ハワイに行ってみたい、という母のひとことを真に受けて、この度7泊9日の行程で、オアフ島に行ってきました。
 
20代で初めて海外旅行に行って以来、私自身、数十年ぶりのハワイです。
なかなか休みの合わない長女PARUKAと次女AIも一緒です。
 
散々、楽しみだわ照れ、と言っていた母を当日迎えにゆくと案の定嫌な顔をして、
「私、行かない。皆で行ってきて。」
と言われましたが、そんなことは想定の範囲内です。
いざ出発してしまえばいつものように誰よりも楽しんでくれる。
 
と、考えていましたが、齢90の母にとって海外旅行は想像以上に大変だったと思います。
 
母、とっても頑張りました。
 
 

 

出発~1日目

 

 
成田空港で車椅子を借りたとたん、斜め45度だったご機嫌もすっかり治り、空港職員の皆さんやすれ違うすべての赤ちゃんに話しかける母。
 
母とAIにはZIPエアのこちらのサービスを使い、フルフラットシートで往復してもらいました。
 
でも行きは結構揺れも激しく、ほとんど寝られなかったようです。
 
黄色い花
 
 
別便で追いかけたPARUKAと私は、ダニエル・K・イノウエ空港で合流。
 
母は疲れも見せずにAIに買ってもらったスターバックスを飲んでいた。
 
郷愁をそそるモダンレトロな造りの空港内。

ところどころ天井板が抜けていて、小鳥が出入りするのも可愛い。
 
 
妙なところばかりに目がゆく私。
 
可愛い。

 
トイレの写真ばかりになってしまうため掲載は自粛しましたが、日本で言う「多目的トイレ」は「Family」と表記されていた。
 
気が付かなかったけれど欧米では皆そう表記しているのでしょうか。
 
素敵ですよね?
 
黄色い花
 
ところでここは確かつい最近まで、「ホノルル空港」と呼ばれていたはず。
 
あのパールハーバーに隣接する空港に日系人の名前が冠されるとは、よほど立派な人だったのだろうな、と思って調べましたら、
 
 
本当に立派な人でしたえーん

 
トイレと空港からなかなか話が進みません(笑)。
 
 
黄色い花
 
 
暮らすように過ごしたい、というコンセプトの旅ですので、宿泊は、フルキッキン、大型食洗器やディスポーザー、洗濯機・乾燥機を部屋に備えたコンドミニアムにした。
 
部屋番号が”PH7”と伝えられて、一同首をかしげます。
 
まがりなりにもリケジョのAIが、PH7といえば中性だ、と、なけなしの学をお門違いに披露する。
 
 
 

PARUKAが出発前、90歳の祖母が部屋から見える海や花火を楽しみにしている、とホテルに連絡してくれていた。

 

エレベーターに乗って、ようやくPHの意味を理解する。
 
 
PENTHOUSE の7号室!
 
 
部屋全体の写真がなかったので拝借したもの。テレビの位置が右手前に移動していた以外はこのまま。
 
 

 
 
 
 
 

 
 
 
キッチンの写真を撮りそびれたので同じ建物の別部屋の写真を拝借しています。後方のシンク側の窓からはダイヤモンドヘッドがよく見えた。
 
 
 

この日は皆疲れていたのでPARUKAとAIが地元のスーパーで購入したポキやフルーツなどを部屋でゆっくり食べた。

 

交代でシャワーを浴び、クイーンサイズのベッドの真ん中に母、両脇にPARUKAと私、窓側に並べたエキストラベッドにAI、と4人並んで就寝。

 
が、
 
 
母、ちっとも寝てくれず。
 
この部屋は会社のものなのか、フミオ義兄さんは来たことがあるのかなどと謎の質問をまあまあの大声で繰り返し、両隣のPARUKAと私もほぼ一睡もできないないという事態に。
 
 
 
先が思いやられるよ。

 


 

*****
 
 
続きは小刻みに書いてゆきたいと思います。
 


 書きました ↓

 

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3月、残業続きの帰り道、同僚に、謎解きイベントに参加してみたいけれど一緒に行ってくれる友だちがいない、と、つぶやいたら、行きましょう!と誘ってくれた。
 
約束した謎解きイベントは、私のゴールデンウィークで唯一の遠出だった。
 
その日、都内の待ち合わせ場所に向かう電車の中で、母の通うデイケアから着信があった。
 
良い知らせであるわけがない。
 
途中下車して折り返すと案の定、ヨシエ様が今日はめまいがするから帰ると仰っているので今から迎えに来てほしい、との呼び出しだった。
 
熱は平熱、血圧も正常、血中酸素濃度も異常はないのですが、とのことだった。
 
 
チッ。
 
 
母は2週間に1回ほど、朝の登園拒否がある。
 
足が痛いだとかめまいがするだとかへちまだとか言う。
 
その都度なだめすかしているのですが、最近は先手を打って、朝、電話で励ますことでなんとか機嫌を損ねずに通ってくれていた。
 
なのにこの日に限って朝の電話を忘れてしまった。
 
おばあちゃん
 
呼び出しがあった以上迎えに行かないわけにゆかない。
 
連休の貴重な1日を私のために割いてくれた同僚は、既に待ち合わせ場所に着いていた。
事情を伝え平謝りすると、連休の後半も暇にしているのできっとリベンジしましょう、と、慰めてくれた。
 
申し訳ないやら情けないやらで泣きたくなりながらとんぼ帰りした。
 
病院にも連れて行くようにと言われているので実家に保険証や診察券を取りにゆくと、ヘルパーさんの残したノートには予想どおり、どうして行かなきゃならないの、と不機嫌をまき散らして出発した様子が記録されていた。
 
