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ホリデーを取り戻せ!! 伊勢志摩編

というわけで22日

向かったのは伊勢志摩。

 

リアス式海岸と多くの島々と英虞湾

船の文化が色濃く

たまに桟橋付きの物件情報が

あがってたりするので気になっていた。

 

昔、わりとひどいアトピー体質だった僕

皮膚にいいからと

よく海に連れて行ってもらっていた

それがどこの海だったのかは

幼少期の僕の記憶には残っていない。

でもきっとこの辺もよくきてたはず。

各所の地名の響きだけは

何となく聞き覚えがある。

 

そんな思い出を辿る旅でもあり

 

ヨット生活をする上で

知っておきたい情報を収集する旅

続きでもある。

 

まず向かったのは伊勢神宮外宮。

 

内宮には何度も行っているし

この春にも

野沢温泉の道祖神祭りの

厄落としの最後の締めくくりとして

お伊勢参りもしていた。

 

でも外宮には

行ったことがなかった。

 

てことで

 

美しいね。やはり。

昔は社殿なんてなくって

その当時古代の人々が

ここに神の存在を感じ

ここに神を祀るために

聖域ときめ

その中に社殿を建てた。

 

つまり、今はここに社殿があって

みんなそれを見に

そこに神の存在を感じに

ここを訪れているのだけど

ここに社殿が立つ前に人々に与えた

この場所本来の自然が持つ力

みたいなものに僕は惹かれる。

 

もちろん、社殿の作りも素晴らしいし

それだけの神への敬虔な想いから

設けられたさまざまな

式たり、作法も素晴らしい。

それが文化となり今に続いていることも。

 

でもそれによって

そこの自然の持つパワーみたいなものに

あまり足を止めて

感じようとする人は少ない。

 

そういう人にとっては

社殿から社殿に移動するために通過する

守られ残された景色でしかない。

本来はその逆だったはずなのだが。

 

とまぁ、そんなこと思いながら

次は朝熊岳金剛證寺へ。

伊勢神宮の鬼門を守る寺として

神宮の奥之院ともいわれ

 

「お伊勢参らば朝熊をかけよ

朝熊かけねば片参り」

と伊勢音頭の俗謡にも唄われた寺。

 

つまり僕は今まで

方参りしかしたことがないので

これは行かねばなるまい。

 

ここにいくには登山しないのなら

伊勢志摩スカイラインという

有料道路を使うしかない。

そして入口の改札でびっくりした。

普通車料金1270円。

たっか!!

 

まぁ、これしかないんだから

乗るっきゃない。

でもまぁ、走れば

途中途中にある展望台からの景色は

本当に素晴らしいし

その価値はあった。

 

 

そして朝熊岳金剛證寺

 

 

 

 

池に映る太鼓橋と空に浮かぶ白月が美しい。

 

 

 

さらに奥之院も行ったけど

とんでもなくデカい塔婆が

立ち並んでました。

 

写真では伝わりにくいけど

真ん中にある黒い線は

固定するための針金なんですが

この高さも僕の身長より上で

たぶん2mくらいの位置。

そう思うとまだまだ上に高いので

想像してもらいやすいかも。

 

そしてその少し上にある

朝熊岳山頂展望台からも絶景。

 

 

 

 

 

 

タイミング的にも

いい時間帯でした。

 

そして下山し

海岸線沿いに南下。

 

 

地元の居酒屋さんで

ノンアルビールと

おふくろの味な居酒屋メニューを。

 

近くの温泉行ってゆっくりして

翌朝の日の出を

横山展望台で見ようと

展望台の駐車場まで上がって車中泊。

 

だったんだけど

夜も車がちょこちょこきては

懐中電灯で照らして

山の展望台の方へ入っていく。

 

確かに月明かりは綺麗だったので

そんなに?いいの?

完全に寝る体勢だったけど

ダウンを羽織って

靴履いてヘッドライトつけて

展望台へ。

 

なるほど。夜景か。

オリオン座も輝いている。

 

だから怖がる女の子を

「大丈夫だよ」とリードして登る男の

カップルが多かったのか。

 

雲ひとつなく月明かりだけで十分に明るい。

 

んで車戻って僕は就寝。

その後もたまに車登ってきてたけど。

 

 

23日

朝、日の出前から登りだし

大体みんな駐車場から

すぐの展望台までだったけど

僕はやっぱり

一番上の展望台まで登ります。

 

木もれ日テラスを越え

そよ風テラス

 

みはらし展望台

 

 

一番上の英虞湾展望台で日の出を迎える

 

 

 

 

美しかったなー

しっかり太陽が上がり切るまで

ゆっくりとさせてもらいました。

 

それにしても英虞湾て

ほんと複雑な地形。

そして無数の島々。。。

すごい場所だな。。。

 

今日は向こうまでのびた

飛び出した半島の

一番先っちょにある

御座白浜まで行ってみます。

 

というわけで下山。

 

ちなみに個人的には

展望台としては

そよ風テラスが好き。w

 

降りてきたら

横山展望台ではヨガのクラスが。

 

確かに場所はいいよね。

でも、自然の中でヨガをするのは

人や物音がないから

自然と自分の内側に集中できるから。

こんなに多くの人と

そしてポーズを導くために入る

先生の声が

それを邪魔してる気がしてならない。。。

僕なら一人でやるな。。。

 

とか思いながら海沿いに出て

サーフポイントを確認しながら移動。

 

実は滋賀県からだと多くの人は

太平洋だと

この辺りにサーフィンしに来るのですが

僕が始めた時に

地元のサーフィンの先輩方は

この辺りは混むから、と

いつも伊良湖や御前崎まで行っていて

それにご一緒させてもらっていた僕は

伊勢では入ったことがなかった。

なのでこの機会に!と

それも目的の一つ。

でも波はいまいちで

午後の潮が満ちてきた時が良さそう。

 

ってことでまずは真っ直ぐ御座白浜へ。

 

水も本州ではトップレベルの透明度。

伊豆とかと同じくらいかな。

太平洋側も覗いてみたけど

海の様子が全然違う。

 

ちょっとそこでゆっくり休憩。

 

そのあとは気になってた

桟橋付きの物件を見に行ってみる。

と、なるほど。

漁業者の作業小屋のような感じで

道がなかなかワイルドだし

途中からは歩きじゃないと入れない。

なぜ売れないのか!?

と、気になってたけど
そういうことか。

 

そのほかにも湾内の

海岸線に面して

家が点在しているようなところも

入ってみるが

どこもわりとワイルドな道。

 

その辺りにも太平洋側には

サーフィンできそう?

