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最終調整

てことで16日

本当はこの日に

スタートさせられてたら

最初の関門である積丹半島を

いい感じで回り込めたんだけど

ネット購入した荷物が午前中に届くはずで

それを待たなければいけないのと

 

最近、不必要な法改正で

非常に手に入れにくくなった

プロパンガスを

移動先で充填してもらえるように

特別な講習を受けなければいけなくって

それを南下の途上の

どこからの港で受けようと

前々から入金して予約していた

オンライン講習が

この日に入っていた。

 

まだ動けていないし

恩来でやるとなれば今

今日ここでするしかない。

ってことで動けない。

 

このタイミング逃すと

しばらく南西風強そうだしで

またしばらく

出られなくなっちゃうんだよなー。

だけどまぁ、船上生活者にガスは必須だし

しゃーないか。入金してもうてるしな。。。

 

ってことで朝から受講。

 

途中、荷物も届きました。

 

その中にはステッカーも!

 

これ、僕の船のステッカーです。

作っちゃいました。

乗った人で

欲しいって人いたらプレゼントします。

 

乗ってくれるみんなが

絶対お金取った方がいいよ!

とも言ってくれるので

いつかはそうできたらいいな。

とは思ってます。

だって想像以上に時間をお金を捧げてきたし

どこかで回収しないと

このライフスタイルは続けられんしな。

船住んでわかったけど

船に住むと船から離れらなくなるんです。

何かあってもすぐ対処できるように

ずっと気掛かりなんです。。。

だから。。。

 

だけど、この1年は

とにかく自分の経験も含めて

南下しながらスキルと判断力磨きます。

自分の命の安全さえ確保できない

今の僕では無理です。

なのでそれはもう少し先。

 

この1年の間に乗りたい人は

命の保証はありませんが

是非乗りに来てください!!

 

そしていつか商売になりそうな時は

お客さん連れて帰ってきてー!

 

って、本筋から反れましたが

オンライン講習全てが終わって夕方に

友人2名が到着。

まさにステッカーのデザインしてくれた

友人カップルです。

んでその後

サイクリングツアーを

一緒にやってる友人も来て

みんなで夕食を食べに夜の小樽の街へ。

 

 

 

久しぶりに街に出た。

良き時間でした。

あざっす。

 

んで帰宅してシャワー浴びて就寝。

 

 

17日

朝から最後の買い出し。

友人の車に乗せてもらって

少し離れたホームセンター行って

野菜やハーブの苗ゲットして

市場2件梯子して食材買って

 

市場で買えない食材を

スーパーでゲットして

近くのホームセンターで

仕上げの買い物して帰宅。

全ての荷物をヨットに積み込む。

 

友人はニセコ方面の

下見に行くってことでバイバイ。

 

ヨットで最終の確認や

片付けをしていたら

お世話になってる

ヨット会社の社長から電話

「何してる?今晩うちに飯食いに来い」

ありがとうございます!!

ってことでお邪魔して

 

ちょっと前にみんなで組み立てた

サウナに火入してくれ

 

まずはサウナで整える時間。

 

 

激アツからの水の桶にドボン×3で

整いました。

お隣の家のちびっ子も

一緒に。

 

って

この年でサウナ入れんのすげぇー。

俺は大人になるまでサウナなんて

ぜんぜん無理だった。

 

 

そして美味い飯、酒と共に

何かのアドバイスもいただき

 

強めの酒に早々にヘベレケになり

酔いながらもバスで帰還。

 

帰り際に

たくさんの手土産も持たせてくださり

マジでもう

最後までお世話なりっぱなし。

感謝しかありません。。。

 

酔っ払いながら

荷物を全てヨットにセットしてシャワー浴びて

3時半に目覚ましかけて、夢の中へ。

 

さて、いよいよです。

 

 

 

 

 

 

最後の陸移動。(のはず)

そうして15日の野沢温泉の朝

僕はグーグル先生が教えてくれた

9時41分のバスで飯山駅まで行こうと

雨の中、中央バスターミナルに向かう。

新幹線との接続時間に合わせて

駅まで直行する便利な

野沢温泉ライナーに乗るためだ。

 

ギリギリにターミナルに到着したが

バスが見当たらない。

遅れているのか?

でも良かった。

まだこれからチケットを買わなければ。

と、販売機のある小屋に入って

時刻表を確認すると

41分発のバスなんてそもそもない。

25分ほど前にバスは出ていて

次のバスは1時間半ほど後の

11時過ぎ。

 

へ?

となって路線バスの時刻表に目をやると

41分のバスがあった。

 

あ!路線バスか!そっちか!

バス停はここではないが近くのはず。

急がなければ!!

と腕時計を見たらまさに41分。。。

無情にも目の前を

バスが通過していくのが見えた。。。

 

路線バスも同じく次便は1時間半後。。。

 

うわー。。。

どうしよう。。。

 

と、前夜にヘベレケに飲んでいる

友人から連絡があったことを思い出す。

きっと朝からは動いていないだろう。

そして中野の家に帰るために

そろそろ準備をしている頃ではなかろうか?

 

と狙いを定めて電話をかけてみた。

ら、まさに読み通り!!w

 

ぼちぼち帰んなきゃなーって

思ってたところ。って!!

 

きたーーー!!!

