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滑り込みセーフ

そうして12日

朝起きたら声ガラガラ。。。

連日のMCしたあとはいつものこと。

 

朝からビンディングをカスタムしてもらい

 

山へ行こう!と思ったんだけど

狙った斜面はガスが入って真っ白。

 

来年で10周年を迎える

JapanFreerideOpen

展望を話し合い、コースの下見したり。

大会で使った大荷物の整理、片付け。

 

夜はさらに打ち上げ

そして更なる夢を語る。

 

 

13日

この日から全国的に異常な昇温予報。

もう春になっちまう。

いい雪滑れんのも最後か?

 

来シーズン以降の斜面の下見

という名の下に狙った斜面に入る。

急激な気温情報で刻一刻と変わる雪の状況。

それでも場所によっては

いい雪。いい斜面。いい。いい。

ギリ、滑り込みセーフ。

 

 

 

 

その後に

大会の荷物を最終的に全部発送し

片付けしたら解散。

 

それぞれのホームへ。

 

夜に東京着地。

 

 

14日

ゆっくり支度して

夕方の飛行機で北海道へ戻ります。

って、今回ビンディングカスタムした

この冬履いてるこの冒頭に映ってるスキー。

マジで調子いいんで

次回そのレビューも。

 

 

2月17,18日一緒に滑りましょう!!

さて、そんなこんなで

今年もビッグイベントが一つ終わったんですが

続いてのイベントのお誘いです。

 

旧アルツ磐梯とネコマスキー場が

リフトで連結され

往来できるようになり

「星のリゾート ネコママウンテン」

となったことはご存じの方も多いはず。

 

そしてそうなる以前からネコママウンテンでは

毎年この時期になると

ファン感謝祭的な

フェスティバルを開催していました。

 

そして今年も。

しかもグレードアップして!!

 

 

 

ってことで

僕もその中のコンテンツで

プロライダーと一緒に滑ろう!って内容の

「滑ろう会」てのに

この冬もお声がけいただき

みなさんと一緒に滑る機会を

セットさせていただきました。

 

 

 

午前中のみの開催ですが

希望者あれば掲載されている時間より

もう少し長く一緒に滑りたいな。

と思ってはいます。
 

特にレッスンってよりは

ライディングセッション。って感じで

みんなで滑ろうよ!ってイメージです。

その中から質問や

こんなことできるようになりたい!

なんて要望にはお応えして

みんなで挑戦したりもしたいと思っています。

 

また参加費の10%は

ProtectOurWintersJapan

寄付させていただきます。

ご参加いただいた方には

POWのステッカーもプレゼント!

ぜひご家族やお友達とご参加ください。

 

そしてこれまでこのタイミングで

いつもは

フリースキーforキッズ「WhiteArt」

ってレッスンキャンプも開催していたんですが

これは今まで僕が旧アルツで

イントラとして在籍していた時に

通常のグループレッスンでは手に余る

超上級クラスの子供達を集めて

切磋琢磨させる場を!

と思って造成したプログラムだったんですが

在籍していない今

そういう子達に直接声かけもできないし

どれくらいのニーズがあるかも

ちょっとわかんなかったんで

今年はみんなで滑るセッションだけの開催です。

 

でもこれっていつからやってたんだろう?

って振り返ったらたぶん2009年。

なので少なくとも15年間ものあいだ

毎年開催していたことになりますね。

改めて振り返って自分でもびっくり。

 

その中の当時の子供たちには

アルツにイントラとして戻ってきてくれた子や

神田のスポーツ街で

スキーショップの店員をしている子

自分たちでBCに出かけるようになった子もいて

いや、もう”子”じゃなくって

それぞれ大人になって。

なんだか感無量です。

 

キッズキャンプもやってほしい

って希望とかあれば

またいつかやってみてもいいかもな。

 

でもきっと

そういう子供たちと

もっと世代に近い若者が

そんな思いを持って

自ら開催してくれたりするともっといいな。

とも思ったり。

 

まぁ、なんにしても

みんなで楽しくスキーできるのが一番。

上手くなればそのぶん楽しさの幅も

一気に広がるしね。

 

ってことでまずは2月17、18日。

ネコママウンテンでみなさんのご来場

ご参加を楽しみにお待ちいたしております!

 

17日の夜はナイトパーティまであるので

夜までキッチリ!ガッツリ楽しみましょう!!

