そして
その件については
今週にさらに検査をすることになり
今日は問診や触診などだったのだが
でもそれは
両親もわたしも医師も
そう心配をしていないので
ただ淡々と通過していくだけだと
思っているのだが
今日
たくさんの病人のいる待合室で
三人で待っていたとき
まるで
三人にだけ
太陽が当たっていて
周りが雲で覆われているような
感覚になり
それはまさに
地上天国で台風の目のようで
それはずっと
わたしたちにだけ
光が当たらない世界から
一瞬一瞬を
皆で丁寧に必死に
喜怒哀楽豊かに大切に
生きてきた結果で
一人ならともかく
三人でよくきたな…
と幸せすぎて
胸がいっぱいになった
そして
久しぶりに父が
外食をしようと言うので
その後
三人で外食に行き
その後
少し買い物に
寄ったりしたのだが
父は
少し前まで足がふらふらで
どうなるのかな…
と思っていた
その件を母が医師に相談し
今回の診察と検査の流れとなった
さらに
運動なども趣味なども
全く続かない父に
運動を続かせるには
どうしたら良いのか…
というのは
もう、母は
何十年もそこに向き合い
わたしもこの半年は
ガッツリそこに向き合い
それは
喜んだり
期待したり
疲れ果てたり
諦めたり
悩んだり
放置したりの連続で
それは
性格や高齢というのもあるだろうが
もっと、障害というような
不動の岩を動かす類のことで
それは
2歳で障害を負った
現在24歳の息子の
当時のリハビリを思いださせた
今回わたしが運動を父にさせようと思いついたわけではなく
最近母と父の会話の中で、「スクワットを毎日する」
という決め事ができ、やっぱりそれが続かず
足腰が弱っていると母から相談された
そして色々な流れから、もうその
やる、やらないという悪循環を断ち切るときに
来ていると感じたことから
「やると決め言ったのなら、もう今度こそ続かせよう」
とわたしがそこに乗っかった形で関わり始めたのだが
そもそも
父に運動を続かせようとすること自体がエゴなのか…
運動をしない=筋力が衰える
というのもわたしの思い込みか…など
それは自分の思い込みを確認しながらの作業でもあった
でも、それより三人の潜在意識に
運動しなければ筋力は肉体は衰える
という思い込みが強いなら
今はそれを優先すべきか…など
それはわたしだけでなく、両親の潜在意識や
運命の流れや時代の変化を感じながらの
物凄く緻密な作業となった
足のふらつきが
無くなってきた
だから今日
両親と病院、食事、買い物に行ったとき
今までなら母は
父の心配ばかりして
目を離さなかったが
今日は母は
父の心配をせず
一人でスタスタと
前を歩いていて 笑
わたしも
一切父の心配がなく
ああ、なんて楽なんだろう
と思った
父は塩分制限の腎臓病に考慮した食事を摂っているのもあるし、外食はもう滅多にしないのだが、たまにするときなどは、お湯などをもらい、蕎麦のつゆを薄めるなどしている(三人ともそんな食事をしているので、薄口の口になっているので、外食後などは喉が乾いて仕方がなく 笑、でも母もわたしも腎臓が少し弱いところがあるので、その食事のお陰で皆が健康になっている)
だから今日
父の心配が無くなってきた
ことと共に
母の自立も感じ
ああ、
一人一人が
しっかり自分の足で立ち
協力し合っているな…
というのを
物凄く実感し
それは
2歳で障害を負い
命懸けで育ててきた息子に
爆発的な絵の才能が現れたことに
近いような
大安心で
両親と
まさか
こんな世界が待っているとは
全く想像もしていなかったので
肩の力が物凄く抜け
一人で泣いた