金沢
んなわけで27日
金沢の中心街へ移動し
急遽とった宿にチェックイン。
街をぶらぶらして夕飯を。
だけど目ぼしいところは
どこもいっぱいでほとんど入れなかった。
んで入れる居酒屋で夕食。
ホテルの大浴場に入って就寝。
28日
ゆっくりめにチェックアウトして
久々の近江町市場。
まずは牡蠣をズルッと1つ流し込んで
ブランチを。
入ったのは居酒屋風のお店で
刺身盛りと金沢おでんで
昼前からビール。
あざっす!
しかし近江町市場も
外国人含め人めっちゃ多いな!
ジェラート食ったりしながら
いつぶりか?の東茶屋街も歩いて
なかなかしっかり観光気分。
夕方には船に戻って
港から一番近い温泉行って
歩いて行けるところにあった
寿司屋で贅沢気分な夕食。
港は夜も多くの夜釣り客でいっぱい。
すんげえな。。。
就寝。
29日
この日も風強く
まだ停滞するつもりだったけど
することないし
できれば敦賀港に入って
そこから一旦実家に帰りたいんだけど
30日に敦賀港に入れれば
おふくろも仕事休みだし
迎えにきてくれそうだし
そうなると今日出ないとだし
風、波ともに強いとはいえ
追い風、追い波だし
行けないことないんじゃねーか?
午後の方が
だんだん風弱まる予報だから
少しゆっくり目に出発かな。
ってことで準備開始。
目指すは福井県の三国漁港。
いよいよ福井です。
ぐるり能登半島
そんなわけで25日
日の出前に準備開始
「災害NGO結(ゆい)」さんでの
多くの機会、出会に感謝しつつ
出港。
七尾湾を抜け
珠洲の沖合でイルカの群れに遭遇し
ぐるっと回り込んで
この日の狼煙漁港へ。
入港して一番奥に船をつけたけど
水深1.1m
これって僕の船がカタマランだから
なんとかなったけど
普通のヨットなら座礁してたね。。。
クタクタでとりあえず昼寝。
目が覚めた夕方頃に
少し散策してみたけど
多くの倒壊した家がそのままで
静まり返っていた。
シャワー浴びて、飯食って就寝。
26日
土砂崩れが顕著な海岸線を見ながら
さらに南下。
輪島を過ぎ
冬のイメージを
読書しながら高めて
富来漁港へ。
港の堤防もガタガタでした。
散歩して周辺を見てまわり
船で作業して
合流するはずの車を待つ。
車到着し、一緒にお風呂へ。
その後船に戻って就寝。
27日
目指すは金沢。
強めの追い風。
車を金沢に回してきた1名を
途中、滝漁港でピックアップして
一緒に金沢まで。
そして金沢の大野漁港に入港。
数日は風が強く出られそうもない。
船にいてもすることないので
ヨットを繋いだら
宿泊先確保して、泊まり準備して
金沢の街へ。
タクシー探して
いそうな場所までテクテク歩く。
でもいない。
で、結局タクシー呼んで金沢の街へ。
水害、ボランティア延長戦
んなわけで21日
ボランティアベースに到着しましたが
大雨警報でこの日の作業は中止。
本当は僕も
もうすぐにヨット出港させないと
日がどんどん短くなって
日が登っているうちしか
航行したくない僕は
そろそろマジでリミットなんです。
でも、それどころじゃない状況。
嵐のような天候で
もちろん海になんて出られないし
被災地ではとんでもない豪雨で
輪島や珠洲の方では
ゾクゾクと被害の情報が入ってくる。
どこも土砂崩れや洪水で道路
水や電気も分断され
孤立した集落や
死者、行方不明者が出ている。
仮設住宅も土砂が流れ込み
車が流され
地震では耐え抜いた家が
土砂崩れで倒壊したりしていた。
夜にそれまでに入っている情報をまとめ
どう動くかミーティング。
とにかくヤバそう。
ってことだけは間違いない。
22日
僕は炊き出し部隊。
朝から200人分のお弁当を作ってお届けする。
昼過ぎに完成し
物資を詰め込み
それまでに入った道路情報から
現地に搬入。
現地では前日の昼から
水も食事もできていない方々が並ばれる。
1箇所目で全てが完売し
もう1つの仮設住宅には
持って来た物資を搬入する。
殺到する人々。
生きることに必死で余裕はなく
みんな気が立っていて
怒りをぶつけてくる人もいる。
震災直後に戻ったような状態。
いや、せっかく時間と季節の移り変わりの中で
前を向き、上を向こうとしていた人々の
心を完全に折ったという点では
震災直後よりひどい状況もあるかもしれない。
倒壊した建物から
なんとか救い出した家財道具や家電を
車庫に移し
仮設住宅が当たるのを待っていたり
建て直しを待っていた人たちの
唯一残った財産を
今回の豪雨と濁流が奪い去っていった。
傾いた家でなんとか住んでいた人たちの
家の中は泥や流木で
とても住める状態ではなくなり
もう行き場もない。
言葉もない。
それでも生きてほしい。
それでもできることがあるなら。
と、ただ想いだけが先走るが
目の前にあるできることを
ただ淡々とこなしていくことしか
僕にはできない。
暗くなり
なんとか通れるようにと
流木を押し退けた
わずかな幅のドロドロの道路を
通り抜けてベースに戻った。
翌日に一緒に海に入る予定をしていた
