挙げましたが、おおざっぱに言うと、


人間が、自分の生命体を維持するのに有用だ、と思うものは


基本的に美しいと、感じると思います。



こういうことはデザインの基本の本なんかに載っていて、ふ~ん・・・なんて感心させられます。


研究されているんだなあ、なんて。



こういう研究って、100年前位にはあったのかな~?



だから、意外と人間が美しいって感じるものって、範囲がせまいものなのかもな・・・


なんて思ったりもします。



ミュシャの絵が単純に美しいと思うのも、きっとそんなところにあるように感じます。



20代の娘ざかりの女性、植物、目への刺激の少ない穏やかな色づかい、境界線をはっきりさせる線。


美しさは記憶と経験に基づかれる。


ミュシャの絵は、モチーフに様々な幸福を散ばせながら、


ヨーロッパの伝統を踏まえた、絶妙なバランスの上に成り立っている。




ミュシャの絵は小さな子供には、大人ほど美しさが伝わらないでしょう。


私が初めてミュシャの絵を美しいと感じたのは、中学生くらいの時だったと思います。


20代の娘ざかりの女性を、「美しい」と感じる記憶や経験がなければ、美しいとは思われない。



形式の美しさ。



長い間熟成されて残ってきた「美」を組み合わせたもの。



つまり、色や形、モチーフにやどる、言葉にならないメッセージが、


人間の生物としての、あるいは社会に生きてきた暮らしの


記憶を呼び起こす。




「形式の美しさ」ってホント結構深いかもしれない・・・。




私が今、追い求めているのは、



この、言葉では表わされない、メッセージの組み合わせによって、



人間(私)がどう反応するかというところです。








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私の絵画観

ご訪問いただきまして、ありがとうございます。


今日は新しいテーマです。


いままでお話した、芸術観や絵を描く理由は昔固めたものなので、


えっちら、おっちら、記憶をたどって書いていったので、少しきつかったですが、このあたりは最近考えていることなので、ちょーっとは楽な気がします。不思議です。




さて、私の絵画観についてです。(ここまで長かった・・・。)


と、前文を置きましたが、いままで結構語ってもきました。


ようするに「美しさ」の追求です。


でーも、こーれが結構難しくて、一筋縄でいかないんだな~。


「美」なんていうのは、昔からのテーマなので、「今さら感」がありますが、現代に生きる我々が納得し、魅了される美しさっていうのが、なかなかね・・・。




「美」って何か、っていうことですが・・・、


私の好きな絵を紹介する中で、少しふれてきましたが、


まず、精神的なものと、形式的なものがあると思っています。


そのどちらをも満たしたものが、やはり「悲母観音図」や「晩秋」、「夕暮」のような名作となるのだと思います。



そして、精神的なものは比較的普遍的な感じがします。


まず大きいのは「愛」ですよね。


「美」を語る上では必ず欠かせない要素です。


芸術=人


としたら


愛>美


だと思います。


「悲母観音図」や「晩秋」、「夕暮」の主題の根底には深い愛が流れています。


それが、色、形となって絶妙に表現されています。


誰が見たって“素晴らしい”としか言いようの無いものとなっています。




しかし、「悲母観音図」や「晩秋」、「夕暮」は、実は全て晩年の作です。


つまり、画家はそれまで技術を磨きぬいていて、自身の中で最高レベルに達していた時、この名作を世に解き放っています。


この技術がなければ、ここまで名作として感動を呼ばなかったかもしれません。



ですから、「美」は形式もおろそかにはできないものだと思います。


それが、ミュシャの「JOB」に表わされていると思います。


当たり前のことですが、形式も美の一部です。


でも、「美しい」と感じる形式って何・・・?


って話です。





今日はここまで。


読んでいただいてありがとうございました。






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私の好きな現代作家 「中島千波」氏

ご訪問いただきまして、ありがとうございます。


私のブログを読んで下さって、ありがとうございます。


私がこの世に生きて暮らしている中で考えていることをお話していますが、多少は何か役に立つところもございますでしょうか?

