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出稼ぎ準備

 

そうんな感じで19日

体はとっぷり疲れているのに

回航のリズムが染み付いていて

4時過ぎには目が覚める。

それでも勿体無いから7時過ぎまでは

目を閉じて薄い意識のある中

浅い眠りを繰り返す。

 

船の荷物を下ろしてきて

余った食材で朝食を取る。

 

あまり何もしたくない。

一つ何かしたら

ゆっくり時間を置いて

また次の作業。

そんな感じで

しばらく離れていたPC作業したり

次の移動の準備したり。

 

夜はお世話になっている

ヨット会社の社長さん宅に

お招きいただき

夕食を振舞ってもらう。

全て美味かった。

最近獲れたというマスが激うまだった。

メインはラムしゃぶ。

 

お酒もいただき

ヨットの話もたくさんする。

学ぶことしかない。

 

いい時間になり

そのまま泊めていただく。

 

 

20日

届いた荷物受け取って

数日船を離れる前に

最後の掃除。

 

郵便物を出し

必要なものをいくつか購入し

スペアキーを作るための

情報を手に入れ

 

夜にフェリーに乗るので

その中で食べるものを

南樽市場に買いに行き

 

夕食を食べ

温泉に入りに行き

友人にフェリーターミナル

に送ってもらう。

ヨットから降りても海旅。

 

23時半に小樽港を出港。

 

いつもフェリーに乗っているが

初の小樽ー舞鶴間の利用。

しかも、車なしで乗船するのは初。

 

舞鶴に到着したら

今年一発目の

自転車でのツアーが始まります。

 

 

初航海(函館ー小樽)

そうしていよいよ15日

朝4時起きで準備し

5時すぎに出航。

 

ヨットを軸にした

生活がしたいと思って3年。

ヨットを手に入れて1年半。

修理・修繕を繰り返し

まだ水漏れ箇所もありますし

ここをもっとこうしたい。

なんて思いもたくさんあり

”完成”とは言えませんが

 

いや、ヨットに完成なんて

ないのかもしれない。

 

とさえ思うほどですが

それでもようやく

ようやくこの日を迎えました。

 

まぁ、いちど

僕のこの船は

小樽から函館まで運んだので

この船にとっての初航海ではないですが

そのときは

僕は操船のお手伝いをする程度で

ほぼ何一つ自分で判断はしていなかった。

 

しかし今回はようやく

自分の判断で

自分の責任において

自分の船を操船し

自分でセットした目的地に向かう。

という段階に。

 

正直ドキドキです。

 

この日は流れの強い津軽海峡を

日本海側に出るというミッション。

多くの場合

風と潮が向かいから来て

船の前進を阻まれる海域。

いきなり難しめ。

タイミングが重要で

この日は風もほとんどなく

潮の流れもかなり弱まる日。

なので、この日に出たかった。

その後の行程日数と天気を見ても

この日しかない。

 

ってことで風もないので

この日はほぼセールは使わず

エンジンのみの機走です。

 

4時間ほど走ったところで

イルカの姿を見かけた。

 

あー!

なんて騒いでしばらくしたら

船のすぐ近いところに現れた!

 

そして船の周りで遊ぶように

並走してくれる。

カマイルカだった。

 

船首のところで

海の中から

僕たちの顔を覗き込むように

横になってこちらを見て

あっち行ったりこっち行ったり

飛び跳ねたり。

 

その場所では

思いっきり向かい潮で

3ノットをきってしまっていて

本当は進路を少し

岸に近づけたかったのだが

彼らとの時間が素晴らしすぎて

そのまま走り続けた。

 

約2時間くらいだっただろうか

こちらが危害を加えないことを理解すると

彼らはどんどんこっち近くで

より我々を意識してダンスをしてくれた。

 

風もないことで

水面はガラスのように透き通り

その姿がくっきりと浮かび上がり

透明度が高いので

イルカがまるで

空を飛んでいるのかと思うほどだった。

 

イルカと一緒に並走する。

それはまさに

僕が自分のヨットで

体験してみたいことの一つで

その一つが初日に叶った

夢のような時間だった。

 

 

その後さらに7時間ほど走った頃

ちょうど日本海へと抜ける

松前灯台あたりで

思いっきり向かい潮。

全く船が進まない時間帯があり

向かい風もあったので

その風を利用して抜けようとしたが

それもうまくいかず

ヒヤヒヤとした。。。

 

それでもなんとか乗り切り

夕陽を横目に

この日定めたの目的の港へ。

 

到着した時には

もう暗くなりかけていた。

 

漁港の入り口に

漁り火を灯した漁船があり

僕たちのヨットが入るのを見て

仲間に連絡が入ったようで

地元漁師の方が

停泊させる場所の指示と

舫を取るために

駆けつけてきてくれた。

 

着岸はイマイチうまくいかなかったが

それでもまぁ、とにかく着岸し

あらかじめ営業時間を

電話で確認していた

ガソリンスタンドに

空になったタンクを2本持って

燃料を確保する。

 