 

JapanFreerideOpen2024

って感じで8日の朝の新幹線で長野へ。

そこからバスで白馬乗鞍へ。

そしていつもの仲間の宿へ。

早速準備開始。

 

 

9日も準備。

夜にはジャッジやフィルマーなど

いつものみんなも到着して

 

 

10日

快晴の中、ジュニア大会。

 

 

教え子が優勝。

オーガナイザーの一人として差別化はできないし

MCの時には平等に接するしコメントするけど

表彰も全て終わったら駆け寄って抱き合ったわ。

 

大会終了後Open大会のコースに荷物を移動させる

大会コースのスノーコンディション

スロープコンディションは極悪で

マジか!俺なら滑りたくないな。。。。

と嘆くほどの状況。

しかし夜からしっかり降雪。

 

 

11日にOpen大会。

25cmほどの降雪があり

なんとかBetterな状況で大会を開催できることに。

 

みんなレベルがえげつなくアップしてて

すんごいランが続出。

やばかった。

 

夜のジャッジングイベントも大盛り上がり。

今年のThe Man賞が

The Manすぎて大興奮しました。w

 

ぐったりと帰宅。

みんなで乾杯して泥のように眠った。

 

JFOも今回で9年目でした。

来年で10周年。

なにかしらしたいね。とみんなで話しております。

アイデアはすでに

数年前から温め続けているものばかり。

カタチになるかどうかは

まだわかりませんがお楽しみに。

 

それにしてもこの10年で

”フリーライド”という言葉も浸透し

各地ではローカル大会が

多数開催されるようになってきて

もっと自由な発想のスキー、スノーボードが

それぞれの楽しみ方で

広がってきているように思います。

 

レースなどの競技生活を終えた

スキーヤー、スノーボーダーが

スキーは好きなのに

そのほかの楽しみに触れることなく

競技生活が終わればスキー人生も終了してしまう

そんな状況や

それらをメインストリームとすることで

一般の方々の楽しみの方向性の選択肢に

広がりを見せないというところから

もっとスキー本来の遊びとして

それぞれの楽しみ方を表現してもらう。

というのが始まり。

 

JFOは一応”コンペ”という形式をとっていますが

コンペ、コンペしすぎない

いい意味でのユルさと柔軟性

エンターテイメント性を持って

運営してきたつもりです。

 

それが各地で大会が増えるにつれ

ちょっと競技的コンペになってきている感もあり

そこに少しジレンマを感じますが

それもフリーライドというものが浸透し

レベルが上がったことで

その中で差をつけるために

ある程度どうしても

競技的判断と判定が必要になってしまう。

これはもう仕方がないことだと受け止め

むしろそれほど浸透し

日本人からも

世界で活躍する人たちが出始めていることに

喜びを感じてもおります。

 

しかしまぁ、なんにしても!!

今シーズンもみなさん

本当にありがとうございました!!!

 

 

 

 

 

 

友よ

5日の夜。
ショーを見ながらお酒をいただいている時に

一本の連絡があった。

仲間が山で息絶えた。

なんというか、焦点が狭くなり暗くなるような感覚で
目の前では派手なショーが行われているのに
そこには色がなくなり、僕には音が届かなくなった。

あいつが中学生?くらい
から一緒に滑ってたんじゃないか。
当時はとんでもないバカヤローだったけど
最近はなんだか
とっても柔らかく温かで頼もしかった。

この春も彼のいる島に
僕のヨットにスキーを積んで滑りに行こうかな
メンツはスキーは俺とアイツ。
共通の友人であるスノーボーダーと
カメラマンとなんて妄想していた矢先だった。

 

この冬、近しい仲間が2人も逝った。
1人はまだ見つかってもいないが
状況から考えてもう希望はほとんどない。

しかもどちらも僕よりずっと若い。
そして同じような世界に生きがいを感じ
挑戦を続ける、本当に近しい仲間だった。

山に命をかける価値が本当にあるのか。
何度も浮き上がる自問。

僕は幼少期から極端に死を意識し

死というものに怯えている子供だった。

 

小学校に上がる前から

人生の終焉というものを考えるだけで

胸が苦しくなり「死にたくない!」

と母親に泣きついてよく困らせた。

 

そんなチビだったから

やりたいことは全部やって

悔いのない人生を生きる。ということを

その頃からずっと思って生きている。

 

でもやればやるほど知見は広がり

やりたいこと、行ってみたい場所は増えていく。


より難しいラインや厳しい環境への可能性が見え
その可能性の先にあるものへの欲求は高まる。


その可能性の先にあるもの
それは確かに死の危険との境界線に
近づいていく行為だとは思う。

 