そうであれば、私もちょっとは世の中に貢献できているかなと思えて、少し嬉しいです。



さて、これまで、私の好きな絵を4枚紹介してきましたが、いずれも現在存命していない画家ばかりです。


前に、「美」は普遍性がありながら、時代と共に移り変わるもの、とお話しましたが、やはり、今まで紹介したものは、時代を感じます。


「悲母観音図」は描かれた当時、まだ仏教や神道が一般市民になじみのあって、宗教画としての意味も身近だったかもしれないけれど、やはり、現代では、歴史の一コマ感は否めません。


「晩秋」、「夕暮」にしても、描かれた当時は一般的だったであろう装いも、今時、着物で日常を過ごす方はごく限られた方たちです。


また、ミュシャも、当時、最先端の印刷媒体としての作品でしたが、現代はさらに発達した印刷技術があり、やはり歴史の一コマです。


紹介した名画の美意識は当時は最先端のものだったと思います。


いくら美しくても、やはり現代を生きる上での最先端の美意識を表現したものではありません。




自分で創作する時に、それはイヤでも思い知ります。


主題は普遍性を持つとしても、様式はやはり、現代にそぐわしいものでないと、かえって主題が表現できません。


例えば「晩秋」のような母親への思慕を作品の主題を現代で表わすとしたら、やはり洋服を着た女性でしょう。


「悲母観音像」が紹介したとおり、表情が変化し、作家の美意識が変化したように、美はやはり時代の流れによって移り変わります。


洋服に流行があるのは、「美」の特性を象徴していると思います。



そして、では、現代の美意識を表現できている作家は?


とりあえず私は中島千波氏の作品が美しいと思います。


なぜか分からないけど、中島千波氏の作品は、他の作家とは違う感じがします。


何か「しかけがあるのではないかな?」と思います。

中島千波 さくら図鑑 (デッサンと作品シリーズ)/中島 千波
¥2,940
Amazon.co.jp

(絵は著作権があるから勝手に載せていいのか分からないので、とりあえず本を紹介させていただきます。)


中島千波氏の絵はよく雑誌の表紙にもなっていますが、なぜかすぐに分かります。


同じような作品を描く作家も多いのですが、何かがあきらかに違います。


だから、きっと仕掛けがあるのだと思います。


でも、私はそこはあえて追及しないです。


もし分かってしまうと、絶対に影響を受けてしまうと思うからです。

(ただでさえ、苦しくなるとなんとなく中島氏の作品が頭に浮かんでしまうのに。)


中島氏の作品を美しいと感じたその感情を今のところ大切にしたいです。


中島氏の画集にちょっとうろ覚えなのですが、画家の師匠だったかお父様だったかに


「描くものは決して美からはなれてはいけない」


と教わったというエピソードがあったと思うのですが、


それはそのまま私の座右の銘になっています。





現代の作家では純粋に「キレイだな~」と手放しで思える作品は私には少ないです。


あとは平松礼二氏の作品も「キレイだな~」と思います。


しかも、日本画ばかりです。



いかに西洋発の現代美術の影響を受けたものが多いか・・・。


ピカソのせいよ・・・。\(*`∧´)/ プンプン。



な~んて。



・・・でもしょうがないです。芸術=人なので、こう様々な価値観がメディアによって共有できるようになれば、美意識以外の価値観が多々派生しても。


ある意味受け入れるしかありません。(涙)