夕飯を食ってシャワー浴びて

即就寝。

 

約14時間

50マイル程度の航海。

 

 

16日

夜間に強風が吹き荒れる。

朝も少し残る予報だったので

この日は前日よりも1時間遅く

5時に起き6時前に出発。

出発早々から

カマイルカの群れが遊びに来てくれた。

 

その後

わりといい風が吹いてくれ

機帆走

時にはエンジンもとめて帆走のみでも

走ることができ

いい時で7ノットほど出た。

 

そんな感じで

全体的に割といい風を使うことができ

 

17時過ぎには瀬棚港に入港。

 

ネットの情報で

確認していた場所につけ

歩いて温泉に。

 

そして地元のお店を探して入る。

 

ほとんどどこも開いてなくって

唯一見つけた

”ど”ローカルなお店に入って

夕食&乾杯。

 

歩いて船に戻り、就寝。

 

約12時間

63マイル程度の航海。

 

17日

夜間、雨風強かった。

4時半起きで北上開始。

 

朝のうちは風が少し残り

いい感じでセーリングもでき

しばらく行くと

イルカちゃんたちもよってきてくれて

いいスタート。

 

その先、寿都にある弁慶岬は

風が吹くことで有名。

松前で出会った漁師さんも

「弁慶岬だけは気をつけろ」

と言っていた。

 

いくつかのアプリで予報を確認しても

悪くない状況だし

朝から海の気象通報を確認するも

弁慶岬で5mとのことだったし

楽勝だろう。と

その岬に近づいた。

 

近づくにつれて

ちょうどいい感じの風も吹き始め

こりゃ調子いいぞ。と

メインもジブもフルセールで

その岬の前を通過。

 

これはこのまま

いい感じでいけるんじゃないかな。

と期待。

 

でも地形から見て

この先からが

一番注意が必要。

気を抜かないようにしておかないと

と、話をしたその直後から

風強まり、波もバシャバシャ

雨も強めに降り出して

一気に荒れ模様に。。。

海況の急変に

それまでのお気楽ムードから

一気に窮地に立たされた感覚で

必死でした。。。

 

セールの面積を小さくし

風を逃すように走り

どれくらい格闘したのか。。。

なんとか乗り切った。。。

怖かった。。。

 

山での怖い状況って

自分の判断で

その中でできることを探せるし

避けることもできるし

待機することもできるし

引き返すこともできる。

 

でも海ってその場で

そんな状況に出会うと

その中でできる最善な状況を保って

あとは祈るしかない。。。

頼む。乗り切ってくれ。。。って。

 

でもまぁなんとか乗り切れて

その後は穏やかな海を越え

 

16時頃、クタクタな状態で

 

この日の目的地神恵内に。

 

漁師さんに声をかけ

役場で停泊許可をもらい

小さな商店でお惣菜を買い

タンク2本分の燃料を買い足し

船に戻って夕食。

シャワーを浴びて

疲れ果て、即就寝。

 

 

18日

4時起きで海峡を確認する。

この日の危険箇所

積丹半島の回り込みで通過する

神威岬の情報では風速10m。。。

え。無理でしょ。。。

 

他のアプリではとっても穏やかな

いい状況を示しているのに

実況で10mとは。。。

 

20日まで日程的な

ゆとりを持たせていたものの

翌19日も翌々日の20日も

強風で動けそうもない。

そうなると

予報を信じて

とにかく船を進めてみるしかない。

ダメなら最悪はその手前の漁港に

逃げ込むとして

海況の確認を続けながら進め

その場所に近づく2時間後頃に

改善されていることを祈るしかない。

霧も濃い。。。

 

と、近づくにつれ霧も晴れ

 

徐々に風は弱まった情報が入ってきて

そのまま岬を回り込むことができた。

よかった。。。

前日に海の怖さを思い知らされたので

ヒヤヒヤしたよ。。。

 

むしろとっても穏やかで

拍子抜けするくらいでした。

 

積丹半島を回り込み

静かな海を

微風の追い風をもらいながら進む。

 

するとまたイルカたちが姿を現した。

しかも見てると

あっちにも!こっちにも!

いや、あっちの方にも

あの奥にも!と

気がつけば見渡せる限りの海を

無数のイルカの大群が埋め尽くし

とても雄大で壮大な体験でした。

 

そこから霧はまた濃くなり

岸の見えない

真っ白で静かな海を進み

途中では海に浮かぶアザラシの

すぐ脇を通り過ぎ

 

今回のゴールである

小樽に近づくにつれ

イワシの死骸がたくさん流れて

それにより海の色も濁り

ところによってはイワシ臭く

 

雨によるものであろう

流木を避けながら

15時頃には

なんとか無事に小樽港に入港。

ホッとした。。。

 

友人には同乗して貰ったが

全ては自分の判断で操船し

4日間の回航を

無事達成することができたことは

少なからず自信にもつながった。

危険を感じる経験を得たことで

今後、より慎重にもなれるだろう。

 