年を取って大分穏やかになったのですが、母は若いころから不機嫌のスイッチがあちこちにあって周囲に気を遣わせる。
 
今回も不機嫌が治らないまま、呼び出しに至ったものと思われた。
 
 
おばあちゃん
 
 
デイケアの玄関で待っていると、車椅子に乗せられた母が登場した。
 
私をみとめると、悪かったわねぇ、と申し訳なさそうな顔をした。
 
これから病院に行くよ、というと驚いて、大丈夫よ、と言う。

大丈夫だろうよ。

でもめまいがすると言われた以上、病院の診断を仰がなければ今後もデイケアに通えません。
 
車に乗せ、めまいは大丈夫?、と気遣うと、めまいがするなんて誰かが言ったのちょっと不満、と気色ばんだ。
 

あんただよ、とも言えず、やれやれと思いながら休日診療の病院に向かった。
 
 
短期記憶力が著しく低下している母は、自分が言ったことなどもうケロリと忘れているのでした。
 
 
 
 
*****
 
 
休日診療の待合室は、腕を骨折した中学生や庭の池で足を滑らせ頭を打ったおじいちゃんなどが順番を待っていた。
 
おじいちゃんは付き添いの娘に、二度と池を見に行くな、と大声で怒鳴られていた。
 
怒鳴られているおじいちゃんを見るうち、私の中のいらいらが消えていった。
 
おじいちゃんも母も、娘に迷惑をかけたかった訳ではない。
 
池を見たかっただけだし、デイケアに行きたくなかっただけなのです。
 
ささやかなやりたいことも自由にできなければ、今日は家にいたいなー、というのも許されない老人の気持ちを考えると、少し悲しくなった。
 
 
おばあちゃん
 
 
診察室に入ると若い当番医がひととおりあれこれ確認してくれた。
どこも悪くないため、困って奥の部屋にいたベテラン医師を呼んできた。
 
ベテラン医師に、めまいは収まりましたか、と尋ねられた母は、
 
「めまい、というほどのことではないですけれど、ふっと立ち上がったときにクラっとすることってありますでしょう。」
 
と、可愛らしく首をかしげた。
 
いつそのめまいを感じましたか、と聞かれて、おととい、かしら、と答えていた。

今日はいかがですか、と聞かれると、今日は別になんとも、と、ついに口を割る。

ベテラン医師がベテラン刑事に見えた瞬間だった。


今日なぜ病院に来なければならなかったのか、もはや誰にもわからなくなった。

「そうかー、どうしましょうかね。今日は一旦帰って、様子を見る、ということでよいですかね。。。」
 
異存があるはずもない。
母はただただ、機嫌が悪かっただけなのです。
 
医師たちもわかっていたに違いない。
母自身、やっちまったな、と思い始めているようだった。
 
忙しいなか、丁寧に母の相手をしてくださったふたりの医師に、深く頭を下げて家に帰った。
 
 
*****
 
 
こうして私のゴールデンウィークの一日は介護に終わった。
 
優しい同僚が仕切り直してくれて、連休最後の日に、こちらのイベントにチャレンジしてきました。
 
会場は普段私が働く街です。
 
 
*****
 
 
東京駅前の丸善で待ち合わせ、参加キットを購入。
 
 

 
 
 
 
 

 
 
以下謎解きの問題になった現場のほんの一部の写真です。
 
 

私が社会人になったたころは、こういった趣のあるオフィスビルが左右に立ち並んでいた。

真偽のほどはわかりませんが、皇居を見おろすのは不敬にあたる、という理由で、建物の高さが制限されている、と聞かされたことがある。

 今はつんと澄ました高層ビルばかりになってしまった。

皇居も見おろし放題。

 

 

箱根駅伝スタート地点/ゴール地点にはこんな銅像が。はじめてみた。

 
 
歴代優勝校。一杯になったら横に広げるのかな。

 
 
前に日本橋クルーズをしたときも思いましたが、日本橋近辺はお濠や川に囲まれた、いわば島です。

 
 
東京駅前に毛沢東像みたいにそびえる井上勝君の像。

 
 
 
仲通りに点々と置かれたアートの数々。
いずれも巨大、かつ小さな子どもが見たらうなされそうなビジュアルです。
 

 
 
 

 
 
 

 
 
 

 
↑いつも心のなかで花輪くん、って呼んでいる。
 
 
 
これは草間彌生さん。かぼちゃ。

 
 
途中人気の回転ずしで腹ごしらえ。外国人観光客多し。
40番目だったので謎解きしながら順番を待った。
入店後、隣り合った中国人観光客の二人連れ(金正男似)と、互いの食欲を讃えあった。
 
 
私はグリコジャイアントコーンで充分美味しいと思っているのですが、カカオサンパカでアイス。 

謎解きは、こうして街の飲食店にも貢献しているのですね。
 
 
重要文化財の明治生命館。

昔ここの地下のオイスターバーで窓際に荷物を置いたら、文化財なので、と注意されたことがある。
今は同じ場所がウルフギャングステーキハウスになっている。
先日の歓迎ランチの際、荷物は膝の上に置くように、と、したり顔で皆に教えてあげたら、窓際をお使いください、と、お店の人に言われてちょっぴり恥ずかしかったです。
 
 
ティファニー前のお花。造花かと思ったら生花だった。

 
 
無時クリア!!

