高齢親の囲い込み解消コンサルタント、公認会計士・税理士の白岩俊正です。


私は、高齢になり介護を受けるようになった親を、きょうだいの一人が囲い込み、他のきょうだいに会わせない――いわゆる「高齢親の囲い込み」でお困りの方をサポートしています。

 

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75. 「親の写真をSNSにあげることすらできない」現実

 

――はじめに

 

スマホのアルバムに、親の笑顔がいくつも眠っている。けれど、投稿ボタンの手前で指が止まる——そんな夜はありませんか。

 

家族の合意、施設の規約、プライバシーや肖像権、きょうだい間の力関係、そしてなにより「親の尊厳をどう守るか」。

 

理由は一つではありません。専門家としてお伝えしたいのは、「載せられない」ことは臆病さではなく、関係と尊厳に配慮した成熟した選択だということ。

 

そのうえで、写真をあげられない現実とどう折り合い、なお“つながり”を育てていくかをご一緒に考えます。

 

 


1. なぜ“載せない”という選択が苦しいのか

 

私たちは、よい出来事を誰かと分かち合うとき、画像という“証拠”を添えたくなります。

写真は早く、強く、わかりやすく届くからです。

 

だからこそ“載せられない”と、喜びや切なさが行き場を失い、心の内側で渋滞します。

さらに、周囲の「見たい!」という善意が、知らず知らずのうちに圧力にもなります。
 

ここで大切なのは、あなたの躊躇が“過剰反応”ではないと知ること。

高齢の親は体調や表情の変化が大きく、その日の同意が翌日に変わることも珍しくありません。

 

背景に他の入居者や名札が写り込めば個人情報になる。

家族内でトラブルがあれば、画像は“争いの燃料”にもなり得る。

慎重であることには、十分な理由があるのです。

 


2. エピソード①:湯のみ一客がつないだもの(美咲さん・仮名)

 

美咲さんは、母の写真をSNSに載せたくても、同居する兄から「勝手に上げるな」と釘を刺されていました。

議論するほど関係はこじれ、投稿はゼロに。

 

ある日、美咲さんは思い切って、母がいつも使う湯のみだけを撮りました。

日が傾く台所、湯気は映らないけれど、茶渋の輪が柔らかい影を落としている。
キャプションは短く。「きょうも、ここで“おいしいね”と言い合った。」


写真を見た人は、母の顔を知らなくても情景を受け取り、コメントは「あなたとお母さまの時間が伝わるね」と静かな共感で満ちました。

 

数週間後、兄がぽつりと「この写真は、いいな」と言ったそうです。

顔を出さないからこそ、見る人は想像の余白に“敬意”を置ける。

 

美咲さんは、載せないことと共有することが両立する道を見つけました。

 

 


3. エピソード②:手の写真、声のメモ(健一さん・仮名)

 

施設に入る父の写真を、健一さんは撮れませんでした。

規約で他の入居者の写り込みが禁じられ、父自身も「今日は顔がむくんでいるからやめてくれ」と照れてしまう。

 

代わりに彼が撮ったのは、父と自分の手。将棋の駒をつまむ節くれだった指先、盤上の光。

キャプションは「王手までは、まだ遠い」。


さらに、帰り道に車内で30秒だけ父の声をメモに録音し、自分のSNSには文字起こしだけを載せました。

「先に歩いてるだけだ。あせるな。」


顔がなくても、声の色が言葉に滲む。

写真を載せられないから“何もできない”のではなく、別の素材で物語を紡げると知ったとき、健一さんの発信はむしろ温度を増しました。

 


4. 写真の代わりに伝わるもの

 

顔が写っていないと、伝わらない——そう思いがちですが、実は逆のことも起こります。

後ろ姿や手元、愛用の衣類、メガネ越しの空、いつもの食卓、散歩道の影。

 

これらは匿名性を保ちながら、生活の輪郭をくっきり描きます。


言葉もまた、写真の不足を補う素材です。匂い、音、温度、手触り。

たとえば「朝の台所は味噌の湯気とラジオ体操の数え声」で始めれば、読む人はあなたの“居る場所”に連れて行かれます。

 

写真を諦めるのではなく、写真に寄り添う別の感覚を増やす——この発想転換が、発信者としてのあなたを豊かにします。

 

 


5. 合意と尊厳をどう守るか

 

“同意があるなら何を載せてもいい”わけではありません。

高齢者の「今日のOK」は、明日の不快感に変わることがあるからです。

 

撮影や投稿の前に、その日の体調と表情を見て、「今日はやめておこう」と言えるブレーキを自分の側に置く。

 

公開範囲は必要に応じて絞り、名前や住所以外にも、病名・生活の細部・他者の顔など“未来の本人が望まないかもしれない情報”には慎重であること。


これは自粛ではなく、関係の“余白”を守る営みです。

余白があるから、次に会うとき、また気持ちよくカメラを向けられる。その循環が、長い時間の味方になります。

 

もし周囲から「顔が見たい」と言われたら——
「ありがとう。本人の体調や気持ちをいちばんに考えて、今は言葉と景色でお届けしているよ。」と、感謝と方針をセットに伝えてみてください。

 

説明ではなく宣言にすると、相手も尊重しやすくなります。

 


6. “載せない自由”は、つながりを弱めない

 

SNSが当たり前の時代でも、発信は義務ではありません。

沈黙は、喪失や恥ではなく、関係を静かに育てるための選択です。

 

未公開アルバムに写真を置き、年に一度だけダイジェストをプリントして家族で回覧する。

鍵のかかった小さなコミュニティにだけ共有する。

あるいは、あなた自身だけが読む“家族通信”を文章で残す。
 

外へ向けた発信の量と、家の中で育っている関係の質は、必ずしも比例しません。

おおやけの沈黙が、内側の対話を豊かにする——その逆説を、私たちはもっと信じていいのです。

 


7. おわりに——「見えないから、伝わらない」わけじゃない

 

「親の写真をSNSにあげることすらできない」——その現実は、ときに孤独で、悔しく、胸が痛みます。

でも、あなたがいま守っているのは、親の尊厳と、自分自身の後悔のない歩みです。

 

顔がなくても、物語は届く。
湯のみの輪、将棋盤の光、背中に落ちる午後の影。

 

そこに短い言葉が添えられたとき、見る人は想像の力で“あなたの大切”を受け取り、必要以上に覗き込まなくなります。


そして何より、あなた自身が「今日の一枚(あるいは一段落)」と向き合うことで、関係の温度は保たれていきます。

 

載せないことに後ろめたさを抱えた夜は、どうかこうつぶやいてみてください。
「今日は写真の代わりに、匂いと音を置いておきます。台所の味噌汁、湯気の向こうで小さく笑う人がいます。」
 

その文章は、あなたの手の中で、確かな“共有”に変わります。

写真がなくても、ここにはちゃんと、あなたと親の現在が写っています。

 

 

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