正直、僕も
滑ってみたい場所や見たい景色
やってみたいプロジェクトは
少しずつ

その方向へと歩みを進め続けていることは否めない。

生きてこそ。であることは間違いないし

死んでまで何かを成す価値なんてない。

しかし山での感動をなしにして生きれば
この命の価値は薄れるだろう。
命を失う可能性自体は下がり
価値の薄れた命は残るのかもしれないけれど。

そのさきにある感動や達成感は
僕らの命に本当の生きる意味を与えてくれる。


この世に

この宇宙の地球というこの星に生を受けた命の
本質的な何かに触れられる気がする。

死というものを可能性として認めながらも
その衝動はきっとこの先も抑えられない。

彼らはもちろん
死を望んでいたわけではない。
そしてとても悲しいことであることに違いはない。

でも街で過ごしていたって
日常の中でも死の可能性はつきまとう。
事故、事件、争い、病気。
望まない環境で望まない死を迎えるよりは
少なくとも彼らは望んだ環境で
それを迎えたといえるのかもしれない

あるいは。と。
慰め程度だがそう考える。

 

日々彼らの顔を思い出す。
早く命をまっとうした人間の
それが唯一の特権だろう。
残された多くの仲間や家族に
記憶として深く刻まれる。
何度も思い返す。

共に生き過ごした時間を。


昨日の夜遅くに東京につき
ごった返した雑多な居酒屋の奥で
一人席につき
遅めの夕食を取る。

味のしない数品をつまみ
ビールで流し込みながら

店内の客を俯瞰的に見回して
いろんな人生があるもんだ。
と、しみじみ感じる。

 

同じ地球上の同じ世界に生きているのに
それぞれは
それぞれの違う小さな関係性や欲求の世界で生き
バラバラに散らばっているように見えた。

同じ関係性や欲求、世界で生きた仲間の
”死” が持つ意味はとても大きく

衝撃を受けた僕の人生や価値観とは
また別の世界。
そんな不思議な感覚がした。

この刹那的な僕の短い人生を
より噛み締めて生きよう。
改めて。

突然消えちゃうと伝えられないから
今ここで生きる家族やみんなにも伝えたい。
愛しています。

 

死んだように生きるより
短くとも生きた人生を。

ありがとう。
友よ。安らかに。

意図せず”オフ”

んなわけで3日
この日は本当は東北ツアーからの
帰りのフェリーの中のはずだったのだが
急遽まさかの北海道ツアーになったので
フェリー移動がなくなり
丸っと1日空いた。

今シーズ初の何もないお休みです。
と言っても、複雑な精算業務などいくつかあって
それに時間を費やした。

 


4日

この日にガイド予約のスケジューリングが
僕のスケジュール帳にはお客さまの名前とともに入っていた
が、肝心なその予約の内容のメールが見つからない。
予約システムも空っぽ。
ん?

ないかもしれない。けど、あるかもしれない。
というわけで
どんな内容が来ても対応できる準備だけして
いつもの集合時間に待ちぼうけ。
こない。

お昼発の予約だったか?
お昼の時間にもう一度待ちぼうけ。。。
こない。

なにかの間違いだったのか。
でもなんとなく予約入ったの見た記憶が
どっかにあるんだけどな。。。
気になるのはお客さま名まで入ってることなんだけど
その名前から検索をかけても

メールシステムも何も引っかからないし。。。

ま、特にその後に連絡もないし
完全に僕の勘違いだったのだろう。

ってことでこの日もなんとなく休みに。

おかげで精算業務が完全に片付いたので
よし。


5日
朝からお客様と滑る
天気も良く、まだ最後の降雪が
生きて残っていたので
いい雪を滑れた。

 

カメラマンも同行して撮影してくれて

いい写真も残ったし
いい滑りもできてご満足いただけたようでよかった。
昼も夜もお食事にご招待いただき

ショーを見ながらお酒までいただいて

 

 

ありがたい。

いい1日で気持ちよく眠れる。はずだった。

1本の連絡が入るまでは。

 

 

6日

この日から撮影ということで日程を抑えていた。

何時にどこに集合ですか?

と前日に確認したら

 

「夕方5時にレストランで

夕食を食べている風景の撮影です。」

と。

へ?