ですから、中島千波氏の「美からはなれない」といった絵画観を提示してくださったことは、私の中ではちょっとした救いです。



とりあえず、私の好きな絵を紹介させていただきました。


次は私の絵画観、影響を受けた本などを紹介していきたいと思います。



お読みいただきまして、ありがとうございました。






(えーと・・・、クリックしていただけると、嬉しいです。目音譜

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私の好きな絵 「JOB」

ご訪問いただきまして、ありがとうございます。


昨日はちょっとお休みして、みなさんのブログを楽しませていただいて、パワーをいただきました。

ありがとうございます。


これまで、お話したいことの半分くらいは紹介したなって感じがしています。

私の中では、これから後編って感じです。よろしくお願いします。



さて、今日も私の好きな絵を紹介します。



ご存じ、アルフォンス・ミュシャの「JOB」です。



油絵を描いています




いかがでしょう?お好きな方も多いと思います。人気作家です。


でも、この絵は「悲母観音図」や「晩秋」、「夕暮」のように手放しでは“イイ!”と言えない葛藤がしばらく私の中でありました。


「悲母観音図」や「晩秋」、「夕暮」は、その技術、精神性ともに文句のつけようのない名作であり、


特に、日本人らしい控え目だけど深い愛にあふれたその精神性には、誇りすら感じるのですが・・・、


この「JOB」にはそういったものは感じられません。


この絵は、たばこの広告であり、この女性は単なるモデルです。


人の関心を惹きつけるだけ、の目的で制作されたものです。


深い愛だの、精神性などありません。


・・・でも、残念ながら惹きつけられることから、逃れられません。



悔しいけど、イイんです・・・。


何がイイんだろう・・・とこの絵の惹きつけられるポイントを探りました。



残念ながら答えはまだ見つかっていません。


「悲母観音図」や「晩秋」、「夕暮」の良さは、いくらでも私なりに説明できます。


ところが、「JOB」の良さは説明がひどくあいまいになります。



・・・でも、これがもう一つの「絵」の力の側面なんだろうと、納得せざるを得ません。


私が再び絵を描こうと思ったのは、この不思議さが大きな原動力になっています。



この「JOB」に限らず、アルフォンス・ミュシャの世界に対する影響力は絶大なものです。


アルフォンス・ミュシャは活動拠点だったフランスや、故郷のチェコ・スロバキアだけで大切にされるものではなく、彼の活動した時代は、世界中ありとあらゆるものに影響を与えました。


いわゆる“アール・ヌーボー”。


そしてその影響は、今だこの現代にも及んでいます。


いったい何が、その原因なんだろう・・・?



おそらく、まず一番大きいのは独特の“線、ライン”。


あと、女性や花といった「幸福感」を象徴するモチーフ。


そして構図、デザイン。



でもそればっかりのことで、ここまで世界が動くなんて・・・。





ところが、それは現実。


これも“絵”の力。


ただ、“美しい”と感じる情動のみが、世界を動かす。



私は、今も“なんでなのかな・・・”と探ってはいます。


なんだか、でも、よく分からないので、人間の脳の働きも一つ原因があるのかな・・・なんて思ったりしています。



以前、脳と絵について「絵を描く理由」の中でちらりとお話しましたが、絵によって、線や形や色の刺激が目から入り、脳に情報が伝達される訳ですよね。


その脳の働きの中で、なんらかの“快”の感覚を呼び起こす作用が、この絵にはあるんだろうな~。


今の段階では説明しきれない何かが。



こういう風に色々脳を働かせられるのも、名画たる所以のものなんだろうな。


わたしは、しょうがない降参しました。


結局この「JOB」も、好きな絵の中に加わらせずには、いられないものとなりました。



お読みいただいて、ありがとうございました。





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今日はお休み

ご訪問いただきまして、ありがとうございます。


ブログを始めて18日経ちました。


慣れない文章を、結構気合いを入れて書いていて、さすがに疲れちゃいました。


一気に書けるかと思ったのですけど・・・(*^.^*)テヘッ。


今日はちょっとお休みして、皆さんのブログを楽しませていただきたいと思います。


じゃ。


私の好きな絵 「晩秋」、「夕暮」

ご訪問ありがとうございます。


ブログのタイトルが「油絵を描いています」ですが、あれ?なんか違わない?って思われる方もいらっしゃるかもしれません。今はとりあえず、私の考えていることを一通りご紹介していきたいと考えて書いているところです。


タイトル自体、どうしようか迷ったんですが、追々タイトルに近づくお話となっていくと思います。


毎日こうやって書いていますが、我ながらずいぶんコチャコチャ考えているんだな・・・なんて思ったりします。


時々、書いた文章を読んだあとに私の描いた絵を見ていただくと、少し印象が変わって見えるんじゃないかなー

それで、「油絵を描いています」のタイトルをご納得いただけるんじゃないかなー



・・・なんて


えー、とりあえずもう少し、流れにおつきあいいただければと思います。よろしくお願いします。



さて、私の好きな絵ですが、


昨日まで2回に渡ってご紹介した「悲母観音図」はいかがでしたでしょうか?


