毎年7月、夏休み入ってすぐ、

あーくんの小学校では拡大懇談会がありました。

もう17年前ですが。(うっ・・・月日の流れが・・・・)

 


これは、支援学級の保護者と学校の先生全員が図書室に集まり、

日頃のこどもの様子について、

保護者の立場からや交流クラスの先生の立場からの話を、

全く受け持ちのない先生も一緒に聞いて、

情報交換をする場です。


懇談会始まりの歴史は、あーくんが入学する何年か前、

支援学級の保護者と交流クラスの先生と数名の懇談会だったと聞いています。


当時懇談会に出席した先生方が、

「こんないいお話(保護者の思い)を数人だけが聞くのはもったいない!

もっとたくさんの先生に知ってもらいたい」

と言ってくださり、

文字通りどんどん拡大し、今では全先生が出席される会にまでなりました。
あーくんが小5のころから会のタイトルも

「特別支援教育研修会-支援学級拡大懇談会-」となり先生方の学びの場となったようです。



今までは、保護者一人一人が、それぞれの思いを語っていました。
しかし大勢(先生方は50人くらいいらっしゃいますので)の前で話すのは…という声もあったため、

あーくんが小4の頃には、

先生5人くらいのグループに一人保護者が入り、

家でどんな様子か、何が得意でなにが苦手か、好きな遊びはなにかを話す、

グループ討議のかたちをとるようにしました。
このグループ分けは好評だったので、今後も続くでしょう。


グループに分かれる前に、代表で何人かの保護者が話します。
初めてグループにした年(あーくん小5)は三名ほどお願いしましたが、

グループで話すほうが楽しくそちらに時間をとりたいので、

代表で話すのは今年は一名にしようとなりました。


6月頃に支援学級の担任の先生から

「6年生最後ですから、全体でのお話、お願いできませんか?」と先生に言われました。
「喜んで!」私は答えました。
あーくんのことを一人でも多くの人に知ってもらえる機会ですから。

しかも、いつどこでお世話になるかもしれない先生方にお話をできるなんて、またとないチャンス♪

 


そこで、今までの先生とのやりとりがたっぷり書かれている連絡帳を読み返しました。
 

母子通園をしていた時のもの、
単独通園施設(児童発達支援施設)の時の時のもの、
小学校に入ってからのもの。
それはかなりの冊数です。
でも、こんな機会をいただかないと、連絡帳を読み返すなんて、

私には絶対にしないことです。

(捨てずにとっておくことは得意ですよ。

ストレングスファインダーで収集心を持ってますからね)


だからこの機会をくださったT先生に感謝しながら、

丁寧に読み返していきました。
 

するとこんな可愛いことをしていたの?や、

こんな悩みもあったのか、と、

今では記憶にないものもたくさんあり、驚かされることばかりでした。
当時はとても悩んでいましたが、

こうして過ぎてしまえば、

あの時のアレはこういう理由があったんだ~とわかったり、

あれも必要なステップだったんだな~と気付きます。

 

 

『発達に遅れのある子の就学相談』という本のなかにこうあります。
障害のある子どもが就職して一番さきに求められるのは、困った時に「助けて」と言える力です。仕事で必要なスキルは職場でおおよそのことは教えてくれます。けれども、困った時に「助けて」と周囲を頼って助けを求めることは、成人になって教えても、なかなか身に付くものではなく、結局助けてと言えなかったために大事にいたってしまうケースがよくあります。
人に助けを求めることができるかどうかは、「他人への信頼感」と「自信(自分への信頼感)」に深くかかわっていると感じます。その鍵になるのは、自分の思いを受け入れてもらえた十分な体験があるかないかです。




私が人前であーくんのことを話す時に、必ずこの文章を紹介します。
これが私の子育ての大黒柱になっているからです。


あーくんの小学校は、

あーくんにとって「ここにいてもいいんだ」と思える場所です。
支援学級の子どもが、交流クラスにいるということは、
周りのお友達にとっては
「世の中には色々な人がいるんだな」ということを知ることであり、
あーくんにとってはいずれ社会に出た時のために
「困ったときに助けて」と言える経験を一つでも多くできる、という、
それぞれが毎日のなかで自然に学んでいる環境なのではないかと思うのです。



あーくんが毎日ののびのびと生活している姿を見て、
あーくんの通っている小学校は本当に安心・安全の場だと感じます。

兄の時から数えて八年間いますが、

校長先生は四人、交流クラスと支援学級の先生も毎年変わりましたが、

この交流スタイルが変わらず続けられているのも、先生方やお友達のおかげと思っています。

拡大懇談会も、そういったみなさんのお気持ちの表れではないだろうかと思っています。

 

 

 

 

令和の現在、

小学校の支援学級のクラスは、この当時の4倍に増え

支援学級の先生も同時に増えますから

コミュニケーションも複雑になっていると思います。

特にコロナ禍も経験し、今の子育て世代は大変と思います。

 

が、大変な中でも、その時その時でなるべく楽しみを探し出して

楽しみながら、なんとかやっていくしかないんでしょうね。

そしていつの間にか子どもは大人になっている。

その時に後悔したくないですね。

 

そう思います。

 

 


 

中学校では卓球部に所属していました。

(ついでにいうと高校も、現在も続けています)

 

 

卓球との出会いは、小3の時の療育で。

その時療育の先生から「この子卓球上手かもしれませんよ」と言われて

小4からの学校のクラブ活動で卓球クラブに入れてもらい、

小6で公民館の卓球教室にも行き、

「もっと卓球をしたい」とあーくんが思っていたようだったので

中学校入学の時に先生にお願いして入部しました。

中1の時のお話です。

 

 

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あーくんが部活を始めて8カ月。

卓球のラケットを新しいものにしたいと思いました。


今のラケットは、一年半前に、公民館の卓球クラブに入った時に、

近所のスポーツ用品店で買ったものです。

卓球の素人のお父さんとあーくんと二人で買いに行ったのでした。


中学校に入学し、卓球部に入ると、

卓球とはとても奥の深いスポーツということがわかりました。
頭をとっても使うのです!!