POWの事務局長が能登に到着。
過去に同じこの場所で
ボランティア活動していて
場所も人も知っているので
僕の活動終わりにあわせて
迎えに来てくれた。
正直、このタイミングで
サーフィンに出かけるのは
少し後ろめたさもありましたが
自然を脅威としてだけでとらえず
恩恵としても感じることが必要。
その脅威的なエネルギーの
恩恵を感じ、得たい。
そんなタイミングでもありました。
また、POWでは今
大きな取り組みを進めていて
その進捗や今後の流れなど
サーフィンやスキーをしながら
その話を確認することが
大体いつもの我々のスタイル。
自然の中で話すのが
一番スッと入ってくるんです。
と、まぁ、そういう
肯定理由として
ローカルの友人の家に。
賑やかなSurfな2家族と共に
少しお酒飲んで
被災地の現状を伝えたり
翌日の波の話とか
POWのこととか話して
就寝。
23日
久々のメンツでSurfな日。
前半戦はもう1親子も参戦。
思ったような良い波ではなかったですが
良い時間でした。
ランチして親子は先に帰宅。
てかホント
ほんの1時間ほど南にくだっただけで
そこにはこれまでとさほど変わらない
人々の日常が存在する。
ほんの少しの場所の違いで
被災地は本当に全てが奪われている。
なんというギャップだろうか。。。
その後も我々はまだ
期待し過ぎていた波と
現実にはいまいちな波とのギャップで
消化不良気味で
オンショアビュービューの富山湾側を
おかわりで見にいって
とんでもないジャンク&ハードな
コンディションでしたが
とにかく入ろう!ってんで
僕は久々に沖に出られず終わる可能性まで
予想しながら入水したんですが
とりあえず沖には出られ
2度ほどテイクオフして
時間的にも体力的にも
もうお腹いっぱいで陸に。
そこで事務局長家族とは解散。
ローカルの友人親子に
都合のいい駅まで送ってもらい
電車でボランティアベースまで戻りました。
シャワー浴びて夕食食べて
船で少しお話会して就寝。
良き1日でした。
24日
朝から最も被害のひどいエリアの
中規模半壊と判定された家に
仮設住宅は申し込まずに
一人で住んでいたお爺ちゃんの家に
今回の水害の泥出し作業へ。
到着してびっくりした。
ここでお爺ちゃんは住んでるのか。。。
3日間ほとんど何も食べずに
家の2階でなんとか生き延びていた
お爺ちゃん。
仮設住宅に申し込んでいなかったから
他に行くこともできない。
震災後はなんとかこの半壊した家で
暮らしていくことを考えていた。
そこに今回の水害。。。
家の周りもグチャチャだけど
家の中も1階はほぼ全て水没し
泥や流木が大量に流入している。。。
とにかく中を片付けよう!
と動き出す僕ら。
正直僕も、これ、住めるようになるのか?
と考えてしまった。
そして実際にそれはとてつもない労力。
それを見てお爺ちゃんは
もう、その全てを諦め家は解体する
もう潰す前に必要なものだけ
泥の中から探し出してほしい。
と、言った。
それでも僕らが1日かけて
床が見えるくらいまで泥を掻き出すと
少し住めるかもしれない。
という希望が見え始め
お爺ちゃんは泣きながら
感謝してくれた。
もし実際に
住めるようにならなかったとしても
こうして行動することで
希望を与えることはできるんだ。
ということを学んだ。
1日の作業を終えた帰り際
それを知った近くのご夫婦も
助けてほしい。
そう声をかけてくれた。
声の上げ場所、上げ方を知らず
諦め、希望を持てない人たちがいる。
そんな人たちに全ての助けが
届きますように。
そう願った。
帰路で天気を確認する。
26日にいよいよ出向かと思っていたが
風と天気は
25日に出たほうが良さそうだった。
ベースに戻ったら急いでシャワーを浴び
明朝出港の準備に奔走する。
買い出ししたり
連絡すべきところに連絡を入れ
挨拶をした。
友人たちが
ボランティアに駆けつけていて
僕の出港まえにヨットが見たいと
遊びにきてくれた。
そして僕は翌日出港の
イメージをしながら就寝。
久々の出港にソワソワして
いまいち寝付けなかった。
魅力発掘サイクリングツアー
てことで15日
早朝に京都に向け出発。
まずはパートナーシップを組んでいる
自転車屋さんでこのあと別で出発する
第二陣分のバイク3台をドロップして
それでも時間が早かったので
ちょっと離れたところの
駐車場のあるカフェでモーニング。
それから今回、僕がガイドする
ツアーのお客様とのミートの場所へ。
自転車その他諸々セットして
初めまして!!
ってことでサクッと挨拶&説明したら
早々にスタート!!
街中抜けて激坂超えて
暑すぎて川でクールダウンして
ランチしてこの日のお宿に。
ツアー前に寄り道したイベントで
再開した人形作家の友人から
いただいた”ピョン吉”君も
連れて来ていたのだけど
この風景がよく似合います。
お散歩して
お部屋食の鳥すき
そして就寝。
16日
朝食食べたら出発!
酷暑の中、休憩挟みながら海まで!