な場所がありそうだったので

いくつか見て回る。

が、どこも波はワレてない。

 

 

途中でランチもしたし

なかなか切り返しの面倒な

ワイルドな道を

ちょろちょろ動いて疲れたし

海辺の公園で横になった。

 

空には羊雲が綺麗だった。

 

その後も少し寄り道しながら

いい頃合いだろう、と

サーフポイントへ。

 

まぁ、できそう。ってことで

陽が傾くまで入水。

 

 

運転に疲れた僕の体には

海に浮かぶのは

とてもよく体がほぐれる。

 

もうある程度この辺りも見たし

翌日の鳥羽からのフェリーで

伊良湖へ移動することにして

 

寄り道し

美しい夕焼けに目を奪われながら

 

 

フェリーターミナルのある

鳥羽方面に走る。

 

翌朝の日の出を

二見浦の二見興玉神社にある

夫婦岩で迎えることに決め

神社前の駐車場に車を停める。

 

歩いて行ける範囲

昔ながらの趣のあるお店で夕食を食べ

車に戻って、寝る準備をしたのだが

 

ここでもやはり夜のうちから

パラパラと人が境内に入っていく。

ならば僕も行こう。

 

夜の夫婦岩。

 

静かでいい。

 

 

んで車戻って就寝。

 

 

翌24日

朝日の出を見るための

有名スポットでもあることから

朝から人々がそぞろ歩く。

僕も頃合いを見て

車から出て夫婦岩の方へ。

 

 

 

夫婦岩の間に上がるのは夏至のころ。

今は少し回り込んだ

奥のところから日の出が見られます。

 

 

 

 

 

朝からやってるカフェを探して

そこでフェリーの情報を調べ

その時間になるまで

気になっていた船具屋さんや

真鍮のインテリアを作るお店に。

 

船文化が濃く

船需要が多いこの場所には

そういった他ではあまり見ない

専門店があって面白い。

 

そしてそれらも見たらいい時間。

出港間際のフェリーに滑り込んで

いざ目指すは

船を使えば目と鼻の先

渥美半島、伊良湖。

 

ホリデーを取り戻せ!! 遠州灘編へ

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

命の循環。

そうして21日

朝から車を走らせ

向かったのは

滋賀の山の麓にある

琵琶湖を望むことのできる

大きく開けた霊園。

 

 

1月10日に天国へ行ったじいちゃん

お墓が決まり、納骨されたと

聞いていたので

場所を聞いて一人、お墓参りに。

 

 

血縁のない友人の家の墓参りをしておいて

 

自分のじいちゃんの

墓参りしないわけにはいかない。w

 

いつか僕もこうして土に帰るのだ。

今ある命を意味あるものに燃やそう。

 

ただ僕は焼却されて

骨壷になんて入れられたくない。

 

できればそのまま埋めてもらって

桜の木をその上に植えてほしい。

僕の形を失った肉体は

微生物やバクテリアに。

そしてその木の養分となり

違う命から命へと紡がれていく。

 

僕の肉体は

地球の誕生から続いてきた

最も自然な形で

自然の循環として

死んだ意味を与えられる。

 

そうして春になるたびに

その木の下に皆が集まり

人々に笑顔を与える。

それが理想。

 

今の日本の法律では

そうはできないらしいが

死んでもなお法律に縛られるなんて

なんてくだらない世の中なんだろう。

 

でもこういうことを望むと

本当にそうなってしまうらしい。

例えば僕が山で死ねば、そうなるだろう。

でも、そうしたいわけじゃない。

まいったまいった。

 

実家に戻る道すがら

あまりに天気がいいので

昔よくきた湖岸のビーチに。

 

琵琶湖は穏やかに澄み

木々は秋を彩っていた。

 

 

 

 

実家に帰れば

ベランダの前の

差し込む太陽の光に

温めてもらいながら昼寝して

 

夕方から翌日出発の準備。

といっても準備はほとんどできてたし

最後の整理と確認程度。

 

 

22日

やるべきことを終え

また春に戻ります。と母に伝え

昼前には出発。

 

向かうは伊勢志摩。

ホリデーを取り戻せ!! 伊勢編へ

つづく

ホリデーを取り戻せ!! 瀬戸内編

んなわけで18日にまずは淡路島に。

このヨット生活をするようになって

海の情報をくれる方が増えまして

 

まずは淡路島の友人から

12月から新たに借りる

港近くの家を

ゲストハウスにするつもり!

見に来てよ!と連絡あったので

そこを見に。

 

なかなかデカい家。

しかも港の昔ながらの漁師町っぽい

自転車か原付しか入れないような

入り組んだ細い路地の先にある古民家。

確かにこの小道は面白いかもね。

 

ヨットを1年改装&修繕したこともあり

DIYに関しては結構業者に近いところまで

わかるようになってきていたので

その辺もアドバイス。

いつでも泊まりに来ていい!と公認を得たので

太平洋周りで移動するときは

中継点にしたいと思います。

 

港も確認。

なかなか漁業者多そうな

いっぱい船の停まった港だったけど

きっと航海途中にちょっと寄って

繋いだんだろうなってヨットも

停まっているのを確認できたので

多分いけるはず。

 

んで夜は

その友人家族との

久々の再会を祝い乾杯し

 

 

翌19日の昼前には次なる目的地

香川県の沖合に浮かぶ粟島を目指す。

 

ここも仕事を一緒にしている友人から

祖母が住んでいた家があるのだが

島にあるからなかなか見にも行けないし

どんどん悪くなっていくばかり

住んでくれるならむしろありがたい!

と言っていただいた家があったので

そこを下見しに。

しかもGoogleMapで見れば

本当に小さな島で

目の前は港だしヨットもつけられそう。

 

途中、香川といえば!の

うどんを食し

連絡フェリーの着く港へ。

 

島民の足なのね。安い。

 

この船に乗船、出港。

 

到着しとりあえず友人の祖母宅へ。

もちろん中には入れないが

許可は得ていたので

門を開け、敷地内を見させていただき

庭から窓を覗いて、家の中も拝見。

どデカい。。。

そしてもう草が多い茂っているとはいえ

中庭も畑も素敵。

家の中は大きな

広い広い土間のスペースもあって

掃除すればいい感じじゃないか。

 

とはいえ、いきなりこの小さな島に

どこの誰かわからんやつが

空いてたはずの家に住み始めたぞ!

ってなったら怪しまれるし

島民の方にあって色々お話ししたいな。

船の係留のこととかも聞きたいし。

と思いながら

まずはこの島この時期唯一のホテル?

にチェックイン。

 

日本初の海員学校の敷地にある宿なので

残されている校舎がすぐ目の前に。

 

予約取るとき

普通の15時以降のチェックインで

夕食付きのプランがなく

朝食だけ付いたプランにしておいた。

 

夕食付きプランがないってことは

どこか食べるところがあるはず。

GoogleMapで見る限り

近くに1軒だけ食堂あるっぽいし

と思っていたのに

 

「どこで夕食食べられますか?」

と、聞いたら

「えー。今はないねー。

なんか持ってきてないの?」って。。。

 

えーーっ!!

何もないよ!

え!?食堂は?GoogleMap見たんだけど!

「夏しかやってないし、商店が一軒あるけど

タケウチさんところも今日はお休みで

やってないねー」

って。。。

 

えーー!って困ってたら

「18時便のフェリーで

夜のスタッフが来ますから

お弁当買ってこさせようか?

