心配された台風も去り,えーさんの紹介でメロウ倶楽部の 皆さんを小京都吉良荘にしおの古の城下町を散策めぐりを、6月20日くもり空の下でまずまずのコンデションの中一日案内をさせて頂きました。
吉良という地名の起こりは
このあたり一体はその昔雲母がたくさん
取れました。
雲母は大和言葉でキララと言います。
それが訛って吉良となったのだと。
八ツ面山は古くは雲母山、吉良山などと称し、
雲母の採掘が特に盛んに行なわれた。
八ツ面山周辺の雲母は良質なので、
その昔奈良朝以前「続日本記」には
和銅六年(713年)に三河より朝廷に
雲母を奉じたと出ている。当時の用途は
クスリとして、また紙すき、屏風や襖、
扇などの装飾に珍重されました。
みどり川(北浜用水)
毎月4日・9日に市がたち多くの
市民に親しまれています。
ここいらは桜の名所。屋台が並んで
宴会がはじまります。
この辺りはお城の堀外で明治から大正に
かけて花の木耕地整理が行われ近代化が
進み鉄道も敷かれ都会化されました。
西尾劇場
駅前にある映画館。今も営業している。
ここいら一体は飲み屋街。昔は青線だった
そうな。青線と言われてもピンときませんが。
朝から電気をつけて待っていていただきまし
た。懐かしい映画館です。この建物は
岡崎から持ってこられたもの。
館主は青山さんです。青山氏は郡上城主の
青山氏の流れですか?と聞いたら「あれは
分家です」私の家が本家です。家紋も違い
ますよ。ちなみに東京の青山は郡上の
青山氏の父親が徳川 家康からもらった
土地です。青山氏を調べてみると三河の
青山氏がずっと古い先祖でしたね。
映画館の青山氏があれは分家だよと
おっしゃったのもうなずけます。
尚古荘は明治28年ころ西尾城の
城郭の一部を地続きの須田町の鍋屋の
辻さんらに払い下げれました。
そしてお城の遺構出来るだけ多く活かした
庭と茶室の不言庵を本宅の裏庭として
造られ国中の歌会などを開かれました。
尚古荘の前辺りが城内の新門で
左のお堀辺りが尚古荘です
昭和初期に大黒屋さんに渡り尚古荘と
して拡大されが、今は市の管理にて無料
開放されています。
尚古荘の一角に伝想茶屋として
株式会社デンソーが西尾 安城 刈谷に
5000万円づつ50周年 記念事業の
寄付金でこの伝想茶屋を造られました。
合図の大太鼓有ったので太鼓門と
名が付いたと言われています。
今の西尾小学校の正門の辺りが
尚古荘の西の出口から太鼓門を前を
西尾城の鍮石門に出ます。
四層五階の時代の西尾城天守閣
西尾城の歴史 は古く、承久の乱(1221)
の戦功によって三河国守護に任じられた
足利義氏(あしかがよしうじ)が築城し
吉良家の時代が350年以上つづいたが、
豊臣秀吉の家臣田中吉政が、岡崎・西尾
10万石として城主なり、城は大きく建て
替えられました。
その後徳川家康の時代に現在天守閣が
あったところはただの空き地になっていま
した。
平成8年に本丸丑寅櫓が再建されて
そこが歴史公園と なっています。
現在再建をめざして費用も5億円ほど
集まっているそうですが総額15億円
かかるとのことでなかなかすすみません。
西尾の町の道路はかってのお堀を埋めて
作ったものがたくさん あります。
つづく