海に着いたら飛び込んでクールダウン。
そこからは主に海沿いを走り
この日の目的地であり
僕がこの界隈で一番好きなビーチの
目の前のお宿に。
まだ時間も早かったので
チェックインして
ファシリティの案内したら
僕はすぐ隣のサーフポイントへ。
今回はチャンスが2回あるので
板を持って来ていたのです。
まぁイマイチながらも
しっかり日没近くまで楽しんで
あの雲やばいな
と思いながら買い出しし
帰宅。
んで温泉入って
夕食食べて就寝。
17日
朝食食べたら出発。
この日も酷暑です。。。
海沿い走り舞鶴抜けて
途中の海でクールダウン
だけど海水温が生ぬるすぎてやばかった。
そして超レアなムラサキダコが
浅瀬でプカプカしているのを発見。
イカみたいなタコみたいなやつで
皮膜を脱皮するようにヒラヒラと
脱ぎ捨ててなんとも不思議な奴。
初めて見ました。
んで十分に体が冷えたらまた走り出し
この日の目的地、宮津のお宿へ。
僕はこの日は
クライアントさんとは別のお宿。
食事も各自フリーなので
一人でふらり居酒屋へ。
んで戻って風呂入って就寝。
18日
朝も各自。
少しゆっくり目のスタート
天橋立ビューランドから一望。
ぐるり見たら下山し天橋立を通って
お二人は海水浴。
その後海沿いを抜け伊根に。
って天橋立でも思ったけど
今回めっちゃ海綺麗だ。
透明度半端ない。
ここで少し自由時間作って散策。
なんだけど暑すぎてマジでやばい。
もう近い将来
人間は地球に住めなくなりそう。
そう思ってしまうほど。。。
で、高台でランチして
海沿い走りぬけ
この日のお宿へ。
僕はこのお宿好きなんだよな。
何より温泉が。
そして食事も。
この日が彼らと過ごすディナーは
ラストだったので
少しセレモニー的なことをして
この日も終了。
19日
朝ごはん食べて
大好きなもう一つの温泉ものぞいて
準備が整えば
最後のライディングへ。
美しい海沿いを走り
この日もとんでもなく透明な海で
海水浴をして
最後のお宿へ!!
お二人、無事フィニッシュ。
僕のお役目はここまでです。
バイクをメンテナンスして車に積み
少し京都寄りに近づいたお宿で
バイクメンテナンスの続きして
オンラインミーティング1件。
温泉入って飯食って就寝。
20日
ゆっくり支度して
チェックアウトしてから
ラウンジでコーヒー飲みながら
お仕事して
最後に温泉サウナやってからの
最後のお仕事で京都の街中に。
友人のいる靴のお店に寄り道し
1足ゲットしてから
初日に預けたバイク3台が
ツアーから帰って来たタイミングで
ピックアップして車に積み込んで
滋賀の実家に。
ツアーで使った不要なものを下ろし
少し母と話をし
すぐに神奈川へ。
23時頃に帰着。
翌日の準備してシャワー浴びて就寝。
21日
朝4時起きで出発。
自転車やギア、道具等を積んだ車を
ツアー主催の友人宅にそっと返却し
僕は横から歩いて駅へ。
そこから電車で東京へ。
そこから新幹線で金沢へ。
そこから在来線で七尾へ。
そこからローカル線で西岸へ。
ってことで
ボランティアベースに戻ったのでした。
移動、飛び入り橋の下
んなわけで12日は
久ぶりの茅ヶ崎の家でむかえた。
何したって、ほぼ何もしてない。
持って帰ってきた荷物を片付け
持っていく僅かな荷物を準備したくらい。
それができら
少し風はあったので
窓全開でクーラーはギリ必要ない感じで
暑くって動く気でないし
久々の我が家ってのもあって
大の字になってそのまま長めの昼寝。
朝飯も、昼飯も食べず
気がつけばもう夕方。
シャワー浴びて
近くのお気に入りのイタリアン食べに
歩いて出かけるも、やってなかった。
行ってみたかった別のお店も休み。
で、そんな時に行く
そのちょうど中間にあるイタリアンに。
んで帰宅し
今の家の住人も帰宅し就寝。
13日
この日も朝飯も、昼飯も食べず
荷物の最終確認して
昼に自転車ツアーの仲間から連絡入り
身軽で出発。
まずは友人からツアーセット引き継ぎ
そのほかのミーティング。
鎌倉でカフェミーティングしたけど
ここのカフェ好きだったな。
素敵カフェでした。
そして今回の京都周遊ツアーに向けて
茅ヶ崎に追い置いた荷物積み込んで
西へひた走る。
で、ここでふと気がついた。
あれ?今日、橋の下やってるんじゃない?
ツアー自体は15日の朝スタート。
14日に滋賀の実家で
実家に置いてある荷物をピックアップする
ってのが主な内容だったので
時間的には少し余裕がある。
現地にいるであろうと想像できる友人に
「いる?」「いる?」とメッセージを送る。
予想したメンツは全員現地にいた。w
能登で一緒に活動したことのある
ボランティア団体も
会場でブース出店しているし
この場所での再会は熱い。
現地の友人からテントに空きあるよー!
という連絡も入り飛び入り参戦を決めた。
入場のためチケットを探すも
この日のチケットはもう受付終了。
翌日のはあるけど
入場は9時半からしか入場できないらしい
そりゃそうだ。
僕が到着するのは0時前とかだし
夜にはほぼほぼ全ての演目は
終わってるんだから
今からこの日のチケットわざわざ買って
夜から入るやつなんてほぼいないはず。
だけど僕は翌日の昼くらいまでしか
時間的余裕はないし
夜もみんなと飲んで楽しみたい!
ってことで現地の友人に
受付に行ってもらい聞いてもらったら
「もうその時間からなら
14日のチケットだけ買えば入っていいよ!」
と、言ってくれたよーと連絡入り
不安要素なく現地到着。
ちょっと車停めるのは難でしたが
無事会場入りしみんなと合流!