何でもいいかい?」

だって。w

 

お願いするしかないので

そうしたけど。w

 

んでとりあえず18時までは時間もあるし

外に出て散歩でもすっかな。

と思ったら、玄関口で

「お兄ちゃんどっから来たの?」

と島民のおじさん?おじいさん?

「これからあそこの

千葉から来てる女の子と

自転車で西浜行くけどアンタも行くかい?」

と、ナンパされ。

もちろん!!

 

ってことでレンタサイクル屋。

というか自転車置いてある場所行って

500円を壁の穴に放り込んで

勝手に持っていくスタイル。w

500円なかったから

どうせ翌日も乗りたいし1000円入れて

おじさんと

同世代の千葉からの一人旅の女性と

3人でチャリンコツー開始。w

 

綺麗なサンセットビーチ。西浜。

 

その後もツアーは続き

ここは廃墟だ。

ここは2年前からもう誰も帰ってきてない。

ここはちょっと前に立て替えたのに

病気で亡くなられてもう今は誰も住んでない。

この先の家には1人だけ婆さんが住んでる。

この先は昔は行けたんだけど

今は人もいなくて草が覆って

今はもう通れたもんじゃない。

などなど、基本空き家か廃墟だ。って説明を

たくさんしてくれました。w

 

昔は2000人ほどいたらしいのですが

今では200人足らず。

日本で最初の海員学校ができた島で

大きな貿易船や

商船に乗る人がたくさんいて

昔はそれはそれは

お金持ちがいっぱいいたんだ。と。

他にも色々。

 

そして家に住めばいいって

言ってくれてた友人から

しばらく行けてないから

ついでにうちの墓参りもしといてー。

と、言われていたので

そのおじさんにお墓も案内してもらい

全く関係のない千葉の女性も

謎に一緒に手を合わせてくれ

3人で

誰も血のつながっていない墓の墓参り。w

 

日も暮れていい時間。そろそろかな。

ってタイミングでおじさんは

「うちで一杯やろう!」

ってテンションになって

女性はそこでホテルに戻られたけど

僕はもちろん!とついていく。

 

家を建てた経緯から

外観や畑、建てた時のこだわりも

とにかく全部を話してくださり

「嫁さんが亡くなって

あんまり掃除できてないから

汚いんだけど悪いな。」と。

中に入れてくれ

確かに決して綺麗とは言えないな。

と思いながらも

席を用意してくれ

酒でいいか?と

あんまり綺麗に洗われていない

汚れて曇ったグラスに

カッピカピになった

ネギか何かが張り付いている。。。

 

そのグラスになみなみの日本酒を注いでくれ

グラスはあまり見ないようにして

グッと流し込む。

グラスはともかく、酒は美味い。w

 

その後

おじさんの生い立ちから

家庭構成、どんな仕事してたとか

あのときはどうだったとか

奥さんとの馴れ初めや

若かりし頃の話

京都にいる娘と

東京に出た孫の話

とにかく奥さんが先立って

もう何年も経つが寂しいんだ。と。

本当にも色々聞かせてくれた。

 

ホテルからお弁当届きました!

の電話が入り

ホテルに戻り

弁当食ってシャワー浴びて就寝。

 

 

20日

前夜に夕飯がなかったぶん

朝食はモリモリ。

朝から腹パン。。。w

 

朝からチャリで

島の端から端まで見てまわる。

 

当時の車が完全に朽ち果てている。

車って、こんなにまで朽ちるのね。。。

 

 

全体を把握。

 

戻って自転車を返却したら

前日の夕方はフラットだった桟橋が

とんでもなく急勾配になっていることに気づく。

 

調べたらなんと干満差が3mもあった。。。

これはいつかヨットを係留することがあったら

干満さにもしっかり気をつけないと。。。

 

前日はやってなかった

港前の島唯一の商店ものぞき

 

昼の便で隣の人口20人程度という

もっともっと小さな島、志々島に向かう。

 

乗船客、僕だけ。

もちろん降りるのも僕だけ。

 

15分くらいで志々島に到着。

降りてすぐの家でお爺さんを見かけた。

おお、人がいた。って感じ。

 

すぐのところにお墓。

 

これが志々島のお墓らしい。

 

この島には車がないんだろう。

軽トラでもギリギリ通れない

くらいの道幅の道が

海沿いに短く1本あるだけ。

 

とりあえずそれを突き当たりまで歩く。

ほんと短いから

それもあっという間なんだけど。

 

商店があったが

中に入っても誰もいない。

 

商品はほとんどなく

売られているものは

いつのものかわからない

タイムスリップしたかのような日用品。

 

何だか本当に時空を飛ばされて

タイムスリップした世界に来てしまった

みたいな、少し怖さも感じるような静寂。

 

ヤギが1頭いて餌を食んでいた。

近寄っても全く気に留める様子もない。

 

さらに奥まで行くと

完全に崩れた廃墟がちらほら。

 

山頂の景色がいいことだけは

前情報で入れていたので

一番奥の山へ続く階段を登る。

 

両脇に朽ちた廃墟が並ぶ。

ちょっと怖い。。。

 

夕方以降は歩けないな。。。

 

でも快晴の気持ちいい天気だったから

当時ここにあったであろう日常を

思い描き、想像して歩く。

何とも不思議な空間。

 

山頂まで着くとそれは素晴らしい景色でした。

 

テーブルや椅子もあったので

ポットに入れてあったコーヒーを飲みながら

ちょっと休憩。

 

そしてもう一つ情報のあった

大楠の方へ。

 

尾根沿いを歩き

ちょっと島の裏側へ降った先に

その巨木はあった。

 

正直、この小さな小さな島にある木なんて

大楠といえどもこの島にしてはデカい

そんな程度だろうと思っていた。

とはいえ、他に見るものもないし

一応見とくか。と。

 

が、しかし

その存在感がとんでもなかった。。。

想像の10倍くらい大きくって

とんでもなく神秘的だった。

 

何だろう、その生命の塊!!

って感じの存在から放たれるエネルギー

その空間、空気感。。。

 

 

 

 

 

圧倒されました。。。

これはこのためだけにでも

この島に来る価値がある!

と言ってもいいほどでした。

 

んで下山。

本当に小さな島なので

全部で2時間ほどかな。

 

途中、かなり高齢な

お爺さんとお婆さんを見かけましたが

その程度。

 

歩くのも大変そうなのに

この海岸線以外

急な山道しかない島で

どうやって生活しているんだろう。と。

 

誰もいない島の船着場にあるこのベンチ。

連絡船が来るのを待ちます。

波の音とたまに聞こえる鳥の声。

なんだか「千と千尋・・・」の

千が海の中の線路で列車を待っている

あんな気分でした。

 

そしてしばらくして船到着。

このときは

え!?何しに?住んでんの?

って感じで6人くらい降りてきたかな。

香川の方へ働きに?買い出しに?

みたいな島民らしき人も。

とはいえ、後10年もすれば

無人島になってしまう

可能性だってあるなー、と。

 

連絡船に乗って僕は

元来た港

車を停めてある四国本土の港へ。

 

そして次に向かうは山を越えた

高知県の仁淀川。

 

実は冬の仕事の話を聞かせてほしいって

連絡をくれていた

川のガイド業をされている

有名ガイドさんからの連絡を

返答するのを忘れていて

この時、間を繋いでくれていた方から

連絡してあげてね!

