父の透析 11. | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.














そして
その後もこのように
どんどん思い通りや
想像以上の流れが起こり
父は退院した






















そして

その後も

色々なことはあり

本当に色々なことはあるが 笑













夜間の透析(APD)から

昼間の透析(CAPD)に替えたことが

物凄く良くて












わたしたちは

少しずつリズムができ

心身共に健康的な生活を

取り戻していった

































メーカーが作成している腹膜透析の手順書もあるのだが、両親は集中力も低下しているし、一般的な冊子では、我が家に関係の無い情報もあり、両親がその取捨選択が難しくなっているので、夜の透析から昼間の透析に変わったので、混乱しないように、このようにこのように、わが家だけのオリジナルの冊子を作ったら、二人はこれを喜び、頑張って透析をしていた













わたしたちは

透析を始めてから

7か月経ち











やっと、やっと

自分たちのライフスタイルに合った

透析に落ち着いてきた




















そして

2023年春からの

父の透析生活のスタートと共に

わたしは両親の終活も始めていて













それは

意識的に終活を始めた

というより








 



父の透析をきっかけに

両親の病院関係や手続きや身の回りを

サポートするようになったら

あまりにもとっ散らかっていたので 笑

自分が動きやすくするために

その整理整頓を始めたのと











わたしもこれから本格的に

息子の絵画のこと
自分のことなどを

やっていくのだろうな… 

起こってくるのだろうな…

と思っているので











だから

両親のことは

基本わたしが

全て一人でサポートしているので

わたしが忙しくなる前に

やれることはやっておこう

という気持ちから始めたので










終活を目的に動いていた

というより

動いていたら結果、それが

終活のようになっていた











そしてそれが

父の透析が落ち着いてきたと同時に

両親の銀行の整理など

最終的な段階に入ってきて














そうしたら

その流れから母が

「お墓じまい、仏壇じまいを

しようと思うの…」

と言い始めた











そしてそれは

両親が亡くなった後

姉妹や従姉妹らに相談しながら

わたしがしようと思っていたことだったが










母の

「愛子にこれ以上世話をかけたくない…」

という

わたしへの純粋な愛を感じたとき

涙が溢れ










また

わたしは〝流れ〟を大切にしているので

その流れが来ているのを感じたとき

動き始め














両親が少しでも

喜び、安心するように

一瞬一瞬、一つ一つを大切にしながら

整えていった

































そして今年は

父も母も80歳だったので

年末には皆でまた賑やかに 笑

笑いあり涙ありの

二人の合同の誕生会をし












父はこの日

色々あった人生だったけど












80歳まで生きられて

子どもも孫もいて

今年は初ひ孫まで見られて

いつも皆で仲良く幸せに過ごせることに

自分が頑張ってきたことに

満足しているようで











それはそれは

穏やかな

幸せそうな顔をして












「ああ、

80歳まで生きられたらもう、いいわ…」

と言っていた













































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