楽しい夜だった。
14日
朝から殺人的な猛暑ながら
川に飛び込んではクールダウンしながら
音楽や熱気、ゆるゆるした時間
を楽しんだんだけど
その短い滞在の中でも
最も印象に残ったのは
能登町の彌榮太鼓。
僕がボランティアで現地りし
最初に土砂出しの作業をしたのも
能登町で、被害の大きかった場所でもある。
そこから伝統の彌榮太鼓を
ここ橋の下で披露してくれた。
その演舞も熱の入った
素晴らしいものであったが
その最後の挨拶で
「みなさん本当にありがとうございます。」
とみなさんが頭を下げた。
みなさんのおかげで能登は
少しずつ、ほんの少しずつではありますが
元気になりつつあります。
とその全国から寄せられる支援に
感謝の言葉を述べられた。
現地で悲惨なその状況の中で
日々向き合い生きている
被災者の方々、支援する仲間
のことがありありと目に浮かび
涙してしまった。
そのあとも
各ステージでいろんな演者さんが
被災地のこと話し、そういう気持ちが
被災地に向いているということを
強く感じることができた。
なんか思いつきだったけど
運命的にここに辿り着けた気がしたし
ただ馬鹿騒ぎするだけではない
とてもいい時間となった。
後ろ髪を引かれながらも
みんなとバイバイし
昼過ぎには現地を出発。
久しぶりの実家に。
空っぽの車に燃料入れて
翌日からの買い出しをして
レジで偶然に地元の友人に会い
母とも久しぶりに会話し
就寝。
15日
まとめておいた荷物を車に積み込んで
いよいよツアーに向けて京都へ。
ボランティア後半戦
そうして9日
午前中のボランティア活動は休みにしていた。
白馬から帰ってこられているか
怪しかったのでね。
でも無事に帰ってこれていたので
午前中はしばらく滞っていた
私事の仕事をやれる範囲ですませ
昼前からベースに入って
お昼食べてから行動開始。
何箇所かに溜まった段ボールや
大量のリサイクルゴミを集めて
トラックに詰め込み収集所へ。
ここではリサイクルゴミは買い取ってくれる。
それなりに大量だったとはいえ
なんと1900円にもなった。
そのお金でみんなの夕食となる
頼まれた食材を買って帰る。
残ったお金は募金箱へ。
そして食堂の掃除。整理。
そのあとみんなが帰ってくる前に
薪をくべてお風呂を沸かす。
みんなで夕食食べて
飲んで、盛り上がり
いい時間にヨット戻って就寝。
星が綺麗だった。
10日
午前中は全壊した家に
一人暮らしのばあちゃん。
家から不要なものを運び出し
必要な場所をまとめる。
手先が器用で
気力が半端ないばあちゃん。
これまで食事を提供したり
仕出しをしていたけど
今回の地震で継続不可能に。
それでも再建したら小さくても
子ども食堂をやるんだ!と夢を語ってくれた。
荷物をまとめていたら
ばあちゃんが作ったという
切り絵の作品がたくさん出てきた。
って、すごい。。。
個展開いてあげたいくらい。。。
ばあちゃん!元気でね!
子ども食堂楽しみにしてます!
んで集まったゴミ出しに行って
昼ごはんを地元のお店で食べて
午後の現場へ。
あ、サギが見事に小魚を捕らえた。
で、午後は
酒造の作った醤油醸造所の片付け。
地震で樽から麹が溢れ
部屋中に飛び散り
それがしばらく放置されたことで
カビて、とんでもないことに。
それをすくいとっていく作業。
なかなか大変な作業でしたが
ほぼほぼあらかたは取れた!
ここから先は水が出たら早そうだけど
水が出ないんだとか。
余った時間で草刈りして
そしたら水道メーターとバルブを発見。
メーターあるってことは
通水されてるはず。
バルブは閉まってそう。
開けようと試みたけど
回すところが朽ち果てていて
ちょっと工夫と時間が必要だな。
ってことでこの日は諦め、ここまで。
でベースへ帰還。
帰宅後、シャワー浴びて
飯食ったら
みんながヨットに遊びにきてくれ
ヨット飲み。
海に向かっておしっこしたら
すごい夜光虫がキラキラ光った。
それを見た友人が棒で海をかき回す
するととんでもなく青白く光った。
それにみんなが集まって
初めて見た人がほとんどだから
みんな興味津々で声が上がる。
夜光虫の多い夜にナイトクルーズして
そこにイルカが並走してくれたら
真っ暗な海にイルカが青白く光り
浮かび上がるそうだ。
それを見てみたい。
それが僕の一つの夢。
でもさ。
てことは泳げば俺の体は
青白く光んのか??
って気になった。
で、みんなが夢中になってる後ろで
そっと上着を脱いで海に飛び込んだ。
そしたらビックリした!!
みんなからもある程度
光って見えたみたいだけど
それより何より海に浸かっている僕に
海面からごく至近距離で見える夜光虫は
想像の何十倍も強い光で
一つ一つの青い光の粒が
はっきりと見える!!
これは本当に凄い経験だった。
で、僕がそのことに感動し騒いでいたら
気になった友人たちが
一人、また一人と飛び込み始めた。。。w
女の子もまた一人、また一人。。。w
んで結局、そこにいた全員が飛び込んだ。w
なかなかできない素晴らしい経験を
みんなで共有した。
高校とかの青春してる時みたいな感覚。
みんなで本当に楽しかったし
夜光虫は本当に美しかった。
その日は本当に素晴らしい夜だった。
4本目のワインもほぼ開けて
就寝。
11日
若干の二日酔い。
醤油醸造所の片付け。
前日の続きです。
水が出たら早いのになー。
と、昔にサーフィンの先輩に頼まれ
水道屋さんを手伝ってた時に培った
知識と技術が活かされ
無事に水が出た!!