この先、利尻島までは

あと2〜3日間もあれば

たどり着けるだろう。

 

ここから僕は一旦本州に戻り

出稼ぎをしなければいけないので

この海の旅の続きは

4月30日以降になってしまう。

 

利尻では

雪が急速に溶けている

という情報なので

辿り着けたところで

元々の目的であるスキーは

できるだろうか。


芯まで蓄積した疲れを感じながら

4日間僕をここまで

つれてきてくれた僕の船を

しっかり洗ってやり

エンジンの冷却のための

海水の吸い上げが

うまくいってなかったのを改善し

不要な荷物を運び出した。

 

同乗してくれた友人と

温泉の銭湯に行って

 

焼肉で軽く打ち上げをして

 

お世話になっている

ヨット会社の持つ

事務所に泊まらせていただく。

深く、泥のように眠りの底へ。

 

 

 

 

 

 

海旅準備

そんな感じで13日の午後に

函館到着したらすごい霧。

 

天気や風を見て出航日を決めたけど

霧ってのがあったな。。。

 

僕が出航するときは

濃い霧がでませんように。。。

 

と祈りながら自分の船に戻り

出航のために諸々準備。

荷物積み込んで

巻き取りホースを買い

燃料タンクもって何往復も。

食材の買い出しもして

温泉入って就寝。

 

 

14日

ランドリーで洗濯もして

水を満タンにして

最後の燃料足して

窓も水漏れ箇所を

応急処置的にシールして

 

10時ころ車で小樽に向けて出発。

どうしても

他で手に入らないものをとりに小樽に。

そして車を先に回しておく、という作業。

 

約4時間かけて小樽に到着。

小樽のマリーナの中は

とんでもないイワシの群れで

埋め尽くされていました。。。

 

そしてそれを求めて

カモメたちが溢れかえってました。

 

必要なもの手に入れたら

今回同乗してくれる

カメラマンの友人と合流。

 

そこから電車で函館に戻ります。

なかなかいい方法見つからなくって

2人で大きな荷物持って

色々調べて各所電話して確認して

って、いつも旅慣れた北海道なのに

まるで海外に

バックパッカーに来たみたい。

で、最終的に電車乗って7時間。。。

 

北海道ってデッカイな。。。

函館の友人が駅まで迎えにきてくれ

ギョウジャニンニクの差し入れも。

ありがたし。

 

出航前夜、時間も時間なので

温泉入りたかったけど

全部終了してて入れず。。。

夕食だけ食べて船に戻る。

 

翌朝からの航海のイメージを共有し

船でシャワー浴びて就寝。

 

さて、翌朝からはいよいよ

自分のヨットで

全てが自分の直感と判断が頼りの

海の旅が始まる。

 

ヨットを軸にした

生活がしたいと思って3年。

ヨットを手に入れて1年半。

ようやくここまできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりづくし

そんなわけで12日

荷物の準備とパッキング。

 

美容室を営む同級生から

「あなたどうせ髪切ってないだろうから

そろそろ切ったら?うちきなよ!」

 

と。数日前に連絡きていた。

年に2回くらいしか髪切らないけど

切ってもらうときは最近はここ。

 

数駅隣なのでちょっと面倒で

行けたらね。

と伝えても

 

「なんでよ!来なよ!」

なんだったら

切らせろよ!

くらいのいつものメッセージ。

 

まぁ、荷物も

思ったより早くまとまって

他にやることもないし

と、久しぶりに髪を切りに向かった。

 

確かに。ボサボサだ。

 

で、こうなって

 

こうなった。

 

しっかりお代は請求されるのだから

新手のキャバクラみたいなもんですね。w

ただ内容は

彼女がひたすら喋り続ける

最近あったことを聞いてあげる。

という逆の立場ですが。w

 

ま、切りどきだったし

強引にでも誘ってくれなければ

なかなか切らないし

サッパリしたし

ありがたし。

 

帰宅し

これからの構想を練り

ひとり夕食を食べに出て

帰宅してシャワー浴びて就寝。

 

の、ちょうど就寝しようかって

タイミングで

現住人の後輩が帰宅。

明日は3時半起きで海に行くという。

 

今回のこのタイミングでは

チャリで行ける範囲に波はなさそうだし

車もないしサーフィンは無理かな。

なんて諦めていたのだが

これはチャンス!

ってことで

俺も!!って乗っかった。

 

すぐ出られるように車に荷物のせて

さて寝るか。

このときすでに

日付が変わる少し前くらい。

早く寝なきゃ!