 

規則性を見つけたり計算したりが得意な同僚と、とんちやひらめきに強い私は、まるで右京さんと亀山くんみたいに良き相棒でした。
 
 
 
*****
 
 
あれから母は大人しくデイケアに通っている。
みきに迷惑をかけてしまったと、反省しているのかもしれない。
 
最近母は、私の結婚式のアルバムを繰り返し眺めている。
私の写真を見ているのではない。
 
昨年2月に亡くなった弟のタカユキの写真を見ているのです。
 
タカユキの顔が見れるから
 
と、申し訳なさそうに言われ、かける言葉がみつからなかった。
 
 

あじさい

 
 
その弟の命日のころ、母に、どこか行きたいところはある?、と聞いたらハワイに行ってみたい、と言われてびっくりした。
 
海外旅行には常に後ろ向きで、私たちがロサンゼルスにいるときも、猫がいるから、とかあれこれ並べ立てて、来てもらうのに難儀した。
 
ハワイに行きたいと思っていたなんて、知らなかった。
 
色々なことがあってなお、明るく前を向いて生きようとしている母が頼もしく、この夏はハワイに連れて行くことにしました。
 
 
弟も、飛行機に乗って母と海に行きたがっていた。
みんなで一緒に行こう!
 
繁忙期に休暇を取ることになるので、今必死に働いています。
 
 
 
 
 
 

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このところの為替円相場について、私見を述べたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

母の血圧と、

ほぼ同水準だな。

 

 

*****

 

 

1985年9月、ニューヨークのプラザホテルにおいて、アメリカと日本はドル安円高を目指すことに合意した。

世に言う、「プラザ合意」です。

 

当時日本は円安の勢いに乗って車をはじめとした日本製品をがんがん輸出しており、アメリカの貿易赤字が膨らんでいた。

 

プラザ合意をきっかけに、日本はバブル経済に突入したのです。

 

 

*****

 

 

日本中が調子に乗っていたその時代のなかでも特に恩恵を受けた世代には、ある共通点がある。

 

それは英語で「サタデー」と綴るとき、ベイ・シティ・ローラーズの「サタデーナイト」のあのフレーズを、頭の中でつい歌ってしまうことです。

 

 

月曜や火曜が綴れなくても土曜だけはちゃんと綴れたこの世代は、ちょうどバブル期の20代前半と一致する。

 

恥ずかしながら私は今でもS、A、TUR、とやらなければサタデーを綴れません。

 

 

*****

 

 

ところでプラザ合意後の円相場はどれぐらいだったのかな、と調べてみた。

 

当時は円高にうかれて同期とハワイに行ったし、同僚はファッションの仕上げに必ずエルメスのスカーフを腰に巻いていたけれど、

 

 

 

 

 

 

 

 

母の血圧と、

ほぼ同水準だな

 

 

 

150円ぐらい。

 

意外でした。

 

 

*****

 

 

ちなみにバブル期の同僚は皆、エルメスやルイヴィトンなどのブランドに夢中でしたが、私は欲しいと思ったことがなかった。

 

つい先日も、「30万のバッグを買うぐらいだったら3千円のバッグが100個欲しい」、と言ったところ、友人のヒロコちゃんに、

 

 

「・・100個はやめておこうか。しまう場所に困るし」。

 

 

とたしなめられ、それもそうだな、と、思った。

 

 

 

ブランドに疎いわたし ↓

 

 

 

*****

 

 

大仰なタイトルのわりにGW仕様のうすい内容の記事となりましたことを、お詫びいたします。

 

 

 

 

 

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少し前、ドラマで椎名林檎の曲を歌う女の子の破壊力に度肝を抜かれて調べてみたら、水曜日のカンパネラの二代目ボーカリスト、詩羽ちゃんであることがわかった。
 
詩羽ちゃんの歌う「エジソン」は、ラジオで何回も聴いたことがあるけれど、こんなに歌の上手い子だとは知らなかった。
 
検索画面のおすすめに上がった動画を何気なくクリックしてみたら、
 
 
 
なんだこれは。
 
 
それは歌のタイトルのバッキンガムとすら関係ない、何の意味もない言葉の羅列だった。
 
歌詞はほぼWikipediaの「世田谷給田」の項に記載された説明で構成されている。

郵便番号や緯度経度までが歌詞になっていて、そこに世界の著名な宮殿名が、ただ語呂合わせとして並べられているだけの歌です。
 
 
 
新しいにもほどがある。
 
詩羽ちゃんはこれほど意味のないこの歌を、あまりにも楽しそうに歌っている。
 
愛嬌のかたまりのような若い女の子が歌う姿が可愛くて、中毒のように朝に晩に眺めた。
 
 
*****
 
 
この歌を聞いて、私の記憶の奥底で疼くものがあった。
 
そうだ。私にもこんな風に自由な創作ができた時期があった。
 
あれは小学校3年生のときのことだ。
 
お転婆さっちゃんが30秒で書いた歌詞に、30秒で私が曲を書いた、この曲です。
 
 

バカ日傘。THE FIRST TAKE 。

 
 
聞いてください。
 
 
 
 

 
 
*****
 
 
ちなみにこの歌はわが家では有名な曲で、子どもたちの寝かしつけによく歌っていた。
 
この動画は長女PARUKAが照明を担当し、次女AIが撮影と編集を務めてくれましたが、ふたりとも、これがママが作った歌だとは知らなかった、と驚いていた。
 
先の土曜日次女は入籍しましたが、きっと代々歌い継いでくれることでしょう。
 
 
さっちゃんと私のはなし ↓
 

 

詩羽ちゃんにびっくりしたドラマの一場面 ↓

 

 

*****

 

 

わが家のピアノは、友人のヒロコちゃん一家の上海からの帰任時に譲り受けたものでした。

 

以来10年と少し、私を楽しませてくれていましたが、昨日また、ヒロコちゃんの家に帰ってゆきました。

 

 
 

 

 

 

わが家で収録した最初で最後の THE FIRST TAKE は、そのピアノへのオマージュです(笑)。

 

 

 

 

 

 

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キンちゃんの中国帰任が近づいてきた。
 
今回私のやりたいことリストの中からキンちゃんが選んだのは 、三鷹の森ジブリ美術館。
 
私の娘ふたりも一緒です。
PARUKAもAIもジブリど世代で、前々から美術館に行きたがっていました。
キンちゃんとも会いたがっていた。
三鷹駅で集合。玉川上水沿いの気持ちのよい道を15分ほどゆっくり歩く。
 
