生まれ、絶え、引き継がれ
そうして16日
目が覚めるとまだ3時。
眠れない。
結局そのまま眠れずにいたので
5時半には動き出して大阪駅に。
早い時間だけど電車乗って地元に。
駅から歩いて帰り喪服などを探す。
どうやら喪服は実家じゃなくって
茅ヶ崎の旧我が家に置きっぱなしのようで
思ってた黒のスーツはなかったけど
高校の時か?に買ってもらった礼服があった。
体型も全く変わってないので問題なく着れた。
ネクタイもあったけど靴がなくって
多分兄貴のだと思われる黒の革靴で。
母と車で斎場に。
婆ちゃんは100歳だとは
到底思えないほどに皺もなくツヤツヤで
本当にキレイで
とってもいい顔をして眠っていた。
爺ちゃんが昨年100歳になる10日前
99歳で永眠し
それから約1年と5ヶ月後に
婆ちゃんも100歳と4ヶ月で。
ありがたいことに最近
京都周辺での仕事が多かったので
ここ数年の中では生前の祖母に
一番会えていた。
先月に最後に会った時は
もう生きていながら
その生命としての機能は明らかに衰退し
ほとんど眠っていたし
もう”その時”が近いことはわかっていた。
きっと、そのまま
そんなふうにして
生物としての機能を緩やかに止めていって
深い深い眠りについたんだろう。
斎場には従兄弟の家族や
まだ2歳前後の俺の甥っ子や
姪っ子にあたる子たちも参列。
去りゆく命と
今輝き始めたばかりの命。
引き継がれた遺伝子。
こうして世代は移り流れていくのだ。
僕も”引き継ぐもの”として
他にはあまり見ないくらい自由に
伸び伸び生きることができてると思います。
おかげさまで。
しかし俺も爺ちゃん婆ちゃんに
ひ孫を見せたかったもんだ。
叶わぬ思い。
こうして親族に葬式で
ってのは残念だけど
しかしこういう時でもないと
会う機会もなくなってきたし
ある意味では良い機会だったと思う。
その後は一般的な葬式の流れ、火葬。
なんとも無機質な流作業でことは進み
ベルトコンベアでステンレスの火葬炉口へ。
あっけなく扉は閉められる。
許されないんだろうけど
僕は死んだら土葬してほしい。
その上に桜の木でも植えて
年に一度春に集まって酒でも飲んでほしい。
それが理想。
まぁ、人間が作った
よくわからん法律やなんやで
無理なんだろうけど。
死んだ後も法律に縛られるなんてね。。。
なんだろう。
婆ちゃんがいなくなったことに
寂しさはあるけど
苦しまずに永眠についたと思うし
それほど悲しくはない。
それに生前、数年前から婆ちゃんは
「もうただただ毎日を生かされてるだけで
早よお迎え来たらええのにと思てんねんけどな。
あぁ、今日もまだ生きてたわ。」
ってよく言ってたし
本人もきっと悔いはないんだろう。
僕はまだまだやりたいことだらけで
死にたくないし
死に対する恐怖心しかない。
いつか婆ちゃんのようにそう思って死ねるなら
それはそれで幸せなことかもしれない。
しかし婆ちゃんちっちゃくなったな。
なんて思いながらみんなとお別れし
母と帰路に。
母もここ数年は自分のお店と
婆ちゃんの世話と大変だったろう。
うちの場合それに兄貴の面倒もまだ母が見ている。
本人も十分な老体でいろんな病気を抱えながら。。。
お疲れさんでした。
きっと母にとっては自分の母親だから
悲しいのは悲しいだろうけど
少し肩の荷が降りて
ホッとしているところもあるのかもしれない。
家の近くの近江牛のレストランで豪勢な夕食。
お疲れさん会みたいなもん。
やっぱ近江牛はうまい。
こうして婆ちゃんの葬式は終わった。
しかし祖父母には本当に本当に
お世話になりました。
改めて深く感謝を。
ありがとうございました。
天国で爺ちゃんと婆ちゃんが
会えていますように。