 

 

13日

仮眠程度

3時間半後に起きて

湯河原に。

 

思ったより波がある。

 

ボードはいい板が

数本ストックしてあるので

問題なかったが

 

僕の温かく状態のいいウェットは

北海道に置いてきた。

 

この家に置いてあるのは

かなり古く

ネオプレンも硬くなって

穴だらけのものしかなかったが

これしかない。

まだ朝は寒いし、水は冷たい。

耐えれるだろうか。。。

 

と入水。

お、イケるじゃん。

と思ってたんですが

1時間もするとガクブル。

しかも5ヶ月ぶりのサーフィンだったので

肩ももう上がらない。

 

こりゃダメだ。と

1時間で海から上がった。

ま、サーフィンはじめ

ちょうどいい肩慣らしだろう。

 

そしてみんなも上がってきて

帰宅。

そのまま駅まで送ってもらて

電車で羽田空港。

 

函館へ。

 

今度は自分の船で航海です。

天気と潮、風的に

15日に出航したいな。

目的地、そして目標は利尻でスキー。

 

やれんのか!?

 

 

函館ー横須賀、回航記。

そんなわけで4月5日

日の出とともに準備して出航。

 

 

昼には津軽海峡横断完了。

尻屋崎を回り込み

 

太平洋に出て南下開始。

 

日没前に

六ヶ所村の核燃料再処理施設前を通過

 

日本はいつまで原発に依存するのか。

廃棄の仕方もわからない

リスクの高いものに縋り付くとは。。。

自らの首を絞めるとはこのこと。

 

その後日没。

 

 

 

 

6日

岩手、宮古沖で朝を迎え

本州最東端、魹ヶ崎を通過。

 

釜石を通過し

16時前に大船渡港に入港。

買い出しをして

お風呂入って

船で夕食食べて

就寝。

 

 

高い防潮堤で囲まれ

海と人の営みとが隔絶された。

災害後の人々がまとまって

声を上げられないほどに

生きることに精一杯だった

そのタイミングで

有無をいわせず

セメント業界と建築ゼネコンと

国を明るい未来にハンドリングするべき

政治家たちで築いてしまった防潮堤。

 

誰も喜んじゃいない。

地元のおじさんの言葉に

居た堪れない気持ちになる。

 

 

7日

日の出とともに出航。

港の外は大荒れスタート。

少し沖まで出して

ようやく耐えれる程度の揺れ。

そのまま南下し

金華山と本土との間の水道を抜け

 

強い向かい潮を受けながら

夜の帳が降りる。

 

 

8日

雨降ったり止んだり。時折土砂降り。

虹も出て

 

暗くなる前に大洗港入港。

買い出しして温泉入って

桜前線まで南下したので

春を感じながら就寝。

 

 

9日

暴風雨。

停泊な日。

 

大洗在住の友人が

ウェットを持ってきてくれて

それを着て

プロペラに絡んだゴミを潜ってとる。

 

サイズでかいし空気入りまくって

浮力ありすぎて潜るの大変だった。w

 

夜は大洗ナイト。

寂れた商店街で飲んで食って。

 

心地よく就寝。

 

 

10日

朝から出航。

しばらく出たら大荒れ。

空気も冷たく、体が芯まで冷え

今回の回航で一番気持ち悪くなり

途中少し横になる。

 

それでも難所を越え

銚子の先、犬吠埼を回り込み

一旦、外川の漁港に。

 

風や潮、危険箇所通過の

時間帯を考え時間調整。

早めの夕食を食べ一休み。

 

ちょっとお散歩。

のぞき岩

 

犬岩

 

日没頃に再出航。

千葉県沖で夜を迎え、走る。

 

 

11日

夜明け頃

 

野島崎を通過し

 

 

洲崎を回り込めば東京湾。

 

タンカーなど大型の船に気をつけながら

これを横断して

見えてきました三浦半島。

 

城ヶ島との間の橋の下を通過して

 

もうすぐ目的地のマリーナ!

って流れでしたが

13時以降に入港してくれ。とのことで

マリーナの前の沖合

ベタ凪でポカポカな海を

しばらく漂流しながら

ランチして

船の片付け&掃除をして時間を潰し

潮が上げてきたタイミングで

目的のマリーナに。

 

14時半頃にもやいを取って

無事上陸。

 

荷物をまとめて

発送物は発送し

バタバタな状況で

お迎えの車に荷物詰め込んで

近くの駅まで。

 

そこから北海道に帰る人

沖縄に帰る人。

僕は久々の茅ヶ崎に帰ります。

 

クタクタなんだろうけど

神経が研ぎ澄まされてて

目がバッキバキの状態で

電車に乗り込んだ。

 

久々の陸移動。しかも電車。

 

きっと一般的には

これが通常の世界なんだろうけど

北海道から7日間

海の上で過ごしながら移動してきたので

逆に別世界に感じるヘンな感覚。

 

久しぶりの元我家の最寄駅に降り立ち

 

歩き慣れた道を歩いて帰る。

 

桜並木に春を感じる。

 

疲れ切ってるはずだけど

体は動く。

 

久々の我が家の雰囲気は

自分の好みに作っただけあって

やっぱ相変わらず落ち着くし、いい。

 

荷物広げて洗濯物回して

シャワー浴びて夕食に出かける。

 

たまに帰ると食材はないし

数日の滞在に買い出しもできない。

必然的に外食になるが

近く歩いて行けるところに

お気に入りのお店が数軒あるから

今回も例に漏れず。

 