「ふーん・・・」って思ったのか、「そうだよね!」って思ったのか、「よくわかんないな?」って思ったか、・・・

きっと様々なんでしょうね。


でも、とりあえず、こういう感動の仕方をしているんだー  なんてご理解いただければ嬉しいです。


今日も私の好きな絵を紹介します。


今日も名画です。


上村松園の「晩秋」、



油絵を描いています


そして同じく上村松園の「夕暮」


油絵を描いています

これもいいよねー、名画よねー。




上村松園は華やかな美人画で有名だけど、私はこの2枚がダントツに好き。


この2枚も初めて見た時は“ハッ!”としたな・・・


「悲母観音図」は突然目が開いたかのような、魂に焼きつくような衝撃を受けたけど、

この絵は“ハッ!”としたあと、その美しさが、やわらかくじんわり沁み込んでくるようだった。



これだけシンプルな装いなのに、なんかこうこの女性が輝いて見えるのよね。内面からの輝きっていうか。


当時の女性の何気ない生活の1コマなんだけろうけど、その美しさをよくこんな洗練した形で表現できたなと。



なんか、この絵には毎日を過ごす上ですごく励まされる。


忙しくて髪を振り乱しちゃったりしている時に、この絵が心に浮かぶ。


“あ、いけない、もう少しキチンとしないと” とか、


あるいは“きびきび働いちゃって、あの絵の女性みたいな感じじゃない?”  とか。



文字通り励みになる絵。


美人画ってそもそも男の人が好む絵っていうか、色気が全面に出すぎて、理想化され過ぎて、ちょっと“あー女性を解ってないな・・・”とか、“男の人ってこういう感じで女性を見ているんだな”とか思います。


美人画を描く画家も男の人が多いし。


女性が描く女性って、こんどは内面の感情的な部分を出し過ぎて、女性の美しさっていうより“ちょっとなんだかなー”って思う絵が多かったりする。嫉妬を題材にしたものとか。


その中で上村松園の描く女性は、女性が励まされる美人画。


特にこの2枚はシンプルながら女性の美しさを存分に表現できている。


・・・いいなぁ。私もそんな絵が描きたいなぁ。


と思っている絵。


身近な素材であって、その美しさを写し出して、見る者の明日に輝きを感じさせる絵。




そもそも、この絵も上村松園にとってはおとっとときの絵。


「悲母観音図」でもお話したけど、この女性の表情も画家が常にその頭の中にあった表情。


この2枚のモデルは上村松園のお母さん。


まあ有名な話ではあるので、言うまでもないっていうところですが。



上村松園は、お母さんが「葉茶屋」を営んで女手一つで育てられた人。


お母さんはそれはキレイな人だったみたいで、松園は小さい頃お母さんにとても憧れていた。


そして、お母さんは松園に絵の才能があると早くから見抜き、応援してくれた。


女流画家なんて、今でも大変だけど、当時はとてつもなく大変だった。


それでも、お母さんは松園を応援してくれた。


松園は早くからその才能が認められて、華やかな美人画を様々描いていって、中にはそれこそ嫉妬を題材にした絵もあるのだけど・・。、




晩年、その最愛のお母さんが亡くなって、この2枚が生まれた。


それは華やかに着飾った娘さんではなかった。


シンプルな日常の女性。なのにとてつもなく美しい。



松園の胸の中にいつもあったお母さんの美しい姿が、松園の手を通じてこの世に放たれた。




「悲母観音図」にしても「晩秋」、「夕暮」にしても、根底には深い深い“愛”が息づいている。


そして、それが見る人(私ね。)の心に入ってくる、理解できる・・・。




ほんっと名画って不思議。絵って不思議。



「晩秋」や「夕暮」は私にとってはどちらかというと実用的な絵。

それは同性が描いていて、共感できる部分が大きいからかもしれない。





というわけで、狩野芳崖と上村松園は私の中ではツートップなんです。



いかがでしたでしょうか?私の好きな絵についての説明は?


私の中での名画の基準、芸術がどう一人の人間に影響しているのか、そんな感じが伝えられてますでしょうか?