っというメッセージが入った。

 

あー!忘れてたー!

けど、何と偶然にもそれは高知の人で

偶然にも僕は四国にいる。

調べれば

1時間半かからないくらいの距離。

これは行くっきゃない!!

と思って連絡をしたら

16時にはツアーから戻るから是非!

とおっしゃってくださり

突然で迷惑かなー

と思いながらも行ってみた。

 

そしてはじめまして!

から、それぞれ聞きたいこと

話ししたいことを

バババーっと話して

ではまた!!

と、僕は大阪の方へ。

 

その方が活動されてる

ベースのにはカフェもあり

コーヒーを注文しておきながら

コーヒー代払うの忘れて出てしまった。

後で気づいて連絡したけど

いいですよー!って。

あの時はほんとすみません。。。

ご馳走様です。。。

 

夜の明石海峡大橋を越え

 

数日間の自転車の

ガイドツアーを終えた仲間と

大阪、天満で合流し

飲みながら諸々のヒアリング。

情報共有。

 

天満泊。

 

ってことで

僕のホリデー、瀬戸内編も終了。

 

 

翌21日朝、宿の看板猫にお別れを告げ

 

この後は一旦実家に戻って

伊勢、東海編へと移行します。

 

 

 

 

 

 

実家滞在記

そうして14日

朝から銀行に書類を取りに行き

叔母の家に頼まれたものを持っていき

そのまま山を越えて日本海の波。

 

何箇所か見たけどこの場所に落ち着き

日没まで。

 

ボチボチ良かった。

 

帰宅したら翌日の車検に向けて

車の荷物をある程度おろす。

 

 

15日

朝からがん検診行って

車検出しに行って代車で戻り 

書き込んだ書類持って

必要書類印刷して銀行に。

 

一旦帰宅してちょっとしたら

アメ車のレストアと

高級車両の販売をする友人のガレージに。

相変わらずいい仕事してました。

 

夜は友人が集まってくれ

30周年を迎えた母のバー

「TACHARES(タハレス)」で乾杯。

いい時間でした。

 

 

16日

朝から健康診断にいくはずだったのに

ちょっと寝過ぎた。

午後診療にしよう。

 

PC作業や書類整理などして

車検終わりの車を取りに。

戻った車に荷物積み込んで

郵便物出しに行って

夕方に健康診断。

 

戻ったら友人から連絡あり

近くの居酒屋で乾杯。

 

早めの帰宅、就寝。

 

 

17日

次なる準備。

翌日出発のため荷物を車に積む。

夕方に奈良でガイド中だった先輩が

お客さんと寄り道してくれ

美味しい近江牛の焼き肉を堪能してもらい

実家のバー「TACHARES(タハレス)」にて

30周年を祝ってもらい乾杯。

先輩は帰宅。

お客様はお泊りのホテルの方へお送りして解散。

 

いつか洗濯して片付けてあったズボン。

タンスから出して吐いて出かけていたのだけど

ポケットの奥に

噛んだガムを包んだ紙のような感触があった。

取り出してみると。。。w

 

 

18日

朝から最後の準備をして

ホリデーを取り戻す旅、瀬戸内海編へ。

 

 

ホリデーを取り戻せ!! 伊豆編

というわけで7日の午後に

久々に茅ヶ崎の家に戻り

詰め込まれた荷物を下ろして

せっせと片づけと次なる荷物の準備。

翌日からは東ウネリになり

伊豆波が良さそうだと判断し

サーフトリップを計画。

 

我が家に住んでくれている後輩が帰宅し

一緒に飯を食いに。

人生観や恋愛やサーフィンやスキーやの話。

帰宅しシャワー浴びて就寝。

 

 

8日

残りの片付けとサーフトリップの準備して

どうせなら。と思いつきでその夜の宿も予約。

 

いつもならスキーのオフシーズンは

海外にスキートリップ行ったり

サーフトリップ行ったり

もしくは放浪の旅か

日本での島めぐりか。

なんてしていたのに

この1年はヨット作業に張り付きで

オフシーズンのホリデーらしいホリデーを

とれていなかったので

このスノーシーズンのシーズンインまでの

11月の長めに持たせたトランジション期間を

ホリデーらしく過ごしてやる。

そう決めたのです。

 

クリーニング屋さんにワイシャツ預けて

車屋さんに車検の予定聞きに行ったりして

やるべきことやったら伊豆へ。

 

昼過ぎに到着し

イベント終わりの伊豆旅の相方と合流。

そのまま風の合う多々戸で入水。

日没まで。

期待していたほどサイズは上がらなかったが

まぁまぁ遊べた。

 

いつもなら絶対車中泊なんですが

今回気になった宿は地中海風。

お部屋は船内をイメージした部屋。

ここでもヨット感が楽しんでやる所存です。

 

 

 

 

 

 

 

9日の朝も

他がダメそうでやっぱり多々戸。

昼休憩して他もいくつか見て回ったけど

 

やっぱり午後も多々戸。

日没まで。

 

本当はこの日に帰宅して

10日にイエティって人工雪スキー場で

この冬のスタッフのトレーニングするはず

だったんだけど

暖かい日が続き雪が溶けて

クローズしてしまっていた。

 

なので帰る必要も無くなったので

夕食食べながら

この日の宿とってチェックイン。

温泉入って就寝。

 

 

10日はベランダから日の出を拝み

 

 

 

日の出と共に白浜入水。

 

最後にいい波1本乗れて満足であがって

帰路に着く。

 

茅ヶ崎に戻り

まだ時間もあるし

タイミングよく見たかった映画

「君たちはどう生きるか」の上映があったので

久しぶりの映画鑑賞。

 

んで帰宅。

 

ウェット洗って干したり

片付けして

飯食って風呂入って就寝。

 

 

11日

この日は横浜でミーティングがあると思っていた。

ら、翌日だった。。。w

ってことで1日フリーに。

残念ながら波はなく。

ただ淡々と家で冬支度を進めた。

 

 

12日

本当は前日にミーティングを終え

この日の夕方とかに実家の方へ

南下しようかと考えていたのだが要再考。

 

とはいえ横浜でてから一回茅ヶ崎戻ったんでは

またグダグダして出発遅くなるし

そのまま南下出来るように車に積んで

横浜行ってミーティング

んでそのまま腹も減ったし

居酒屋入って飲んじゃいますよね。。。

 

ってことで

13日の朝に高速乗って

実家の方へ。西へ向かいます。

途中で御前崎に寄って海入るかな。

なんて思ったけど

日本海の方が波ありそうだな。

そっち行くかな。

色々考えながら御前崎を越え

さらに西に。ってPAでランチ食った後から

眠気に襲われ養老だったか?

