トップガンマーヴェリックを観に行った。
トム・クルーズのファンというわけではないのですが、トップガンとかミッションインポッシブルとかザ・エージェントとかいったトムの出演する映画が好きで、戦闘機も好きなので、絶対に映画館で観ようと決めていた。
トップガンの舞台 ミラマー基地にも行きました ↓
会社のおじさんがトップガンを観て号泣したと言っていた。
年をとると涙もろくなると言うけれど、私は逆で、あるときから余程のことがない限り気持ちよく泣けなくなった。
涙にはデトックス効果もあると言うし、映画の力を借りて、たまには思い切り涙を流すのもいいな、と思った。
たびたび泣きながら帰る私に業を煮やした母が我が子の通学の友として白羽の矢を立てたのが、近所に住む目立って元気な女の子、となりのクラスのさっちゃんだった。
それまで私は片道30分の通学路を地面ばかり見て歩いていた。
最強の通学仲間を得て顔をあげて歩いたら、森や木や畑や家々がよく見えるようになった。
通学路には所どころに樹齢100年を超えるような大きな木が枝を広げていた。
大きなツノの牡鹿に見えるシカの木、特徴的なコブのついたサルの木、誰かが彫ったドクロのマークがある呪いの木、というように、私たちはその全てに名前をつけた。
毎朝すれ違うやさしそうなサラリーマンには「いつものおじさん」とあだ名をつけて、大きな声で挨拶をした。
一方強面のサラリーマンを「黒眼鏡のおっさん」、と呼ばわって、ダッシュですれ違うことにしていた。
走るとますます怖くなって、毎朝全力で逃げた。
おじさん本当にごめんなさい。
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通学路は里芋やネギ畑のあいだをうねうねと縫っていた。
母方の祖父に、学校までいくつ角を曲がってゆくのかと訊かれて指折り数え、18回と答えたら、そんなわけはないだろうと笑われたことがあるけれど、本当に18回曲がっていた。
畑から道にはみ出した青いネギを踏むと、ぱん!、と大きな音がするのが面白くて、さっちゃんと夢中でぱんぱんやっていたら、後ろから大好きなノモト先生に首根っこを掴まれ、学校 に連行された。
でももう泣いたりはしなかった。
真面目な私が職員会議にかけられたのは、後にも先にもあのネギの一件だけです。
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クラスの同じ班に、モトコちゃんという意地の悪い女の子がいた。
さっちゃんがいないとまだまだ弱っちかった私は、よくモトコちゃんに泣かされていた。
普段は強いさっちゃんも、となりの席のマツザキにノートを破かれて泣いてしまったことがあった。
日ごろは野生児の私たちでしたが、どちらかが学校で泣いてしまった日は、何も聞かず、ただ黙って帰るのが暗黙の決まりだった。
情けなくて恥ずかしい気持ちをそっとしておいてもらえるのは、有り難かった。
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結婚が決まって家を出るとき、部屋を片付けていたら、「班ノート」と書かれた当時のクラス日誌が出てきた。
めくってみると2週間に1回ぐらいの頻度で、
「モトコがみきを泣かした」
と書いてある。
やれやれと思いながら更にページを進めると、学期のおわりのあたりに1箇所、
「みきがモトコを泣かした」
と書かれた日があった。
ちゃんとやり返していた。
何があったかちっとも覚えていないけれど、さっちゃんとの通学で徐々に力をつけ、強くなっていったんだろう。
女子同士の仁義なき攻防を毎度リングサイドで見せられていた、同じ班のソメヤくんとナカジマくんには、申し訳ないことをしたなと思った。
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で、トップガンですが、とても面白かった。
トムとともに操縦桿を握っている気になってしまい、がっつり筋肉痛になりました。
けれど号泣するには至らず、その点は少し残念だった。
ジェニファー・コネリーとの恋愛エピソードはいらなかったかなー、とも思った。
トップガンアンセムのこと、書いてました ↓
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ちなみに通学路で毎朝挨拶していた「いつものおじさん」は、私が高校生のときにバスの中で声をかけられ、話をするようになった。
同級生のミウラさんのお父さんであることがわかった。
更に時を経て、父がデイサービスから誤って持ち帰った衣類にいつものおじさんの名前が書いてあって、なんだか少し切なくなった。
さっちゃんとは互いに子どもができた辺りまで年賀状などのやりとりをしていたけれど、今はどうしているのかわかりません。