詳しく聞いていても、私は半分もついていけないくらいの奥深さで、

真剣にしている子どもたちをみると、すごいな~と思います。

 


例えば、試合が終わるといつもその試合のことについて記録を取ります。
相手の名前、中学校名、どんなラケットを使っているか、

利き手、相手の得意なところ、苦手なところ、などなど。。

とにかくデータが命、という感じです。

今後対戦するときに、この記録がとっても役に立つそうで。
あーくんなりに書いているのをみると、

やっぱりすごいな~と思います(親ばか?!)

 


で、そろそろラケットも傷が増え、

一年生は新しいものに買い替えたい時期だそうで、

保護者会の代表さんから

「買い替えたいなら、先生にどれを買ったらいいか教えてもらったほうがいいよ」とアドバイスいただきました。


私ではラケットは何が何やら?ですが、

先生から見ればこの子はこういった試合をしたほうがいい、

だからこのラケット、ラバーを買った方がいい、など、あるそうです。


そこで先日、先生にお会いした時に教えてくださいとお願いしました。
すると「僕よりも2年生の方が詳しいんで、子どもたちに聞いて、お手紙でお知らせしますね」

と言っていただきました。

先生は2年生の先輩をとっても信頼さてているんだな~と思いました。


それから、試験、練習試合などあって、忙しい時期が続いたのですが、

昨日あーくんが「これで強いラケットになれる」とお手紙を持って帰ってきました。

それは、2年生の副部長さんからでした。


「○○くん(あーくん)のお母さんへ」
お手紙には、ネットで注文したほうが安いのでこのサイトを検索してください、と書かれていて、

ラケットの詳しいメーカー名、色、厚さ、金額など書かれていました。

最後に「お手数をおかけしますが、○○くんのためにもよろしくお願いします」と書かれていました。

もう、とっても涙が出そうでした(*_*)

こんなにしっかりした先輩に会えて、あーくんは幸せ者だな~
そう思いました。卓球部の仲間~という感じ。
 

「いえいえ、こちらこそ、わざわざあーくんのラケット選びに付き合ってくれて、ありがとうございます!!!
試験や練習試合で忙しかったでしょ~」そう直接電話で話したいくらい、感激しました。
すぐに副部長さんのお母さんへメール。(お母さんは保護者会の代表さんなんです)
聞くと、2年生と1年生の男の子で、カタログを見ながら、

あーくんにはこれが良い、あれがいいと、ワイワイと選んでもらったとのこと。

こんな経験ができたのも、卓球部のおかげですね。

 

先生があーくんを受け入れてくれたから、

先輩たちも積極的に関わってくれて、

それをみた同級生のお友達も面倒をみてくれる

(良い感じの距離を保って必要以上にお世話をしてくれるんじゃなく)

卓球部には、同じく支援学級のお友達も一緒にいるからあーくんも安心していられる。
あーくんの周りは、いままでも、本当にいい人ばかりで、すごいな~と改めて思います。
おかげで、私も良い人に出会えるので、嬉しい♪


翌朝、さっそく「卓球99」というサイトで注文。

3時間後には発送しました、のメール。
おお~すぐに届くよ~

届いたらラバーを貼ってもらいに行こうね~

楽しい予定にあーくんも私もワクワクです。

 


ほんと子どもって世界を広げてくれるんですね~

ありがと~

この手紙は宝物です~(*^_^*)
 

 

 

 

あーくん中学生の頃。

月に一度の教育相談の日。
 

 

先生に教えてもらったのが、
思春期の子には「言葉を残しなさい」

 


見守られている感
安心感
これを伝えるのに「文字にして」伝える。



例えば、ふせんにささ~と書いて
伝言板みたいなのに貼って、言葉でも伝える。
フィードバック。


「今日は笑顔がいいね」
「落ち込んでいるように見えるけど、大丈夫?」
「良い顔して帰ってきたから、安心したよ」
あなたは見守られているよ~って伝えるってこと。

 



コーチングで

フィードバック=承認と習ったけど、
大げさなことでなくてもいい。

 


(存在承認)とは
・名前を呼ぶ・挨拶する・返事をする・感謝する(ありがとうという)

・意見を求める・相談する・約束の時間を守る・仕事を任せる
・「結果」を伝える・「事実」を伝える・「気持ち」を伝える


そうすることで、より相手のモチベーションを上げていくことができる、
そう習いました。

 



お兄ちゃんが中3の時

塾の帰りの友達との面白エピソードを教えてくれました。
塾が終わって帰っていた、夜の住宅地。
自転車に乗っているお友達が、スピードを出しながら自転車からパッと降りて自転車だけが一人で進む、そんなサーカスのようなことを披露してくれていたそう。
ある日、自転車がまっすぐ行かず、どこかの家の壁に激突してしまって、みんな「逃げろ~」とその友達を置いて行ってしまったということ。

「もうそれ以来、してくれんくなった」と言うお兄ちゃん。

「そりゃ~そうやろ~」と私。

でも、そんな青春の一コマってあるよね。と、中学生男子のエピソードに感動して書いた一枚。


「友達のおもしろい話をおしえてくれてありがとー。いいねー。超うける~中学男子」



あーくんにも
「部活で朝そうじにまにあうように家を出てえらいね。時間をちゃんと一人で考えているんだね」
 

以前、手をつなぐ育成会のたかむら先生の勉強会に出席した時、

「褒める時は「ちゃんと」とか、「しっかり」とかつかっていいよ」って言われていたから、使ってみたり。



教育相談の先生いわく、
「これがこのままエピソードとして残っていくからね。

ホルモンバランスが崩れて、揺れている時、

変わらない笑顔で支えられて安心感を持てる、

それで人生の山場を乗り切るんよ。」

 


思春期以降は、なりたい自分を探している。

スポーツできる、勉強できるって、自分の強みを意識したり、
人と違ってできないところも見えてくる。

体も変化して、ゆらいでいる。
まわりの大人は、何にゆらいでいるのか、キャッチするのが大切。


・・・でも親の私も一緒になってゆらいで(不安で)いるので、
こうして先生に教えてもらえてありがたいな~
子育ては、たくさんの人に支えてもらっていいんだな~



このふせん、まだあって、

年に1度見直すかどうかくらいですが・・・

書いててよかった、と思います♪

 