あたりで昼寝。

のつもりが、後ろがベッドハイエースは

寝心地良すぎて気がついたら3~4時間寝てて

15時半くらい?に。。。

こりゃ、今から日本海には走れませんな。

ということでまっすぐ帰宅。。。

 

久々の実家です。

 

ヨットに一区切りついて思うこと

んな感じでフェリーに飛び乗って

夜の青森に到着し高速乗って南下。

茅ヶ崎の家を目指したわけですが

数時間走った夜中2時頃には

眠くなり、PAで車中泊。

 

目覚めたら続けて南下して

関東まで来たら激暑で

クーラー必要なほどでビビった。

 

そして久しぶりの茅ヶ崎の家に。

ただいまー!


夏みかんも順調に実をつけていて

 

みかんは食べ頃♪

 

さ、冬支度しなくっちゃ。

 

って

これにてヨットに全てを捧げた1年も

一旦の区切りがつき

ここからは海→雪山な生活になるんですが

 

ここまで1年ヨットに向き合い続けて

思ったこと、感じたことを

ここに書いておきます。

 

まず、想像以上に大変だったなー。と。

いや、大変であることは想像していたんだけど

実際手をつけると

次々と難問が突きつけられ

そのひとつひとつの

進められるスピードは

想像以上に進まずに

時間がかかるものでした。

 

そして現在もうすでに

航海できるレベルで

ヨットは仕上がってはいるんですが

それでも今なお水漏れがあり

その修繕にはまだ時間がかかるだろう

ってことだったり

ガス給湯器を利便性の高いものに

交換したいという思いがあったり

ガスコンロもまたいつガス漏れしても

不思議ではないコンディションだし

あそこをもう少しこうしたい、とか

ここを、とか

まだまだ、というかずっと

こうして修繕と改善をし続けながら

乗っていくのがヨットなんだろうな。

ということがわかりました。

 

そして非常に安くで

船体自体を手に入れたとはいえ

それらの修繕や改善に必要な

パーツや資材、機器は

どれも非常に高価であり

とってもお金がかかるということ。

 

お金をかけずに生きていくことの

可能性を感じてヨットに住むって決めたのに

もうここからはそんなにお金かからない

ってある程度の満足いく状態になるまでは

それなりに投資が必要だなって感じ。

 

まぁ、とりあえずここからは

まとまった出費はなく

細々としたものだけでいけそうな

そんなフェーズには入りましたが。。。

 

とはいえ

パーツや製品を新品で購入したり

取り付けを業者にお願いしてたりしたら

とっても高くつくので

できるだけ自分で頭を捻って

勉強しながら可能な限り自分でやっていく

必要があるわけです。

 

今回のこのヨット作業に関しては

すべての記録を残しておきたくって

インスタグラムのストーリーに

日記のように動画をアップしていたのですが

それを見てくれている人が

結構いてくださることがわかり

それを見てくれていた方からよく

「すごいね!

リッキーなんでもできるのね!」

なんて言われるのですが

できないです。w

できないながらに頑張っているのです。w

 

自分でDIYで家を建てた友人が数名います。

男としてそういうのに憧れがありました。

でも正直、そういうの

全然詳しくもないし

とても器用なわけでもない。

明らかに手間暇と時間のかかることが

最初からわかっているものって

手を出すにはちょっと怖さがある。

それに何より僕は

あんまり1箇所に留まっていることが少なく

移動ばかりの人生なので

家を建てようにも

じゃぁどこに?ってのが決められない。

 

でも、ヨットなら!

というところがスタートでした。

知識があるわけでもないし

特段器用なわけでもない

でもわりと根気はあります。

 

このヨットを買うときに

乗れるようになるところまで

可能な限り自分でやりたいから

その方法を教えてくれて

自分でやらせてくれるなら

この船買います!

という前提条件を提示

それを承諾くださり

一緒に悩んだりしながら

その方法をご教授くださった

ヨット会社のみんなに本当に感謝です。

 

ただ乗りたいだけじゃなくって

住みたい。となれば

海の上で何かあった時に

頼れるのは自分しかいないわけで

その術を知っておきたかったのです。

どうしても自分で

触っておきたかったのです。

知識と技術のない僕の

気力と根気を注いで。

 

そして中で生活してみてわかったことは

一番困るのは洗濯だな。ということ。

 

一応お湯も出るし、火も使える。

とはいえ積める量も多くないから

使った分、水もガスも減るし

すぐになくなってしまうから

補充が必要になってしまう。


暖かい南の島とかだったら

着るものも

サーフトランクスとTシャツくらい。

洗濯もバケツで手洗いできる。

だけど北海道だと

トレーナーとかフリースは必須

でもそれを洗うとなると

ちょっと無理がある。

 

寒いとガスも使うことが多くなるし

頻繁に充填しなければいけなくなる。

 

やはり、ヨットに

「住む」ことを考えれば

温暖な気候のエリアの方が

向いていると思う。

 

来年、スキーのシーズンが終わり

天候が落ち着くころには

南へと南下していきたい。

そう思っている。


そして、風で動くヨットは

計画が立てにくいということ。

回航や時間的制約がある場合などは

風だけではどうしても無理な場合が多く

エンジンを回すことになる。

僕の船は船外機がついているのだけど

3000回転程度で走って

1時間で6リットルも消費する。

めちゃくちゃに燃料を食う。。。

前回の小樽から函館までの

2泊3日の回航で

ほぼほぼ向かい風になってしまったこともあり

早い時で32時間らしいのだが

今回は46時間くらいかかったし

約200リットルを消費した。。。

レギュラーガソリンなので35000円弱。。。


自然をもろに感じ

風で移動してどこまでも行けるなんて

なんて環境負荷の少ない生き方だろう!

とヨットに憧れたのに

エンジン使うと全くそうはならない。

真逆の結果になってしまう。。。

だから時間の制約を作らず

まさに「風まかせ」で

極力エンジンを回さない生活を目指したい。

それにもやはりなによも技術と経験。

その辺の習得にも

まだまだ時間の投資が必要そうだ。

 

あと、今年は

本当にヨットにつきっきりで

サーフィンは例年程度できたと思うが

山登りが一切できなかった。

それが少し心残り。

来年はグリーンシーズンの山

いけるかなぁー。

いきたいけど

南下が最優先事項なので

来年もまだチャンスは多くないだろう。

しかしうまく調整したいと思う。

 

兎にも角にも

想像の1.5倍くらい

費用がかさんだので

しばらくは頑張って働かないと。。。w

働かなくていいように

お金のかからないヨット生活を!

