2023/08/28(父の病院 21.・母との対話 20.) | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.












今日は
透析関係ではない
父の病院で









午前に
市内のかかりつけ医へ
三人で出かけた











そして

その件については

今週にさらに検査をすることになり

今日は問診や触診などだったのだが











でもそれは

両親もわたしも医師も

そう心配をしていないので

ただ淡々と通過していくだけだと

思っているのだが












今日

たくさんの病人のいる待合室で

三人で待っていたとき









まるで

三人にだけ

太陽が当たっていて

周りが雲で覆われているような

感覚になり











それはまさに

地上天国

台風の目のようで









それはずっと

わたしたちにだけ

光が当たらない世界から










一瞬一瞬を

皆で丁寧に必死に

喜怒哀楽豊かに大切に

生きてきた結果で











一人ならともかく

三人でよくきたな…

と幸せすぎて

胸がいっぱいになった
























そして

久しぶりに父が

外食をしようと言うので

その後

三人で外食に行き










その後

少し買い物に

寄ったりしたのだが











父は

少し前まで足がふらふらで

どうなるのかな…

と思っていた


その件を母が医師に相談し

今回の診察と検査の流れとなった











さらに

運動なども趣味なども

全く続かない父に 

運動を続かせるには 

どうしたら良いのか…  

というのは










もう、母は 

何十年もそこに向き合い

わたしもこの半年は

ガッツリそこに向き合い











それは

喜んだり

期待したり

疲れ果てたり

諦めたり

悩んだり

放置したりの連続で










それは

性格や高齢というのもあるだろうが

もっと、障害というような

不動の岩を動かす類のことで














それは

2歳で障害を負った

現在24歳の息子

当時のリハビリを思いださせた



今回わたしが運動を父にさせようと思いついたわけではなく

最近母と父の会話の中で、「スクワットを毎日する」

という決め事ができ、やっぱりそれが続かず

足腰が弱っていると母から相談された


そして色々な流れから、もうその

やる、やらないという悪循環を断ち切るときに

来ていると感じたことから

「やると決め言ったのなら、もう今度こそ続かせよう」

とわたしがそこに乗っかった形で関わり始めたのだが


そもそも

父に運動を続かせようとすること自体がエゴなのか…

運動をしない=筋力が衰える

というのもわたしの思い込みか…など

それは自分の思い込みを確認しながらの作業でもあった


でも、それより三人の潜在意識に

運動しなければ筋力は肉体は衰える

という思い込みが強いなら 

今はそれを優先すべきか…など


それはわたしだけでなく、両親の潜在意識や

運命の流れや時代の変化を感じながらの

物凄く緻密な作業となった












そして
もう、ここを越えたら
父は運動をする流れに
完全に乗っていきそうだ
と思ったので










それらの知識や経験を感覚を
総動員させながらも
やれることを
全てやり始めた











そして
それと同時に











でもやはり
わたしが
知っているので









ああ、こうして
人間臭い有限のやり方をしながら
どんどん楽で簡単に願いが叶う
無限、神の意識に入っていき
起こるべきことが起こっていくのだと












無限を生きることに
さらに集中していたら








父はやっと
スクワットを毎日するようになり

足のふらつきが

無くなってきた

























だから今日

両親と病院、食事、買い物に行ったとき

今までなら母は

父の心配ばかりして

目を離さなかったが













今日は母は

父の心配をせず

一人でスタスタと

前を歩いていて 笑










わたしも

一切父の心配がなく

ああ、なんて楽なんだろう

と思った













父は塩分制限の腎臓病に考慮した食事を摂っているのもあるし、外食はもう滅多にしないのだが、たまにするときなどは、お湯などをもらい、蕎麦のつゆを薄めるなどしている(三人ともそんな食事をしているので、薄口の口になっているので、外食後などは喉が乾いて仕方がなく 笑、でも母もわたしも腎臓が少し弱いところがあるので、その食事のお陰で皆が健康になっている)













そして母は特に
この春から
父が透析をする流れに
なった辺りから











「愛子一人に背負わせてごめんね…」
と事あるごとに言い










それは
現実的に












二人姉妹の姉は
遠方に嫁ぎ
姪っ子三人も遠く
一年に一回も会わない生活で










わたしにパートナーはおらず
わたしの子どもも
長女は少し遠方に住み
次女は近いが 
今子どもを産んだばかりで
息子は二年以上会っていない













という状況なので
物凄くわかるし










背負っているつもりは
全く無かったが
無意識のうちに
背負っている部分が
あるのかもしれない
というのもわかったが












わたしはそれが
物凄く嫌だった









だからわたしはその度に

「わたしは誰も背負わない

それは障害を負った凜(息子)でさえ
背負って生きることは無理だと
わかったからで

だから
手を繋いだり背中を押したり
こっちだよと促すことはあるけど

わたしは誰のことも背負ったり
背負われたりしないから
きちんと自分の足で立ってよ

そして
ちゃんと自分の足で立った者同士が
協力し合って生きていくのよ
そうでないとその関係は続かないのよ」












と言い続け
それを必死で払いのけ続け







それは
介護をするのは当たり前
年老いたら寝たきりになるのは当たり前
背負ったり背負われたりするのは優しさ
というような











この世に
当たり前のようにはびこる情報や
混線した、不安が土台の人間関係に
もう、これ以上
埋もれないということだった









でも
自立だけが大切なのではなく
出来ないことを協力し合うことも
同時に大切なので












高齢の両親が
今どこまで一人ででき
今どこにサポートが必要なのかを
注意深く観察しながら










両親もわたしも
一人ずつしっかり立ちながら
協力し合うバランスを
探ってきた

母もわたしに迷惑をかけまいと
物凄く自立している部分はあるのだが
母が父のことを背負っている部分があるからこそ
わたしに、誰かに頼りたくなるところはあり
そんな経験はわたしもあるので物凄くわかる

でも母はわたしのこの
「背負わないから一人でちゃんと立ってよ」
という言葉を
「突き放されたようで寂しい…」
と言っていた時期があり

でも背負うことが優しさではないと思ったし
わたしは自立を促しただけでは寂しいだろうと
その代わり、ちゃんと協力するところは協力をしていて

だから親子の依存のような、不自然な重なりを解きながら
横の関係で繋がり合うという
どんな人間関係においても正常な状態に戻すという
精神的、感覚的、意識的なことを

ただ、物質的に父の病院や透析に関わったりするだけでなく
この状況の中でずっと心がけていた


































そして
少しずつ
自分も肩の力を抜きながら










行政や親族以外の友人など
協力してくれる存在を
探したり
頼ったりしながら











皆が幸せな世界
のたうち回るほどの
喜びの世界というのを
一瞬一瞬
探し続け選択をしてきたら










両親が、特に母が
しっかり自分の足で
しかも自信を持って楽しんで
立ち始め










それは三人にとって
物凄く大きな体験で









それは
特にこの15年くらいの
両親との関係で








絡まった糸を丁寧に解き
親子関係、人間関係を
一つ一つ整理整頓をしてきた
結果だと思った
















だから今日

父の心配が無くなってきた

ことと共に

母の自立も感じ











ああ、

一人一人が

しっかり自分の足で立ち

協力し合っているな…

というのを

物凄く実感し











それは

2歳で障害を負い

命懸けで育ててきた息子

爆発的な絵の才能現れたことに

近いような

大安心で










両親と

まさか

こんな世界が待っているとは

全く想像もしていなかったので












肩の力が物凄く抜け

一人で泣いた