(子どもはまだ、こういうのを見るのは「恥ずかしい」みたいで。

一緒には見ませんが。思春期は30歳くらいまでありますので~)



 

 

せっかくですので、

前の記事からの流れで、

3年前にあーくんの障害年金の申請をしたお話を紹介します。

 

コロナ禍真っ最中だったので、

色々とやり方が、前とは違うということもあったようですが、

なんとか申請書類を提出することができました。

 

 

年金については、かなり前から色々な先輩や勉強会で聞いて

「こうしよう」「ああしよう」と準備してきて

ようやく本番!でした。

 

ちょっとワクワクという気持ちもありましたね♪

 

 

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年金の申請書類、受理していただきました。

コロナで年金事務所が完全予約制になり、
予約の電話もつながりにくい状況でした。
誕生日前に申請したかったのですが、当日になりました。



あちこちで年金については書かれていますし、
私が敢えて言うことではないですが
先輩お母さんから教えてもらって、私も気をつけたことを書いておきます。


・A3の、保護者が書く紙は、「こんなに大変だった → だからこんな支援を受けた」ということを書く

・精神科の先生に書いていただく診断書の内容と大きく違わないよう、先に私が書いたA3の紙(下書き)をお渡しした

・年金事務所には2度行きました。
書類を貰いに行くのに1日、書いたのをチェックしてもらうのに1日(それでokならその日に受理してもらえる)
間違って書いていたり、書いていないところに「こう書いてください」と教えてもらえるので、チェックしてもらいに行くのは絶対に必要だと思います!

・福岡市手をつなぐ育成会の会報誌に、タイムリーに障害基礎年金の記事が載っていて、ありがたかったですね〜情報を持っているのが好きな私です✨






こういった手続きは今まで全て自分でしていました。
が今回ばかりは、色々な方の助けなしには出来ないことでした。

精神科のお医者さんに書いていただくのはもちろん、
市の福祉センターの初診日の問い合わせだったり、
A3の紙を書くのに、過去の連絡帳にも助けてもらいました。
年金事務所の予約も相談支援の方にしていただきましたし
就労移行支援事業所の方にも文章を書くのに手伝っていただきました。

とにかく、どう進めていったらいいか、がわかりませんでした。




世間には社労士という
こう言った手続きのプロがいるので
依頼するのもありだと思います。



年金の窓口も、

年金事務所か区役所の年金課とあるので
どっちにいくか、どのように進めるかは自分次第です〜
(だからこそ、わからない!!)




だから、今出来ることは何!?と
ちょっと先の情報を得ておくのも大事なのかもしれません。




障がいのある子の保護者なら
すっごく興味があり、

悩みでもある年金申請、
書類を提出できてホッとして
ちょっと燃え尽きた💦



ちなみに書類は東京に送るそうです。
良いなあ〜書類は。

安いお金で東京に行けて😆
と思いつつ……


結果は数ヶ月後〜
 

 

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おかげさまで申請は通り、

現在支給していただいています。

 

 

以前区役所の方に

「特別児童手当から年金につながるといいですね」と言っていただきましたが

叶いました~!ありがとうございます!!

という気持ちでいっぱいです。

 

 

区役所の方はこう言ってくださいました。
「特別児童手当は、県のお医者さんが判断されますからね。

判定は公平ですよ。だから、お金をもらうことを気にされなくて大丈夫ですからね。
人生、ダメもとってことって多くあるので、どんどん申請にチャレンジされてください。
どうしても私たちが子どもよりも先に死にますからね。お金が心配ですよね。
この手当ては20歳前までもらえますから、20歳になった時、年金につながるといいですね。」

 

 

 

 

ちなみに余談ですが・・・

 

 

私の年金手帳はオレンジ色なんです。
次男に届いたのは青色だったのです。
年金事務所に一緒に行ってくれた支援者さん(若い)も青色とのこと。
ということは……年代???と言っていたら
その通りでした😅💦

オレンジ色は1974年から1996年に発行されたもの、
青色はそれ以降……とのこと

 

そして、手帳って廃止になるんですね〜💦
 

あーくん中学生時代のある日。

精神科は今(23歳)でも三か月に一度ほどの頻度で通っています。

私は同行せず、一人で。

 

 

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今日はあーくんの月に一度の精神科受診の日でした。

え?精神科?そう思われる方もいるかもですね。
中学校の同じ支援学級の保護者同士で話していた時にも

「精神科って・・・・^_^;」という反応の方もいます。
でも、実はとっても重要なのです。


今まであーくんは市の障がいセンターに通っていて、

診断書が必要な時(特別児童手当をもらう時に提出するのです)は

市のお医者さんに書いていただいてたのですが、
あーくんが18歳になったら、

今までの市のお医者さんには書いていただけないということが何年か前に分かったのです。

 

18歳以降に必要なのは、障害年金をもらうか、もらわないかという判断。


あーくんは将来年金を頂いて生活することが良いだろうと夫婦で判断して、

では年金をもらえるために、診断書をかいてもらえるお医者さん(精神科の)を、かかりつけの先生を作ろうと、

色々と情報収集して、今の病院を見つけました。

 

 


精神科は、初診で予約を取るのがとっても大変です。

子どもさんをみてもらいたい、という人が多いから。
電話での受付なので、アイドルグループのコンサートチケットを取るくらい気合いを入れないと、

つながらない、という状況です。

 

でも、無事診ていただけることになったのが中学校に入学して2か月ほど経ってから。

それから、月に一度ペースでの受診です。



先日出席した成年後見人制度の勉強会でも言われていました。

この制度を利用するときにも精神科のお医者さんの診断書が必要とのこと。

だから、かかりつけのお医者さんを今のうちからもっておくといいですよ、と言われていました。

 

お医者さんの中には、最低でも半年は診たいという方もいらっしゃるそうで。

「今、診断書が欲しい」と思っても、

すぐに手に入らないと思っておいた方がいいそうです。

 


ちなみに、この時の講師の先生も、

「もし成年後見人制度を使わなくても、みなさんのお子さんは障害年金をもらうと思われている方はやっぱり診断書が必要なので、かかりつけの先生がいるといいですよ」
と言われていました。