ってことで早速

彼のいるところまで行く。

するともう車を出す準備をしていて

そのまま飛び乗って

飯山駅まで送ってもらった。

 

マジで助かったー!!

ありがとうございます!!

神様!!w

 

ってことで無事に

新幹線に乗ることもでき

ちょうどお昼に東京駅。

 

空港でのランチは

お決まりのものしかないし

エアポートバスに乗り込む前に

腹ごしらえをすることに

 

目についた地下レストラン街の方へ。

マップ看板で目を走らせ

オイスターバーを見つける。

お高いんでしょ?

と違うところを探そうと思ったけど

それが自分の真後ろにある

レストランであることがわかったので

とりあえず覗いてみる。

 

と、確かにちょっと”ランチ”には

高めだけれど

生牡蠣やオーブン焼き、蒸牡蠣

サラダにスープやパスタもついた

ランチセットが

大変お得な価格だったので

いいじゃん。って入る。

で先に生牡蠣出てきたし

オイスターバーだし

外暑いし

ってのでちょっと贅沢に

スパークリングワインも注文。

 

コースランチでスパークリング合わせて

全部で3000円。

ちょっと贅沢なランチではありましたが

コスパもいいし

何よりお味も大満足だったし

なんとも贅沢な気分になりました。

 

以前、広島・島根に一人で行った時に

入った居酒屋で

どうしても美味しそうで食べた

ブランド牡蠣が1つ1,200円とかしたし

それ考えたらそれでもとってもリーズナブル。

 

で、バス乗って空港に。

上空での太陽が

雲に反射して神秘的な感じに。

 

 

んで千歳空港。

ついたら19時。

小樽に戻ったら21時過ぎ。

最寄駅「小樽築港」近くに

食べるところないし

しばらくの不在で冷蔵庫にも食材ないし

しゃーなし空港で食べて帰る。

 

で、帰還。

 

さぁ、船の準備はほぼほぼ整ったし

ここからはしばらく

仕事も入れていないし

船に向き合える。

 

天気のタイミング見て

南下スタートさせていきますよ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨のトレイル

ってことで新幹線、バスを乗り継ぎ

13日の18時頃に野沢温泉に。

 

到着してみんなと合流し

お風呂入った後、食事しながら

翌日からのちょっとした流れの確認。

 

翌日の音楽の準備とかしながら

早朝起きに備えて早々に就寝。

 

 

14日

4時半に目覚ましを合わしたが

周囲の4時起きに起こされ

しかしそれでも

頑なに4時半まで目を閉じ

4時半から準備して45分に出発。

 

5時には会場入りし設営。

 

この夏も始まります。

 

65kmが7時に

37kmが9時に

14kmが10時にそれぞれスタート。

 

スタート時には

野沢温泉の

道祖神太鼓保存会の皆さんによる

道祖陣太鼓の演奏が入り

スタートの熱量を高めてくれる。

 

かっこいいんですこれが。

 

37km部門はGolden Trail Seriesに登録され

日本でのナショナルシリーズに参戦し

ポイントを獲得することで

ワールドシリーズ出場にもつながるレース。

 

ちょうどみんながスタートした

10時くらいから雨が降り始める。

 

他のレースでは

あまり見られない特徴として

会場から

23km、14km、28kmの

3つのループ状のコースが

セットされていて

選手はそれぞれを走るごとに

一旦会場に戻ってくる。

 

23km+14km=37km

23km+14km+28km=65km

って感じ。

 

しかもそれぞれの部門ごとに

スタートもずれているので

常に決して少ない人数が

メイン会場を出入りしている状態。

 

普通はスタートしたらゴールまで

選手は山の中に姿を消しているため

中盤しばらくは誰もいない

時間があるものなのだが

ここはそうじゃない。

 

なので朝の5時半頃から

全てがクローズする25時くらいまで

MCは常に喋り続けることになる

僕の請けるMC業の中でも

最も体力が必要な

選手と同じくらい

いや選手以上の耐久レースなんです。

 

そんな僕のことは置いておいて

夕方頃から雨はかなり強くなり

終了間際まで降り続けた。

しかも寒い。

 

真っ暗でぬかるんだ滑りやすい

山の下り坂を大雨の中

冷え切った体で降りてくるなんて。。。

すんげぇレースだな。。。

 

まぁ、早い人はみんな

暗くなる前に帰ってくるんだけど

今回の最終ランナーは23時半頃にゴール。

いつもよりもかなり早い

最終ランナーのゴール。

 

最初の頃は夜中3時がリミットだったし

だいたいほんと制限時間ギリギリに

ゴールする人がいたから

今以上に過酷だったが

今回ほど雨が降ったこともなかった。

 

まぁ、これまではむしろ

暑すぎて日射病や熱中症に

気をつかうほどだったが。

 

何にしても日付が変わるころには

全てが終了し

最低限をザッと撤収して宿に戻った。

お風呂に入って就寝。

 

ずっと声を張り上げていたので

喉は痛く、声はしわがれている。

 

 

15日

朝起きて朝食をいただいたら

僕は帰る準備をする。

本部のみんなは

雨の中、撤収作業に出かける。

お疲れ様です。

冬の再会

そんなわけで11日

遅れながらも羽田空港に到着し

引き続き

モノレールと京急の改札間違えたり

凡ミスしながらも

 

無事に電車に乗って

久々の友人との再会のため野毛へ。

 