なんて思っていたのに

その目標には

もう少しだけ時間が必要そうです。

まぁ、仕方ない。

本当に大変で辛い時もあったけど

頑張れたのは

頑張れるのは

その先に本当に望む

最高の時間が見えているから。

 

なので、今年は冬以外の仕事は

かなり制限してヨットに時間を割きましたが

来年はある程度仕事入れなきゃなので

皆様からのお仕事のご依頼

お待ちいたしております!w


なにより、いつかは

ヨットでサンセットクルーズだったり

船じゃないとアクセスできない入江とか

そういうところでキャンプしたり

そもそもヨットに乗ってもらったりの

体験や経験を売れるようになれれば一番いいな。

そうすればヨットにいながらお仕事できる。

と、夢みてはいます。

もう少し操船の技術と経験、知識を高めてから

と思っていたのだけど

想定よりお金かかってしまったんで

できるだけ早くお仕事にしなければ。。。w


ですので、できればある程度経験積むまで

物でも技術でもお金でもOKな

投げ銭スタイルで

乗船&遊びに来ていただけたら嬉しいです。

まだみなさんの安全の確約はできませんがね。w


なのでヨットの修繕作業

手伝いに来てくださったみんなは

最初は無条件で乗りに来てね。

そしていつかこれをお仕事にできたときには

お客さん連れてかえってきて頂ければ。。。


応援よろしくお願いします。


しかし寒くなってきましたね。

各地雪の便りが届き始めています。

この冬も最高に楽しむぞー!

そして大好きなスキーの冬だけじゃなく

早くまたヨットにも乗りたい気持ちも

今すでにあるので

その先の春も楽しみで仕方ない!

って感じでもう

楽しみじゃない季節はないし

楽しみじゃない明日はない!

今、そんな感じ!!

 

12月までは本州で過ごします。

函館Week

そんな感じで11月1日、夜。

雷雨の激しい函館に到着。

まずは夕食。腹ごしらえ。

ずっと来たかった友人のカリー屋へ。

 

久々の再会。

美味かった。

 

そして近くの温泉でほっこりしたら

我が家のヨットへ。

 

前回函館に回航したときに

どこからかの浸水による

水の溜まりを発見していて

それがとても気掛かりだったので

まずはそこを覗く。と!

 

前回ある程度

水を吸い取ってから離れたはずなのに

またタップンタプン。。。

マジかーっ。。。

 

と、気になる水のラインが来ていたので

辿っていくと

窓の脇からなかなかの勢いで

水が滴っている。。。

 

なるほど。原因はここか。。。

とはいえ、外は雷雨だし

もう温泉入って後は寝るだけだし

一旦見なかったことにして

翌朝によく調べてみることに。

 

で、就寝。

 

 

2日

結構揺れて、結構並みに叩かれて

いまいちばっちり深くは眠れず

早くに目覚めて

日の出前の朝焼けから見ることができた。

 

新たに完成した雨&日除けのタープの

取り付けとフィッティングの感じを確認。

 

見ていると船の周りに

めちゃくちゃイワシが群れている。

絶対釣れるだろう!と

拾ったサビキを垂らしてみる。

一向に食いつくそぶりもない。

垂らしたまま作業を続ける。

 

船外機をチルトアップすると

干渉して浮いてしまうデッキの開口部の蓋

気になっていて

 

深めのボックス型の蓋にすることで

改善させる作戦に

製作完了したボックス持ってきてハメてみる。

 

これで後は開閉を確認しながら固定だな。

 

そこまでやったら

ハーバー周辺を歩いてランチをしに。

すんなり入れたけど

出てきたら行列ができていた。

 

名店なんだな。

入れてラッキー。

確かに美味かった。

 

そしてそのあとは

「函館行ったらまずこの人に挨拶しに行け。」

と小樽のボスに言われていた

函館ヨットクラブの理事の方のお店に。

そしてちょうど同じような若者が

うちに来て泊まってるから

よかったらうちに夕食を食べに来なさい。

と言ってくれた。

 

ヨットに戻り続きの作業。

それにしてもイワシがいる。

トルネードになって泳いでいる。

これは連れなくっても

網ですくえるレベル。

ってことでタモを用意してソッと沈め

ソッと寄せて

一気にすくい上げ手みた。

そしたらなんとキラキラのイワシが

ビチビチと踊り

一撃で7匹も獲れた!w

 

こりゃ面白い。と

2すくい、3すくい。

それぞれに7匹程度ずつ獲れて

多分20匹くらいは取れたはず。

 

とりあえず数匹を

オリーブオイルでカラッと揚げて

塩をふりかけてスナックがわりに。

 

うんまい。

この後車移動があるので飲めないが

ビールといったら最高のやつです。。。

 

そして後のイワシも下処理だけして

そのまま翌日の食材用に

数匹を冷蔵庫にしまう

残りは干物用ネットにぶち込んで干す。

 

そこまでできたら

溜まってた水の吸い上げ&拭き取り作業。

バケツで2杯分もの水が溜まってた。。。

 

そして原因箇所の特定、確認。

しかしこれは

専用のコーキングボンドが必要だな。

さてどうしようか。

と思っていたのだが

翌日に先輩が

札幌から遊びに来てくれる

ことになっていて

小樽のお世話になっていた

ヨット会社で必要なボンドを

受け取ってからこっちに来てくれることに。

助かった!!

 

そしてお泊まりの準備をして

夕食のお誘いをいただいたお家に。

グランドピアノのある大層立派なお家。

なんとこの日はすき焼き!

 

大好物!ですが思い返してみれば

マジでめっちゃ久しぶり。。。

超高級そうな霜降りまくりの肉。

たくさん食べなさい。と。。。

恐縮するが、嬉しすぎる。

お酒も飲みながら

いろんなお話も聞かせていただいて

とても楽しい夜でした。

 

 

3日

近くのヤマト営業所留めで

依頼していた荷物を

ピックアップしに。

うち1つは配送中の破損という理由で

発送元に返送されていて

届いてなかった。。。

まぁよし。

そして戻ってみたらハーバーは超強風。。。

 

イワシでオイルサーディン作って

この後のやるべきことの整理と

段取りのイメージ。

 

そのイメージをもとに

翌日からの冬囲い準備に必要な

全てを探し買い求めるために

お買い物に。

 

一回戻ってもう一回買い出し。

ヨットを降りるときに小指強打。。。

あ、これやったかな。

と思いながらも

とりあえず歩き、車に乗り

目的のお店に。入店。

明るいところで見てびっくり

 

想像以上。w

 

どうりでずっと痛いと思ったよ。

ま、気にせず買い物して帰宅。

 

そこに小樽で受け取った

ボンドを持って先輩登場。

 

時間も時間だったんで

とりあえず飯食いに行きましょう!