ちなみに他に年金を申請する際に用意しておくといいのは、今までの成育歴を簡単にまとめたもの。
必ず聞かれるのでと言われていました。
(講師の先生は、担当された方の保護者が失踪してしまって誰も保護する方がいないという方だったそうで、小さいころの経歴を書くのにとっても苦労されたとのこと。世の中には、色々な職業の方がいらっしゃるんだな~としみじみ思いました)

 

 



そんな感じで、将来あーくんが障害年金を申請するときに診断書を書いていただきたいので、

今からの流れ、成長を知ってもらいたいと思って月に一度受診しているのです。

おかげさまで、最近思春期のイライラもちょっと前ほどひどくないので、今日は和やかムードでした。


先月なんかは、先生に口答え?!していました。

名前を呼ばれた時に返事をすることについて、
先生から「○○○○く~んって、呼ばれたらどうするの?やってみて」と言われると

あーくんは「そんなシチュエーション中学校にはありません」と言い(私は(@_@;)汗となっていた)

「でも、名前を呼ばれた時に、大きな声でハイって言わないと、呼んだ人がどこにきみがいるかわからないじゃない?いないって思われるかもしれないよ」と言われていていました。


「なんでそれをするのか」ということを「動機づけ」というそうですが、

それがあーくんが腑に落ちていないと、行動できませんよ、と言われていたのでした。



でも、今日は、先日の特別支援学級のスポーツ大会で勝ったことなどを報告していて、「良かったね~」と言ってもらえて、あーくんも嬉しかったかな。

病院に行く途中
「先生は、なんでも話していい人なんだからね。困ったこととか、嫌だったこととか、言ってもいいんだし、
わからんことを教えてもらえるけん、これがわかりませんって言っていいとよ、。イライラします、とかも言っていいし、。」

と言っていたら「そんなん言わんでいい」とは言っていたのですが^_^;
でも、和やかムードでよかった(^^)/
(※この後、教育相談の先生に『病院受診マニュアル』を教えてもらったのです)

 



受診も終わり、中学校へあーくんを送って行った後、

ひとりで歩いていて、私が「なぜ精新科にかかっているか」を考えました。

今までの療育は、

あーくんが療育を受ける、私が先生に相談する、がメインと考えていました。
あーくんはあーくんで療育の先生とプレイセラピーを受けて、信頼関係が築けています。


もっと大人の人との関わりを経験する、ということで精神科を受診するという意味もあるんだな~と、ふと思いました。
親でもない、学校の先生でもない、あまり接しないけれど、でも月に一度会う大人って、意識して作らないとそういった存在はいません。
そんな人に、自分のことを話す練習ができるって、

いいことだな~と今日のあーくんの姿をみて思いました。


すると、ふと、さっき二人で受診した姿(映像)が頭によぎり、

まるでテレビの再現フィルムみたいに、時が流れ、

私もあーくんも年をとり、

私の姿が消える・・・そんな映像を想像しました。


私がいなくなっても、あーくんはひとりで病院に通っていて、ちゃんと先生とお話している。
そんな時は、確実にくるんだな~と思うと、びっくりするくらい、涙が出てきました。
道を歩いていたのですが、止まりませんでした。


でも、その姿って、とっても理想的だな~と思いました。

自分で具合が悪いから、行きたいという判断ができて、病院を受診する。

もしできなくても、周りにそう判断してくれる人がいたり
連れて行ってくれたりしてもらえる将来が理想だな~そう思いました。


私がその場にいない、ということがとっても辛いけど

でも今の私もそういう状態だな、とふと思いました。
私の両親はもういなくなってしまったけれど、

一人で歯医者にも行けるし、健康診断にも行ける。
だから、あーくんもなんとかなるよ、と。
将来、あーくんの周りには、優しい人がいっぱいいたらいいな~

・・・拭き拭き
(@_@)(ハンカチ)



と、思っていたら、急に昔好きだった

漫画「動物のお医者さん」の話を思い出しました。
5巻に出てくる「クルタン」という犬の話。


ハムテルたちのいる大学の動物病院に、クルタンという犬がやってきます。
動物にとって、病院、とくに獣医はキライだけど、クルタンだけはどうやら好きらししい。
ハムテルたちが珍しいな~、と思っていたら、

実はクルタンは白衣を着た人=以前住んでいた、毎日料理の残りをくれていた隣のレストランのコックさんたち
と勘違いしていただけで、二階堂くんががっくりきた、という話。

でも最後にクルタンは、病院に行ったあと、どうやら体の調子がよくなるとわかり、

体調が悪くなると自分から病院にくるようになる珍しい患者さんになった、というオチでした。


クルタン賢いな~
いいぞ~
クルタン♪

 

 

 

 

今日はあーくんの精神科受診の日。
朝、私は読み聞かせで中学校に行きましたが、あーくんはお留守番?!
精神科に限らず、病院で上手に自分のことを話せることって大事。
だけど、まだうまく自分のことを説明できないのです。


そんな時、教育相談の先生が教えてくれました。
「病院受診マニュアルを各科で作るといいよ。何を話したらいいか、書かれているもの。それを見ながら、先生にお話するといいの。できれば、携帯できて、保険証や診察券を一緒に入れているの。
各科あれば、この科はどこの病院にかかっているってわかるし、他の人が連れて行ってあげることもできるから。」

 

 

そう、極端な話、親亡き後でも、これさえあれば、一人で生きていけます。
施設に入ったとしても、これがあれば、他の人が連れて行ってくれます。

今は定期的に通っているのは歯科と精神科くらいです。

それぞれで、どんな会話を先生にしたらいいか、
マニュアルがあるといいですよね。

実際、精神科で何を話したらいいか、私もわからないことがあります。



教育相談の先生が精神科に通う時の例文を書いてくださいました。


①身体のこと
・眠れているか
・ご飯は食べられているか

②生活のこと
・夜寝る、朝同じ時間に起きるができているか
・はみがき、顔洗いできているか
・学校の準備ができてから行くか
・勉強でわからないところはあるか

③コミュニケーションのこと
・いじめられているか
・嫌がらせをうけているか
・気分がイライラするか
・腹が立ったことがあるか
・うまく伝わらなくて困っているか

④その他
・頑張っている途中のこと(これは私が足しました)





