高齢親の囲い込み解消コンサルタント、公認会計士・税理士の白岩俊正です。


私は、高齢になり介護を受けるようになった親を、きょうだいの一人が囲い込み、他のきょうだいに会わせない――いわゆる「高齢親の囲い込み」でお困りの方をサポートしています。

 

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72. 「あの時の“またね”が最後になるとは思わなかった」

 

――はじめに


別れを意図していなかった言葉ほど、あとから胸を刺すことはありません。

「またね」は、次の再会を約束する日常の合図。

 

だからこそ、不意にその言葉が最終回になったと知る瞬間、人は時間の流れからふっと置き去りにされます。

 

専門家として喪失に向き合う方々を支援してきた経験からお伝えしたいのは、あなたが抱える「言わずに終わってしまったこと」の痛みは、決して弱さでも未熟さでもなく、深い愛着の証だということです。

 

 

 

――予期せぬ最終回は、いつも日常の顔をしてやってくる


別れは、ドラマのように前置きもBGMもありません。

 

たいていは、スーパーの袋を提げ、明日の予定を口にし、洗濯機が回る音の中で起きます。

だからこそ「最後の言葉が“またね”だった」という事実が、心に長い影を落とすのです。

 

心は出来事を整えるために、何度もその場面を巻き戻し、「あのとき、もっと言葉がけができたはずだ」と自分を責めます。

 

けれど、それは“後悔”という名の自己罰ではなく、“関係を続けたい”という人間の自然な運動です。

 

 

――エピソード①:病室のドアの外で


智子さん(仮名)は、母のリハビリ病院を出るとき、手すりにもたれた母に「またね、来週」と言いました。

母は小さく笑い、指先で空を撫でるように手を振りました。

 

翌朝、容体が急変。看護師からの電話に、智子さんは靴を手に持ったまま玄関に座り込みました。

 

葬儀のあと、智子さんは「“またね”で終わった自分は親不孝者なのでは」と夜ごとに泣き、SNSに言葉を出すことさえできませんでした。

 

数週間後、彼女は小さく一文だけ投稿します。「お母さん、今日はオムライスを作ったよ。あなたの味に、まだ届かない。」

 

その日から、智子さんの“またね”は「今日も話すね」という現在形に変わりました。

彼女は誰かの評価ではなく、自分の声に合わせて関係を続ける方法を見つけたのです。

 

 

 

――エピソード②:駅の改札で


健太さん(仮名)は友人の昇と改札で別れるとき、いつものように手を上げ「またな」と言いました。

 

翌週、昇は事故で帰らぬ人に。

健太さんは最後のLINEを開けずにいましたが、ある夜、震える手で通知を開くと、そこには「今日も遅くまで頑張るわ。お前も無理すんな」という一文。

 

健太さんは、昇がいつも彼の“明日”を案じてくれていたことに気づき、スマホのメモにこう打ちました。

 

「お前の“またな”は、俺にとって“ちゃんと休めよ”だったんだな。」

 

それを投稿すると、見知らぬ誰かが静かな「いいね」を置いていきます。

確認の押印のような反応が、彼の罪悪感を少しずつ解いていきました。

 

 

――なぜ“またね”が刺さるのか


“またね”は「未完」を内包する言葉です。

未完は本来、未来への余白でした。

 

しかし死や絶縁という“再会不能”に触れたとき、余白は空白に変わります。

脳は空白を嫌い、意味づけで埋めようとします。

 

「自分が冷たかったから」「あの一言が足りなかったから」と、原因を自分に引き寄せるのは、その空白を自分の輪郭で囲い込む防衛反応です。

 

ここで大切なのは、後悔を消そうとせず、用途を変えること。

後悔は時間を巻き戻す装置にはなりませんが、次の言葉選びを丁寧にする灯にはなります。

 

 

 

――SNSに言葉を置くという、やさしい儀式


発信は、喪失を“他者と分有可能な体験”へと変える作業です。

壮大な物語に仕立てる必要はありません。

 

たとえば、事実を一行、感情を一行、そして相手への呼びかけを一行——この程度で十分です。


「最後に交わした言葉は“またね”でした。胸がきゅっとします。あなたの好きだった曲を、今夜は小さく流しています。」
 

この短さが、読む人の心に“安全な距離”を保ち、同時にあなた自身の呼吸も守ります。

反応が来なくても構いません。

投稿は、世界への通知であると同時に、あなたの心へ刻印する小さな儀式でもあるからです。

 

 

――境界線と配慮:自分も、読み手も傷つけないために


喪失の語りは、時に誰かの責任追及や衝突を招きがちです。

けれど、あなたの目的は誰かを断罪することではなく、関係を弔い、続けること。

 

実名や詳細を避け、「私に起きた内面の出来事」を中心に書くほど、文章は普遍性を獲得します。

また、書いた直後は通知を切り、温かい飲み物を一杯。

 

感情は波です。押し寄せたら受け止め、引いたら休む。オンラインの向こうにいる人々を信頼しながらも、あなたの夜の静けさを最優先してください。

 

 

 

――“続いている関係”という見方


心理学には「継続する絆(continuing bonds)」という考えがあります。

 

別れたあとも、私たちは心のなかで相手と関わり続ける。

食卓で一口分をよけること、季節の匂いに相手の好きだった花を重ねること、ふとした拍子に呼びかけること——それらは未練ではなく、関係の再構築です。

 

あなたの“またね”は、いつでも言い直すことができます。

「今日はここにいるよ」「今日はこんな失敗をしたよ」と、現在形のメッセージに姿を変えて。

 

 

――言えなかった言葉の扱い方


言えなかった「ありがとう」「ごめんね」「大好きだよ」は、心の底に沈めるほど重くなります。

紙に書き、声に出し、写真の前でそっと結ぶ。

 

もし気が向けば、SNSに一片だけ置いてください。

「今日は言えなかった“ありがとう”を練習しています。」その公開性が、あなたの誠実さを支え、誰かの未完をもやわらげます。

 

発信者としてのあなたは、物語の主人公であると同時に、見知らぬ誰かの“言い直し”を手伝う伴走者でもあるのです。

 

 

――専門家としての小さな提案


日々の投稿のどこかに、関係を温める“合図”を忍ばせてみてください。

 

たとえば、空の写真と一緒に「今日の雲、あなたにも見せたかった」と書く。

これは追憶だけでなく、現在のあなたの生と結びついた呼びかけです。

 

また、節目の日(誕生日や命日)には、長文でなくてもいいので、静かな一段落を。

年を重ねるほど、言葉は骨格を持ち、あなたの生き方に輪郭を与えてくれます。

 

 

――おわりに


「あの時の“またね”が最後になるとは思わなかった。」

この一文は、あなたが丁寧に生きてきた証拠です。

約束を守れなかったのではありません。約束は、かたちを変えて続いていきます。

 

今日、あなたが誰かの夕暮れを思い、短い言葉を世界に置くとき、その“続き”は確かに書き継がれます。

 

もしよかったら、今この瞬間のあなたの言葉を一行だけ——心の中でも、ここでも——つぶやいてみてください。
「——またね。今日は、ここにいるよ。」

 

 

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