僕は多分初めての野毛。

安く美味い酒を食らう。

酒や料理の質もあるかもしれないし

野毛という場所が

そうさせるのかもしれないが

 

なによりも

気を使わない旧友とのサシ飲みは

とても心地よい時間だった。

 

なにより彼女が

”ど” レズ 

であることもあるかもしれない。

 

男友達のような感覚なのに

ちゃんと女子なところもあって

ルックスも決して悪くはない。

 

多分女性がゲイの男性と

仲が良かったりする理由と同じだろう。

 

3件ハシゴし

いい感じに酔っ払って

またの再会を約束しいい時間にバイバイ。

 

久々に茅ヶ崎の元我が家へ帰還。

現住人が眠るなか

そーっとシャワーを浴びて眠りにつく。

 

 

12日

翌日からの移動と仕事の準備をして

夕方から友人と待ち合わせして夕食に。

こちらもそれなりに久々の再会。

 

仕事の話ややりたいことの話

ほんの少し恋愛の話も。

 

こちらも気兼ねない旧友。

2軒回って互いの近況を

さんざん擦り合わせた感じ。

そんなに遅くはなかったと思うけど

早めに閉めるお店だったから

ラストオーダーまでいて駅でバイバイ。

 

 

13日

荷物まとめて電車で鵠沼へ。

登録有形文化遺産の趣のある

大きな友人宅に集まって

毎年恒例の大BBQ。

今年は25人前後集まるって。

 

ただ僕は夕方には

野沢温泉にいなければいけなかったので

昼過ぎまでだけ顔を出す感じ。

 

毎年の恒例行事で

夏の風物詩みたいなもんなのに

僕はここ数年参加できていなかったので

若干スケジュールに

無理矢理感ありながらも参加。

 

冬しか会わない

もしくは冬でもなかなか会えない

そんなメンバーの集まり。

大先輩が多い集まりだけど

いつもアットホームで心地よい。

 

前半戦だけのわずかなにもかかわらず

しっかり飲んで食って

全員が集まる前だったけど

十分に楽しまさせていただき

後ろ髪引かれながらも

電車に乗って野沢温泉を目指す。

 

 

神奈川滞在中

フルフルでさまざまな再会と

さんざんに飲んで食った。

 

そのいづれもが冬のスキーの古い仲。

スキーが僕に与えてくれた別の財産。

僕はこうして生き

生かされています。

ありがたし。

 

そう感じながら

スキーの縁で繋がった方々に

お声がけいただいた

イベントに参加するために

日本のスキーの聖地、野沢温泉へ。

 

ってこう見るとこの滞在中

ほとんど写真も何も

撮っていないことに気づく。

そういう思考が

頭に浮かばないってのはいいことだ。

 

思いが先走る時

そんなこと思い出しもしないのよ。

うまい食事を目の前に

食べてから写真撮れば良かった!

って気づくように。

 

 

 

 

 

できた!

ってことで10日

朝から船のスタンションのベース部の

塗装のやり直し。

 

天気がいいので

塗装作業もスムーズに進みいい感じ。

 

スタンションの取り付けは

中からと外からの

2人体制じゃないと取り付けられないので

翌日に繰り越し。

 

船に積むプランターに植える

食べられる野菜やハーブの苗を探すも

歩いて行ける近くの場所には

良さげなものはなく

とりあえず残り物のようにあった

ローズマリー

モヒートミント

イチゴ

だけ買って帰って植える。

 

翌日からのお仕事の準備して

食材の整理などしたてら

夜20時7分に

翌日のフライトキャンセルのメールが。。。

え。このタイミングで?

 

払い戻しや振替えなどの問い合わせ窓口は

20時までです。と。。。

 

え、じゃぁもう

明日の朝ギリギリに

問い合わせるしかないじゃん。。。

 

と思って焦ったけど

あれこれして

ネットから変更できた。

よかった。。。

 

 

11日

朝から手伝いに来てくれて

スタンションを取り付け。

 

ボルトの穴開ける時に

ドリルが壁のカーペットの

糸引き込んじゃってほつれちゃった。。。

 

ショック。。。

だけど仕方ない。。。

 

スタンションついたし

壁をはめて

ベッド敷いて

部屋を元通りに復旧。

 

よし!!

これで今すぐに修繕しなければ

いけないところは全て修繕完了。

 

まだ出発まで時間あったので

オイル交換しようと

オイルチェンジャーで

上抜きするためにポンピングするも

全然オイルが出てこない。

なんでだ?

と思いながらも

ポンピングが足りないのか?

と必死にポンピングしまくったが

全然ダメでタイムアウト。

 

まぁ、オイル交換だけは

出発前にやればいいか。

とホースを抜く時に気がついた。

オイルの穴の横にある

水抜きの穴にホース突っ込んでた。。。

 

オイル抜けるわけねー!!w

あんなにずっと

必死でポンピングしまくってたのに

マヌケだわ。。。

 

で、片付けして荷物持って

ゴミ出しもしてから駅に走った。

 

13時37分の電車だと記憶していたので

ギリギリ。

間に合うようにダッシュで!!

って駅着いたら

次の電車は59分です。って。。。

 

へっ!??