こう紙に書いたものを病院に行く前に見せていました。

今後は携帯できるサイズにする予定。
あーくんは「なんでこんなもん、俺が見らんないけんのか」と言っていましたが。^_^;

 

 



で、病院で。

先生からこう聞かれます。
「学校楽しく行ってる?」
→「部活とか。○○中に連勝中です。」

「勉強難しくない?」
→「はい」

「生活支援センターに通ってるよね。何してるの?」
→「ゲームとか」

「どんなゲーム?」
→「他の人と通信」

「嫌なこととか、気になることない?」
→「学校内で失敗します。」

「どんなこと???」
→「いろんなことをして失敗してます」

「最近は?」
→「作業している時。間違ったことをする」

「作業ってなにしてるの?」
→「畑とか。草抜きしたり、新しい土したり」


初めて困ったことを先生に伝えることができました!!!!びっくり。
きっと、あの受診マニュアルのおかげでしょうね。
まだ試作品の段階なので、どんどん進化させていきたいですね。


「さっき、上手に先生にお話できたやん!!」支払いのために待っている、待合室でそんな会話をしました。
あーくんが「しゃべりたい」という気持ちが出せる場所がもっと増えるといいな~




病院の後、中学校に行きます。
支援学級に行くと、誰もいません。
「あ~パソコン室ちゃうんか?」
あーくんがそう言います。
じゃあ、行こうと、パソコン室に行くと
みんないました。
数学の時間だったのです。
でも、あーくんは交流で道徳でした。

といっても、あと10分もないくらいの時間に着いたので
「あーくん、もうこっちでいいよ」
そう数学の先生が言ってくれます。


あーくん、しっかりしてるな~
すげ~♪

と思いました。

(子どもが思春期以降は言葉をかなり砕けたものを私も使っています)

 

 


 

あーくんが中学生になった頃から教育相談を受けていて、

教育相談の先生に卓球大会で準優勝したことを報告した。


「それって、全校の前で表彰してもらえますよ!」と言われ、

同じ日の夜、PTAの会議で中学校へ行ったので校長先生にお話しをした。


「ちょうど金曜日に全校集会ありますから、その時にしましょう!」

とんとん拍子に話が進んだ。

 


大会名が「障がい者卓球まつり 」で

「知的障がいA」クラスで準優勝したのだが、

校長先生が「大会名はどうしますか?」
と言われた。

私も一瞬ドキンとした。
 

あーくんが特別支援学級に在籍しているというのは全校知っている。

合唱コンクールでは、支援学級だけの発表もしたし、

支援学級のクラス委員長をする時も、

任命書を他のクラスと同じように体育館のステージでもらう。
 

 

でも、「障がい」という言葉、

思春期の子たちがどう受け取るか。

ガイジ発言も、無きにしも非ず。

うーーん、と悩み、
「本人に聞いてみます」と一旦家に持ち帰った。


家に帰ってあーくんに

「校長先生が今度表彰してくれるって」というと、

「え!!やり〜!!」と笑顔に。
「で、障がい者卓球大会で準優勝、って言ってもいいと思う?」と聞くと

「俺は構わん」という。
 

ええい、いいや♫と、その日の連絡帳にそのように書いた。

校長先生との間でそんな話になっている、と伝えたのだ。


そして、担任の先生のお返事が、こちら

 

(先生)
表彰の件ですが、本人は「卓球大会で優勝」よりも、「第⚫️回障がい者卓球まつり一般卓球大会 知的障がいAクラスの部 準優勝 〇〇(あーくん)!」と紹介してほしいそうです。その方が、中総体の時みたいでカッコイイからだそうです。

 

 


療育の先生にも、どうしたらいいでしょう?って、メールでお聞きしていて、

まだお返事もらっていないけど・・・明日はこれで決定だ!!

 


「第⚫️回障がい者卓球まつり一般卓球大会 知的障がいAクラスの部 準優勝!」

 


卓球大会に出場することで、本人告知のきっかけになり、今度は障がい表明まで(#^.^#)
ちょっと、ちょっと大丈夫??!!って大人は思ってしまうけれど、

案外子どもに任せて大丈夫、ってこと、今までもたくさんあったし。

 


子どもの成長は、親が思っているよりも早く、たくましいんだなあ〜と、びっくり。
これって、障がいがあろうと、なかろうと、関係ない!!
何より、あーくん、カッコいいと思った。


あーくんの人生なので、

自分で表現する楽しさをたくさん経験してほしい。




数日後の全校集会は6時間目とのこと。

集会は朝一番にあると思っている私は昔の人間です。

 


朝、療育の先生からお電話があり、
「前にね、やっぱりスポーツ大会で表彰された子がいたけど、終わった後周りの子が、自分が思っていたような反応じゃなかったって落ち込んだ子がいたよ。

周りの子も思春期で、反応が悪いから、もし落ち込んでいるようだったら先生に『大半の子はすごいって思っていると思うよ』とさりげなくフォローしてもらったらいいですよ」とアドバイスいただきました。


さっそくそのように先生に連絡。
「わかりました!表彰係りの先生と話して『大人や高校生に混じっての大会で準優勝でした』と補足説明をすることにします。フォローもします!」と心強いお言葉♫



確かに、大人や高校生に混じって完全アウェーの中、頑張りました。

大人や高校生は団体で出ていて、あーくんを応援してくれる人は周りにいなかったです。

でも、中学校の部活でも、顧問の先生は区の役員をされたりして、試合中は忙しくベンチコーチに入られることは少なかったのでいつもと同じ、といえば同じ状況でした。

 

 


担任の先生は続けて言われます。

「生涯スポーツとしての卓球。余暇時間の充実や仲間作り、生きがい作りは、スポーツの大きな役割ですからね。大学の時、教授が『これからは、スポーツは目的的ではなく、手段的に活用することが大事だ』と言っていたことを思い出しました。生徒が将来的にいかに生活の質を高めていけるのかが大切ですよね!」


あーくんスポーツ好きで良かったね〜
(私はそこまでではないので(^-^;)))


全校集会の様子、

写真とともに支援学級の担任の先生がおたよりに載せてくれていて

よくわかりました。

本当にありがたかったですね。

 



