父の透析 10. | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.















そしてこのように
色々ありながら
試行錯誤は続けながら
生や死に向き合い続けながら











父に運動をさせることに
悪戦苦闘、一喜一憂しながら 笑
父に運動をさせることはエゴなのか
と自問自答を繰り返しながら 









4月の
カテーテルの手術と入院以降
通院していた
車で30〜40分の
隣市の大学病院から











9月からは
車で10分ほどの
市内のかかりつけ医へと戻り
父の在宅腹膜透析は大きな問題もなく
順調に過ぎていった






















でもやはり

夜の機械での透析APDは

父のかなり酷い寝相問題や  笑

他の問題などから起こる機械のエラーや

心配性で夜の寝つきが良くない母のことや










そのエラーは

全く無い日もあったり

1日1〜3日だったりと

まちまちなのだが










やはり皆が熟睡しておらず

昼間も何だかずっと眠たく

ずっと曇り空みたいな

もやっとした世界が広がっていた


わたしたちは本当に細かく細かく試行錯誤を繰り返し

それはどんなに無意味に思えても結果がついて来なくても

それを「やってみよう」と思う気持ちを満たす

ということも大切だと思っていたのでやり続け

そのくらい顕在意識ではとんでもなく試行錯誤をしていた


そしてわたしは

顕在意識というのは人生の極僅かだと思っているので

それと同時に無限の可能性のある潜在意識が

物凄く大切だと思っているので


顕在意識でやれる全てをやりながら

透析の業者さんや主治医や病院のサポートも貰いながら

一瞬一瞬を意識的に

運や波動を上げ学びながら過ごしていた












そしてだんだんと

仕事をしていない父は昼間の透析も可能だし…

夜はやっぱり寝る方が
心身の健康や人生の質の維持や向上の為にも
良いのではないか… 
わたしたちには合っているのではないか…
と思い始めるようになっていた












でもやはり

「昼間の透析CAPDのが良いのではないか…」

という母とわたしに対し

「夜の透析が良い」

と父は言い続けていて











だから

わたしの感覚や直感

人生の流れなど全てで

より幸せになる方向性も

ずっと探り続けていた





















そして父は

今後も一年に一回は

2、3日の透析の検査入院が必要で

それが11月になる予定だと

主治医から聞いていた













そして

夜の機械での透析APDから

昼間の手動での透析CAPDに変更するには

手術などは必要はないが











本人も家族も

順序や手技の練習などが必要なので

3日ほどの入院が必要で

高齢の父にとっては

入院も簡単なことではないので

それも容易に変更できない

理由の一つだったのだが











近々検査入院があるなら

その検査入院と透析の変更の入院を

繋げて入院したら

父も楽なのではないか… 

と思うようになり






 



 