 

 
 
玉川上水といえば太宰治が入水自殺したことで有名です。
 
現場にはまがまがしいパネルが掲示されているのかと思いきや、うっかり通り過ぎたくらい目立たない津軽産の石がひっそりと置かれていた。
 

近隣の住民と太宰治本人に配慮したのかもしれません。

向こうに見える木々の下に流れるのが玉川上水。
 
あと戻りまでして写真に収める私を怪訝な目で見るキンちゃん。
 
日本は自殺する人が多い、と。
日本に来て最初に驚いたのが、列車の人身事故の多さだそうです。
 
「人身事故ってなに、と、思いましたよ。中国では転落事故こそたまにあるけれど、列車に飛び込んで自殺するなんて聞いたことがないです(キンちゃん調べ)」。
 
 
*****
 
ジブリ美術館は井の頭公園の一角にあります。
 
美術館を運営する財団には三鷹市が事業の一環として出資しており、「三鷹市立アニメーション美術館」という仮称のもと、条例も作られていました。
 
なるほど。
 
 
 
トトロが鎮座するにせもののきっぷ売り場。
トトロの横には『🍄ほんものの受付 右矢印』、と書かれた札がありましたが、そもそもほんものの切符売り場はローソンチケット一択です。
 
カウンターの下の丸い窓からぎっしり覗くのは、まっくろくろすけたち。
至るところに小さなしかけが隠れていて楽しい。
 
 
 
これはもしかしたら、いわゆる定礎的なやつでしょうか。
 

 
 
 

小さな子ども連れの家族でいっぱい。

 
入口のステンドグラスにはメイをおんぶするサツキが。
 
 

館内ではメイとサツキみたいな姉妹を沢山見かけました。

 

うちの娘たちもメイとサツキみたいだったなー照れ

 

カエル

 

室内は撮影禁止なので画像を少しお借りしています。

 

ねこバス。中に入れるのは子どものみ。

けっこう大きくて、子どもが20人くらいは余裕で入れます。

いきなりバスの上に駆け上る子どももいたりして、

 

うー。私も遊びたい。

 

 

左側に直径1メートル弱のくぼみがあって、何かな、と思っていたけれど、

 

そうか、まっくろくろすけ入れだったのか(笑)。

 

まっくろくろすけのぬいぐるみはおめめのところが固いのでお友だちになげないで、とお姉さんが注意していたけれど、投げたくなるよねニヤリ

 

カエル

 

「映画の生まれる場所(ところ)」は、5つの小部屋で構成されている。

 

 
私たちの前には背中に大きく「アニメージュ」と書かれたTシャツ姿の20代後半~30代前半の男性2人組が。
 
ハウルの動く城が好きで3回も見ていると話しているのを聞いて、「3回しか見ていないなんて本当のファンじゃない」と、小声で謎のマウントをとるPARUKAとAI。
 
ふたりはハウルの動く城がお気に入りなのですが、ハウルの声優がキムタクだったってことは知りたくなかったそうです。
 
ふたりともキムタクが嫌いなわけではないのですが、わからないでもない。
ハウルはハウルであってほしかったんだろう。
 
と、したり顔で語る私はハウルを何度見てもなぜか途中で寝てしまいまします。
 

もののけ姫だけじゃなかった。。。

 

カエル

 

 

映画の生まれるところ、の展示は面白く、あちこちに宮崎駿直筆のアニメーション制作現場でのスモールストーリーがメモされていた。

 

 
面白い。
 
分業はどこの職場でもギスギスした空気になりがちなんだな、と、思った。
 
しらねえよスケジュールなんか、と、暴言を吐く左下の人物は、「怪人ジブリブリ※」が憑依していると思われる。
 
※怪人ジブリブリ:スタジオジブリに現れるいきもの。スタッフの冷や汗と脂汗を慕って集まる。スタッフの肩や腰に乗り、肩こり、頭痛、腰痛を引き起こし、気分をどーんと落ち込ませる。展示のあちこちに隠れていました。
 
カエル
 
屋上。外は撮影OKです。
 
 

ラピュタの世界が広がります。
外国人観光客も多かったなー。
 

 

 

ラピュタ文字盤。

若いお父さんがメイちゃんみたいな子どもに、「おとうさんこれよめる」と、聞かれて「読めるよ」と、はったりをかましていた。
 
カエル
 
小腹が空いたのでカフェ麦わらぼうしへ。
 

 
爽やかな新緑のなか、ちょっと食べるつもりが結構な量に。
 

「麦こがしラテ」がものすごく優しい味で美味しい。
 
ピクニックしているみたい。
気持ちよくて眠くなる。
 
カフェの外では流しのバイオリン弾きがジブリの名曲を奏でていた。
 
カエル
 
出口にある門番の建物。
さっきとまた別のメイちゃんがここに立てこもり、断固として出てこなかった。

メイちゃん、お母さんの「荷物とりにいこう」を、おやつ食べにいこう、と聞き間違えて、あえなく籠城終了。

 

しかしこういうことをするのは決まってメイちゃんです。

サツキは絶対やりません。

 

 

門番小屋の上のカエルのモチーフには「出口」の文字が。

帰るとカエルをかけた駄洒落だそうです(門番談)。
 
 
公園に出たところから一枚。

 
パンフレット。宮崎駿のスケッチと思われる。
しわくちゃ。
 
買ってしまった絵葉書。
このように額に並べて飾られていたので真似しようと思います。
 
 
*****
 

外に出てみるとバス停も可愛い。

 
 

 
 
美術館からほど近いAIが絶賛するパン屋さんで更に塩パン、めんたいフランス、カレーパンをシェアして食べた。
 

 

 