2017.3月の卒業式🌸

あっという間の1日、

そして3年間でした。
 

あーくんから手紙をもらいました。
「一番環境が変わったのは、障がい者卓球大会で銀メダルを取ったことです。まさかメダルが取れるとは思いませんでした」

障がいの本人告知、障がい表明(周りの人に自分の障がいのことを言う)ダブルで実現できました。(たくさんの方の好意をいただき実現できたという感じでした)


特に障がい表明では、中学校のI先生(表彰係りの先生)がサポートしてくださいました。
全校集会で表彰される時、

「第◯回障害者卓球大会、準優勝、これは、大人や高校生に混ざっての大会です」
そう一言添えてくださったのです。
おかげで、クラスみんなからすげーと言われた、そうあーくんは言っていました。


なんで、こんなに理解のある先生なんだろう?ずっと思っていましたが

卒業式でお話していて、理由がわかりました。

 


10年前にI先生のいた中学校で職員研修があった時に、山口県の有名な先生の話を聞いて

「みんな発達障がいを持っていつんだ、って。
ちょっと顕著に出ているだけでみんな同じなんだ、そう教えてもらったんですよ」

と言われました。
 

「山口の有名な先生って、木谷先生ですか?」
 

「そうです!そうです!すごく忙しい先生なのに来てくださったんです!」
 

「素晴らしい学校ですね!」びっくりしました。
 

 

木谷先生のことを知ったのは、長男を生んですぐ。

夕方の地方のテレビのニュースでした。
下関の水族館でイルカ療法をされている先生として紹介され、自閉症の男の子がその療法を受ける様子が取材されていたのです。
初めてのセラピーの日は、男の子はプールに近づくこともできませんでした。
最後のセラピーの日に、ちょっと近づくことができて、実際イルカを触ることはできなかったのでは??
もう17年も前のことなので、覚えていないのですが、

でも、その子はその後落ち着くことができた、といった内容のニュースでした。

 

そういった大変なお子さんも、世の中にはいるんだ〜と知りました。
まだあーくんあの字も出ていなかった頃です。

そのあと、木谷先生のイルカ療法は新聞の記事にもなっていました。
そのことがあったので、あーくんの障がいがわかった時にイルカ療法をやってみたい!と、

香川のドルフィンセンターへ行ったのでした。
楽しかったですね~♪

 

 

話が少しずれましたが!!

I先生が障がいに理解があるヒミツがわかった気がしました╰(*´︶`*)╯♡
 

 

木谷先生の記事

毎日新聞2005年7月28日

 

 

 

いよいよあーくんの卓球大会です!

中学の部活引退後、初の試合です。

 

個人の参加費300円は俺が出す、とのこと。

「あ、財布持っていかなあかん」
と一人で用意してました。

 

(小4以降はなるべく自分ですることを増やすことが大事です♪)

 

 


今日は初の大会に一人で出場。

メンタル鍛えられますように〜♫

 


市の障がい者スポーツセンターは、小さい頃からプールに行ったり、センターの祭りに行ったり、
幼稚園(児童発達支援施設)の入園説明会があったりと思い出深い場所です。
ずっと利用できる施設があるって良いですね〜

子どもの成長を感じることができます( ´ ▽ ` )ノ
とにかく、初出場なので、大会の雰囲気を味わって〜と思います。

 


開会式で、

「現在パラリンピック(2016リオデジャネイロ)があっています。福岡からはあまり選手がでていません。(※2024パリでは福岡出身の選手が出場されます!!!東京も出場されていた古川選手です!!がんばって~!!)

卓球も放送されませんでしたが日本人選手はメダルに届かずでした。これからの卓球を頑張っていきましょう」と挨拶が。

そうそう、車いすの女性(68歳)がちょっと前にテレビで特集で流されていました。メダルあとちょっとだったので残念でした。

 

 

この大会では、一つ年上のWくんという、とっても卓球が上手な男の子がいてその子も出場していました。。(そして、同じクラスじゃないか、すぐに確認しました。大丈夫でした。もっともっと上手なクラスでした。知的ABの上に、A,B,Cクラスとあるのです)


Wくんのお母さんとも、去年のファインピック以来に出会えてお話できました。

こうやって、横のつながりができるのが嬉しいですね。

Wくんは来月岩手の大会(障スポ)に福岡代表で出場されるそうです!!スゴイ!!頑張ってね~(^O^)/
 

実はWくん、試合がない時間はあーくんに話かけてくれていました。(上からみていました)

結構そういうことはあーくん嬉しいらしく、中学校の部活の試合後に家に帰ってきては

「今日は○○中の□□くんが話しかけてきた。そのラケットいいね。とかシューズどこで買った?とか」
と教えてくれるのできっとWくんが話かけてくれて、リラックスできたのだと思います。

 


というのも、個人で出場したあーくん。
知的障がいAは19名
知的障がいBは36名
計55名の中で、個人出場が5名。
他の人たちはなにがしかの団体に所属しています。

〇〇高等学園も、△△高等学園の名前もありました。
つまり、あーくんは、完全?!にアウェーでの戦いだったのです。

体育館の下に入れるのは選手とコーチ。
私たちのような保護者は上のスタンドから応援です。



部活の試合だったら、団体だったらもちろんのこと、個人戦でも、

同じ中学校の生徒もいて応援の声もあったでしょうが、今日は全くなし。

特に準々決勝からは、厳しかったです。

見ていて孤独~と言う感じでした。


ただ中学校でも、顧問の先生が区の役員をされたり今年度は市の役員をされていたりと試合中も忙しくされていて、今までベンチコーチとして入られる回数が少なく子どもたちで戦うことが多かったです。(悪く?!言えば、ほったらかし???)
だから、相手チームには顧問の先生がいてこちらが有利な展開になったら、わざと長々とアドバイスしてこちらのテンポを乱すなどされてきました。。

大人の知恵に、子どもだけの集団がかなうわけもなく何度も悔しい思いをしてきました。


が、それらの経験が、今、あーくんにとっても役に立っているのがわかります。

孤独な戦いに慣れているので今日もフツーです。

もし、、これが先生が色々としてくれるようだったら突然一人になった時にいつもの力が十分に出せなかったかもしれません。
(顧問のM先生、ありがとうございます!そして、先生の卓球がどこででも通用するという証明できたようで私、とっても嬉しいです)



あーくんはマイペースで進んでいきます。

予選一位通過した時点で、ユニフォームの着替えの順番も着々と進んでます。
最初は赤→黒→青(現在)、最後決勝(もしくは三決)用の赤のユニフォーム(butterfly)も待ち構えているのです。
 

後ろに見えている人たちはみんな相手チームの応援団。

相手に点が入るたびにパチパチと拍手します。

あーくんに点が入るとシーンとしてます。

まあ、これは部活の卓球の試合でも一緒だからですね。

ほんと、経験しておくって大事ですね~


準決勝から、試合前のラケット交換。

お、なんか、いつもの感じでいいね!