と出かけたけど

温泉も閉店時間間近だったんで

まず風呂に。

そして飯食うぞ!と

外出て走り始めたら

なにやら大量の車が連なって

何かを待っているのを見つける。

あ、これは函館山の展望台へ登る

道が一般車用に

開放されるの待ちの列だ!と理解。

間もなく開通時間だったので

「行ってみよう!」となり列に並び

登ってみた。

 

たーしかに。

こりゃみんな来るわけだ。

 

とオジさん2人で夜景を満喫したら

いよいよ腹減って

遅い時間でも会いているお店で夕食。

 

んで帰宅して1杯だけ乾杯して就寝。

 

 

4日

作っておいたオイルサーディンを使って

朝食をサーブしたら

船首部分の水漏れ箇所のコーキングと

エンジンボックスの取り付け。

 

まぁ、ぼちぼちいい感じ。

 

先輩にもチョロっと手伝ってもらいながら

窓の水漏れ箇所のコーキング。

それが終われば先輩はご帰宅。

滞在中の外食まで

ほぼほぼ出していただき

マジ、あざっした。

 

陽が落ちたら一気に冷えてきた。

まぁ、ようやく季節相応な気温に。

ストーブを点火。

 

夜、仕事おわりの

カリー屋の友人と合流して

まずは友人の行きつけのお店で夕食。

お店はパンパンの大繁盛で

通されたのは21歳の女の子2人の相席。

どんなよ。w

そのあともお客さんバンバン来て

しまいには

「ごめん!常連さんカウンターの中入ってー」

って、みんなキッチンに入って

お皿洗いとかしながら飲むスタイル。w

相席の女の子とも

相席でもないおじさんたちとも

乾杯してワイワイと楽しい時間でした。

 

そしてそこからイベントやってるバーやら

クラブ3件ハシゴ。

最初は俺は様子見程度に

1軒だけ行って0時には帰るわ!

なんていってたのに

結局3軒で飲んで踊って

 

 

帰宅したのは3時半とか?

 

帰り道の紅葉を愛でながら。。。

 

 

しかも腹へって

そこからオイルサーディンと

トマトのパスタ作ってバカ食い。

シャワーも浴びて寝た。

 

 

5日

元々はこの日に冬囲い完成させて

荷物まとめて本州への

帰路に着くはずだったのだが

具合悪く動けない。。。

 

ようやく昼くらいから

ノソノソと動き始め

お湯が出ないし

火もつかないことに気づく

どうやらガスを使い切ったみたい。

てことでここからは

カセットコンロ生活。

 

この日は冬の間に必要なものと

そうでないものにわけ

ヨットから下ろすしたり

逆につんだりする。

 

夕方、カリー屋の友人ファミリーが

船に遊びにきてくれ

子供たちも楽しんでいってくれた。

そして夕食に誘っていただく。

 

ちょうどガスもないし

お湯浴びれないので

お風呂に行く準備して出かけ

一緒に夕食を。

そしてご馳走していただき

ご馳走様でした。

温泉入って船に帰宅。

ハーバーは風もなく美しい夜だった。

 

 

 

就寝。

 

 

6日

朝から使わないバッテリー外して

 

雨&日除けをたたみ

ブルーシートを丁寧にかけていく。

 

係留具合も調整して

午後にはヨットを後にした。

最後にお世話になった

ヨットクラブの方に

挨拶しにいったが会えず

そのまま青函フェリー乗り場に。

 

するとまさかの

本日分は満席&満車で乗れません。と!!

マジか。

ともかく僕は青函フェリーの

キャンセル待ちを入れて

慌てて小樽港や苫小牧港からの

他の船も調べるがどれもダメ。

しかも翌日からは大荒れ予報で

すでに欠航を決めているものもあり

翌日移動も最悪の場合

諦めなければいけない可能性も。。。

 

しかしフェリーがいっぱいなんて

コロナ前はほぼ無かったように思うが

コロナにってからは

こういうことが出始めた気がするな。

みんな日本を旅し始めたんだろう。

もしくは物流の物量が増えたんだろう。

 

そうこうしてると

知人とのメッセージのやり取りで

津軽海峡フェリーの存在を知る。。。

え?

青函フェリーしか知らなかった僕。。。

慌てて津軽海峡フェリーに

電話をかけてみると

担当者の方が「はい!?乗れますよ?」

と。。。

えー!!

なんだったの!!

この数時間のキャンセル待ちは。。。

この返答ぶりだときっと

その前の便にだって乗れたっぽい。。。

ちくしょー!!

よしじゃぁもうそっちに移動しよう!

と車のエンジンをかけたら電話が鳴った。

青函フェリーから

「中島さん今どちらに?直前ですが

空き出ましたんですぐに乗れるようなら!」

と連絡!!

きたー!!ってことで

そのまま乗船して出航。

 

翌日の嵐による

僕のヨットの被害状態だけが不安だが

兎にも角にも

こうして僕の函館Weekは終わった。

そして1年にも及ぶ

僕のヨットに張り付くヨットライフが

一旦の区切りに入った。

 

さて、いよいよ冬が近づいてきたので

冬の活動のための準備をしに帰ります!

 

 

 

 

 

双子、大遅刻、試験、引っ越し

んなわけで23日

冬支度のために

実家に何を置いてあったかを確認。

荷物をまとめる。

 

そして

ヨットで万が一の事態に陥ったときに

遭難信号を発信するとともに

GPSで居場所を知らせる機能のついた無線を

積載し使用することが許される資格

第二級海上特殊無線技士のお勉強。

 

実家のお風呂が

まさかのこのピンポイントのタイミングで

リフォーム工事が始まるってんで

お風呂が使えない。

 

いとこが双子の子供を連れて帰郷中とのこと

母はその子たちにも会いたいし

いとこの家にお風呂借りに行こう。と。

僕もおじさんとして

初めての甥っ子たちとのご対面。

 

風呂入るためだけに往復1時間半ほどかけ

自宅に戻り就寝。

 

 

24日

この日もお風呂リフォーム。

 

第二級海上特殊無線技士のお勉強。

調べ物など。

家に引きこもり。

なのでこの夜はお風呂入らず

就寝。

 

 

25日

この日からお風呂使えるので

朝からシャワー浴びて着替えて

北海道に戻る準備。

この日は夜に札幌で多忙な方々との会合。

それに間に合うように飛行機をとって

電車で関西国際空港へ向かう。

 

電車の中で今晩の会場と時間を再確認。

すると「あれ!?」

19時からだと思ってたけど18時から!??

空港到着が17時40分くらいだったから

18時にはそもそも間に合わん。。。

こりゃまずい!と

新千歳空港からの最速の移動方法を調べる。

うーん。

なんて画面と睨めっこしながら

頭を捻っていると

到着時間になっても関空に着く気配がない。

あれ?

位置情報で確認したら

完全に通り過ぎてる!!

次の駅で飛び降り車掌に聞くと

僕が乗りたかった電車ではなかったことが発覚

 

逆ホームに電車入ったので

ダッシュで逆ホームにまわり

滑り込む。

電車の中で

冷汗を流し心臓バクバクさせながら

関空到着を調べる。

飛行機の最終搭乗手続きの締め切りが

搭乗機の出発30分前まで。

関空の駅に到着するのは

締め切り5分前。。。

ダッシュしまくればいけるか?

