*天下の奇祭*てんてこ祭り
清和天皇
在位期間
858年
12月15日
- 876年
12月18日
武門の棟梁となる清和源氏の始祖
熱池の八幡社南におおきなポスター
西尾市役所 観光と産業より 時期は昭和?
熱池の八幡社と野の宮神社の距離は500m位離れています
熱池の八幡社
貞観元年(八五九年)1162年前に天皇の命により、この地に熱池八幡社が造営されています、
正月3日は吉良荘にしおの福地地区周辺数ケ所で、平安時代(1162年)に清和天皇の大嘗祭の悠紀齋田に、この地が選ばれたことにちなんで始まった祭りと伝えられます。
参考に西の主基齋田は、(美作国岡山県の北部)です。
京都を境にして、祭祀を司る神祇官が占いをして、西の主基と東の悠紀を決めて2ケ所で行われています。
新嘗祭(大嘗祭)とは天皇の即位した後,再初に実った米を神々に供え天皇が食して、豊作を感謝する祭のことで、その栄えある悠紀齋田(ゆきさいでん)に選ばれたのがの福地地区周辺一帯であった。
赤い衣装に身を包んだ6人の男が神社に向けて行列し、うち3人は男根を模した大根を腰につけ、「てんてこ、てんてこ」
御田植祭の謡
という太鼓の囃子でなリズムあわせてユニークな、お踊りで腰を振って奇妙な格好で行進する様は「天下の奇祭」と言われる。
町内から神社境内へ練り歩き、境内で、藁灰を竹箒で撒き散らし、観客にかけ、この灰をかぶると厄除けになると言われる。その後神殿にて神事。
大嘗祭の悠紀齋田の御田植の儀式が執り行われていたが、長い年月で御田植の儀式は、地元の五穀豊穣を祈念する農業祭、として毎年行われるようになり、その太鼓の音色から”てんてこ祭”と呼ばれるようになった。
てんてこ舞いと参詣者
(熱池の八幡社 神殿内の絵画)
完成された男根
五穀豊穣の準備
ご縁があり、訪問頂き
皆様に ありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
吉良荘にしおの案内人ようさん
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