あーくんは卓球のタオルを持っていて試合中に汗を拭いたり、

ちょっとリフレッシュするために使うのですが、

他の選手は持っている人が少なかったです。
そして、準決勝で勝った時、あの、水谷隼選手が銅メダルを取った瞬間のように後ろに崩れ落ちてました(笑)というか、焦りました(≧▽≦)あーくんは水谷選手が大好きなのですが、こんなにも好きだったとは。

夫と試合を見ながら、こんな卓球場の雰囲気で水谷選手みたいなガッツポーズ(リオの時のシングルで銅メダルと取ったとき)をするって、かなり「やったー!」って気持ちと「自分のことが好き」って気持ちがないとできないよね~と話していたばかりだったからです。

我が子もするとは・・・・(汗)
と、恥ずかしい反面、嬉しさもありましたね。(親ばか?!)

 

 

 

 

決勝は女の子(というか大人の女性?)と。

超上手で、1セットは取り返したのですが
結局負けて、あーくんは準優勝!!!!すごい!!!


閉会式まで待っている時に今日のトーナメント表を書き写していました。

あーくんは結構あとでじーっと見直すのが好きなのです。
「きみ、上手だったね!二位になった子でしょ」見知らぬおじさんから声をかけられてました。
こんな出会いも嬉しいですね~

 

あーくんの人生初です!メダルもらえるの♫
よくケースを見るとあーくんお気に入りのトロフィー屋さん(ヒロカネ)のシールが。
良かったね〜
今回思わず、障がいについての本人告知となった障がい者卓球まつりでしたがそれも含めての大きな収穫となりました。
これからも、この経験を自信にもって試合頑張っていって欲しいです。


こういうのを「自己効力感」と言うと

中学校の担任の先生に教えてもらいました。
「俺ってすげー!!」*\(^o^)/*って。

 


おめでとう♫


 

本人告知とは???

 

私は専門家ではありませんが、

「本人告知」だけの勉強会があったりと

人生で大変重要なことと教えてもらったので

勉強会等で学んだことをシェアします。

 

本人告知・・・本人に自分自身の大事な情報を伝えること

 

情報とは・・・

障がいがあること、

いいところ、

できるところ、

苦手なところ、

助けてほしい内容、

うまくいく方法、

などなど。

 

 

決して障がい名を知っているだけではなく、

自分を正しく理解できるように説明すること。

(障がいがあるから、人として劣っているということではない!!)

 

将来的に本人が他人に自分のことを説明できるようになるために

親や支援者が、本人に伝えること。

(あーくんが今就労しているから、とってもうなずけます!!

自分で説明できるスキルは本当に大切だと思います。

特に苦手なことを説明するのは本人も言いにくいと思いますが

でも言えるようになっているほうが仕事がしやすくなります。

苦手なことはしなくていいと思ってもらえるからです。

無理にできると言って、出来ないほうがきついですよね・・・)

 

 

本人に伝えるタイミングは、

小学校4,5年生のころに一回、

高校生になって一回、と

2段階で告知したほうがいいといわれている。

 

 

勉強会である先生が

「親が泣きながら『あなたは発達障がいなのよ~』と伝えても

本人はとても複雑な気持ちになる。

親が肯定的に障がいを伝えることができるようにならないと

本人告知は意味をなさない」的なことを言われていて

確かにそうだよな~私も親が泣きながらなにか言ってくるのっていやだな~と思います。

泣くほど嫌なことなの???って。

肯定的に障がいを考えることができるようになることが必要です。

 

 

本人告知①(障がいとは)の記事は、

過去のブログでも紹介しました、育児始めのころの話「障がいとは」

の続きの内容です。

何回かに分けてお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

「本人告知」は、先に親や支援者が知っておくことが大事なもののひとつだと思います。

色々な本が出ていますが、

一番のおすすめはカウンセリングルーム小箱の坂口美由紀先生の勉強会です♪

 

 

とても丁寧に準備されて本人告知をする方もいらっしゃいますし、

私のように突然、ということもあります。

(一応勉強会等で考えてはいましたが~突然でしたね~)

 

前置きが長くなりましたが・・・あーくんの本人告知のお話です。

 

 

 

中3(9月頃)の話。

あーくんの精神科定期受診の日。

 

先生はちょっととっつきにくい?!タイプ。(きゃーT先生ごめんなさい!)
いつも最初に「最近学校どう?」と聞いてくる。

あーくんは雑談は苦手なので、

「はい、大丈夫です」で済ませてしまう。
なので、受診前私とあーくんで待合室でシュミレーションする。

緊張する場面で話すことにも慣れて欲しいから。
ちょっとした、作戦会議だ。


「学校どう?って聞かれたら、何て言う?」
「そうやなあ、最近行事が複雑!」

二学期入ってすぐの現在、

合同キャンプ(の出し物)、

合唱コンクール、

中学校のまつりの準備が同時進行で行われているのだ。
「いいね〜それ、そのまま言ったらいいよ」
名前が呼ばれ、診察室へ。(あーくんと私で入る)

事前の会話の通り、話が進んでいく。

「そうだねえ。みんなで一緒にしないといけない事が多すぎて大変だねえ。

そんなに、しなくていいのにね〜、ね、お母さん」


先生はそのあと直ぐに

「お母さんは何か心配なことありますか?」

これもいつもの会話。


「そうですね、夏休みは結局受験勉強はできず、

最近勉強の方法を療育の先生に教えてもらったんですが融通がきかないところもあって、ボチボチです。

今週日曜日に、福祉センターで卓球の試合に出場するよう申し込んだんですよ」
そう言って、私は先生にチラシを渡す。


「それこそ昨日、チラシを見ながら『障がい者卓球、俺は障がい者か〜』と言うんです。

『え?!あーくん何障がいなの?』と聞くと『知的障がいやろ』と。

出場のクラス名が、知的障がいAとBとあるんです。

で、『そうやね、知的障がいやね。どういうことか、知っとる?』ときくと『知らん』というんです。

そこで『あーくん、何か教えてもらうのに、ゆ〜っくり教えてもらうのと早く教えてもらうのと、どっちがいい?