PARUKAは深夜からホーチミンへのフライトがあり、ここで帰宅しました。

キンちゃんと会わせることができてよかった。

 

キンちゃんはPARUKAの良き理解者です。

 

 

*****

 

井の頭公園を抜けて吉祥寺駅に

 

さきほどのバイオリン弾きは客のリクエストに応じてジブリの曲を演奏していたらしい。
 
そのすぐ側で、ちょいワル風の初老の男性がエレキギターをぎゅいーんと弾き始めた。
 
吉野家の前に松屋が出来たときのようないたたまれなさを感じました。
 
カエル
 

 
この先のボート池ほとりのベンチでちょっとお昼寝する。
 
池には佃煮のようにボートが浮かんでいました。
 
 
*****
 
 
AIの婚約者イクちゃんが手伝う世田谷のレストランへ。
 
お腹いっぱいでもう何も入らない、って思っていたのにどれも美味しくて
 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 
店主のご夫婦がワインをどんどん開けてくださり、キンちゃんものすごく饒舌に。
 
夫婦喧嘩を解決する極意をイクちゃんに熱く伝授。
 
自分が悪くなくてもまずは謝れと(笑)。
 
*****
 
キンちゃんは娘ふたりをとても褒めてくれ、私もこんな娘がいたらいいな、と思いました、と言ってくれた。
 
本当に思ったことしか言わないキンちゃんの言葉は嬉しかった。
 
あと何回遊べるかな。
 
 
 
 
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キンちゃんに、「春節に髪は切らないほうがいい」、と言われてから2か月も、美容院に行くことを我慢していた。

 

 

 

軽いくせ毛である私は美容院には苦労していて、20代のころから20年以上、新しい門を叩いては失望する、といったことを繰り返していた。

 

切ったその日に文房具入れからハサミを取り出し、ジョキジョキと手直しすることもしばしばあった。

 

美容院難民だった私がようやく巡り合えた運命の美容師。ですが数年通ったある日、今日でここを辞めるんです、と言われて背筋が凍った。

 

その日美容院に行ったのも何か虫が知らせたのかもしれない。

もし春節だったら、今生の別れになるところだった。

 

慌てて転職先を尋ねたら、私の住む市にオープンしたモール内の、カット代金1,800円均一のチェーン店だと言う。

 

かくして私はこれまで5,000円で切ってもらっていた同じ美容師に、破格の値段で髪を切ってもらっている。

 

 

 

 

ひとつだけ難点があって、このお店は予約ができません。

 

のこのこ昼前に出掛けたりすれば4時間待ち、ということがあるので、開店前から行列に並ばなければいけない。

 

まあ文句は言えません、1,800円なのですから。

 

 

*****

 

 

今回も行列に並んでウエイティングリストに名前を書いたけれど、やはり1時間半待ちだった。

 

何をして時間を潰そうか、と考え、今回は本を読むことにしました。

 

旅行のガイドブック以外の本を買うのは何年ぶりだろう。

 

 

迷わず手に取ったのが、この本、

 

 

 

 

ノンフィクション作家沢木耕太郎による藤圭子へのロングインタビューです。

 

 

 

なぜ今藤圭子か。

 

 

先日尊敬する先輩にお会いしたとき、次回は藤圭子について語りましょう、と言われ、予習をしなければ、と思ったからだ。

 

*****

 

美容院の待ち時間で読み終えた。

 

インタビューは紀尾井町ホテルニューオータニ40階の、バーマルゴーで行われていた。

 

8杯のウォッカトニックを傾けながら語り合う28歳の女と31歳の男の会話。

 

沢木耕太郎はもともと藤圭子のファンということもあり、そこここに好きという気持ちが垣間見えて気恥ずかしい感じがある。

藤圭子の夫、宇多田照實氏が沢木耕太郎に激怒したという気持ちも少しわかる気がした。

 

 

あとがきには、一度は世に出すことを諦めたこの本を、藤圭子の自死後、娘の宇多田ヒカルに捧げる意図で出版に踏み切った、という主旨のことが書かれていた。

 

 

人がもっともらしいことを語るときは誰かの影響だったりすることもあって、学のある沢木耕太郎の語りにはちょいちょいそいういう青臭さを感じたのですが、藤圭子の言葉は違っていた。

 

ピュアで聡明で美しい28歳の藤圭子を、私はとても好きになった。

 

でも、娘として、この本を読みたいと思うかどうかはわかりませんでした。

 

*****

 

ってなわけで、予習、完了です!

 

*****

 

インタビューの中で藤圭子が、自分のことを酷く書くのは決まって女性セブン、と言っていたので、今回私、美容院で、女性セブンが運ばれてきたのをきっぱり断ってやりましたよプンプン 。

 

 

 

*****

 

ところで、藤圭子の引退のきっかけのひとつが喉の手術により声が変わってしまったことだと知り、激しく同情した。

 

一緒にするのはものすごくおこがましいけれど私も今や、カラオケが楽しく歌えません ↓。

 

 

 

プロの歌手でもないのですから、と医者には諭されましたが、

 

 

 

悔しいですムカムカ

(by ザブングル加藤。)

 

 

 

 

 

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桜が満開の時期を迎えているため、慌てて梅見の記事を書いています。

 

写真多めでお送りします。

 

 

 

  🌸三渓園🌸

 

20代のころに買った日帰り旅の本に載っていた三渓園に、やっと行くことができました。

 

明治の実業家、原三渓が、自邸を一般の人々に開園したものだそうです。

 

関東大震災の際には横浜の復興に私財を投げ打ち、「横浜の恩人」と呼ばれた人です。

 

🌸

 

最初に撮った写真が猫。

 

野良猫だと思うが丸々と肥えています。

 

 

 

広い。これが私邸だったなんて。

梅の季節だというのに人っ子ひとりいない。

 

 

なぜならこの日は平日だったからです。

休暇を取っております。

 

