スナックJUJUで懐かしい昭和歌謡を聞きながら、しょうもない思い出に浸りましたので書き残したいと思います(順不同)。

 

 

 

 

 

  め組のひと (ラッツ&スター)

 

世の中はバブル全盛に向け、舞い上がっていた。

 

どういう流れか思い出せませんが、奥手な学生だった私もディスコに連れて行かれることが何度かあった。

 

ジュリアナ東京とかマハラジャとかが誕生する少し前のことで、入口で黒服に入店拒否されることもなかった。

 

従って店内にイケてる客は1割ほど、のこり9割の男女は内心おどおどしつつ見ようみまねで変な踊りを踊っていた。

 

だから「め組のひと」や「君の瞳に恋してる」みたいに聞き覚えのある曲が流れると、皆ホッとして、嬉しそうにうぇーい、と叫んでいた。

 

♪♪♪

 

社会人になってバブル景気は頂点を極めましたが、相変わらず私は素朴な服装で出社していた。

 

青いストライプのパジャマを買ったとき、パリっと糊のきいたシャツが勿体なくて、1回会社に着ていこう、と思った。

 

パジャマ姿で出社した私を見たイケてる同期のニシオちゃんに、みきちゃんが珍しくまともな恰好をしているので今日はディスコに行こう、と連れて行かれたのが、全盛期の青山 King & Queenだった。

 

 

今更これがパジャマだなんて言い出せなかった。

 

厳格な入店チェックにパジャマで挑み、突破できたときのスリルを今でも覚えています。

 

 

 

 

  なごり雪 (イルカ)

 

学生時代に入っていたのは、夏はテニス、冬はスキー、といった今で言うところのイベントサークルだった。

 

地方出身の男子学生が立ち上げたサークルで、その名も「ノスタルジー研究会」。

皆どこか東京に馴染みきれない優しい人たちでした。

 

私たち短大生は4年生の学生たちと仲が良く、何組かカップルもいた。

 

同時に卒業のタイミングを迎えた冬のスキー合宿のマイクロバスの中、男子学生たちが大声で、なごり雪を歌いはじめた。

 

女の子たちは皆都内の企業に就職が決まっていた。

一方男子学生は地元に戻ることを決めた人が多かった。

 

携帯電話もLINEもない時代、東京と地方はとても遠かった。

 

卒業後は皆散り散りになって会うこともなくなった。

 

 

 

 

  桃色吐息 (高橋真梨子)

 

母の十八番でした。

 

今聞けば、なるほどかなり桃色な内容です。

 

厳格だった母がなにゆえこのような曲を。

 

 

 

 

  Maybe Tomorrow (NOKKO)

 

スナックJUJUのゲストのひとりとして登場したNOKKO。

 

往年のスターたちも人生の後半に差し掛かり、声のハリや声量に陰りが見えたりするものですが、いや、恐らく昔より歌、うまくなっているでしょう。

 

前に座る男性は号泣していて、奥さんに、どうした真顔?、って訝しがられていた。

 

 

灰色の日に行きづまっても

あきらめはできないの Maybe Tomorrow

 

 

辛い年ごろなんだと思う。

 

 

 

  異邦人 (久保田早紀)

 

有名な曲のフレーズをちょっと替え歌する、ボキャブラ天国という番組があった。

 

視聴者がハガキを出すコーナーもあって、友人のヒロコちゃんと時事ネタに挑戦しようと考えました。

 

まずは私の作品です。

 

 

ちょっと

 

出稼ぎに

 

来ただけのイラン人。

 

(上野公園の西郷さんの銅像周辺にイラン人が急増。)

 

 

 

ちなみにヒロコちゃんの作品は、

 

 

オリーブオイルで下痢。

 

(村山首相ナポリで開催の主要国首脳会議サミットで腹痛に倒れる。)

 

 

わかりにくいかもしれませんが、おおブレネリの替え歌です。

 

 

 

 

  言葉にできない (オフコース)

 

長女がまだ1歳になるかならないかのころ、はからずも次女を身ごもった。

 

長くなる育児休業に、このままでは社会復帰が難しくなる、と考え、オランダ人留学生を英語の家庭教師に雇った。

 

 

 

次女が誕生するまで、との約束でしたが実際出産の日が最後の授業となった。


やがて先生の帰国が決まった。

自宅に招き、ささやかなお別れ会を開いた。

 

確かオランダから先生のガールフレンドも来ていて、一緒に招いたように記憶している。

 

夫もいた。

 

6名中2名は外国人で、2名は地球に来て数か月~1年数か月の乳幼児。

1名は酔っぱらい。

 

もうこれだけで充分混沌としているというのに、よりによってこの日、夫の父が、当時私たちが住んでいた古い家を売りたい、などという込み入った話をしにやって来た。

 

先生は上機嫌でしゃべりまくり、大好きだというオフコースの「言葉にできない」を、繰り返し流すよう要求。あなたに会えて本当に良かった、と、大きな声で唱和する。

 

確かに私もこの歌は大好きですが、

 

 

今じゃない。

 

 

こうして私の長い一日が終わり、酔っ払いと乳幼児2人を前に、言葉にできない疲労感だけが残った。

 

 

 

  喝采 (ちあきなおみ)

 

かつての私の十八番。

 

結婚当時夫の草野球チームの面々とよく行ったスナックでいつも歌っていた。

 

まさかその後、この歌を地でゆく運命を辿るとは。

 

皆にそう思われたことだろうと思うと、ちょっと笑ってしまった。

 

♪♪♪

 

JUJUの歌う喝采を聞いてまた歌いたくなったけれど、聞かされるほうはどんな顔で聞いてよいのかわからないだろう。

 

あらためて夫に怒りたい気持ちになった。

 

 

 

 

 

 

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