もちろん、紹介した絵は私だけが名画だと思っているわけではありません。


日本人の多くが、おそらく同じ想いを持っているのではないかと、私は思っています。




もう少し私の好きな絵を紹介させていただく予定です。


お読みいただいて、ありがとうございました。





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私の好きな絵 「悲母観音図」2

ご訪問ありがとうございます。


“ブログ村”のランキングの“油彩画”カテゴリーでまさかの1位になってしまいました。

アワアワアワ・・・ヽ((◎д◎ ))ゝ

記念に画面を写真にとっておきました。


私もビックリですが、ランキングをのぞかれた方もビックリなんじゃないかな?とか思います。





さてさて、昨日の「悲母観音図」の感動の続きです。


もちろん名画中の名画なので、ご存じの方も多いかと思いますが、

今日はメイキングについて少しご紹介しておきたいと思います。


20歳位の時にこの絵に魂を奪われ、画集を購入し、ことあるごとに眺めては感心していました。


他の絵を見たとしても、「どう見たってこの絵はすごいな・・・」と「悲母観音図」に戻って、着衣のラインの流れや観音菩薩の表情など、穴のあくほど見たりしました。


東京芸術大学の美術館がオープンしたころ、現物を見に行きました。「悲母観音図」はそれは美しく保管されており、現物のたたずまいは優美で輝いていました。


大概、絵を見るときはその画家の歴史的背景や、意図するものが何か興味がわいてくるのですが、

この絵に関しては、そういう背景はあまり関心をもたない程でした。


でも、やはり、これだけ好きな、魅了される絵なので、とりあえずはそういった背景も知っとかないと嘘だなーと思って、狩野芳崖と「悲母観音図」の描かれた経緯を調べました。



その結果・・・やっぱり間違っていませんでした。



この観音菩薩の表情は心の中に無いと描けないと思っていました。

あまりに絶妙だもの。


そうしたら、この観音菩薩のモデルは奥様。


狩野芳崖は江戸から明治の動乱の時にその生涯を送った画家なんだけど、


明治維新で西洋文化がもてはやされた中、狩野派の絵師たちはずいぶん困窮した生活を強いられたそうで。


もちろん芳崖も例外ではなく、仕事がなくて食べることもままならない時もあった。それでも絵を描くことはやめなかった。


まあ、この辺はよくある話的?絵で苦労しても描くのはやめないっていうのはよく聞くっていうか・・・。


感動的なのはその奥様。


芳崖には文句ひとつ言わず、すべてを受け入れてニコニコしていたそう。芳崖もそんな奥様を観音様と呼んでいて・・・。


でも、奥様は無理がたたって、芳崖よりも早く亡くなってしまった。




そしてその後、芳崖は悲しみを押して「悲母観音図」の制作を手がけ始める。




・・・泣けるわ。ホント。



そして、「悲母観音図」には下絵がたくさんあるのだけど、

初期の下絵の時の観音図の表情はびっくり。



油絵を描いています

あれれ?(画像がいまいちですみません)


ところが、芳崖はその観音図には納得いかなかったのよね。

京都の寺社をまわって、仏像を多く見てまわった。

そして、歴史に残る「悲母観音図」が生まれる。


油絵を描いています


まるで初期の頃と違う表情。


美意識がより成長している。

美意識というものは成長する。


おそらく、芳崖の頭の中にはこの観音菩薩の表情があったのだと思う。

これは芳崖の目を通して、気持ちの中で常に感じていた表情だったのだと思う。




その表情はいよいよ芳崖の手から表に現された。



そして、この絵を完成させたと同時に、亡くなった・・・。芳崖の心に在った面影をこの世に残して。



ドラマチック。


でもこの絵の背景は、そういうことを知らなくても全て物語っている。


顔の表情、筆の巧みさ。


人生が全て表わされている。


紆余曲折があっても、最晩年にはこういう清々しい境地にいたんだな・・・と。

人生どうあっても、こういう清々しいところにいようよと。


これが名画。


くー、名画って厳しいなぁ。見るのはいいけど、描くのは大変だよ・・・。

ねぇ、アーティストのみなさん?


まぁ、神から地上にもたらされたものかも・・・。




さて、この絵は私のNO.1ですが、いかがでしょう?