ってなって前日に調べた

電車の時間のスクショを確認したら

24分発だった。。。

 

ヤババババ。。。。

 

これで予定していたよりも

30分ちょっと遅れて

空港に到着することになる。

 

ギリギリじゃないか。。。

 

とはいえスムーズにいけば

間に合うはず。

 

と思って祈りながら空港の近く

一つ手前の南千歳駅で

接続の電車が遅れているというアナウンス。

電車が到着し乗客が全員乗ってからの

出発になるらしい。。。

やばいやばい。。。

とヒヤヒヤするも。

なんとか無事に間に合うように

搭乗ゲートに辿り着けた。

 

ら、今度はフライト遅延の知らせ。。。

もう、なんなのよ。。。

 

まぁしかし少し遅れたものの

無事に飛行機も飛び羽田へ。

 

さて、数日本州で仕事です。

この仕事から北海道に戻ったら

いよいよ日本海側南下の旅が

スタートします!!

 

 

 

 

 

 

音威子府(おといねっぷ)

んなわけで8日

5時半起きで電車に乗って音威子府へ。

札幌から北へ向かう電車には初めて乗る。

特急「宗谷」

ちょっとワクワクもする。

 

とはいえ電車の中でも頭はヨット。

ヨットの本を読み進める。

 

北海道ではよくある

線路への動物の侵入により

少し遅れて10時50分頃に

音威子府駅到着。

 

一緒にサイクリングツアーをやってる

仲間が道東でのツアーを終えて

この駅で待っていてくれ、合流。

 

こっちでのツアー開催も視野に

ルートを下見しにきたのだ。

 

きっかけはアツい、アツすぎる村長から

リッキー一緒に盛り上げてよ!

手伝って欲しい!

と直々にオファーいただき。

その熱量に

手伝わないわけにはいかない!

と思わさせられたから。

 

村長はお忙しいので

この日は自転車をする後輩の方を

僕らのアテンドにご紹介くださり。

 

その方も

なんとも良い方で

本当に端から端まで

求めていたところ全ての行程を

一緒に回って案内くださった。

ありがたし。。。

 

一通り見て音威子府の宿に。

 

天塩川温泉に入りに行き

そこで夕食も食べて

宿に戻って早々に就寝。

 

 

9日

朝から村内の

観光立ち寄りスポットになりそうな場所を

いくつか見て回る。

砂澤ビッキのミュージアムはよかったなー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして他にもいくつか見て回ったらお昼。

 

昼食に村長が来てくださり

音威子府といえば!の

黒蕎麦にカツとじを乗せた

村長一押しのメニューをいただきながら

あーだこーだ、いろんなお話。

 

蕎麦うまし。。。

 

で、役場の村長室にもお邪魔して

 

 

北海道おといねっぷ美術工芸高等学校を

見てみたいという僕らのリクエストに

アポとってくださり

高校に入らさせていただく。

 

教頭先生がご案内くださったのですが

玄関で申し出ればどなたでも展示物など

入ってみてもらって構いません。

と仰ってました!

僕らも朝に前は通ったけど

流石に学校には入れてもらえないだろう。

と、前を素通りしただけだったけど

誰でも入れるんならこれは行くべき。

 

そして、木工館って

木工の道具、場所、機械や素材まで

全てをどなたでも

安価で使えるスペースまで見せていただき

なんだ。

音威子府って見るとこ

感じるとこ

できること

意外にもたくさんあるじゃん!

って感じでした。

 

お忙しい中、案内くださった村長にも

また来ます!

できれば次はお客さん連れて!

と伝えて音威子府を離れました。

 

南下しながら旭川までのルートも下見。

そして旭川では

すでに問い合わせの入った

冬のスキーとサイクリング、MIXのツアーの

詳細を話し合う時間をとり

遅くなったので晩飯食って

友人とは解散。

 

僕はそこからまた電車で札幌経由

小樽築港に。

 

帰宅したのは0時過ぎ。

シャワー浴びて寝たのは深夜1時頃でした。

 

それでもしばらく

篭りっきりでヨットの修繕ばかりだった僕

良い気分転換にもなった

良い時間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あともうちょい。もうちょいなんだよ。

そんなわけでもう7月1日

もう7月か。。。

 

安くで手に入った造水機の

浸透膜の洗浄作業。

しばらく薬剤を循環させ

機械をとめて薬剤を内部に留め

浸透させる。

 

そのかんに最後の修繕箇所

スタンション(手すり)の

根本の診断が終わり

やっぱりスタンションのベースを外して

大きく修繕した方がいいだろう。

ってことで

ベースの固定されている箇所を

露出させるためにまた壁を剥がす。

 

ボルトは外せそう。

 

だけど外と内で2名は必要だし

まだ作業日決まってないので

この状態で実際の作業日まで。

いつになるかな。。。

 

ヨット会社のみんなは

大きなプロジェクトのため

ヨットのフルレストア中。

見て学ぶ。

 

これがある程度目処立たないと

僕の方の修繕には入れない。

もうちょい待ちですね。

 

 

2日

前日に造水機に浸透させていた

薬液を循環させる。

 

1時間程度循環させる必要があったので

その間に郵便局行ったり

買い出ししたりして

 

船戻ったら薬液抜いてぬるま湯で

フラッシングして完了。

 

友人がマリンジェットの試験で訪れていて

僕のヨットの停泊してある場所で

試験するので見て応援。

 

みんな帰った後に

斜里の女漁師が

以前にマキリ(漁業用ナイフ)を

プレゼントしてくれていて

今度はその研ぎ方を教えてやる!と

なんと砥石まで買ってきてくれて

ご指導いただきました。

本当にありがたい。。。

 

そこから斜里まで帰るってことで

夕暮れ前にバイバイ。

 

天気も良くって

ちょうどいい気温だったんで

僕はそこからデッキで音楽かけて

ビール飲んでまったり。

めっちゃいい。

 

これがしたかったんだよ。と

最近修繕ばっかな日々に

そんなヨットの良さを再確認して

なぜか楽しくなっちゃって

日没して暗くなってからも

珍しく一人で缶ビールを次々と。。。

多分5本くらい飲んだか?