”お腹いっぱい”を

通り過ぎるほど食って、帰宅。

 

すぐ倒れ込むつもりだったのに

体は疲れているのだが

意識が冴えていて眠れない。

 

この先1ヶ月くらいの予定を

イメージして

荷物を準備して

フェリーや飛行機など手配。

そうこうしてると

今この家に住んでくれている

後輩が帰宅し、ちょっと会話して

そのまま就寝。

 

そんな1週間。

 

飛行機で飛べば

北海道から東京は1時間半。

 

今回のヨットで

風の力も借りながら

エンジン回しっぱなしで

7日間。

到底、効率が良い移動だとは

言えないかもしれないが

ただの移動ではなく

それは意味のある移動となる。


レジェンドたちとの回航は

学びが多く貴重な経験となった。

 

昔の人々はエンジンもない船で移動し

漁をしたり貿易を行い、移住し

ってすごいことだな。本当に。

 

僕のやりたい理想

住み心地のいい暖かな南の島で

大きな移動はほとんどしない

お気楽ヨットライフ

とは少し違った感じで

 

とにかく移動をしながら

夜も2時間交代で止めずに走らせ

睡眠時間も細切れな日々。

食事も揺れてりゃ食えないし

なかなかハードなヨットでの回航。

 

ヨットって

すごく両極端な性質を持っているなー。

と。

 

でもどちらも

自然をモロに体感し

自然に完全に合わせていく

そんなリズムと感覚。

 

これからはもっとそこに身をおいて

もっと自然を感じ

自然に振り回され

一喜一憂させられる。

そんな人生を歩もうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山から海へ

そんな感じで迎えた4月1日

朝起きたら外は

4月とは思えないような

軽い雪が降っていた。

 

前日のフリースタイルレッスンでの

無理が祟ったようで

右股関節の痛みがひどく、辛い。

が、痛み止め飲んで

耐え凌ぎながら

退去に向けてボチボチと片付け。

使ったスキーにワックス入れたりして

荷物もまとめ

車に積むものは積み

ある程度整ったけど

食材が少し残っていたので

この日もトマムに残り

食材整理。

 

2日

最後の食事をして

食材もほぼちょうど使い切り

最後の荷物を運んでトマムを出発。

 

向かうのは

マイホームが係留されている函館。

 

昼過ぎに到着し

友人のカレー屋でランチして

久々の我が家とのご対面。

 

越冬用にカバーしていった

ブルーシートはボロボロに。。。

 

シートを剥がし

冬前に失くした

中に入るためのドアの鍵を探す。

もしかして鍵かけたつもりで

ドアに差したまま忘れて行ってないか?

と期待したけど、それもなく。。。

入れないので天井のハッチを開け

そこから。。。

 

キャビンの中を点検すると

フロントの窓枠外れてる。。。

 

右の前の部屋の窓のところから

激しい水漏れの痕跡。。。

 

そして床下を覗くと

めっちゃ水溜まってる。。。

 

右の先端のボルトからの

わずかな漏れも相変わらず。。。

 

とりあえず鍵屋さんに電話して

午後、開けに来てもらえることに。

 

それまでの時間に函館で

いつもお世話になっている

セーリングクラブの

理事のところへご挨拶。

 

桟橋に飛び移ろうとしたら

思ったより遠くって

ギリギリすぎて膝強打。。。

 

いてぇよ。。。

 

理事に現状と今後の予定をお伝えし

ヨットに戻り

午後に鍵屋さん来てくれて

作業を見守る。

 

夕方、日が傾いた頃に

鍵が開いた!!

 

最近ではこの宝箱のような

簡単そうに見える

このタイプの鍵の方が

開けにくいらしい。

 

そこから鍵のシリンダーを抜いて

持って帰ってもらい

合鍵を作ってもらうことに。

 

これでようやく

生活の荷物を運び入れられる。

けど、もう暗くなってきてるし

入れたところで

ガスもなく調理もできなきゃ

暖も取れない。

 

ってことでこの日はとりあえず

ホテルを取る。

3500円程度で

サウナ付き、朝食付きのホテル。

 

ずっと自炊だったトマム生活。

久々の街に出たんだから

外食を楽しんだ。

 

洗濯も無料だった。

いい。

 

 

3日

朝食会場で朝飯を食べる。

なんとこのホテルの

2周年記念ってことで

朝から解体されたマグロが食べ放題。

赤身から大トロまでいくらでも。

これで宿泊3500円はお得すぎた。

 

朝からヨットに戻り作業作業。

 

まずは窓の水漏れで

汚れたところを掃除して

 

床下に溜まった水を掻き出す。

 

バケツ2杯半も溜まってた。。。

 

ガスボンベの充填を依頼するも

経産省からの通達で

ルールが厳しくなり入れてくれない。

どうやって生活しろってんだ。

政府はろくなルールを作らない。。。

 

外れたフロントの窓枠を

穴あけから加工して取り付け。

 

今度戻ってきたら穴埋めかな。

 