心臓ドックドクさせながら

到着を待つ。

そして到着と同時にダッシュ。

だけど

どうやら僕の行きたいターミナルは

連絡シャトルに乗らなければいけないやつ。

シャトルバスが到着したときには

もう締め切り時刻を過ぎた。

 

でも一応カウンターまで行き

チェックインを試みるも

やっぱりダメ。。。

係の人に泣きついてみるもやっぱダメ。。。

もう本当に泣きそうでした。

 

本当に忙しいおかた。

僕のために時間を作ってくれ

僕に会いに来てくれるために

1ヶ月以上前から

この日のこの時間を決めて

何度もこの日よろしくです。と

確認していたのに。。。

やってもうた。。。

そのセッティングをしてくれた先輩にも

申し訳なさすぎて。。。

 

んでもう仕方ないから

次の最速のフライトを調べ

そしたらまた別のターミナルからだから

急いでそっち行って

走りながら

乗り遅れたことを先輩たちに連絡を入れ

割高ながらも

最速のフライトが取れて

一安心。

ってか、もうどうあがいたって

フライト時刻まで待つしかない。

 

そして今度は

千歳空港から札幌の会場まで

どうするのが一番早いか?を調べ

 

千歳に着くやとにかく急いで

2時間強遅れた

20時ちょい過ぎにみんなと合流。

お待たせしました。

みんな聞いたことはあるけど

実際に見たことはないであろう

ジャンピング土下座ってやつを

本域でかましました。

 

笑顔でみんな受け入れてくれたけど

僕としてはもう。。。

 

1軒目はご一緒できなかったけど

2軒目で乾杯していただき

話したい内容は

それぞれに話すことができ

解散。

 

僕は小樽に戻りました。

 

 

26日

小樽ベース撤収に向け荷物の片付け

車に荷物をどんどこ積んでいく。

 

 

27日

第二級海上特殊無線技士のお勉強。

 

 

28日

なんか喉も痛いし風邪っぽいな。。。

 

朝から無線技士のお勉強して

昼飯食ったら札幌の試験会場へ。

いよいよ第二級海上特殊無線技士の試験。

 

会場近くでカフェを探し最後に勉強。

しようと思ってフラッと入ったカフェが

なんと知り合いのカフェバーだった!

おおー!なんてお互い言いながら

まさかの再会。

 

そして時間になったら会場入りして試験。

 

めっちゃ気合い入れて

ドキドキしながら挑んだけど

思った以上に設問少なくて

しっかり勉強した甲斐もあり

スラスラ回答。5分もかからず終了。w

あっけな。。。

あまりにあっけないので

いくつかのお店も見て

紅葉まで見て帰宅。

 

 

29日

試験の結果がメールで届いた。

「合格」

よかった。

 

 

30日

何してたんだろう。

多分お部屋片付けて

食材の整理とかしてたんだと思う。

まぁつまり特段何にもしていない。

 

 

31日

掃除、掃除、掃除。

シーツも洗って干す。

 

翌日に長かった小樽を離れる僕。

最後は感謝の気持ちを込めて

お世話になったヨット会社のみんなで

食事に行こうと誘っていた。

 

みんなで焼肉。

でも結局、社長が出してくれた。

最後の最後までありがとうございます。

いや、最後じゃないな。

まだまだお世話になるだろうが。。。

とりあえずお世話になった小樽を離れます。

 

この日はシーツもないので寝袋で就寝。

 

 

11月1日

全てを車に詰め込み

乾いたシーツ類をベッドに戻し

昼飯を食ったら最終チェックをして

小樽を後にした。


 

 

 

 

 

Biwako Peaceful Carnival

そんなわけで21日

いよいよ「Biwako Peaceful Carnival 」当日。

 

 

会場に移動し設営したら開場。

 

ワークショップや

 

トークライブ

 

などなど

環境、滋賀の未来像

さらにその先にある日本の未来。

そんなことをみんなで考え話し

同じ方向を見据え

楽しみながら学んじゃおうってイベント。

 

僕もアンバサダーとして

活動させていただいているPOW Japanの

ボランティアクルーでもある友人が

自分たちで企画し準備を進めてくれ

ついにこの日を迎えた。

 

2日間にわたって開催され

僕の地元、滋賀が最近アツい!

と聞いてはいたのですが

 

それはそれは本当に面白く

熱意と勢いのある人たちにたくさん出会い

こんなにもいい流れが育ってきているのか。

と本当に嬉しく、楽しく

とても心地よい時間でした。

 

イベントの濃すぎる内容を

ここに記すことは不可能ですが

来年ももし開催されるならぜひ来てみて

参加して欲しいな。

 

そう思いました。

 

全てが終われば

開催コアメンバーの友人の車で

実家まで送ってもらい

今回の帰省の目的は無事終了。

 

さてここから数日は

実家で冬のイメージ固める時間。

 

 

 

 

 

 

 

終い準備

そんな感じで16日

回航で余った食材を食べ

制作途中だったエンジンボックスに

グラスファイバーを巻いていく作業

この日に小樽港からフェリーで本州に戻る友人が

覗きに来てくれサクッとミーティング的な。

 

そして乾くのを待ちながら

回航時にこれあった方がいいな。

ってのがいくつかできたので

それらを買い集めに。

 

それも終わればこの1年

ヨット作業の間使わせてもらっていた

プレハブハウスの片付け

 

 

17日

朝からオンラインミーティングして

その後は前日の続き。

表面を削って凹凸を無くし大まかに滑らかに。

残った凹凸をその上からパテで埋め

さらにフラット出して

滑らかになるまでヤスる。

 

全身粉だらけ。

ゲルコートで塗装して翌日まで乾燥させる。

 

 

18日

まだいまいちばっちり乾燥はしてないけど

凹凸をなくすためにひたすらヤスリ掛け。

 

全身粉だらけ。。。

買い物

 

滑り止め塗装について調べ

荒目のローラーで塗装することで

ツノがたったザラザラな表面ができる

ってのがわかったので

買いに行って

翌日には最終塗装をして完成させられるように

少し時間も遅かったけど

滑り止め塗装までやってこの日は終了。

 

 

19日

朝からヨットの船体の色に近いカラーで塗装。

 

1日使って何度かに分けて重ね塗り。

 

倉庫に置いてあった資材類もまとめて

車に積み込んで友人宅の倉庫に置かさせてもらう。

そのまま友人宅で夕食も食べさせてもらい

 

帰宅したら翌日からの本州帰省に向けて荷造り。

 

 

20日

最後の塗装もして

エンジンボックス完成!!

 

お部屋の片付けもして

最寄りの駅から千歳空港へ。

そして神戸空港へ。

 

今まで滋賀に帰る時って

伊丹か、関空かって

大阪の空港しか考えたことなかったけど

今回検索したら神戸空港って選択肢が表示され

直前にチケット手配したこともあり

行きは神戸の方が安かった。

しかも空港からの電車料金や時間を考えても

実は神戸空港の方が早くて安いことが判明。

なんと。

次回以降の選択肢広がりました。

 

そして電車に乗って

今回のイベント主催者であり友人の宅に向かい

指定の駅で降りて改札出ようとしたところで

「リキ!」と。

 

さすが地元。

その近くに住んでいる友人が僕の後ろに。

そういえばアイツんちこの辺だな。

なんて思ってた矢先だったので驚いた。

 

お迎えの友人とも合流し

せっかくなんで一緒に飯食いに行こう!

ってこれまた”関西”って感じの

ドでかい王将に。

 

んで、偶然出会った友人も家まで送ってもらい

その後主催者の友人宅に到着。

シャワー浴びて就寝。

 

さていよいよ

「Biwako Peaceful Carnival 」