しっかり酔っ払って就寝。

 

 

3日

水曜日でみんな休みの日。

僕もすることはないので多分何にもしてないはず。

うーん。何したかな。

全く記憶にない。

多分なーんにもしてないはず。

 

 

4日

朝から1名のスタッフの友人を

こっちに回してくれスタンションを外す。

なかなか厄介でしたがなんとか外せた。

 

そしていつも積層作業だけは

「俺がやる。」

と言ってくださってる

ヨット会社の社長が

直々に来てくれ削りから

積層、パテ取りまでやってくれた。

 

それだけで気がつけば時刻は18時。

この日ももう終わり。

 

 

5日

朝から削って形を整える。

さらにパテたして

最終的な成形までやって

それでもう昼過ぎ。。。

そこからゲルコートを塗る。

 

乾いたら削ろうと待っていたが

硬化剤の分量が少なかったのか

なかなか固まらず

ソワソワしてウロウロしてたら

それまでに自分が削った粉で

ヨットの傾斜部で滑って

久しぶりに思いっきりすっ転んだ。。。

 

どこでどうなったのかわからんが

手は2か所

なかなか深めに切れてるし

ゲルコートの入ったカップが吹っ飛んでた。

中の塗料がこぼれたらえらいことなので

急いで拾い上げる。


混ぜるのに使ってた割り箸が

吹っ飛んでて

ヨットのコクピットの床に。。。

周辺には塗料が点々と

跳び散らばってる。。。

あぁ。。。

 

急いでカップを拾ったから

怪我してない方の手は

塗料がべっとり手について

手は真っ白だし、ベットベトだし。。。

シンナーで取れるかなー。と

シンナーの一斗缶を傾けたら

バランス崩して注ぎ口外れて倒れて

ドバドバ溢れて足に思いっきり浴びるし

ついてねぇね。。。

今日はもうやらない方がいいかもな。

と思いながらも

早くに先に進めたいから

船に戻って

ただただあたふたして

友人からの電話で

一旦気持ち切り替わり

さて、と思ったら雨が降り出す。

夕立で大雨強風波浪注意報出てたので

ここまでで切り上げる。


あぁあ、なんだかなー。

と思ってたら友人が遊びにきてくれ

ちょっと気が紛れる。

 

飛び散った塗料は

乾いてからなら取りやすいかなー。

どうかなー。。。。

 

 

6日

朝から削り、最後の成形。

そして昼前には削り終え

塗装。

雨降りそうな雲近づいてきて

ヒヤヒヤしたけど

ある程度乾くまで大丈夫で

 

さて、最後にスタンション取り付けるぞ!

ってタイミングで雨降り始め

今日はここまでか。。。

 

雨ついでに鳥のフンまみれだった

我が愛艇を軽くお掃除。

ちゃんとしたお掃除は

出航準備が整ったタイミングで

やることにしよう。

 

雨が止むことを祈り

外の様子を見ながら過ごし

夕方に雨が止み

スタンションを取り付けようと

船に向かい見てみると。。。

 

わちゃーーー。。。

 

いまいちまだ乾き切る前に

雨が降ってしまったせいで

塗装が。。。。。

 

こりゃだめだ。。。

また明日に表面削り直して

塗装し直しだ。。。って

明日も雨予報なんだけども。。。

まぁ、焦ってもしゃーない。

なるようになるさ。。。

 

これからしばらく外出する用事が

あるのでそのフライトチケット取ったり

そんな準備。

 

本当は今頃

その仕事場の近くまで

自艇で南下してると思ったのに

まさかのまだ小樽にいるから

今回は飛行機で帰る。。。

そのチケットをネットで購入して

大体の移動のイメージついてきた。

 

 

7日

昼から雨予報。

朝から再削り。

いい感じに削れ、塗装するか?

と空を見上げるとやっぱり

ドス黒い雲。。。

やめとこ。

 

造水機の日本語訳された説明書

借りてたのを返しに。

コピー取っとく。

 

ついでに食料買い出し

郵便物出して戻る。

 

しばらく前から

「エンジンメンテナンス」って警告出てた

全部やろうと思うと

上架しなきゃできないってことで

作業自体は高くないのに

クレーンで陸に上げて

作業後に下ろすって作業を

マリーナで場所借りてやったら

それだけで20万円かかるらしい。。。

とんでもねぇな。。。

 

でもまだそこまでのメンテナンスは

必要ないだろう。と判断。

最低限オイル交換だけは

した方がいいってことで

その準備。

 

もってない道具や工具が必要になるので

また買うところからだな。。。

って、準備だけして

 

明日からのお出かけの準備してたら

 

友人ファミリーがご来船。

お互いの近況や

それぞれが追い求めるものを

共有しながら乾杯。

良き時間でした。

 