そこまでやったらもういい時間。

結局、火も使えないし

翌日からの回航でも寝袋にくるまって

風呂も入れない生活始まる。

色々充電したり準備したいし

この日もホテルを取り

ローカルな居酒屋で夕食。

就寝。

 

 

4日

早朝に船に戻り

最後の準備。

とりあず水漏れ箇所は

直せないまましばらく離れるので

ビニールシートで

これ以上の水漏れがないよう

カバーだけして

 

小樽から到着したヨットに合流。

今回はヨットレジェンダリーなお二人と

ご一緒させていただく。

学び多き日々になるだろう。

 

みんなと魚市場で朝食を食べ

船に戻り

翌日からの買い出しや準備。

僕の船も見てもらって

窓の水漏れ修理のアドバイスをもらう。

 

温泉入って美味い飯食って

明日から回航する船で就寝。

 

 

5日

日の出とともに出航。

目指すは神奈川

横須賀の佐島マリーナ。

 

 

 

 

 

 

シューティング、ダメージ、クローズ

ってことで25日の早朝、西へ。

この日は撮影。

 

最近久々にフィルマーである友人に

再開する機会があり

話盛り上がり

やろうよ!ってなって

3日間一緒に動けるように

スケジュールをあけおいた。

 

昔からの友人のフィルマーと

セッションは初の仲間たちと。

 

入ってみたかったエリア。

ウキウキワクワク。

 

しかも最近は

そんな余裕もないくらい忙しく

久々のシューティング。

 

が、しかし

朝に小樽あたりで朝食を食べていると

「リキ、明日レッスンの

予約入ってるけど大丈夫?」って連絡。。。

オー、NO。。。

予約枠ブロックしたつもりが

できてなかった。。。

 

西に3時間半かけて移動してきたけど

3日間の撮影が

まさかの日帰りで翌日はレッスンしなきゃだ。。。

往復7時間か。。。

 

到着し

天気は完璧。

 

いい感じで僕は3本滑って

みんなもいいライディングできて

いい日だった。

 

お手軽、お手頃な山。

 

みんなはそのまま移動して翌日も撮影。

だけど僕はまた3時間半かけて一旦帰る。。。

 

 

26日

レッスン2本。

3本目はブロックして

また出かける支度して

2時間半北上。

この日のみんなの泊地へ合流。

 

夜は街に出て飲み&食い

ワイワイと。

 

 

27日

ストリートの撮影。

これがそもそもの撮影の発端。

 

僕にとってスキーって旅をするツールで

自分のライフワークでもあって

ずっと続けてきているものだから

その時その時の自分を反映させる

そういうツールでもあるなって思ってて

 

年を経てもちろんできることも

やりたいことも変わってくる中で

自分の「今の現在地」みたいなことを

感じさせてくれるそういうものなんですが

そんな今の今年の僕は

何ができるんだろう。って。

 

年も重ねパークでも

そんな難しい技かけるわけでもないし

持ってる技をするにも

もうそんなに集中するわけでもない。

 

今年はプロジェクティブな山行も

予定していない。

 

強制的に緊張を迫られる

そんなチャレンジングなもので

自分一人じゃやらない、やれないもの。

そういうものって

ストリートが真っ先に思い浮かんだ。

久しぶりにやりたいなー。って。

それで今回のこのみんなと撮影することに。

彼らはストリートのレールやレッジ

ウォールでの撮影に定評があるクルー。

 

この日はストレートダウンからスタートし

長めのダブルダウン

という2本だて。

 

現役のストリートファイター3名

(スキー×2、SB×1)

とオレ。

 

ストレートとはいえ

かなり癖のある引っ掛かりのあるレールで

数本トライしているうちに

1本目のレールでいきなり

現役1名が負傷し離脱。。。

そうよね。

ストリートって

1度のミスでそうなるよね。

って感じでピリッとします。

 

おじさん一人は心細いんで

昔から一緒にやってたんだから!って

フィルマーも無理やり引き込んで

一緒にやりました。w

 

そして2本目。

この日のメインでもある

ダブルダウン。

最初のダウンがビューンって長くって

激早。。。

そこから短めのフラット&ダウン。

 

僕は最初のチェックでバチ喰らい。。。

”スラム”ってやつです。

そこで、今シーズン半ばから

違和感と痛みがあり

様子のおかしかった股関節を

思いっきり引っ張られ

激痛でしたが

しばらく休憩して

気持ち作り直して

再度挑戦。

そこから火がついてしまって

食らっても食らっても立ち向かい

何度も打ち付けられ。。。

それでも推しい所まで持って行けて

あと少しが通せなくって悔しくて。

って思いっきりストリートな感じを

約20年ぶりに思い出し

しばらく真剣勝負の熱いセッション。

 

が、結局僕も

現役のストリートを得意とする

スキーヤーも

この日は通すことができず。

痛みだけを持ち帰ることに。

 

まぁ、僕は通すことだけに集中し

彼はトリックを

織り交ぜようとしていたので

そこにぶつけていたレベルは違うんですがね。

それでも

僕はとっても熱い

あの時の感覚ってのに

久しぶりに触れることができ

とっても充実したセッションでした。

 