教えてもらうのに助けて貰う人のことを知的障がいっていうとよ。

お母さんも、ゆっくり教えてもらいたいよ』そんな会話をしたんです。
長男にも聞かれたことあります、ぶっちゃけ自分の子どもに障がいがあるってどうよ?って。

その話をしたときに、療育の先生からWHOの定義で、障がい者とは、

助けのいる人のことって教えてもらって。

今、テレビでもパラリンピック(2016リオデジャネイロ)が盛り上がってますし、

障がいって言葉をよく耳にするようになったので、

高校に入学の機に、そろそろ療育の先生にも手伝ってもらって、

本人告知を丁寧にしようと思っています。

肯定的な言葉で説明できればって」

と言うと、T先生のスイッチが入ったような感じ。

あーくんに向かってこう語りかけてきました。


「あのね、君には良いところと、苦手なところがあって、良いところは几帳面で丁寧にすること。

融通がきかないってところもあるけど、優しくて人を貶めるようなことを考えた事ないでしょ。

心がキレイなんよ。

苦手なところは、気持ちを言葉にすることや人とペースを合わせるってこと。

これは人に助けて貰うところなんよ。

障がいって言葉はね、昔は『がい』っていう字は違う漢字を使っていたんよ。

それは、壁っていう意味の漢字でね、壁があるから、妨げられるものがあるから、

助けてもらうってことだったの。

でも、今では『害』っていう漢字を使っていて、それじゃ悪いイメージだから、

ひらがなにしようっ言ってるけど、本当はまったく違う言葉にしたほうがいいんよ。

『障かべ者』『障へき者』とか、ね。

でも、残念なことに、今は表す言葉がそれしかないんよ。

人には良いところ、苦手なところ両方あるんだから、良いところを伸ばしていけばいいんよ。
そんな感じでね、やっていってください」


あーくんに語りかけるT先生は、いつもと違って見えて、とってもとっても優しく見えました。
(T先生ごめんなさい!本当は心の底は優しいと知っていますよ)

感動しました。T先生、ありがとうございました。

・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*


会計待ちで待合室にいるとき

「あーくん、先生に4つも良いところがあるって言われたね」というと、

「疲れたよ〜」と笑顔。
なんか、いい受診だったなあって思いました。

受診後、あーくんを中学校に送り、私は家に帰って一人ゆっくり、

先ほどの会話を思い出しつつ、ネットで「障がい」という漢字のことを調べ、面白いページを見つけました。
一読されてみてはいかがでしょうか。なるほど〜とおもいました。

戦後公布された「当用漢字表」に大きく関係があるそうです。

国立障害者リハビリテーションセンター
平成14年国リハニュース(第226号)
「障害」は「障碍(障礙)」と表記すべきである
耳鼻咽喉科 熊田政信氏

 

 

 

あーくんはJRで園に通っていた。

電車が大好きなので毎日ご機嫌。


ただ、そのぶんこだわりもあって

赤い電車じゃないとイヤ、

いつもの時間・乗り場所じゃないとイヤ、

とあったが、

そのほかは言葉がしゃべれないので、

こだわりのポイントがわからず、

ちょっとでも違うと車内で

「ギャー」「〇〇(違う駅の名)いくー」と叫んでいた。

 

また、困った?ことに電車にのって嬉しいと興奮して

「じぇーあーる!じぇーあーる!」と叫んでいた。


機嫌が良くても悪くても、

他のお客さんにとってはうるさいお子様・・・??(^_^;)だった。

 



ある日、電車の連結にいると、あーくんがおとなしいことに気付いた。
よくみると、足元の樹脂(ビニール)の部分にすこし隙間があって、

レールが見えるのである。

 

電車は走っているので、枕木がどんどんかわっていくのが見える。
じーっと見ていた。

いつも大声で叫んでいたのが嘘のよう!
お友達も同じく自閉症で電車好きなので、

二人でじーっと連結部分にいた。
良い場所を見つけた!!と嬉しかった。




するとある時、

男性から声をかけられた。
「あの、私JR関係のものなんですけど、

子どもがそんなところにいると危ないので、

違うところに行ってもらえますか?」

 

 

私はスイッチが入った。
「この人になぜここにいるのか、理解してもらいたい!!」と。


世間からみれば、小さい子どもが連結にいれば危ないのかもしれない。
でも、毎日電車内で大声をあげて迷惑をかけていたあーくんが、

ようやく落ち着く場所をみつけ、

そして静かに電車に乗ることができている。

この場所はあーくんに必要な場所だと。


男性は言うだけ言うと、もといた場所に戻って行った。

なので、私は近づきこう伝えた。


「小さい子どもがあのような場所にいてすみません。

ただ、子どもは自閉症という障害があって、こだわりが強い子どもなのです」


「自閉症、知っていますよ」

 

(なら、なおさらわかってもらえる!!)


「毎日電車内で暴れて大声を出して他の方に迷惑ばかりかけていたのですが、

ようやく静かに乗っていられる場所をみつけました。

親がちゃんとついていますから、これからもこの場所にいてもいいですか?」


「私に言われても困るけど…」
 

言うだけ言ったので、私も男性から離れた。

そうだろうな~とも思ったので。

 

一緒にいたお友達のお母さんに

「よく言えたね~」と言われた。

 

 


全てを理解してもらおうと思うと、きっとしんどいと思う。
あーくんの世界が少しでも広がっていけばいいかな、

という思いから言いたいことはちゃんと伝える。

 


ときにはそれが人の迷惑?!になることもあるかもしれないけれど・・・
人は常に練習中なのだ。

 

できるだけポジティブな言葉で伝えるというスキルが必要だと、

今でも勉強中。