日も暮れて帰りを見送り

この日も終わり。

 

あ、てか今日、七夕やん。

夜、遠くで花火が上がってた。

 

あぁ、まだ修繕終わらんか。。。

あともうちょい。

あとほんと

もうちょいなんだけどな。

 

6月の下旬には

南下スタートさせてるイメージ

だったのだがな。。。

 

 

8日

始発の電車で道北

音威子府へ向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏。修繕の続き。

というわけで小樽に戻りまして

21日

買い出しして戻ったら

フロントガラスの割れ部を

レジンで補強。

 

いまいち綺麗ではないけど

全交換は大変すぎるので

しばらくはこれで我慢しよう。

 

ひょんな流れで新たに手に入った

造水機の取り付けのための下準備

 

塗装まで。

 

 

22日

まさかの

サーフィンできるくらい波あるらしい

ってことで海に。

 

そんな予報なかったのに

なかなか良かった。

 

んで戻って午後から作業続き。

ニスとか買いに行って塗って

 

防舷材を船体の微妙なカーブに合わせ

じわじわ削り寄せていく

 

交換した窓の窓枠をはめる。

 

 

23日

窓枠の一部ビス穴の

トラブルがあったところを加工して

ビスいれて、右窓の入れ替えは

これで完全に完了。

 

造水機の下地材をセットして

造水機もそれに固定。

 

僕のサーフボードをあげた後輩から

ウェットも全部揃ったから

海行く時は連れてって!

って連絡あったので

夕方から波を求めて走り、入水。

 

1年で一番日が長い時期。

夕方からでも十分海に入れる。

帰着したら21時だった。

 

 

24日

朝から強めの通り雨。

止んだくらいから作業開始

手元にある取り付けるべきパーツを

全て設置完了。

 

あとはホースの配管と電気の配線。

 

電気とかマジで苦手。。。

ボルトとかアンペアとかワットとか

プラスとかマイナスとか

意味わからん。

 

ホースの配管は

かつてサーフィンの先輩のいる

水道設備の会社でしばらく長く

働いていたこともあり

すぐイメージできるんやけどな。

 

とりあえず、電気の配線イメージを

ヨット会社スタッフの友人に教えてもらい

イメージ固めて

電気経路組むのに必要な資材を求め

ホース配管に必要なものと合わせて

ホームセンターに。

 

普段電気関係のコーナーに

足を踏み入れ入れることも

あまりなかったため

ケーブルや継手に

こんなに種類があるのか。。。

と必要な情報不足で

もう一度ヨットに戻って調べて

またホームセンター行って

帰ってきてある程度進めたら

あ、あれ必要や。

とかで何度も往復。。。

全然進んだ気がしない日。

 

だけど時間をかけて考えれば考えただけ

知識は積み重なり

イメージは固まっていく。

そんな日。

 

 

25日

最近北海道は寒くって

よく眠れる。

暖房必要なほどです。

本州は激暑みたいだけど

やっぱ北海道ってすごいね。

 

で少しゆっくり目に起きて

作業開始。

前日に固まったイメージを形に。

狭い場所での設置、配管&配線で

かなり時間かかりましたが

大きな問題はなく全てセット完了。

 

通電させて稼働させてみる。

と、最初はいまいち動かない。

すぐに接触であることが判明。

狭いところでの配線だったので

若干無理あるかなー。て

思ってた場所だったのですぐに特定できた。

そしてすぐに改善できて
サイドスイッチオン。

それでも海水の汲み上げが

パワー不足なのか?

しばらくうまくいかなかったけど

あーだこーだしてたら

うまく吸い上げてくれるそうになって

しばらく様子を見る。

しばらくそのままにしていたら

バシュッッッ!!って音聞こえて

クリーニングバルブなる場所から

水漏れが。。。

そこからは何をしても

その場所から水が漏れてくる。

結構な勢いで。。。

多分中のシーリングか何かが

キレて漏れてきてるんだろうな。。。

さっきの

バシュッッッ!!って音からして。。。

 

しかしその場所は

「Do not Adjust」

って書いてあるし

説明書見ても

「Factory preset」と記載あって

分解不可。

 

え。直しようないやん。。。

って感じで不安が広がる。。。

 

が、とりあえず現状はこれ以上できることなし。

そこまでこの日の作業は終えて

夕方に波の様子を見に海に行くも

いまいちなコンディション。

しかも寒いし。。。

ってことで入らず帰宅。

 

 

26日

この日はヨット会社の休日。

僕もできることはほとんどやったので

することないし休みにする。

特に何するでもない日。

 

食材買い出しに行ったついでに

釣具まとめるためのケース買ったり

船上家庭菜園用に土買ったりした。

でも北海道はまだ寒くって

植えたいような苗も売ってない。

しばらくは土だけのプランターかな。。。

 

 

27日

しばらく沖縄のヨットレースに

出かけていたヨット会社の社長が

戻ってきていて

同じものを使っているという

社長にこの水漏れのこと聞かないと

どうしたものかわかんないし

 

あと船自体の修繕も残すところ

スタンション根元の割れだけなんだけど

ここも社長自ら「俺がやる!」と

おっしゃってくださったので

 

その作業してくださるのを

ただ待つだけの日々になりそう。

まぁ、細々とやれることはあるので

そういうことやっていきます。

コーキングとか掃除とか。

 