 

といわけでこの日も日中はポッカリ空きそう。

だったけど

1本レッスンが入って

2時間はちゃんと滑ってお仕事。

 

天気も完璧だし

せっかくだからパークでも行こうかな。

と思ったけど

このタイミングでリフトが故障してアクセスが悪い。

クローズまでに行けても1本。。。

やーめた。ってことで

滑りは2時間のレッスンだけで終わり

夕食の撮影。

それはそれで楽しいものです。

 

 

7日

朝からライディングの撮影。

しかし曇り空。

雪のコンディションも最悪。って

かなり苦しい条件の中で

やれることを探して

やれるだけのことをやった。

 

まだ数日撮影は続くのだが

僕はもう行かなくっちゃ。。。

友人に続きの撮影の

代打出演をお願いしていたので

バトンタッチして

僕は荷物をまとめて大荷物で空港へ急いだ。

 

トマムから発送したんでは中2日かかるので

必要な日に間に合わない。

だから全部車に積んで

大荷物は全部宅急便で空港から配送して

体一つで本州移動を考えていたのに

空港でも結局「到着は10日になります。」って

それじゃ同じじゃん。。。

 

なら、ってんで急遽

大荷物を手荷物で預け、成田から発送しよう。

ってことであんなに余裕持って空港来たと思ってたのに

大荷物持ってあっち行ったりこっち行ったり

荷物料金も払って預けて

なんとかギリギリ滑り込み搭乗。

 

成田空港の宅急便カウンターの営業終了は

時間の記載はなく「〜最終便」とあった。

 

成田空港に到着し大荷物を拾い上げカートに乗せ

カウンターへ急ぐ。

そしてやっとの思いでカウンターに着いたら

 

「あ、すみません、もう今日の受付終了しました。」

って。

え?

 

 

22時30分クローズなんですよー。って

それならそうウェブでの案内に

「最終便」じゃなく時間書いていてくれ。

最終便って書いてましたけど。。。

僕、それに乗ってきたんですけど。

って食い下がった。

この荷物持って電車乗れってか?

無理よ。無理。見てわかるっしょ。

 

そして時計を確認したらちょうど22時30分。

今じゃん!

ってことで最終的には

ほんと嫌そうに受け入れしてくれた。。。

なんだよ。

日本のどこが

「O・MO・TE・NA・SHI」なのよ。

このRO・KU・DE・NA・SHI !!

 

そうしてようやく身軽になった僕は

電車に乗って上野に23時半過ぎに到着。

夕食も食べてなかったので

居酒屋で軽く夕食流し込んで

ホテルに。

あぁ、疲れた。

明日も朝は早い。

 

北海道Week

そうして27日の夜に苫小牧入港。

そこからお客様とミートして美瑛のホテルにチェックイン。

もう到着して荷物まとめたりしてたら24時頃でした。。。

 

 

28日

到着したばかりの方々で初日なので

まずは富良野スキー場から。

 

そして近くのお山へお散歩。

 

 

 

 

 

29日

富良野岳へ。

 

 

 

 

30日

朝チェックアウトして南富良野の宿に移動。

荷物投げ込んんでトマムへ。

 

 

 

 

31日

チェックアウトして

荷物は預けたままで南富良野のお山へ。

 

 

 

荷物ピックアップして小樽のお宿へ。

 

 

2月1日

猛吹雪の中、札幌国際。

いいの滑れました。

 

僕のこのチームでのガイド業務はこの日まで。

ということで仲間と夜にバーに。

 

 

2日

この日で先に帰る人がいてツアーの人数も半分になり

僕のお役は御免に。

 

久しぶりにトマムに戻りました。

 

1ヶ月分の荷物を片付けるところから。

それだけで骨が折れます。

 

しかしこれでシーズンのだいたい半分が過ぎ

折り返し。後半戦に。

このあとはだんだん

良い雪滑れる日も少なくなってくるってこと。

休んでなんていられない。

滑るぞー♪

 

 

 

 

 

東北Week

そんなわけで20日

盛岡でレンタカー確認からの

花巻のホテルにチェックインし

フィンランドからのお客様達とMeet。

 

この日は夜遅めに到着だったので

とにかく

高級旅館にチェックインさせたあと

友人と会って近況報告などして

就寝。

 

 

21日は朝から夏油高原に。

現地でテールをしてくれる友人と合流。

さらに夏油でガイドをする旧友が

この日の仕事がキャンセルになったから、と

午前中はガイディングもしてくれて

僕の仕事はなんともに楽ちんに。

あざます!

