「幸福感」について -中庸の先にあるものー | 油絵を描いています、けどマンガも始めました

「幸福感」について -中庸の先にあるものー

ご訪問ありがとうございます。


昨日は「中庸」な幸福観について語りました。


なんていうかな・・・・・・地味。


ちょっとそう思います。




私はどんな種類のアーティストになれるかな?とか思ったときに、

例えば村上隆氏のような、オノ・ヨーコさんのような

超一流アーティストには・・・・・なれないなと思いました。


なぜか、


超一流アーティストは振り幅が大きいから。


昨日、「陰」と「陽」の話を書きましたが、


「極陰」とか「極陽」っていうのは絶大なるパワーを生じます。


つまり、偏り。


えーーーーーおかしいんじゃないのぉーーーーー!!!


っていうインパクトを与えるものではないと、人は興味を激しく惹かないから。


本当に人の気持ちをゆり動かすには、そういう驚きが必要だと思います。


そうでないと、振り向いてももらえない。



でも、非常にそれはリスキー。


振り幅が大きく、例えば「極陽」の状況になった時、まるでバランスをとるかのごとく


「極陰」の状況が生まれます。


例えば、村上隆氏はコンビニの裏で弁当をもらいました。

オノ・ヨーコさんは愛する夫を失いました。


悩む必要はないんだけど、悩みました。


私のスタンス。





でも、確かに、超一流アーティストに楽しませてもらうのはとても楽しいんだけど、


それはあくまでちょっとしたお祭りで、


日常を送る上ではちょっときつい。


私は日常を充実させる方も必要。



で、日常のちょっとした「幸福感」もいいな、なんて。


で、そんなちょっとした「幸福感」を持つ人が増えたらいいな、なんて。




超幸福、超不幸っていう状況がなくなる、おだやかな状態が「中庸」なんだけど、


じゃ、その先にはなにがあるの?っていうと、


みんなそれぞれの持っているステキな何かが、顔を出し始める、と思います。


うきゃうきゃと浮かれすぎて落ち着かない気持ちや、

落ち込んで不安でどうしようもない気持ちには、どうしても振り回されてしまう。


恋の初期段階みたいな感じかな。


おだやかな気持ちでいると、本当に自分が良いと思うものに対して、素直になれる。


恋が愛に変わった感じ?


おだやかな安心感の中にいると、本来もっているその人らしさが、その人の豊かさがゆったりと顔をのぞかせます。


派手さはないんだけど、そんな「幸福感」。



好きな人ができて、両想いになって、何も手に付かないような幸福の絶頂感的な幸せもあるのでしょうけど、


そうではなくて、もう少し実用的な、日々暮らす上で、ちょっといいアイデアが浮かんじゃったりするような幸せ。


「中庸」の幸せもいいなと思っています。


っていうか、むしろ私はそちらが性に合っている感じかなと思います。



人間の性として、あまりに安定してしまうと能力が衰えると体が察知するのか、刺激を求めるし、


かといって、不安だらけだと体を守ろうとして縮こまっちゃったりするけど、


私は、やっぱり、せめて、不安だらけっていうキツイ状況から、少しでも穏やかな安心な記憶を呼び起こしてもらいたいなという感覚の方がリアルかな・・・。


で、安心して、自分の中をほじくって欲しいなっていう感じかな。

勉強でも、コミュニケーションでも、表現でも、何でも。


それで、できるならば、私を楽しませて欲しいって感じかな。(・・・あら?)


だからね、中庸の幸せも悪くないと思うんです。




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