あとは南下に向けて

情報調べたり

こういうのあったらいいな。って

ネットーサーフィンばっかしてます。

 

夜はひっさしぶりに居酒屋に。

いい感じで酔っ払って帰宅。

 

後酔った勢いで

購入を迷っていたものたちを

全てポチってしまいました。

 

 

28日

前日の勢い任せのネットショッピングに

ちょっとゾッとしながらの朝の時間。

 

ヨット会社のボスと

今後の相談。

 

船で細々した片付け作業してたら

キャンピングカーで旅してるって

おじさんがやってきて

ヨットもやってるそうで

先輩セーラーとヨット談義。

船内も見ていかれました。

 

横浜のベイサイドマリーナに

2艇停泊させてるらしいので

そっちに帰った時は乗せてもらおう。

 

 

29日

朝からヨットボスの家に

1年ちょっと放置されていたサウナキット

このタイミングで組み立てるぞ!

と号令がかかり

お世話になりまくりの僕は

もちろんお手伝い。

 

この日からいきなりクソ暑い

夏モードに入った北海道。

 

そんな中、着々と。

 

 

 

ランチにはカニをザルいっぱい。。。 

 

それに夏らしくそうめん。

薬味のチョイスも贅沢に並ぶ。

 

んで続きして

それでも完成には至らず。。。

翌日に持ち越し。

でもあともう少し。

 

この日から毎週土曜日は

花火が上がる小樽。

美し花火をありがとう。

 

こういう時に

一人ぽっちは盛り上がりにかけますが

それでも夏の風物詩。

季節を感じるし

美しいものは美しい。

 

 

30日

この日も朝からサウナ作り。

昼頃にはほぼ完成。

 

ランチ後に最後の仕上げして

 

甘いメロン

 

さらにはスイカまでいただき

 

解散です。

 

ってもう6月も終わってしまった。。。

6月中には南下スタートする

はずだったのに。。。

 

ま、しゃーない。

ヨットってそういうもん。

時間かかるし

焦っても仕方ない。

いつもせっかちの僕は

そういうメンタルが

この1年半で鍛えられた気がします。

 

とはいえ、早く出たい!!

 

 

 

 

 

片付け

そうして17日

この日に祖父母の家の庭の

荒れた庭木たちの手入れをしよう

って叔父&叔母と話をしていた。

 

が僕が福井の海に用事があること

も知っていて

たまにしか帰ってこないし

せっかく海に行くなら

いい機会だから

僕の母と一緒に海に行ってから

祖父母の家に手伝いに来て。

ということになった。

 

で、朝から福井の海に。

往復だけでもなかなか時間がかかるが

用事自体はサクッと終わり

帰路に鯖街道の熊川宿に寄り道して

 

サバを食って

昼過ぎに祖父母の家に。

 

すでに庭木はほぼほぼ切り終えられていて

落とされた枝葉を袋に詰める作業。

パンパンになった大量の袋を

分て車に積み帰路へ。

 

帰宅後車屋さんから

外れてたクリップ届いたってことで

車で出かけパチっと瞬殺して帰宅。

 

もう夜。

 

 

18日

祖父母の家の片付けは

一旦ここまでということだったが

実家の家が荒れ放題。

居場所もない。全く落ち着けん。

実家の片付けをせねば。。。

 

ってことで母と僕の部屋を

入れ替え引っ越し。

というか本来の元の部屋割りに。

僕が一時結婚したときに

嫁が実家に来ることもあり

親父がいた頃に(トンと昔だが)

両親が使っていた一番大きな部屋と

入れ替えてもらっていた。

 

が、僕ももう一人だし

住んでるわけでもないのに

一番でかい部屋。

母には元々僕が使ってた子供部屋。

 

そこに収まらないものが

1階のリビングに溢れかえっていた。

婆ちゃんの面倒を見るのに

婆ちゃんの荷物とかもあったりして。

 

ので、まずは部屋を入れ替える。

これだけで1日がかり。

 

途中、荷物の整理しながら

カナダから実家に届いていた

カナダの雑誌にも目を通す

 

2022年と2023年の雑誌。

ここに僕がカナダアラスカを

旅した時の写真が使われていて

カナダに住むカメラマンの

友人から届いていたもの。

 

懐かしい。

これはストームにあって

雪洞の中で過ごした夜の写真。

 

これは多分

初めてのアラスカトリップの時に

友人のタコマのキャノピーの中に

体を押しこんで過ごしていた時のもの

 

いいな。

また道の土地に旅に行きたいな。。。

 

コロナ禍が長引くと判断し

国交が遮断されている世の中でも

俺は自分のヨットで世界を回ってやる!

と思ってヨットをゲットして

思いのほかコロナの終息は早く

国交も回復。

それでもコロナ明けの初海外は

自分のヨットで!!