ってことで一気に仕事が進み
午前中で酒造さんの望んだところまで
なんとか終わらせることができた!
ボランティアにきている友人が
この日に神奈川へ車で帰るため
昼で活動を切り上げて出発すると聞いていて
僕も仕事の関係で遅くとも13日には
能登を離れようと思っていたので
少し予定を早めて
僕も一緒に乗せて帰ってもらうことにしていた。
なのでここまでにしてベースに戻ったら
ヨットに戻って移動の準備。
シャワー浴びてサッと昼食を食べ
車を出してくれる仲間の帰りに備えた。
そして仲間の帰宅、準備が整えば
神奈川に向けて出発。
彼の職場にアルバイトに来ている
大学生2人を連れてきていて
彼らも一緒に帰るので
車内では彼らの未来について
いろんな話で盛り上がった。
途中のゲリラ豪雨地帯も
いくつか抜けて
夜遅くに茅ヶ崎の僕の旧自宅まで
送り届けてくれた。
飯も食ってなかったので
一緒に飯食ってから解散。
そこから友人はまた30分ちょっとかけて帰宅。
送ってくれてありがとう!!
ここから先数日は出稼ぎタイム。
とはいえ、まずは疲れたから
今日はとにかく寝よう。
今、僕の旧我が家に住んでくれてる
後輩を起こさぬよう
そーっと布団に潜り込み就寝。
白馬国際クラシック2024
というわけで7日
能登のボランティアベースを
友人の車を借りて出発し
白馬へ。
昼に到着。
とりあえず昼飯食って
2件の用事を済ませ
その間にも多くの友人たちに会え
それから白馬国際クラシック2024の会場入り。
この日は受付の日なので
音響のセットしたら受付のアナウンス。
それも終了したら
用意されていたのが
友人の温泉宿だったので
ちょっとウキウキ。
温泉入って打ち合わせ的飲みにも参加し
おやすみなさい。
8日
大会当日。
今年は大きく天候が崩れることもなく
まぁ、ただやっぱり暑かったですけれど。。。
50km
28km
12km
5km
とそれぞれのカテゴリーが出発し
苦しそうにゴールを切る人
笑顔でゴールを切る人
泣きながらゴールする人
さまざまなドラマをゴールで感じさせていただきました。
みなさんの懸命な姿。美しい。
また来年も!!
そうして帰路で温泉吐いて飯食って
その日のうちには帰れないか?
と思っていた能登のボランティアベースに
その日のうちに無事帰着。
でも疲れたぜ。
ヨットに戻って就寝。
ボランティア活動
そんなわけでいい波にも乗れて
最高の気分転換もでき
気持ちも新たに迎えた2日
この日は整体師さんが
被災者さんたち向けに開催している
整体サロンのサポート。
ご高齢の方が多く
狭い仮設住宅で生活される方も。
どうしても体の調子が整わない環境で
整体院に通うなんてことも叶わない。
そんな状況に、その人の状態に合わせて
状況改善のためい自分でできる
マッサージ術を伝授する。
そんなイベント的サロン。
毎日、能登半島の被災した地域で開催していて
その一つにサポートとして参加。
彼はインスタフォロワー22万人超の人気セラピスト。
お話も上手だし
高齢者の扱いも、いじり方も上手で
セラピスト界のイケメン”きみまろ”のようでした。w
午後は僕は別部隊に合流して
全壊判定の家屋に一人暮らしの
おばあちゃんの家から
必要なもの、不要なものを選別し
不要なものを運び出すお手伝い。
15時に災害廃棄物のゴミ捨て場が閉まるので
それまでの作業。
で、ゴミ捨て場に行ったら
「大雨で臨時休場」とな。。。
ゴミ満載のままベースに戻った。
というわけで早めに帰宅したので
一緒に作業してた女の子が
ヨットみたい!って言ってくれ
案内する。
話してたら
なんと海上自衛隊だったらしい。
今も予備自衛官として
活動には参加しているらしく
海が、船が大好きなんだと。
なーるほど。
えらく気に入ってくれ
くつろいでいたら
虹が出た!
あ!イルカ入ってきた!!
とHappyな連鎖。
やっぱヨットLifeっていいなー。
ベースに戻って夕食食べて飲んで遅めに
帰宅。
3日
傾いた蔵の2階から輪島塗など
貴重な漆器を運び出す作業。
お宝ざっくざくだけど
置いとく場所もないからと
泣く泣く処分されるものも。
山のように。
午後は立派な屋敷から
冷蔵庫、食器棚、洗濯機を運び出す作業。
サクッと終えて
3件目は塀を解体&積み上げる作業。
倒壊具合の判断が5段階あるうちの
3段階目以上は
公費解体してくれるんだけど
それでも基礎の上にある
建屋しか公費解体してくれないので
塀とかは自費になっちゃうので
そこをボラティアで壊してあげる必要があるんです。
で、この日も3件終えてベースに戻った。
夕方、波よかったよ!
明日の朝イチも残ってるはず!と
と地元のサーファーの友人から連絡。
飯食ったら、この日に帰っていく
予備自衛官の彼女の車に乗せてもらって
友人宅まで送ってもらう。
イノシシ!!
で友人宅で1杯やって
就寝。
4日
暗いうちに出発。
何箇所か見て回るもイマイチ。。。
グシャグシャな感じ。。。
うーん。と悩んでる間に日も昇り
北上するか。と
今見てきた場所を通過するときに
むむ?さっきより良くないか?
