あーくんが中学生の時、

特別児童手当の更新で、区役所に行きました。

区役所の近くに神社があるので、いつも最初にお参りします。

なんとなく、習慣になっています。
お参りしながら、この手当をもらうことになって、

10年経ったんだな~と改めて振り返りました。


もらえるようになったきっかけは、療育手帳を3歳の時に取ったから。

判定がB1だったからです。
子どもの障がいを告知されて、よくわからなくて、とにかく何かをしないと、

と焦っていた私にとって、お金をいただけたのは、とってもありがたかったです。


超多動でちょろちょろ危ないあーくん。

車の運転をしない私は外出が大変でしたが、

「そんな時こそタクシーをつかうのよ」と母子通園の先生が教えてくれたり、
夏の朝、早い時間から気温が高くて子どもたちがグダグダしていると悩んで?!いた時は

「朝からクーラーつけたらいいんじゃない?」と言ってもらったり。

(20年前は、まだそこまで猛暑という感じではなかったですね)
夫は電気代にうるさいのですが、それ以来クーラーをガンガンつけたり。


今思えば、とっても我慢ばっかりしてたな~と思うと、微笑ましく思えます。
そして、あの頃の私に、先生のようにこう声をかけてあげたいかな。

頑張らなくていいよ!って。



あーくんが小1の時、小児科の先生から

「この子のどこが自閉症ですか??」と言われて傷ついた私。

(↓前のブログ参考)



手当を申請するのに、障がいが重い軽い、

そういったことは自分が判断することではない。
「どうでしょうか?」と提出して、

そのうえで、貰える、貰えないの判断はもう私の範囲ではない。
だめならだめで、いいじゃない?
そう、お金をもらうためではなくて、みんなが申請しやすいようにするだけなんだから。



ミュージカル「レディベス」の

メアリーチューダー役 吉沢梨絵さんのパンフレットの文


「ダンサーが主役のミュージカル「コーラスライン」の稽古に入るよう言われ、全く踊れなかった私は驚がく。でもダメならおろしてもらえる、ダンスを真剣に教わるチャンスだと発想を転換し猛烈に稽古。結果、出演させていただきました。完全に自分の発想を超える出来事で、それからは未知の自分に賭けることを楽しめるようになった気がします」

に似ています!!!ダメならダメでいいじゃない?なんでもチャレンジだ♪と。



「人のためと思えば頑張れる」
こんな言葉に会いましたが、本当にそうだな~と思います。

でも、この時(あーくん小1の時)が一番つらかったですね。
申請をしてもいいのだろうか、という、自分からの責めの言葉。




中学生になったあーくんの手帳はB1に戻り、とても節目という感じがします。

ふりだしに戻る?!もしくは、転換期、と言う感じです。

あーくんも、カワイイあーくんから思春期あーくんへ。

私が接し方を変える時期です。



特別児童手当の申請用の診断書も、

今まで市の障害者センターで書いていただいていましたが、
20歳になった時の障害年金を申請する時にはセンターでは書いていただけません。
年金用の診断書を書いていただける精神科にも通いだしました。
なので、今回の診断書はそちらの病院で出していただけることになりました。
大人に向けての準備をちょっとずつしている、そんな感じです。



区役所での手続きが終わった時に、思い切って担当の方に話かけ、

上に書いているようなことを簡単にお話し感謝をお伝えすることができました。


あの時、最初に区役所の方に言っていただかなかったら、

このような流れにはなっていなかったからです。
本当にありがとうございます、と。
(この一連のことで、私はとっても成長させてもらったな~と思うからです)



区役所の方はこう言ってくださいました。
「特別児童手当は、県のお医者さんが判断されますからね。

判定は公平ですよ。だから、お金をもらうことを気にされなくて大丈夫ですからね。
人生、ダメもとってことって多くあるので、どんどん申請にチャレンジされてください。
どうしても私たちが子どもよりも先に死にますからね。お金が心配ですよね。
この手当ては20歳前までもらえますから、20歳になった時、年金につながるといいですね。」


今までの悩みを全て吹き飛ばしてくれるかのような、

温かい言葉に、涙が出そうになりました。

 

 

 

(20歳を過ぎた現在、年金いただいています。

つながることができました。

ありがとうございます<m(__)m>)