そしてみんなとバイバイ。

僕はトマムに戻ります。

 

が、時間ば経てば立つほど

僕の体は悲鳴を上げ始め

一挙手一投足に声をあげ

気合を入れないと

体が動いてくれないほどに。。。

 

アドレナリンでなんとかなっていただけで

やはりあの時の若い体とは違い

僕の体には

大きな負担がかかっていたようで。。。

 

こりゃやばい。。。

と、とりあえず途中の温泉で

ゆっくりしっかりと

体を温め

時間をかけて

サウナと水風呂を数回繰り返し

体をほぐしました。

 

それでも帰宅までにはまだ道半ばで

声を出しながら体を動かし

途中で買い出ししたりしながら

なんとか帰宅。

 

ある程度の荷物を片付けたら

崩れるように眠りに落ちた。

寝ればきっと。。。

 

 

28日

朝起きても体はキシキシと軋み

いちいち声を出し

力を込めないと動けない始末。。。

朝からのレッスン2本を

他のスタッフに代わってもらい

僕は部屋でできることを。。。

 

痛み止めを飲み

3本目のレッスンだけやってみる。

できなくはない。

が動きには制限があるし

力が張る。。。

 

夜は

もうすぐシーズンクローズだってんで

友人の部屋にみんな集まり乾杯。

 

お酒を飲めばまぁ痛みも誤魔化せる。w

 

一緒にやってたライダーは

この日、同じレールで

リベンジを果たしたようだ。

その動画が送られてきた。

 

それに比べボロボロの僕。

到底すぐにあのレールには

立ち向かえる状況じゃない。

 

 

29日

この日も痛み止めを飲みながら

レッスン3本をなんとかやりきり

お風呂に入りながら気がついた。

あ、やっぱり。。。

 

そりゃそうなるよな。

 

ストリートやった日から

こうなってるんじゃないかと思って

何回も見たけど

色も変わってなくって

意外と見た目は大丈夫だな。

 

なんて思ってたけど

見た目に症状が現れるまでも

時間がかかる体になってしまったのか?w

 

それとも深いところの

筋肉か何かが損傷し

ただ単純に表に出るまでに

時間がかかるものだったのか。

 

個人的には股関節の

付け根にも違和感があるので

深いところでも何かやってる気がしてる。

まぁ、なんにしても

しばらくは思う通りには動けない。

 

この年になるとストリートは

後を引く代償のデカい遊びだな。

 

ダメージがデカすぎるぜ。。。w

 

しかし、久しぶりに火がついた

ストリートの感覚。

 

今回メイクできなかっただけに

メイクして気持ちいい感覚も

取り戻したいって欲望も湧いている。

 

 

30日

この日もうめき声を上げながら

布団から体を起こし

痛み止めを飲みながらレッスン3本。

 

とはいえ日に日に少しづつ

良くはなってきている。

 

 

31日

いよいよ3月も終わり。

そして今シーズンは僕も

この日で滑り納め。

 

朝からレッスン1本やって

シーズン終了。

 

シーズン中に使った

道具や施設の片付け。

 

夜はみんなで焼肉パーティーへ。

みんな、今シーズンも

大変お世話になりました!!



足の痛みもあるし

念願のヨット生活スタートで

やること満載だし

一旦シーズンアウト。

ヨットの準備も整って

まだ雪残ってそうなら

ヨットで残雪を滑りに出かけたいな。

利尻島とか

海沿いから近い岩木さんとか鳥海山とか。

そんな余裕あるかわからんが

兎にも角にも

次の展望に向けて動き始めます!

 

あらためて

シーズン中に関わった多くのお客様や

仲間たちに最大の感謝を!!

今シーズンもありがとうございました!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

春休みですね

そうして22日

23日、24日はトマムで

毎日3本びっちりレッスンな日々。

春休みになって

日本人家族連れで賑わってる。

日本人のスキー離れが進む中

こうして多くの日本人のお客様が訪れ
スキーを楽しんでくれることが嬉しい。

 

各地でリフト券価格が上昇し

ギアの値段なんて最近じゃめっちゃ高いし

もう日本人は

スキーできない時代になってきたな

なんて思ってたけど

こうして子供たちにスキーの楽しさを伝え

次に繋げていけることが嬉しい。

とはいえ、やっぱある程度

余裕のある家庭ばかりなんだろうけれど。

 

春らしい陽気の日々。

 

24日の

朝は「Step To Backcountry」のご予約

バックカントリーに出る前

ガイドツアーに参加する前に

知っておいてもらいたい

ビーコンなど

アヴァランチセーフティの

ギアの使い方や

地形図の見方、実際の地形の把握。

バックパックに入れておきたいものなど

その辺を伝えながら

トマムを楽しんでもらいました。

 

午後もびっちりレッスンして

多くのご家族に

春休みを満喫してもらいました。

 

部屋に戻って翌朝早朝からの

出発の準備して就寝。

 

 

ラストパウダー

そんな感じで19日

このタイミングではあるけれど

新規スタッフ到着。

来シーズンの頭からの稼働に向けてトレーニング。

って、前日からの降雪でめっちゃ雪いいやん。

ってことでパウダートレーニングも。。。w

 

 

20日

この日はフランスからのお客様

旅の途中で

予定になく思いつきで

日本に行くることになったから

どうせなら夢だった

「日本のパウダースノーを!」

と連絡をくれていた。

 

3月の後半はよっぽど運が良くないと

当たることはないよ!