 

良い天気。

 

 

 

 

 

 

 

園内ボランティアガイドのおじいちゃんに、あっちは梅がスゴいよ!、って言われてやったー!とはしゃぎましたが、行ってみると、

 

 

まだそんなにスゴくはなかった。

 

🌸

 

 

移築された古民家。こういうの大好き。

 

中に入ったところで撮った写真。

見た目どおりに写っています。

屋根の隙間から差し込む光が神秘的です。吸い込まれそう。

 

 

 

🌸

 

 

初音茶屋。戦前までここに吊るした茶釜のお湯を使って用意されたお茶を、誰もが自由に飲めたそうです。

芥川龍之介もここで一服お茶を飲み、俳句を残しています。

 

 

 

 

🌸

 

 

富士山が見えるかなー、と、高いところへ登ってみると、途中こんなものが。

 

 

(下の写真はお借りしたものです)

 

廃墟好きの私は好奇心が止まりません。

 

これは何。

 

そして何があったのか。

 

 

答えはすぐ目の前のパネルにありました。

 

 

 

パネルには、ここは三渓さんの義祖父、原善三郎が建てた別荘、松風閣の跡地、とありました。松風閣は関東大震災で消滅し、煉瓦部分は松風閣の玄関とのことでした。

 

ところが現在ではこのパネルの記載は間違いで、この煉瓦部分は善三郎の没後、原三渓が美術品の収蔵庫として増築したもの、と、言われているのだそうです。

 

いずれにしろ松風閣は、わずか2枚の絵ハガキ写真と屋上の人物写真が残っているのみで、設計図などの資料もなく、謎が多い。

 

 

 

松風閣の跡地には展望台が建てられている。

 

昔の写真と並べると面白い。

 

 

昔は海水浴や潮干狩りのあと、この納涼台から三渓園に出入りする人たちもいたらしい。当時は誰でも無料で入園できたそうです。

 

 

見えた!富士山!

 

夏にはあそこまで登ったなー。

 

 

 

 

 

🌸

 

 

あのあたりが原家の住まいだったのでしょう。

こんな豪邸にずっと住むのは気が引けるけど、親戚のおうちだったらいいのになー。

泊まってみたい。

 

 

🌸

 

 

ここまで来たからには、有名な三渓そばを食べてみたい。

 

 

ふむふむ。

 

で、

 

案の定肝心のそばの写真を撮り忘れたYO。

 

 

あったかい冷やし中華、とでも言えばよいでしょうか。

パネルに原家の家庭料理、とありますが、土曜日の昼に食べていたような、何だか懐かしい味がした。

 

 

そして三渓そばを食べたこの食堂、全テーブルもれなく、リタイア後の初老の夫婦がキレイにペアで座っておりました。


平日昼、って感じです照れ

 

 

*****

 

一緒に有休を取ってくれたのは、中国人のキンちゃんです。

 

 

 

 

このあとタクシーを飛ばしてもうひとつの目的地、ラーメン博物館に行くのですが、そのことはまた後日。

 

 

 

 

  🌸横浜中華街で春節を祝う🌸

 

 

ラーメン博物館を堪能したあとキンちゃんが、中華街に行きたいと言った。

 

おりしもこの日は春節の前日、大晦日にあたる日だった。

中華街には何回も行ったことがあるけれど、日本で春節を味わうことはもうないだろうから、とのことでした。

 

そうか。私も行ってみたい。

 

 

 

 
 
 
キンちゃんに言われるまで気がつかなかった。
 
提灯の飾りが龍になってるびっくり
 

 

 

しっぽ。

 
 
 
きらきら。

 
 
 

 
 
 

 
思いがけず日本で春節の気分を味わえて、キンちゃんは嬉しそうでした。
 
 
 

🌸

 
 
さっきラーメンを3杯も食べたばかりですが、せっかくなので中華料理を食べることに。
 
 
どこかお勧めのお店ありますか、と聞かれて思い出したのが、四五六菜館でした。
 

 
夫家族の昔からの行きつけのお店で、何度か家族で訪れたことがあったけれど、当時のお店はチープな感じの土産物のお店になってしまっていて、昔とは別の場所に立派なビルが建っていた。
 
昔のお店はいかにも中華街、という感じで雰囲気があった。
出入り口横の小さな番台みたいなところに足の悪いおばあちゃんがどーんと座っていて、でっかいそろばんでお会計をしてくれた。
 
🌸
 
お腹は一杯なので、というか、だけど、
 
チンタオビールと、

 
鶏肉カシューナッツ。
これ、いつも頼んでいたな。
 
 

餃子。

 
 
焼き小籠包。

 
この焼き小籠包が直径3センチぐらいでキョロキョロ
 
 
キンちゃんは、
 
「こんな小さい小籠包、見たことないデス!!」
 
 
ってずーっと怒っていた(笑)。
 
 
 
遠くからもう一度龍。

可愛いし、よくできている。

 

 

*****
 
 
ところで私はその週末、髪を切ろうかどうしようか迷っていた。
 
キンちゃんにそれを言うと、
 
 
「春節に髪を切ると母親の夫や男兄弟に不幸が起きると言われています。
 
 
と、言われた。
 
母親の夫も男兄弟も皆とっくに死んでいるけれど、なんだか縁起が悪そうなのでやめることにした。
 
 
そういえば母も、親の死に目に会えない、といまだに夜は爪を切りません。
ちょっと可愛くてつい笑ってしまう。
 
 
 
 
 

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4月から母の介護度が改定されたことに伴い、ケアマネジャー、デイケア、介護用品レンタルの業者等関係者を集めての会議が行われた。

 

デイケアには介護ロボットのさくらちゃんが徘徊していて、利用者を和ませているのだと言う。

 

こんな感じのやつだと思う。

 

