絵を描き続けていたが
その後息子は
絵画教室にも
徐々に行かなくなり
わたしだけが
先生との対話の為に
行き続け
2019年4月には
わたしも
行かなくなった
そして
息子には
彼の無限の才能を
発揮させることだけでなく
同時に
息子の好きな
コンビニや
ラーメン屋さんなどで
息子の自立や
社会性を
地域の方々と共に
見守ってきたり
ゲストティーチャーという
彼の絵画をきっかけに
世の中と繋がる
経験から
能力を発揮し
自立しながら
縁ある仲間と
今を生きるという
いつも
大切にしてきた
それは
いかに彼が
世に
無限に
存在も才能も放ち
親子で
手放すべきものは
手放し
親子共に自立し
親も含めた仲間と共に
宇宙の流れに乗って
生きるか
ということで
それは
二人の娘たちにも自分にも
同じ気持ちで
関わり
わたしは
そうやっていつも
わたしが
大安心で死ねる環境を
考えてきたが
息子は
絵画教室に
徐々に行かなくなる
と共に
誘っても
あまりどこにも
行かなくなっていった
そして
1993年3月に
結婚し
その25年後の
2018年12月に
離婚届を出し
でもまだ
その後も
わたしの両親と
二世帯で
三人の子どもたちと
共に暮らしている
元夫が
離婚届を出した辺りの
三年くらい前から
仕事をしながら
家事もしながら
息子の衣食住全ての
管理を始め
わたしと息子は
同じ家に居ながら
別次元を生き始めた
だから息子は
土日は元夫と
いつも出かけているが
絵画教室にも
作業所などの仕事にも
どこにも行かない
平日は
自宅で元夫に
これでもかこれでもか
と与えられた
テレビ、DS、携帯、タブレット
DVD、テレビゲームなどを
幾つも同時に付け
音の大洪水の中で
一日中忙しく
脳を動かして
生きていて
それは
ゲームが上達したり
言語能力が上がるなど
成長した部分も
あるようだが
それはわたしが
息子に無限の才能が
出るために
ゲームでも何でも
どこまででも
直感的にさせてきたこととは
全く違い
息子のその状態は
もはや中毒で
わたしが
大切にしていた次元の
息子の成長を妨げるどころか
後退させていて
息子の
内にある
涙が出るほど美しい
埋もれさせている
と思った
でもそれが
起こるなら
今は最善だと思ったし
三年くらい前の
息子とのやりとりで
わたしは今は自分の事に
集中すべき時だと
腑に落ちたし
小さい頃から
障害を負った
息子との関わりが
どうしても多かったので
ああ、今は
息子の事は何も考えず
息子との分離や
娘たちとの時間を
思いっきり楽しもう
と思ったし
その
有限の頭の忙しさは
一年前にわたしが
はんなりの庭で体験した
に繋がる
と思っていたので
ずっと
何も言わず
見守ってきたが
今年の4月の初めに突然
息子への思いが
そして
この6月の
辺りから
娘たちへの生き方に
限界を感じたわたしは
それがきっかけで
彼女たちに覚醒が
起こり始め
でも
はんなりに行った翌日
元夫のやり方や
息子の状態を
改めて直視したら
直感や感覚で
善悪を超えた世界を生きる
無限のわたしと
思考や正誤や情報や
善と悪を生きる
有限の元夫との生き方が
想像以上に違い
それは
先出のように
子どもたちを
親から自立させ
親も自立し
親を越えさせ
無限の能力や存在を
世界に放ち
宇宙や
生きとし生ける存在と
調和して生きることを
サポートするわたしとは
違い
元夫は
仕事も家事も
息子の体調管理も
有限だが
息子の能力向上も考え
日々生活しているようで
それは子を思う
素晴らしい父親で
ある一方で(善)
無意識でも
意識的でも
あるようだが
親を越えさせることなく
それは
閉鎖的で共依存的で
息子を甘やかしながら
息子を管理し支配しているから
だった(悪)
でもそれは
大なり小なり
人間の誰もにあり
わたしにもあり
世の中にも溢れている
エゴで
それに対しては
もうわたしは
善悪は無いし
それをわたしたちは
経験したかっただけで
体験としては
本当に豊かだと思う
そして
これが三次元の
善と悪
表裏一体の世界だ
と改めて分かったことも
感謝しかなかったが
でも
息子のその
埋もれた状態は
想像を絶するもので
先日の
コロナの不安や
ワクチンを打つ安心に
どっぷり浸かり
全く
会話ができない
両親と同じだと
思ったことが
わたしには衝撃だった
だから
そんな中
先日一緒に
はんなりに行ったことは
奇跡だと思ったし
最近は
そろそろ息子も
絵を描きそうだと
ダイニングテーブルに
絵を描く用意をしていて
はんなりに行った翌日
あまりにも
息子が(元夫が)やりたい放題で
あまりにも息子が
有限に埋まり過ぎていた状態を
目の当たりにしたことから
わたしの怒りが爆発し
久しぶりに
絵を描いたら
大切なことを思い出すんじゃないか
と絵を描いてみたら?
と言ったら
息子は
嫌なら嫌だと言うし
わたしは今まで一度も
描かせたことはないが
この日は
素直に描き
もっと描くもっと描く
と4枚描いたことも
それも
現状打破の奇跡の一歩
だったが
わたしはどちらも
という状態ではなく
これが今は最善だと思った
でも
埋まりながらも
こうして現実が
変化してきたことは
本当に本当に本当に本当に
有り得ない
奇跡だったし
両親とは違い
息子とのこの分離は
打破することを
息子もわたしも
それは
世の中はもちろん
親なら当たり前の
喜びで
元夫の深い部分での
喜びでもあると
分かっているので
ああ
わたしはもっと
無限の能力を
爆発させていいんだ
と
ゾクゾクした
そして息子が
20年前にしていた
脳障害のリハビリは
人間の
ほんの数%しか
使われていないと
言われる脳の
眠っている部分に
外から
あらゆる刺激を与え
傷ついた脳の機能を
肩代わりさせる
というもので
それは
『穏やかな革命』
と呼ばれていたのだが
わたしは
一年前に書いた
この記事に
たまたま
革命というタイトルを
付けていたことにも
運命を感じ
ああ
どんどん革命が
起こっていくのだ
と思った
(わたしがこうして動き出したからか、元夫は、この日から息子を連れて出て行き帰って来なくなった)