 

最後は雨みたいになってビチョビチョだったけど

 

おかげで満足してもらえ

他にも現地のカフェで勤める

旧友達にも再会でき

 

良い日だった。

 

お客様は宿でご飯だけど

僕は別の宿で一人なので

友人を誘い夕食を食べホテルに戻って

ゆっくりとしたいい時間。

 

この日の夜遅くに今回のメインガイドである

フィンランド人の国際ガイドが到着。

1年ぶりの再会。

 

とにかく戻って就寝。

 

 

22日

網張へ。

ずっと雨が続いていて

山の上では雪だ他とはいえ

標高下げてきたら

なんとも滑りにくい雪。。。

逆に面白いくらいで。w

 

一人こけて足痛いってんで

一応病院に。結果特に何もない。w

メインガイドもずっと咳き込んでて

それも見たもらいに。

医療通訳もできるな。オレ。

 

夕食はみんなでビュッフェ。

 

 

23日

朝にチェックアウトして

雫石。

まぁもうわかってたけど

気温も高いし

それまでの雨とかで

ここもかなり修行系。w

 

なので別の山にツアリングして

 

 

 

 

 

ちょろっといい雪滑って帰宅。

ちょっとピリッとするラインでした。

 

去年も泊まった高級旅館にチェックイン。

 

焼肉!!

食べすぎたー。

 

 

24日

田沢湖。

ずっと雪降ってて

パウダースノーが供給され続ける感じ。

まだ足りないけどいい感じです。

 

翌日に期待。

 

夜はめっちゃJapanな居酒屋。

 

 

25日

いい感じに積もった田沢湖に。

午前中はスキー場で滑り尽くして

午後はツアリングに。

いいとこ滑れました!

 

 

 

夜はもういちょ焼肉!!

 

 

26日

前日のラインを踏まえて

この日も朝はスキー場

 

大体やったらツアリングに。

 

 

 

バッフバフ!!

 

でもみんな早々に疲れて早めに帰宅。

まだ陽がある!

 

ホテルでの懐石をいただいご満悦。

 

 

27日

最初のグループの最終日。

この日は滑らず帰すだけなので

朝ゆっくりめで

みんなのパッキングした荷物を詰め込んで

お見送り。

 

本当はこの後もまだ1週間

別のグループ到着して

東北ツアーが継続のはずでしたが

昇温予報もあり

こんなんじゃダメだ!北海道に移動だ!

ってなって

それまでのホテルも全て取り直して

後半戦のゲストは北海道で迎えてツアーすることに。

そんな大胆な変更が可能なんて

すげぇな。。。と思いながらも

そのあとの僕の予定も北海道だったので

非常に助かる!!w

 

八戸港までひた走り

乗船。

 

さて、次のツアー

北海道編が始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

ネコママウンテン

そんな感じで17日の夕方に

野沢温泉を出て

目指すは福島。

 

道中で食事して

新潟に着く頃にはいい時間。

新潟に安いホテルを確保し

久しぶりにPC作業。

んで就寝。

 

 

18日

朝からもうひとPC作業して出発。

 

ランチして午後には福島に入り

駅前のコインランドリーで洗濯でもして

車中泊かな。なんて思ってたんだけど

喜多方の古くからのスキー友達に

スキーの仕事を手伝ってもらうのに電話してたら

家建てたから泊まりにおいでよ。と。

いく!!

ってことでお泊まり決定。

 

近くのコインランドリーで洗濯をしながら

家主の帰宅を待ち

新居にお邪魔します。

でか!めっちゃいい家やん!

昔からの友人もこんな立派な家を建てるのね。

なんか年取ったなー。俺ら。w

俺なんて家を失ったのに!w

 

そしてお風呂も夕食もお酒も頂戴し

お泊まり。

 

 

19日

アルツと猫魔が連結され

名前も新たになったネコママウンテンで

昔から見させていただいている

ご家族のレッスン。

 

あんなに小さかったお子さんが

今では大きくなって。。。感慨深い。

親戚のおじさんのような感覚です。w

 

例年に比べ絶望的に雪が少ない状況で

これ以上ないくらい

カッチカチのコンディションでしたが

連結のリフトにも乗って北側に移動して

帰りも乗って

なかなか楽しめたし

みんなうまくもなった。

 

その日は用意していただいた

会津若松駅前のホテルに宿泊し

夕食は行きたかった名店に。

せっかくなんで地元の友人を誘い

なんだかんだワイワイとして

満足して解散。

 

 

20日

チェックアウトしたら

快晴の磐梯山を横目に

 