母はさくらちゃんをとても可愛がっていて、連れて帰りたいわ、などとと言っているのだそうです。

 

そんな話ははじめて聞いた。

 

そのロボットは何をするのですか、と聞いたら、何もしません、と言われた。

ペットのような、愛玩用ロボットなのだそうです。

 

🤖

 

私の働くビルでは巡回警備を担うロボットがぐるぐると動き回っている。

 

先日先輩と、親の介護のことで立ち話をしていたら巡回ロボットがぐいぐい割り込んできて、ロボットと3人で介護話をする羽目になり、笑ってしまった。

 

介護に興味があったと見える。


彼も将来、母の施設にいるような愛玩用の介護ロボットを目指しているのかもしれません。

 

 

*****

 

 

昨年夏、同僚たちと都内で飲んだあと、軽くお茶をしようと近くのジョナサンに立ち寄ったら、ネコ型のロボットが健気に配膳業務をこなしていた。

 

 

こんな感じのロボット。


 

このロボットが、隣のテーブルにせっせとビールを運んでいた。

 

ロボットの配膳をワクワクしながら待っていたのに、我々のテーブルに料理を運んできたのは中高年の女性店員だった。

 

 

人間。

 

 

ビールを頼めばネコが運んでくれるのか。

 

もうこうなったらネコが来るまで帰れま10(てん)。

 

先ほど、王貞治がハンクアーロンの記録を破った日に食べたというもやしそばをたらふく食したことも忘れ、私たちはかたっぱしからタブレットで注文をはじめた。

 

 

 

 

ビールもフライドポテトもから揚げもパフェも、運んできたのは相田みつをもがっかりするぐらい人間だった。

 

 


 

多分担当テーブルがあったのだろう、と、はちきれそうなお腹をさすりながら皆で反省した。

 

🤖

 

先週友人たちと出掛けた都内の某ホテルで体験したのは、携帯からQRコードを読み込んで、いちいち注文しなくてはならないハイテクなスィーツビュッフェだった。

 

面倒臭い。

 

実に面倒臭い。

 

ホテルで優雅な気分を味わうつもりで6千円を支払ったというのに、誰かひとりは常に携帯と格闘していて会話も弾まない。

 

我々中高年にはネコ型ロボットのジョナサンのほうが、よっぽど楽しかった。

 

 

*****

 

 

そういえば父を自宅で介護していたころ、アレクサを使ってみたことがあった。

 

父は新しもの好きで、亡くなる直前までスマートフォンを買いに連れて行ってくれ、と言っていたので、きっと喜ぶと思ったのです。

 

父のために大きく「アレクサ」と書いた手書きのシールを貼っていたのですが、父はいつも、「アレクさん」、って言っていた。

 

賢いアレクサは父のアレクさんをちゃんと認識し、律儀に返事をしてくれた。

 

けれどわが家のアレクサは何度か般若心経を読まされただけで、いつの間にか使われなくなりました。

 

 

父との思い出です照れ ↓

 

 

 

*****

 

 

掲題のもやしそばについての記載が圧倒的に薄く、大変申し訳ありません。

 

月間ジャイアンツを愛読していた高校生のころから行ってみたいお店でした。

 

美味しかったです。

 

 

 

 

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PCやスマートフォンのリコメンド機能は恐ろしい。

 

 

先週仕事帰りに立ち寄った母の家でついこのような番組に見入ってしまった翌日、

 

『ライ麦畑でつかまえて』は善か悪か?完全なる問題作「キャッチャー・イン・ザ・ライ」

 

 

Amazonプライムに、サリンジャーの登場する映画をすかさずお勧めされたのです。

 

 

 

恥を承知で申し上げると私はサリンジャーの小説に興味を持ったことがなかったばかりか、邦題のフェミニンな印象から、ラブコメチックな甘い小説かと思っていた。

何ならサリンジャーが女性だと思い込んでいた。

 

世界中のサリンジャー信奉者の皆さまに、心から謝りたいです。

 

 

 

 

*****

 

 

映画を見終わると、また関連のインタビューとかコラムとかがお勧めされたりする。


まだ本も読んでいないというのに、サリンジャーの生い立ちや題名の由来などをひととおり学ぶはめになった。

 

この本を読んだ人は主人公のホールデンのどこかしらに自分を投影する、と言っている人もいた。

 

多感な高校生のころ、母の書棚にあった『人間失格』を読んで、不遜にも、「これは私だ」って思った。

 

もしかしたらあんな感じなのかな。

 

 

 

*****

 

主人公のホールデンは17歳。

森高千里によれば誰もいない海で二人の愛を確かめたくなるような年ごろだ。

 

かたや私は50代。

夜明けのベッドでふくらはぎがこむらがえりしがちな年ごろだ。

 

太宰に震えたピュアな気持ちが、そんな私にもまだ残っているのでしょうか。

 

確かめてみたくなった。

 

*****

 

 

この本の日本語版は、1964年に出版された(1984年に一部改訂)野崎孝訳のものと、2003年に出版された村上春樹訳のものがあるそうです。

 

いろいろな人の意見を読んで考えた結果、私は野崎さんの方を読んでみようかな、と思います。

 

*****

 

ところで何年か前、男性上司サタケさんに、業務で使用するトレンドワードを検索するよう指示を受けた。

 

サタケさんが見守る中、Google検索のボタンをポチっと押す。

 

 

げ。

 

 

 

 

検索結果の画面を縁取っていたのは、カラフルな下着の画像の数々だった。

 

昨日昼休みにこっそり下着の購入サイトを閲覧したことを思い出した。

 

平静を装う私。


無反応を装う上司。

 

 

地獄のような時間が流れた。

 

 

 

 GoogleAIは無神経にずけずけリコメンドすることを厭わない。


さすがアメリカ生まれだな、と、思った。


*****


皆さんもどうかお気をつけください。

 