でもやっと両親も

ここまでリズムを作っていたので

それを崩して良いものか…

1週間くらい

一人で考え続けていた
























そしてふと

10月の検査と診察の日に

三人で待合室で待っている時に

両親に話してみた










すると

母はやっぱり 

「昼間の透析が良い!よく言ってくれた!」

と言い

父は初めて頷き











そしてそれを

透析担当の主治医に話すと

気持ちをわかってくれ

背中を押す前向きな意見をくれた












そして

父の診察のときは

いつもそうなのだが

家族皆で毎日一生懸命

真面目に取り組んでいるので










日々のことを話すと

母はいつも泣いてしまい

わたしも泣いてしまい

その日もそうで









先生方も

父の綺麗な傷口や消毒の様子や

毎日記録するノートなどから

わたしたちの真面目さや丁寧さを

感じ取ってくれたり










わたしと母の涙を見て

何か感じてくれたようで

先生も看護師さんも

優しい言葉をかけてくれ

さらに涙が溢れ










何かまた一つ

トンネルを抜けたような

物凄い安堵感で帰宅した














そして
その後しばらくした
その検査入院を待っている間の
ある日の夕方









父が突然
まだ透析の時間でも無いのに
透析液を持ち運び
しかもいつも透析は父の寝室でするのに
「準備をしないと…」
とそれをリビングに運んでいて








父のいつもと違う
見たこともないその様子に
母がパニックになりながら
必死でそれを止めている
ということが起こった














そしてその後も

「時間だから…」

と透析の機械の

スイッチを入れ始め











「お父さん!何してるの?まだよ!」

という母の言葉にも一切耳を貸さず

何か自分の世界

違う感覚に入っている父に











母は

「どうしよう…どうしよう…お父さんが…」

と泣き始めた










でもわたしは

物凄く冷静で

「これでいいのよ…

起こることはどんなことも絶対に最善よ…

と母に言い 










父に

慌てることもなく

「どうしたん?」

と聞くと









父は

「夢を見とったんや…

「いつも透析の夢ばかり見る…」

と言い









父は

自分の気持ちなどもあまり話さないので

ああ、これは

想像以上に透析がストレスになっているな…

とわかった











そして

長い間訪問看護や看取りなど

高齢者医療に携わってきた

看護師の親友に電話をして

聞くと









「普段慣れない

透析の手技などをしていると起こる

一時的な混乱かな…

そういうことはよくあるよ…」

と教えてくれ









親友は

母とも父とも話し

優しく温かく安心できる言葉を

かけてくれて











母は

彼女の言葉や存在や 

わたしの存在や落ち着きに

「ありがとう…神様よ…」

と拝み











父はその後

普段と変わらず

好きなテレビを見るようになり

母も少しずつ落ち着いていった





















そして

翌日の午前は偶然、必然に

父の腎臓、透析関係ではないが

同じかかりつけ医内での

別の科の診察の予約日で












そのときに

腎臓内科の主治医にも

昨夜のことを伝えたり

透析の相談をしたいな…

と思って調べたら










午前のその主治医の診察日は

木曜日だけで

偶然、必然に翌日が木曜日で











わたしは

ああ、やっぱりこの流れ

最善だ…とワクワクし始めた











そして翌日
起きてきた父は
前日よりは落ち着き
朝ごはんも 
7、8割食べられたようで









「病院行ける?」と聞いたら
「行ける行ける」と言い
三人で出かけていくと










もう、その、
病院への道中も
待合室で待っている間も
わたしはワクワクが止まらず
ずっと発狂していた























そして

まず予約をしていた医師の診察で

それは想像通り

大きな問題もなく一旦この診察は終了となり











そして次に

腎臓内科の主治医の診察を

待っているときに

父に











「これから

夜の透析(APD)から

昼の透析(CAPD)に変えるかどうか

三人で最終確認しなくちゃいけないけど

今のじいちゃんの気持ちはどう?

と聞くと











もう、

答えることはもちろん

聞かれることも考えることも

煩わしいような様子で

拒絶反応を示していて











でも

絶対にそれでいいと思ったので

「じいちゃん、それでいいよ…

もう考えなくていいからね…」

と言い












母と

「今から腎臓の主治医に相談し

先生の判断に任せよう…

この流れに身を任せよう…」

と話した






















そして

診察が始まり

わたしは昨日からの流れを話し

「想像以上に父が

透析のストレスを感じているようなので

夜の透析から昼間の透析に替えることを

やっぱり考えている…」

と話すと











先生は

「じゃあ、もう、今日から、替えましょう!

家に帰って始めましょうか!」

と言い 笑











わたしは

その予想外の展開とスピードに

笑い発狂した 笑









でも結局それは

突然過ぎたので 笑

その流れは来なかったのだが 笑


いやぁ、でも、それが起こってきたということは

その流れに乗ってしまえば良かったのか…

と後から思った


でこれからは、もう、こんな簡単で軽やかな

時代や人生になっていくのだと…












でも

透析の主治医から聞いた

11月の検査入院の話と 

でも今インフルエンザやコロナで

病棟がいっぱいなので

それが少し延期になった話を

腎臓内科の主治医に話すと


父はもともとは

この、腎臓内科のベテランの主治医にかかっていた


そしてまだここには透析外来は無く

今準備段階のようなのだが


父の透析が始まってからはこの主治医から

透析のことは腎臓内科内の別の医師が担当になり

その方が父の透析の主治医になっていて

今はどちらもが父の状態を把握してくれている状態












「もう落ち着いてきたので、

今病棟空いてますよ!

じゃあ、今から入院して

今日から切り替えていきましょうか!」 

と言われ 笑










それにも、えぇ!?

となり笑ったが 笑











先生は父に

「大丈夫!大丈夫!

こんなにいい家族がいるんやから絶対大丈夫!」

と言ってくれ


腎臓内科の主治医はいつも

父だけでなくわたしたち家族にもこのように言ってくれ

もうそれが、とんでもない安心と感謝が溢れ

いつもホッとして涙が出る













母は安心し先生にも

「先生は、神様です…」

とギュッと手を握っていた














そしてその後

透析の主治医も来てくれたので

昨日と今日の流れも話すと

理解して下さり









父は透析を始める前からもあったが

透析を始めてからは特に

体中に痒みがあり

皮膚科にかかっているのだが










先日の病院で初めて

透析患者は痒みが出る人が多い事を聞き

また、父がもう皮膚科通いが

嫌だと言い出したことを伝えると









「そういう人は多いです

それなら、明日週に一回の

皮膚科の先生が来るので診てもらいます」

と言ってくれ











また

透析が始まってから

便秘気味で

ずっとあの手この手で

対処してきたことを伝えると

「それもこちらで様子をみて対処します」

と言ってくれ












それらはどちらも

父が春に透析で手術と入院をした

大学病院でも何度も相談していたことだが

どちらもこちらが納得する対処が無かったため

わたしと母が試行錯誤をし続け

最近そこにもう限界を感じていたので











ああ、楽になった…

もう、それこそ神様だ…

と思った











だから今回のことも

一見悪いと判断しそうなことだし

これまでの皮膚炎や便秘のことも

もどかしいこともたくさんあったのだが










やはり大きな視点でみたら

やっぱり全て最善で納得でしかなく

ああ、そういうことか…

今だったのか…

と物凄く腑に落ち












やはり、父がもう考えたくない…

というのは正解で

もう、この流れに乗るだけで

何も考えなくていいんだ…

と思った





  



















そして

父を入院させた後は

母の大好きなお寿司を食べに行こう!

