このところの為替円相場について、私見を述べたいと思います。
母の血圧と、
ほぼ同水準だな。
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1985年9月、ニューヨークのプラザホテルにおいて、アメリカと日本はドル安円高を目指すことに合意した。
世に言う、「プラザ合意」です。
当時日本は円安の勢いに乗って車をはじめとした日本製品をがんがん輸出しており、アメリカの貿易赤字が膨らんでいた。
プラザ合意をきっかけに、日本はバブル経済に突入したのです。
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日本中が調子に乗っていたその時代のなかでも特に恩恵を受けた世代には、ある共通点がある。
それは英語で「サタデー」と綴るとき、ベイ・シティ・ローラーズの「サタデーナイト」のあのフレーズを、頭の中でつい歌ってしまうことです。
月曜や火曜が綴れなくても土曜だけはちゃんと綴れたこの世代は、ちょうどバブル期の20代前半と一致する。
恥ずかしながら私は今でもS、A、TUR、とやらなければサタデーを綴れません。
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ところでプラザ合意後の円相場はどれぐらいだったのかな、と調べてみた。
当時は円高にうかれて同期とハワイに行ったし、同僚はファッションの仕上げに必ずエルメスのスカーフを腰に巻いていたけれど、
母の血圧と、
ほぼ同水準だな。
150円ぐらい。
意外でした。
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ちなみにバブル期の同僚は皆、エルメスやルイヴィトンなどのブランドに夢中でしたが、私は欲しいと思ったことがなかった。
つい先日も、「30万のバッグを買うぐらいだったら3千円のバッグが100個欲しい」、と言ったところ、友人のヒロコちゃんに、
「・・100個はやめておこうか。しまう場所に困るし」。
とたしなめられ、それもそうだな、と、思った。
ブランドに疎いわたし ↓
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大仰なタイトルのわりにGW仕様のうすい内容の記事となりましたことを、お詫びいたします。
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