 

 

 

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スナックJUJUで懐かしい昭和歌謡を聞きながら、しょうもない思い出に浸りましたので書き残したいと思います(順不同)。

 

 

 

 

 

  め組のひと (ラッツ&スター)

 

世の中はバブル全盛に向け、舞い上がっていた。

 

どういう流れか思い出せませんが、奥手な学生だった私もディスコに連れて行かれることが何度かあった。

 

ジュリアナ東京とかマハラジャとかが誕生する少し前のことで、入口で黒服に入店拒否されることもなかった。

 

従って店内にイケてる客は1割ほど、のこり9割の男女は内心おどおどしつつ見ようみまねで変な踊りを踊っていた。

 

だから「め組のひと」や「君の瞳に恋してる」みたいに聞き覚えのある曲が流れると、皆ホッとして、嬉しそうにうぇーい、と叫んでいた。

 

♪♪♪

 

社会人になってバブル景気は頂点を極めましたが、相変わらず私は素朴な服装で出社していた。

 

青いストライプのパジャマを買ったとき、パリっと糊のきいたシャツが勿体なくて、1回会社に着ていこう、と思った。

 

パジャマ姿で出社した私を見たイケてる同期のニシオちゃんに、みきちゃんが珍しくまともな恰好をしているので今日はディスコに行こう、と連れて行かれたのが、全盛期の青山 King & Queenだった。

 

 

今更これがパジャマだなんて言い出せなかった。

 

厳格な入店チェックにパジャマで挑み、突破できたときのスリルを今でも覚えています。

 

 

 

 

  なごり雪 (イルカ)

 

学生時代に入っていたのは、夏はテニス、冬はスキー、といった今で言うところのイベントサークルだった。

 

地方出身の男子学生が立ち上げたサークルで、その名も「ノスタルジー研究会」。

皆どこか東京に馴染みきれない優しい人たちでした。

 

私たち短大生は4年生の学生たちと仲が良く、何組かカップルもいた。

 

同時に卒業のタイミングを迎えた冬のスキー合宿のマイクロバスの中、男子学生たちが大声で、なごり雪を歌いはじめた。

 

女の子たちは皆都内の企業に就職が決まっていた。

一方男子学生は地元に戻ることを決めた人が多かった。

 

携帯電話もLINEもない時代、東京と地方はとても遠かった。

 

卒業後は皆散り散りになって会うこともなくなった。

 

 

 

 

  桃色吐息 (高橋真梨子)

 

母の十八番でした。

 

今聞けば、なるほどかなり桃色な内容です。

 

厳格だった母がなにゆえこのような曲を。

 

 

 

 

  Maybe Tomorrow (NOKKO)

 

スナックJUJUのゲストのひとりとして登場したNOKKO。

 

往年のスターたちも人生の後半に差し掛かり、声のハリや声量に陰りが見えたりするものですが、いや、恐らく昔より歌、うまくなっているでしょう。

 

前に座る男性は号泣していて、奥さんに、どうした真顔?、って訝しがられていた。

 

 

灰色の日に行きづまっても

あきらめはできないの Maybe Tomorrow

 

 

辛い年ごろなんだと思う。

 

 

 

  異邦人 (久保田早紀)

 

有名な曲のフレーズをちょっと替え歌する、ボキャブラ天国という番組があった。

 

視聴者がハガキを出すコーナーもあって、友人のヒロコちゃんと時事ネタに挑戦しようと考えました。

 

まずは私の作品です。

 

 

ちょっと

 

出稼ぎに

 

来ただけのイラン人。

 

(上野公園の西郷さんの銅像周辺にイラン人が急増。)

 

 

 

ちなみにヒロコちゃんの作品は、

 

 

オリーブオイルで下痢。

 

(村山首相ナポリで開催の主要国首脳会議サミットで腹痛に倒れる。)

 

 

わかりにくいかもしれませんが、おおブレネリの替え歌です。

 

 

 

 

  言葉にできない (オフコース)

 

長女がまだ1歳になるかならないかのころ、はからずも次女を身ごもった。

 

長くなる育児休業に、このままでは社会復帰が難しくなる、と考え、オランダ人留学生を英語の家庭教師に雇った。

 

 

 

次女が誕生するまで、との約束でしたが実際出産の日が最後の授業となった。


やがて先生の帰国が決まった。

自宅に招き、ささやかなお別れ会を開いた。

 

確かオランダから先生のガールフレンドも来ていて、一緒に招いたように記憶している。

 

夫もいた。

 

6名中2名は外国人で、2名は地球に来て数か月~1年数か月の乳幼児。

1名は酔っぱらい。

 

もうこれだけで充分混沌としているというのに、よりによってこの日、夫の父が、当時私たちが住んでいた古い家を売りたい、などという込み入った話をしにやって来た。

 

先生は上機嫌でしゃべりまくり、大好きだというオフコースの「言葉にできない」を、繰り返し流すよう要求。あなたに会えて本当に良かった、と、大きな声で唱和する。

 

確かに私もこの歌は大好きですが、

 

 

今じゃない。

 

 

こうして私の長い一日が終わり、酔っ払いと乳幼児2人を前に、言葉にできない疲労感だけが残った。

 

 

 

  喝采 (ちあきなおみ)

 

かつての私の十八番。

 

結婚当時夫の草野球チームの面々とよく行ったスナックでいつも歌っていた。

 

まさかその後、この歌を地でゆく運命を辿るとは。

 

皆にそう思われたことだろうと思うと、ちょっと笑ってしまった。

 

♪♪♪

 

JUJUの歌う喝采を聞いてまた歌いたくなったけれど、聞かされるほうはどんな顔で聞いてよいのかわからないだろう。

 

あらためて夫に怒りたい気持ちになった。

 

 

 

 

 

 

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