と二人でお寿司屋さんで乾杯をした 笑













そして

父の入院の用意をしてから

それを病院へ持って行き

自宅でホッとしていたら

父から電話がかかってきた











そして母は

父が入院が嫌で

「もう帰りたい…」とか

「ご飯が美味しくない…」とか…

「昼の透析が嫌だ…」とか

言うのではないかと

ドキドキしたと言うが










母が電話を取ると

開口一番父は

「昼の透析は楽勝や…」

と言い









その言葉に

母と二人で発狂した✨✨✨






















そして

夜の透析は

機械が誘導してくれるので

その指示に従い作業を進めるだけなので

楽なのだが










でも工程が多かったり

機械に不慣れだったり

両親のせっかちや思い込みなどの癖もあり

両親にとっては難しいことになったり 笑

父の状態などもあり

父一人に任せることは無かったのだが


本当に、〝単純に〟〝素直に〟

ただただ、機械の指示に従い

透析液を混合したり、かけるところにかけたり

透析液をお腹のカテーテルと繋いだり外したり

排液のチューブを排液タンクに入れたりするだけなのだが

両親にとってはこれが物凄く難しく


それはその、透析や機械=難しい、緊張、というのもあるし

年齢的なものや、記憶力や集中力の低下もあるが

〝今、この瞬間を生きる〟というのが苦手という

本人たちの、元々の生き癖も大きく


だから、それを毎日コツコツとできるように

誘導とサポートをしていくのは

2歳で脳障害を負った息子の子育てと全く同じだったし


それを人生や人間という大きな視点で観察しているのが

本当に面白く興味深かった










 


父は

「俺一人でもできるんや…」 

と言い 

それはどこまで信じていいのか

謎でもあるのだが 笑









でも

そこまで自信を持って

ハッキリ思いを伝えてくれた事は

透析が始まってから

一度もなかったので

母とまた発狂した✨









そして

ご飯も美味しく

皮膚の痒みも便秘のことも

先生が早速対処してくれ

看護師さんもみなさん優しいと言い

それも嬉しく有り難く✨✨✨










わたしが

「でもさ、それも、大学病院の入院や

夜の透析の大変さに

わたしたちが一生懸命向き合ってきたからで

あれがあったから

今が物凄く楽で感謝しかないよね✨✨✨」

と言うと











「本当にそうや…」

と言い

それも有り得なかった✨✨✨











そして

それは

春に入院したときに一時期

「いつも有難うな… 

お前らもゆっくり休んでくれよ…」

と父が言ってくれ



 






母とそれが

嬉しくて有り難くて

「ああ、もう、いつ死んでもいいね…」

と言っていたことを

思い出させた











でもその時はその後

透析のストレスからか

父がイライラしたり

眼光が鋭くなったり

理不尽にわたしや母に当たるようになり

その夢のような日々は一時期的だった











だからわたしは

またあの天国を生きたい…

そして次はもう無限にそれを生きるときだ…

と思っていたので

それが始まったことに

もう、発狂し










電話を切って

キャー✨✨✨キャー✨✨✨

と母と何度も抱き合った






















そしてすぐに

わたしたちをいつも支えてくれる

ずっと訪問介護、看取りなどで

高齢者医療に携わってきた

親友に電話をすると











親友は

泣いて喜んでくれ✨✨✨

母も「有難う✨有難う✨」 

と頭を下げ拝み泣いていて









わたしは

「ああ、父のストレスが昨日極まったからこそ

今日陽に転じたんだよ✨✨✨」

と言い










ああ、年頭に

〝今年は、極まる、極める年になりそうだ…〟

と思っていたことを思い出した












そして

昨晩の父の言動がショックで

泣きながら電話をしてくれていた

長女にも電話をすると

ホッとした✨✨✨ 

と喜んでくれ










次女にも電話すると

次女も

父の昨日のことがショックで

色々覚悟した…

と泣きながら話してくれ

だからもう夢みたい✨✨✨

と大喜びで








やっぱり

ワクワク通りになった…

いや、ワクワクどころではなかった…

想像以上、奇跡だ…

と一人のたうち回り続け












こうしてわたしたちは

一つ一つ

トンネルを抜けていった





























父の透析 1.