きっと皆さんにも思い入れのある物が存在するのだろうなと思います。


そして、皆さんもそういった物に励まされて今日暮しているのだろうなと思います。



次も私の好きな絵を紹介したいと思います。



お読みいただきまして、ありがとうございました。






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私の好きな絵  「悲母観音図」

ご訪問いただきまして、ありがとうございます。

おかげさまで、ランキングが上がってまいりました。


今までのお話は私的には一生懸命まとめたのですけど、多少は興味を持てるようなところもありましたでしょうか?もしそうであればとてもうれしいです。


あと、助言をいただきまして、「油彩画」のランキングにも登録してみました。

随分高い順位になって驚いています。嬉しいような照れくさいような・・・

アワアワアワ・・・ヽ((◎д◎ ))ゝって

感じです。


なかなかコメントをいただけないので、ブログランキングのINポイントが少し励みです。

色々書いちゃっているけど、どう思っているのかな・・・って少し不安に思ったりする中、あ、ちょっとはお役に立てた部分もあったのかな、なんて思えて。

これまでランキングバナーをクリックしていただきまして、ありがとうございます。





さてさて、今まで、「絵を描く理由」、「私の芸術観」について長々と書いてきましたが、とりあえず一通り語れたかな・・・と思ったので、次に「私の好きな絵」をご紹介していきます。


「絵を描く理由」や「私の芸術観」について、あっそうだ!って思ったらまた書き足していきたいと思います。


あーこれからは少し画像も入って、楽しくなるかも。・・・な?




私の好きな絵、まずはおとっとき、狩野芳崖の「悲母観音図」。


油絵を描いています



油絵を描いています



いいよねー、すばらしーよねー・・・キラキラ ラブラブ!


えーと、画像は私の携帯のカメラで写したものなので、光っちゃったりしてあまりいい画像ではありませんが、ぜひ原画を、または画集をご覧いただければと思います。



ほんといいよねー。


・・・という訳で紹介でした。ゆっくりご覧ください!







いえ、すみません、感想というか、説明もつけさせていただきます。


この感動は伝えずにいられない!!





この絵はある日突然目が開いたかのように、気持ちの奥深くで響きました。


20歳くらいの時です。


ちょうど、絵が描けなくなって、気分が沈んでいた時だったと思います。


この絵を見て、とても深い衝撃を受けました。





観音菩薩のなんとも言えない品格・・・。



目鼻立ちの配置の完璧さ、衣裳の巧みさ、完璧な空間のあしらい、嬰児の表現。



特に観音菩薩の目と口元の表情。





涼やかでたっぷりのゆとりと品格を持って、そこにたたずんでいる。


それでいながら必要ならば蛇にもなるような気迫に満ちている。


森羅万象、すべての物を兼ね備えているかのような存在感・・・。



絵のスミからスミまで、1つも欠けがなく、全て表現されている。



この絵は世界での評価の高さをあまり聞かないので、私の受けた感覚は、


日本人だからこそのものだと思う。


・・・この絵の良さがわかる民族でよかったなぁと、つくづく思う。



絵の伝達力のすごさがわかる絵。


作家の狩野芳崖の想いが伝わる。




狩野芳崖が何に対して感動したか、救われたか。


決して文字では伝わらない感覚。薄絹の線ひとつ取っても。


しかも一時の感情では決して出ない、人生の中での結晶化された想いと技・・・。




この絵はこれで完璧であって、例えば一人の人格として存在している。


ある時、ただ絵を見ただけで、瞬時にその絵の全てが入ってきた。


日本人としての記憶が全て目の前に繰り広げられた。


魅入られて虜にさせられ、絵から力をもらった。


そこまで理解できる絵はなかなかない。



人生を生きる上で結局、この観音菩薩のような感じになるのが本当だなと。



この絵はひと目みるだけで十分だったのだけど、メイキングを調べて、本当にその絵と主張とが一致していることが分かり、尚驚かされた。



完璧な絵。




そして尚ドラマティックなことに絶筆。



この絵から、絵というのはここまで表現できるのだと、その可能性を知らされた。


絵には力があると信じさせてくれるところ。





絵は人を救うのだと。







この絵は私の中ではNO.1なので、明日もう少しお話を続けたいと思います。


よろしくお願いします。











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私の絵です。「遺跡への憧憬」

今日は私の絵を掲載します。よかったらご感想をお聞かせください。


油絵を描いています


          


















[遺跡への憧憬」


    SM  キャンバス  油彩






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