一気に岩手に移動。

さて、2週間の東北ツアーが始まります。

 

 

これぞ堪能スキー

そんな感じで16日

二日酔いながら

奇跡的に朝早くから目覚めて

早めからの活動開始

 

この日の参加者、男性3名。

今回は滑れる人だけに

限定させていただき

直接お誘いした方

もしくはその方の推薦者のみ。

 

前日に見にきてもらった

道祖神祭りの感想とか聞きながら

山に上がる。

 

この日は猛吹雪で

ゴンドラなど運休で

山の上には上がれず

麓のみ。

 

こういう時こそ

ローカルの手腕発揮です。

てか野沢温泉の

スキー場としての懐が広いから

それでも全然困らない。

 

直滑降しても

前に進まないくらいの

向かい風エリアをこえて

いい斜面をあっちこっち。

麓だけで大満足していただけました。

 

戻れば温泉行って

1杯ひっかけて宿に戻れば

新たに2名の女性が到着して

一緒に夕食を食べに出て

みんなで乾杯

 

帰りに温泉に入り

1杯ひっかけて宿に戻る。

 

行く先々で友人と出会い

盛り上がれる野沢温泉。

楽しさは倍増する。

 

宿のお上さんからいただいた

差し入れの瓶ビールで1杯やって

就寝。

 

 

17日

ピーカン晴れ。

雲一つない。

風もない。

マジで最高のやつです。

 

朝飯お預けで

とりあえず朝のいい時間に

いいところ滑りまくって

から、ブランチ。

毎度サービスで

コーヒーつけていただいて。。。

ありがたし。

 

さらに、あっち!こっち!と

コースの長い野沢温泉を堪能すべく

コースの途中で止まることは

ほとんどせずに滑りまくった。

 

例年の半分もないくらいの積雪で

看板にも全く届かない感じですが

 

ポカポカの日中は

おやつどきにソフトクリームを

みんなでお外で食べて

「最高だねー」を連発させて

クタクタになるまで滑り尽くし

それでも2時半頃で

下山し、女性2名は

パッキングして帰路につき

男性陣はみんなで外湯に入り

あったまってから解散。

 

祭り、酒、飯、温泉

スキー、雪、景色、etc...

スキーをする上で考えられる

すべての楽しみを思う存分堪能し

今回のツアーも無事終了。

 

僕は写真も撮らず滑りまくったので

すべて参加してくださった

皆さんからの写真を拝借。

 

あぁー、楽しかった。よね!!

またやろう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道祖神祭り

てことで14日のお昼過ぎに

エコースキークラブの皆さんも帰られ

僕は荷物を友人宅にお引っ越しをし

着替えて準備して

道祖神祭りの社殿組みのお手伝いに。

 

村民のみんなで協力し釘一本使わずに

縄だけで縛り上げて社殿を組みます。

作業は夜遅くまで。

 

 

15日

朝から祭り会場の雪ふみ。

みんなで肩組んでツボ足で。

 

それが終われば僕の役目は一旦終了。

荷物をこの日から数日お世話になる

宿に移動させ

祭り本番の準備して

仲間と景気づけに飲みに。

 

そして本番始まる頃から会場の手伝い。

押し寄せる人波を押し下げて安全を確保する役。

 

松明での攻防も激しさを増し

僕もテンション上がり

御神酒を煽りまくり、、、

ってそこからプツリと記憶なく。。。

 

気がつけば近くの作業で使う建物で

うずくまって寝てた。。。

 

祭りが終わり、みんなが建物に戻って

バタバタし始めたことで目が覚めた。

会場警備の役目は最後まで果たせたのだろうか。。。

社殿に火がついたの見た記憶ないな。。。

それまでに僕は沈んでしまったのか?

何が起こったのかわからない。。。

 

情けない状態のまま

千鳥足でなんとか宿に帰宅。

 

服だけ脱いでコタツに潜り込んで

そのまま昇天。

 

 

16日

同級会のみんなと

主役である厄年の衆に

申し訳ない気持ちと

バリバリの2日酔で目覚め

この日からのスキーツアーに参加してくれる

みんなとおはよう。

 

とりあえず眠気と酔いから体を覚ますために

数名で朝風呂に。

 

あっつい風呂に浸かり

ちょっとシャンとするが

足元はずっとフワフワ。。。

ま、この日はいつもこんな感じ。

山へ行こう!!

 

こうして記憶も写真も何もない

僕の2024年の道祖神祭りは終わった。