って決めちゃったから

今年もアラスカでの撮影も断ったし

東南アジアの旅も誘いも断った。。。

インドネシアに

サーフトリップにも行きたいのに。。。

自分で決めた

初海外は自分のヨットで!!という

目標は早く達成して

自分の取り決めからの

拘束を解かれなければ。

 

部屋片付けの続き

捨てたらるものも捨てて

引っ越し完了。

 

 

19日

この日も片付けの続き。

今度は外の物置もちょろっと片付け

今後いなくなってから

自分で片付けが進められるよう

大物だけは動かしておいた。

いつかわからんが

次、実家に帰ってきたら

もう少し落ち着ける空間に

なっていることを願う。

 

夜は高校時代の友人が僕に会いに

実家のバーに飲みにきてくれた。

みんなそれぞれ

いい意味で年取ったな。

しかしめちゃくちゃ話したなー。

同級生のやってる代行も呼んで

あー楽しかった。

 

なんかやっぱり

青春時代を共に生きたって

大きなことやな。

 

思いのほか結構酔っ払って帰宅。

 

 

20日

酒が残ってる。

荷物をまとめる。

母に駅まで送ってもらい電車で関空へ。

 

電車の中でメッセージ。

航空会社からフライトの

1時間遅延が告げられる。

 

元々結構早めに家を出ていたので

これでは空港で

かなり待たなくてはいけない。

ってことで、途中で降りて

新世界をうろつき時間調整。

 

それでも早めの到着。

そこからも予定時刻が近づくごとに

遅延のアナウンスが入り

さらなる遅延と

元々は14時10分発のフライトが

最終的には17時15分発に。。。

 

とっぷり夜も暮れた頃

ようやく北海道、小樽に戻れました。

 

さて、残りの修繕作業を進めて

早く南下したい!!

 

 

 

 

 

生まれ、絶え、引き継がれ

そうして16日

目が覚めるとまだ3時。

眠れない。

結局そのまま眠れずにいたので

5時半には動き出して大阪駅に。

早い時間だけど電車乗って地元に。

駅から歩いて帰り喪服などを探す。

 

どうやら喪服は実家じゃなくって

茅ヶ崎の旧我が家に置きっぱなしのようで

思ってた黒のスーツはなかったけど

高校の時か?に買ってもらった礼服があった。

体型も全く変わってないので問題なく着れた。

ネクタイもあったけど靴がなくって

多分兄貴のだと思われる黒の革靴で。

 

母と車で斎場に。

婆ちゃんは100歳だとは

到底思えないほどに皺もなくツヤツヤで

本当にキレイで

とってもいい顔をして眠っていた。

 

爺ちゃんが昨年100歳になる10日前

99歳で永眠し

それから約1年と5ヶ月後に

婆ちゃんも100歳と4ヶ月で。

 

ありがたいことに最近

京都周辺での仕事が多かったので

ここ数年の中では生前の祖母に

一番会えていた。

先月に最後に会った時は

もう生きていながら

その生命としての機能は明らかに衰退し

ほとんど眠っていたし

もう”その時”が近いことはわかっていた。

 

きっと、そのまま

そんなふうにして

生物としての機能を緩やかに止めていって

深い深い眠りについたんだろう。

 

斎場には従兄弟の家族や

まだ2歳前後の俺の甥っ子や

姪っ子にあたる子たちも参列。

 

去りゆく命と

今輝き始めたばかりの命。

引き継がれた遺伝子。

 

こうして世代は移り流れていくのだ。

 

僕も”引き継ぐもの”として

他にはあまり見ないくらい自由に

伸び伸び生きることができてると思います。

おかげさまで。

 

しかし俺も爺ちゃん婆ちゃんに

ひ孫を見せたかったもんだ。

叶わぬ思い。

 

こうして親族に葬式で

ってのは残念だけど

しかしこういう時でもないと

会う機会もなくなってきたし

ある意味では良い機会だったと思う。

 

その後は一般的な葬式の流れ、火葬。

なんとも無機質な流作業でことは進み

ベルトコンベアでステンレスの火葬炉口へ。

あっけなく扉は閉められる。

 

許されないんだろうけど

僕は死んだら土葬してほしい。

その上に桜の木でも植えて

年に一度春に集まって酒でも飲んでほしい。

それが理想。

まぁ、人間が作った

よくわからん法律やなんやで
無理なんだろうけど。

死んだ後も法律に縛られるなんてね。。。

 

なんだろう。

婆ちゃんがいなくなったことに

寂しさはあるけど

苦しまずに永眠についたと思うし

それほど悲しくはない。

それに生前、数年前から婆ちゃんは

 

「もうただただ毎日を生かされてるだけで

早よお迎え来たらええのにと思てんねんけどな。

あぁ、今日もまだ生きてたわ。」

ってよく言ってたし

本人もきっと悔いはないんだろう。

 

僕はまだまだやりたいことだらけで

死にたくないし

死に対する恐怖心しかない。

いつか婆ちゃんのようにそう思って死ねるなら

それはそれで幸せなことかもしれない。

 

しかし婆ちゃんちっちゃくなったな。

 

なんて思いながらみんなとお別れし

母と帰路に。

 

母もここ数年は自分のお店と

婆ちゃんの世話と大変だったろう。

うちの場合それに兄貴の面倒もまだ母が見ている。

本人も十分な老体でいろんな病気を抱えながら。。。

お疲れさんでした。

 

きっと母にとっては自分の母親だから

悲しいのは悲しいだろうけど

少し肩の荷が降りて

ホッとしているところもあるのかもしれない。

 

家の近くの近江牛のレストランで豪勢な夕食。

 

お疲れさん会みたいなもん。

やっぱ近江牛はうまい。

 

こうして婆ちゃんの葬式は終わった。

 

しかし祖父母には本当に本当に

お世話になりました。

改めて深く感謝を。

ありがとうございました。

 

天国で爺ちゃんと婆ちゃんが

会えていますように。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

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