と、少し乗れそうな波になってた。
他での波も期待できないので
ここで入水。
まぁ、入れてよかった。くらいの波。
んで、帰路に神子原の棚田を見に
寄り道してくれ
お店の準備のために
自身の畑にも連れて行ってくれ
板とかおろして
着てたのジャブジャブ洗って干したら
彼のお店に。
なんとも解放感ある店の作り。
子供づれのママにも優しい作り。
お店の準備が整ってきたら
僕は車を借りて近くの眼科に。
この南下の旅がスタートして早々に
左目を強打した時に
「今は大丈夫だけど
変化が出るかもしれないから2週間以内に
また眼科で診てもらってください」
と言われていたのだが
訪れる先が田舎の小さな漁港ばかりで
近くに眼科があるところなんて
どこにもなく、気がつけば
もう1ヶ月半が経とうとしていた。
それに受傷後2週間経たないくらいで
強打した方の目に
ふとした瞬間に光が走るようになっていて
気になっていた。調べると
網膜が引っ張られていて
それが刺激となって光になって見えるという。
そしてそれは網膜剥離の手前の症状だとも。
なので心配で眼科に行きたかった。
で、この日、受診。
とっても看護婦さんの多い病院で
サクサク検査が進んでいく。
最後の診断では結局
現状では剥離は起こしていないけれど
光が見えるのは問題で
何度も引っ張られていることで
徐々に剥離してしまうこともあるので
様子を見ましょう。とのこと。
なので解決には至らなかったですが
まぁ、とりあえず今は
何もしなくていいってことがわかれば
それで十分。
先生の部屋の片隅に
スキーが立てかけていあるのを見つけ
僕もスキーを仕事にしているので
視力は命なんです。と話をすると
それまでとは全然違った
キラキラした表情になって
少しスキーの会話をした。
やっぱ、同じ遊びが好きなことって
ここまで人との距離感に
影響力あるんだなー。と感じた。
少し親近感を持って病院を出て
友人のお店に戻った。
オープン前に一緒にランチに出かける。
週末のお店のイベントチラシも持って
いくつか置かせてもらう店舗もまわった。
そしてお店に戻り
彼のお店「Sol&Mar」はオープン。
僕はここでいくつかのデザートやドリンクを注文しながら
夕方18時までオンラインミーティング2本をこなした。
その間、お店は超満員。
「いつもはこんなことはないよ!」
と言ってはいたけれど
どのお客さんとも店主は会話をし
みんな店主である友人に会いに来るのが
楽しみなできている感じが伝わってきたし
人気カフェでことは間違いない。
本当はお店は17時までなので
閉店後に息子を迎えに行っている間も
18時のミーティング終了まで
お店に居座らさせてもらって
最後までミーティングこなしたら
帰ってきた息子を乗せて
僕をヨットのところまで送ってくれた。
ザッと1時間弱かかる距離。
ありがたい。
道中で夕食を食べ
ヨットへ。
子供にヨットを見せたいって。
まだ小さな男の子に
人生の選択肢として
ヨットのことを少し説明し
そろそろいい時間なのでここでバイバイ。
朝から相手してくれ、送ってくれ
感謝しかありません。ありがとう!
というわけで他に返せるものもないので
みなさんも能登の方へ行かれましたら
「Sol&Mar」へどうぞよろしく。w
でシャワー浴びて就寝。
5日
この日出港して行った。
追いかけるよー!
またどこかの港で!!
そしてこの日、午前は
以前にやり残していた
塀の取り壊し作業の続き。
それを完了させ
午後は崩れかけの小屋から
必要なものを運び出す作業。
そのあとさらに残していた
塀の取り壊し作業の続きを終わらせに行き
この日も3件。
この日の夜はボランティアの仲間
大勢が夕食後に僕のヨットに遊びにきてくれ
みんなで飲んで話して楽しんだ。
こうしてボランティアを通じて
出会える仲間って
ある程度共同生活だし
それぞれ面白いバックボーン持って
時間に自由度のある人間集まってるし
年齢に関係なく
なかなかいい出会いと
いい関係になるもんです。
いい時間だった。
6日
若干の二日酔い。。。
この日は1日かけて大きな家の
長い長い塀の解体作業。
それが終わってベース戻れば
みんなで温泉に出かけることに。
そしてその近くで
被災して店舗が倒壊した人たちのための
臨時の屋台村みたいなのがあったので
そこで屋台飲みして
みんなでワイワイと帰宅。
さらにちょい飲みして就寝。
7日
朝礼に出て
みんなを見送ってから
宮崎からボランティアに来ている友人から
車を借りて僕は白馬へ出発。
1泊2日でトレランのMCへと出かけます。
特別な波
そんなわけでもう9月
友人と共に日の出の頃に起きて
ヨットから車にサーフボード積み替えて
波を求めて出発!!
彼自身も自分のお店をオープンして
すぐ被災して
お店の玄関歪んだりして
それでももっと酷い被災地に
支援物資集め含め
支援活動をしていたサーファー。
彼は震災前から
波さえあればほぼ毎日海に入っていたし
震災後も、周囲の意見を聞きながら
入れる場所を考慮しながら
サーフィンを続けてきていた。
今回も多くのローカルと連絡をとり
波のいい場所を求めて
サーフポイントの震災後の状況とともに
説明しながら移動してくれた。
それでも、これまでと
サーフポイントが変わることは
なかったという。
以前サーフィンできた場所は
波がわれる場所が隆起した分
少し遠くなったくらいだそう。
あと、少し西に傾いたんじゃないか?