と念を押していたのだが

まさかのパウダーDay。

なんなら昨夜までの降雪からの

朝から晴れ。

いわゆる「The Day!!」ってやつです。

 

 

スキーできるなんて想定外だった彼は

ウェアーもグローブもゴーグルも

ブーツもスキーも何もかも

全てレンタル。w

でもフランスでは

「よくスキーツアリングをしている」

と言っていた言葉通り

滑りは強くてどこでも連れて行けそう。

ってことでいいところにご案内いたしました。

日射面はどんどん重たく変化していくなか

終始いい雪を滑れました。

 

 

 

夜はカナダから招待している

CSIAのイグザミナー2名と夕食。

この日がラストナイトだったので

リゾートから出て

小さな集落の"ど"ローカルな定食屋で焼肉。

乾杯してまた来年会う約束をしていい時間。

 

 

21日

この日も同じフランスからの彼。

新たな降雪もなく

気温も高くなって

もうちょっと厳しいかなー

と思いながらも狙った斜面へ。

すると相変わらずの上質を維持してた。

その後もピーカン晴れで

気温もぐんぐん上がり

どんどん雪がダメになっていくなか

特定の方位や地形、標高を狙って

この日も最後までいいパウダー滑れました。

 

 

お客さまも大満足で

夕食もご招待いただいた。

 

せっかくなんで

日本人ガイドがいないとハードルが高い

前日も行った"ど"ローカルな定食屋で焼肉。

2連チャン。w

 

夕食までしっかり満足いただけ

僕もいい気持ちで就寝。

 

 

 

 

22年越しの・・・

そんなわけで12日

この日から

カナダのインストラクター資格

CSIAのレベル3の

ティーチングに参加することに

 

数年前から日本でCSIA資格を取れるように

プログラムをセットし

レベル1、レベル2と開催してきました。

そして今年は

日本で初めてのレベル3を開催する

記念すべきシーズン。

 

僕が15年ほど前にカナダで

フリースタイルスキーのコーチとして

お声がけいただき

スキーを教えていた頃の生徒が

僕の仕事を手伝ってくれ

スキーで仕事したい!

という想いを聞き続け

一緒に創造しよう。と

始めたプログラムで

その開催に

尽力してもらってます。

 

それももう3年目?かな?

 

そしてその記念すべき

レベル3は

ティーチング

スキーイングの

それぞれ講習と試験があり

ティーチングの参加者枠が

1名分余ってるってことで

僕が受けることに。

 

CSIAレベル2を持っていないと

受講&受験できないんですが

僕がレベル2を取得したのは

二十歳の時。実に22年前。

 

ってことで

この日の12日から13、14日と

ティーチングの講習3日間。

毎日スキーヤーの癖を見て

それに対するフィードバックと

改善するためのドリルやエクササイズを考え

それを滞りなくスムーズに伝え

確実に症状を改善していく。

そんな日々。

でも参加者を相手にするので

基本的にみんなの滑るレベルは高く

極わずかなポジションや動きのズレに

違和感を持ち適切に見出す力が必要。

そんな日々でした。

 

22年前の方が

そんなことばかりを考えて滑っていたので

より上手くできたと思うんですが

その当時はまだ若くって

飛んだり跳ねたりに熱中していた僕。

ティーチングとスキーイングで

全8日間のコースはとても長く

滑りたい盛りの当時の僕には

レベル2の5日間のコースでも

苦痛すぎたので

それ以上のレベルを受けるのは

もう無理だー!!滑りてー!!

パークで遊びてー!!!と

受けずにいたんですが

今では年もとり

滑らず待って話を聞くことも

苦痛ではなく

とても有意義な日々でした。

 

 

3日間の講習を終え

その後

スキーイングの講習が行われている間は

僕は通常の仕事に戻りレッスン業務。

ハイレベルなレッスンから戻った初日は

3歳児からスタート。w

そのあとも基本的にハの字で

初心者な日々。

 

そして18日にイズザム。

ティーチングの試験です。

いつも何事にもあまり緊張しない僕ですが

珍しくちょっと緊張しましたね。

 

忘れていたこんな感覚。

いい刺激。

 

そして夕方の発表。

 

無事に合格!!

ってことで22年越しに

CSIAのレベル3

ティーチングをパスしました。w

 

こうなってくると

来年にはスキーイングとって

正式にレベル3保持者にならなくっては!w

 

そんな3月中旬のレベルアップな日々でした。

 

 

 

 

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