というサーファーの肌感があるらしい。
反応するうねりの向きが
僅かに変化したらしい。
これはサーファーしか気付けない
特別な感覚かもしれない。
そして辿り着いたポイントは
地震の影響で隆起し
これまではなかったところに
ざっと200mほどビーチができたというポイント。
ここで友人が情報を取り合っていた
地元のローカルサーファーと合流。
さらに最近移住した知人家族も
合流していい雰囲気。
隣には隆起して底まで干上がってしまった
漁港が見える。
こんなにも地面が高くなったなんて。。。
しかし目の前で割れている波は
極上のものだった。
天気もほぼ無風の快晴で最高。
いてもたってもいられず
急いで準備して海に。
貸切の極上Wave。。。
なんてこった。。。
僕はこれまでも何度か
能登半島にサーフィンに訪れているけれど
今のところハズレなしで
必ずいい波に当たっている。
その中でも今回は
ちょうどいい極上FunWaveだった。
しばらくして
地元のサーファーが1人。
さらにもう3名入ってきた。
この日は1日中ずっと波が良かったので
休憩を挟みながら
長くこの場所にいた。
他のローカルたちもそうだった。
あまりに波がいいので
自然と会話が始まる。
1人のサーファーは
消防士さんの彼は
今は結婚してすぐ隣の町に
奥さんと暮らしているらしいが
まさにこの海のすぐ前が実家だったそう。
「全壊したんです。」
と、いい波に乗って笑顔のままそう言った。
返す言葉もなかった。
ご実家だとすれば
ご両親は無事だったのだろうか。
聞くのが怖くて聞けなかった。
極上の波はコンスタントに届き
順々に波に乗ってはパドルしてを繰り返す。
消防士さんだったなら
震災当初は本当に悲惨な状況だったろう。
いろんな思いが頭を巡る。
それでも共に極上の波と
その場での時間を共有し
ポジティブな波の空気が
明るい会話に導いてくれる。
震災後、今までで一番いい波だ
と言ってくれた。
あまりにずっと波がいいので
あがるタイミングがわからず
乗ってもまたテイクオフのポイントに戻る。
あがるタイミングがないよ!
というと
今日はあがらないほうがいいですよ!
と言ってくれる。
ボランティアできていることを伝えると
ありがとうと言ってくれた。
隆起して大きく様変わりしたこの場所で
被災し、取り巻く環境の変化も
尋常ではないはずの彼との
とてもポジティブな空気感の中で
極上の波を共有できたことは
深く心に刻まれて
いまだにあの時間、あの波を
思い起こさせる。
腹ペコで海から上がり
友人と飯を食って
船まで送ってもらう。
またやろう!
僕のボランティアの休日は
より、活動への熱を高めるものとなった。
帰宅したのは15時頃だったか。
時間もあるので
僕と同じヨットを持つ
遊帆のマスターの元を訪ね
甘いものと冷たいものを流し込んでから
ヨットを見せていただく。
同じヨットなんだけど
少しだけ年代が違い
ちょっとずつ違いがある。
そして、オーナーの好みに
作り込まれているので
「なるほど!そうやってるのか」
と勉強になるし、めっちゃ面白い。
ずっと見てられる。。。
ってマスターに僕の船も見てもらい
いくつかの相談もし
いい機会でした。
ベースに戻り
今日も活動していたみんなと飯を食い
僕は船に戻って眠りについた。
能登半島での活動開始
んなわけで28日の午後に能登半島
七尾湾の一番奥にある西岸港に到着。
日本海側を南下するなら
能登半島は必ず通過することになる。
震災のあったこの場所を通るとき
しばらくの間停泊してボランティアしたい!
そう考えていた。
少し前に同じように
新婚旅行にヨットで日本一周している
Youtubeやってる若い夫婦から
函館で僕のことを聞いた!
とインスタで連絡をもらっていた。
Youtuberからの逆ナン。
まぁ、ヨットやるとわかるのが
同世代のヨット乗りが本当に少ない。
レースをやってたり
所有してるって人はたまにいるんだけど
旅をメインでやってるセーラーは
マジでほとんどいない。
ってことでお互いに情報交換もできるし
同世代とのつながりは貴重。
逆ナンしてくれてありがたい限りです。
そして彼らも
能登でボランティア予定ってことで
先に能登入りする彼らからも
情報をもらっていた。
そしてこの港が
すぐ近くにボランティアベースもあるし
ヨットハーバーになっていて
ヨット乗りの先輩たちもたくさんいるし
とってもいいよ!
と教えてもらっていた。
港に入ると
早速、一人のヨット乗りのオジさんが
舫をとってくれた。
少し癖の強めの
口の悪いおじさんだけど助かった。
そして準備できたら
ボランティアベースに。
廃校になっている小学校がそのベースで
中に入ると
数名が会議中だった。
ことと事情をお伝えするも
何処の馬の骨ともわからん飛び込みの僕
もう予定組んでいるし
明後日くらいからなら。
と、ちょっと怪訝な顔をされ
事前の連絡なしは困るよ。って雰囲気。
まぁ、なんでもできるし
少し長めに滞在するつもりだから
手が必要なときに声かけてください
と、電話番号だけ書いておいてきた。
そして自転車で散策。
自分の生活環境の確認。
どこで食料とか水とか手に入るか?
とか、そういうの。
とりあえず海沿いを走り
聞き込みをして
自転車で行ける範囲なら
近くの道の駅で少しの食料が手に入る
ってことで峠を登り
峠の上にある道の駅へ。
って、着いたら営業15時までで
もう閉まってんじゃん。。。
出戻って駅の場所確認して
船に戻る。
しばらくしたら
ボランティアベースから連絡入り
翌日8時の朝礼からきてくれ。とのこと。
先にきて活動していたヨット夫婦も
帰ってきて
初めまして。
そして翌日の大まかな流れを聞いて
この日は就寝。
29日
朝、一緒にベースまで歩き朝礼に。
そして話を聞いて色々わかったのは
食事も、風呂も、洗濯ももちろんトイレも
全てがあるし
ボランティア参加者はそれらを使える。
食料も潤沢にあるし
作れる人が作って
みんなで食べて暮らしている。と。
だからヨット夫婦もここにきてから
食料も水も買うことないし
シャワーも毎日浴びられるから
数ヶ月のヨット生活の中で
今が一番充実している!と。w
なんだ。じゃぁ、前日に
峠の上までチャリ漕いで
インフラ確認した俺はなんだったんだ。。。w
んで朝礼で振り分けられたチームで
この日の活動へ。
貸出のヘルメットと
軍手を持って出発。
午前中は
倒壊した土壁の古い家屋の解体と
その土砂揚げ。
雨も降ってビッチョビチョの
ドロドロになりながらの土嚢ぶくろ運びと
柱などの木材の運び出し。
お昼は地元のお店にお金を落とす。
数日後に台風接近が予報されているので
割れた窓から風が吹きこまないように
なんとかしてほしい。という依頼で
窓の台風対策に。
この日はこれで終了。
各地、水と道路は
多くの場所で使えるようになってきている。
そのおかげで、最低限の生活が
できる状況も増え
被災された方々も
徐々に下を向くだけではなく
上を向く希望が行き渡り始めている。
そんな印象を持った1日目だった。
帰宅しシャワーを浴びる。
シャワーをこんな気軽に浴びられるなんて。
そして洗濯機を回して
乾燥室に吊るし
食堂に戻ればもう夕食準備が始まってる。
夕食作りをお手伝いして
みんなで夕食を。
美味しいし
しっかりお腹いっぱいに。
なんて十分すぎる生活だろう。。。
お酒や寄付で届いたおやつや食材もあって
自由に食べて、飲んでいいようなので
罪悪感のないように
募金箱にお金を多めに投入して
ボランティア生活をスタートさせた。
船に戻って就寝。
30日
この日はちょっとした振動で
グシャッていっちゃいそうなほど
かなり傾いた全壊のお家の
敷地外に倒れてしまった壁の撤去と
塀を壊して積む作業。
暑すぎてマジで熱中症寸前でしたが
水分とって休憩とりながら
なんとかやりきって
さらに家屋の中に入って
神棚を取り出した。
我が家には神棚なんてものはない。
神棚自体も
薄い木で作られた簡単なもの。
なぜ、こんなものを他のものを差し置いて
倒壊家屋から危険な思いをして
救い出したいのか。
疑問だった。
だけど、ここから数日で
この地域の人々の
仏壇や神具に対する想いの
重さを感じることになった。
それらが終われば
隆起した海岸沿いの道を走りながら
ニュースでよくみた景色のある
輪島市の2件目に移動して
数日かけているという
塀の取り壊し作業の続き。
なかなかに壊れにくく
この日もまだ少し残った。
帰宅しシャワー浴びて
夕食作って美味い飯を食い
酒飲んで寝る。
31日
ぐちゃぐちゃになった家から
仏壇仏具と冷蔵庫の運び出し依頼。
仏壇めっちゃでかい。
本当は大きくて立派な
食器棚も運び出し希望だったけど
食器類をどかしてみたら
隙間の空いた屋根から
雨が入っていたみたいで
カビだらけで腐っていた。
なので諦めることになったが
親の代から代々使ってきていたそうで
90歳とは思えないほど
背筋のピンとした
超元気なバァちゃんが
この土地、家との思い出を
聞かせてくれた。
それもここまでやな。と。。。
2件目は
傾いた蔵の2階から
輪島塗の漆器たちを救い出してほしい。と。
田舎の大きなお屋敷。
みんな集まることが多かったようで
どの家にも
足つきの御膳と漆器が大量に。
しかもその全てが輪島塗で
立派な木箱に収められている。
輪島の人たちにとっては
かけがえのないものなんだなぁ。
ってことでボランティアしてたら
もう8月も終わり。
早いなぁ。。。
ここのボランティアは
行政ではルールに縛られて
手をつけられないような微妙なところや
危険なところでの作業を請け負ってて
地元の人との信頼で
ボランティア活動をやっている団体。
それ故に
なかなかハードな内容が多いけど
その分、被災者の本当に求めるニーズに
応えることができるし
心寄り添った活動ができる。
そしてベースでの生活も
充実してるし
想いのある同胞が集まってくるから
なかなかに楽しい。
ってことでもう9月ですねー。
こっちまでくる予報だった台風も
かなり弱まり
ほぼ影響はなさそうな状況になったし
この先も安心して過ごせそうです。
夜はヨット夫婦が
ハーバーの前で遊帆というカフェを営む
僕と同じヨットに乗るご夫婦との夕食に
僕も誘ってくれ、近くの居酒屋に。
ヨット談義が楽しすぎました。
そして船に戻った。
翌日は波が上がりそうなので
ボランティアは休みをもらい
近くに住む友人と海に行く予定。
その友人が前入りして
僕のヨットに泊まりにくるってんで
それを待って
僕の前に停泊するヨット夫婦と
少しだけ堤防飲み。
そしてみんな寝た頃に友人到着。
さらに一杯やって就寝。